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スッキリしないことは、他にもあります。義経は結局どこへ行ったのでしょう。義経成吉思汗説ならば義経はモンゴルに行ったことになりますが、北行伝説には義経がどこに落ち着いたという話がありません。まるで、義経の消息を海上で消すために平泉から津軽の海へワザワザ引っ張ってきたような印象すらあります。
津軽から北海道へ渡り、そこで暮らしたのか。それとも、大陸に渡ったのか。アイヌに残るという「ホンカン様は黄金の鷲に乗って、大きな川のあるクルムセ国へ行った」という伝承は魅力的です。しかし前にも書いたとおり、北海道に残る義経伝説は後世の創作クサイものも多いので、実は義経は北海道に足を運んでいないかもしれません。津軽十三湊から貿易船で大陸へ向かったという噂が北海道に伝わり、それがクルムセ国云々という伝承になった、とするとおさまりが良いような気もしますが、都合よく空想しすぎなので、止めときます。
ただ、黄金の鷲に乗ったという伝説や、青森県竜飛岬の、竜のごとき馬に乗って飛んでいった話(東北に残る義経の足跡について 25)のように、海に向かって雄飛していったことを思わせる伝説を見ると、夜逃げ同然のコソコソ逃避行ではなく、未来に夢を膨らませ喜び勇んで出発したような気がします。
推理作家、高木彬光氏の大作『成吉思汗の秘密』では、義経がシベリアの黄金を目指して大陸に出発した可能性を指摘しています。
以前にも登場した話ですが、藤原秀衡は中国(宋)の皇帝に純金約55トンを送り、代わりに大部の経典を手に入れました。純金55トンというのは、もんのすごい大変な量だそうです。当時の技術では砂金をとるくらいしか金を採る方法はなかったと思われます。そんな大量の金をポンと出せるくらいの砂金を得るには、もんのすごいデカイ金の鉱脈が必要で、そんなデカイ鉱脈がかつてあったなら、現在もどこかしら痕跡がのこってなければならないはずです。しかし現在の東北にはそれらしきものが見当たらない。また、平泉を滅ぼした頼朝が、大量の金を得て急に富裕になったという話も聞かない。
以上から考えるに、金は東北だけから得ていたのではなく、金の豊富なシベリアからも、交易などの手段で大量に入手していたのではないか、というのが高木氏の考えです。そう考えると、北海道に残る「黄金の鷲に乗って、大きな川のあるクルムセ国へ行った」というのが俄然、魅力を放ちはじめます。シベリアには、黒竜江という大きな川もありますし。
しかし、これも物的証拠がありません。中尊寺には、奥州藤原氏時代に金を使って書かれた経典があります。何の本だったかチラと読んだだけなので題名までは忘れてしまいましたが、その本によると、この金を分析したことがあったようです。結果は、東北で産出される金と、成分だか特徴だかが同じだったそうです。
結局、彼はどこへ行ったのか、決め手となるものがありません。