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義経北行伝説を他の不死伝説と比べると、同じような内容、または独自の特徴を掴めるような気がします。
同じような内容として挙げることができるのは、地名・人名のこじつけ(?)です。
「義経伝説の成長」のところで触れましたが、義経成吉思汗説を主張した小矢部さんは、シベリアにチタ(知多)・シルパ(駿河)・熱河省平泉と奥州平泉など、成吉思汗の関係地に日本の地名と同じ地名を有しているところが多いと指摘しました。
また、作家の高木彬光氏の名著『成吉思汗の秘密』では、成吉思汗という名前に注意が払われました。汗(ハン)という漢字を分解して、さんずいへんを篇の原義である水に置き換えます。すると、成吉思水干となります。水干は白拍子の衣装、つまり、白拍子だった愛人の静御前をさし、これを漢文風に読み下すと、吉成りて水干(静御前)を思う。最後に別れた吉野山での誓いが成って、静御前のことを思う。成功して今静御前のことを思う、となるわけです。
あるいは、成吉思汗を万葉読みすると「なすよしもがな」と読めないこともないそうです(私は万葉読みとやらを知らないので、なんとも言えませんが)。これは何を意味するのか。静御前は源頼朝に拘束されたとき、鎌倉鶴岡八幡宮での舞を強要されました。そのとき彼女は頼朝の面前で堂々と義経を慕って歌いました。
よしの山
峰のしら雪
踏みわけて
入りにし人の
あとぞ恋しき
しづやしづ
賤のをだまき
くり返し
むかしを今に
なすよしもがな
最後の「むかしを今に なすよしもがな」は、私の少ない古文の知識を総動員すると、「義経と一緒にいられた昔に戻りたいなぁ」みたいな感じのはずです。これに、成吉思汗の「なすよしもがな(静と一緒にいられた昔に戻りたいなぁ)」は返答になっています。私は、高木彬光さんの本を読んで、この解釈の部分にさしかかったとき、「参ったっ!!」てな具合で完全に一本とられました。座布団3枚あげときましょう。
ところが、地名・人名が似てるというのは、義経の叔父、源為朝の不死伝説にもあらわれます。他で書く源為朝伝説の記事のネタがなくなるので詳しくは書きませんが、為朝は伊豆大島から脱出したとき、運を天にまかせて西の方へ船出しました。そして琉球の港になんとかたどり着いたのですが、その港は、運を天にまかせて着いた港、「運天港」と名付けられました。また、琉球王の尚氏は名前の頭に「朝」の字をいただいていますが、それは、先祖源為朝から一字をもらっているからだといいます。
為朝伝説と同じようなこじつけ(?)があるから義経不死は嘘とみるべきでしょうか。それとも逆に、為朝不死と義経不死は2つとも史実とみるべきでしょうか。