月刊エッセイ Back number
[2002年1月]
■ わが業界の不思議な物語
初回の今回は、小説業界の不思議な話を書いてみたいと思います。
作品が活字になるにあたっては、いくつもの形があります。雑誌に連載したものを本にまとめるやり方や、出版社の依頼により新たな作品を書き下ろす、はたまた出来上がった原稿を出版社に持ち込むなどの方法です。その中でも、長編ミステリーの場合は、二番目の書き下ろしのやり方が多い。出版社からの依頼によって書き下ろすのだから、確実に本になったり雑誌に載ったりすると思われるでしょうが、ここでけっこう馬鹿馬鹿しい話が生まれるんですね。
編集者が原稿を持って消えてしまった。出版直前、社の方針が大変更になって刊行不能になってしまったなんてトラブルは、私自身いくつも経験していますが、その中でも仰天させられたのが「アルバイト編集者事件」であります。
数年前、中堅出版社であるA社のB君が私を訪ねてきて、長編小説の原稿を依頼してきました。それに私は応じ、打ち合わせを幾度もした末、原稿が完成しました。そして、原稿を渡した少し後、B君から電話があったのです。
「私、社を辞めることになり、引き継ぎはCに頼んであります」
なぜ社を辞めるかもはっきりしたことを言わず、驚いて、私はA社を訪ね、Cと面会しました。そこで、真相がはっきりしたんですね。
「じつはBは社員ではなく、アルバイトなんです。なのに、何人もの作家をまわって勝手な約束をしていて、それがばれてクビになったんです」
頭がくらくらしてきました。私が幾度も一所懸命打ち合わせをしたBは「弁当、温めますかァ」とか「ハンバーガー、お持ち帰りですね」とか訊いてくる諸君と同じアルバイト青年だったのか。Cは、さらに言ったのであります。
「先生の原稿、うちの社の方針とは合いませんので、出版できません」
さすがに怒りましたね。Aはおたくの会社の名前が入った名刺を出したんだぞ。そんないい加減な男を長期間、放し飼いにしておくな、と。
その場ではB社も自らの過失を認め、お詫びの金を払うということでいちおうの話はついたはずだったのですが、あーだのこーだのあって、結局はウヤムヤになってしまったのです。なぜ、ウヤムヤになったかというと、原稿依頼に関して、状況証拠はあったのですが、物的証拠がほとんど残っていなかったからです。
何年か前、長野県にある地方出版社から「長野に関する作品を書いてくれませんでしょうか」との依頼が、文芸家協会の会員のもとに寄せられました。長野に縁のない私は依頼に応じませんでしたが、原稿を書いた方々も少なからずいたようです。
しかし、原稿を本にするかどうかの採否は出版社側が一方的に行ったらしく、ボツ原稿が多数出たもようです。そして、ボツにされた作家のところには、原稿料代わりに信州名物の更科(さらしな)ソバが送られてきたというのです。
「相手をよく確かめずに原稿を書いてしまった私は、恥さらしなソバだ」 と嘆きの一文を会報に寄せられた方がおりました。こういうのを悲喜劇を呼ぶんでしょうね(ごめんなさい)。
しかし、勝手なのは出版社ばかりではありません。作家のほうも勝手さ加減では、負けておりません。「原稿を頼んで何年もたつのに、放りっぱなしになってる」「文庫もうちから出すと約束したのに、よそに回されてしまった」などという嘆きを編集者から聞くのは珍しくありませんし、バクチ好きの作家からボーナスを巻き上げられてしまったといった話も風に乗って聞こえてきます。そんな中でも馬鹿馬鹿しいのは、「深夜の愛犬捜索事件」でありました。
さるベストセラー作家の愛犬が深夜、鎖を切って、行方不明になりました。犬好きで知られている彼は恐慌をきたして担当編集者を緊急招集し、愛犬の捜索を行おうとしました。校了作業中の者は赤ペンを放り出し、寝ていた者は飛び起き、愛妻との房事のまっ最中だった新婚編集者はパンツもはかずに(んなことはないか)自宅を飛び出し、作家宅に向かいました。そして、深夜の街で「○○ちゃんやーい」と言いながら、犬探しをしたんだそうです。
「連載頼んでるんだから、イヤとは言えないじゃないですか」
その時、捜索隊に加わった編集者は言っておりました。
結局、この世界、力が強かったり、声が大きかったりする側の言い分が通ってしまい、紳士淑女(私も、ここに含まれると思ってるんですけど)が泣きをみるということなんですな。話を聞いているぶんには楽しいでしょ。でも、当事者になると、たまったものではありません。
こんなふうになるのも、口約束ばかりが横行して、書面での約束がほとんど行われていないこの業界の慣習が問題の根底にあるんじゃないかという気がします。小説は工業製品ではないから、決まった日時に定められたレベルで書けるものではありませんが、最低ラインの契約くらいは結ぶべきではないでしょうか。たとえば、時間も金もエネルギーも費やされる長編作品については、出版社側は「執筆依頼書」を出し、作家側は「執筆受諾書」を書くとかね。そうすれば、お互い、よけいなストレスを感じずにすむんじゃないかと考えておりますが、お読みの方はどう思われますか?
ともあれ、カタギの世界に住んでいる皆様。新人賞でもとって、小説業界に参入してくるようなことがあった時には、十分に気をつけてくださいね。




