本岡類の今       12/31/2005 


 このホームページを更新するのも、今日で最後になってしまいました。今日は今年も最後の日だし、なんとはなく淋しさも感じております。しかし、始めあるものは終わりあり。これも、新たなステップのための変化だと思っております。

 さて、11月は「大人のためのピアノ」の取材をしたりしていたのですが、12月は「在日ビルマ人(ミャンマー人)」の取材で動き回っていました。その分野の専門家のレクチャーを受けたり、裁判や集会に参加したりと、あっちこちに足を伸ばしました。ビルマというのは多民族国家で、会う人ごとに顔か大きく違っていて、さて小説に登場させるのはどの顔の人がいいのかと、悩んでしまいました。しかし、ビルマ人に限らず、外国人と会ったりするたび、日本人の常識というのは世界的にみてローカルなものなんだなあと感じいります。

 取材のたびに感謝するのは、協力してくださる方々の存在です。今まで縁もゆかりもなかった方に電話などしてアポイントメントを取りつける。そして、話をお聞きする。小説の取材など、その方にとっては何の現実的な得にもならないのですが、忙しい中、時間を割いて、私にその分野についてレクチャーをしてくれる。お話をしてくれる方が、仮に30年間、その仕事に携わっているとするなら、30年分の経験をコンパクトにまとめて私に提供してくれることもあるのです。感謝しても、しきれないというものです。
 前作「夏の魔法」でお世話になった那須高原の牧場の方は、本が出た後、出版社の編集担当者の“牧場体験研修”まで引き受けてくれたんです。こんなふうにして、交遊関係が広がっていくことも、作者としては楽しみの一つなんですね。
 ただし、フィクションというのは、お話いただいた内容をストレートに書かない場合もあるし、また良いお話でもストーリーの展開上、カットしなければならない場合も少なくなくて、そのあたりが心苦しいところです。

 12月24日の午後は「第九」を聴きにいきました。年の暮れに必ずベートーベンの「第九」を聴く必要もないのですけど、いろいろなところでこの曲の演奏会が開かれていると、ついチケットを買ってしまいます。今年は小泉和裕さん指揮の東京都交響楽団でした。ただし、結論から言うならば、感想はやはり、
〈ウーム……〉
 というものだったんですね。
 音の響きは良かった。独唱も合唱も良かった。だけど、感激が薄かった。第一楽章、第二楽章に“黒々したもの”が感じられない演奏だったが故に、第三楽章の美しさ、第四楽章のはじけた解放感が得られなかったんだなあ。
 面白いもので、クラシックの演奏会は終わったあとの拍手の熱気で、演奏の出来、不出来がある程度わかるんですね。素晴らしい演奏のあとでは、お客さんも熱狂的な拍手を送る。さらには多くのスタンディング・オベイションも加わる。でも、まあまあの演奏の時は、拍手のほうもお義理みたいなものになってきます。残念ながら、24日の演奏は後者だった。
 12月の「第九演奏会」はオーケストラの「年越し資金稼ぎ」とか「餅代稼ぎ」とか、よく言われます。プレミアム料金で連続演奏会を開いても、満員に近い客を集めることができるからです。だから、演奏している方も、〈毎年のことだから〉とか〈今日のお客さんは年に1度しかクラシックを聴きにこないような人だから〉とか思って、なんとなく奏いてしまうのかなあ……。
 どこのオーケストラも「第九」については似たようなものだという意見もあります。来年から年の暮れに、この曲を聴きにゆくのは止めようかしらん。

 仕事をしたり(むろん、この時間がいちばん長いですよ)、テニスをしたり、音楽会に行ったりしているうちに12月も終わりに近づいてしまいました。
 思い返してみると、今年は総じて変化のあった年だったと思います。ミステリー作家からの転向第一作を初夏の頃に発表することができました。小さなことですが、事情があって4年間続けていた気功を止めて、新たに気功太極拳を始めました(名前は似てるけど、この二つはものすごく違うんです)。テニスもスケジュールが合わずにシニアの会を休会して、別の会に入れてもらったりと、その他にも私生活上の変化はいくつかありました。年下の知己を亡くしたりもしました。思うことは、さまざまありました。
 大ベストセラーを書いたとか、大きな賞をとったとか、事故で大ケガをしたとか、派手なことは何もありませんでしたが、私自身は質的な変化を感じていて、後から考えると、ターニング・ポイントとなる年だったのかもしれません。

 さて、そろそろお別れしなければなりません。とはいっても、ホームページ上のことだけで、小説のほうではまたお目にかかれるのです。今、書いている作品は、おそらく夏くらいに刊行されることになるでしょう。題名はまだ決まっていませんが、「ピアノ」という言葉が入るタイトルになるんじゃないかな。図書館で借りて読もうなどとはけっして思わず、書店やインターネットを通じてお買い求めくださるように、せつにお願い申し上げます(と、ここでは商売っ気を丸出しにする)。
 では、小説の新作でお目にかかりましょう。4年間もの間、拙文をお読みいただきまして、ありがとうございました。さようなら。



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12/3/2005

 先月は悲しい出来事がありました。11月の上旬、大手総合出版社A社で文芸部門の局長を務めていたBさんが突然、亡くなったのです。まだ53歳の若さで、死因はクモ膜下出血だといいます。
 50歳になったかならなかったかの年齢で、局長という取締役一歩手前の地位まで昇ったBさんは、この業界では知られた辣腕編集者でした。浅田次郎氏や桐野夏生氏の出世作を手がけたほか、数々のベストセラーを産み出していたのです。

 私が作家デビューした頃、某小説雑誌の初代担当者でしたので、Bさんとはもう20年以上のつきあいとなります。そんなに長いつきあいなのに、短編長編含め、私は彼とは1作の仕事もしていないのです。理由は簡単で、小説観がものの見事に違ったからであります。何度も、時にはコーヒー、時には酒を飲みながら、長時間、小説のことを話しあったのですが、彼が人間の“ナマの情感”を重視するのに対し、私が“ワンクッション置いた情感”の持ち主なので、これは噛み合うはずがありません。小説の読者の大多数は“ナマの情感”を好みますので、ベストセラーを出すという部分では、Bさんの主張のほうに分があったのでしょうが。
 自分の小説観とまるで合わない人とは仕事をしない−−これは、極めて合理的で正しい判断だったと思います。ふつう、つきあいが長くて、そして自分が部門の長となったりすると、情の面から仕事を頼もうかという気になるものです。だけど、作品が仕上がってくると、あまりの小説観の違いに戸惑い、出版をためらったりする。時々あるケースで、こうした事態になると、作家のほうも大迷惑です。でも、Bさんは、そのあたりを割り切っていましたので、逆にこっちも助かりました。

 Bさん本人との共同作業では1本の小説も完成させませんでしたが、彼の部下の編集者とは仕事しました。そんな時、責任者としての彼は「イエス」と言ったことは必ず守りましたし、できないことはけっして「イエス」とは言いませんでした。口に出したことは必ず守る。これは簡単そうで、しかし、なかなかできないことです。
 Bさんとの思い出は、むしろトラブルに関係するもののほうが大きかったとも言えるでしょう。私はA社と出版トラブルを起こしたのでしたが、他の関係者が言を左右して逃げようとする中、彼だけは正面から事態を解決しようと腐心してくれたのです。

 小説観は正反対でしたが、人間的に尊敬できる人でした。それだけに訃報を聞いた時には仰天し、その後何日かは気持が塞ぐばかりでした。
 熱心で有能な編集者ほど、若い時、いや中年になってからも心身を酷使します。そんな無理が50歳を過ぎて、ちょっと仕事が楽になった頃、身体に現れたのでしょうか。自宅でくつろいでいる時に倒れたのでしょうか。それだったら、当人にとっても、ご家族にとっても、たまらないな……。

 通夜に出ました。彼が好きだったギターの曲が流れ続ける通夜でした。行列して、焼香までに30分以上もかかるほど、多くの人が彼の死を悼みました。その席でいっしょになった友人から、Bさんが倒れた時のことを聞きました。ただし、その友人もまた聞きだと言いますので、もし間違っていたらご容赦ください。
 その日、Bさんは夜遅くまでバーかなにかで酒を飲んでいた。そして、店を出たところで脳出血に見舞われ、路上に倒れた。不運だったことは、酔っぱらいと間違われて、病院に運ばれるのが遅れ、結果、手遅れになったんだとか。
 そんな話を聞いて、ちょっとだけ救われた気持になったのです。もちろん、彼が亡くなったのは痛恨の極みです。もっと長生きして、良い仕事をして欲しかった。でも、彼は彼らしく生きて、その延長で亡くなったのではないか。夜遅くまで飲んで小説論などを闘わせることは彼らしいことで、最期の時も含め、彼らしい人生のだったのではないか。
 鬱々としていた気持が少しだけ解きほぐされた、と書くのは、不謹慎なことでしょうか。しかし、私も、Bさんのように自分の流儀で生きて、その中で死んでいきたいな、と考えたのは、事実なのでした。

 残念だったのは、私が大ベストセラーを書いて、
「どうだい、私の書き方だって、たくさんの読者を喜ばせることができるんだよ」
 と、彼の前で威張ることができなかったことです。
 ともあれ、次作に全力を注ぐしかありません。



11/3/2005

 まず最初に、10月23日に行われた我孫子市の市民テニス大会男子シングルス(45歳以上の部)の結果から報告しなければなりません。皆様、信じられないでしょうが、テニスを始めて2年と数カ月、スクールに通ったりすることもなかった私が、なんとなんと準優勝してしまったのです。
 快挙です! といいたいところですが、タネを明かせば、エントリーした人がたった 6人しかいなかった。しかも2人が当日欠場したため、参加人数は4名。つまり、1回勝てば、もう決勝だったんですね。結果、1勝1敗で、準優勝となったわけです。賞状とメダルをもらったけど、ほんとう言えば、そんなものいらないから、あと2試合くらいやりたかった……。

 初戦は、相手が弱かったので、6−1で快勝。 2回戦がソク決勝となって、次の相手はちょっと手ごわかった。私よりも 8歳年下で、去年までは年齢制限のないオープンクラスに出ていた、テニスキャリアも長い方でした。それでも、序盤は接戦で2−3というスコアでしたが、秋とも思えぬ強い太陽が照りつける日、年齢差8歳は大きく、私はしだいにスタミナを失い、最終的には2ー6となる完敗でありました。
 でも、運動神経も良くない中高年の私がスクールにも通わず、2年と少しでシングルスの試合ができるまでになったんですよ。もう少し上手くなって、近い将来、「中年からのテニス上達法」の本でも書こうかしらん。

 趣味はいろいろと持っていますが、50歳を過ぎてから始めたテニスは大正解でした。まずは、楽しい。次に健康にもいい(はず)。始める前に比べると体重が6キロ近くも落ち、現在では1時間以上、動き回っても平気という体調です。そして3番目として、交遊が広がったこと。コートで知り合った方も少なくなくて、友人知人が増えるのは、私のように部屋に閉じ籠もる仕事をしている者にとっては、まことにありがたいことです。

 国内ばかりでなく、言葉の通じない外国へ行っても友人を作れるのが音楽やスポーツの強みなのですが、テニスについては納得できないことがあります。それは、いまだに日本の中学ではソフトテニス(軟式テニス)が主流を占めていることです。
 ソフトテニスは、(硬式)テニスのボールが高価だった昔、安いゴムボールが使える、いわば代用のスポーツとして始まったものです。しかし、時は移って、日本は経済大国となり、しかも硬式のフェルトばりボールが1個100 円前後の低価格となった今でも、国際的に通用するテニスが中学の多くでは行われていない。生徒はインターナショナルなテニスを選べない。
 だいたいソフトテニスなんて、日本と東アジアの一部でしか行われていないローカルな競技なんですよ。欧米に行ったら「そんなもん知らん」と言われる。ソフトテニスを通じての交遊なんて、ほとんど期待できないわけです。
 なぜ、義務教育の現場では、いまだにソフトテニスなるものが行われているのでしょう。これは文部省が悪いのか。テニス協会のお偉いさん方が普及活動をサボっているのか、それともソフトテニスの団体と対決するのが嫌さに現状維持路線を守っているのでしょうか。
 公営コートでは、よく中学生の集団がバシン、バシンとゴムのボールをひっぱたいているのを見かけます。そういう光景を前にするたび、
〈海外に行った時にテニスを通じて友人ができるという、この子たちの可能性を減らして、いいんだろうか……〉
 という義憤にも似た思いを抱いてしまいます。

 いけません。テニスのことばかり書いていると、また、さっさと仕事せいとのお叱りを受けます。
 もちろん、新作の執筆、やっておりますでありますよ。ただし、今回は問題があるんです。10月の「今月のエッセイ」でも書いたように、私は音楽実技や理論についての知識がまるでありません。なのに、ピアノ教室が舞台となる作品を書こうというのだから、神をも恐れぬ所業で、楽器が出てくるシーンでは必然的に悪戦苦闘が続きます。先日、現役のピアノ教師の方を紹介していただいたので、音楽実技のほうは彼女におんぶにだっこの状態になるんじゃないかなあ。
 作家の中にも、ロックバンドを持っている(いた?)栗本薫さんとか、チェロを演奏して長い篠田節子さんとか、音楽の実技には熟達した方がたくさんおられます。そんな方には、楽譜を読むなんて、ちょろいことだろうな、と、今回も他の作家を羨んでおります。音楽鑑賞だけじゃなく、実技のほうも、少しはやっておくべきだった……。

 そうだ、そうだ。ちょっと変わった話がありました。拙著「夏の魔法」の翻訳本が台湾の出版社から出版され、台湾や香港、マカオで販売されることになったのです。中国語がずらりと並んだ私の小説が出る。実物を前にしたら、妙な気分になるでしょうね。
 ともあれ、海外での出版。
「これで、私もインターナショナルな作家。大江健三郎や村上春樹と肩を並べたんだぞ、はははは」
 と、私は偉そうにしているのですが、周囲の者からは、なぜか、せせら笑われているのです。失礼な……。



10/7/2005

 弱った。書くことがない。書くことがないと言っているうち、10月も5日になってしまった。
 むろん、仕事もしておりますよ。取材もしてるし、原稿も書いてる。だけど、たいしたことがないんだよなあ。たとえば、こんな程度のことです。
 新作に、オランダ人男性がちょろりと出てきます。ところが、オランダ人の人名がよくわからない。有名なオランダ人といえば、シーボルトとかヘーシング、フェルメールという人がいますが、アントン・シーボルトなんて名前にするのもねえ……
 こういう時、便利なのがインターネットです。各界のオランダ人を片っ端から調べてみる。オランダで世界的に名高い分野といえば、サッカーです。プロ・サッカーの世界で調べると、オランダリーグの選手名がたくさん出てくる。結局、サッカー選手の姓と名とを組み合わせて、一丁上がりとなりました。
 いつも外国人の名前が出てくると、苦労するんです。アメリカ、フランス、ドイツといった有名国ならいくらでも探せるんですが、エルサドバドル人とかコートジボアール人だったら、どうすりゃいいんだろう。
 このあたりどこの国の作家の方も苦労するようで、昔、アメリカ人の書いた小説に登場する日本女性の名前が「チンモコ」(!)だったと、誰だったかがエッセイに書いておりました。

 いえ、ほんとうは楽器の話を書くことにしてたんですよ。
 じつは先月、半ば発作的にキーボードを買ってしまったのです。音楽演奏とは無縁の私ですが、次の作に「中年を過ぎてピアノを習いはじめたサラリーマン」が登場するので、その人の気持が少しは分かるのではないかと、大バーゲン価格となっていた大安物のキーボードを買ったというわけです。
 演奏とはほとんど縁のない生活を送ってきた人間(当然、楽譜も読めない)が楽器を前にすると、どんなばかばかしいことが起こるかを書くつもりでした。が、書きだそうとした時、
〈これだけの内容があれば、「今月のエッセイ」でもいけるんじゃないか……〉
 という悪魔の囁きが耳元でしたのです。
「今月のエッセイ」の分量は、400 字詰原稿用紙にして12、3枚と、けっこうな分量で、いつもネタ探しには苦労しているんです。結局、悪魔の囁きに負けて、キーボードの話は「今月のエッセイ」のほうにまわすことにしたんですね。すみません。

 こうしたケチな気持は、小説を書く時にも現れます。
 その昔、小説誌にミステリー短編を書いていた頃、いざ書き出そうという時、
「このトリックだったら、長編にできるんじゃないか」
 と気づき、短編にするのを止めたことがあります。しかし、締切りは迫っており、急遽、“補欠のネタ”を起用したところ、出来上がりはイマイチ。これも、すみませんでした、と言うしかありません。
 でも、こうしたケチな気持が生ずるのは、私ばかりではないようです(と、今度も他人に責任を半分押しつける)。短編新人賞の選評を読んでいて、「これだけの材料があれば長編に仕立て上げられるのに」といったようなことを書いた文に、2度ばかり出っくわしました。誰しも、ネタには苦労しているというわけです。

 ああ、言い訳ばかり書いている。
 いや、積極的な話もあるんですよ。先月の末に予定されていた「市民テニス・シングルス・トーナメント」のシニア部門(45歳以上)にエントリーしたのです。テニスを始めて2年と少しのキャリアしかない私が、しかも、運動神経がけっして良いとはいえない私が、シニア部門とはいえ大会にエントリーするとは、無謀の誹りは免れません。他人からは「恥をかくだけだよ」と言われましたが、草トーナメントとはいえ“公式大会”というのが、どのくらい緊張するものか知りたくて、何事も体験じゃないかと、申し込みをしてしまったのです。
 そのトーナメントが9月の末の日曜日に行われる予定だったのですが、台風の襲来であえなく中止。10月下旬の日曜日へと順延になったのです。
 お、1カ月延びれば、それだけ準備もできるな。苦手のバック・リターンも少しは上手くなる。そうも思ったのですが、時間があると、かえって不安感も増します。負けるのは、まあ、いい。でも、1ゲームも取れなかったら、いいや、緊張のあまりダブル・フォールト連発で試合にならなかったら、どうしよう。日毎に不安がつのります。少しでも練習しようにも、連日の秋の長雨。
〈申し込みしなきゃよかったかなあ、無謀だったかなあ、常識というものに欠けていたかもしれないな……〉
 今では、後悔の気持も湧いてきている。

 なにか最後も景気の良くない話になってしまったなあ。窓を見ると、今日も雨。秋の長雨のせいなのかと、今度は天気に責任を押しつける。
 次回を書く頃は、長雨の季節も終わって、空は晴れわたっているでしょう。シングルス・トーナメントの結果も併せて、元気にご報告申し上げます。



9/1/2005


 暑い日が続いていますが、それでも朝夕には涼しさも感じ、昼間だって湿度もあまりあがらず、秋の訪れを感じております。
〈ふーっ、昼も夜も暑くて死にそうな夏が、やっと終わりそうだ……〉
 ホッとしているところですが、でも、考えてみると、若い頃は違いましたよねえ。
〈あーあ、楽しい夏も終わっちゃったよ……〉
 と、夏の終わりには、思っていたはずです。
 別に、私は、甲子園やインターハイを目指し、夏に情熱を燃やしていた人間ではありません。また、一夏の恋に身を焦がし、秋風とともに別れを迎えるといったタイプの人間でもありません。でも、8月も押し詰まり、ひぐらしゼミの声を聞くと、やはり若い頃には夏を惜しんでいたはずです。
 行く夏にホッとするか、行く夏を惜しむかで、その人の若さがわかるのでしょうか。でも、ここ2、3年の夏は温暖化のせいなのか、猛烈な暑さだもんなあ。若い人だって、夏が終わるのをを歓迎してるんじゃないだろうか。

 少し涼しくなって、夏の疲れが出てきた今日この頃です。自慢できることではないのですが、暑さに弱くて、子供の頃は秋になると寝込んで学校を休んだりしていました。成長とともに少しは丈夫になり、今は寝込むほどのことはないのですけど、やっぱりどこか力が入らない。
 幸か不幸か、仕事のほうは切り換えの時期にあって、ちょっとのんびりできます。中国の奥地に行く話があったりもしますが、本決まりにはなっていません。「夏の魔法」の次の作品については、公立病院を舞台にした恋物語を用意してあって、だいぶ書き進めていたのですが、編集者との協議により、さらにその次に用意してあったテーマのほうが、今の時代、インパクトがあるのではないかという結論に至り、急遽変更です。
 おかげで、資料の入れ替えや新たな取材などの仕事がもっぱらで、キーボードを打つ時間は少なく(つまり原稿はあまり書いておらず)、でもなあ、そんな毎日が続いていると、何カ月か後に青い顔しながら、原稿を書くはめになるんです。ちょっとは気合を入れましょう。

 あまり原稿は書かなかった分、ちょうど夏休みをとっていた昔の友人たちとビールを飲んだりする機会が増えました。仕事を持っている者にとって、8月は“同窓会”の季節でもあります。
 そこで、最近、興味を持っている分野は何かを訊いたところ、異口同音に返ってきたのは“過去のこと”なのでありました。
「古典の全集を少しずつ読んでる」「戦後政治についての本を読んだ」「定年退職したら、古墳めぐりをしたい」「今、住んでるところの郷土史に興味を持っちゃってさ」から始まって、中には「俺はね、赤穂47士の名前を全部、暗記してるんだ」なんて言う奴もいて、実際にずらずらと名前を列挙しはじめたんです。

 むろん、歴史に興味を持つのは悪いことではありません。過去を知るから、今や未来を思うことができる。でもなあ、会う人間、会う人間(とはいっても、40代、50代の男性)が口を揃えて、昔のお話ばかり言い立てる。たまりかねて、私が
「おい、目を後にばかりつけて、いいのかよ。少しは今や近い将来のことを言えよ」
 と一喝したところ、
「だけどなあ、未来といったってさ、60歳で定年だけど、年金が出るの65歳だろ。その間をどんなふうにしていけばいいのか、頭痛くってなあ」
 という返事が返ってきました。明るくない将来は考えたくないから、過去に思いを馳せるというのでしょうか。なんか悲しい気がするけどなあ……。

 どうも今月の内容はショボいものになってしまいました。これも夏バテのせいでしょうか。早いところ、体調を戻して、仕事に励みたいと思っております。



7/31/2005

 ちょっと変わったニュースがあります。
「夏の魔法」の担当をした新潮社の編集者Nさんが、那須高原の牧場で働くことになったのです。とはいっても、出版社を辞めて、牧場に転職したわけではありません。夏休みを利用しての“体験学習”をしようというのです。
「本岡さんの本を担当させていただいて、僕も牧場での仕事を体験したくなったんです。どこか、紹介していただけませんか」
 という相談を受けた時には、正直びっくりしました。小説に影響されて、担当編集者が体験学習をしたくなったなんて、私にとって初めての経験だったからです。いいや、こうしたことは業界内でも滅多にあることではありません。
 30代後半のNさんは東京生れの東京育ち、今まで田舎の生活も“農”の仕事もろくに知らない。自分が毎日、口に入れている食物が実際に作られるのをろくに知りもしない。それゆえ、この機会に体験しておきたい、と言うのです。
 いいことなんじゃないか、と、私は思いました。夏休み、海外旅行に行き、日本人ばかりのリゾート地で過ごすより、ずっと後に残るものが生れるでしょう。それに、担当編集者の行動に影響を与えるなんて、作家冥利に尽きるというものです。

 7月の半ば、Nさんを伴って、那須高原の今牧場を訪ねました。今牧場は「夏の魔法」の取材でお世話になったところで、ご主人の今さんは非常にフランクな人。若い研修生を受け入れたり、時には、牛一頭をトラックに積んで、東京の小学校まで行き、子供たちに乳搾りの実際を教えたりしている方です。
 Nさんの熱き思いに対して、今さんも受け入れを快諾。めでたく8月の第1週から体験学習が開始されることになりました。Nさんからは、
「糞尿まみれになるかもしれませんが、行ってきます」
 というメールが届きました。さて、どんな夏休みになるでしょうか。報告を聞くのが楽しみではあります。

 その「夏の魔法」、これまでに山陽放送、北海道新聞、教育家庭新聞などからインタビューを受けましたが、8月1日には毎日新聞夕刊の「ほんの森」という欄にインタビュー記事が掲載されます。取材したのは、Tさんという20代半ばの若手女性記者。若い人からインタビューを受けたのは今回は初めてで、さて、どんな内容になるでしょうか。
 ところで、東京は竹橋の毎日新聞でインタビューを受けた時、
「この小説は、どんなジャンルに入るんでしょうか」
 という質問を受けました。どんなジャンルに入るのかなんて、考えてもいなかった質問に意表を突かれ、しばし考えた末、
「読んだ人に希望を与える“希望小説”になるんでしょうね」
 そう答えたのですが、ちょっとわかりにくかったかもしれないと、帰り道、ちょっと悩みました。

 毎日新聞からの帰り、当日券が手に入ったので、池袋でコンサートを聴きました。
 モーツアルト、ハイドン、そしてベートーヴェンといったラインナップでした。その日はメチャクチャに暑くて、いささかバテ気味。疲れもあってモーツアルトやハイドンはなんとなく聴いていたのですが、ベートーヴェンになって一変、身体がしゃんとなり、元気になってしまったのです。
 そうです。ベートーヴェンは聴く人を元気にする音楽なのです。第9交響曲が年の暮れにいろんなところで聴かれるのも、
〈よーし、来年もしっかりやるぞ〉
 と、聴いた人を元気にするからです。そうした音楽だから、数いる作曲家の中でもダントツの人気を誇っている。

 長嶋さんがいまだにすごい人気を集めているのも、現役時代の彼のプレーが観客を元気にしたから。サザンオールスターズが息長くトップクラスのミュージシャンでいられるのも、サザンの曲を聴くと、元気になれるから。
〈そうなんだ、僕が書こうとしているのは、大人の読者が元気になる小説なんだ。うん、元気の出る小説……〉
 天恵のように、自分の今いる場所、進むべき道が見えてきて、帰宅すると、すぐにTさんにその旨、メールを書いたのでした。

 死にそうに暑い日が続きます。暑さに対して極度に弱い私としては、こうなるとテニスどころではなくて、クーラーの効いた室内で仕事をするしかなくなります。涼しくなる秋に遊ぶためにも、今の季節はせいぜい仕事をすることにいたしましょう。



7/4/2005

 6月中は、私には珍しくいくつかの新刊インタビューを受けました。ずっとミステリー作品ばかり書いてきた作家が50歳を過ぎてから、まったく異なる方向に走り出したのですから、取材する側も少しは興味を抱いたのでしょうね。
 しかし、著者インタビューにしても書評にしても、新刊について取り上げてもらうのは、ありがたい限りです。なにしろ「夏の魔法」はミステリーではありません。今まで、私の作品を読んでくださった方の中にも、
「なーんだ、今度はミステリーじゃないのか。読むのはパスだな」
 と、素通りしてしまった人も少なくないでしょう。そういった意味でも、今回の私の立場は“新人に毛の生えた”程度のものなのです。こうなったら、書評などによって作品を広めてもらうしかないのです。

「山陽放送」「北海道新聞」「週刊現代」「家庭教育新聞」「スミセイ ベストブック」etc,etc,いや、その他にも、私の読んでいないところで書評してくださった方々、深く感謝をいたします。いやいや、そればかりではありません、
「どこか書評先を紹介してやる」
 と言って下さった方々、それから、今の時代、口コミというのも大きいです。私のまわりにも「面白かったから、人にも薦める」と言ってくださった方もいらっしゃるし、掲示板でも「友人や家族に薦めた」とお書きになった方もいらっしゃいます。
 ただただ感謝して、今後ともよろしくお願いいたします。

 良いことがあるなら、悪いことだってあります。掲示板が閉鎖に追い込まれた経緯は、エッセイの6月号に記しましたが、「書き込み」ができないようにしたあとも、なぜか迷惑書き込みが続きました。本数こそ大きく減ったのですが、アダルト系の書き込みが、幽霊のように現れるのです。きっと、私や私のカミさん(ホームページの管理者です)の知らない方法で、書き込みをしていくんだろうな。

 しかし、考えてみれば、インターネットの仕組みを熟知した人間にとっては、こんな作業は朝飯前のことなんでしょうね。ファイヤー・ウォールを張りめぐらせた大企業や官公庁のホームページを改竄してしまうのですから、個人のホームページを換えるなんて、簡単なこと。
 恐いですね。とくに過去ログなんてチェックもしてませんから、いつの間にか、全然、別なものに書き換えられているなんて事態も考えられます。いっぺんに変えれば気づかれますから、ほんの少しだけ、それも要所、要所を改変していけば、少量の毒薬で少しずつ顔形が変えられるみたいで……おお、これは、お岩さんだ、うん、なにかホラーみたいな話だなあ。

 インタビューやら掲示板の閉鎖などの話をしてしまいましたが、相も変わらず、テニスをやったり、コンサートに行ったりもしています。6月の末には、光化学スモッグ警報の出ている午後、32度の熱暑の中でシングルスのゲームを1時間半もやって、軽い熱中症にかかってしまいました。馬鹿であります。いい年して、まったくアホあことだと、自分でも思います。こんなふうなことを書くと、
「早く次の作品を書け。遊んでいる時じゃないだろ」
 とのお叱りも受けるかもしれません。
 でも、活動することによって、頭はさまざまな刺激を受けるのです。そして、それが創作の大きな原動力となる。外で活動すると、どんな刺激になるのか、頭の中はどんなふうに動くのか、そうしたあーだのこーだのを具体的に、7月のエッセイでは書き記してみるつもりです。


6/2/2005

 大きな書店に行くと、「夏の魔法」の本が平積みになっています。人から「自分の本がたくさん置かれているのを見て、どう思う?」と、訊かれることがあります。
「1冊も売れずに、あれが全部売れ残ったら、どうなるんだろうと、気が気じゃない」
 そう答えると、質問した側は、意外だという表情になります。きっと「自分の本が店頭に出てるのを見ると嬉しい」とかいった答を期待してたんでしょうね。
 しかし、不安がいっぱいというのが実感で、これは一部のベストセラー作家を除けば、皆さん、同じような心理状態に陥っているのではないでしょうか。

 私がデビューした1980年代は、本がものすごく売れた時代でした。とくに部数が多い新書判ノベルスなどは、店内をひと回りして戻ってくると、本の山が少し低くなっていたり、目の前で私の本を買っていく読者もいたりして、心の中で、
「毎度、ありがとうございます」
 と、頭を下げたものです。
 しかし、今は違います。「世界の中心で愛を叫ぶ」みたいに、いったん“売れるモード”に入ると、際限もなく売れます。しかし、そういったモードに入らない本は、面白くたって、なかなか売れない。これは書籍ばかりでなく、芝居や映画の世界でも同じみたいですね。まるで、最近のデジタル・パチンコそっくり。だから、出版社サイドも、どうやったら“売れるモード”に入るのか、その点で頭を悩ませているんですよ。どこか、まともでないような気がしますけどねえ。

 私のミステリーを必ず買ってくれるという、ありがたい読者の方が一定数います。ですが、今度の作品は、ミステリーではありません。その方々が、ノン・ミステリーの「夏の魔法」を買ってくれるのかどうか、まったく予想がつきません。
「今度の場合、ノン・ミステリーの第1作だから、新人に毛の生えたようなもんだ。書評が出たり、口コミで広がっていくまでは、そうそう売れるわけはない」
 と、最初から割り切っているつもりなのですが、平積みの自著を前にすると、やはり心は揺れます。ま、しかし、フリー家業を長く続けていると、図太くなるもので、10日もたつうち、
「いちいち気にしていても、始まらない。なるようになるさ」
 ほんとうに割り切るようなるのですから、タフなものだと思います。

 新刊書が出る少し前、カミさんが雄の迷い猫を保護してしまいました。しかも、病気の猫です。放っておくわけにもいかず、動物病院に連れて行ったり、友人にとりあえずの飼育を頼んだり(我が家には、すぐ他の猫と喧嘩する心の狭い猫がいますので、同居はなかなか難しいのです)、そういった時の運転手役は私が務めるので、大変な労力プラス出費なのでありました。
 10日間ほどで病気は治ったのですが、なにしろ人なつこい猫でしたので、ノラにするのも忍びない。かといって、元の飼い主らしき人も見つからない。で、各所と交渉した結果、義弟の家で飼ってもらえることになりました。そして、猫の出入り口の踏み台その他は、私がDIYで作らされるはめになった。これまた、大変な労力でした。
 で、その雄猫ですが、なぜか時々、行方不明になります。人なつこい猫ですが、元々がノラで自由な生活が楽しみたくなって、姿を消すのでしょうか。
 義弟の家は、葛飾は柴又です。あの猫はきっとノーテンキな風来坊で「フーテンのノラ」と呼ぶのがふさわしいのだろうと、想像したりもしているわけです。行方不明の時は、どこかの街角で、
「けっこう毛だらけ、猫灰だらけ」
 と、タンカ売をやっているのでしょうか。まあ、私としては、新天地で「フントー努力」をしてくれれば、それでいいのですが。

 ともあれ、猫を助けたのですから、彼が恩返しをして、本がドドーンと売れるかもしれない。でも、猫の恩返しなんて、あるわけがない。助けるなら、やはり鶴だったか。しかし、迷い鶴なんて、そんなにいないよなあ。などなど、さまざまな思いに心を揺らしている今日この頃なのであります。



5/3/2005

 ばたばたと本業やら雑事に追われているうち、もう5月になってしまいました。ここ数年では、もっとも慌ただしい年のようです。
 4月28日には、新刊の「夏の魔法」について、新潮社のPR誌「波」のインタビューがあり、なぜ私がミステリーから完全撤退し、新分野への進出をはかったのかを話したんですね。その日、新刊の表紙も見せてもらいました。本の表紙とオビとが一体になった、そうとうに変わった装丁とイラストでした。予想したものとは違いましたが、新鮮感は大いに感じられました。
 贈呈本のリストも渡したし、これであとは発売を待つばかり。読者の皆さんの評価が高ければ良いのですが。

 久しぶりのハードカバー新刊です。先月号のエッセイ(というか、エッセイをお休みするというお知らせ)の中でもふれましたが、ここで新刊書について、もう一度、お知らせしておきます。
 「夏の魔法」(新潮社刊)。価格が1,680 円(消費税込み)。発売時期が5月20日頃であります。

 ストーリーはこれまでのミステリーとは大きく違って、いたってシンプルなものです。妻と離婚して15年、かつては金融ビジネスマンで、今は那須高原で牧場を営んでいる主人公の前に、15年間、一度も会っていなかった息子が現れます。そして、夏からまた次の夏への1年間を共に暮らすというもので、
「なにか『北の国』からみたいだなあ」
 と思われるかもしれませんが、まあ、ストーリーだけからいうと、今までに幾度も書かれている形式です。ただ、内容は、かなり深くて新しいものだと自負しております。
 あまりジャンル分けしたり、レッテル貼りをしたりするのは好きではありませんけど、あえて言うなら、「大人の読むファンタジー」といったところでしょうか。ファンタジーとはいっても、よくあるような魔法やら超常現象が出てくるものではなく、すべてが現実世界に根ざしているものです。
 このような小説は、現代の日本では、ほとんど書かれていません。海外では「アルジャーノンに花束を」「朗読者」「白い犬とワルツを」など多数書かれ、映画だって「フィールド・オブ・ドリーム」「ビッグ・フィッシュ」など様々な作品があります。
 読者の皆さんから好評を得るばかりではなく、日本の小説界に新しいジャンルが開拓できれば、などと欲張ったことを考えております。

 5月1日は、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」(フランス語でありまして、日本語に訳せば「熱狂の日・日本版」とでもなるらしい)に行ってきました。
 テレビのニュースでもたびたび取り上げられたので、ご存じの方も多いでしょうが、有楽町の東京国際フォーラム内の5会場を使って、内外1000人のアーチストが3日間にわたって150 の公演を行うという、超特大のクラシック音楽祭なのです。なんでも、フランスのナント市から始まって、スペインでも行われるようになり、今年は日本でも開くようになったというのです。
 ふつうクラシックのコンサートといえば、チケット代も高く、演奏会場には音大生と思われる男女や、「私は50年もクラシックを聴いているんだ」とでも言いたげなオジさんが大半を占めていて、けっこう堅苦しいものですが、「ラ・フォル・ジュルネ」は大きく違います。一流の音楽家が出演しているにもかかわらず、クラシック音楽初心者にも来てもらえるようにと、チケット代は1公演が1500円平均と大バーゲン価格で(その代わり、大半が1曲だけの公演だけど)、しかもホールによっては乳幼児の入場も可能と、いたって気軽なものであります。

 その音楽祭の最終日、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲とヴァイオリン・ソナタを聴きに行きました。イザイ弦楽四重奏団による演奏も良かったけれど、圧巻は小山実稚恵(ピアノ)とオーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)の日仏コンビによる「春」「クロイツェル」のソナタだった。
 この両人、今までもコンビを組んでコンサートを行ったことがあるとかで、お互いを熟知しているのでしょう。二つの楽器が、時にはからみあい、時には挑発しあい、時には愉しみあい、なんとも凄い名演になったのです。おかげで、演奏が終わった時には、あちこちでスタンディング・オベーションが起こり、私も立ち上がって拍手を送り続けることになったのです。
 これで1500円は、あまりにも安過ぎて申し訳ない。そんな思いで、演奏会場の外で売られていたデュメイのCDを買ってしまったのでありました。

 この音楽祭、ほとんどの公演がソールド・アウト状態で、大変な成功だったみたいです。それだけに、関係者の皆さん、ぜひ来年も第2回の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」を開催してくださいな。必ず、聴きにまいります。ぜひぜひ、よろしく……。


4/1/2005

 4月1日といえば、ひと昔前までは「エイプリル・フール」で、友人同士で他愛もない嘘をついたりしたものですが、最近では「エイプリル・フール」の言葉さえ、あまり聞きません。今日会った知人とも“嘘”の話はなかったし、街を歩いても子供同士がエイプリル・フールごっこをしている姿はなかったし、テレビや新聞にも登場しません。双方どこまでが本音で、どこまでが虚言かわからない企業買収騒ぎに象徴されるように、最近の日本では“嘘”が日常化しているから、“嘘遊び”が登場する余地がなくなってしまったんでしょうね。

 今日は時間があったので、午後2時間、みっちりとテニスをしました。それもダブルスではなく、シングルスです。あとで計算すると、17ゲームもやってしまった。2年前、テニスをやり始めた頃は、10分も動くと、呼吸困難で死にそうになったのですが、今は1時間くらいなら休息なしに走りまわれます。体重も運動不足で太っていた当時より10キロ近く軽くなっています。
 最近、思うのです。年齢と体力、思考の関係は、どんなふうになっているのか、と。
 むろん、20代を過ぎれば、年齢とともに体力が落ちてくるのは当然です。20代の頃と比べれば、たとえテニスや気功で体調を整えていたとしても、今の私はかなり衰えているでしょう。でも、酒は毎日飲む、運動もろくにしていなかった30代の末から40代の頃に比べれば、今のほうが格段に健康体で、動ける体です。
 日本では「年寄りの冷や水」「いい歳をして」の言葉に象徴されるように、人は年齢相応におとなしくなるべきだ、という考えが幅をきかせています。一方、アメリカでは60代の人間が宇宙に飛び出したり、世界一周無着陸飛行に成功したりしています。イタリアやフランスなどでは、男女とも年齢にかかわらず恋をしている。
 年齢が進むにつれ、体力も容貌も衰えていきます。それは事実です。でも、衰え方はその人間の生き方によって大きく異なり、要は宇宙に飛び出したり、恋ができたりするコンディションが整っていればよいのではないでしょうか。

 まあ、今日のんびりと(いや、必死に)テニスができたのも、忙しさが一段落ついたからでもあります。今年に入ってから、とくに私生活で忙しくなってしまったことは、たしか前号に書いたと思いますが、3月に入ると、さらに仕事もほうも多忙になった。6月刊の予定だった新刊の刊行が1カ月早まったおかげで、急ぎ初校で10ページほどを削らなければならなくなったり、タイトル決定に四苦八苦したりと、公私ともども多忙をきわめました。この「小説が刊行される直前の最終チェックいろいろ」については、なかなかに面白いので、そのうちエッセイに書いてみるつもりです。

 そんな忙しい3月でしたが、お彼岸の1日、浅草寺の“舞台裏ツアー”を挙行いたしました。浅草の浅草寺といえば、関東の方はむろんご存じのことでしょう。それ以外の地方にお住まいの方も上京の折に雷門の大提灯の下で写真を撮ったり、そして外国人観光客も安い日本土産を買うために仲見世をよく訪れるから、“世界的に名高い場所”と言えなくもありません。
 その浅草寺、じつは24の小さなお寺の集合体であり、そのお寺の一つにカミさんの友人が嫁いでいるため、舞台裏をのぞかせてもらうことになったのです。

 まずは、浅草寺がかなりおおらかなお寺だということに驚かされました。もともとは天台宗の寺でしたが、現在は聖観音宗という宗派の総本山。しかし、浅草寺に敬愛の念を持ってくれれば、どんな宗派の方でも受け入れてくださるというのです。それゆえ、位牌が安置されている場所には、日本人だけではなく、本来はキリスト教徒だったりする外国人の位牌まで並んでいます。当人が望むのではなく、他の人が尊敬する人物の位牌を置いてもかまわない。生存している方でも、名前を赤字にすればいいというのです。私が、
「だったら、そのうちペ・ヨンジュンさんの位牌も置かれるかもしれませんね」
 と言ったら、ご住職、真顔で、
「そうなるかもしれませんね」
 と答えておられました。
 ところで、浅草寺は、隅田川で漁師の網にかかったという言い伝えのある観音菩薩をご本尊(と呼ぶのかな?)にしております。しかし、菩薩というのは、如来になる一歩手前の方で、会社で言うなら、如来が社長、菩薩は重役といった感じになります。そこで、
「なぜ、一段下の菩薩をおまつりしているのでしょう」
 と、ちょっと意地悪な質問をしたところ、ご住職は慌てず騒がず、
「観音菩薩は如来になる実力をもうお備えになっているのですが、身近なところから人々を救うため、あえて菩薩に留まっておられるのです」
 との回答。お見事でした。

 絵馬の名品が並んでいる資料館や、ふだんは公開していない日本庭園などを案内してもらい、最後に行った場所は地下通路でした。じつは、浅草寺、お正月などの大混雑時にお坊さんが自由に行き来するため、境内の地下に地下通路がめぐらされているのです。歴史を誇る古寺の地下に、コンクリート張りの通路があるなんて、不思議な光景でした。
 きっと、ミステリーを書いていた頃なら
〈うむ、この通路を使えば、トリックができるはず……〉
 考えを巡らせたはずですが、今はちらりと思っただけ。頭のほうも、ミステリー作家の脳とはだいぶ離れてしまったみたいです。


3/2/2005

 通常の月よりも日にちの少ない2月は、毎年、慌ただしいものですが、とくに今年は、実家の父が重態かという事態が発生したり、市営テニスコートの改装が終了しているのに再開時期を明らかにしないお役所と直談判したり、風邪をひいて寝込んだり、その他いろいろなアクシデントがあったりして、なにがなんだかよくわからないうちに過ぎてしまいました。
 そんな慌ただしい今年の2月をとりわけ慌ただしくしたのは、中旬に山口県の萩市まで行かなければならなくなったことでした。じつは、萩市は私の本籍がある街なのです。とはいっても、吉田松陰や高杉晋作などの偉人とはまるで無縁の家柄ですので、なんの自慢にもならないのですけど、ま、それはともかく、昨年末に亡くなった叔母の納骨のため、父親の名代としてお墓のある寺まで行ったというわけです。

 最初はブツブツ言っておりました。なにせ、日本海側にある萩市を訪れるのには、2月は最悪のシーズンだからです。冷たい風が吹き荒れているし、名物のウニも夏場のほうが圧倒的に美味い。
〈叔母さんも悪いシーズンに亡くなったもんだ。あと3カ月も後に死んでくれたらよかったのに……〉
 などと罰当たりなことを思いながら萩の街を歩いていたのですが、途中から態度ががらりと変わりました。
 萩市はいわゆる「小京都」と称される城下町です。白壁の美しい家並みが続いていたりするのですが、そうした観光用(?)の町並みだけでなく、狭い路地に剥き出しの土塀が続く、生活感のある古い街でもあるのです。
〈これ、小説の舞台として使えるんじゃないか〉
 と気づくや、使い捨てカメラを買い、レンタサイクルを借り、地図を手に街中を走り回る行為に出たのです。写真を撮りまくりました。城へも行って、倒木だらけで登山道みたいな山道もなんのその、城山を頂上まで登ってしまいました。ハアハア息をきらせながらも、
〈うむうむ、主人公が恋人と再会する場所にしたら、いいんじゃないか……〉
 などと悦に入っているのですから、つくづく作家というのは勝手なものだと、自分ながら思いました。

 萩は観光地です。観光地でいちばん困るのは、私の場合、泊まるところです。私は日本旅館というのが、大の苦手です。というか、大嫌いです。
 のんびりしてる時、仲居さんが部屋に入ってきて、勝手に布団を敷き始めたり、「朝食は○時ですので」と、勝手にスケジュール決めたり、おい、どっちが客なんだと文句をつけたくなるようなことが山とあります。かといって、地方都市ではシティ・ホテルもありません。あるのは、部屋が恐ろしく小さなビジネス・ホテルのみ。
 でも、日本旅館に泊まるのなら、まだしもビジネス・ホテルのほうがましです。部屋が小さくたって、寝てしまえば、気になりません。セーブ・マネーにもなります。

 ということで、ビジネス・ホテルに2泊することとなりました。部屋は予想通りのミニサイズでしたが、新しくて清潔で、その点では不満はありませんでした。が、びっくりしたのは、朝食の時、レストラン(というより食堂か)で、コーヒーを飲みたいと頼んだら、オバちゃんから「そんなもの、やってません」と言われてしまったこと。私は朝はコーヒーを飲まなければ一日が始まらない人間です。近所に朝から開いている喫茶店もないし、仕方がないので、近くのコンビニでモンカフェを買ってきて、自らコーヒーを淹れたのでありました。
 夕食は、ガイドブックにも乗っている魚料理の店に行きました。旅行すると、野菜不足になるので、海草サラダ系の料理も頼もうとしました。すると、こちらの店のオバちゃんも「そういったのは、やってません」と冷たいお返事。魚やウニはあっても、海草がふんだんに入った料理はないんだとか。
 おーい、朝、コーヒーを飲むのは、ふつうのことだろ! おーい、このヘルシー志向の時代、海辺の街の料理屋で海草を食えないとは、どういうことだ!
 萩ばかりでありません。日本の観光地って、どうして客の意向を無視した商売をしているところが多いんだろ。自分本意のことばかりやってて、そのくせ、「お客が減ってまして」と、嘆いたりしてる。嘆くんなら、ちゃんと工夫とか努力とかしたらどうなんだ。
 あーあ、怒ってしまった。

 ともあれ、慌ただしかった2月も終わりました。3月となって陽光も眩しくなってきたような気もしますが、明日から天気は下り坂で、週末には雪も降るんだとか。うん、春はそう簡単にはやってこないか。しばらく、辛抱、辛抱……。



1/2/2005

 あけまして、おめでとうございます。とは、書いてみましたが、じつはこれから続く文は年末に書く予定だったものがあれやこれやで忙しくて、とうとう年を越してしまったもの。新年にふさわしくない内容も含まれていますので、
「正月は、おめでたくないものは、いっさい目を通したくない」
 と、かたく思われている方は今回はパスしてください。

 なぜ、忙しくなったかというと、もともと予定がいろいろ入っていたところ、郷里の両親が体調を崩して急遽、実家に戻ったりしたそうなったのですが、中でも、大変だったのが、叔母の“変死”。叔母はご主人に先立たれ、子供もない独り暮らしで、浴室で倒れてそのまま死去、遺体は介護ヘルパーの方が発見したという次第だったのです。合掌。

 こうしたケースでは、司法解剖か行政解剖かを受けるのが法で決められたことだと、元ミステリー作家(?)は考えていたのですが、なぜか法医学者でもない地元の開業医がちょこちょこっと検死して「心筋梗塞による死亡」という診断書を出したようです。年末だし、千葉県の田舎町だったら、大学病院の法医学教室に運ぶ手間を惜しんで、そうしてしまったのかなあ。制度というのは、必ずしもそのとおりに運用されるものではないみたいですね。
 あらためて思い起こしてみると、私の親類の葬儀というのは、どれも冬に行われていました。冷えきった葬儀場で寒さを我慢していたことばかりが記憶に残っています。よく、最近では暖房が行き届いているから人が亡くなるのは暑い夏で体力を消耗した秋口だとも言われていますが、やはり生物である人間にとって厳しいのは冬なんですね。

 12月中旬、目が覚めて驚きました。ベッドのシーツが血だらけ(ちょっと大げさか)になっているではありませんか。左腕に血が乾いた跡が残っていて、直径1ミリくらいの傷口もある。しかし、こんなに小さな傷口からあれほどの出血があるのは、変です。
〈寝ている間に、ドラキュラとか、吸血コウモリにでも、やられたのか……〉
 コウモリはいなくても、うちには猫がいます。猫の爪にでも、やられたのか?

 まあ、血も止まりましたので、そのうちに治るだろうと、放っておいたところ、5日ほどして今度はシャツが血に染まっているではないですか。ここにきて、私も尋常ではないことを悟りました。
 血が止まったところで、よーく傷口を観察したところ、直径1ミリくらいか、薄皮に包まれた赤ワイン色の小さな盛り上がりができている。これは血管腫の1種に違いないと当たりをつけ、医学書やインターネットで調べてみたところ、ぴったり当てはまる病気に到達いたしました。血管拡張性肉芽腫。恐そうな病名でしょ。しかし、手術をすれば簡単に治るんだそうです。しかし、しかし、見た目が似たような腫瘍で、ガンの皮膚転移や悪性黒色腫(メラノーマ)の場合もあるため、皮膚科の専門医の診断をあおぐこと、とも書いてある。おお、これは、かなり恐い。

 さっそく皮膚科クリニックを受診しました。少し前まで総合病院の皮膚科科長をしていた女医さんは、私の訴えを聞き、傷を眺めたあと、
「99・9 パーセント、血管拡張性肉牙腫でしょう。よく、わかりましたねえ」
 褒めてくれたあと、手術で切除するかレーザーで焼くか、どちらの治療を選択するかを訊いてきました。費用は同じくらいだが、手術はすぐにはできない。レーザーなら簡単。ただし、手術で患部を切除した場合は、細胞診をして悪性のものでないか確認することができる、と。専門医が「良性腫瘍だと思います」と言うのですから、わざわざ細胞診をする必要もないだろうと、すぐにできるレーザー治療のほうを選びました。

 で、治療開始でレーザー照射。治療台に横たわっていた私はやることもなかったので、「メラノーマなんてことは、まったくないんでしょうね」と訊きました。すると、
「いやあ、一度だけあったんですよ。血管拡張性肉牙腫だと信じ込んで手術して、病理に回したら、メラノーマだって報告が返ってきて。私、びっくりしちゃった」
 とのお言葉。びっくりしちゃったのは、こっちです。治療は進んでいて、あたりには肉が焦げる臭いが漂っています。もう患部を病理診断に回すことはできない。おおい、もし、メラノーマだったら、どうするんだい! 仕方ないから訊きました。
「でも、メラノーマだったら、大出血することなんて、ありませんよね」
「はい、出血するメラノーマなんて、まずありません」
 うーん、「まず」という言葉がついてるんだから、100 パーセントじゃないんだろうな。気分が暗くなりました。治療を終えて、暗い気分のまま自宅に帰ったのです。

 でも、あらためて考えてみれば、もし、とてつもなく運が悪くてメラノーマだったとしたら、出血した段階で悪性腫瘍の細胞が全身にばらまかれていて、手術しようがレーザー照射しようが、手遅れには違いなく、助からないのには変わりはありません。まあ、客観的に見て何万分の1という悪運を心配していても意味がありませんので、気にしないよう気持を入れ換えました。

 だけど、医者の不用意な言葉は、どうにかならんものかなあ。
 以前にも、胸部レントゲンを撮ったり、胆のうのエコー診断を受けたりした時、医者が「うーん」と大きな声で唸ったり、「良くないなあ」と言葉を漏らしたりしたのです。驚いて、訊いてみると、画像の写りがイマイチ良くなかったとかで、そう言ったんだとか。
 やめてほしいよなあ。不用意なひとこと。医学部の授業で「患者を恐怖に陥れないこと」と教えてほしいものだが……。

 こうしたことが、12月は他にいくつもあったんですよ。でも、病気になれば、健康の大切さをあらためて知ります。他人の死を前にすれば、今日、生きていることに感謝の気持も湧いてきます。たまには、こういう月もあったほうがいいんじゃないかとも思います。
 ここまで、読んでくれた方、すみません、お正月から、変な話ばかり読まされて。でも、月も年も変わりましたので、今度は明るいことが押し寄せてくるでしょう。



12/1/2004

 問題を1つ出します。次の(A)と(B)で、どちらが正しいでしょう?
(A)木は、馬や象が子供から大人になるみたいに相似形、つまり同じ体型で成長する。それゆえ、一番下の枝は成長とともに高い位置へと持ち上がっていく。
(B)木というものは哺乳動物とは大きく異なって、相似形では成長しない。上に新しい細胞が積み重なっていくだけで、それゆえに一番下の枝の位置は成長しても変わらないし、そのうちに幹から落ちて、枝がついていた場所は節(ふし)となる。

 11月最後の日曜日、東京・神田で開かれた、ちょっと変わったシンポジウムに参加しました。NPO法人「新月の木国際協会」が主催する「新月の時期に伐採した木は、カビが生えにくく、虫がつきにくく、また割れもすくない」というテーマの研究発表会でした。
 以前、取材でお世話になった出版社社長のMさんは自然愛好家で、今までにもさまざまな活動を行ってきましたが、とうとう自分でNPO法人までこしらえてしまったのです。彼が作った団体の主張するところを、もう少し詳しく説明しますと、冬季、月が欠け始めて2週間の間(下弦の月の間)に谷川の方向に(下向きに)切り倒した木は、木材にした場合、満月期に伐採した木に比べて、耐久性が著しく高くなるという趣旨のものです。
 サンゴが産卵するのは新月の時だとかいわれているし、月の満ち欠け、つまり月の引力の変化が生き物の営みに影響を与えていることは知っていましたが、
〈新月に切ろうが、満月に切ろうが、耐久性が変わるわけがないだろ……〉
 と半ば以上、信じてはおりませんでした。
 しかし、Mさんはそちら方面では長い人だし、まあ、私も面白くなりそうなことは大好きな人間ですので、朝7時に早起きして(私にしては真夜中も同然の時間?)、東京に向かったというわけです。

 大学の先生、製材業者、住宅の設計士、大工さん、新月の木国際協会の関係者と、人数こそさほど多くないのですが、全国各地からさまざまな人が集まって、研究発表が行われました。結果、新月期に伐採され、葉をつけたまま枯らされた木を製材した材木は、満月期に伐採された材木よりも、シロアリや鉄砲虫などの害虫がついたり、カビが生えたりする確率が格段に低いという方向性が見えてきたようでした。
 月の満ち欠けが、どうして木材の材質に影響するかのメカニズムは解明されていないし、実際に新月期と満月期に分けて伐採された木材の数も限られています。比較実験の期間も短くて、学問的にその理論が確立するには、まだまだ時間がかかるように思えますが、もし新月伐採された木材の耐久性アップが証明されれば、森林資源の効果的な活用が期待できるし、ひいては自然を護ることにもつながる大発見となります。

 冒頭に書きましたクイズは、じつは京大で林業を専攻している先生が“木についての基礎知識”を講義した時に出された問題です。正解は(B)。木というものは不思議な生き物で、死んで硬くなった細胞(芯の部分など)の周辺に新しい細胞が生れて成長するため、相似形では大きくならないのです。このことは、植物学や林業に携わっている人たちには常識のようで、
「皆さんは、当然ご存じですね。じつは入学して間もない学生にこの質問をすると、正解は(A)だっていう連中が多いんです。もし、この中で(A)だと思った人がいたなら、その人はモグリ。どうでしょう、(A)だと思ってた人、正直に手を挙げてください」
 京大の先生はそんなことを言ったりもする。ここだけの話ですが、私は正解は(A)だと思ってたんです。一番下の枝は成長とともに、どんどん上に上がっていくものだと思ってた。でも、手は上げられなかったなあ。だって、まわり中は皆、専門家ばかりで、ただ面白がって会合に出席したのは私のみ(たぶん)。挙手ゼロの中で、1人だけ恥をかく勇気は、さすがの私もなかったなあ……。

 朝の10時から始まったシンポジウムで、林業や建築の専門家でもない私は午後早々に退出しようと考えていました。ところが、あんまりにも面白かったんで、とうとう夕方5時の閉会まで昼食時をはさんで6時間もの間、椅子に座って、研究報告を聞いてしまったんです。
 なぜ、あんなにも面白かったかというと、1つの理由としては、皆さんが“本気モード”だったからでしょう。「月の形と木材の関係」などという、下手をすると冗談、キワモノにも思えるテーマに、何か新発見できるのではないかと、大学の研究者も林業関係者も本気になって取り組んで、実験や研究を重ねている。仕事でも遊びでも“本気”じゃなきゃ面白くない。そのことを改めて感じた1日でした。

 そうこうするうち、今年も師走に入ってしまいました。テニスだコンサートだ、シンポジウムだと、外に出てばかりいるように見えるかもしれませんが、一方で仕事のほうもちゃんとやっております。路線全面転換の新作長編のほうは手入れも終わって、あとは刊行を待つばかりだし、次々作の取材、執筆も進んでおります。こう見えて、私も“本気モード”になってるんですよ。


10/31/2004

 しかしまあ、よく雨が降りますね。今日も午前中は雨でした。雨の日は心が落ちつくこともあって、けっして嫌いではないのですが、これだけ降ると、溜め息をつきたくもなってきます。いや、現実に面倒くさい事態も発生しているのです。
 10月初め、テニス・サークルの新規会員募集のお報せを市報に載せたところ、10人を超える希望者が現れました。実際の練習日にコートで説明会を行うと彼らには告げたのですが、なぜか練習日の火曜日になると、雨また雨。結局、10月の練習はすべてキャンセルとなり、しかも、11月最初の火曜(明後日)もコート・コンディションの都合で開催が危ぶまれています。11月後半から市営コートが改修工事のため使えなくなり、別な場所に移動しなければならず、その前に説明会を開かなければならないのですが、ほんとうに火曜日に晴れの日は来るのか、気をもんでいます。10月といえば、秋晴れの日が続くのが当然と思っていたため、思わぬ計算違いでした。
 10月9日は、東京・品川に住む友人宅で新居祝いのパーティーが開かれる予定でしたが、台風22号の直撃を受けて、中止。まいったなあ。

 しかし、テニスやパーティーなんてのは命にかかわるものではなく、地震や台風被害のことを考えるならば、たいした問題ではありません。
 中越地震の時は、新宿区にある紀尾井ホールにいました。6時開演のコンサートの直前に本震があり、天井から吊るされたシャンデリアがぶらぶらと大きく揺れました。コンサートが始まって余震があり、地震のないイギリスからきた指揮者は不安そうな顔をしていました。
 帰り道、人が「新幹線が脱線したってさ」と話している声が耳に入りましたが、地震対策が施されている新幹線がまさか脱線するはずがない、無責任な話をしていると思っていました。
 地震で被害に遭った方には、私としてはささやかな義援金をお送りするよりないのですが(千葉県や茨城県内でしたら、ボランティアとして赴くつもりですが)、正直いって、いちばんショックを受けたのは、新幹線の脱線でした。地震には対策を施されている思いこんでいたものが、直下型には無力だと聞かされ、あぜんとしました。
 東海道新幹線などはいたるところ活断層のある地帯を走っています。世界一安全な乗り物だと信じていたものが、「直下型の大地震が起こったら、はい、それまでよ」の運まかせ交通機関だと知ったのは、大ショック以外の何者でもありません。

 猛暑、集中豪雨、台風、地震と、自然のほうは大変な状況ですけど、人間のほうも、かなり余裕のない状況に追い込まれているようです。
 先月のことですが、夜、不動産セールスの電話がかかってきました。忙しかったし、セールスの電話にはうんざりしていましたので、相手の話も聞かずに私は「必要ありません」と言って、受話器を置きました。すると、リダイアルでもしたんでしょう、すぐにまた電話のベルが鳴るんです。受話器を取り上げると、さっきのセールスマンで、
「なぜ、必要ないのか、理由を説明してくれ」
 そう言い立ててくるのです。いきなり電話してきて、しかも要求までしてくるとは無礼なと思い、電話を切る。すると、またかかってくるんだなあ。受話器をとらずに放っておいたら、ようやく諦めたみたいですけど、つまりは相手が逆ギレしたわけです。
 新聞などによると、こうしたセールスマンの逆ギレは最近、多いんだそうです。きっと精神的に余裕がなくなっていて、逆ギレするんでしょうね。

 9日の新居祝いは後日、行われましたが、その席でも、最近の日本人の余裕のなさが話題になりました。
 会社で資材調達の仕事をしているA君は、原料が高騰しているため、仕入れ先と自社との板挟みになっている苦労を語ります。部品会社を経営しているB君は取引先の担当者の目が血走り、すべてに余裕がなくなっていることを話します。むろん、私の住む出版業界でも、相変わらず冬の時代が続いています。どこでも、ぎりぎりの仕事をしているみたいです。

 日本の文化は大岡政談の「三方一両の損」に象徴されるように、皆が少しずつ譲り合って生きていくのが、伝統文化としてあったはずです。でも、そうした譲り合うだけの余裕が、もっと正確に言うなら、余裕を生み出す豊かな土壌がなくなりかけているというのが現状なのでしょう。
 自然も経済の人間も余裕がなくなっている。余裕がなくなっている社会で大きな不幸を生み出さずに、どうやって生きていけばよいのか。精神論だけで上手くいくはずもなく、その処方箋は、今の日本ではまだ見つかっていません。
 今日は日本人青年がイラクで殺されたという報道がありました。数日後には、アメリカで大統領選があります。私も珍しく(?)引き締まった思いで日々を過ごしている昨今であります。


10/3/2004

 10月最初の日、不思議な場所へ行ってきました。
 実家(千葉県東金市)に住む両親を車に乗せて、時々、ドライブに出かけます。父母ともに80歳を超えているため、そう遠出はできず、短時間で行ける場所を探しては出かけているのですが、ほとんどの名所をまわり尽くし、さて、良いところはないかと、インターネットで調べている時に引っかかったのが、そこでした。名前は「松山庭園美術館」。観光ガイドブックを見てみても載っていないような場所ですが、インターネットの画面で観る限りではとても美しい。
 個人所有の美術館らしく、週末の金土日しか開いていないというので、金曜日に出かけてみました。住所は千葉県北東部の八日市場市(東京から行くと、銚子の手前です)となっていて、実家から車を走らせること40分。しかし、目的地に近づくうち、道路は車もすれ違えないほどの田舎の細い道となり、はて、こんなところに美術館などあるのかと訝しく思い始めた頃、小高い丘のてっぺんに突如、洋館が出現したのです。

 丘の斜面を上りきると、広い駐車場があり、そのむこうにステンドグラスに彩られた洋館が建っています。とても、千葉の田舎に存在する風景とは思えません。
 敷地の奥に門があって、そこから入るみたいです。初老の品の良さそうな婦人が入館料を受け取り、我々は門を入りました。入るや、風景がそれまでの西洋風のものから一変、純和風の日本庭園になったではありませんか。松や紅葉の下に続く石畳の小路を歩くうち、京都の寺にでもいる気分になってきました。しかし、そこが京都の寺ではない証拠には、なぜか白塗りの椅子が置いてあったり、タイかカンボジアにありそうな石像が置かれていたり、そして日本庭園の先は広い芝生の庭になっているのです。

 庭に面して、美術の展示館が建っています。最初の建物の内部は、ガンダ芸術といって鉄板を加工して作品に仕上げたモダン・アートの世界です。じつは、この美術館のオーナーである女主人(さっき私たちが入館料を支払った初老のご婦人です)は、芸術家であり、鉄板を材料にした作品を制作しているというのです。
 次の館に行くと、一転、江戸や明治の時代に作られた琴が多数、展示されています。どれも胴の部分に蒔絵が施された、実用品というより美術工芸品です。第3の部屋は茶器がずらりと並んでいます。そして、次の間に行くと、また西洋の世界へと変わり、広くて細長い部屋の壁にはおびただしい数の洋画の小品が掛けられています。

 ロングスカートを穿いた女主人から日本茶の接待を受けながら、お話をうかがいました。琴も茶器も絵画も全部、彼女が買い集めたもの。変化を織りなす庭園から展示館までが一体となった“庭園美術館”は、彼女自身が構想を考えて、造らせたものだといいます。そして自宅(ステンドグラスの洋館です)の内部にアトリエがあり、そこで鉄板を溶接したりしてガンダ芸術を創っているんだとか。
 しかし、三千坪を超えているだろうか、広大な敷地に造られた庭園と建物。茶器には古唐津などの名品も数多くあったし、壁の絵画の中にはシャガールとおぼしきものもある。いったいどのくらの金額がこの美術館に注ぎ込まれたんだろうか。女主人の話を聞きながら、私はつい下世話なことを考えます。また目の前にいる上品そうな婦人が、ガスバーナーを持って鉄板と格闘しているとは、想像もつきません。

 和洋、それから東南アジアを混ぜたような美術館を出たあとも、思いは混乱してままでした。
 現実主義者の父は「あれだけの庭だと、草取りに時間がかかるだろうな」と感想を口にしているし、母のほうは「こんなところに、あんなものがあるとは、夢にも思わなかった」と、信じられない面持ち。
 正直に私の感想を書くと、庭園、美術品の各々にセンスの良さは感じたけれど、ガンダ芸術も含めて、偉大な芸術作品が放つエネルギーみたいなものを受け取ることはできませんでした。でも、それは私の感受性が鋭くないせいなのかもしれず、もし、別の人が観たなら、和洋と東南アジアを取り混ぜた空間の中に巨大なエネルギーを感じ取った可能性もなきにしもあらずで、早い話が、私の評価の範囲外にある創造物でありました。

 人も通わぬ山中に不可思議な人物によって造られた不可思議な建物があるというのは、島田荘司さんや綾辻行人さんなど新本格ミステリーの中にしばしば見られる設定ですが、現実にそんなものに行き当たることは、滅多にありません。
 銚子に遊びに行く途中、時間があったら、立ち寄ってみてはいかがでしょう。場所等は、インターネットで検索すれば出てくるはずです。
 ともあれ、世の中には、いろんな人、いろんなものがあると、再認識した1日でありました。


9/2/2004

 先日、マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」を観てきました。今年のカンヌ映画祭でパルムドールを獲り、アメリカ大統領選との関係もあって、日米両国で大いに話題になった作品ですので、ご覧になった方も多いでしょう。
 率直な感想を言えば、意外や、まともな作品だったな、と。カンヌで受賞したのはアメリカ嫌いのフランス人審査員が票を投じたものだと、またブッシュの再選を阻止するための映画だとも想像していたので、政治的にかなり偏向した作品だと,観る前には考えていたのです。ところが、事実を丹念に丹念に追っていったドキュメンタリー映画で、むろんムーア監督の“推理”が、あたかも確定した“真実”のように描かれている部分もあるのですが、それらは予想外に少なくて、大半はマスコミ等で報道された事実を実写の映像として紹介しているのです。
 マスコミ等ですでに報道された事実、とはいえ、私たちが知っているのは、新聞記事やテレビのニュースなどで観る断片的な知識や映像なので、それらが実写映像として、これでもかこれでもかと目の前に現れると、かなりの迫力になります。とくに9 .11 の同時多発テロの直後、報告を受けた大統領がしばらくの間、茫然自失の態となっている姿は、一見の価値ありです。

 カメラは、フロリダ州での投票をめぐって大混乱に陥った大統領選から今年までのブッシュ大統領を追っています。就任から航空機テロまでの間、休暇ばかりとっていた大統領。テロの報を受けて、小学校を訪問中の大統領が茫然自失となった姿。大量破壊兵器を隠し持っていると決めつけ、イラク攻撃を宣言するが、テレビの本番直前に、なぜかお気楽なポーズをとる大統領。実際には大量破壊兵器などどこにもなかったのに、イラク占領を正当化する大統領。
 いかにマイケル・ムーア自身の偏見(と、ブッシュ支持派は言う)があったとしても、以上のような大量の事実を目の前に置いては、おい、こんな男がアメリカ合衆国の大統領(事実上、世界の支配者です)であっていいのか、という恐ろしさを覚えます。

 こうした大統領の言動のほかに、アメリカ政府要人の言動、さらにはイラクに派遣された兵士の言動、そして、兵士を募集する担当官の姿までが、画面には出てきます。そして、彼らは、カメラの前で雄弁に自分の思うところを語ります。ロックを聴きながらイラク兵を殺すんだと言う兵士もいれば、ブッシュの大悪口を手紙に書いて故郷の家族に送った兵士もいます。兵士募集の担当官となると、街を訪ねて、不況で仕事のない若者たちを軍隊に勧誘します。甘い言葉をかけて、ターゲットとなる若者を勧誘していく様子が隠されることもなく(まるで、キャバクラ嬢を募集するスカウトみたいだったよ)、映像となっています。
 ある意味では、大統領の言動より、こっちのほうが驚きだった。日本だったら、こんなふうになるわけがない。イラクに派遣された自衛隊員が、
「暑くてたまらないし、攻撃を食うのが恐くて、基地からほとんど出られないんですよ。こんなの税金の無駄遣いじゃないのかな」
 なあんて、テレビカメラの前で言うわけがありません。マイクを向けられれば、建前的なきれいごとを言うだけ。自衛官の募集担当者だって、取材を申し込めば、
「広報を通してください」
 と言うだろうし、広報官立ち会いのもとでの取材は、例によって例のごとく、礼儀正しくも、つまんないもの。
「華氏911」ではありませんが、何日か前、イラクで新たに戦死した兵士の家族に、海兵隊の担当官が弔報を届けにいったところ、ショックを受けた父親が海兵隊の車に火を点けて焼身自殺を図ったというテレビ・ニュースを観ました。その時、現場にいた海兵隊の担当官が、
「これは政府に怒りが向けられたものだと思う」
 とコメントを述べているんです。驚きました。海兵隊といえば、大統領直属の軍隊です。その軍隊の担当官が政府批判ともとれる言葉をマイクに向かって言っているのですから、こんなのニッポンじゃ絶対にあり得ない!

 イラク戦争といい、地球温暖化に対する身勝手な対応といい、今のアメリカ政府は狂った状態にあると、私は考えています。しかし、それに対する反論も保障されているし、多くのアメリカ国民は自分の思うところを雄弁に語ります。ですから、今年の大統領選になるのか、次の大統領選になるのかは定かではありませんが、大多数の人間が一度、間違いだと気づいたなら、それを正し、徹底した路線変更を図るのでは、という希望も持っています。実際、徹底した自動車排気ガスの規制を行ったのは、1970年代のアメリカでしたからね。
「華氏911」は、ただの政治プロパガンダ映画ではありません。さまざまなことを考えるきっかけとなる作品で、1800円の入場料金の価値はあると(私はレイト割引で1500円で観てきましたが)私は思いました。

 あ、お金のことが出てきたところで、最後にひとこと。先月のお知らせでは、私の文庫新刊「住宅展示場の魔女」(集英社刊)は500 円台で買えると書きましたが、実際の価格は消費税込み650 円となってしまいました。余計な散財をかけ、申し訳ありません。



8/1/2004

 これだけ暑い日が続く中で、たまに気温30度くらいの日があると、いやあ、今日は涼しいなあと思うから、人間の感覚ってのはまったくもって相対的なものであります。しかし、体のほうは正直で、連日、大量の汗を流して、とくに目に入った汗を擦ったりしたりしたからでしょう、左の目に“ものもらい”ができてしまいました。
 それはともかく、たまには本業の話をします。

 文庫本が1冊、出ます。本のタイトルは「住宅展示場の魔女」。かつて「小説すばる」に載せた短編を8作集めたもので、8月20日前後に集英社より刊行されます。価格は文庫ですから、580 円くらいになるでしょうか。
 じつは、この短編集、今年の2月にハードカバーとして刊行される予定でした。ところが、出版社が、
「書き下ろしの長編ならともかく、この出版大不況の時代に、本岡類の短編集を1500円の値段で出して、売れるのかい?」
 と思ったのかどうかは知りませんが(きっと思ったんでしょうね)、直前になって刊行ストップの運命になってしまったものです。で、値段をずっーと下げられる文庫となって出ることになった。まあ、本のサイズが小さくなっただけで、内容に変わりがあるわけじゃなし、値段が手頃になったのですから、当方としては文句はありません。

 少し内容を解説しておきましょう。
「人間は考える葦(あし)である」と言ったのは、哲学者のパスカルでしたけど、それは人間を買いかぶっているというもの。私は「人間はハマってしまう葦である」と考えており、この本に登場する人々も、さまざまなものにハマって、えらい目にあいます。各短編のタイトルを記載しておきますが、括弧内がハマってしまった対象です。
(1)通販天国(通販)
(2)当日消印有効(懸賞)
(3)女子校教師の生活と意見(女子高生)
(4)束の間の、ベルボトム(ベルボトムのジーンズ)
(5)メリーに首ったけ(ゴールデンレトリバー)
(6)気持はわかる(最近のどーしょーもない若者)
(7)山女の復讐(渓流釣り)
(8)住宅展示場の魔女(住宅展示場での接待)
 どれも、しっかり磨き上げた面白短編。1日1本、寝る前に読んだって、1週間にプラス1日楽しめてしまう、バン、バン。それがワン・コインに10円玉何枚かで買えるんだから、夏休みの旅行でお金を使い果たしたお嬢ちゃん、お坊ちゃんだって、だいじょうぶ。さあ、8月20日過ぎは、集英社文庫の棚に急いだ、急いだ、「住宅展示場の魔女」って本を探すんだよ、バン、バン、バン……もう、止めとこう、バナナの叩き売りか、居酒屋の新装開店みたいになってしまった。

 ところで、この短編集、最初は「通販天国」がタイトルとなる予定でした。ところが、実際に「通販天国」という会社があるんですね。いろいろと誤解を与えてもまずいので、「住宅展示場の魔女」のほうを本のタイトルとすることにしました。
 また、悪徳企業も登場しますが、調べてみると実在の会社と同一名だったりして、雑誌掲載だったら1カ月で本屋から消えるからいいんだけど、書籍となると、やっぱり同一の名称じゃまずいから、変えたりして、いろいろと大変です。ひと昔前だったら許されたことでも、最近では、何かあると「訴えてやる」という時代ですので、神経を使います。

 大きな課題となっていた新路線の長編も、出す出版社がだいたい決まり。また、その他の仕事も進行をしているのですが、以前にも書いたように、最終決定となるまでは変わる可能性がいくらでもあるという昨今の状況ですので、まだ発表はいたしません。
 でも、どうなるのかわからないというのは、出版業界だけではないみたいですね。UFJ銀行が三菱東京とくっつくと発表になったと思ったら、三井住友から横槍が入り、そうこうしているうちに、三井住友がプロポーズまでしてきて、結果はどうなるかわかりゃしません。ええい、面倒くさい、3つがいっしょになれば、めでたしめでたしと、三井住友東京三菱UFJ銀行なんてものができてしまうかも。
 100 年に1度の集中豪雨と驚いているようですが、地球温暖化がさらに進めば、有史以来の豪雨、風速200 メートルの台風なんてものが発生して、世界人口が半分以下になってしまうかもしれない。プロ野球も10球団の1リーグ制だ、2リーグ堅持だと騒いでいますが、10年たったら4球団だけの1リーグ制なんてことになっているかもしれません。
 どの分野も、勇気をもって根本問題に手を入れなければ、とんでもない破局が待ち構えていると感じている昨今であります。


7/3/2004

 人に会うたびに「6月なのに、今日も暑いですね」と言っているうちに、いつの間にかカレンダーはめくれて、7月になっておりました。いや、正確にいえば、季節感がなくなり、6月だ7月だという月の数字が単なる数字に成り下がって、〈あ、今日から7月、いよいよ夏だな〉と思ったりすることがなくなったということですね。「梅雨寒む」なんて季語は、どこに行ったんでしょう。

 本来ならば、進行中の仕事、あるいは出版予定などを記すのが、こういった欄の常識なんでしょうが、以前にも書きましたように、直前になって予定が変更になるケースが最近では珍しくないため、100 パーセント確実になってからでないと、ここで発表するわけにもいかないのです。もう、幾度も書いて、書きあきましたが、出版不況はますます深刻さを増し(その割には、倒産する出版社がまだあまり出てこないね。そのうち、どこかで耐えきれなくなって、バタバタと、いくつもの社が倒れるかもしれないけど)、もう、なんでもありって状態です。
 そう、魚がいるぞって情報が流れると、小さな漁場に漁船がたくさん押しかけ、たとえば「冬ソナ」が大ブームだと聞けば、週刊誌は毎号、特集を組むし(アエラ、おまえもか!)、韓国男優の写真集、ドラマの舞台を巡る旅行書、「冬ソナの謎」なんていうバラエティー書までたくさん出て、少しでも儲けを出そうと、必死のようです。こうした傾向は、日本の出版界に昔からあったことですけど、編集者時代も含めて30年近くこの業界にいる私から見ると、年を追うごとに、漁場の規模が小さくなっているし、獲れる魚の大きさも小型になっているような気がするんですね。そのうち、魚の数より漁船の数のほうが多くなったりして……。
 で、出版予定の本、進行中の企画、密かな企み、などなど、いろいろあるのですが、すみません、100 パーセント確実になるまで、お待ちください。こういったコメント、今年に入って、何度も書いたような気がするな。

 というわけで、原稿を打ったり、編集者と打ち合わせしたり、取材したり、取材とは直接関係ないけど首を突っ込んだり、気功をやったり、テニスをしたり、それも予約してあるからと、この季節、まっ昼間からコートに出かけて、暑さのあまり、ほとんど日陰で休んでいたりと、相変わらずな日々を過ごしていますが、今日(7月3日)は埼玉県さいたま市までピアニストの上原彩子さんのコンサートを聴きにいきました。
 じつは、このところ聴いたピアノの演奏会がどれもイマイチで、おいおい日本のピアニストてこんな程度のものなのか(当人はまるで弾けないのに、偉そうに)と不満を感じ、それならば、一昨年、女性で初めてチャイコフスキー・コンクールのピアノ部門で優勝したという上原さんの実力を確かめるために(またまた偉そうに)、千葉の田舎からはるばるさいたま市まで遠征に出かけたというわけです。
 結果は、大当たり! かなり凄かったですよ。ショパンにスクリャーピン、リストというメリューでしたが、スケールが大きな演奏で、かつ技量が安定している。弱音部も強音部も余裕を持って弾いているし、どんな演奏をしたいか輪郭がはっきりしているし、ショパンではたっぷりの詩情も漂わせている。女流ピアニストに時々見られるヒステリックな部分もなく、ゆったりと聴いていられる。久しぶりにホンモノに触れたって感じでした。
 まだ20代前半という若さですから、物足りない部分がないわけじゃありませんが、このまま順調に進化すれば、ワールド・クラスのピアニストになるんじゃないかな。年齢とともに“深み”みたいなものも加わってくるでしょうから、そうなったら、もう鬼に金棒、微笑んだペ・ヨンジュンの手にバラの花束といった具合になるはずです。
 上原さん、最近はTBSの「情熱大陸」に取り上げられたり、NHKのテレビに出たりと、マスコミにも登場することが増え、チケットも手に入りにくなっておりますが、まだ発売当初ならば入手可能。音楽の好きな方(クラシックに限らず)には、絶対のお薦め。きっと、数年後には、もっともチケットが入手しにくいアーチストの1人となるでしょうから、今が追っかけ時かもしれません。
 いい演奏を聴くと、元気が出てきて、帰り道も幸福な気分でいっぱいでした。

 そうそう、良いものといえば、上原さんの演奏ほどではありませんが、1カ月ほど前に観た映画「ビッグ・フィッシュ」もかなり良かった。
 大ボラ吹きの父親。それを、うんざりと眺める息子。しかし、父親が死の床についた後、息子が父の歩んだ道をたどったところ、大ボラの中に数々の事実が潜んでいた−−といったストーリーであります。最初の頃は、なんだこんなヨタ話と思って観ていたのですが、だんだんと引きこまれ、エンディングでは、じんわりと胸に熱いものがこみ上げてくるという作品でした。
 一種のファンタジーなんだけど、奇跡や魔法使いなどの“超自然現象”はいっさい出てこず、きわめて合理的にストーリーが作られている。リアリズムなのにファンタジー。うーむ、こんな作り方もあるんだなあ、と、創作の上でも勇気づけられました。
 もう、ロードショーは終わってしまったでしょうから、レンタルビデオ屋で借りる映画に悩んだ時は、これ、お薦めです。

 暑くて疲れやすい時、元気になれるのは、スタミナ・ドリンクを飲むよりも何よりも、良いものに出会うことのようです。むろん、私自身、良い作品を提供して、読者の方々を元気づける側にもいるわけで、はい、このことは忘れておりません。



6/2/2004

 先月末、小川洋子さんの「博士が愛した数式」(新潮社)を読了。落ちついて読み続けることができる、良質の作品でしたね。
 しかし、内容の良さとは別に、びっくりしたのは、小説に数学なんてものを持ちこんだ点でした。だいたいが小説家なんてのは典型的な文科系人間で、数学と聞くだけで身の毛がよだつ方が大多数でしょう。私は作家にしては珍しく、中学、高校と数学は得意だったという変わり種ですが、その私にしても、数式なんぞを作品に持ち込もうと考えたことは一度だってありません。
 しかも、主な登場人物は、かつて優秀な数学者だったが、交通事故の後遺症で今は80分間しか短期記憶を保つことができない「博士」、離婚歴があり、博士宅で通いの家政婦として働いている「私」、私の10歳になる息子の「ルート」、以上の3人だけで、大きな事件もないのに、長編小説を成立させているのだから、すごいなと思うしかありません。主要登場人物3名で、数学が登場する長編小説を書け、なんてテーマを与えられたら、100 人のうち99人の作家は、尻込みするでしょう。
 いや、小説として成立させただけでなく、読売文学賞を受賞したり、書店員が選ぶ「読んでほしい小説」(だったと思うけど……)の1位になったり、ベストセラーになったりしている(つまりは読者からの支持も得ている)のですから、立派なものです。

 こういう本を読むと、プロの書き手として、いたく勇気づけられます。今の日本の市場で受け入れられているのは、どぎついバイオレンス小説や犯罪小説か、反対に「気持悪いから、勘弁してくれよ」と言いたくなるような涙が大安売りの感動小説の2種類で、大人がじっくり読んで、小説の愉しさを感じ取れるような作品には、なかなかお目にかかれません。それゆえ、トレンドとなっている小説以外は、とくに地味な小説だったりすると、編集者が「これ、売れるんですかねえ」と首を傾げたり、作家自身も、こんな書き方でいいんだろうかと、半信半疑の状態になります。
 小川洋子さんは芥川賞をとった作家で、純文畑の方ですが、読み手にとっては、純文学だ大衆小説だという垣根があるわけではありません。エンターティンメント小説の世界にだって、「博士の愛した数式」みたいな書き方もアリだと思うんですね。
 ご参考までに、目についた1部を抜き書きしてみます。

 私は出来上がった料理と、自分の手を交互に見比べた。レモンで飾り付けた豚肉のソテーと、生野菜のサラダ、黄色くて柔らかい卵焼き。それらを一つ一つ眺めた。どれもありふれているが、美味しそうだった。今日一日の終わりに、幸福を与えてくれる料理たちだった。私はもう一度自分の掌に視線を落した。まるで自分が、フェルマーの最終定理を証明したにも匹敵する偉業を成し遂げたような、ばかばかしい満足に浸っていた。

 ところで、話題はまったく変わって、5月の中旬の頃から不可思議な電話がたびたびかかってくるようになりました。電話が鳴ります。受話器をとると、若い女性の声で、
「もしもし、キヨアキさんのお宅でしょうか」
「は、はあ、そうですか……」
「ユウイチ君は、お帰りですか」
「……うちにはユウイチなんていないんだけど、どちらの番号におかけですか」
 彼女が口にした電話番号は、まさに私の自宅のものでした。うちにはユウイチ君なんてのはいないことを再度告げると、むこうは電話を切りました。まあ、ユウイチ君ってのが、間違って私のところの番号をメモして、その女の子に渡したりしたんだろうな。そうは思いましたが、じゃあ「キヨアキさん」ってのは、いったい何だろうと、疑問に突き当たりました。
 じつは私の本名の名前のほうは「キヨアキ」なんですね。でも、むこうは「キヨアキ」を苗字のほうで言っていたみたいです。「キヨアキ」なんて苗字あるんだろうか?
 翌日、また電話があって、今度はカミさんが出ました。声や喋り方から別の女性らしい。今度も「キヨアキさんのお宅ですか」と言って、「ユウイチ君は帰っていますか」と訊いたそうです。電話番号も同じ。
 これは、どうしたことか? 嫌がらせの電話なのか? もとより私は清く正しく美しく生きてきた人間ではありませんから、恨んでいそうな人間を思い返しては、指を折って、その数をかぞえたものです(そんなにたくさんじゃありませんよ)。

 数日して、「ユウイチ君はいますか」という電話が、今度は若い男性の声でかかってきました。その時は冷静になっていましたのから、幾度も同じような電話がかかってきていることを話して、ユウイチなる人物を聞き出そうとしました。すると、ユウイチ君の苗字は、「清家」だというのです。「キヨアキ」じゃないんです。「清家雄一」なんだそうです。だけど、それ以上は、むこうが電話を切ってしまって、聞き出せません。
 それからは、1日に1度くらいの割で、「ユウイチくん」を求める、20歳前後と思われる男女の声の電話がかかってきました。話し方からして、全部が別の人間。事情を聞き出そうとすると、電話を切られてしまいますので、真相はわかりません。「清家」という苗字だって、相手がどこまでほんとうのことを言っているのか、わかったものではありません。いったい、これはどういうことなのか。若者間で「ユウイチ君ごっこ」なんてのが、流行っているんだろうか。相手が若い女性のだったら、
「おれおれ、ユウイチだよ。久しぶりだよな。会おうよ」
 なあんて、“逆オレオレ詐欺ふうナンパ”を仕掛けようかとも思いましたが、出会いの場にオッサンが出て言っては、それ以上の進展は望めないでしょう。
 さて、真相は、どこにあるのか。頭を悩ませているうち、10日ほどが過ぎると、ばったり電話はかかってこなくなりました。ホッとしたような、それでいて、どこか寂しい気持になったものです。

 でも、あの電話は何だったのだろう。ここで「私の胸の中には、フェルマーの最終定理が証明できないようなもどかしさが残った」というオチがつきます。すみません、お粗末さまでした。



5/4/2004

 あーあ、とうとうゴールデン・ウィークが始まってしまいました。なぜ、「あーあ」という言葉を付けたのかといいますと、フリー職業の人間にとって、ゴールデン・ウィークやお盆、年末年始というのは、いやーな期間であるからなんです。普段なら空いている場所も人だらけだから、自宅でじっとしているか、まあ、せいぜいが友人宅などに遊びに行くくらいしか、時を過ごす方法はありません。だったら、仕事をせい、と言われそうですが、世間一般が浮かれているという中では、いまひとつ集中力が出ません。
 それでも、同じフリーといっても、日給仕事をしている人間よりはマシかもしれません。フリーターとか派遣業務に就いている人は休日が何日も続くと、その分の収入が減るわけですから、5月、8月、12月、1月は、生活が大変なんだそうです。
「さあ、大型連休がいよいよ始まります」
 なあんて、テレビではアナウンサーがはしゃいだ声を出していますが、世の中には、暗い気分になっている人も少なくないんですね。

 ということで、まず連休最初の4月29、30日は、千葉県も東金市にある実家に帰りました。両親が「遊びに帰ってきなさい」と言うからなんですね。とはいっても、80歳に近い老親のところに行って、遊んでいるわけにはいきません。食事を作ったり、庭仕事をしたり、愚痴を聞いたり、つまりは奉仕の2日間でした。

 1日おいて5月2日は、東京・世田谷区のSさん宅で毎年このシーズンに開かれるガーデン・パーティーに行きました。以前にも書きましたが、このパーティーには、外国人留学生や元留学生、それも、ウズベキスタン、ロシア、ルーマニア、エストニアといった、あまり馴染みのない国から日本にやって来ている若者が参加するので、彼らと話をするのが、楽しみになっています。
 そして、この日の主役がロシアから来ているD君でした。彼は日本に留学した後、日本で就職し、コンピューター・ソフト作りの仕事をしている青年です。一昨年、そして去年のパーティーにはヒロコさんという日本人の恋人を連れて参加していたのですが、今年はその彼女の姿が見えません。訪ねてみると、
「僕、フラれたんでーす」
 と悲しげな声を上げるのです。なんでも、小さなトラブルがきっかけとなって、彼女から別れを告げられたんだとか。
「僕はやり直したかったんだけど、ヒロコさん、一度決めたら絶対にそれを押し通します。去年の暮れくらいからなんか上手くいかなくなってたから、彼女、別れる機会を狙ってたのかもしれない」
 なんて泣き言が続き、最後には、
「来年は僕も三十歳になります。結婚したいと思ってるんで、早く次の彼女を見つけなければなりませーん」
 堅実な人生設計の一端ものぞかせます。トルストイやドストエフキーの小説、チャイコフスキーの音楽なども日本の広く受け入れられているし、どうもロシア人のメンタリティーというのは、日本人と一致する部分が多い気がします。
 その一方で、ルーマニア女性の I 嬢。今年20歳になる彼女は、学習院大学に留学して、わずか1カ月で日本人男子学生との婚約を発表。が、その1カ月後には、婚約を破棄! しかし、何の精神的ショックも受けていない様子です。
 私なんか、ひと月で婚約して、ひと月で婚約解消するくらいなら、婚約なんてすんな。ただつきあっていて、それで別れればいいじゃないかと思うんですけど、なぜか、婚約発表までしてしまったのです。ルーマニアというのはイタリアと文化的に近いと聞いたことがあります。ラテンの血がそうさせたんでしょうかねえ。

 留学生の中には、日本人もびっくりというくらい日本語が上手い者もいれば、長くいるのにトツトツとしか喋れない者もいる。例のロシア人青年D君などは、果物のマンゴーの話をしていると、
「日本人はマンゴー好きの人が多いみたいですね。マンゴ3兄弟っていうし」
 なんて駄洒落を連発して、聞いている日本人は目が点になってしまいます。明石家さんまほどは面白くないギャグを、明石家さんまくらいのスピードで喋りまくるのです。ルーマニアの I 嬢にしたって、日本にはまだわずかな期間しかいないのに、
「日本の猫は魚で育つといいますが、ルーマニアの猫はもっぱら肉食です」
 と、猫の文化についても弁舌を振るう。
 どうも、この日本語の上手い下手は、お喋り好きかどうかに大きく関係しているみたいですね。D君などは、日本に来たばかりの頃から、つたない日本語で喋りまくった。たとえば、京王線の車内で、彼は老婦人に席を譲ったのですが、その時、ただ「どうぞ」と言うだけでよかったのに、
「わがロシアでは、こうした場合、ご年配の方に席をお譲りするのが、当たり前のこととなっておるのでありまーす」
 おかしな日本語で演説をうち始め、いっしょにいたホストファミリーのS夫人は恥ずかしさのあまり、「こんな人、知らないわよ」という顔をして、そっぽを向いていたそうです。下手だろうが、文法的におかしかろうが、笑われようが、ともかくその国の言葉を喋りまくるのが、語学上達の極意みたいですね。これから、外国に留学される方は、ぜひご参考に。

 翌日は、4月から役員(下働きです)が回ってきた自治会の雑務に追われる1日となりました。いずれ、エッセイにでも書くつもりですが、私の住む地区では、この自治会の仕事が複雑かつ怪奇なほどに膨れ上がっていて、まいっております。
 そんなわけで、私の黄金週間はなんとなく過ぎていき、ともあれ、
〈もういくつ寝れば、いやな時期は終わるのかな……〉
 連休明けを指折り数えている次第なのであります。



4/3/2004

 昨年の12月にテニスの練習中に転んで骨折してから、ずーっと不自由な思いをしていた左手首のケガがようやく“完治”いたしました。3 月の中旬、病院で診察してもらったところ「もう、いいでしょう。無罪放免です」のお言葉を、担当医からいただいたのです。
 これで、テニスができる。喜び勇んだのは、言うまでもありません。ところが、ところが、翌週火曜の練習日は、なんと雨ではありませんか。私が休んでいた3カ月半の間、1日も雨が降らず、プレイOKだったのに、なんで、復帰するや雨天となるのでしょう。何か、私が悪いことでもしたのでしょうか。天を見上げながら、世の不条理さを恨んだものでありました。
 今度こそ、と期待した翌週の火曜も雨の予報。それも、練習が開始される午後1時くらいから降り出すというのです。こうなったら、何かにタタられているというしかありません。それでも昼近くまでは曇り空でしたので、私がコートへと出かけようとしたところ、パラパラっと冷たいものが降ってきた。
「天は私を見放したのか!」
 思わず叫んでしまいました。
 しかし、降ったのはそれだけで、なんとか練習終了の3時まで天候はもってくれて、帰り道に雨となりました。こうなると現金なもので、「日頃の行いがいいと、雨も遠慮して降ってくれる」と、天に感謝したのであります。
  3カ月半ぶりのコートでした。気持よかったです。でも、“完治”したといっても、骨がくっついただけのことで、筋や関節の部分などは完全には回復しておらず、ボールを打った衝撃で痛みが走ります。またケガの間、左腕を満足に動かしていなかったせいで、筋力もずいぶん衰えていて、30分もたたずにラケットが上がらなくなります。少し動き回ると、すぐに息も絶え絶えの状況。人間の体というものは、一部でも変調になると、全身に影響が及ぶものだと、つくづく思い知らされました。
 ともあれ、移り気な天候の季節。天気予報を聞いて、一喜一憂する日がしばらくは続くんでしょうねえ。

 先日、某氏からお叱りを受けました。この欄では、やれテニスで転んだとか、コンサートに行ったとか書いているばかりで、仕事はやっているのか、と。いや、もちろん、してはおります。ただ、「この部分で筆が進まなくなっている」とか「某社の編集者はアホだ」とか書くのは、あまり好きではないので(つまりは、作品の中でだけで評価してもらえばいい、と)、つい遊びの話が多くなってしまうのです。
 しかし、かりにも数年前までは“社会派ミステリー”と称せられるものを書いていた人間です。少しは時事的な話にも触れてみましょう。

「週刊文春の出版禁止」についてであります。とは申せ、私、問題となっている記事(田中真紀子氏の娘さんの離婚)は読んでおりません。書店に行ったところ、もう売り切れて店頭にはなかったため、読むことができなかったのです。したがって「出版禁止は表現の自由を侵す」とも、また反対に「あんな記事で個人のプライバシーが侵されてはたまらない」など、歯切れのいい見解を述べることはできません。ですから、この問題についての感想をいくつか。
 まず、感じたのは「情けないなあ」という思いです。文藝春秋社といえば、20数年前には真紀子氏のお父さんである角栄氏の資金問題を陽の下にさらすという、大ホームランを打っています。日本ジャーナリズム界での一大金字塔といってもよいほどの偉業でした。それが、時代が下って、有名人の子息だっていうだけで、どうでもいいような私人のプライバシーを暴き立て、騒ぎになったんですよ。まったく志が低い。離婚記事をこしらえた編集者やら編集長は先輩諸氏に顔向けできるんだろうか、というものでした。
 次は、表現の自由というのは、100 パーセント保証されたものではなく、常に権力側との緊張関係の中で勝ち取っていくものだということです。油断して、スキを見せれば、権力側につけこまれる。そういった意味で、「出版禁止もやむを得ないかもしれない」という空気も生じさせてしまった今回の騒動、週刊文春の責任は重いのではないでしょうか。
 そして、3番目。マスコミ全体の論調から「出版の自由は、個人のプライバシーよりも重要だ」というものを感じてしまい、それに対する違和感です。私は「出版の自由」と「個人のプライバシー」のどちらが優先されるかは、ケース・バイ・ケースで論じられるべきもので、どちらが優先されるか、軽々に言い切ることはできないと思っています。そのあたり、マスコミの世界というのは、相当な思い上がりもあるし、フツーの社会とのズレも大きいんじゃないかなあ。

 ずっと以前、私もマスコミの世界(月刊誌や週刊誌の編集部)に身を置いておりました。出版社に勤務するかたわら、土日には、英会話学校に通ったりしていた時のことです。英会話学校の生徒の何人かと、喫茶店に入りました。そして、話題が性に関するものになったのです。
 編集部では、セックスの話題など、女性編集者が話相手だったとしても、それこそ食事のことみたいに気軽に交わされています。ですから、私もかなりストレートに話をしてしまった。すると、同席していた何人かの女性が困惑したような軽蔑したような表情になったんですね。1970年代後半の当時は、未婚の女性は心の中ではどんなにワイセツなことを考えていたとしても、人前では、とくに男性のいる前では、そんなこと口にしてはいけないという“常識”があったのです。
〈おっと、いけない。ここは編集部の中じゃないんだ〉
 慌てて、話の内容を穏当なものにしたのですが、マスコミの世界に身を浸していると、いつの間にか、世の中の常識とはかけ離れた心理状態になってしまうんですな。
 ですから、私がいちばん案じているのは、マスコミが社会一般からかけ離れた心理状態のままで突っ走っているうち、いつの間にか、まわり中は敵だらけ。報道の自由をがんじがらめにするような法案が、国民の多くの支持を得て、国会を通ってしまうんではないかという懸念なんです。これは、まったく起こり得ないことじゃないと思うんですね。
 テニスの話ばかりではなんなので、今回は真面目な話題でしめくくってみました。



3/2/2004

 このところ気になっていることがあります。体重です。手首の骨折はだいたい良くなったのですが、医師からは「テニスは、まだやってはいけません」と、練習再開の許可が出ていません。週に1度、思い切りボールを打つのがストレスと運動不足の解消になっていたのですが、それがダメだと、欲求不満の行く先は食べ物へと向かい、好物のセンベイについ手が伸びてしまいます。運動はしないわ、間食はするわでは、ジーンズの胴回りがきつくなるのも当然でしょう。
 その昔、「不幸な女は太る」という本だったか、雑誌の特集だったかがありました。別に女でなくたって、欲求不満が溜まると、太ります。間もなくセーターを脱ぐ季節。女性誌の特集記事でも立ち読みして、ダイエットに励もうかと思っている今日この頃です。

 つまんないこと、書いている場合ではありません。予定変更やら途中経過の報告やらがあります。
 まず、予定変更。数カ月前のこの欄で、3月に小生の短編集が出ることをお知らせしました。ところが、ジャーン、直前で変更になってしまいました。もともと短編集は売りにくい上、値の張るハードカバー、しかも作者が本岡類となれば(どういう意味じゃ)、はたして売れるんだろうかと、出版社も懸念して、
「文庫版で出したほうがいいかもしれない」
 ということになったのですよ。
 先のまるで見えない出版大不況の時代には珍しくもない話で、ベストセラー作家ではない身としては、仕方ないかもねと、受け入れるしかありません。しかし、まあ、文庫にしたほうがお安くなって、読者の皆さんにとっても買いやすくなるので、当方としても納得はしております。
 文庫版が何月くらいの刊行になるかは、わかりしだい、お知らせいたします。そういうわけで、3月刊行のハードカバーはキャンセル。すみません。

 えんえんと書いている新作の長編は最後の段階まで来ているのですが、手入れがえんえんと続いていて、まいっています。1作を、これほど長く抱え込んでいるのは初めての経験です。「日本では、ほとんど書かれていないジャンルを開拓するぞ」なんて意気込んだからには、変なものは出せません。でもねえ、お手本となる作品が日本にはないジャンルの作品を書くのは難しいねえ。このまま抱え込んでいたら、卵が孵って、雛になってしまうんじゃないかしらん。しかし、ここは、
「どの分野でも、先駆者というものは大変なんですよ」
 と、いきがっておきましょう。

 一方、初期の頃に書いた「猫派犬派殺人事件」のテレビ化。こちらのほうは、そろそろ撮影に入るはずです。主演は吉本多賀美さんだとか。ずいぶん昔の作品で、書いた本人も内容を忘れているくらいだから、さぞや新鮮さを感ずるものとなるでしょう。テレビ朝日系列で秋くらいの放映になるんじゃないかな。はっきりしたら、お知らせいたします。

 新作の長編をえんえんと抱えているおかげで、次の作品に入れないんですが、参考文献を調べたりすることはやっています。小児科医に関する話を聞いたり、子供の闘病記を集中的に読んだりしています。
 でもねえ、白血病や小児ガンと、子供が死に向かう病にかかるほど、辛いものはありません。もし、私だったら、今日死んだって(死にたくはありませんけど)、50年以上生きて、それなりに楽しいこともしたんだから、ま、しゃーないか、ということになります。でも、10代で死に向かうとは、何のために生れてきたのかと、本人も家族も、そして医師も、ただただ不条理さを感じてしまうでしょう。
 小児科医の数が少なくて、ハードな生活を強いられていることは、皆さんもご存じでしょう。過労からウツ症状となり、ついには自殺してしまった小児科医に関する報告会にも出席しましたが、想像を絶する勤務実態でした。
 いろんな意味で、小児医療(とくに重症患者を扱う大病院)ほどきびしい世界はないような気もしています。

 医療の世界を調べているせいではないでしょうが、テレビ・ドラマの「白い巨塔」にハマっております。里見先生の純粋さには打たれるけど、やっぱり俺は財前教授的なところがあるなと考えたり、白衣を着て、大勢の部下を従えて廊下を歩く“総回診ごっこ”をやってみたいなと思ったり……。
 しかし、25パーセントという高い視聴率。山崎豊子さんの原作もいいのですが、それに加えて脚本がすごく上手くできているな、と感じます。登場人物1人ひとりがかなりはっきりした色で描かれている。1人ひとりの描き方は単純かもしれないけれど、単純さをいくつも(幾人も)組み合わせることにより、複雑さが表現されている。こうでなければ、多くの人を惹きつけることはできないんだろうなと、エンターティメント作家として、学ぶことの多い番組です。

 今回は、なにかとりとめもないことを、ずらずらと書いてしまいました。とりとめもないことを書くのは、とりとめもない生活をしているからでしょうか。冬なのに暖かい日ばかりが続き、少しボケたのかもしれません。少しは、しっかりしましょう。




2/1/2004

左手首骨折のため、入力困難につき、近況報告はパス。なにとぞ、ご理解のほどを。
 1月21日に再度レントゲンを撮ったところ、経過良好だということでしたが、「まだ、おとなしくしていること」と、ドクターからの厳命がくだってしまいました。それゆえ、いまだ保護具を外すことはできず、当然、テニスもできず、仕方がないので音楽を聴く生活を続けていたところ、ステレオが故障。頭の働きも鈍くなってきたのか、パソコン将棋は負け続けているし、ろくでもないことばかりの連続に、ただ春が来るのを祈っている今日この頃であります。




12/31/2003

 今年もとうとう今日でお終いになってしまいました−−なあんて書くのが、普通なんでしょうが、それどころではありません。「今月のエッセイ」で、テニスの時に転んで左の手首を捻挫したと書きましたが、捻挫じゃなく、じつは骨折していたことがわかったんですね。
 ケガをしたのが12月の5日。その時は、手をコートについたための捻挫くらいに軽く考えていました。最初は腫れや痛みも順調にひいてゆき、完治も間近かなと思っていたのですが、10日ほどすると、良くなるのがストップ。重い物を持ったりすると、ギクリと痛みます。ここに至って、こいつは怪しいと感じ、整形外科に行き、レントゲンを撮ったところ、ああ、なんと骨折が判明!
 左手親指の付け根にある舟状骨という個所が、2つに折れていたんですね。この手首の部分というのは、骨や血管などが入り組んでいて、なかなか治りにくいそうで、仮にギプスで完全固定しても、骨がくっつくかどうか保証の限りではないというので、動きがとれないギプスは勘弁してもらって、現在はスポーツ店で見つけてきたオーストラリア製のサポート器具を着けています。骨がつく確率は50パーセントくらいで、駄目だったら、手術ということになるんだとか。
「手首を骨折したことは、若い証拠です。もうちょっと高齢になると、手をつくのが間に合わず、顔面を強打したり、肩の骨を折ったりするんですよ」
 と、医師からは慰められましたが、これは喜んでいいことなのか、そうじゃないのか……。

 私は左利きです。聴き腕が不自由になったわけで、これは不便きわまりないことですが、幸い、字は右手でも書けます。だから、原稿執筆は手書きでなんとかなるのですが、問題はキーボードで入力する場合です。なにしろ親指シフトという親指を酷使する入力法を使っているので、左手親指の骨折は大きなハンデキャップです。この文章も、えらい苦労をして入力しています。
 ですから、来月のエッセイはショート・バージョンになるか、最悪、休載になるやもしれませんが、ご了承のほどを。
 しかし、ま、生きる死ぬのケガではないし、鉄砲持たされてイラクに連れていかれるわけでもないので、そう暗くはなっておりません。骨折くらいで落ち込んでいては、今の時代、生きていけませんからね。
 ということで、では、皆さん、よいお年を。




12/1/2003

 今年は秋だというのに雨が多くて、季節を感じないうちに、気づいてみると、あーら、もう12月。ということは、あと今年も1カ月しかないわけで、なにか気分的には損したような1年です。
 11月もテニスをやったり、気功をやったり、友人の洋画家氏が日展に出品したので、それを見に上野の都美術館まで行ったり、知り合いの編集者が定年退職を迎えるので、その慰労会に出席したり、コンサートに2つばかり行ったり、そして、そのコンサートが2つともけっこうアタリだったりして、トクした気分になったりしたのですが、そういうことばかり書いていると、本岡類は執筆活動をしているのかと疑われてしまうので、コンサート評などは「今月のエッセイ」のほうにまわすことにして、少しは仕事についても書いてみます。

 正式決定したものからいきますと、数年前に「小説すばる」誌で不定期に載せていた短編小説のうちからセレクトされた作品が、短編集としてまとまり、来年の3月くらいに集英社から刊行になります。この短編集、いちおう連作の形をとっていて、通しテーマは「人間はハマってしまう葦である」というものであります。登場人物が、通販、ベルボトムのジーンズ、住宅展示場、懸賞、ゴールデンリトリバーなど、さまざまなものにハマってしまい、とんでもない結末を生むという物語で、1作が400 字詰め原稿用紙で50枚くらいの長さ。紅茶でも飲みながら、毎日1作ずつ読んでいくと、1週間以上、愉しめるという作りになっています。
 正式タイトルは、たぶん「通販天国」になるんだろうなあ。本命タイトルが「通販天国」。でも、「ハマってしまう小説」という手もないわけじゃないなあ。刊行が近くなったら、詳細をお知らせいたします。うん、どれも秀作だぞ!

 それから、テレビ化のほうは、ずーっと以前、つまり私がデビューして間もない頃、双葉社から出した「猫派犬派殺人事件」という長編ユーモア・ミステリーがテレビ朝日系の土曜ワイドで映像化されます。あんまり昔書いたので、作者本人も内容はよく憶えていないような小説を、テレビ制作会社の人が図書館で見つけてきて、テレビ化したというわけですが、うーん、よく見つけたよなあ。なにしろ、制作会社が出版元に私の住所を訊ねたところ、
「今、本岡さんが、どこに住んでいるのかわかりません」
 との回答が返ってきたほどの古い本です。(まあ、推理作家協会は辞めてしまったから、住所録にも載っていないし、双葉社とのつきあいは、あれ1作だけだったから、無理もないか)。
 ともあれ、作者本人も内容をよく憶えていないのですから、テレビ化されたら、さぞや新鮮感を持って観ることができるでしょう。これまた、放映日などがはっきりしましたら、お知らせしたします。
 
 さあ、それから、懸案の新作長編小説のほうですね。なにしろ、今までとはまったく異なった作品ですので(つまり、ミステリーではなく、人が誰も殺されないという作品)、舞台となった那須高原の牧場への取材に、執筆にと、時間がかかりにかかって、ようやく初稿が脱稿。あとは手直しをしたり、その他、出版までの面倒くさい作業をクリアしなければならず、うーん、刊行はいつになるだろう。なるべく早くホームページ上でお知らせできればいいと思っているのですが……。

 そして、長編小説が終盤にさしかかると、作家としては、次の作品の構想や取材にもとりかかることになります。那須の牧場を舞台にした小説の次は、一転、大病院の小児科病棟が舞台になりますので、それらの取材をしたり、資料を読み込んだり、関連のシンポジウムに出てみたりと、頭のうち何パーセントかは、新作のほうに向いております。

 しかし、この出版大不況(ここまで長く続くと、不況という気がしなく、なにかこれが普通だと思えるようになってもいますけど)、出版バブルの頃に比べると、刊行までにかかるエネルギーも時間も3倍くらいになっているような気もします。むろん、内容も3倍面白くなっていることを目指しているのですが、凝り過ぎて、かえって読みにくくなったりしてね。気をつけましょう。
 ただし、従来のものが売れなくなっている時代だけに、新しいものを産み出すチャンスにもなっていると思うんです。さあ、今年も、あと一カ月。ラスト・スパートせにゃならんなあ。




11/2/2003

 昨日は午後から「市民大学開放講座」というのを聴きにいってきました。
 最近、多いですよね、こうした大学を地元の人間に開放する試みが。学生数の減少に備えて社会人を取り込んだ経営を大学当局が考えているのか、それとも、市の文化活動の一つなのか、深い理由はわかりませんが、よく新聞に「一日講座」のお誘いチラシが折り込まれてくる。私の住んでいる我孫子市およびその周辺には、小規模な大学が数多くあり、11月の公開講座は川村学園女子大学で行われました。で、1日のテーマは「心理学の新しい展開」。

「透明な悪魔」ではユング心理学、「水辺の通り魔」では依存症、「絶対零度」では境界性人格障害を扱ったりして、心理学は私の得意とする分野なんですね。今までに、心理カウンセラーの取材をしたり、さまざまな心理療法のワークショップに参加したりしているだけに、今回のテーマを知るなり、よし、これは行くべきだと即決し、しかもチラシには「ちょっと高度な内容の市民大学(大学院)プログラムを用意しました」と書かれていたので、かなり期待していたんです。

 ああ、それなのに、それなのに、結果は×。
 前半の「選択の心理学・ソンディの家族的無意識」は、女性教授が受け持ち、まあ、熱心にお話しくださったのは良かったのですけど、かつてスイスで活躍した心理学者ソンディの理論の概略を述べただけで終わり、しかも、ところどころ科学的とは思えない部分も混じって、時間が来ると、そそくさと閉幕。「質問はありませんか」と訊くこともありませんでした。
 後半の「新しい精神療法・認知行動療法と短期精神療法」は男性助教授の受け持ちでしたが、こっちはもっと内容がなくて、精神療法の概論をきわめて抽象的に喋っただけで、本論の認知行動療法はちょこっと触れただけ。あまり悪口は言いたくないんだけど、プロとしての“講義技術”が未熟な上、熱意も感じられないんだなあ。当然、質問を受け付けるわけもなく、時間とともにお終い。
 おーい、どこが「ちょっと高度な内容の市民大学(大学院)プログラム」なんだよ!

 2人の講師で3時間の講義時間しかないのでは、質問の時間を取りにくいのも、理解できないではありません。しかし、質問時間がないと、聴かされる側としては欲求不満が溜まるものですし、大学以外の公開シンポジウムなどでは、質問の機会が与えられているのが普通です。
 なぜ、質問の機会が与えられなかったのか?
〈もしかすると、逃げたのかもしれないな……〉
 つい、そんな想像もしてしまいました。
 市民公開講座というと、出席者は社会人や主婦、リタイアした人などであります。中には、講師よりも幅広い知識や社会経験を持っている人もいるわけです。まあ、単位が取れればいいや、と考えて、ケータイ電話をいじったりしながら出席している学生さん方が多い(たぶん)通常の講義とは大きく違って、もし質問タイムを設けたりしたり、どこからどんな質問が飛んでくるか、わかったものではありません。

 3年ほど前でしょうか、某大学の公開講座で、女性助教授が、初老の男性の質問を受けて、にっちもさっちも行かなくなってしまったことがありました。その男性は、彼女の意見が自分とは異なっていることに気分を害したみたいで、客観的に見れば理不尽と思える質問を、しつこくしてくるのです。こうした場合は、軽く受け流すとか、鋭く切り返すとか、対処法はあるのですが、お嬢さん育ちっぽく見えるその助教授は、それができずに、窮地に追い込まれてしまったのです。
 あまりにも、その男性の質問内容が理不尽なものであったため(ああ、ついでに、その助教授がかなりの美人であったことが、私をそうさせるモチベーションとなったことも、正直に白状しておかなければなりません)、私は立ち上がって発言を求め、
「あなたの意見は、矛盾に満ちたものだ」
 と、初老の男性をたしなめたのです。その男性の態度に腹を立てていた出席者も多かったみたいで、私の発言のあと、次々と同じような発言が続いて、初老の男性はあえなく黙りこくる結果となったとなったのであります。
 うん、なにか、道でならず者に襲われたお姫様を助けたような気分だったなあ。

 その種のおかしな人間も含めて、さまざまな出席者がいて、さまざまな質問が飛んでくることが予想されます。ですから、象牙の塔(古い表現かな)にこもって、研究と講義の日々を送ってきた教授、助教授には、公開講座というのは、かなり精神的な負担となり、質問などは受けたくはないという心理状態になるのかもしれません。実際、大学主催の公開講座では、質問タイムがないケースが多いみたいです。
 でもねえ、淋しいよねえ、筋書きが決まっているプロレスならいいけど、ガチンコ勝負のK1やプライドのリングは嫌だって言ってるみたいでしょ。どんな質問でも受けてたってやるぞ、という、気概が欲しい気がします。

 そうした講義内容とは別に、女子大学のキャンパスは、よく整備されていて、ヨーロッパの公園みたいで、ほんとにきれいでした。そんなふうにしないと、学生さんが集まらないんだろうなあ。
 ともあれ、皆さんも、たまには大学主催の公開講座に出席しては、どうでしょう。玉石混交ですが、たまには○や◎の講座に当たることもあるし(ほんとに、たまには、です)、大学の現状がかいま見えて、なかなか興味深いですよ。



10/2/2003

 9月の最終日、今年、結成されたテニス同好会の初めての宴会がありました。
 平日の昼間に空いているテニスコートでプレイを楽しむ会ですから、男性会員は私を除いては全員がリタイアされた方で、つまりは私が男性では群を抜いて(?)最年少。必然的に宴会の幹事、つまり雑用係が回ってくることになります。

 で、場所は我孫子駅そばの居酒屋と定めたのですが、読めなかったのが、皆さんがどのくらい食べたり呑んだりするかということでした。お酒呑み放題のコースもあるのですが、お歳を召した方が多いので、下手をすると、料理が大量に余ってしまうのでは、と危惧したわけです。時々、中学や高校の同窓会が開かれますが、みんな中年を過ぎると、食欲も飲む量も落ちる一方で、たいていは料理が山と余ってしまうのです。
 どうせ量は食べないだろうと考えて、料理も酒も一品ずつ注文する設定にしたのですが、ああ、甘かった。とりあえずビールで乾杯とまではよかったのですが、それがすんで5分もしないうち、カクテル、サワー、焼酎のお湯割などの追加注文が集中豪雨のように相次ぎ、料理のほうだって、メニューに載っているもの全部が読み上げられるんじゃないかという勢いで注文され、男性も女性も、やあ呑むわ食べるわ、料理の載った皿と空になった皿がテーブルの上で間断なく交換されます。

 でもねえ、交わされている会話といえば、
「私は広東省の生まれで、5歳の時に長崎に引き上げてきたんです」
「わあー、私も中国の大連にいたんですよ」
 なあんて、戦前の話なんですよ。そんな年齢の方、多くは60代の方が、呑んで食べて、ついでに声や笑いのほうもずいぶんと大きくなって、隣の席にいる若い人たちの団体を圧倒するほど元気なのは、どういうわけでしょう。

 40代、50代の男性はリストラ、減給、将来不安などで、精神的にも肉体的にもストレスが蓄積されています。20代、30代だって、職場の人員削減で労働強化となっており、親類の若手銀行マンなんて連日の深夜残業でヘロヘロになっているようです。そんな受難の時代にぶちあたった“若い世代”に比べると、今の60代はサラリーマン時代は高度成長の頃だからあまりストレスもためずに仕事ができたでしょうし、定年後も、まだ年金の額は大幅に減らされるわけではありません。だから、精神的にも肉体的にも元気なんだろうな。
 そうそう、親類にも元気な60代のオジさんがいます。彼は定年後に書道、中国語、太極拳など習い始め、今年はとうとう中国に語学留学に行ってしまいました。今の40代、50代に定年後、そんなことができるだけの余力が残っているでしょうか?
 ともあれ、宴会参加者から次々に発せられる注文を店員さんに伝えながら、
〈コース料理にしておけば、楽だった。60代をナメちゃ、いけないな……〉
 私は大いに反省したのでありました。

 テニス同好会の宴会があった3日ほど前、東京からの帰り、上野の都美術館で開かれていた「トルコ3大文明展」を見てきました。かつてトルコに花開いたヒッタイト、ビザンチン、オスマンの3つの文明を紹介したものです。日本が縄文の時代だった頃、すでに鉄器や文字を持っていたヒッタイト帝国には以前から興味を持っていて、楔形文字の実物などを見たわけですけど、そうした展示品とは別に気づいたのは、圧倒的に女性の姿が多かったことであります。美術展ならともかく、遺跡の展覧会だったら、男のほうが多いんじゃないかと思ったいたら、違ってたんだなあ。
 女子大生ふうの若い女性から、OLふう、おそらく主婦のおばさん、そしておばあさんと、女性はどの年代もまんべんなく来場しているのに、男は青年の他は、定年退職したと思しきおじさんやおじいさんのみ。背広姿のサラリーマンの姿なんて皆無なんですよ。
 私が行ったのは金曜日で、金曜は夜7時まで開館していますから、サラリーマンだって仕事が終わってから見に来れるわけです。なのに、ゼロ! きっと、
「トルコの文明なんて、どうだっていいじゃないの。それよりも明日は休みだ、ささ、行きましょうよ」
 なんて言いながら、新橋の飲み屋の縄のれんでもくぐったんでしょうか。

 上野から我孫子に帰り着いて、中華の店に入りました。そこには「週刊ポスト」「週刊現代」といったサラリーマンに人気の週刊誌が置いてあります。パラパラとめくれば、グラビアにはヌード、ヘアヌードが百花繚乱となっております。活版記事にも、セックス関連がぎっしり。へとへとになるまで働いたサラリーマンは、そういった写真や記事で元気を取り戻すんでしょうか。元気を取り戻して、
〈よし、やったるか〉
 と、フーゾク店に出撃するか、フリンできそうな女性を探すんでしょうか。
 飲み屋だって、セックスだって、悪くはありませんよ。気持は、私も、よーくわかります。でも、それだけだったら、なんか同じ年代の男として寂しい気がするんだよねえ。
 余計な世話かもしれないけど、20代から50代の働く男性(ん、私も含まれるのかな)のことが、ちょっと心配です。元気に次の時代を迎えられるんでしょうか。

 ああ、そうでした。今月末には気功の同好会の昼食会が開かれるんですが、私、会長職(早い話が雑用係)にあるので、そのセッティングもしなければなりません。ところで、その気功の会、私以外は全員女性なんですね。
 おーい、ほんとに男は、どこに行ったんだよ……。



9/1/2003

 暑い日は2、3日あっただけで、涼しいまま、9月に入ってしまいました。暑さが苦手な私にはありがたい夏でしたが、熱暑に苦しむ日が少ないと、せっかくの秋が来ても、あまり感謝する気になれません。涼しい風を吹かせているのに感謝されないのだから、今年は、夏ばかりか、秋にとっても不幸な年なんでしょうね。

 ところで、3カ月ほど前から皮膚科クリニックに通っています。白癬菌が足の爪に入ってしまって爪水虫になったのと、足の裏に魚の目のようなものができた(実際には、イボなんだそうです)ので、通院しているのです。たいした病気ではないのですが、皮膚科というのは治癒までけっこう長く通わなければなりません。長く通うのは、まあ仕方がないとして、そのクリニック、評判が良くて、ものすごい混雑ぶりなんですね。個人医院ですけど、2時間待ちなんて普通で、待ち時間だけは大病院並みです。
 これだけ待たされると、やることは1つしかない。読書です。恥ずかしながら、私、世の中で名著と呼ばれている本をあまり読んでおらず、この際だからと、先日は書棚に置いたままページを開いていなかった「夜と霧」( V・E・フランクル みすず書房)を持って、待合室に入りました。

 ご存じの方も多いでしょうが、この本は、ナチスの強制収容所に入れられたユダヤ人の精神科医が、死と隣り合わせの生活や、収容者の心理状態を記録したものであります。さる全国紙が行った「21世紀に読み継ぎたい本」のアンケートでは、翻訳ドキュメント部門の3位にランクされたといいます。ここ数年、「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」など、ユダヤ人虐殺をテーマにした映画を観ていたせいもあり、昨年、新訳版が出たので、書店にて買い求めたのです(まあ、もっと若い頃に読むべき本なのかもしれませんが)。

 結論から言うと、名著の名に違わぬ、深くて良い本でありました。極限状態まで追い詰められた時、人がどんな心理状態で、どう行動するかが、医学者の冷静な目で描かれているのです。たとえば、以下のようなことです。
 強制労働の褒賞としてもらった煙草は、生き残るためにはスープと交換しなければならない。しかし、いつしか人は束の間の安楽を求めるようになり、その煙草を吸ってしまい、そうした人はほどなく死を迎える。収容所からの解放の日(連合軍の進撃により、ナチスが逃げ出す日)を勝手に心の中で決めて生きてくると、それが裏切られた時の落胆が大きくて、体力が極度に低下した中では死につながってしまう。絶望の中で最後に想うのは、愛する妻(別の収容所に入っている)のことばかりだった。
 などなどが書かれていますが、なにより厳しいのは、収容所から解放される時が、いつ来るのか、実際に来るのかがまるでわからない中で、生きるための努力をしなければならないという点です。人は報われる努力ならしますけど、報われるかどうかわからない努力は、なかなかできないものです。まあ、このあたり、いつ再就職が決まるのか見当もつかない、リストラされた中高年サラリーマンの心理に通ずるところもあるかもしれないな。

「夜と霧」の旧訳版が出たのは1950年代ですから、この本は半世紀近くにわたって読み継がれています。半年もたたないうち忘れられる今の書物とは大違いです。しかし、それだけ長い寿命を得てきたというのは、それだけの内容があるからです。読書の秋に、深い内容の本を読みたいと思っている方には、お薦めです。ただし、強制収容所を扱った映画やエンターティンメント小説のような、派手なシーンはいっさい出てきませんので、念のため。

 しかし、医院の待合室で2時間待ちは、大変な難行です。持っていった本も読んでしまうと、やることが無くなります。仕方がなしに椅子から立ち上がり、受付のところに置かれている“ウエイティング・リスト”を見に行きます。治療が終わって横線が引かれている人も含めれば、1日で80人から90人の患者が来ています。治療費を支払う人を見ていると、だいたい千円前後を払っています。まあ、3割負担というのが一般的でしょうから、1人当たりの平均支払い額は3千円くらい。となると、3千円×80人だとしても、1日のあがりが24万円になる。皮膚科だから高額な医療機器も置かれていないし、フロアも小さいから家賃も安いだろうし、医師も一人だから、経費はさほどかからないはず。ウーン、儲かっているだろうな、私も医者になればよかったかなあ、と、さまざまな邪念が湧くのは、こういう時です。

 私の場合は、ほんの一瞬、邪念を浮かべるだけですから、まあ、可愛いもんです。でも、こんな人もいるんじゃないかな。
〈これだけ儲かっているんだったら、脱税もしてるかもしれない。よーし、税務署に電話してやるぞ……〉
 とか、中には、
〈自宅の金庫には、お金がうなっているはずだ。よーし、押し込み強盗するなら、ここだぞ……〉
 などと、物騒なことを企む者もいるかもしれません。
 人格高潔で才能豊かな精神科医は強制収容所に入れられても、理性を失わず、人間がなんたるかを探し求めようとします。しかし、凡人は違う。待合室で時間を持て余したくらいで、心の平静さを失い、邪念に身を任せます。まさに「小人閑居して不善をなす」ですな。
 ねえ、○○皮膚科クリニックさん、あの混雑、なんとかしましょうよ。



8/1/2003
 
 先日、東京からの帰りでした。少し遅くなって、夜の11時過ぎに我孫子に到着しました。私は駅近くの駐輪場に自転車を預けてあったのですが、駐輪場の入口で少しばかりモタモタしていると、背後で「ウー」という動物のような声を聞いたのです。振り返ると、若い男が怒りでいっぱいの顔をして、立っているんですね。きっと、私がモタモタしてたんで、前ギレ症状(私の造語。本格的にキレる一歩手前の症状)を起こしてしまったんでしょう。
 まあ、悪いのはこっちでもあるし、相手にならずに駐輪場に入りました。そして、若者のほうを窺うと、なにか自分の自転車の鍵が見つからないらしく、彼は本ギレになった様子であっちこちを蹴飛ばしはじめております。
〈やばいなあ……〉
 人けのない場所です。ここでひと暴れされては大変ですから、私は早々に駐輪場を退去しました。

 同じ日の午後、東京。麹町の通りで、超大型のトレーラーが交差点を曲がろうとしていました。何を運んでいるのか、とてつもなく大きいトレーラーでしたので、一度には曲がり切れず、交通誘導の警備員が出て、車の流れを止めていました。そんな中で、止められた車の一台がクラクションを鳴らし始めたのです。プー、プーという連続音が通りに響きわたります。年齢ははっきりしないのですが、運転席には男性が乗っている。どんなにクラクションを鳴らしても、車の流れが進むわけもないのに、こいつ、キレたんだろうな……。

 キレた男が起こした事件が、新聞を賑わしています。もっとも多く被害にあっているのは、駅員さんだそうで、なんでも若者と50代のサラリーマンがいちばん危なくて、乗り過ごして終点まで来た乗客を起こしたりすると、それだけで殴られたりするといいます。そういえば、最近、夜になると、不機嫌極まりない顔をした若者や中高年がやたら電車内や街中で目立ってきているなあ。

 同じ日の夜9時近く、私は山手線の電車に乗りました。通勤時間はとっくに過ぎているのに、車内は猛烈な混雑で、身体への圧は増すばかり、身動きもできません。私は3駅乗っただけで下りて、「冗談じゃねえよ」と悪態をついたのですが、多くのサラリーマンの方は、その何倍もの時間を毎日、ラッシュの車内で耐えてるんでしょうね。

 白状すると、私、ラッシュの電車というのを生涯で2カ月しか体験していません。18歳で浪人した時、予備校の寮が下総中山にあり、お茶の水の学校まで、朝の通勤時間帯、総武線の電車で揉みくちゃになって通いました。が、これは非人道的ではないか。私は不条理を感じて、2カ月ほどで朝の通学を止めたんですね。早い話が、毎日、昼近くに予備校に行ったわけで、こんな態度では、受験の神様が救ってくれるわけもなく、翌春の入試はみごとに第1志望校をスベってしまいました。
 大学時代は、歩いて通える近場にアパートを借りました。卒業後、勤めた出版社は、午前11時くらいまでに出社すればいい会社でしたので、ラッシュとは無縁です。そして、フリーの身になってからは、通勤自体がないのですから、好きこのんで混んだ電車に乗ることもありません。
「どんなに貧乏しても、ラッシュの電車だけは乗らないつもりだよ」
 私が言うと、家族や友人たちは、
「軟弱者!」「そんな根性なしだから、いまいちパッとしないんだ」「少しは我慢というのを学んだらどうです」
 とばかりに、口を極めて責めたててきます。
 私は軟弱者なのかなあ? いやいや、そうではないと思いますよ。あと3カ月で近いところに引っ越すから、もう少し我慢しなさいとか、半年後には新線ができてラッシュが緩和されるから、それまでの辛抱とか、そういった“期限付き”なら、私だってなんとか耐えるでしょう。しかし、先の見えない我慢なんて、どうしてできるんだろうか。

 もし、ラテンアメリカの国で通勤電車が日本のようにすし詰めだったら、多くの人が会社に通わなくなって、結果、通勤ラッシュは緩和されるでしょう。ヨーロッパで同じことが起こったら、ラッシュ緩和策がさまざま提案され、それが実行されることにより、通勤地獄は解消されるでしょう。しかし、日本人は違います。ただただ耐えてしまうのです。通勤ラッシュだけではありません。長時間労働やサービス残業、値段が下がったといってもまだまだ高いマイホームの支払いなどに、サラリーマンは耐えています。若者だって、フリーターという不安定な身分や高失業率、あるいは年功制賃金で安い給料とかを押しつけられ、忍耐を強いられています。
 しかし、人間はロボットではないですから、先の見えない忍耐などに耐えられるものではありません。どこかでプッツンとキレ、間が悪いと、それが傷害事件や殺人になってしまうんじゃないでしょうか。

「忍耐は日本人の美徳」と、よく言われますが、本当にそうでしょうか。ただ耐えたがために、事態がいっこうに改善されず、今の日本、こんなに住みにくく、危険な社会になってしまったんではないでしょうか。
 先の見えない我慢は、むしろ悪徳です。我慢せずに、猛抗議をしましょう。
 キレた若者に刺されるのも嫌だし、ラッシュの電車に乗るのも嫌いな作家は、そう主張するのです。



7/2/2003

 週末、茨城県笠間市にある笠間日動美術館まで「魯山人の宇宙」という企画展を観に行ってきました。ご存じでしょうが、北大路魯山人とは、昭和の時代に生きた書家であり、陶芸家であり、はたまた美食を追い求め、そうした“美”を追求するあまり傲岸不遜な態度をあからさまにしたことでも知られた人物です。漫画「美味しんぼ」に出てくる海原雄山のモデルになった人物といえば、わかりやすいでしょうか。
 企画展は、魯山人自作の陶器を中心にして、書や文、彼が愛したピカソやシャガールの画などが展示されていましたが、その中でも圧倒的な存在感を見せたのが、料理を載せる食器でした。色鮮やかな大作は個性を主張し、地味な色使いのセット物も寸分の隙もない緊張感を漂わせ、生命がないはずの陶器が発散するエネルギーに、心動かされたり、反対に、
〈こんなもんで、飯食ったら、疲れてたまらんわい〉
 と、反発の思いも抱いたものでありました。

 美術館からの帰り、笠間焼きの販売センターに立ち寄りました。気にいったコーヒー・カップでもあれば、買おうと思ったのです。ところが、驚きましたねえ、魯山人の作品を見たあとでは、どれもが“ふぬけた”もののように見えたんです。セットで買えばけっこう高い、つまり、我が家で日頃使われているのよりはるかに高い、作者名入りのものだって、弱々しいエネルギーしか感じられない。
 違うのです。
 テレビ番組の「開運!何でも鑑定団」で、鑑定家の方が、
「箱書きや図録を信じてはいけません。その作品が発散するものを見るのが、真贋を見分ける時、大切なんです。本物ってのはね、それを数見ていれば、おのずと分かってくるもんなんですよ」
 上記のようなことを述べていますが、その正しさが身に沁みてわかったみたいな気がして、結局、販売センターに置かれている陶器は買うこともなく帰宅の途に就きました。

 この強いエネルギーを感じられるか否かは、なにも美術工芸関係に限られるものではないみたいです。
 この6月をもって、私、地元にあるアマチュアの市民オーケストラを聴きに行くのを止めることにしました。この市民オケ、アマチュアとしてはレベルが高く、けっこう楽しめるのですが、練習時間が限られているなどのハンデキャップがあるためなのでしょうか、聴いていて、フラストレーションを覚える個所も少なからずあるのです。残念ながら、強いエネルギーが感じられるわけでもありません。したがって、
〈アマチュアだから、しょうがないよなあ。まあ、いちおうは楽しめるし……〉
と、自分をゴマかしながら演奏を聴いていたのです。でも、そんなふうに自分をゴマかしながら聴いていると、しだいに自分の感性みたいなものが鈍くなってくるのではないでしょうか。鑑賞するのなら、面倒くさくとも都内まで足を伸ばして、一定の水準以上のプロの演奏に常に触れているべきではないかと思ったわけです。
 もとより、アマチュアの文化活動を否定するものではありません。同好の士が集まって演奏するのは楽しいでしょうし、家族や友人たちがそれを聴きに行くのもほほえましいものです。ただ、そこにある“温かさ”が、演奏レベルを維持には、見えない罠になるような気がするのです。

 うん、小説の世界だって似たようなものかもしれないなあ。バブルの頃から、年間4万点も5万点も本を流通させるのが普通になった。数を市場に出すためには、〈ま、この程度のレベルでいいだろう〉と、いつの間にか最低基準が低くなってしまった。そんな状況が続いていくうち、編集者をはじめとする出版関係者の感性も鈍くなってしまった。つまりは、書店に水準の低い本が溢れかえっているわけで、読者のほうは、
〈こんな程度の本に金は出せるかよ……〉
 と、図書館で本を借りて読むようになった。この出版大不況、そういった要因もあるんじゃないかなあ。

 さて、笠間の日動美術館から我が家に帰り着いたあとです。夕食の時、食卓に並べられた食器を見て、愕然としましたね。揃いの器なんてないんです。洗うたびに割ったりするもんですから、だれそれの結婚式の引き出物でもらったもの、近所のスーパーで買ったものと、食器が入り混じり、中にはウィスキーを買った時についてきた商品名入りのグラスなんてのもあります。
 北大路魯山人の食卓とは、なんという落差。しかしですねえ、それらの食器に載せられるのは、私やカミさんが手早く作った料理というより食物でありますし、時には飼い猫のセナが首を伸ばして載っている魚なんぞを盗んだりするという環境なのです。
〈これでは、いかん。感性が鈍くなる〉
 そう反省する一方で、
〈いやいや、柄にもない背伸びをすると、疲れて早死にするぞ……〉
 そう囁く声も聞こえたりした複雑な一日だったのです。



6/1/2003

 思わぬことがきっかけで、硬式テニスを始めることになってしまいました。たまたま市の広報紙を見ていたところ、初心者向けテニス講習会の参加者を募集していて、これは運動不足にちょうどいいと、申し込んだのです。参加OKの返事がきて、安売りのスポーツ用品店でラケットを購入。火曜日の午後からの講習会に参加しました。
 じつは私、中学時代に軟式のテニス部(今はソフトテニスと呼ぶそうですね)に入っていたので、硬式も似たようなものだろうと考えていたのですが、いや、ラケットの持ち方、打ち方、ボールの弾み方と、まるで違っていて、なかなか上手くいきません。それ以上に驚いたのが、体力の低下。なにせ平日の会ですから、他の参加者は定年退職者の男性や中高年の主婦がほとんどですが、私より皆さん10歳以上も上なのに、ボールを追っても平気な顔をしている。こちらは5分もラケットを振り回していると、ヘエヘエヘエと散歩しすぎの犬みたいに息が上がり、見栄をはってそれ以上のプレイを続けていると、本当に死んでしまうかと思うくらいの呼吸困難に陥ってしまうのです。中学の頃には、軟式テニス部だけでなく、駅伝のランナーにもかり出されたくらいに持久力には自信があったのですが、長年、デスクワークをやっていたタタリなのでしょう、ショックでした。

 講習会は4回で終わりましたが、せっかく人が集まったのだからと、参加メンバーで同好会を作ることになりました。体力の立て直しをはかりたい私も、当然、会に加わりました。で、会費はいくらに決まったと思いますか?
 月に4回やって、コーチもついて、なんと月会費が2000円ナリという格安料金なのですよ。なぜ、こんなに安いかというと、運営を自分たちでやることはありますが、市営のコートを使うことが大きい。2時間で1面あたり500 円に満たない使用料なんです。つい先日、民間クラブのコートを借りて、知人たちとテニスを楽しんだところ、1時間の料金が5000円でした。つまり市営コートなら民間の20分の1以下の値段で遊ぶことができるのですね。
 別口でやっている気功の練習も市営の場所を借りているのですが、こっちも安い。空調の整った小さなホールを3時間600 円ほどで使用できるのです。デフレ時代とはいえ、恐ろしいほどの安さです。
「安いが、いちばん」と喜びたいところですが、その一方で、これでいいんだろうか、という思いも湧いてきます。というのも、ここまで市営の施設が低料金なのは、税金がふんだんに注ぎ込まれているからなんですね。つまりは市民税を払っている人のおかげで楽しむことができる。
 しかし、しかし、いちばん市民税を払っているサラリーマンをはじめとする勤労者は、平日は施設を利用することは事実上、不可能です。遊んでいるのは、リタイアした高齢者とか、主婦、暇な学生さん、私みたいなフリーランサーとか、早い話が、あんまり税金を納めていない方々です(私の去年の市民税額は、ないしょ、ないしょの話であります。作家業というのは、必要経費がかかるんですよ、と、言い訳したりして)。もしサラリーマンが市営の施設を利用しようとすれば、土日しかないのですけど、テニスコートにしても休日は満杯状態で、とても思いどおりには予約できない。そう、最大のタックス・ペイヤーが割を食っているというわけです。

 似たような話は別にもあります。勤労者の突然死の原因の一つとして、病院に行けないからそうなるのだ、という説があります。なるほど大病院に行けば、診察までに2時間近くはかかり、仕事を持っている人は、おいそれと医者にかかることもできません。つまりは、医療保険を担っている人々が、医療保険を有効に使うことができないという不思議な現象が起こっているのです。
 思うに、土日に公共施設を使う勤労者には優先枠があってもいいし、また平日の診察には待ち時間なしの特別待遇を受けてしかるべきではないでしょうか。が、現実には、すべての人は平等に扱われ、私は、こういうのを“悪平等”だと思うのですが……。

 本来なら、勤労者自身が「税金を払っている俺たちを、もっと大切に扱え!」と抗議の声を上げるべきなのです。でも、その種の抗議は聞いたことがない。組織に所属していて、長年にわたって「和をもって尊しとなす」を実践してきたサラリーマンには、乱を起こすような行為はできないのでしょうか。そういえば、リストラにあって再就職先もない中高年が抗議のデモを行ったなんてニュースも聞いたことがないからなあ。
 なぜ日本のサラリーマンは“乱”を起こさないのか、というのは、ここ何年かかの私の小説のテーマでもありました。彼らが、もっとはっきり自分の意思を世の中に向かって示せば、日本の国ももう少しよくなると思うのですけど……。

 それはともかくテニスは楽しい。
〈市民税をたくさん払ってくださっている方々、ありがとう〉
 と、感謝の言葉を胸の中で呟きつつ、火曜日午後はボールを追っているのであります。





5/1/2003

 ドタバタ騒ぎをしております。パソコンについて、であります。
 長年、愛用してきたワープロが壊れ、ついに私もパソコンに執筆ツールを切り換えたことは、昨年、ホームページ上にも書きました。もともとがデジタル嫌いだったり、また親指シフトという特殊な入力法を使っているため、パソコンに切り換えて四苦八苦している状況も書いたと思います。その四苦八苦が今も続いてるんですよ。

 昨年の秋、二台目のパソコンを購入し、一台をワープロ専用機として、仕事部屋に運びこみました。しかし、私の仕事部屋は四畳半の広さしかなく、その狭い部屋に運びこむと、音がすごいんだなあ。知らなかった、パソコンがあんなに喧しいとは。ブーンとかキーンとか、ワープロの何倍もの騒音を出しているのです。
「音はCRTから出てるんじゃないかしら」
 そう言う妻の言葉を鵜呑みにしたのが、まず間違いでした。さっそく、大型電器店に飛んで行って、バーゲン・プライスで売られていたLG製(韓国のメーカーです)の液晶ディスプレイを買ってきたのですが、音は静かにならず。耳を澄まし、よく聞いてみると、パソコン本体から音は出ているようです。
 インターネットの「静穏パソコン」のホームページなどで調べた結果、音はハードディスクの回転音ではないかと当たりをつけたのが、二つ目のミスでありました。ハードディスクをすっぽり被って音を遮断する「スマートドライブ」なるものをオンライン・ショップで購入し、パソコン本体を開けて(パソコンのことなど、ぜんぜん分からない私が、ここまでやったんですよ)、器具を取り付けたのですが、やはり音は小さくならず。うーむ、どうやら音はファンから出ているようだ。
 CPUの性能がアップするにつれて、発生する熱を冷ますため、強力なファンが取り付けられ、パソコンによっては電器掃除機並みの騒音を出している、なあんて、パソコン入門書には書いてありました。でも、私の能力ではファンを静かなものに取り替えるなんてことはできゃしないし、ここで愛用のFMVを静穏化しようとする試みは放棄しました。

 私には耳鳴りという持病があります。それゆえ、キーンという高音が、とくに耳に厳しい。だったら、別な音を発生させて、キーンという音を隠してしまえば、なんとかなるのではないかと考えたのが、第三のミスでした。ザーザーという波の音がするCDを買ってきてパソコンに入れたのですけど、今度はザーザーにキーンが入り混じって、まるでジェット戦闘機が離発着するペルシャ湾上のアメリカ空母みたいことになってしまったんですよ。
 ここに来て、私も悟りました。静かなパソコンを新たに購入するしかないかなあ、と。いろいろと調べてみると、コンパックのEVO 510 USという機種が静穏を売り物にしていて、19デシベルという従来製品の半分以下の音しか出さないとのこと。仕事用の預金通帳をにらみ、
「背に腹は代えられないか」
 悲痛ともいえる決意をして、三台目のパソコンを買うことにしたのです。

 静穏を売り物にしているだけあって、さすがに新しいパソコンは静かなものでした。が、またもや、問題発生。私はオアシスV8というワープロ・ソフトを入れて、親指シフト入力をしていたのですが、OSがウィンドウズ98からXPに変わったことで、そのままでは使用できない。それは改訂版を送ってもらうことで解決はついたのですが、そうこうするうち、LGの液晶ディスプレイが真っ白になって何も映らなくなった。はあー、こうなると、何が何だか、もうわからない……。

 あーあ、ワープロ時代は良かった。そのまますぐに使えて操作性も抜群、音は静かだったし、故障もめったにしなかった。これが、今では、パソコンという機械に引きずりまわされています。
 先日、さる月刊誌を読んでいたら、某文筆家が「ワープロがなくなる」という事態に恐れをなして、愛用のワープロと同じものを何台も買いだめしたそうです。一生分のワープロを買いだめして、ようやく安心したんだとか。
 気持は、よーくわかります。でも、ほんとうに安心してよいものでしょうか。ペンと違うんだから、機械を何台もストックしておけば、間違いなく劣化します。また、メーカーが部品を確保しているのは、たしか8年のはずだから、故障しても直らないということになります。そうだ、それから、フロッピー。ワープロはフロッピー・ディスクを使用しますが、いまやフロッピーは消えてなくなる寸前。完成した原稿をフロッピーに入れて、編集者に渡しても、
「すみません、フロッピーの原稿を読み出せる機械が、もうないんですよ、先生」
 なあんて、時代も間もなく来るのではないでしょうか。そしたら、その方、使い物にならないワープロを山のように抱えて、途方に暮れるんでしょうね。

 文明の進歩は、人の暮らしを楽にするのに役立っているのでしょうか。いえいえ、私はけっしてそうは思いませんね。ここで、声を大にして言います。
「ワープロ時代に戻してくれ!」



3/29/2003 
 
 今日は、テレビ放映のお知らせと、イラク戦争についての私の見解です。

 以前にも少しお知らせしました「花の罠 大和路・萩の寺に消えた女」(祥伝社NON ノベルズ)がテレビ放映されます。テレビでのタイトルは「女と愛とミステリー 奈良大和路殺人事件」となり、テレビ東京系で、4月9日(水)の夜8時54分から10時48分までの放映となります。
 水無瀬五段の将棋シリーズ物の一本ですが、テレビ化の常として、主役は女性の青山桜初段となり、水野真紀さんが演ずることになっています。タイトルとともに内容もそれなりに変えられていると思いますが、どう変えられているのかは私もわかりません(脚本や完成ビデオは送られてきていますが、当日までのお楽しみということで、見ておりませんので)。
 興味がおありの方は、ぜひご覧になってください。

 次は、米英軍によるイラク攻撃です。
 70年安保から始まって、ベトナム戦争反対、沖縄返還闘争、長崎市長襲撃事件など、デモには数多く参加している私でしたが、今回の戦争については、どうにも気持の整理がつかず、現在までのところ戦争反対のデモには加わっておりません。
 アメリカのイラク攻撃には、反対です。どんなにかサダム・フセインが邪悪な人物だとしても、国連の査察が進みつつある中で、問答無用とばかり戦争をしかけるのは、いくらなんでも野蛮で独善的な行為です。しかし、その一方で、「NO WAR」と叫んですまされる問題でもないと思ったのです。

 今度の戦争勃発の報を聞いて最初に感じたのは、
〈国際社会も日本も“ツケばらい”をすることになったんだなあ……〉
 ということでした。
 ご存じのとおり、国連はできてから半世紀以上たつのに、いまだに戦争や紛争解決のための常設国連軍を持っておりません。したがって、何か問題が起こると、国連決議のもとに臨時の軍隊が作られ、その主力を担うのがアメリカ軍でした。湾岸戦争しかり、コソボ紛争しかり、アルカイーダ対策、それからソマリア内戦の時もそうでした。早い話がアメリカ抜きでは、どんな国際紛争も解決できなかった。別な言葉で言えば、紛争を解決するための戦争という一種の“汚れ仕事”を、国際社会はアメリカにまかせてきたのです。
 そのアメリカが、
「いつも“汚れ仕事”は俺たちに押しつけてるんだから、俺たちが勝手にイラクをやっつけても、文句はないだろう」
 と居直ったとしても、今まで責任逃れをしてきた国際社会は強く反論できないのではないかという気がするのです。アメリカまかせのツケを今、支払っているのです。

 同じことは、日本にも言えるでしょう。日本国民としての私は、アメリカのイラク攻撃に反対です。でも、もし自分が総理大臣だったら、と、考えると、はたして「反対」を叫べるのか、自信がありません。
 日本は防衛の多くを日米安保条約に頼ってきました。アメリカの軍事的保護がなければ、北朝鮮のミサイル攻撃の前には無力です。アメリカの機嫌を損ねたくないという政府の気持もわからないではありません。
 しかし、それもまた“ツケばらい”ではないでしょうか。冷戦時代ならともかく、ソ連が崩壊したあとは、やはりアメリカに頼るだけでなく、ロシア、韓国、中国まで巻き込んだ「極東安保体制」(NATOみたいな)を作るよう努力すべきだったのではないでしょうか。でも、そんな努力を日本はまったくしてきませんでした。それゆえ、アメリカの言うことには何の反対もできないという状況に陥っているのです。

 もし、今、アメリカ大使館の前で「NO WAR」のプラカードを持ってデモをして、アメリカ人から、
「だったら、おまえら、自分の国くらい自分で守ってみろ」
 と言い返されたら、私自身、反論の言葉が用意できません。

 だったら、どうすればいいのか。私が考えているのは、次の二点です。

 まず一つ目は、アメリカべったりが日本の国益だと主張するような政治家や、「平和」の二文字を叫べば平和がくると思いこんでいるような大甘政治家には(つまり政党には)いっさい投票せずに、冷静に国際平和の枠組みを考えている政治家(政党)に投票しようということ。

 それから、アメリカです。民主党はともかく、共和党政権下のアメリカは、地球温暖化に対する勝手なふるまいなどもあって、とても支持できません。そこで、一人の消費者として、アメリカ製品やアメリカ資本の入っている会社の製品は、できるかぎり買わないようにと(経済の仕組みが複雑になっていますので、なかなか難しいでしょうが)考えております。アメリカ企業には何の恨みもありませんが、悲しいかな、このくらいしか反撃の手だては思いつかないのです。

 イラク攻撃には、皆さんもさまざまな意見をお持ちでしょう。今回は、私が思っていることを率直に書いてみました。



3/1/2003

 2月下旬のある日、小さなセンチメンタル・ジャニーをしてしまいました。
 小説のロケハンのため、東横線の「都立大学」近辺を歩き回ったのです。柿ノ木坂から駒沢オリンピック公園まで足を延ばしたのですが、このあたりには土地カンがあります。じつは隣駅の「学芸大学」には30代の一時期、住んだことがあるのです。ここまで来たからには行かずばなるまいと、取材終了後、かつて住んでいた場所へと向かいました。
 学芸大学駅から歩いて3分。東京オリンピックの前に立てられたというマンションはエレベーターもついていないという旧さでしたが、その分、造りはしっかりしていて、壁も厚く、隣の物音がまったく聞こえない。同潤会アパート的な趣もあって、私は気にいっていたのですが、現地についてみると、記憶にある建物は新しいビルにと建て替わっていたのです。
 当時から古かったのですから、建て替えられるのも無理はないかもしれません。近くを歩いてみました。しかし、東京の変化は速い。ランチを食べたレストランもなし、クリーニング屋もなし、居酒屋もなしと、かつて利用した店も消え失せていて、狭い道と人通りの多さは同じだったけど、なにか知らない街に来てしまったような気がしました。そんな時、見つけたんですね、「珈琲美学」という看板を。
 あの頃、ここにはよく来たんですよ。寡黙なマスターが淹れてくれたコーヒーは美味しく、座り心地の良いカウンター席に、静かな空間、ついでにアルバイトの女の子は清楚な感じで(何人も代わったけど、みんなそうだった!)、東京でもベスト・スリーに入る喫茶店ではないかと、思っていたほどです。ようやく知っている場所にめぐりあえたと、胸をときめかせながら、店のある地下へと階段を下っていきました。
 変わってなかったんですよ。マスター夫婦も健在ならば、銅製のランプシェードも当時のままで、残念ながら“清楚”なアルバイトの子はいなかったけれど、コーヒーは相変わらず美味しくて、私が、
「14、5 年前は近くに住んでて、よくここに来たんです」
 と言うと、奥さんから、
「ああ、どこかで見た人、誰だっただろうと思ってたんですよ」
 との言葉が返ってきたんです。

 よく通った喫茶店は、通り過ぎてきた年代を象徴しているような気がします。学生時代は友人と議論するため大学近くに行きつけの店があったし、また新宿区に住んでいたため、深夜になると新大久保駅近くの喫茶店まで赴き、歌舞伎町で働く男女が仕事の息抜きにやってきて、ぼそぼそと喋るのを、聞くともなしに聞いていました。出版社で働くようになってからは、仕事が暇な時に会社を抜け出し、本を読むため、喫茶店に行きました。本郷三丁目にある「麦」は、わざわざタクシーに乗ってまで通ったものです。そして、専業作家になってからは、小説のアイデアを練るため、あるいは書くのに疲れた時、喫茶店に行った。「珈琲美学」も、そんな店の一つだったのです。
 ただし、当時の店を今、訪ねていっても、転廃業が激しくて、ほとんど残っていない。数年前、神保町の三省堂裏にあって、私が「買った本を読んだり、ゆっくり打ち合わせをしたりするのに、これほど良い店はない」と絶賛し、よく編集者との打ち合わせに使っていた「皇帝」という店など、開店わずか2年ほどで漫画喫茶に変わってしまいました。
 喫茶店に限らず、短い間で儲けるだけ儲けて客数が減ったらすぐ転業してしまう、といった商法が横行しています。しかし、それでは、人は思い出の中に帰っていけないんですね。

「珈琲美学」でマスター夫婦と短い会話を交わし、昔に帰ったような気分になって、私は店を出ました。通りを行く若い男女に混じって駅に向かう途中は、自分も若くなっているみたいな気がしていました。
 でも、気づいたんですね。今、前や後ろで歩いている若者は、自分がこの街で暮らしていた時は、幼稚園に通っていたんだろうってことを。そういえば、先ほど駒沢公園から学芸大学まで来るのに、疲れたからと、タクシーを使いました。昔は、2キロほどのこの距離をジョギングして、加えて公園内の周回道路を何周かして、往復したものです。
〈体がいちばんよく知ってるんだ。もう戻れないんだよ……〉
 気づいたとたんに、現実に引き戻されてしまいました。感傷旅行が傷心旅行に一変してしまったという、お粗末なお話でありました。



2/1/2003 

 寒い日が続きますね。こういう日ばかりだと、手賀沼のまわりを散歩する気にもなれず、自然、パソコンの前に座る時間が長くなります。となれば仕事もはかどるだろうと思われるかもしれませんが、なかなかそうもいきませんでねえ……。
 とくに去年から、あーだのこーだのホームページ上で触れている新作の長編小説。ここ十数年、ずーっと人が殺される小説ばかり書いていたんですよ。人が死なない小説を書くことが、こんなにも難しいとは思わなかった……。

 家にとじこもる日が多いので、芝居とかコンサート、講演会などには、できるだけ行くようにしています。前回は歌舞伎を観てしまったことを書きましたが、今回はアルゼンチン・タンゴです。
 じつは、アルゼンチン・タンゴなどに、私、ぜんぜん興味は持っていませんでした。ただ、バンドネオン(アコーディオンを派手目にしたような楽器です)というのを一度、聴いてみたいとは思ってたんです。そして、たまたま情報誌を見ていたら、「バンドネオンの巨匠カルロス・ガルバン初来日」という記述を見つけ、
「バンドネオン、行ってみたいな」
 と呟いたのが、命とりとなりました。小耳にはさんだかみさんがプレイガイドに飛んでいって、チケットを二枚買ってきてしまったのです。こうなったら、行くしかありません。

 タンゴも、よくは知らない。カルロス・ガルバンなるミュージシャンなんて名前を聞いたのも初めて(皆さん、知ってますか?)。知らない尽くしで1月15日の晩に松戸市のコンサート・ホールに行ったのですが、これがじつに楽しかった。
 3台のバンドネオンを中心にして、バイオリン、チェロといったストリングスを並べた少人数のバンドですが、これが艶のある気持の良い音を出す。さらに、ゲスト出演している歌手やギタリストが上手い。そして、当然、アルゼンチン・タンゴとくれば、男女のダンサーも登場して、ああ、これぞアルゼンチン・タンゴのダンスだあ(変な表現ですね。要は長い脚をアクロバチックに動かして、踊りまくるのです)といったエネルギーを舞台中に噴出させたのです。出演者の皆さんはサービス精神がいっぱいで、芸術性がどうのこうのといった面倒くさいことはつゆも感じさせないけど、お客を絶対に楽しませるぞ、といった演出のもと、最初は〈派手なステージだな……〉とだけ感じていた私も、いつしか雰囲気の真っ只中に入りこんでいて、最後は拍手、拍手でありました。
 一級品のエンターティナーが真剣に演ずると、その分野にはほとんど縁のなかった人間でも大いに楽しむことができる。それを実感した夜でした。

 あまり期待もせずに行っただけに、帰りの道は幸福な気持でいっぱいでした。しかし、こうした楽しみ方、最近では、あまりしてないんじゃないとも思いました。
 私も、そして多くの人も同じでしょうが、ここ数年は世間での評判の高い作品ばかりを鑑賞する傾向が強まってるみたいです。ハリー・ポッターが面白いと聞けば、その本を買い、「千と千尋の神かくし」が大ヒットしているといえば、観に行ってしまう。不況で少なくなったお小遣いを無駄なく使おうという知恵かもしれませんが、あまりに受け身な対応であるような気もします。
 日本の文化が元気だった70年代、80年代前半は、違ってた。自分のカンと判断力で、面白そうな音楽、映画、劇団、本などを嗅ぎつけ、見事それが面白いものだった時には、友人たちに勧めてまわったものです。リスクはあったけど、楽しかった。今の日本は、どうも、あの頃の精神も元気さも忘れているんじゃないかな。
 出版大不況の中でお小遣いも減っておりますが、幸い、コンサートなどの入場料金もバブルの頃に比べればだいぶ安くなっているみたいです。で、〈これからは、世評には関係なく、面白そうなものを探すぞ〉と、あらためて決意したしだいであります。



1/12/2003 

 明けまして、おめでとうございます――と書くのも、10日を過ぎては、少し間が抜けていますね。
 私は正月があまり好きではないので(もともとがダラダラした人間ですので、よけいにダラダラ過ごしてしまうのが恐かったりして)、今年もまた一般の人がするような年末年始の行事はほとんどやらずにすましてしまいました。つまりは、紅白も観ず、除夜の鐘も聞かず、お餅も食べず、初詣もせず、当然、親類のガキなぞにお年玉もやらず、ついでに1月の2日からパソコンに向かって、原稿を打ったのです(昨年の暮れ、つい遊んでしまったツケ払いをしたわけですな)。

 そんなふうに世間に背を向けた私ですが、2つだけ年末年始らしきものをしました。1つは郷里の父母を表敬訪問したこと。大晦日の晩に帰ったのですが、私の家には猫に食事をさせたりする重要な仕事もありますので、かみさんは猫の世話で少し遅れ、私が先に実家に到着。となると、私が年越しソバを作らなければならない。本岡家は家事の完全ワークシェアリングを実施していますので、料理を作ることは慣れたものですが、白状すると、じつは今までソバを茹でたことがなかったのです。
 ソバ茹でくらい簡単だろうと、適当にやったら、なんと茹で上がったソバが冷えるにしたがい、くっついて、ラクビーボールみたいになってしまった。あとで聞くと、ソバは大量の湯で茹でなければならないそうですが、小さな鍋で茹でてしまったんですね。知らなかった……。
 そんなボール状になったソバを、箸でちぎりちぎり食べたんですが、親というのはありがたいもので、本当か嘘か「いや、美味しいソバだ」(嘘に決まってるよ!)と言いながら食べてくれたのです。両親の温かい言葉に感謝しつつも、
〈こんなふうに甘いから、息子がこんなふうになってしまったんだ……〉
 と思って、ソバをすするのではなく、ちぎり食いしたのでありました。

 年末年始らしきことの、その2は、4日に歌舞伎座に歌舞伎を観に行ったことです。もともと私は、能、狂言、歌舞伎といった日本の舞台芸能にはいまひとつ肌が合わない人間なのですが、友人から、
「あるルートを通じて、正月歌舞伎のすごく良い席が手に入ることになった」
 と誘われたので、カミさんや友人夫妻など、総勢12名で歌舞伎見物に出かけることになったんです。
 歌舞伎座に着いてみると、一階の前のほうで、しかも花道のすぐそばという最高の席だったんですね。演し物は「菅原伝授手習鑑・寺子屋」に「助六」。良い席だけに、さすがの私も楽しんだ。とくに「助六」のセリフまわしは気持よかったですね。
 しかし、あまりに良い席だったためか、気になる点にも目が行ってしまう。「助六」は江戸の遊廓を舞台にした芝居で、花魁(おいらん)たちが出てくるのですが、前のほうの席だと、肉がブヨブヨとたるんだ顔とか、左官屋が壁塗りしたみたいな厚化粧が、すぐそばに出てくる。舞台に花魁や遊女が勢ぞろいした時などは、
〈なにか、たちの悪いオカマバーに紛れこんでしまったみたいだなあ……〉
 と正直、思ってしまいました。
 芝居が終わって、そのことを言うと、
「あなたは、そういうつまらないことばかりに注意が行く」
 と、かみさんから叱られてしまいました。
 でもねえ、江戸で一番人気のある花魁だと称されている揚巻さんだって、本当のことをいうと、相撲取りが女装したみたいに見えてしまったし、ウーン、大金を払って、ああいう女のもとに通う男がいるんだろうか……。

 どうも、世の中、「楽しければ、それでいいじゃない」という人間と、「楽しくても、それなりのリアリティーが必要」とする人間の2種類がいて、どうも私は後者に属するたたいなんだなあ。それが、小説にも表れてるみたいだし。
 すみません。歌舞伎そのものは充分に楽しみました。でも、あんな良い席は、私みたいな人間には猫に小判だったかもしれません。苦労して席をとってくれたAさん、ありがとうございました。でも、ごめんなさい……。
 おやおや、新年から謝ってしまったぞ。こいつは春から縁起が悪い〜。




12/29/2002

 とうとう年が押し詰まってしまいました。私はこの時節が大嫌いです。今年もあと僅かしかないと焦るのですが、年賀状書きや掃除、忘年会などの雑事ばかりが多く、気づくと、実質的なことはほとんで何もしないまま年の瀬を迎えて、12月の後ろ半分は、ただ時間を無駄につかったような気分になるんです。残りの人生も、そう長くないってのにね。

 で、今年を振り返ってみると、やはり世情のせいでしょうか、大小のトラブルが目立った一年だったみたいです。その最後を飾ったのが(今年もまだ3 日あるから、別なトラブルが起こらないよう祈ってはおりますが)KDDIとの料金をめぐるトラブルでした。
 11月のエッセイで「パソコンなんか信じないぞ」という、機械文明に対する悪意を露にした小文を書きましたが、その主張を正当化するような出来事が起こったのです。時は11月の初めに戻ります。KDDIから9 月分の回線使用料の21円を支払えという請求書が届いたのです。でも、私のところの電話はKDDIなどとは契約していない。これはおかしいと、KDDIのフリーダイヤルに電話をかけて説明を求めました。
 すると、私の使っているNEC製の電話機は簡単なボタン操作で、KDDIの回線を経由して電話がかかるようになっていると、言われたのです。でも、ボタンをぽんと押すと知らない会社の回線を使うなんておかしいと、私は電話機のマニュアルを読んだり、NECに電話をしたりして、事実はどうなっているのかを調べました。その結果、けっこう複雑な操作をしなければ、KDDI経由にはならないことがわかったんですね。
 私自身は、そんな操作をした記憶はありません。同居人である妻に訊いても、「そんな面倒くさいことしないわよ」との答が返ってきたし、猫のセナだって、「やってニャイ」と態度で示していました。

 再度、KDDIに電話しました。すると、相手は思いもかけない強気の姿勢で応じてきたのです。回線使用を依頼する通信記録が確かに残っていると告げ、
「お宅さまの誰かが、そうした操作をしたのではないですか。電話の所有者には、管理責任というのがあるんですよ」
 と言ってきたのです。
「うちには子供もいないし、誰もそんな操作をしていない」
「だったら、出入りした誰かがやった場合も考えられます」
「うちは来客は少ないし、不特定多数の人間が出入りする家じゃないんだ。あなた、私の家の状況を調べて、そういうことを言ってるんですか」
「いえ、通信事業者には、そこまで義務はありませんので」
 今では役人だってしないような口のききかたをしたので、私も久々にキレてしまい、強い口調で、自らの正当性を主張したのです。こちらが強く出ると、むこうはなぜか突然、弱気になって、
「はい、わかりました。21円は取り消させていただきます」
 と言うんだよねえ。相手を信用できない私は、文書による取り消し通知を要求しました。

 後日、取り消し通知と詫びの文を記した手紙が届き、この件は解決したかと思っていたのですが、12月に入ると、今度は10月の回線使用料930 円なりの請求書が届いた。しかも、前回とはアカウント(お客様番号)が変更になっている。
 当然またKDDIに電話しました。今度は、さすがに相手もまずいなと最初から考えたらしく、「すぐ調べて、ご返事いたします」と低姿勢。数日後、むこうから電話があり、
「こちらの機械的なミスでした。アカウントが違っていたのは、機械が自動的に振り分けてしまって、ムニャムニャ……」
 よく理解できない説明をし、料金請求は取り消しますとのお言葉。
 しかしねえ、気の弱い人間だったら、料金を払っていただろうな。払わなかった私だって、21円プラス930 円、合計951 円で血圧を上げてしまった。こちらには何の落ち度もないのに、これはたまりません。

 なぜ、そういったトラブルが起こったのかを、後日、ITメーカーに勤めている友人に訊いてみたところ、コンピュータ・ソフトのバグの可能性が高いとのことでした。
「電話機でも、とくに携帯電話なんて、課金トラブルがけっこう多いみたいだよ。だけどね、どういった場合にバグが顔を出すかってことは、よくわかんないんだよなあ」
 現代のコンピュータ・システムは、わかっていないところがいっぱい。でも、みんな、わかったふりをして、作ったり使ったりしているから、トラブルが起こっても、すぐには原因解明ができないとのこと。
 しかし、これって恐い話ですよね。

 私の知人にAさんという50代の紳士がいます。Aさんはパソコンでアダルト・サイトを覗くのが大好き。そして、ある日、パソコンを立ち上げると、最初のページにサイトで見たエロ写真がどーんと出てきたんだそうです。これじゃ、困ると、なんとか設定を変えようとしたんですが、思うにまかせず、パソコンを起動させるたびに、禁断の写真が画面に現れます。
 具合の悪いことには、年頃の娘さんも、時々、そのパソコンを使うんだそうです。これでは、パパの面目丸潰れ。必死の思いで、Aさんはパソコン・メーカーに助けを求め、なんとかエロ写真を消すのには成功しました。しかし、なぜ、そんなふうになったのかの原因は不明のまま。
 Aさん、もう懲りたのかと思いきや、
「インターネット・エクスプレスを使ったから、あんなことになったんだ。今度はネットスケープ・ナビゲータでアダルト・サイトを見よう」
 と、意気はいっこうに衰えていないそうです。こんなふうにタフでないと、今の時代は生き残れないのかもしれませんね。
 では、皆さん、よいお年を。



12/1/2002

 11月半ば、当地・我孫子市で「第2回ジャパン・バードフェスティバル」なる催しがありました。エッセイ10月号でも予告した関係上、私も見学に行かなければと思っていたのですが、悪い癖が出てしまいました。その前に買い物をして、行くのは午後からにすればいいやと考えたのが間違いでした。買い物に意外に時間がかかり、なんと会場に着いたのは、閉会直後。イベントは終わっているし、どこの展示施設も店じまいの最中でした。あーあ、また、やっちゃったよ。
 じつは、私、行ったら終わってたというのが実に多いんですな。はるばる蓼科まで車をとばして行ったのに、ロープウェイの営業時間が終わってたとか。事前にしっかり予定をたて、余裕を持って行動すれば、そんなことにならないのにねえ……。
 こうしたことが多いせいか、この年になっても「就職が決まったのに、単位不足で大学を卒業できない」とか「週刊誌の編集者をしていて、締切り直前なのに取材すらできていない」といった夢によくうなされて、目を覚まします。もしかしたら、「私の人生、遅刻だらけ」という意識が頭の中に居座っているのかもしれません。
 バード・フェスティバルに遅刻したといっても、誰からも叱られるわけではないのですが、同じミスを幾度も幾度も繰り返すと、けっこう落ち込むものです。そんな時に、文藝春秋の友人から社で行う探鳥会(バード・ウォッチングじゃないよ。老舗の出版社だけに、表現が古いね)のお誘いがあったのです。トリで犯したミスは、トリでトリ戻すしかない。下手な駄洒落を心の中で呟いた私は、OKの返事をしていたのです。

 11月最終の土曜日、場所は東京・江戸川区にある葛西臨海公園。約束の時間ちょうどに待ち合わせ場所に無事、到着しました。単独行動の時はけっこう遅刻するのに、他人との待ち合わせでは遅れないという私は偉いのです(当たり前のことか)。
 晩秋にしては風もなく暖かな日で、ぶらぶら歩いていくうち、たくさんの野鳥を見ることができました。東京湾に面した場所だけに、水鳥が多く、幾多のカモ類の他にカンムリカイツブリ、アオサギ、チュウサギなどがいましたが、その日のハイライトは、日本では珍しいというクロヅラヘラサギと中型のタカであるチュウヒを観察できたことです。とくにチュウヒは人気が高くて、
「おう、飛んだ、かっこいい!」
「翼をV字型にしてるわ」
 などと歓声を上げながら、双眼鏡やプロミナー(野外観察用望遠鏡)を覗いているのです。はたから見れば、いい歳をした男女が鳥を見て何をキャーキャー騒いでるんだと思われるでしょうけど、探鳥会のグループ内にいると、これがけっこう楽しめてしまうんですね。
 結局、その日は40種類もの鳥を見ることができて、みんなホクホク顔で家路に就いたのです。お金が儲かったわけでもなく、美味しいものが食べられたわけでもなく、魅力的な異性と親密な交際ができたわけでもないのに、幸福な気分になれるとは、まったくバード・ウォッチングとは妙な遊びだと思います。
 なにも深く考える必要はありません。ピクニック・プラス鳥見物くらいのつもりで、バード・ウォッチングの名所に行ってみれば、けっこう楽しめてしまうんです。持っていくものは、お弁当の他に双眼鏡と鳥類図鑑があれば、だいじょうぶ。鳥のことがよくわからなければ、現地でプロミナーを据えている人に訊けば、教え好きの人も少なくないので、いろいろと解説が聞けることでしょう。
 というわけで、11月の下旬は、鳥で始まり鳥で終わる半月でありました。



11/9/2002

 半年ばかり続いていたA社とのトラブルについての交渉が、とうとう決裂。私はその出版社との断交を宣言しました ―― なあんて書くと、何か深刻な状況に陥っていると思われるかもしれませんが、なに、この業界では時々ある、そうたいしたことではないんです。
 もとはと言えば、口約束が横行する出版業界(今月のエッセイ1月号を参照してください)で、例によって「言った」「言わない」がこじれて小さなトラブルになったものですが、断交まで発展してしまったのは、A社側の不思議な対応にあったのです。普通なら、トラブルになった際には、編集の上層部がきちんと対応する(いちおう形だけでも)ものですが、なぜか皆さん、約束をすっぽかしたりして逃げてしまったんです。おそらく、まともに対応すれば「利、我にあらず」と判断して、逃げたんだろうなあ。
 古い出版社であるA社はもともと「内向き」の会社として知られていたのですが、出版不況とともに、その「内向き」度がさらに進み、社内の安寧秩序を得るためには、外部の人間(作家やライターなど)はどうでもいいと判断して、そうしたんじゃないかと想像しています。私も最初は怒っていたのですが、常識外の対応に呆れ果て、そのうち怒るよりアホくさくなってきました。
 長くフリーランサーをやってきて、つきあってはいけない会社の基準みたいなものができています。
(1)自分の進もうとしている道とは、まったく違う方針で出版活動を続けている会社。
(2)時代遅れになっている会社。
 A社はどうも(2)に当てはまりそうな気がするし、そういえば、業績その他について、あまり芳しくない話も聞いておりますので、さっさと縁切りすることにしました。

 なにか変な話から入ってしまいました。少しは、まともな報告もいたしましょう。将棋棋士探偵シリーズのうち「花の罠」のテレビ化(テレビ東京)が正式に決まりました。テレビ化の通例で、主役は男性の水無瀬五段ではなく、女流棋士の青山さくら。青山さくら役には、水野真紀さんが決まっています。「花の罠」の視聴率が良ければ、棋士シリーズの続編も映像化されるものと思われます。私としては、棋士シリーズでいちばんのお気に入りの「不要の刻印」が映像化されるといいなあ、と思っておるのですが。
 もう一作、まったく別な作品のテレビ化も決まりそうですので、映像化については、おいおい報告をしていくつもりです。

 ともあれ、フリーの生活をしていると、良いこと悪いこと取り混ぜて、いろんなことが起こります(そこが面白いところなんですけどね)。なにしろ、フリーランサーというのは、社長業から会計係、トラブル処理などの雑用まですべて一人で引き受けなければならず、たとえてみれば、ウルトラ・ライト・プレーンを操縦しているみたいなものです。操縦士も一人だし、エンジン出力にも限りがありますので、つまらないことには長く関わらず、時間とエネルギーの多くを本業に向けることこそ肝要かと思われます。



10/31/2002

 取材のため、夏以来、幾度も那須高原を訪れていますが、先日はその総仕上げとして、泊まりがけで牧場を訪れました(今までは、高速を車で飛ばして、日帰り取材をしてたんですね)。なぜ、泊まりがけになったかといえば、牧場の仕事は朝が中心になるからです。
 訪れたのは、乳牛を250 頭も飼っているという「那須高原 今牧場」。ご主人と奥さん、女性の元研修生などの話を聞いたのですが、牛そのものばかりでなく、牧草、BSE、乳価など酪農は奥が深くて、面白くもあったし、難しすぎて頭が混乱することもしばしばでした。

 で、私も乳しぼりなるものを体験することになったのですが、不器用な人間ゆえ、これがなかなか上手くいかない。そのうち牛も不機嫌な顔になってきます。脚を動かして、イヤイヤしたりもします。下手な人間が乳をしぼると、牛が緊張して脱糞。糞や尿を頭からかけられることもあると聞いていましたので、生きた心地がしませんでしたが、なんとか糞尿攻撃はされずに一頭だけをすませ、奥さんからは、
「もう一匹やりますか」
 と勧められましたが、それは謹んでお断りしました。うーん、何事にも不器用というのは、辛いものです。

 ところで、その牧場には地元の中学生が一週間の予定で体験学習に訪れていました。女子3名、男子2名の計5名で、搾乳や餌やり、糞掃除などの作業を体験するんですね。なにしろ自然に恵まれた環境にあり、
「熊が出たりすると、校内放送で注意するよう呼びかけられるんです」
 といったような学校ですから、生徒たちもスレたところはまったくなくて、
「糞は汚いと思わなかった?」
 という質問に対しても、若いころの薬師丸ひろ子似の女生徒が、
「最初はちょっと気になったけど、あとは何でもなかった」
 と答えるほどの自然派。これが都会だったら、「キャー、汚い」「髪が汚れちゃったよう」と、超潔癖派の生徒や親が大騒ぎするだろうなと思ったりもしました。
 那須地区の中学校では、毎年、生徒たちを農業関係施設や保育施設などで体験学習させているそうです。子供を外や社会の中に出すのは、とても良いことだと思いますね。
 じつは、私の郷里(千葉県東金市)も自然に恵まれたかなりの田舎なんですが、外で遊んでいる子供の姿があまり見られない。訊けば、皆さん、家の中でテレビを観ていたり、ゲームをやっているんだとか。今の時代、自然があったって、外に出そうとしなければ、内に籠もってしまうみたいです。
 それゆえ、子供を外に出すという体験学習制度は、とっても良いことなんじゃないかな。むろん、牧場で働けば、ケガをすることだってあるかもしれません。牛糞の中にあるO157 にも注意する必要があるでしょう。でも、あまり細かなことを気にしては、新しい世界が何も体験できなくなります。

 私の子供の頃は、皆、けっこう危ない遊びを外でやっていて、「氷が割れて、池に落ちて死んだ」「手製のナイフで手を切って大ケガをした」なんて話がよくありました。そんなリスクだらけの生活でしたが、「あれやっちゃいけない。これやっちゃいけない」とは言われず、お陰でのびのびした子供時代を過ごすことができました。リスクを過剰に気にしていては、縮こまった人間しかできないわけですな。そう、それは、大人の世界にも当てはまって、最近の出版業界みたいにリスクを避けることばかり考えていると、市場全体が小さくなってしまう……なあんて、那須の子供たちを見ながら、どんどん縮こまっていく我が業界を憂える私でした。




10/12/2002

 いやいや、気がついてみると、10月も12日になっていましたねえ。この欄は月の前半分を5日から10日くらいの間に書き、後半部は25日から30日くらいに書くことにしているんですが、今月はあまり書く内容もなかったんで、ついずるずると今日まで来てしまったんです。もちろん執筆や取材はしているし、映像化が決まりかけている作品や、小トラブルが思いがけない方向に転がっていってることや、いろいろとあるんですが、まだ確定していないものばかりなんで、慎重派(?)の私としては、今のところ書けないんですなあ。

 今月も後半は、友人の三遊亭とん楽さんの講演(「近ごろ気になる日本語」なんていう真面目なテーマで喋るそうだけど、落語家がくそ真面目なことを話すと、どうなるんだろう。ちょっと興味があります)があったり、私自身も那須の牧場に泊まりがけの「実習」にいったりと、予定が盛り沢山なんですが、前半部はなにもない。ないものはない。どうしよう……と、悩んだところで、一つだけ見つかりましたよ。

 じつは月の初めの5日間ほど、まったく原稿が書けなくなってしまったんです。やらなきゃならんと、キーボードの前に座ると、突然に眠くなる。文章はまとまらない。じゃあ、仮眠を取ろうかと、ベッドにもぐりこんだら、今度は頭が冴えてしまう。だったらと、また仕事の現場に戻ると、眠くなる。これを5日ばかり繰り返したあと、はたと気づいたんです。これは身体が仕事することを拒絶しているのだ、と。
 私は昔から数日、勉強を真面目にやると集中力が切れてしまうという人間で、それがために大学受験も失敗しました。そんな私に、両親は「おまえは意志が弱いんだ」と苦言を呈します。その時は、ああ、俺は意志薄弱人間なのかと悩みましたが、ほんとうにそうなんでしょうか。

 私の義兄は東大から大蔵省(財務省)に進んだような「受験大得意人間」で、彼は机の前に座ったら、何時間でも何日でも座り続けることができるみたいです。昔は、そういう人を見ると、
(すごい意志の強さだ。なんとか見習わなくては……)
 と思ったものですが、最近はちょっと考えが変わりました。
 集中力が持続できる人間は、意志がどうのこうのという問題ではなく、脳の構造がそうなっているだけではないのか、と。まあ、そんなふうに思うようなになったんですね。

 私は小学校時代、授業中、教室の床に寝ころがってしまい、教師から注意を受けること度々という人間で、最近話題になっているADHD (注: ADSLじゃないですよ)に近い子供だったんです。集中するのが大の苦手で、社会生活が上手く送れないというこのADHD、脳の働きに問題があるそうですね。
 つまりは、私も「意志が弱いんじゃなく」て、「脳に問題がある」ってわけです(おそらく)。ということは、これは一種の個性であり、恥じることではなく、堂々と机の前から離れてしまえ、と。
 そこで、2日間ほど仕事を止めて、町中をウロウロしたり、手賀沼のまわりを自転車で走ったりしました。おかげで、少しは仕事をする気にもなったんですが……。
 うーん、今回は、言い訳ばかりになってしまったなあ。



9/28/2002

 涼しいというより、肌寒くなりましたね。つい3週間ほど前には残暑でヒーヒーいっていたのが嘘みたいで、この季節の変化の速さには驚いたり、あるいは人生に重ね合わせて少々感傷的な気分にもなったりします。
 
 それはともかく、暑さが納まりを見せると、外に出たくなってきます。少し前になりますが、15日の日曜、友人に誘われてラグビーの試合を観てきました。早稲田のラグビー部の練習場が新設された記念にオックスフォード大学を招待しての練習試合が行われたのです。じつは私、ラグビーの試合はそれまで観たことがなく、またルールもよく知らないという人間ですので、ラグビー狂の友人を横に置いて解説係を頼むことにしました。
 スタジアムではなく練習場の仮説スタンドでの観戦で、しかも前から4列目という席だったため、選手たちがすぐ目の前で走ったり、ぶつかったりし、かなりの迫力でした。オックスフォードの連中はなにしろ外人ですから(変な表現かな)ヒグマみたいに大きく、対する早稲田はクマはクマでもツキノワグマくらいの感じで、それが闘うのですから、まともにいったらヒグマが絶対優勢。正面衝突すれば、吹っ飛ばされるのはまず早稲田の選手で、こりゃ勝負にならんかなと最初は思いましたが、ツキノワグマのほうもスピードを生かして対抗、結局は23対23の引き分けとなったのですから、これは大善戦だったというべきでしょう。

 しかし、試合を楽しみながら、一方では観客席のほうにも関心が向いてしまうのは、作家の習性でしょうか。仲間同士で来ている人たちが大半でしたが、カップルもけっこう目立ちました。ラグビー場でデートか。それもいいよなと思いながら、でも、ボールが飛んできたら、とっさに男性が女性を護ってやるんだろうか、などとも考えて、想像がいろんな方向に発展します。そういえば、ラグビーのボールは楕円形で、どちらの方向に転がるか予測がつかないところなどは、恋に似ているんじゃないか。そうか「楕円形の恋」なんてタイトルが似合いそうだぞ、と思ったりして……あーあ、試合だけを楽しめばいいのに、作家ってのは貧乏性だなあ。

 ラグビー観戦の数日後には、老父母を車に乗せて幕張メッセまで恐竜博を観に行きました。子供に大人気の恐竜博に高齢者をどうして連れて言ったの? そんなふうに思う方もいらっしゃるでしょうね。でも、それには理由があるんですよ。いえいえ、両親が恐竜に興味を持っているから、ではないんです。そのココロは、「恐竜博が大人気で、新聞やテレビなどでも話題になっていたから」。
 私の両親や、カミさんの母親(一昨年亡くなりましたけど)を観光地などに連れて行ったりしているうち気づいたのは、高齢者は「話のタネ」が作りたくって、いろんな場所に出かけているみたいだ、ということです。たとえば、ぶどう狩りに出かけたとする。すると、高齢の方はぶどうのお土産をたくさん買い込んで、帰ってから近所に配る。そして、近所の人たちとひとしきりぶどう狩りの話をするわけです。
 高齢になると行動の範囲が狭まり、新しい話題もなくなってしまう。それゆえ、話題作りのために出かけるといった面が、高齢者にはあるみたいですね。うちの両親も帰りの車の中で「やれ、これで話のタネができた」と喜んでました。きっと翌日には、自宅にやってくる介護ヘルパーさんたちに、
「セイスモサウルスっていうのは、小さなビルくらいの大きさなんですね」
 などと話しているんでしょう。日々の楽しみ方は、世代によって大きく違うということを、恥ずかしながら最近になって知りました。

 以上のようなことを書いていると、あいつ、遊んでばかりいるじゃないかと思われるかもしれませんが、仕事もちゃんとやっております。ただ、誘いがかかると、ついつい外に出たくなってしまうのが、この季節の問題点です。冷たい風が吹き始めると、ずっと仕事部屋に籠もりきりになれるのですが……。



9/7/2002

 あーあ、やっちゃいました。100 枚の原稿のうち後半50枚を消してしまったんですよ。
 長年愛用していたワープロの寿命が来て、今はとりあえず予備機のワープロを使っていることは、前回のこの欄で書きました。同じオアシスなので、操作法はさほど違っていないため、油断をしていたら、思わぬ落とし穴に落ちてしまったのです。
 従来のワープロはメモリーの容量が大きくて100 枚程度の分量はフロッピーからの表示が可能なのですが、予備機はラップトップ型のため50枚ほどしか呼び出せない。それなのに深く考えることもなく、表示限界の50枚を画面に表示した。そして、いつもの習慣で、それを上書き保存したら、あーら、不思議、100 枚が画面に表示した50枚しかなくなってしまったんです。原稿はともかく上書き保存しておけばいい、という思い込みがあったから、100 枚の後半半分が消えた時には、文字どおり茫然自失の態になりました。

 ミスには「うっかりミス」と「思い込みミス」の二種類がありますが、自信満々で突っ走ってしまう分、後者のほうが被害も大きくなるみたいです。
 かつて月刊誌の編集者をやっていた頃、苦い経験があります。さる高名な挿絵画家からいただいてきた原画を、こともあろうかゴミ箱に捨てて処分してしまったのですよ。その挿絵は、家の画と、ひび割れのような亀裂の画との二枚組になっていたんです。つまりは、二枚を組み合わせて印刷して、崩壊した家庭を表現しようとしたんですね。ところが、挿絵は一枚だとの思い込みがあった私は、亀裂の画のほうを、
(あ、こりゃ、いたずら書きだな……)
 と考え、指示書きを読むこともなく、くしゃくしゃに丸めると、ゴミ箱に投げ入れたのです。
 雑誌の発売直後、高名な挿絵画家様から怒りの電話がありました。直属の上司である編集次長に事情を話すと、彼は天井を仰いで深く溜め息をついた後、怖い顔で、
「おい、先生の前では、間違ってもゴミ箱に捨てたとは言うなよ」
 と釘を刺すのです。すぐに編集次長ともども世田谷区は成城にある画家のお宅まで飛んでいきました。
「申し訳ありません。先生の原画の一枚が、他の原稿の中に紛れ込んでしまったようでして……」
 上司が言い訳と詫びを言う横で、私はただただ頭を下げるよりありませんでした。
 次の人事異動で、月刊誌編集部から私は出ることになったのですが、やはりその大ミスが原因となっていたのでしょうか……。

 しかし、今回は50枚の原稿が一瞬にして消えてしまったんですよ。ボタンを一つ押しただけで、約5日分の汗の結晶(ちょっと古い表現か)が飛んでしまったんですよ。
 まあ、何を書いたかは憶えているからいいけど、それに、書き直したほうが良い原稿になる場合が多いっていうから……と、自分を慰めてみたりしているのですが、大ショックです。
 こうした「思い込みミス」出るのも、夏の疲れが心身に現れているからなんでしょうか。今年の暑さはひとしおだったもんなあ。8月は日中、外にはほとんど出ずに家の中に引きこもっていたもんなあ。涼しくなったら、手賀沼の周りをウォーキングして、心身の調子の回復につとめようと思っております。皆さんも、思い込みにはご注意を。



8/28/2002

 あーあ、大変なことになりました。長年使い続けてきたデスクトップ型のワープロが壊れてしまったのです。フロッピーから呼び出した文章が幽霊みたいにスーッと画面から消えてしまうのでは、どうしようもありません。新しい機械なら修理に出すところですが、7年間、毎日のように酷使したのですから、これは寿命ということで、このままあの世に送ってやるべきなのでしょう。

 ワープロ専用機が使用不能になったのなら、パソコンを使えばいいのでしょうが、ここで問題が生じているんです。じつは、私、「親指シフト」という特殊な方法で文字入力をしているんです。「親指シフト」というのは、親指専用のキーを組み合わせることによって、少ない文字キーで日本語が打てるようにするというシステムで、たとえば、中段の左から2番目のキーをそのまま打てば「し」。左手親指キーといっしょに打てば「あ」、右手の親指といっしょだったら「じ」になるという具合で、キー・タッチの回数が少なくてすむため、プロのライターの間では広く使われているスグレモノの入力法なのです。

 しかし、ライターの数なんて少数民族もいいとこで、ワープロ全盛の時代には富士通オアシスに必ず「親指シフト」仕様があったものが、パソコン時代になると淘汰され、今では絶滅同然。数年前に親指愛好者(これって、何かおかしな表現ですね)の作家がお金を出し合って「親指シフトの火を消すな」という意見広告を新聞にうったのですが、「多い者が勝つ」という現代資本主義の中では、カラスと戦うトキみたいなもので、意見は無視される結果に終わりました。

 結果、親指愛好者はどうしているかというと、特注のキーボードをパソコンにつなげ、それ専用のソフトを入れて、親指入力を行っているんです。私もそうしているのですが、ワープロ専用機のように簡単には使いこなせないんですねえ。したがって、この文章も不自由な思いをしながらパソコンの親指シフト・キーボードで入力しているわけですが、小説の原稿のほうは不自由な思いはしたくないと、予備のワープロ専用機を戸棚の奥から引っ張り出して使用中。だけど、これがラップトップ型なので、ベストな姿勢で打つことができず、いや、肩が凝ること。

 こんな不自由をしていると、かつてペンと原稿用紙(初期の頃はペンテルのサインペンとコクヨ原稿用紙)だけで素朴に仕事をしていた時代が懐かしく思われます。旅行に行く時でもバッグの中に原稿用紙とペンとを入れておくだけでいいし、補充するには文房具店に行けばいいだけの話。いっそ、ペン書きに戻ってしまおうかと思わないこともないわけじゃありませんが、大作家ならともかく、私ごときには、出版社がそれを許してくれません。ノンフィクション系の出版社の中には「手書き入稿は認めず」というところもあるとかで、早い話が、出版までのシステムが電子化されてしまっているわけです。原稿を書いては破り、髪を振り乱しながらペンを走らす、なんてのは、やりたくたってやれないんです。

 いずれはパソコンの親指シフトを使いこなし、仕事にも使用しなければならないのですが、ここにも問題があります。私が仕事場にしている部屋にパソコンを持ってくると、飼い猫のセナが本棚の上に上るための踏み台になるんですよ。上る時はまだいいけど、下りる時はそこにドーンと飛び下りることになる。このドーン、ドーンの連続で、うちの猫は以前テレビ一台壊してます。先日、壊れたワープロ専用機にしたって、セナがその上に飛び下りたため寿命を縮めた可能性が大なんです。パソコンはワープロ専用機よりはるかにデリケートだと聞いていますから、ドーンと下りられたら、あっという間に故障してしまうのではないでしょうか。

 山間部の農家は、サルやイノシシの食害から畑を守るため苦労しています。オーストラリアの海水浴場では鮫の害を防ぐため、ネットを張ったりして大変な思いをしているそうです。私の家では、猫害を防ぐため、あれこれ知恵を絞らなければなりません。
 人生って苦労の連続なんですね。



8/9/2002

 4日の土曜日には、手賀沼花火大会が開かれました。手賀沼花火大会と言われてもピンとこない方が多いでしょうが、じつは関東では最大規模の花火大会なんですよ。沼の周辺にある柏市、我孫子市、沼南町の三つの自治体が同じ日に花火を打ち上げるのですから、かなり豪華なものになります。
 自宅のある丘を下れば、もう会場ですから、当然、私も見物に出かけました。広い沼(湖みたいなものです)ですので、見学スポットがたくさんあり、有名な隅田川花火大会みたいに混雑することもないため、あっちこちに移動し、「お、今度は沼南のほうで上がった」「柏のほうは、凄いよ」とか言いながら、空に広がり、また水に映る花火を楽しみました。
 ところで、花火大会というのは、最後の5分間くらいで、残った花火を連続してドンドン、バチバチと打ち上げてしまいます。これをフィナーレと称し、うちのカミさんなどは、
「これがあるから、いいのよ」
 と、大喜びしていますが、私の感じ方はちょっと違って、どうしても花火大会のフィナーレというのが好きになれないのです。敗戦が決まって「どうせ残しておいても意味がないんだから」と、残った酒や食料で大宴会を開いている軍隊というか、警察に追い詰められ「どうせ捕まるんだから」と、キャバクラで大豪遊してしまう横領犯というか、「今夜は、何を食べてもいいからね」と、子供を豪華レストランに連れて行く、一家心中を決意した両親というか、そうなんですよ、すぐ後に待っている寂寞が想像できてしまって、フィナーレの豪華さを楽しめないんです。人の感じ方って、さまざまですね。皆さんは、どうですか?
 一方で、ちょっと気になることもありました。老若男女が楽しめるはずの花火大会であるのに、中高年や親子連れの姿が多くなくて、若い人ばかりが目立ったんですね。最近は、こうした世代間のバランスが崩れる傾向が、どこでも進んでいるような気がします。隣町にある柏レイソルの応援に行くのは若い人ばかり。一方で、私が時々、出席している「小さな講演会」とか我孫子の落語会「わいわい亭」では中高年の男性ばかりだし、気功の練習に集まるのは、私以外は全員が中年女性。お台場には若い人しかいないし、巣鴨のとげ抜き地蔵には老人ばかり。日本では、各世代が混じり合うことをせず、どんどん分離しているような気がします。

 翌5日の日曜日は昼から、大学時代にダブルスクールしていた英会話学校の同級生たちと、渋谷で会いました。今となっては信じられない話ですが、夜間、週に5日も四谷にある「日米会話学院」に通っていたんですよ。おかげで、大学4年の頃は日常会話程度は不自由なく英語が聞けたり喋れたりしたのですが、英語とはまったく関係ない会社に就職し(出版社)、会社を辞めたあとも、ずっと日本語しか使わない仕事に就いているうち、英会話のほうは、どうにもならない状態になっております。努力は、なんの役にも立たなかったわけです。
 当時のクラスメートも、会ってみれば、目の前にあるのは、オジさんの顔ばかり(今回は、オバさんの出席はありませんでした)。英語はすっかり忘れてしまったし、みんなオジさんになってしまったし(当然、私もそうです)、あーあ、時の経過とは無情なものだと思いながら、夕方、家路に就いたのであります。

 翌6日の月曜日は郷里に住む老父母のご機嫌伺いのため、東金市まで車を走らせ……おいおい、ぜんぜん仕事してないじゃないか。そうなんですよ、8月に入ってから、ほとんど原稿を書いていない。暑いだけじゃないみたいです。「8月」という言葉が、仕事をする気を失わせているみたいです。昔から、8月は遊んでいたり、ただボケーッとしていたり……出てくるのは、言い訳ばかりだなあ。




7/27/2002

 暑い中、我孫子市にある自宅と那須との間を往復しております。那須にある牧場を取材するためです。そう書けば、この欄を毎回お読みの方は、
(お、この間は北海道の牧場に行ったと書いてたな。だったら、次の小説の舞台は牧場か……)
 と想像をつけるでしょうね。正解です。しかし、今、もう一本、構想が湧いていて、それが病院の小児科病棟に関するもので、ぜんぜん関係のないテーマを同時進行しようとしているので、頭の中が多少混乱しております。
 作家の中には、週刊誌などの連載を何本も抱え、「主人公の奥さんの名前を三枝子ではなく、里美にしちゃったよ。里美は別な小説に出てくる愛人の名前だった」「今週登場させた男、3週間前に殺してた」なんて言っている方もいるようです。そういう作家は、勢いで書き進めていくというか、きっと小説の作り方が私とは大きく違うんでしょうね。私は、長編の場合、それを書いている時はその一本にかかりきりになることが多いので、たった二本を同時並行するというだけで、キャパシティの小さな頭は悲鳴を上げています。

 それはともかく、牧場での仕事をしている人の話を聞いたりするのは、とても楽しいことです。私は過去、医師、弁護士、会社経営者、サラリーマンなど多種多様の人からお話を伺わせてもらっていますが、中でも「生き物を真剣に育てている人(教師も含む)」の話は、格段に面白い。
 以前、千葉県内で有機農法をしている農家の方は、
「百姓ってのはね、百の世界について知っておかなくちゃならないんだ」
 と言って、土壌や土木から気象のことまでを語ってくれました。50代も末にかかっているその方は、
「60も後半になると、田んぼの仕事はできねえからな。米を作れるのは、あと5回か6回か」
 とも言ってました。生き物を育てるのは、絶対に教科書どおりにはいかないし、失敗すれば取り返しがつかないし、また一回一回が勝負になるので、真剣度も増すというわけですね。そういった方のところに通って、話を伺い、牧場でとれた牛乳をごちそうになるとか、帰りがけ「うちの畑でとれた落花生を持ってけ」と、お土産をもらったりした日は、ああ、なんて今日は充実した一日だったんだろうと、宗教心に乏しい私も神に感謝してしまいます。
 この文をお読みの皆さんのまわりにも「生き物を真剣に育てている人」はいらっしゃいませんか。(ただし、なんとなく農家の跡を継いだとか、とりあえず教師になったとかいう人はダメですよ。「今年はキャベツが安くて、ぜんぜん儲けにならん」「親がろくでもないから、子供もろくでもない」などと愚痴をこぼされて終わりになりますので)。暇な日があったら、菓子折りの一つでも持って、そういう方を訪ねてみてはいかがでしょう。きっと充実した夏の休日が過ごせると思いますよ。

 うーん、しかし、東北自動車道の高速料金は高すぎるよなあ。ガソリン代が往復で3000円くらいしかかからないのに、高速代はその倍以上だもんなあ……。
 たしか私が免許を取った20代の頃は、ガソリン代と高速代がだいたい同じだったんですよ。それがガソリン代が安くなり、車の燃費も良くなったのに、高速代のほうは新規路線を中心にして高くなるばかり(そう、首都高にしたって、当時は400 円だったんだぞ)。
 道路公団の民営化は徹底してやれ。熊や猿しか通らない高速道路なんて作るな−−取材費に制限のある作家は、そう怒鳴るのであります。



7/8/2002

  急に暑くなりましたね。6月の下旬は寒くて、とくに北海道旅行の最中はセーターを着ても寒かったのに、ここに来て、突然の真夏。暑さになじんでいないせいか、心も体もダラーッとしております。
 短編集に入れる作品の手入れをしたり、長編小説用の取材をしたり、資料を読み込んだりと、ここのところ雑多な用事をこなして毎日を過ごしておりますが、こういう時期は生活のリズムが乱れるものです。これで700 枚、800 枚(四百字詰め原稿用紙換算です)という長編を書いている時は、毎日定時にワープロに向かい(この文はパソコンで書いてますが、小説の原稿はまだワープロを使ってます。なんてったって、あっちのほうが機械の信頼度が高いからね)、定時に仕事を終了するというサラリーマンみたいな生活をしているため、生活のリズムはあまり乱れないのです。
 でも、そういった長編の仕事に入っていない時には、資料を調べると称して、ぜんぜん関係ない本を読んでしまったりする。昨夜も佐藤正午さんの「ジャンプ」を読んでいて、気がついたら朝に近い夜中になっておりました。面白かったです。でも、恋愛小説を書く人はすごいなあ。たいした事件も起こっていないのに、300 ページの物語を読ませてしまうんだから。ミステリーだったら、人の二人や三人殺していなければ、話がもたない。ミステリーを書いている作家は、こういう時、他のジャンルの作家にコンプレックスを持ったりするんですね(私だけか?)。

 不規則な生活に負けない体作りをするため、昨年から気功をやっています。気功とは何か? そう問われると、私にもよくわかっていなくて、答えるのに窮するのですが、気を養い、体の歪みを正すものらしい。ほれ、中国の公園なんかで、よくやってるでしょ。ラジオ体操をスロー再生したみたいな、あれですよ。
 ところで、この気功には、二種類があるみたいです。一つは武術気功と呼ばれているもので、健康のためばかりでなく、敵を倒すのにも使う。最近、テレビのスペシャル番組でもよくやっているので、観たことはありませんか。相手の体に触らず投げ飛ばしたり、極端なのは、象を倒しちゃったりする。武術気功をやっている私の知人は、宴席などで、この技を披露して、ウケているといいます。
 しかし、私が習っている気功は武術気功ではなく、健康のためのみに使うというもの。先生はおっしゃいます。
「象を倒して、なにか得になるんですか。せっかく養い、蓄えた気をそんなところに使うのは、もったいない限りです」
 ぜーんぶ自分の健康のため使えと言うのです。前者を「エンターティンメント気功」と呼ぶならば、後者は「けちけち気功」というふうになるのかもしれませんね。
 でも、この「けちけち気功」だって、面白いことは起こる。練習中は腕時計をつけることが禁じられているのですが、先日は、はずしてそばに置いておいた時計に思わぬことが起こった。練習を終えて、時計を見ると、6時間ほど針が動いている。
 驚いて、時計メーカーで設計の仕事をしている知人で電話をしたところ、
「クォーツ式に時計は、ごく弱い電流で動いてる。だから、なにか電流みたいなものが外部から加えられたのかもしれないね」
 そんな答が返ってきました。気功の練習で生じた特殊な何かが、時計を狂わせたのでしょうか。
 しかし、時計が狂ったのは、それ一度きりで、あとは針が変なところに動いたりすることはない。またおかしなことは起こらないのか、時計を気にしている私に向かって、先生はおっしゃいました。
「そういうことに気を取られていては上達しません。時計が狂って、何かいいこと、あるんですか」
 そりゃ、そうだ。狂っていた時計が直るんならともかく、正常な時計が狂って、一円の得にもなりゃしない。「けちけち気功」は、まったく正しいのであります。



6/26/2002

 3泊4日で北海道に取材旅行に行ってきました。
 今度の取材の最大の目的は、旭川郊外にある斎藤牧場を見学したり、牧場主の斎藤晶さんに話をきくことでした。そこは知る人ぞ知るという変わった牧場で、なんと乳牛のスパルタ飼育が行われているのです。
 普通の牧場と違って、平坦地ではなく、斜面のきつい山。木を切り倒すくらいは人間がやりますが、あとはすべて牛に管理運営(?)がまかされ、牛のひずめによって牧草が育てられ、水は湧き水を勝手に飲んでいます。厳寒地ですけど、壁の厚い立派な牛小屋はなく、冬の間も牛たちはビニールハウス暮らし。なのに元気いっぱいで、美味しいミルクを出しております。狭い牛舎にたくさんの牛を押し込め、濃厚飼料をやって大量の牛乳を生産するという現代酪農とは正反対のやりかたをしているわけで、当然、狂牛病などとは無縁です。
 以前、奈良県で自然農法を実践されている川口由一さんという方を取材した時(「神の柩」講談社刊)と同じような感慨を抱きました。川口さんの田や畑では、まったく肥料や農薬を施していないのに、稲や野菜が元気に育っている。動物も植物も、そう、人間もスパルタ式に育てたほうが健康になれるみたいです。

 牧場見学会では、いろいろな人と知り合いになれました。中でも驚いたのは、松本さんという若い女性。斎藤さんが書いた「牛が拓く牧場」(地湧社刊)という本を読んで感動し、今回、見学会が開かれることを知り、大阪から飛んできた。彼女は自分が一生やる仕事だと思い、なんと8月いっぱいで勤めている会社を辞め、斎藤牧場で修行する決意を固めたと言うのです。
 女性はすごいですねえ。既得権にしがみついて何の冒険もしない多くの男性とは大違いだ。「21世紀は女性の時代だ」などと先走ったことを叫び立てるつもりはありませんが、男性の時代でないことだけは確かなようです。

 牧場を見学したあと、隣町の美瑛に行きました。美瑛は「丘のまち」として知られ、CMフォトの撮影などにもよく使われていますから、ご存じの方も多いかと思います。
 イギリスの田舎を思わせる美瑛の丘陵地帯も良かった。でも、もっと良かったのが、その日に泊まった「漆芸館クンストハウス」というB&B(ベッド・アンド・ブレックファースト)でした。そこは漆芸家のご主人の仕事場と展示場を併設している宿で、お洒落で大人っぽい雰囲気。しかも、京都育ちの奥さんは美人で、お手伝いの女性は感じがいいし、ついでに、ぶらりと喫茶室に遊びにきたお好み焼き屋のオヤジ(広島県出身だが北海道が気に行って住みついたとか)も面白く、なにか昔からの友達のようにお喋りを楽しんでしまいました。
 一人旅をする時って、宿をどこにするかが難しいんですね。都市部だったら、ホテルのシングルに泊まればいい。でも、観光地だったりすると、そうはいかない。決まりきった料理を出すだけでバカ高い料金をふんだくる旅館は、一人の宿泊だと嫌な顔をするし、ペンションに泊まったりすると、まわりじゅうカップルだらけだったりして(それも高校生の)、ただただ浮いてしまいます。
 しかし、クンストハウスは何の気兼ねもいらない。全面禁煙ですから喫煙家には辛いかもしれないけど、煙草を吸わない人間には、これもありがたい。料金はペンション並ですし、長期滞在して自炊したい人のために共同のキッチンもついています。都会での生活に疲れて、一人、丘を眺めてぼんやりしたい方。カップルでのんびり旅を楽しみたい方(ただし、フリン旅行には、あまり向いていないみたいです。念のため)には、◎でお薦めの大人の宿です。
 泊まってみたいという方。電話番号は0166-92-0770です。



6/8/2002

 いよいよ始まりました。言わずと知れたワールドカップであります。いい加減ではありますが、いちおうはサッカー・ファン、私もテレビの前に座りこんだまま動こうとしない毎日が続いています。
 ところが、事件が発生したんです。なんと、スカイパーフェクトTVのチューナーが故障してしまった。大事件です。普通なら、大至急の修理を依頼するか、気の短い人なら、チューナーの買い換えをしているでしょう。しかし、私は常識とは正反対の行動に出た。なんと、スカパーの契約を解約するという暴挙に出たのです。
 気でも狂ったのか? いえいえ、そうではありません。チューナーが壊れたのを天の配剤と考え、CSを切ることにしたのです。じつを申しますと、NHKのBSにも入っていて、イチローは今日は打つか、石井はまた勝つのかと、ついついテレビを観てしまうのです。その上、「ワールドカップ全試合中継」を売り物にしているスカパーをべったり観てしまえば、私の生活はどうなるでしょう。
 フリーランサーにとって難しいのは、日常生活の管理であります。上司が見ているわけではないので、何時に起きようが、何をしてようが、すぐには咎め立てする者がいない。ことに私のように書き下ろしの小説がメインの作家は、締め切りがあってないようなものですから、生活が乱れに乱れて、気がつくと、穴の奥深くに落ちているなんてことも珍しくはないんですね。
 いえいえ、雑誌の締め切りを持っている方でも思わぬ事態に陥ることがあります。スポーツ大好きのある作家の方が、シドニー・オリッピックの時、競技をべったりと観てしまい、その結果、寝る時間を削って仕事をしなければならなくなり、大会終了直後、過労から突然死したという話があります(実話です。とくに名前を秘す)。
 私が、あえて「禁欲」しているものが、もう一つあります。インターネット将棋です。従来、電車に乗って将棋センターまで行き、入場料を払って、ようやく相手を見つけていたものが、全国にいる何万という将棋ファンの中から自由に大局相手を選べるのです。しかも、料金は無料。こりゃ、はまっちゃいますよねえ。そして、時間が自由になる将棋ファンの私が、インターネット対局を始めたら、どうなるでしょう。ああ、考えただけでも恐ろしい。
 通信や放送の進歩と作家の仕事の関係については、いずれ「月刊エッセイ」のほうで書くつもりですが、どうも凄まじく便利になるということは、フリーランサーにとっては、プラスよりもマイナスのほうが多いような気がします。それゆえ、私としては、もう強制的に「禁欲」をするよりなくなってくる。
 うーん、しかし、韓国対アメリカ戦、観たいなあ。フランス対デンマークも観たいよう。フランスの予選リーグ通過か敗退かが、この一戦で決まるんだぜ。なんで、地上波ではやらないんだよう。スカパーに入ってる友達のところまで行って、観せてもらおうかなあ。
 強制的「禁欲」はストレスが溜まるものであります……。


5/29/2002

  まずは前回に予告した講演会の報告をいたします。
「小さな講演会」と名前が打たれているだけに、いつも参加者はけっして多くないのですが、私が報告者となった5月17日はあいにくの雨。となると、参加者(聴衆)も悲しくなるくらいに少なく、会場の近くに住む高年齢の方がほとんど。まだリタイアしていない年齢層を対象にした題材(「こんな時代だから、家庭内ワークシェアリング」)を選んでいたため、テーマのほうもミスマッチとなり、どうにも滑りに滑った講演となってしまいました。おまけに、雨に濡れて風邪はひくわ−−まあ、こういうこともあります。

 さて、ワールドカップが目前に迫って、テレビ、新聞、雑誌、どこを見ても、サッカーの話題でいっぱいです。そんな時期だけに、つい考えてしまうのは、もしかすると私はかつてサッカー・ファンだった? いや、違うんじゃないか? という、わけのわからない疑問なのであります。
 20代の頃、私は時々、国立競技場などに足を運び、サッカーの試合を観ていました。今とは違い、サッカーはマイナーなスポーツで、観客はぱらぱらいる程度。そんなスタジアムの一番上(つまり最後列)に一人座って、ピッチで行われている試合をぼんやりと眺めていたのです。
 ただし、試合内容はまったく憶えていない。日韓戦も観たような気がしてるんですが、どんな選手がどうプレイしたかも憶えていない。記憶に残っているのは、青い空に浮かんでいる白い雲とか、サポーター席から聞こえるホーンの音といった感覚的なものばかりなのです。私は、何のためにスタジアムまで行ったんだろうか……。
 そう言えば、20代の頃、他にもわけのわからないことをやってました。東京で独り暮らしをしていたのにもかかわらず、休みの時など都心のホテルに部屋をとって、ぼんやり時を過ごしていたのです(独りで、ですよ。女の子といっしょにいたわけではないのですよ)。で、したのは、映画のロードショーを観たことくらい。私は、いったい何をやっとったんだろうか。
 今、改めて考えてみると、きっと「自分の世界」に浸かりこんでたんでしょうなあ。恥ずかしいなあ。嫌な若者だったんだろうなあ。

 あれあれ、「本岡類の今」とは違う話ばかりを書いてしまった。
 じつは、17日にひいた風邪が完全には抜けず、鼻をやられ、頭もボーッとしている状態が続いているのです。仕事は進まず、私生活も冴えず、あれあれ、愚痴ばかり出てくるぞ。早く体調を整えましょう。


5/9/2002

 ああ、やっとゴールデン・ウィークが終わってくれた、という気分です。フリーの身には連休もくそもありませんが、どうも気分がゴールデン・ウィークしてしまう。仕事をしようにも、会社が休みのカミさんが家の中をうろうろしているものですから、集中しない。かといって、大混雑している行楽地など、お金をもらったって行く気がしません。なにしろフリーなんだから、遊びに行くのは、がらがらに空いている平日と決めてありますからね。
 結果、猫の頭を撫でたりしているうちに時が過ぎてしまいましたが、そんな怠惰な日々の中では、恒例となっている友人のS さん宅で行われたガーデン・パーティーが、いつもどおり面白いものとなりました。S さんは外国からの留学生の世話をしている方で、その日もロシア、フランス、アメリカ、韓国、中国、オーストラリアと、オーストラリアを除けば、ワールドカップの参加国ばかりとなる国(エストニア、ウズベキスタン、イスラエルと、日本人にはあまり馴染みのない国の若者が来る時もあります)の留学生が集まり、お喋りを楽しむ(日本語で)ことができました。
 そして、そうした時、いちばん気になるのが、日本の学生さんとの違い。二十代前半なのに、みんな日本語はぺらぺらだし、ものおじはしないし、自分がやりたいこともはっきり決まっています。彼らと話していると、日本の将来は大丈夫だろうかと、真剣に案じてしまいます。

 ところで、私、去年から千葉県の流山市で毎月第3金曜日の夜に開かれている「小さな講演会」というのに参加しています。この会は、最初の30分間に報告者が体験談や自分の興味のある分野について話をし、続く2時間、参加者があーでもないこーでもないと議論をするという形をとっています。海外ボランティアをしている人が途上国に絵本を贈る活動について報告したり、宗教研究者が人を殺すことの是非を論じたり、ともあれ、いろんな分野の人が話をするから、これがけっこう面白いんですな(まあ、面白くない時も当然ありますけど・・・)。
 そして、5月の会には、なんと私が報告者となって話をするのです。小説についての話をするかって? いえいえ、違います。なぜか「こんな時代だから、家庭内ワークシェアリング」という、小説とはまったく関係のないテーマで話をするのですよ。はたして、どんなものになるのやら。
 千葉県西北部にお住まいで、5月17日金曜の夜、暇で暇で死にそうな人、ぜひどうぞとは申しませんが、よかったら聞きにきませんか。時間や場所について、いちおう書いておきます。
 日時は5月17日金曜日の夜7時から9時半まで。会費1000円で、お茶付き。場所は千葉県流山市西初石4−112−21の喫茶店「江帆(こうはん)」の二階です。店内からではなく、外階段を二階に上がっていくようになっています(案内板が出ています)。最寄り駅は東武野田線初石駅で、駅から徒歩5分。初石公民館の真ん前ですから、公民館を目印にすると、わかりやすいです。いちおう、喫茶店の電話番号も記しておきます。04(7154)6678。ただし、老夫婦がやっているその店は、夕方6時くらいには閉店してしまうので、場所を確かめるのでしたら、お早い時間に。
 ああ、それから、わざわざ足を運びたいという奇特な方は、くれぐれも私の話に過度の期待を抱かないように。ではでは。


4/21/2002

 お知らせが二つほどあります。
 一つはテレビ放映のお話。ずーっと以前に書いた「千鳥の知恵」が、テレビ朝日の土曜ワイドで「復習法廷の女」というタイトルで放映されます。4月27日(土)の夜9時からであります。「千鳥の知恵」はもうなくなっている「小説フェミナ」という小説誌に発表された短編ですが、テレビの制作会社の人は、そういった目立たない小さな作品も見つけ出してくるんですね。
 ところで、テレビ化というと、原作と大きく内容が違ってくるのが普通です。それを嫌う作家の方もいますが、私は逆に(どんなふうに変えられてるんだろう)と、興味津々の思いで番組を観たりするようになっています。なにしろ、小説は数万人、すごく多く見積もっても数十万人の読者を対象に書かれているのに対し、テレビは1,000 万を超える視聴者を目指して作られているのですから、違ってくるのも当然です。いや、正直に言うと、主人公が男から女へ変わっていたり、犯人がなぜか探偵になっていたりすることに、最初の頃は、かなりビックリしたものですが・・・。

 二つ目も、当初とは違っているというお話。「小説宝石5月号に「花粉症美人の季節に」という短編が載っていますが、この作品の一番最後の部分の15行は、最初の原稿ではなかったものなのです。私が渡した原稿を読んだ編集者のAさんが、
「こんなふうな書き加えをしたら、どうでしょう」
 と、提案してきたのです。私も、なるほどそっちのほうがいい、と判断して、15行を書き加えました。おかげで、85点くらいの作品が95点になったような気がします。編集者の存在が、どんなにか必要かということをはっきりと示したものと言えるでしょう。興味のある方は、「小説宝石」をご覧になってください。




4/12/2002

 月が変わって10日くらいまでは、作家にとって、のんびりできる時期なのであります。小説雑誌の締め切りが、だいたい月末で、それが終わって、気持ちの余裕ができるからなのです。したがって、この時期に、人と会っておしゃべりしたりすることが多いんですね。

 で、今月の9日には落語家の三遊亭とん楽さんと一杯飲みました。とん楽さんとは、同じ我孫子市に住み、同じく将棋が趣味だということで、最近、知り合ったのです。

 とん楽さんは円楽一門の噺家さんですが、寄席出演の他に、我孫子市や野田市の料理屋や酒蔵などを借りて、「わいわい亭」という若手落語家の会をやっています。なんでも、寄席までわざわざやってくる落語ファンの数は減っていて、若手には、出演の機会もあまり回ってこない。そこで、勉強のためとファン拡大とを狙って、身近な落語会を自ら主宰しようと決意したんだそうです。それを聞いて、ああ、どこも同じだな、と、私は思ったんです。

 同じというのは、たとえば作家の世界も、そうでしょう。少し前までは、作家は書く専門で、宣伝は出版社がしてくれるし、ハードカバーならば、新聞の書評欄でも取り上げてくれた。ところが、これだけ作家が増え、新刊書も洪水のように出ると、そうもいっていられなくなった。それゆえ、多くの作家が自らホームページを設け、自らの著書をアピールしようとしているのです(むろん、私もそうです)。

 私の友人に、従業員80名ほどの自動車部品の会社を経営している男がいます。かつては親会社からの仕事を受けていただけなのに、今では、あらゆるところから注文を取り、さらには環境関連の仕事にも進出し、インターネットで業務内容を宣伝しています。どこの世界でも、規制の枠組みだけを利用していれば、なんとかなるといった時代は終わっているのですね。とん楽さんとの話で、あらためて、そのことを感じました。

 ああ、そうでした。「わいわい亭」の宣伝を、ちょっとしておきましょう。
ホームページはこちらです。
若手落語家の熱演を聞いてみたいという方は、ぜひお出かけになってください。



3/24/2002

 昨日(23日)、高校の同窓会に出席しました。担任だったS先生が定年退職することになり、かつての級友たちが集まるということになったのです。

 じつを言うと、この会に出席するかどうか、少し迷ったのです。というのも、高校時代の私はクラスでちょっとばかり浮いた存在だったのですね。とはいっても、いじめなどにあったわけではなりません。なにしろ、あの頃の私は、今思ってもわがままな少年で(よく言えば、自己主張の強い少年で)、それゆえ、クラスの中では異端視されていたようなところがあったのです。ま、早い話が自業自得だったというわけですね。しかし、今、みんなに会えなければ、一生、会えないかと思い、出席を決めました。

 そして、会に出て、級友たちと話をしているうち、意外な事実が浮かび上がってきました。
「村岡(私の本名)は卒業式に出なかったよな」
「時々、教室のベランダに出て、ワーッと叫んで、そのあと、ああ、すっきりしたと言ってたぞ」
 そんなことを言われたんです。尋常ならざるエピソードですが、なぜか、それらは私の記憶からはすっぽりと抜け落ちてるんです。かなり鬱屈した青春時代を送ったということなんでしょうか。
 しかし、会自体は楽しかった。先生やかつての級友たちとの話がはずんで、 5時間以上も喋りまくってしまったのです。

 鬱屈した日々であっても、30歳、40歳を過ぎてからの人生の重苦しさに比べれば、青春はやはり生き生きした一時期なのだ --- そんなことを感じさせられた一日でありました。



3/3/2002

新刊の「絶対零度」(講談社)が発売になっております。
左の画像をクリックすると冒頭の部分がお読みいただけます。

ファイル形式はpdfです。
少し重いので、表示されるまでしばらくお待ちください。

作家にとって、いちばん不安な心理状態になるのは、新刊書を送り出して一ヶ月ほどの間です。はたして今度の作品はできがいいのか、読者に受け入れてもらえるだろうか、などなどを考えると、なんとも気持ちが落ち着きません。自分では傑作を書いたつもりでも、それがとんでもない錯覚で、ひとりよがりの作品になっている場合もあるからです。

書き手は最終校了になるまで5度6度と作品を読んでいるため、新鮮感が薄れ、この小説が面白いのかどうなのか、判断がつかなくなっていることもあります。仕事のパートナーである編集者も同様に幾度も通読しているため、作品に対する新鮮感がなくなっていて、

「面白いとは思うんだけど・・・」

などと不安げに顔を見合わせることもあるのです。

作者と担当編集者を除けば、家族や友人が新刊書をすぐに読んでくれる人々となりますが、近しい人間だけに、評価はどうしても甘いものになります。

そして、書評やインターネットによる読者の評価がでるまでには、一ヶ月ほどの時間がかかります。その間が不安なんですね。ですから、新刊書をお読みになったら、「掲示板」にその感想でも書いていただけたら、作者としては大変ありがたいのです。もちろん「好評」であれば、不安感もいっぺんに吹き飛ぶのですが・・・。






2/3/2002


まずお知らせしなければならないのは、2月20日頃に講談社から刊行になる新刊書のタイトルがようやく決まったことです。題名は「絶対零度」です。

 最初、私が提案したのは「光を!」でした。内容にいちばん合っていて、厚い雲に覆われた今の時代を象徴しているような題名だと気に入っていたのですが、編集サイドから「宗教書と間違われる」との意見が出て、あえなくボツ。次には「沸騰点」という名前が浮かんだのですが、真保裕一さんが今「発火点」なる小説をどこかの雑誌で連載中で、それとごっちゃになりそうだからということで、これまたボツ。結局 「絶対零度」に決まったわけであります。

 タイトルを決めるという作業はけっこう面倒くさくて、著者が良いと思っていても、別な角度からの意見が出て、変更になることが数多くあります。たとえば、私の作品では「神の柩」は、書いている時のタイトルは「時の人質」でした。また「不要の 『刻印』」は「不要の人」。このタイトルをめぐる話は、いつか月間エッセイに書いてみたいと思っています。

 で、「絶対零度」であります。主人公の山岡秀介は小学生の長男に自殺され、その死の責任の一端が自分にあることから、精神のバランスを失い、今は生きる意思を失いかけている弁護士です。山岡のもとに、覚醒剤による錯乱から隣人を惨殺した大学生の弁護依頼が舞いこみます。その殺人事件を調べていくと、事件の裏には無差別殺人の“罠”が仕掛けられていて−−といった内容です。推理小説の面から語るならば、バーチャル・リアリティというハイテクと、覚醒剤というローテクが巧みに組み合わされた新犯罪がテーマになっているし、一般小説として語れば、新たなる出発がなかなかできない現代日本人の姿を描いているといったことにもなります。

 450 ページにもなる長い作品ですが、面白いですよ。図書館に入るのを待とう、ブックオフで探そうなどと思わず、ぜひ書店にてお買い求めになるよう、伏して(そこまで卑屈になることはないか)お願い申し上げます。

 「絶対零度」については、最初の何ページかをホームページ上で公開したいとも考えております。2月20日前後に「本岡類の今」をクリックしてください。末尾に、新作の一部公開がされているはずです。

 新刊の紹介で多くを費やしてしまいました。今月、私は何をしているかというと、いつもそうなんですが、長編が仕上がった直後というのは、いまいち気合が入らないんですな。取材と称して出歩いたりして、キーボードの前に座っている時間が著しく少ない。おまけに某社の編集者と小さくトラブっちゃたりしましてね。まあ、編集者との意見が合わず、気まずい関係になるのは珍しくもないから、どおってことないんですが、要はなかなか仕事が進んでいかないというわけです。

 長編は一段落ついても、短編は何本か書かなきゃならないし、そうそう、今、別のペンネームで大人が読めるファンタジーを書こうと考えているのです。著者・本岡類では推理小説に間違われるでしょうから、別な名前の○○○○を名乗って書こうというわけです。

 構想は、もうまとまっています。ですから、こういったふうにミステリーにいまいち気持が入っていない時期に一気に書いてしまおうかとも思っています。もし○○○○の名前で出版できるようでしたら、その時には秘密のペンネームを公開いたしますが……。




1/10/2002


年が明けて、1月。正月早々、風邪をひいてしまいましたが、それもようやく良くなり、仕事を開始いたしました。

 今月のメインは、来月20日頃に講談社から発売になるハードカバーの最終作業。この時期になると、原稿はゲラの直しも含めて99パーセント完成しているのですが、タイトルがいまだ未定。来月のこのコーナーでは、内容も含めて詳しく紹介いたしますので、今回はどうぞご勘弁を。小学生の息子に自殺され、生きる気力を失った弁護士が、とんでもない事件にでっくわす --- とだけ述べておきます。800 枚を超える長編ミステリーです。

 それから、今月は小説雑誌の新規企画の打ち合わせやら、短編集を出す件などで、私にしてはけっこう忙しい。とくに短編集のほうは、トップバッターの一本をイチロー並みにインパクトのあるものにするため、新たに書き下ろすつもりなのですが、それだけ強力なアイデアがなかなか出てこない。気負うと、あまり良い結果が出てこないのは、わかってるんですけどね……。

 ああ、そして、今、読める小説雑誌(2月号)に掲載されているのは、「都合のいい夫」(小説宝石)という短編。毒のあるブラック・ユーモア小説です。









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