月刊エッセイ       12/18/2005


最終回です


 突然「最終回です」と書いてしまいました。本当なのです。「今月のエッセイ」も最終回ならば、このホームページも2005年12月をもって更新終了となるのです。
「本岡類の素朴なホームページ」が始まったのは2002年1月からでした。当初は「3年くらいは続けようかな」と考えていました。ところが、その間、ミステリーからノン・ミステリーへの路線の大変更があり、新路線の第1作の出版が遅れに遅れてしまったため、「せめて新作を読者の皆さんにお知らせしてからHPを終わりにしよう」と思っていた私は、3年で幕を引けず、4年目に突入してしまったというわけです。

「5年でも10年でも続ければいいじゃないか」
 という意見もあるでしょうね。実際、そうとう長く続いている長寿HPもあるみたいです。しかしながら、私は“マンネリ”という慢性病を恐れているのです。なんとなく続けていると、本人が気づかないうちマンネリに陥る。いや、最近では、私本人が、原稿を打ちながら、
〈なんか、マンネリっぽいな……〉
 と感じているのですから、読んでる方はもっとマンネリを感じているかもしれませんね。内容を一新する手もあるのかもしれませんが、始まりがあるものは終わりもある、という私の哲学に則って、ここは幕を引くことにいたします。
 4年というのはけっこう長くて、感じたことも多々ありました。そのうちのいくつかを書いてみたいと思います。

(1)個人ホームページは双方向性が命
「本岡類の素朴のホームページ」には「掲示板」の欄があって、意見・感想なんでも受け付けておりました。また悪意のない意見・感想については、私が返事を書いていました。しかし、2005年の夏で、その「掲示板」を閉鎖してしまったんですね。
 理由は、今年に入って、怪しげなビジネスやギャンブル、アダルト・サイト系の書き込みが激増したからなんです。掲示板を開いてみるたびに、おーお、迷惑書き込みの山。網を引き上げると、魚ではなくエチゼンクラゲがぎっしりかかっている、昨今の日本海の漁業みたいな毎日が続いたからなんです。
 これが人気サイトで、迷惑書き込みと正常な書き込みがフィフティー・フィフティーといった割合なら、なんとか我慢もできますが、「本岡類の素朴なホームページ」では、まともな書き込みの20倍に近い迷惑書き込みがあったのです(早い話が、私のサイトを利用する人がそれだけ少なかったってことですけど)。
 仕組みはよく知りませんが、迷惑メール、迷惑書き込みは、業者がパソコンを使って無作為かつ自動的に送りつけているようなんですね。こっちは手動でひとつひとつ消しているのですから、勝ち目はありません。で、手動派の当方としては、疲れ果てて、とうとう掲示板を閉鎖することになったんです。

 しかし、掲示板を閉鎖すると、とたんに淋しくなってしまった。少数とはいえ、読者の方から届く書き込みは、私をどんなに元気づけたでしょう。一人ひとりお名前を挙げて感謝したいくらいですが、ほんとうにありがとうございました。
 そうした“元気の素”がなくなって、なにかホームページへの熱意も薄れてしまった。どうせ2005年いっぱいでホームページを終わりにするんだったら、あと半年、迷惑書き込み消しに励めばよかったと悔やんだのですが、後悔先に立たずでありました。

 個人が開いているHPでは、掲示板がなければ面白くもなんともないということでしょうね。むろん書き込みの中には「バカヤロー」「殺してやる」とかいった不快なものもあるとかで、好意的な書き込みがほとんどだった私の掲示板は“幸福な掲示板”だったのでしょうが、それにしても、HPから双方向性が失われると、こんなにもつまらなくなるものかと、実感したものでありました。
 それゆえ、あの迷惑書き込み、なんとか駆除する方法はないものかねえ。駆除手段が開発されているのかもしれませんが、IT方面にはまったく疎くて、なんとかかんとかホームページを維持している程度の人間には、見当もつかんのですよ。

(2)近況報告は、どこまで本当なのか
 ホームページの中には「日記を公開」と銘打って、毎日のように近況報告をしている方がいらっしゃいます。私にはそれほどの体力も根性もありませんので、〈まあ、月1だったらなんとかなるか〉と始めたのが「本岡類の今」でした。
 しかし、この近況報告、どこまでのことを書いていいのか、どんなふうに書けばいいのか、いまだにわからないのです。よく学校の先生なんかは、日記や作文は「ありのままを書けばいい」と言うみたいですが、そんなことができるわけがない、日記にせよ作文にせよ近況報告にせよ、思いを文字にしようとすれば、取り繕い、過剰な妄想、偽善、偽悪と、さまざまな邪念が飛び出してきて、ありのままなんて書けやしないのです。

 それでも、ベストセラーを連発している作家だったら、たんたんと書けるでしょう。
「新著『自転車男』は発売1週間で早くも5刷。これも100 万部は売れるだろう。夜は文芸家協会のパーティーに出席。各社の編集者が寄ってきて、執筆をせがむが、身体がいくつあっても足りないので、適当にあしらう。談川社のアホがあまりにもしつこいので、頭からグラスのシャンパンをかけてやる。まったく、本が売れたって作家は税金で取られるばかりで、儲かるのは版元だけなのだ」
 でも、そうじゃない作家となると
――
「今年入ったばかりの新米編集者が『こんなの小説ではありません。猫にだって書けます』と言って、小生の力作を床にぶちまけたので、必死に拾い集めた。帰りの電車賃がないので歩いて帰ったら、腹が減った。だが、米びつを開けても、米がない。妻はとっくの昔に愛想をつかして実家に帰っている。ゴキブリが歩いていた。冬だから、ゴキブリの動きも遅い。これだって蛋白質に変わりはあるまい。捕まえて、茹でて食べてみたが、はらわたがニチャリと口の中にくっつき……」
 おお、気持が悪い。こんな現実だったら、ありのままに書けませんよね。それだけに、これは書くの止めておこう、ここはちょっと取り繕っておいてと、といったふうに、いろいろお化粧を施してしまうのです。そして、
〈ああ、お化粧をしてるばかりでは、そのうち姉歯建築士のようになってしまうのではないだろうか。いっそのこと、姉歯類とペンネームを変えれば、少しは気持も楽になるのではないだろうか……〉
 などと、妙な方向へ考えが進んでしまうのですよ。
 はい、白状します。「本岡類の今」に書かれていることは事実です。ちょっときれいに書いたところもありますけど。でも、書かなかったことも山ほどあります。白状しましたから、証人喚問には呼ばないでください。

「更級日記」「土佐日記」から昭和の文豪に至るまで、プライバシーをさらけ出した日記は数多く書かれていて、日記文学なんて言葉もありますが、さて、どこまで本当のことが書かれているのでしょうか。
 日記はあくまで土台であって、そこにフィクションを上塗りして、エンターティメントにしてしまえばいい、という意見もあるでしょう。つかこうへい氏とか筒井康隆氏とか、面白い作品を書いていて、とりわけ筒井さんの「腹立半分日記」は私の愛読書でもありました。しかし、それらは「よーし、真偽がごちゃごちゃになったエンターティメントを書いてやるぞ」という決意があって書かれたものでしょう。そうした決意なくして、なーんとなく近況報告を始めたのが、中途半端になった原因だったような気がします。
 ふつうの日常を書いただけじゃ、つまらない。でも、あっちこち取り繕えば、厚化粧のオカマみたいになってしまう。日記公開、近況報告というのは、簡単そうで油断のならないものだと、感じたのであります。

(3)身のほどを知るべきなのか
 深刻そうな小見出しをつけてしまいましたが、簡単なことであります。遅筆の作家はあれこれ手を出さないほうがいいのではなかろうか、という思いであります。
 今まで出した本の数を見てもわかるように、私は遅筆であります。どう遅筆なのかは、「今月のエッセイ」(2002年の12月号)に書いてますが、小説を書くのが遅ければエッセイも遅い。なまけているわけでもないのに(本当にそうなのかい?)遅いということは、文章を紡ぎだす能力に問題があるのでしょうか?
 ところで、「今月のエッセイ」は400 字詰め原稿用紙に換算すると、12、3枚の分量はあるはずです。筆の早い人なら3時間もかからず書いてしまう長さですけど、私の場合、下手をすると1日近くが費やされてしまう。加えて「本岡類の今」もあります。つまり、もともと遅れ気味の小説原稿が、ホームページを持っているとさらに遅れてしまうという悪循環になります。
 ある日、ふと思いました。ホームページを持つなんて、筆が早い人にだけ許された贅沢な行為なのではないか、と。実際、栗本薫さんなんて朝飯前の仕事としてホームページを毎日、更新するんだとか。
 もし小説の神様がいたなら、
「本業の小説すら予定より遅れてばかりいるおまえに、ホームページを持つ資格などないぞ。身のほど知らずの奴め」
 と、怒っているかもしれないな。

 それから、小説家がさまざまな思いをエッセイの形で吐き出していいのだろうか、という迷いも抱くようになりました。エッセイはストレートに思いを表現します。対して、小説は登場人物の姿を借りて、書き手の思いを表現します。
 評論家とか別の職業の人ならば、エッセイ、大いにけっこうでしょう。でも、小説家ならば自分の思いを小説で表現するのが、やはり本筋というものではないでしょうか。
 いくつもの小説を立派に書き上げて、さらにエネルギーが残っているのなら、エッセイに手を伸ばすのもいい。ですが、20何年間か作家をやってきて、30冊を少し越える本しか出すことができず、代表作なんてまだ書けていないと自覚している人間は、やはり「選択と集中」で小説書きに全力投球するのが選ぶべき道というものでしょう。

 なにかホームページについて否定的なことばかり書いてしまったみたいですが、反対の面から見ると、ホームページを持ったからこそ分かったことがあります。
「おい、もっと小説書きに専念せい」
 ということですね。
 このホームページを立ち上げた時は、50代に入ったばかりでした。なのに、もう50代も半ばに達しようとしております。中年、老いやすく、本なりがたし。作家としての持ち時間は、そう長くはありません。専念いたしましょう。

 いや、4年間ホームページを続けてきて得られたものは、他にもあります。拙文をお読みくださいました皆様、とりわけ掲示板に意見や感想をお寄せくださいました皆様、
〈おお、私にも読者がいたんだ〉
 と実感できて、とても嬉しかったです。書店の平積み台から1冊、2冊と、自分の書いた本が売れて少なくなっていくと、読者がいるんだとはわかりますが、顔が見えないだけにあまり実感はありません。それだけに、掲示板に本の感想など寄せてくれると、嬉しくなってくる。作家というのは、けっこう孤独なものなんです。

「本岡類の素朴なホームページ」は、12月31日に予定している「本岡類の今」を最後に更新を終了いたします。ただし、ホームページ自体は来年の3月くらいまでは見られるようにしておくつもりです。
 では、皆様には、来年に出す(夏くらいかな)新作でまたお目にかかりましょう。長い間、ご愛読、ありがとうございました。さようなら。





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「オジサン、オッサンが嫌われる3つの理由」 (2005年11月)
「隠れピアニストの私」 (2005年10月)
「なんとなく大学、ワセダ」 (2005年9月)
突然の政治の季節に思ってしまう (2005年8月)
小説の縦糸と横糸について (2005年7月)
今が理解できない時代の恐さ (2005年6月)
新刊「夏の魔法」をめぐって (2005年5月)
「毒薬の効能」 (2005年3月)
“被害者”いろいろ (2005年2月)
「地域の人とおつきあいすると、うん、勉強になります」 (2005年1月)
「負け犬」に「オニババ」そして「ヨン様」 (2004年12月)
吾輩は“家なき子”である (2004年11月)
ひねくれ者のスポーツ考現学(その2) (2004年10月)
ひねくれ者のスポーツ考現学(その1) (2004年9月)
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今年も終わりで、○と△と× (2003年12月)
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フリーランサーとは何か(中編) (2003年4月)
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