月刊エッセイ       3/22/2005


「毒薬の効能」

 毎日、テレビをつけると、この人の顔を見ないことはありません。ライブドア社長の堀江貴文さんであります。そう、ホリエモンであります。
 堀江さんとフジ・サンケイグループの戦いは皆さんもよくご存じでしょうし、日に日にその様相を変えていっておりますので、ここでは説明を省きます。しかし、責任のない立場から観戦していると、これほど面白いゲームはないんじゃないかなあ。

 3月の半ば、朝日新聞に「ライブドアとフジテレビ、どちらを支持しますか?」というアンケート調査の結果が載りました。それによると、59パーセントの人がライブドア支持、フジテレビ側を応援する人はわずか19パーセント(残りは、わからないとか、どちらも不支持という人)ということになりました。つまり、堀江さんを応援する人が圧倒的多数なんですね。
 私の周囲の人間に聞いてみても、ライブドア支持が多かった。でも、これ、ライブドアを積極的に支持するというより、フジ・サンケイグループ各社に対する反感みたいなものが、そうした結果を生んだんじゃないかという感じなんですね。

 テレビの街頭インタビューで、次のように答えられた方がおりました。
「フジテレビ側は温泉気分だったんじゃないの。その隙をライブドアに突かれたんだよ」
 こういう思いを抱いている人は多いんじゃないだろうか。
 ご存じのように、民放テレビのキー局は5つしかありません。その5局でものすごい額の広告収入を分け合っているのですから、よほど視聴率でも落とさない限り、経営は安泰です。実際の番組製作は下請けにまかせ、社員は高いところに座って、しかも高給取りときていますから、これは、たしかに“温泉気分”といっても大きくは違わないでしょう。

“温泉気分”に浸っている会社というのは、少し前までけっこうありました。出版業界でも「うちは、本社がたってるところの土地を売ればすごい金額になるから、働かなくていいんですよ」と言っていた編集者もいたし、「何年間か働かなくたって、内部留保を取り崩せば、今いる社員の給料くらい払える」と取締役が豪語したとかしないとか、そういった話はけっこうありました。もっとも、そんな話が出た会社は、今では、雑誌も書籍も売り上げ不振で、青息吐息の状態だと囁かれていますが。
 財政悪化でほんとうは危機感でいっぱいになっていなければならないのに、温泉気分でいるのは、○○公団とか大阪市役所とかといった公務員の方々です。今は法律で身分が守られているんだけど、公務員法を変えれば、リストラも可能。そうなったら、のんびりお役人生活を続けて、心も頭も間のび状態になった人間を雇うところがあるんでしょうか。じつは温泉じゃなくて、ほんとうは沸かし湯で、しかも燃料がなくなって、どんどん冷めてゆく冬場のお風呂の中で、いつまでものんびりしてるのは、恐ろしいことだと、私などは思うんですけどね。

 サラリーマンも自営業者も、多くの勤労者は今、大変な思いをしています。それゆえ、既得権に護られて温泉気分でいる人々には、冷やかな眼差しが向けられています。そのあたりの社会心理を、フジ・サンケイグループの方々は理解していないみたいです。
 とりわけ失笑してしまったのが、ニッポン放送の亀淵社長の発言でした。ライブドアの主張が通って地裁の仮処分が出た日のインタビューで、
「社員は皆、元気でやってます。安心してください」
 と、興奮気味の口調で、まくしたてていました。
 でもねえ、「安心してください」と言われたって、ニッポン放送の社員のことなんて、ほとんどの人が心配していませんよ。グループの中にいれば、それなりの高給がもらえるし、倒産する恐れもまずない会社の社員のことなど、心配も同情もしておりません。少なくとも私は、そうです。

 ところで、亀淵社長って、かつての人気番組「オールナイト・ニッポン」のDJをやってて有名だった、あの「カメちゃん」でしょ。当時は視聴者と直に向き合って、世の中の状況だってわかってたんだろうけど、長い取締役生活の中で、すっかりアンテナも錆ついてしまったんでしょうか。どこかズレた発言を繰り返す「カメちゃん」を、ニュース番組の中で観るたびに、なにやら悲しい思いがしております。
 ああ、それから、ニッポン放送って、何やって稼いでいるんだろう。
「ニッポン放送、聴いています」
 なんて人、私の周辺にはまったくいないし、たまにタクシーに乗ったりすると、ラジオでプロ野球中継やってて、「ニッポン放送、ショーアップ・ナイター」とかいう言葉が流れたりしてくるのみ。
 もしかすると、ニッポン放送を聴いているのは、タクシーの運転手とか、ラジオを聴きながらレバニラ炒めをこしらえている中華料理店のオヤジさんくらいしかいないのではないか。フジテレビとかポニー・キャニオンとか、儲かっている会社の株を山ほど持っているというから、そこからの配当で食べてるんだろうか。あらためて、疑問の数々がわき上がってくるのであります。

 一方の堀江社長についても、うさん臭さは拭えません。プロ野球の参入を狙ったかと思えば、公営競馬と手を結ぶ意欲を示したり、彼が言う「テレビとインターネットとの融合」にしたって、内容はとくに目新しいものと思えない。
 まあ、それよりも、堀江社長のことを「ホリエモン」と呼ぶことが、私には馴染めません。ドラエモンに似た風貌だから、そう呼んだらしいけど、この両者は似て非なるもので、ホリエモンと呼ぶのはかなりの違和感があります。
 人間には、目に力がなくて口の小さな草食恐竜ステゴザウルス系の顔と、そのまったく逆の風貌を持つ肉食恐竜テラノサウルス系の顔があって、勝負の世界では、十中八九は後者の人間が勝っている。そして、堀江さんの顔は言うまでもなく、テラノサウルス系の顔なんですね。だから、ホリエモンじゃなくって、ホリエザウルスとか、ホリエゴンとかいう名称のほうが合っているような気がするんですけど……。

「彼は、壊すだけの人間だよ。壊して、お金だけ儲けて去っていくんだ」
 年配の方が、堀江さんのことをそう評していました。たしかに、もしかすると、その通りになるかもしれない。つまり「破壊者」とか「毒薬」とかが、堀江さんを表現するのにちょうどいい言葉になるような気もするんです。
 でも、破壊者や毒薬が世の中に必要ないものかといえば、そうではないと、私は思っています。いや、毒薬がないと、世界は活性化しないんです。

 かつて編集者をしていた頃、“毒薬”と思われる人との接触も少なからずありました。1970年代半ばから80年代半ばと、ちょっと古くなりますが、2人ほどその思い出を語ってみましょう。
 まず、私と縁の深い将棋界では、毒の強さでは、今は亡き芹沢博文九段の右に出る者はいなかったでしょう。芹沢さんは雑誌で発言し、テレビにもたびたび出て、将棋界の宣伝役を一手に引き受けていたような人で、私も週刊誌の編集者をしていた頃、企画のたびにコメントをいただいたりして、お世話になったものです。
 しかし、芹沢さんには悪弊がありました。酒です。若い頃は大酒豪ということですんだのでしたが、中年後期に入ると、完全にアルコール依存症といった状態でした。手がブルブル震えるような体調でテレビに出演したり、「勝っても負けても、そう給料が変わらないシステムなら、俺は負け続けてやる」と宣言して、実際に連敗を続けたり、まあ、目茶苦茶でありました。
 私もひどい目にあったことがあります。芹沢さんとはまったく無関係な記事なのに、書き方が気に食わないと、突然、編集部に電話をかけてきて、怒りまくるのです。さらには彼が持っていたコラムで、私と推察される編集者の悪口をどっさり書いた。いや、喧嘩をふっかけられたのは、私だけではなく、とくにマスコミの世界には、彼の標的になって、嫌な思いをさせられた人が少なからずいたようです。

 そんな人物ですから、芹沢さんの評価については、功罪半ばする、いや、功よりも罪のほうが大きいと、さまざまに言われています。でも、私は功のほうが圧倒的に大きかったと思っているんですね。彼があれだけ言いたい放題言っていたから、
「お、将棋界って、面白そうじゃないか」
 と世間の目を集めるようになった。これは、お客さんを集めなければならない業界なら、どこでも共通する大切なことです。当時は芹沢さんばかりじゃなかった。将棋界には、毒薬ばかりじゃなく、媚薬、麻薬、シビレ薬など、ハリーポッターの世界の薬屋さんに並んでいるような危険な薬が並んでいて、つまり、危険で魅力的な棋士が揃っていて、それゆえ人々の注目を集めていたのです。
 しかるに今の将棋界には、いくつかの良薬こそありますが、残りはビタミン薬とかサプリメントとか、副作用こそないけど、効き目がどこまであるのか不明の薬ばかりが並んでいます。これでは、世の人の興味を引きません。そのせいか、聞くのは景気の悪い話ばかりで、いつ新聞社との棋戦契約が打ち切られて、将棋連盟の財政が危機に陥るのか、将棋界に知己の多い私としては、心配でなりません。

“毒薬”といえば、「中ピ連」の代表をしていた榎美沙子さんも忘れられません。「中ピ連」とは、「中」が中絶、「ピ」がピルの略だったと思うけど、ともあれ、愛人を持っている男性が勤めている会社なんかに、ピンクのヘルメットを被った女性たちが大挙押しかけ、しかも代表の榎さんが美人だったことで、世の人の注目を大いに集めたものです。
 女性誌の編集者をしていた頃、その榎さんと泊まりがけの旅行に行ったことがあります。行った先は、九州奄美群島のひとつ、徳之島。いえ、当然、仕事ですよ。私だけじゃなく、カメラマンもついて行ったんですよ。誤解なきように。

 スネに傷を持つ男ならば、その名前を聞いただけで、裸足で逃げ出すという、あの榎さんとの旅です。最初は緊張しきっていた私ですが、話してみると、恐い人ではなく、しだいにリラックスしてきました。
 宿にたどりついて、夕食の時でした。私は取材をどう進めるか、カメラマンは撮影をどうするのかで頭がいっぱいで、つい、おひつのご飯を茶碗によそうのを忘れていたのです。気づいてみると、榎さんが我々の分のご飯もよそっているじゃありませんか。
「男のご飯までよそうのは、女の役目じゃない!」
 と叱られるかと思ってたんですが、けっして、そうじゃなかった。ご飯をよそう姿は、なにか躾けの行き届いた良家の子女のような雰囲気さえありました。いえ、榎さんからすれば、
「男の仕事、女の仕事とか関係ないのよ。その時、手があいていた者がご飯をよそうのが合理的ってものじゃないの」
 といったふうに、シンプルに考えていたのかもしれませんが。
 おかげで、旅行後半は緊張も何もなく、単に“きれいなお姉さん”と時を過ごしているといった気分でした。

 その後、中ピ連は消えて失せ、榎さんも今はどこで何をしているのか、まったくわかりません。中ピ連自体がどこかの団体と裏でつながっていたとか、さまざまな噂が飛び交い、正統派を自認するウーマン・リブ(おお、この言葉も、今はどこへやらだなあ)の方々は「あんなのは、女性運動でも何でもなかった」と、酷評していたようです。
 しかし、私は榎さんたち中ピ連は“毒薬”としての役目を立派に果たしたと考えております。あの運動(というか、騒動)をテレビで観たりしたりして、
「あれくらい過激にやらなくっちゃ、男どもは目を覚まさない」「やれば、できるじゃん」「闘うことが大切なのね」
 と、勇気づけられ女性は数多いのではないでしょうか。純粋な女性運動につながらなくても、当時の女性たちに強いインパクトを与えたことは間違いないことだと思っています。

 世の中では、良薬ばかり尊ぶ傾向が強い。でも、毒薬の役割というのも存在しています。大型恐竜が地球を支配していた頃に降った多数の隕石。それによって、地球の気候が大きく変わり、恐竜は滅び、哺乳類が次の支配者になるのを助けたといいます。隕石は直接には破壊するだけで、何も生み出しません。でも、結果的には、哺乳類の生存や進化を助けた。それが、毒薬の役割なんですね。
 そんなわけで、私、堀江さんを応援しています。でも、こっちに向かってきたらいやだなあ。
「堀江、頑張れ。そう簡単には、くたばるなよ。でも、俺んとこには来るなよ、しっ、しっ」
 というのが、偽らざる心境なのであります。


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