月刊エッセイ 8/19/2005
突然の政治の季節に思ってしまう
郵政法案が参議院で否決となり、突然の解散・総選挙となってしまいました。真夏日が続く中、テレビも新聞も「刺客は舞い降りた」とか「反対派公認せず」とか、騒がしいばかりです。そんな騒ぎを耳にしていると、12年前の夏を思い出します。
あの年も、暑くて喧騒に満ちていた。
1993年の夏の総選挙は、いつにない盛り上がりを見せていました。小沢一郎氏を始めとする自民党造反議員が宮沢内閣不信任案に賛成し、国会は解散となったのですが、小沢グループのほかに、日本新党、新党さきがけなどいくつもの新党が誕生し、自民党と社会党が政治を独占する、いわゆる55年体制の終焉が叫ばれていたのです。
〈こんな時に、ただ見ているだけでいいのか……〉
当時はまだ40代の初めだった私は、珍しく少し“燃えて”しまったのです。
作家や評論家というのは、傍観者の立場をとることが多い人種です。でも、完全な傍観者ではなく、少しは現場に足を踏み入れて、自分自身でも体験をしてみる必要があるのではないかと−−。
ちょうど、その頃、住んでいた船橋市に細川さん率いる日本新党からの新人が立候補していました。戦後ずっと続いてきた体制を変えるには、新党を応援するしかないと、ボランティアすることを決意したんですね。
毎日は無理だから、たしか2日に1回くらいの割合で選挙事務所に行きました。身分を隠し(隠すほどの身分ではなかったのですが)選挙ビラを折ったり、駅前でそれを配ったり、練り歩きとかいって候補者を先頭に商店街をノボリを持って歩いたりもした。
当時は、新党に対する有権者の目も温かくて、ビラを配っていると、
「頑張ってよ、私も応援してるから」
と声をかけられることも少なくなく、まるで自分が候補者になったみたいに、
「ありがとございます。頑張ります」
と、深々と頭を下げてしまいます。
選挙事務所というのは、投票日が近づくにつれ、熱くなっていって、応援する候補者以外は、すべて仇敵、とんでもない悪者のような感じになってくるんですね。オバさんもオジさんも、少数ではありますが若い人もアドレナリンいっぱいの状態で働いている。そんな中で、1人だけちょっと浮いてた人間がおりました。私であります。もともとが集団の中で熱くなれない人間ですので、候補者の演説を聞いては、
〈元気な人だけど、あんまり頭は良くないみたいだなあ。でも、政治家ってのは、情熱がいちばんなのかもしれないから、あれでいいのか……〉
批判がましいことを考えたり、必死になって電話攻勢をかけるオバさんを前にして、
〈あんまり熱くなると、むこうが引くんじゃないかなあ……〉
そう心配したりして、要は熱気の中に乗っていけない自分自身をあらためて発見してのですね。
投票日の前日が、じつはN賞の選考会の開かれる日でした。その年は私には珍しく作品がN賞の候補となっていました。応援する候補者が当選し、私も受賞すれば、万事めでたしだな、と思っていましたが、そうは都合よくいきません。
N賞は、みごとに落選。事前の下馬評もあまり高くありませんでしたから、ま、こんなもんだろうと、ショックはさほどありませんでした。
一方で、総選挙では新人の候補者がめでたく当選。選挙事務所は歓喜の声に包まれました。
あまり騒がしいところは好きではありませんから、そうそうに事務所をあとにしましたが、私自身は×、あくまでも他人である候補者が○といった結果の前に、祭の後の淋しさというか、そして私のとった行動はどこまで意味のあるものだったという疑問も混じったりして、ただただ疲れて家路についたのを今でもよく憶えています。
中学生の頃、将来は何になりたいかという質問票があって、「政治家」と書いた憶えがあります。また、大学の専攻は政治学科で、もともとが政治にかなり興味があったと想われます。
しかし、この歳まで生きてきて、いろんな経験をして、自分にとってもっとも向いていない職業の一つが政治家だということがわかってきました。
民主制の国では、政治家になるためには選挙の洗礼を受けなければなりません。でも、選挙と政治は別物。選挙の時は「おまえを支持してやる」という人は、好きだ嫌いだと言ってはいられず、誰でも彼でも受け入れなければならず、ワンワン吠えたてる犬にも、
「元気なワンちゃんから、ご声援をいただきました。ありがとうございます」
とお世辞を言わなければなりません。
ああ、そうだ、選挙運動中、必ず道を譲ってくれるのが選挙カーです。交通量の多い道路で横断歩道に立って、車の流れが切れるのを待っている時、向こうから選挙カーが来れば、しめたものです。止まって、こちらを横断させてくれるんですねえ。運転してる人、選挙カーに乗っていない時には、歩行者なんか知らないよ、といったポリシーで車を走らせているのでしょうが、なんという変わりよう。
とてもとても、私にはできることではありません。
私の生まれ育った千葉県北東部は、金権選挙では知られた地域でした。昔は選挙になると、日頃とはうって変わり精気いっぱいに満ちて、陽が落ちるや、夜這いならぬ、現金の夜配りに命を燃やすオジさんがいました。お酒目当てに、あっちこちの選挙事務所をハシゴして、昼間からいい気分になってる人もいたな。地方選挙の投票前日になると、村の辻々に人が立って、反対陣営から「金をブチにくる」者がいないか見張ったものです。
さすがに今は、あまり露骨な金権選挙はやらなくなっているようですが、時々、運動員が選挙違反で捕まって、新聞に載ることもあります。数年前、地方選挙の摘発を報ずる新聞にA君の名前を見つけた時には、ちょっと驚きました。小学校時代の友人で、たしか4年生の時だったかに、彼の家に泊まりにいったこともあったはずです。
〈大きな農家で、そうだ、あの時は虫取りをやったり、美味しいスイカをご馳走になったなあ。あのやんちゃなA君が立派に成長して、お金を配るまでになったのか……〉
懐かしい思い出が胸に甦ったのですが、しかし、選挙違反の記事を読んで、ふるさとを懐かしむなんて、こういうの悲喜劇というのかもしれませんね。お酒おいしあの事務所、票を釣りしかの家
― なあんて、歌が出てきたりして。
政治や選挙には汚い話がつきものですので、日本では必要以上に政治家を蔑む風潮があるような気がします。「選挙に出る」と言うと(私のことではありませんよ)、家族やら友人から「バカなことはよせ」と止められる人が多いでしょう。私の友人にも「選挙に出たら離婚よ」と、奥さんからきつく言われている人物がおります。
実際、政治の道を目指して、後日、苦難の日々を送っている人も少なくありません。
大学時代の専攻が政治学で、社会科学系のサークルにも属していたため、友人・知人に政治への道を志した人も何人かおります。国会議員の秘書になったり、政党本部に職を得たり、はたまた衆院選に立候補して落選したりもしています。
議員秘書になれば、議員の落選とともに失業の憂き目にあいます。政党本部の職員といっても、肝心の政党が集合離散で消滅すれば、勤め先がなくなる。選挙で当選すれば「先生」になれますが、落ちればただの人。
一方で、堅実に大手サラリーマンの道を選んだ人間は、ほとんどが経済的には恵まれた生活を送っている。その差が、あまりにも大きいんですね。
でもねえ、それっておかしいんじゃないかなあ。政治の世界は汚い部分があるとはいっても、政治がなければ世の中は円滑に動いていかないんです。だから、リスクを冒して政治を志す人間が、もう少し報われたっていい。大企業に入った人間の10人中9人までが経済的に安楽で、政治を目指した人間の10人中9人が金銭的に苦労してるなんて、どこかおかしい。リスクを冒さず、安全に安全に人生を選択した人間しか幸福になれないなんて国、将来は確実に衰退するような気がするんだけど。
ちょっと前、国会議員の年金が優遇されていることが問題になりました。でも、国会議員は落選すれば失業者なんです。良心的な議員ほど蓄財なんかに励んでいない。年金くらい優遇してやらなければ、良い人材は集まりません。増える費用なんて、良い政治をしてもらえれば、その何倍にも、いや何百倍にもなって戻ってきます。
年金だって歳費だって、今の倍くらいにしたほうがいい。その代り、悪事が露見したら厳しく裁いて、刑務所送りにしてやればいい。企業だってそうですが、魅力的な待遇を与えなければ、優れた人材は集まらんのです。それを、それをケチればケチるほど民主的だみたいな風潮があって、ほんとにもう、ブツブツブツ……。
さて、今回の衆議院選挙。いちばん笑えたのは、郵政法案に反対票を投じて、解散の引き金を引いてしまった自民党の先生方。解散になる、公認も得られない、挙げ句は刺客まで送り込まれて、小泉首相を恨む、恨む。
今になって「安政の大獄以来の弾圧だ」「信長が比叡山を焼き討ちしたのと同じだ」などと泣き言を並べていますが、こうした事態は予測できなかったのでしょうか。小泉首相の性格や言動から、こうなることは充分予測できたはずです。なのに、ここに至って大慌てとは、危機管理がまるでできていない。
そう、危機管理です。テロは起こらないか、戦争にはならないのか、災害対策は充分におこなわれているか、国家財政は破綻しないか。危機管理能力というのは、政治家に問われる優先順位1番の能力のはずです。
「まさか、解散されるとは思わなかったよう」
「公認しないなんて、ひどいじゃないか。人でなし!」
などと言って、泣いている人々は、それだけで政治家としての資質に欠けるのではないでしょうか。
しかし、まあ、この暑さの中で選挙運動とは、大変ですね。そういえば、自民党が野党に転落した12年前のあの総選挙も夏だった。汗だくになったことを憶えてますよ。
今回の総選挙は炎天下に出ることもなく、部屋の中にいるつもりです。でも、熱中症にかかりそうな暑さの中、選挙運動をしている人々に敬意を表して、どの人に、どの党に投票するかは、頭から汗が出るほど真面目に考え、投票に行くつもりであります。




