月刊エッセイ       12/18/2003


今年も終わりで、○と△と×

 毎年思うのですが、なぜ過ごしやすい季節はあっという間に終わって、気づいてみると厳しい季節に入っているのでしょうか。「人生と同じだよ」と言われれば、気も滅入ります。とくに今年は秋の長雨が続いて、気持のいい日は半月もなく、とくに損したような気分にもなっていますが、年末が来たのは紛れもない事実なので、今年終盤(11月、12月)に起こったことについて、あれこれ論評してみます。
 
(1)野良猫捕獲プロジェクト(△と×)
 野良猫捕獲。といっても、猫を捕まえて、いじめようというのではありません。野良猫がこれ以上、増えないよう、捕獲して、獣医さんで不妊手術を施した上、また元の場所に戻そうということなんです。
 じつは、我孫子市の私が住んでいる地区では近年、野良猫の数が増加していて、トラブルも起こるようになっているんです。なぜ、増えるのかというと、理由は簡単、野良猫に毎晩、餌をやっている方が複数いるからなんですね。1匹のメス猫は一度に4、5匹の子供を産みます。年に2回出産するとして、5年のうちには、なんとまあ4、50匹に増えてしまいます。しかし、それは最初のメスの子供の数だけで、さらに子供のうちのメスもどんどん出産しますので、あーあ、恐ろし、ネズミ算ならぬネコ算で、数百匹にも増えてしまう。むろん、野良ですから、栄養状態が悪く、死んでしまう子猫も多くて、そんなには増えませんが、数十匹単位の数になることは間違いありません。
 こうまで増えると、出してあったゴミ袋を食い破る、庭に侵入してトイレとして使うなどのトラブルも続出して、噂では、猫嫌いの住人が野良猫を殺したなんて話も伝わってきます。殺伐な時代に殺伐な話で、なんとかせにゃと、12月になって、行動に出ることにしたんです。というか、正確には、NPO法人「ねこだすけ」なる組織の会員にもなっているカミさんに引きずられる形で、私もプロジェクトへの参加を余儀なくされたというわけです。
 とはいえ、地区に何カ所もある野良猫ゾーンすべての猫に不妊手術をするなんて、今の段階では、人手も資金も、とてもとても足りません。そこで、私の家から百メートルほどしか離れていない古墳のそばに住み着いている十数匹の野良猫一族にターゲットを絞ることにしたのですよ。

 野良猫を捕まえるには、捕獲カゴを使います。餌を仕掛けておいて、猫がカゴに入り、踏み板を踏むや、フタが閉まるという仕組みになってします。
 で、夜、捕獲カゴを3つばかり持って、古墳のところまで行きました。我々2人が行くや、餌をもらえると思ったのでしょう、すぐに一群の野良猫がわらわらと湧いて出てきました。闇の中、人間を取り囲んで、周囲をすごいスピードで走り回る。夜ですからねえ、けっこう恐かった。猫好きの私ですら恐かったのですから、猫嫌いの人間だったら、相当な恐怖を感ずるでしょう。
 ともあれ、捕獲カゴを仕掛けた。初めてだし、はたして猫が入るものか自信はなかったのですけど、なんと、仕掛けて1分もたたないうち、最初の1匹がかかった。あとは、かかること、かかること。しかし、ここからが大変なのです。本当はオスでもメスでも獣医さんに運んで手術するのがいちばんいいのですが、先述したように、人手も資金も不足しています。したがって、メスに限る戦術に出たのですが、この性別判定が難しい。古墳のそばに猫好きの夫婦が住んでいて、ある程度は雌雄の判定をしてもらえたんだけど、わからない個体も出てくる。そういう場合は、仕方がないので自宅に運んで、詳しく調べなければなりません。
 だけど、調べて見ても、判別のつきにくいものが出てくる。とくに、黒猫にはまいった。どこからどこまで真っ黒ですので、睾丸があるかないかわかりゃしない。まあ、骨格からいってもオスふうだし、大暴れしたし、タマタマらしきものもたまたま見えたので、こいつは男だと判定したんですが、この出版不況の折、なんで野良猫の股間を懐中電灯で照らしてチェックしなければならないのか、かなり複雑な心境にもなりました。

 結果、2匹のメスをゲット。ええ、普通なら、獲物が取れれば大喜びするものです。以前、テレビの番組で、青森県は大間の漁師さんが1本数百万円はするという本マグロの大物を釣り上げ、
「いやあ、これで、いい正月が迎えられます」
 と、満面の笑みで語っていましたが、私たちの場合は正反対です。1匹捕まえるたびに手術代がかかるんです。野良猫の場合、理解のある一部の獣医さんが格安の料金で手術を引き受けてくれますが、それにしても、捕まえれば捕まえるほど、財布からお金が消えていく。これは、たまらないよ。
 嘆いても始まりません。2匹の猫に1泊していただいて、翌朝、車でけっこう離れた獣医さんまで連れて行き、さらに引き取りにも行きました。が、術後ですから、すぐに寒空の下に放すわけにもいかず、プラス 2泊していただき、美味しい餌で体力をつけてもらい、ようやく元の場所にお帰りいただきました。フーッ……。

 初回で2匹に手術を施すことができたのですから、まあ△は上げることができるでしょうが、群の中にまだ2、3匹のメスがいるはずですから、今後も捕獲作戦は続行しなければなりません。年末にあと一度、そして年が明けてからも、捕獲を予定しておりますが、また新たな捨て猫も出るでしょうから、イラク戦争みたいに、どこまで続くぬかるみぞ、という気分にもなってきます。
 いちばん良いのは、最近、各地で行われ始めた「地域猫」を作る運動を、わが町でもやることです。「地域猫」とは、町会などを中心にして、野良猫のすべてに不妊手術を施して、これ以上、増えないようにし、その代り、手術ずみの猫を地域全体で可愛がろうというものです。独り暮らしのお年寄りや動物好きの子供たちが野良猫に餌をやったりして、住民の情操面でも、かなりの成果を上げていると聞きます。しかし、我孫子市では、まだそこまでの意識の高まりはなく、一方で「あー、かわいそうに」と情緒的に餌をやって、ただ猫を増やしてしまう者あれば、「野良猫なんて、飢えて死ねばいい」と言い放つ、短絡的な人もいて、道は遠く、実情はまだ×印だなあ。

(2)スタニスラフ・ジェヴィツキのコンサート(○)
 ここ1、2年、かなりの回数、コンサートに行っていることは以前も書きましたが、
今年もけっこう行きました。その中に、11月下旬に行われたジェヴィツキのピアノ・コンサートがありました。ジェヴィツキなんてポーランド人のピアニスト、かなりの音楽通でも知らないでしょう。私も、まったく知りませんでした。そんな人のコンサートに、なぜ行くことになったかというと、いくつもの偶然が重なったからなのです。
 今年の夏、「戦場のピアニスト」という映画を観て、無性にショパンのバラードが聴きたくなりました。そんな折、新聞でジェヴィツキのコンサートの広告を見たんですね。そこには、ショパンのバラードも演る、と出ていた。場所は、我孫子市のすぐ隣の柏市のホール。チケットも割安料金でしたので、すぐに購入を決断しました。
 まだ17歳の青年というか、少年で、広告には「モーツアルトの再来」とか「キーシンやツィメルマンに匹敵する才能」とか書かれていましたが、どうせ招聘先がチケットを売ろうと大げさにつけた引き文句だと考えていました。私くらいの古狸になると、そう簡単にはダマされないぞ、と、思ったりしてね。要は、そんなに期待してなかったんですよ。

 で、当日。隣町のホールだから、気楽なものです。チケットも格安料金だから、平凡な演奏だって、ま、いいか、と、これまた気楽に考えていました。
 演奏会が始まります。なかなかハンサムな若者が出てきて、客席に若い女性が目立つのも納得できました。前半はショパンの小曲集で、トップバッターは軍隊ポロネーズ。力感はあるけど、ちょっと癖もあり、イマイチだなあ、と聴いていました。ところが、曲が次々と進むうち、印象が変わってきた。とくにノクターンあたりから、ぐいぐいと引き込まれていき、前半最後の英雄ポロネーズでは、音楽の中にどっぷりと漬かっていました。
 おいおい、これは一級品のピアニストかもしれない。そう思いながら、休憩時間を過ごし、後半は、ベートーベンの熱情ソナタから始まります。凄かったなあ、独特のテンポがあって、冒頭部分では違和感を多少感ずるのですが、すぐにそれが快感に変わる。なにか完全にジェヴィツキの世界に取り込まれてしまった。ほんとに17歳なのか、日本だったらまだ高校生だぞ。信じられない気分で、最後のラフマニノフの練習曲となると、不思議なものが目の前で音をはじき出しているという思いにとらわれました。同じ気分になったのは、私だけではなかったようで、演奏が終わると、拍手拍手が鳴りやみません。
 面白かったのは、終演後、サイン会があったのです。CDを買ってくれた人にジェヴッツキがサインをするというので、私も心ひかれたのですが、ホールを出ると、もう長蛇の列。行列が嫌いな私は早々諦めましたけど、皆さん、ここでCDにサインをもらっておけば、将来、値が出て「なんでも鑑定団」に出せるのではないかと、考えたんじゃないかしらん。まだ17歳なんだから、10年もしたら、チケットを取るのに苦労するような超人気ピアニストになっているかもしれません。こういう才能のある人の演奏を早いうちに聴けたので、当然○が与えられます。

 しかし、○は演奏だけではありません。当日の入場客のマナーがすごくよかった。行儀の悪い客がいる場合は、まだ最後の音が消えてしまわないうちに、
〈ぼく、この曲のお終いの部分、知ってるんだもんね〉
 と自慢せんばかりに拍手を始めて、雰囲気をぶち壊すのですが、この晩は違った。最後の音が完全に空間に吸い込まれ、それからさらにひと呼吸を置いて、拍手が始まります。曲と曲との間も、咳ひとつ出ずに、張りつめた緊張感の中で、次の演奏を待つ。こんなふうだったから、ピアニストのほうも、気分がノッて、凄い演奏をしたに違いありません。
 ええ、ライブの素晴らしさというのは、演奏する側も聴き手も一体となり、ノリノリ状態の中で、凄いものが誕生することなんですね。過去、そういう演奏がいくつもありました。値段だけから考えると、CDを買ったほうが安いし、何度も聴けるし、スタジオ録音のほうが完璧なものにもなっているのですが、ノリノリ状態になるのは、ライブでなけりゃ味わえません。それゆえ、コンサート通いがやめられないんだよなあ。ともあれ、当日の演奏者も聴衆も○。

(3)テニスで手首を捻挫(×)
 12月の上旬のことでした。テニスで、やっちゃいました。とれる、とれると思いながら、ボールを追いかけたのですが、体のほうは想定どおり動いてはくれず、足がもつれて転倒。コートに手をついて、その時はたいしたことがなかったのですが、自宅に帰ると、痛みが増してきて、手首が腫れ上がってしまいました。
 どうせ捻挫だろうと自己判断して、医者にも行かず、湿布しているだけですが、2週間近くたった今でも、まだ痛みは完全にひきません。骨折しているかなあ、だけど、こうしてキーボード叩けるんだから、たいしたことないだろう。今さら医者に行ってもなあ……なあんて考えているうち、一日一日が過ぎてくんですね。まあ、骨折だとしても、単純骨折なら、そのうちくっつくだろうというわけですが、これって、原始的な考え方なんでしょうか。

 手首を痛めたことを、やはりテニスをやっている友人にメールしたところ、年齢を考えなさいという返事が返ってきました。その方のところでは、飼っている犬がテニスボールを追いかけるのが大好き。ジャンピング・キャッチを得意としているのですが、その犬も老いが忍び寄ってきている最近では、無理なボールは深追いせず、諦めるんだそうです。つまり、私は犬よりも判断力が劣っているということになるんでしょうか。どう考えても、これは×であります。
 しかし、体が想定どおりについていかないというのは、悲しいですねえ。人生、やはり楽しい時期は短くて、厳しい時期のほうが圧倒的に長いのだろうか。あんまり深刻に考えると暗くなりますので、やめておきます。

 野良猫の不妊手術にコンサートにテニスにと、なにか遊んでばかりいるようですけど、むろん仕事のほうもしております。しかし、この出版大不況下、△とか×ばかりで、なかなか○はつきません。来年は本業で○をつけるぞと、決意も新たにして、ではでは。



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