月刊エッセイ 2/18/2005
■ “被害者”いろいろ
数日前、友人のA君からメールが届きました。ちょっとびっくりするような内容が記されてたんですよ。なんと、路上強盗の被害者になったんだとか。
大学時代からの友人であるA君は、横浜市在住で、中クラスの会社を経営している人物です。そのA君、ゴルフの帰りにレストランで食事をしたあと、駐車してあった自分の車に乗り込もうとした時、背後からガツンと一発やられて、失神してしまった。同行の人間が駆けつけたため、犯人の2人組は奪いとったセカンドバッグを放り投げて逃走、A君も数分後に意識を取り戻し、幸い、後頭部の打撲と裂傷だけですんだそうです。
凶器はビアジョッキ。砕けたジョッキが現場に残されていて、治療にあたった医師によれば「殴られた個所がもう少し下だったら、下半身がマヒする大ケガになってたかもしれません」ということで、おお恐い。A君は、
「日本も治安の悪い外国なみになったんでしょうか」
と嘆いておりました。
去年の夏だったか秋だったか、テレビのニュースを観ていて、驚きました。出版社時代の上司だったBさんが出ていて、銀行を訴えると言っていたのです。
定年退職したBさんが老後の資金にと貯めていた3000万円なりが、いつの間にか、銀行の口座から消えていたんだとか。記録を調べてみると、すべてATMから引き出されていた。しかし、キャッシュカードは手元にあって、一時的にも盗まれた形跡はなし。ただし、引き出される直前にゴルフ場に行っていた。
と、ここまで書けば、新聞をきちんと読んでいる方々には、手口がおわかりになるでしょう。そう、スキミング被害です。
ゴルフ場の貴重品ロッカーに預けたカード入れから、犯人がキャッシュ・カードを抜き取り、データのみを他のカードに写し取り、さらにはロッカーの解錠番号などから暗証番号を推測して、ATMで現金を引き出すという手口です。つい先日、なんとゴルフ場の支配人までグルになっているという犯人一味が逮捕されたので、手口をご存じの方も多いでしょう。
そして、Bさんは、こちらの落ち度もないのに簡単にスキミングされてしまうカードを発行する銀行にも責任ありとして、裁判を起こしたのです。そりゃ、そうですよね。カードをIC化して簡単にはスキミングされないようにするとか、引き出し限度額を大幅に引き下げるとか、あるいは、預け入れ額の一定以上が引き出されようとした時は預金者に確認の連絡が行くようにするとか、防御策はいくらでもあるのに、有効な対策をほとんど取ってこなかったのですから、銀行のほうにも責任があるはずです。
幸い、数日前の新聞には、落ち度のない被害者については、銀行側が補償する方向に進んでいると、記されていました。きっと、Bさんの場合も、相当額が補償されるんでしょう。
凶悪犯罪、あるいは多額の金銭被害を生む犯罪の被害者というのは、自分や自分の周辺の人間にはに縁のないものだと、思い込んでいました。でも、最近、そうした話を、よく聞くんですね。
むろん、私も長く人間をやっていますので、犯罪の被害者になったことはあります。でも、それはみんなケチな犯罪とか、命には別状ない犯罪ばかりでした。
泥棒には、独身時代、2度入られました。
最初は、新宿区の戸山町に住んでいた時のこと。スキーから帰ってみると、アパートの部屋が荒らされているではありませんか。こりゃ、泥棒だと、すぐに警察に通報。が、何かが盗まれていたわけではありませんでした。金目のものは部屋にいっさい置いてなかったので、泥棒としても、そのまま引き上げるしかなかったのでしょう。
翌日、会社に行って、「俺んとこに泥棒が入ったんだぜ」と、つい、はしゃいでしまいました。すると、上司の声。
「おまえ、風邪で寝てたんじゃないのか。寝てたところに、なんで空き巣が入るんだ」
焦りました。じつは、仮病を使い、スキーに行っていたのですよ。
「この忙しい時に、また仮病か」
上司は厳しい口調で迫ってきます。なにせ、入社して3、4年しかたっていない下っ端社員の頃ですから、みっちりと絞られることになってしまいました。泥棒の被害より、こっちの被害のほうが大きかった。
2度目は、出版社を辞め、ミステリー作家として独立した直後のこと。荻窪のマンションに住んでいたのですが、警察署から突然の電話があった。
「逮捕した窃盗犯、おたくにも盗みに入って、現金を盗んだと自供してるんですよ」
刑事さんからそう告げられても、覚えがありません。当時は、現金はすべて身につけていたから、私の留守中、泥棒に入っても、盗む金などないはずです。また、侵入の形跡もありません。
そのことを言うと、刑事さんはのんびりした口調で、
「部屋の入口のそばの小窓から侵入して、机の上の小皿にあった200 円だか300 円だかを盗ったそうなんです」
そう言えば、ペン皿の上に置いておいた小銭が見当たりません。そうか、空き巣が盗ってたんだ。「わざわざ、お知らせくださいまして、ありがとうございます」と礼を述べて、電話を切ろうとしたのですが、刑事さんは、被害届を出してもらうため警察署まで来てくれ、と言うのです。わずかな小銭のために、なんで行かなければならないのかと、うんざりしましたが、ミステリー作家としては勉強になるかもしれないと思い、警察まで出向き、事務机が並んでいるだけの殺風景な部屋で被害届を出しました。
帰り道、ちょっと心配になってきました。まさか、新聞には載らないだろうな、と。
よく有名人宅に泥棒が入り、現金、貴金属あわせて1億円近くが盗まれた、なあんて新聞記事を見かけます。それが、私の場合は、300 円。いくら新人作家とはいえ、300 円しか盗られないのでは、恥ずかしいことです。でも、杞憂でした。新聞記者は忙しいのです。駆け出しの作家が300 円盗まれたなんて、ま、学級新聞じゃないんだから、載せるわけがありません。良かった……。
とういわけで、私の家には現金も貴金属も置いてありません。それは今も変わりありません。ですから、盗みに入ったとしても、労多くして実りなし、ハイリスクでノンリターンであることを、このサイトを通じて、全国の泥棒の方々にお知らせしておきます。
被害らしい被害に遭ったのは、インドネシアのバリ島での体験だけでしょうか。
夫婦で旅行した時のことです。バリ島の州都デンパサールで、小型バスをつかまえて、目的の場所まで行こうとしたんです。しかし、あとでわかったんですけど、その小型バス、乗客が全員スリという、かなりすごいものだったんですね。でも、けっして恐い目にあったわけじゃない。
まず私の前に座った乗客が手相を観てやるとか言って、手を斜め前に引っ張るのです。すると、ジーンズの尻ポケットに入れてある財布が、隣の乗客から極めてスリやすい状態になるんですね。その他、注意を逸らす役、大きなキャンバスでスリ取るところを隠す役と、役割分担がしっかりしていて、見事なチームプレーでした。
だから、スリに気づいたのは、バスを下りたあと。
「あ、財布がない!」
ま、こっちも旅行中は現金は少額を小分けにするくらいの用心深さは持ち合わせていますので、被害額は1万円くらいでした(それでも、現地の物価からすれば、大金だったはずです)。
そうそう、バリ島といえば、こんな“被害体験”もありました。手漕ぎのボートをチャーターして、沖の小島に行った帰りのことです。海の真ん中で、漕ぎ手のオジサンがオールを持った手を止め、おぼつかない英語で言うんです。「親方からわずかな漕ぎ賃しかもらっていない。腹が空いて、これ以上、漕ぐことができない。少しでいいから、チップをくれないか」と、ひどく悲しそうな顔で、訴えたんです。
私は泳げません。海の真ん中でストライキをされたら、打つ手がありません。そこで、シャツのポケットに入っていた5ドル札(だったと思う)を差し出したところ、オジサンの態度が一変。破顔一笑し、「サンキュー」を連発したあと、空腹で動けないはずなのに、猛烈な勢いでボートを漕ぎ始めたのです。そして、浜辺についたら、私の手を取るようにしてボートから下ろしてくれて、「スラマット・ジャラーン」と、満面の笑みで見送ってくれるじゃありませんか。
川の真ん中まで来たところで渡し賃の増額を要求する天竜川の渡し人足と同じで、これは一種の恐喝なんでしょう。でも、オジサンの笑顔を見ると、なにか慈善事業に寄付したみたいな気持になったのが、不思議でした。
バリ島では合計1万円と少しの被害にあったわけですが、そこは作家です。スリ事件は「ウブドの花嫁」という短編集の中に使わせてもらいましたし、ボート漕ぎのオジサンの話も、どこだったかから頼まれたエッセイに書いて、原稿料をしっかり稼ぎました。計算してみると、被害金額の10倍、いや20倍か30倍のお金が入ってくることになったわけですから、作家というのは、つくづくあこぎな商売だと思いました。
私の基本的な考え方は、「小さな被害にあってもかまわない。でも、大きな痛手を受けるような被害にだけはあわないように注意しよう」というものです。小さな被害を恐れていては、行動に伸びやかさがなくなってしまいます。
ケチな窃盗事件に遭遇した時も、「空き巣はまあ仕方ないけど、寝ている時に押し入られてはかなわない」と、夜間、在宅中の戸締りだけはきちんとしていました。まあ、70年代、80年代は、そう凶悪な泥棒もいなかったですし。
バリ島でも、事前に現地の人から「スリがうようよしてる」「私のお隣さんは泥棒を商売にしています」なんて聞いていましたが、一方で「物や金は盗んでも、刃物でブスリというケースは極めて少ない」という情報も得ていました。ですから、けっこう気楽に現地人しか乗っていない小型バスに乗ってしまったんですね。
でも、今の時代は、私の考え方も通用しなくなっているかもしれません。わずかな金を奪おうとして、相手を刺してしまう泥棒もいる。インドネシアにしたって治安がずいぶん悪化してるというし、バリ島では爆弾テロで多くの観光客が死亡しました。かなりの用心をしていなければ、考えもしていない大被害にあう可能性もあるでしょう。
身近なところで凶悪事件が起こるようになって、
「安全を売り物にしていた日本が、なんてことだ」
と嘆く人も少なくありません。しかし、今の時代、これだけ多くの凶悪事件が起こるのも無理ないのかな、と、私は思ったりしています。
中高年は一人で死に、若者は集団で死んで、年間3万人を超える自殺者が出ています。引きこもりの若者は珍しくもないし、いったんフリーターになったら、そこから抜け出すのは極めて難しい事態にもなっています。正社員、派遣社員、フリーターと、3段階の身分制度が事実上できていて、まるで江戸時代みたいです。発達障害と思われる子供が1クラスに5、6人いるという話も聞いたことがあります。最近の子供の脳に、何か重大な病変でもできているのでしょうか。
一方、物質的や性的な刺激は強まるばかりで、こんな中では、己をコントロールするのが難しくなった者が暴走したとしても、不思議なことではありません。
中長期的に凶悪事件を減らすには、その原因となっていると推測されるものを、ひとつひとつ丹念に丹念に改善していくしかありません。いっぺんに解決できるような便利な策なんてありません。また短期的には、アメリカのカリフォルニア州で実施されている「スリー・ストライク、バッターアウト」的な法律(3度、凶悪事件を起こしたものは、終身刑になる)の実施も必要になってくるでしょう。
しかし、今の日本でそれができるかといえば、正直、かなり悲観的です。ご存じのように、日本人は熱しやすく冷めやすい、感情優位の国民です。たとえば、子供を狙った犯罪が多発するようになると、地域の人たちが学校周辺をパトロールしたりします。実際、私の住んでいる地区でも、ボランティアが巡回しています。しかし、そんな一部の人の熱意がどのくらい続くでしょうか。ほんとうに必要なのは、冷静な総合的対策なのではないでしょうか。
熱しやすく冷めやすいではなく、冷静に総合的な考え方ができるか。凶悪犯罪を減らせるかは、日本人の国民性がある程度、変わるか否かにかかっているような気がします。
今月書くエッセイのネタに困っていた時だけに、A君からのメールをさっそく材料にしてしまいました。A君は、
「あ、俺のこと、ネタにしやがった。これじゃ、2度目の被害にあったみたいなものじゃないか。作家ってのは、まったくろくでもない」
と、怒るかもしれません。ま、許してくれ、A君、長いつきあいじゃないか――。




