月刊エッセイ       6/19/2005


今が理解できない時代の恐さ

 掲示板の欄でお知らせしてあるように、とうとう掲示板の閉鎖に追い込まれてしまいました。
 アダルト系、怪しげな商売、ネット・ギャンブルの書き込みが始まったのは、去年の後半くらいからでした。それが今年に入って急増、とくに春先からは連日、数件の迷惑書き込みがあって、数日ホームページを見ないと、掲示板の上は「ソドムとゴモラ」という有り様になっています。

 こちらとしては、あくまで作家のホームページだと考えていますので、せっせと消すのですが、毎日、毎日の作業で、しかも永遠に続くかもしれないと思うと、気が滅入ってしまいます。おそらく敵には「自動送りつけソフト」とかいうのがあって、掲示板を持つホームページに無作為に送りつけてくるのでしょう。敵が自動なのに、こっちは手動。まるでB29から落される焼夷弾をバケツ・リレーで消すみたいなもので(ちょっと、たとえが古いか)、どっちがギブ・アップするかは明らかでした。
 これから掲示板に書き込み(真面目な)をしようと思っていた方には、まことにご迷惑をおかけします。また、今までに書き込みをされたかたには、いろいろ私としても励まされることが多く、ほんとうにありがとうございました。

 掲示板を閉鎖する前に何か手だけはないか考えてみたのですが、良い方策は見当たりませんでした。
「あなたの行為は他人の迷惑になる。やめなさい」
 と呼びかけたって、最初から迷惑をかけることを前提にしてやっている連中には効果がないでしょう。泥棒が侵入しそうな窓に「泥棒は犯罪です」と書いた紙を貼っておいたって、むこうは何とも思わないでしょうからね。
 これが特定の個人が大量の迷惑書き込みを続け、ホームページをマヒ状態に追い込んだのなら、何らかの法的処置もとれるかもしれません。しかし、敵は複数でこちらのホームページがオーバーフローになったわけでもないので、違法行為だとは言いにくい。
 だいたい、掲示板は「お好きなことをお書きになってください」というタテマエになっていますので、せいぜいが管理責任の名目で削除することくらいしかできないのです。

 自分のホームページの一部が閉鎖に追い込まれて、ひどく腹を立てているかといえば、それほどでもありません。いつかは、こうしたことが起こるのではないかと、内心では覚悟していました。
 携帯電話やパソコン上での迷惑メールは、マスコミでもよく取り上げられています。企業のパソコンには毎日大量の迷惑メールを送りつけられて、それを削除するのが朝の仕事だといいます。誤って、顧客からの注文メールを削除してしまい、大損害を出したケースもあると、先日観たテレビの報道番組では言っていました。
 匿名性が確保される自由な世界というのは、一方では「やったものが勝ち」という脱法の世界です。インターネットが一般化してから、まださほどの年月がたっていません。はっきりとした国際的な法整備やルール作りが進むまでは、腹のたつことに我慢をしなければならない日々も多くあるかもしれません。

 でも、まだ掲示板の閉鎖程度だからいい。先日「価格.com」を運営する上場企業がサイバー攻撃を受け、業務の一時停止に追い込まれた事件がありました。
「全国の支店のすべてが放火されたようなものです」
 と、たしか経営者の方が言っていたはずですが、これは恐ろしい。ネット上ではなく、現実世界の支店だったら、すべてが放火の被害にあって炎上するなんて、あり得ないでしょう。今年、ドンキホーテが連続して放火被害に遭いましたが、それでも焼かれたのはわずかな店舗でした。でも、ネット上ならすべてが完全に叩き潰される可能性だってあるのです。
 販売に金融に、娯楽や情報提供にと、IT関連の企業は高収益を上げ、我が世の春を謳歌しています。そうした企業では、サイバー攻撃の被害を受けないようにと、幾重ものファイヤー・ウォールを張りめぐらせています。でも、世の中に完璧というものはありません。もし、今までの常識を覆すみたいなスーパー・ウィルスが出現したとするなら、IT企業は一瞬にして大打撃を受けるでしょう。お金が直接からむネット金融ビジネスなら、瞬間倒産の危機に陥ることだってあり得るのです。そう考えると、ITビジネスというのは、砂の上に立てられた大宮殿みたいに思えてきます。

 しかし、わからないのは、どんなふうにして私のホームページに迷惑書き込みをしているかの方法です。さっきは「自動送りつけソフト」というのがあって、と書きましたが、あくまでも想像であります。いちいち掲示板付きのホームページを調べる手間ひまをかけているわけがありませんので、無作為で送れるソフトが存在しているのでしょう。だけど、そういったソフトのメカニズムが理解できない。
 だいたい、私なんて、インターネットの仕組みも、よく理解できていません。
「インターネットでは、いくつものプロバイダーを経由して、情報データが行き来する」
 とは言われていますが、どうしていくつものプロバイダーを経由して間違えずに目的の場所へ情報が行き着けるのか、理解できない。だって、まったく見えないんだもん。伝書鳩だったら飛んでいくのがわかるんだけどね……と、私の理解力はこの程度で、ま、こんなような人が多数派なんではないでしょうか。

 理解できないといえば、もっと理解できないのは、われわれの生活に多大な影響を持っている世界経済です。
 最近、EU憲法が各国の国民投票で否決されたりして、ヨーロッパについての新聞記事が増えているため、買い置いてあったEU通貨統合の入門書を読んでみました。そうしたら、あまりのシステムの複雑さのために、どうも内容が実感できない。通貨統合で自国の通貨を廃止してユーロを使っている国あれば、まだ自国通貨に固執している国もある。金融や為替の政策は統一されているのに、財政政策は各国まちまちで、当然、経済以外の政策はその国の政府の意思に任されているのです。こんなんで、政治や経済の円滑な運営はできるんだろうか? 少なくとも、私の頭では理解できない。
 いいや、わからないといえば、アメリカ経済のほうが、もっとわからない。貿易赤字を垂れ流し続けている上、あちこちで戦争をやったおかげで、財政も赤字。産業だって、表看板の自動車産業があっぷあっぷの態です。なのになのに、アメリカ経済の好調ぶりが伝えられ、強大な軍事力を背景に世界の支配者として君臨しています。

 母方の伯母のご主人は、日系2世のアメリカ人でした。私が小学校の低学年の頃、その伯母夫妻が時々、東京から千葉の田舎町に住んでいた私の家族を訪ねてきたのです。
 その時に乗ってくるのは、大きなアメリカ車で、何台か替わりましたが、私が憶えているのはポンティアックという米国車でした。当時の田舎町では、お医者さんとか土地の有力者がダットサンに乗っているくらいで、ポンティアックが我が家の前に駐まっていると、カナブンしかいない世界に現れたカブト虫といった具合で、立派なことこの上もなく、私は自分ところの車でもないのに、ひどく誇らしい気分になったものです。
 いや、それよりも何よりも嬉しかったのは、私のお土産には必ずハーシーのチョコレートが20枚も入った箱を持ってきたことです。なにせ、10円玉2枚握りしめて、お菓子屋に走り、
「オバちゃーん、明治の板チョコちょうだい」
 と、薄っぺらなチョコレートをたまに買うのが楽しみだった時代です。そんな子供に、アメリカ製のチョコレートがそう簡単には食べきれないほど降ってきたのですよ。
 伯母さんは、かなりの美人でした。対照的に日系アメリカ人のご主人はジャガイモみたいな顔をした人でした。ですから、
〈男は、やはりお金持ちじゃなきゃならないんだなあ……〉
 そう、子供心に思ったものです。

 思えば、1950年代、60年代はわかりやすかった。アメリカは経済、科学、軍事のどの面でも、最強国だったから、社会主義の国を除く世界を意のままに動かしたって、当然だという気がしていました。
 でも、今は一皮剥いてみると経済はヨレヨレなのに、生活は豊かで、世界を圧倒している。経済の専門家は言います。
「アメリカには世界中からすごい額の投資資金が流れこんでいる。だから、貿易赤字だろうが、財政赤字だろうが、豊かな社会を保っていられるんです」
 でも、それって他人のお金で生活しているみたいなものなんだよな。そんなのが、いつまで続くんだろうか。ま、国家予算の半分近くを借金でまかなっている日本も同じようなものだな。いつまでも続くものじゃない。どこかで、大破綻がくるんだろうな。

 わからないといえば、現代医療だって、よくわかりません。「夏の魔法」の次の作として、何本かを同時進行していて、病院を舞台にした小説もそのうちの1本となっています。でも、医学の世界が複雑極まりなくて、今、過熱した頭を冷やすため、小説作りをストップさせています。
 少し前、NHKで有吉佐和子さん原作「華岡清州の妻」のドラマを放映していました。あの頃の医学って、単純でしたよねえ。乳ガンの手術をするんだって、麻酔をかけて、切除するだけ。転移の心配なんて、まったくしてもいなかった。有吉さん、少なくとも医学面での取材は、そう大きな苦労をしなかったんだろうな。
 今の医療現場は複雑極まりない状態です。医学物のノンフィクションを書くわけではありませんので、100 パーセントの厳密さは小説には求められないのですが、あまり間違ったことも書けません。それゆえ、小説作りより、取材のほうにエネルギーを取られて、今は早くも休息に入ってしまったというわけです。

 ともあれ、今、何が起こっているのか理解できないままに生きていくほど恐いことはない。立っている足のすぐ下で密かに地殻変動が進行中で、いつポコンと穴があくかわからないといった恐怖感であります。
〈世の中、5年後、いや、3年後、どんな世界が待っているか、わかりゃしない……〉
 そんな思いを深くしたのは、1990年代に起こったユーゴスラビア紛争でした。

 私の妻は通訳や翻訳の仕事をしています。1990年に次の次のオリンピック開催地をどこにするのかを決める会議が東京で開かれたのですが、その時、愚妻はユーゴスラビアの首都ベオグラードの誘致をサポートする仕事に就いていたのです。
 当時、ユーゴスラビアは平和な国でした。夏季のオリンピックを誘致するくらいに国がまとまっていたし、いや、それ以前には同じ国内のサラエボで冬季の五輪まで開催されていたのです。
 結局、次々回のオリンピックの開催はアトランタと決まり、ベオグラードは破れ去ったのですが、その時は危険の臭いすら私には嗅ぎとることはできませんでした。ベオグラードの市長がウンコビッチさん(!)とかいうんだそうで、思わず笑ってしまったり、記念品のガラス製ペーパーウエイトをもらってきたりと、表面的にはまったく平和裡のうちに会議は終了しました。

 ところが、オリンピック誘致をしようという翌年には、ユーゴ国内で民族紛争が始まった。たくさんの人が殺され、“民族浄化”などという言葉も飛び交い、ベオグラードの空爆まで行われ、ユーゴスラビアはクロアチア、ボスニア、セルビア・モンテネグロなど、いくつもの国に分裂してしまいました。
 ユーゴスラビアがあった場所はかつて「バルカンの火薬庫」と呼ばれ、多民族が複雑に入り組んで暮らす地方でした。そんな多民族国家を社会主義政権がまとめ上げていたのですが、社会主義の衰退とともにタガが弛んで、とうとう殺し合いの大紛争になってしまったんですね。
「えっ、ウンコビッチさんだって? ほんとうかよ」
 と言って、お気楽に笑っていた時に、当地では殺戮への歩みが一歩、一歩と進行していたのです。

 私の書斎には、記念品のペーパーウエイトがまだ残っています。アスリートの姿が刻みこまれたガラス製の綺麗な文具です。それを見るたび、
〈1年後がとうなるか、わからないんだよなあ……〉
 と思ってしまいます。
 1年前の6月には、ホームページの掲示板に大量の迷惑書き込みがあり、閉鎖に追い込まれようとは、わずかでも考えたことはありませんでした。
 戦争や紛争に比べればとても小さなことですが、今が理解できない時代に生きる恐さを感じた瞬間でした。



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