月刊エッセイ 11/22/2005
「オジサン、オッサンが嫌われる3つの理由」
吾輩はオジサンである。名前はまだない、とは続きません。名前は本岡類というのがあります。そうではありません。オジサンの周辺には、やはりオジサンやオッサンと呼ばれる男どもが多数棲息している、と続くのであります。
ところで、最近、このオジサン族の評判があまりよくない。一昔前は「駅の自動券売機の前で小銭を数えだす」などで、オバサン族の評判が悪く、オバタリアンなんて流行語まで生れました。しかし、これが女性パワーというものでしょうか、オバサン族の評判の悪さはあまり言われることがなくなり、逆にオジサンたちが、なにかうさん臭く思われるようになってきました。高齢化社会の到来で、会社という檻に閉じ込められていた中高年男性がいっせいに外界に出てきて、目立つようになったからでしょうか。
先ごろ出された博報堂の調査(夫の定年を控えた夫婦の意識調査)でも、「早く来い来い定年よ、毎日、働かずに暮らせるぞ」と、退職の日を楽しみにしている夫が85パーセントと高率なのに対し、妻の側はずっと率が下がり、そればかりか、40パーセントもの奥さんが「あー、やだ、やだ。あのうるさいのが1日中、家にいるのだ」とばかり憂鬱に思ってるんだそうです。夫の定年退職による妻の鬱病というのも少なくないと、聞いたことがあります。長年、連れ添った女性からも疎まれるのだから、他人からすれば、もっとオジサンは嫌われているんだろうな。
しかし、「濡れ落ち葉」やら「熟年離婚したい」、「退職してからも、まだ肩書を欲しがる」だの、オジサンたちの評判がよろしからぬことも、よく理解できるのです。オジサンである私が同族を批判するのも、なんなのですが、話をしていると、だんだんこちらの気分が落ち込んでくるオジサンがあんまりにも多いような気がするんですね。では、どうして、オジサンは、若い人やオバサン方に好かれないのでしょうか。
(1)オジサンは酒が入らないと、雑談もできない
パーティーやシニアのサークルなどでは、女性同士はすぐに打ち解けてお喋りをはじめますが、男性は違います。初対面あるいは会った回数の少ないオジサン同士では双方ムスッとしたまま、話もしない。オジサンとオバサンとの間でも、なかなか話ははずまない。これがオバサン対オバサンならば、
「あら、同じような色のシャツ、着ちゃってますよねえ」
「でも、あなたのほうがちょっと色が濃いい。そっちのほうがすてき」
「これ、ユニクロのバーゲンで買った安物なんですよ」
なあんて、双方の着ている服の色から始まり、話が弾むと、韓国ドラマの話に移り、
「『冬ソナ』や『オール・イン』が終わって、がっかりしたんだけど、今やってる『チャングムの誓い』も、けっこう泣けて、面白いんだわ」
「観たいんだけど、最初のほうを観逃しちゃったから」
「私、DVDの全巻揃い、買ったの。貸してあげましょうか」
「キャー、嬉しい!」
てなことになるのです。女性同士の話が弾んでいる時に、むっつりと押し黙った男性の姿はかなり陰鬱なものです。「壁の花」なんかじゃなく、「床に落ちた枯れ草」などと囁かれるんじゃないかと、私は心配しております。
きっとオジサンは反論するでしょうね。
「女がお喋りなのは、あれが趣味なんだ。男は、あんな無駄な話はしない。男は黙ってサッポロビール! いやいや、その気になれば、雑談くらいできるんだぞ。『去年も今年も、巨人は、どうしようもありませんな』とやればいいんだ」
女性のほうが言語中枢が発達していて、お喋りが得意なのは事実でしょう。でも、雑談はけっして無駄なことではありません。頭から尻尾まで雑談では時間の無駄になるかもしれませんが、ウォーミングアップとしての雑談は非常に重要な行為であります。とくに知り合って間もない者同士では、雑談をすることで、相手の大まかな考え方を知ることができる。ああ、それから、巨人戦の話題は雑談ではなく、時候の挨拶みたいなものです。いや、最近ではプロ野球ファンも減ってるから、時候の挨拶にもならないか。
オジサンは仕事人生の中で雑談をする技術を磨いてこなかったのではないのでしょうか。以前、ある人が以下のようなことを書いていました(すいません。誰だったか、まったく憶えておりません。私も相当にボケてきております)。
男性の多くは地位や立場にもとづく会話しかしていない。上司や先輩、お得意さんが上で、部下や後輩、仕事を頼まれる側は下。そして、“上の人間”が一方的に話をして、“下の人間”は拝聴するだけ。それゆえ、きちんとしたコミニュケーションがとれるような会話がいつしかできなくなっている、と。
そうした寡黙なオジサンたちですが、酒が入ると、一変します。長く散歩に連れてってもらっていない犬が鎖を切って走り出したみたいな凄い勢いで持論をぶち上げたりするので、まわりの人は困ります。ついでに、ご機嫌になって、オバサンの肩を抱いたりするので、もっと嫌われます。
(2)オジサンは過去ばかりに目を向ける。
「郷土史に興味を持っている」「退職後は古墳めぐりでもしようと思ってる」「赤穂浪士のことなら、何でも知っている」「戦後史の本をまとめて読んでいる」「フーテンの寅さんの映画を、もう一度、全部観ている」etc,etc ……。
オジサンとの会話では、歴史その他の過去の話がよく出てきます。歴史などに興味を持つことは先人の軌跡をたどる行為ですので、けっして悪いことではありません。ただ、会う人、会う人、みーんなから“過去に興味を持っていること”を告げられると、なんとなく気持が下向き、後ろ向きになってきます。もうちょっと今や未来のことを語ってもいいんじゃないかと、話を聞きながら思ってしまいます。
つまり、過去の事件というのは、もう終わったこと、死んだことなんですね。そればかりに話が終始していると、話し手から精気が感じられなくなってくるのです。
いえいえ、歴史に興味を持っているのは、むしろ立派な人かもしれません。自分の過去ばかり喋りたてる人よりは、ね。
いちばん困るのが、過去の自慢話や苦労話しかしない人で、オジサン族の中には、けっこうこのタイプが多い。同じ話を2度も3度もされると、ああ、この人は過去の中に生きているんだなと思ってしまいます。
恋愛の世界では「女は今に生き、男は過去に生きている」とは、よく言われることです(かな?)。女は新しい恋を得れば、前の恋人など頭から追い出してしまうのに、男のほうは、うじうじ思い続け、新旧の恋人をつい比較して、
〈あっちのほうが、良かったよな……〉
と、何の利益もないことを思ったりします。
元カレと元カノがたまたま出会って話をした時に、男のほうが、
「あの時、こんなことがあったよね」
と話を向けても、
「ええっ、ぜんぜん憶えていなーい」
と切り返されるのは、よくあることです。
元々、男は過去にこだわる動物なのです。でも、興味の9割以上が過去のこととなると、周囲の人は辛い。青春や朱夏を過ぎたといっても、今や未来はたくさん残っているのです。せめて、3割くらは未来のことを語りましょうよ。
(3)オジサンは寄りかかるものを欲しがる
定年退職した人で作るシニアのサークルかなどで、
「えー、私は平成○○年に、会社を退任し」
などなど、さりげなく自分の過去の地位を語る人が少なくないと聞きます。「退職」ではなく「退任」という言葉を使うことにより、自分がかつて取締役をしていた事実をさりげなく披露するわけですね。
地位や立場ばかりではありません。ちょっとした外出や旅行に出かける時、ネクタイをしていく方もまだまだたくさんいらっしゃいます。遊びに行くのだから、もっとリラックスすればいいのに、きっと首からぶら下がっている布きれが、その方に安心感を与えているのでしょうね。
車を買い換える時、ちょっといいなと思える車があっても、結局は、
「やっぱりトヨタか日産じゃなけりゃな。色も白かシルバーだったら、無難だろう」
と、大メーカーのベストセラーになっている車を選んでしまう人も少なくありません。世間の評価というものに寄りかかっているわけです。
寄りかかるものをいっぱい持っているオジサンを見ると、寄りかかるものを取り除けば、いったい何が残るのかと思ってしまいます。ラッキョみたいに、皮を剥いて剥いて、最後には何もないのではないかって。
でも、寄りかかるものを持っているだけだったら、まだいいのです。問題は、自分が寄りかかっているものを、他人に押しつけようとする方です。
「クールビズ? 冗談じゃない。男はネクタイしてなきゃ、仕事にならないんだ。部下にはネクタイを締めてくるように命じてある」
と、今年の夏、力み返っていたオジサンですよ。こりゃ、困ります。
数年前、国際紛争や民族紛争を克服するための心理学についての講演会を聞いたことがあります。私はなかなかに面白い考え方だと思って聞いていたのですが、質疑応答の時間になって、60年配のオジサンが発言を求めたのです。
おまえの言うことは、甘っちょろい。そんなことで、紛争が解決するわけがない。どうしようもない国には、原爆でも落としてやればいいんだ。
上記のようなことを、オジサンはかなり感情的になって、まくしたてたのです。しつこく感情的に言い立てるので、講師(某大学の女性助教授)は立ち往生の態となってしまいました。あまりにも、しつこいんで、私は立ち上がって、
「だいたい、複雑な紛争を一刀両断に解決する手だてなんて、誰も持っているわけがないんですよ。○○先生の提案は、他のものと組み合わせて使うとしたなら、かなり面白い。それを、あなたは、完全な手段ではないと、それだけで潰しにかかっているんです」
と、強くたしなめたのです。
自分が寄りかかっている考え方に沿った提案なら大喜びで受け入れるが、異なる提案は頭ごなしにはねつける。そういったシロクロ分けて考えることしかできないオジサンが、じつに多いような気がするんですね。
(4)オジサンは臭い
煙草です。それも、ヘビースモーカー、チェーンスモーカーといった類の人たちについて、であります。煙草の害や喫煙マナーが叫ばれている昨今、ヘビースモーカーは若い世代から消えつつありますが、オジサン族の中にはこうした方々が少なくありません。
私は健康やら社会道徳なるものを、口やかましく言い立てる人間ではありません。ですから、「ガンになるのも自己責任」と覚悟しているのなら、喫煙、大いにやってください。オープンエアの場所(路上を除く)や自分の部屋なら、どうぞ、どうぞ。多くの人が煙草に火をつける飲み屋では、喫煙は暗黙の了解として認められているのですから、かまやしません。喫煙習慣のない人のいる部屋の中だって、すまなそうに煙草を取り出し、
「一本だけすわせてください」
といった態度ですうのも、まあ、許せます。
ところが、他人が同席している部屋で、なんの躊躇もなく煙草を取り出し、灰皿に吸殻の山を気づく人が、オジサンの中にはいます。
他人に受動喫煙の害を与えるばかりではありません。はっきり言って、ヘビースモーカーは、かなり臭い。煙草を手にしたヘビースモーカーに至近距離から話かけられ、卒倒しそうになったことも幾度かあります。
始末が悪いのは、ヘビースモーカーには、煙草の臭いが口にも髪にも衣服にも染みついて、全身悪臭人間になっている方が少なくないのです。
彼らの中には、こう居直る人もいます。
「すう、すわないは個人の自由だ。誰が何と言っても、俺はすい続けるよ」
そういう人には、言ってやります。「個人の自由だからといって、朝からギョウザとニラレバをたくさん食べ、その後、人と会うことはできますか」と。
オジサンである私が同族の批判をいろいろと書いてしまいました。しかし、これらは、私自身に向けた警鐘や戒めでもあるのです。
ああ、それから、20代、30代の若さなのに、もうオジサン化の兆しを見せている男性も時々、見かけます。そういう人のオジサン化は年齢とともに急速に進むみたいです。ですから、最後に、ひとこと。
「オジサン症候群は生活習慣病です」




