月刊エッセイ Back number
[2002年2月]
■ 悶え苦しむ税金申告 ―― ドンブリ勘定の季節が終わって
フリーランサーにとって、2月は税金の確定申告のシーズンであります。
よく有名作家がこんなことを書いています。「苦労して申告書を書いた上、追加の税金まで取られるのだから、たまらない」と。
しかし、私クラスの作家となると、話は違ってきます。「さっさーと申告書を書いて提出すれば、源泉徴収でとられたお金がほとんど戻ってくる。嬉しいな」であります。いえ、でありました。
というのも、去年までは必要経費の計算が“ごく大ざっぱ”でよかったんですね。
税務当局は帳簿をつけるよう勧めていましたが、高額所得者でない限りは、経費率というものが認めていたのです。たとえば、初版の印税だったら、領収書がなくても50パーセントを必要経費として申告することができたのです。
なぜ、こんなドンブリ勘定が認められたかというと、作家の場合、生活のうちのどこまでが作品を書くための必要経費なのか、線引きが極めて難しかったからなのであります。たとえば、作家が浮気をしたとします(私ではありませんよ。念のため)。
女性との密会にはお金がかかります。食事代、ホテル代、取材旅行と称して彼女と旅行したかもしれません。そして、何年後かにその顛末を小説に書いたとします。はたして、女性との密会に使ったお金は必要経費として認められるでしょうか?
彼は小説の材料にしようと浮気をしたわけではありません。彼女の色香に迷って、ついフラフラーッと手を出してしまったに過ぎないのです(重ねて言いますが、私ではありませんよ。たぶん)。デート代の領収書だって、とってない。しかし、その一方で、浮気体験が小説を産む原動力になっていたことも確かなのです。
こんな具合に生活そのものが作品を産む力になっている作家の場合、必要経費か否かの区別をしろというのが無理なのです。したがって、経費率という一種のドンブリが認められていた。
ところが、なにをトチ狂ったのか、国税局は「作家も帳簿をつけて、必要経費の申告には領収書をつけること」と通達してきた。きっと国家の税収が減少する一方なので、赤貧の作家からも税金をふんだくろうと思ったのでしょうね。
このニュースが伝わるや、業界はパニックに陥りました。なにしろ、まともな計算ができなくて、一般社会に適応できず文筆業になった人に、きっちりした計算をしろというのですから。犬や猫に学校に行き義務教育を受けろ、と言うに等しい暴論なのです。
昨年の秋、文芸家協会では、国税局から担当者を呼んで、税申告の講習会を開きました。いつもは、文芸家協会の会合などろくに人も集まらないですが、その日ばかりは不安に表情を硬くした会員たちが大挙して押しかけ、大会議室に入りきれないほどの盛況となりました。
ある老作家は嘆きました。
「戦争から帰ってきて、幾多の苦労を乗り越え、ここまで来たが、こんな苦難に出会うとは思わなかった」
中年の女性文筆家は切々と訴えました。
「今かけた電話の代金は経費になるのだろうかと考えたり、もらったレシートは絶対に無くしてはいけないと始終、思っていると、夜も眠れません。私は、どうしたらいいのでしょうか」
税務当局は、なんと酷いことをするのでしょう。
作家が亡くなると、著作権は遺族に受け継がれます。前年までは相続された著作権が生み出した収入に対しても10パーセントの必要経費が認められたのですが、今回からは領収書のある実費のみということになりました。
質問者「父は作家でした。亡くなった父の墓参りに毎年、行っておりますが、花代、線香代は必要経費に入れてもいいのでしょうか」
当局の担当者「お気持ちはわかりますが、墓参りは故人の作品とはまったく関係がありませんので、認められません」
質問者「あんたねえ、文士を父親に持つと、子供がどんなに苦しい生活を強いられるかわかっているのか。そんな子供たちの労苦を考えれば、経費を認めてくれたっていいじゃないか」
もうムチャクチャでありました。
必要経費であるかどうかの線引きは難しくて、当事者の主観によって大きく変わります。かつて夜な夜な銀座のクラブに通っている流行作家がおりました。彼はクラブで使った金をすべて必要経費として落とそうとしたのですが、当局はごく一部しか認めようとしません。その流行作家は、「ぼくの作品にはホステスが登場するんだ。だから、クラブ通いはすべて取材のためなのだよ」
と言って、ねばります。しかし、税務署としても月に百万円を超す飲食費を経費として認めるわけにはいきません。さすがプロですね。さんざん、その作家に喋らせたあと、係官は言ったそうです。
「でも、先生だって、お楽しみになったんでしょ」
言われて、作家氏、反論ができなかったそうです。そりゃ、そうだよね。好きじゃなきゃ、楽しくなきゃ、毎晩のように銀座に行ったりしないよ。
ある漫画家が、こんなことを言ってました。
「僕等の商売は、女のことがわからなければ困る。だから、ソープランド代くらいは必要経費として認めるべきだ」
買春代を経費として認めろというのですから、勇気ある発言ですね。
その点で、松本清張さんは立派だった。執筆三昧の生活をしていた清張さん、ナイトクラブの情景を書きたいが、よくわからない。そこで、担当編集者に頼んで、銀座のクラブに連れていってもらった。超売れっ子の作家です。選りすぐりのホステスたちから大歓待を受けた。ところが、清張さん、ものの15分ほどで「うん、だいたいわかった」と言って、席を立ったんだとか。クラブで遊ぶ時間があれば、執筆に当てたいと思ったんでしょうね。
これを、先ほどのソープランドに当てはめれば――事前の各種サービスがすんで、さてこれから本番という時に「うん、だいたいわかった」と言って、その場をあとにする。立派ですね。こーいう作家に私はなりたい(わきゃないか)。
ともあれ、今年から、確定申告は大変な作業になっていることを、皆様、ご理解いただきたい。
私もとってあった領収書の山をチェックし、経費の計算をしております。文具代や本代などは問題なし。しかし、どう考えても無理なものも出てくる。たとえば、キャットフードを買った時のレシート。猫小説を書いているわけではないから、ダメだろうな。しかし、しかし、できるならば、経費で落としたい。
〈どうせ、税務署はこんな細かなところまで調べやしないよ……〉
悪魔が囁きかけます。弱小作家の申告者など、読みもしないよ、と。
そんな時、都はるみさんの歌が頭の中に響きます。
♪♪読んでもらえぬ申告書〜、寒さこらえて書いてますぅぅぅ
作家心のぉぉぉぉお 未練でしょう〜♪♪ できればぁぁぁ 落としたいぃぃい !
猫カン〜 代金〜〜〜♪♪
悩んだ末、そのレシートは破り捨てました。私は悪魔に勝ったのです。
もしバレたら大変なことになります。「作家、飼い猫をダシに脱税」と新聞に載ります。担当編集者のコメントも添えられるでしょう。「最近は出版不況も深刻化してますからね。もしかすると、本岡さん、そのキャットフード、ご自身で食べてたのかもしれません」
雪印食品のようになっても困ります。大事の前の小事。正直に申告することにしました。
ということで、ただいま苦難の日々が続いております。国税局様、元のドンブリ勘定OKの時代に戻してはいただけないでしょうか……。
追伸。
前回のエッセイについて、文芸評論家のAさんよりメールが入りました。深夜、編集者を緊急招集し、逃げた愛犬を探させた流行作家は、自宅から逃亡したアライグマの探索もやらせたそうです。
うーん、アライグマか……。アライグマって、ラスカルのイメージで愛らしい生き物と思われているようですが、じつは凶暴なんだそうですね。とくに夜ともなると、野生が蘇って、牙を剥き出しにする、鋭い爪で引っかくといったぐあいで、けっこう危険な動物なんだとか。
捕まえようとした編集者が逆に襲われて、血みどろになるなんて危険もあるよなあ。
いくらなんでも、かわいそうだよなあ。
でも、あの人たちは高い給料をもらってるんだよなあ。そういった危険手当も、給料の中に含まれてるんだろうなあ。だったら、ま、いっか。




