月刊エッセイ       1/19/2005


「地域の人とおつきあいすると、うん、勉強になります」


 人間にはひとつのところに定住して、地域の人とのつながりを深めることにより安定した精神生活を築く人と、転がる石のようにあっちこち居を移し、地域的なつながりはあまりつくらない人との2種類がいます。農耕民族の末裔である日本人は前者が圧倒的に多いのですが、私はあまり日本人的ではないらしく、18歳で実家をあとにしてから、引越しすること十数回、地元の人とつきあうような生活をしてきませんでした。
 ところが、4年前、我孫子市に居を移してからというもの、地域の人との関係ができてしまったんですね。

 手始めは、気功の会。じつは4年前、体の不調に悩み、名のある病気を患っているわけでもないのに、咳が止まらなかったり、吐き気が頻繁にしたりしたことがあったのです。そこで、体に良いことでもやろうと、インターネットで調べたところ、気功の会を発見。平日の昼間行われるその会は、男性は私だけで残りは主婦ばかりという団体でしたが、私はまわりが全員、女性だろうが外国人だろうが気にしない人間なので、ごく自然に振る舞い、なぜか2年目には、いちばんの新人なのに会長にまつりあげられ、会と取り仕切ることになったのです(と書けば、かっこいいけど、現実には雑用全般をやらされた)。

 続いては、テニスの会です。運動不足を感じていた2年前、市の体育課がシニアのテニスの講習会を行い、年齢の条件をなんとかクリアしている私も参加。講習会が終わって、そのまま解散するのももったいないということで、有志による同好会ができあがったのです。
 ここでもまたなぜか幹事にされ(よほど出しゃばりなんだろうか)、なにしろ群を抜いて若いため(なにしろ男性は定年退職者ばかりなんだから)、運営に関する雑事全般を任されることになったのです。
 そして、3つ目は、昨年5月のエッセイにも書いたけど、自治会の班長の仕事がまわってきて、嫌でも地域の仕事をしなければならなくなった。

 地域の人とつきあうようになって、びっくりすることの連続でした。
 まず、気功の会。ここでの最大の問題は、練習場の確保です。なにしろ、一定の広さがあって、静かな場所でなければ、気功の練習にはならないわけですが、そうした場所は他の団体も狙っていて、とくに近年は団体数も増え、競争率が高くなっている。つまりは練習場確保にはテクニックが要ることになるってわけで、たとえば練習環境の良い順にA、B、Cの3会場があるとすれば、抽選日の早い遅いや、想定される倍率などを計算しながら、どこを最優先にして狙っていくべきかを決めるのです。私は、この種のことはけっこう得意なので、月3回の会場確保を1年間を通じて、失敗もなくやりとげました。

 いつまでも会長という名の雑用係を引き受けているわけにもいきませんので、会長は1年間だけ務め、複数の女性の方に後を託しました。すると、会場確保の競争が厳しくなる秋くらいから、上手くいかなくなってしまったんですね。予定の日に練習場所を予約することができず、いつもは午前の練習が午後になったり、不便な会場になったり、不定期になったりと、問題続きです。訊いてみると、彼女たちは、Aが予約できなければB、BもだめならCと、まっ正直に予約行動をしていたみたいです。つまりは、最初からBにトライしていれば確保できていたものが、Aの抽選に外れてからBに向かうというやり方でしたから、アブハチ取らずになることも多かったのです。
「全体の状況とか、抽選日の早い遅いを考えに入れて、その月その月で優先順位を変えて行かなければ、上手くいきませんよ」
 私は彼女たちに言い、そのテクニックを教えたつもりですが、上手く理解してもらえなかった。そんなに難しいことではないはずなのに、なぜなんだろう?

 考えた末、ああ、専業主婦である彼女たちはそういった“訓練”を受けてこなかったんだと気づきました。ビジネスの世界に生きている人なら「他社を出し抜く」「競争に勝つ」「最低でも利益を確保する」ということは、自然に身につけているでしょう。とくに金融関係の仕事をしていた人間なら、「安値で買って、高値で売り抜ける」といったことは常識中の常識にしています。でも、主婦の世界では、臨機応変に「相手を出し抜く」なんて必要性は、そうあることではないはずです。まあ、特売品が売り切れにならないうちに買いこんでしまうってことくらいかな。
 歩んできた道によって、人間、こんなにも得手不得手ができてしまう。あらためて認識したしだいであります。

 シニア世代が中心のテニス同好会の幹事を引き受けて、まず感じたのは、皆さん、すごーく受け身だということ。自分から「こんな練習したいんです」と言い出すことはまず稀で、だいたいコーチの言うとおりに動きます。私なんぞは、なんでもかんでも自分の意見を口にするタイプなので、皆さん、なんと慎み深いのかと思いました。
 次には、寡黙なのにも驚きました。「楽しくなければ遊びじゃない」というのが私のモットーですので、つい練習の合間にも冗談を言ってしまうのですが、他の場所ではスベらない冗談が、シニアの団体ではスベって、なにか引っ込みがつかない状況にもなります。
 皆さん、静かに、黙々とボールを打っている。
「お国のため、村のため」
 そう心の中で呟きながら、道普請とか草刈りとかに励んでいる勤労奉仕(古いか、この表現)の人々を、つい連想してしまう練習風景でありました。

 なぜ、かくも慎み深く、寡黙なのか。なにか場違いなところに来てしまったなあ、とも思っていたのですが、ある機会を契機にその印象は一変しました。飲み会です。
 会の発足から3月ほどして親睦会を開きました。すると、アルコールが入るうち、男性も女性も態度がまるっきり変わってきたのです。最初は世間話や自己紹介などをしていたものが、そのうち、
「私は子供の頃、戦争に負けて、中国から引き揚げてきたんですよ」
「あら、私も大連からなの」
「私は昭和25年に、さつまいも畑をつぶしてコートにしましてね、それからテニスを始めたんです」
 なんとなんと歴史を感じさせる懐古談が始まったりして、話はどんどん盛り上がり、30分も過ぎる頃には、周囲の若者たちを圧する騒がしさとなったのです。酒の量も、私なんてとても太刀打ちできず、
「おーい、幹事さん(私のことです)、焼酎をボトルで頼んでいい?」
 の声にも、「ほどほどに」の言葉が返せず、ただうなずくばかりでした。

「アルコールが入らなければ、本音を言ってくれない。だから、商売するには酒の席が必要なんだよね」
 とは、営業マンがよく口にする言葉です。サラリーマン社会では、部内融和のためにも飲み会は必要らしい。酒を飲んだ時でも飲まない時でも大きくは人格の変わらない私にとっては、あらためてアルコールの威力を知る機会となりました。

 飲み会を契機に和やかな空気になった同好会ですが、会員の皆さんが受け身なのは相変わらずです。これまた、欧米人に比べると、自分を表現することがひどく少ないという日本人の特質なんでしょう。しかし、練習プランは立てなければならない、ボールなどの用具の更新や管理もしなければならない、退会者補充のため新規会員も募集しなければなりません。自然、幹事である私に仕事が集中するようになり、最近では、いろいろ勉強になるなと思いつつも
〈あーあ、シニア世代のお世話係はそろそろ止めにしたい。次で幹事をおりるぞ……〉
 とボヤいているのは、まだまだ忍耐力が足りないのでしょうか。

 自治会の班長役がまわってきて、えらい目にあったことは、5月のエッセイに書きましたが、その後も、いろいろとありました。
 防災訓練というのが、近くの消防署で行われました。ケガ人を救護したり、災害の際の対処法を教えてくれるというので、心臓マッサージとか人工呼吸とかが学べるのかと期待して、会場に向かったんですよ。ところが、メインの講習会で行われたのは、三角巾の使い方! 三角巾ですよ、三角巾。そういえば、中学校の頃、保健かなにかの時間で実習した微かな記憶もあるけれど、以来、まったくお目にかかったことのない代物です。
「はい、こんなふうに布をまず半分に折って」
 消防車のレスキュー隊員が使い方を教えてくれるんですけど、それがけっこうややこしい。こんなもん憶えられないし、なんとか憶えたとしても、そのうちに忘れるにきまってる。だいたいが、三角巾なんて自宅にないもんね。割り切りの早い私は「役に立つもんか」と、さっさと実習放棄してしまいましたが、参加した皆さんは素直に指導を受けてる。なんでだろ?

 三角巾講習が終わると、外に出て今度は消火訓練です。とはいっても、火が燃えていると想定される場所に向かって、消火器のホースを向けるだけです。それを交代でやるのですよ。
 これも予想になかったなあ。たしかに、気が動転すると、上手く消火器を使うこともできなくなるというから、まったく役に立たない訓練だとは思いません。でも、消火器の使用法なんかしごく簡単なものです。説明書をさっと読むだけでわかる。自分ひとりでもできることです。
 どうせやるんなら、エンジンカッターの使い方とか、地震で開かなくなったドアの破り方のコツとか、そういった実践的な訓練やってほしかったなあ。

 阪神大震災の記録などを読んでみると、災害の初期段階では、組織だった訓練は役に立たず、その場にいる人間の臨機応変の対応が生死を分けるといいます。災害は想定したとおりには起こってくれませんもんね。
 だから、骨折したなら、どこにしまったのかわからない三角巾を探したりはせずに、とりあえず目に入った棒かなんかで添え木して、布で縛ってしまうとか。倒れてきた柱で身動きできない人がいたんなら、なんでもいいからロープを見つけてきて柱にくくりつけ、皆で引っ張る。ドアが開かなくなったら、金槌でひっぱたく。そういう時に使えそうな道具を身近に置いておくことが必要だと言われてるんですね。
 でも、うちの自治会じゃ、三角巾と消火器の使い方やっちゃった。防災担当の役員が、
「去年もこれだったから、ま、今年も同じことでいいんじゃないのかな。消防署のほうも、楽だろうし」
 なんて考え、計画を作ったんじゃないかな。そんな想像をしてしまいます。

 夏に「夜間パトロール」というのが行われました。最近は我孫子の街も物騒になってきて、私も深夜、恐い目に遭いそうになったことがあります。それゆえ、夜間のパトロールはなかなか良いことだと思ってました。
 ところが、ところが、パトロールの開始時刻が午後7時から。夏の7時ってのは明るさが残ってるんですよ。まともなワルは、まだ街に出てきません。どうして、深夜にやらないんだろ。うーん、きっと、深夜だったら、役員の方々の寝るのが遅くなって困るからなんだろうな……。

 自治会の役員が何をやろうと自由であります。でも、人を引っ張り出さないでほしい。他人を引っ張り出す時は、やはりそれなりに納得できることをやってほしい。他人の時間を使うわけなんだから。
 なにか最後は愚痴っぽくなってしまいました。これも、まだまだ修行が足りないせいでしょうか。あるいは、遊牧民族に近い私がひとつのところに長く留まり過ぎたせいかもしれない。「引越ししようかな」そう、ちらちら考えている最近の私なのです。



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