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義経不死伝説は、これまで在野の研究者たちによって詳しく研究されてきました。そんな人たちによって書かれた義経伝説研究の本には、ある種呪文のように繰り返し登場するキーワードがあります。「フィールドワーク」あるいは「現地に行って肌で感じる」というセリフは、義経不死伝説支持者の必殺技です。正統派歴史学者による「文献至上主義」との対置として、必ず一度は出没します。
確かに、義経北行伝説は、平泉から津軽半島まで実際に伝承をたどっていけば、ほぼ一本の線で結ばれてしまうという、いかにも本当くさい伝説です。『吾妻鏡』の記載を後生大事にするのではなく、実際に現地で伝承をたどってみなよと、伝説を信じる人たちは言いたいのでしょう。
私は実際に現地調査をしたことがないのですが、おそらく、義経の伝承は、かなりリアルなのでしょう。しかし意地悪く考えると、そのリアルさが、かえって真相発見から遠ざける面もあったりなかったりしないでしょうか。
現地調査で東北各地に残る義経伝承を聞いてまわれば、なにしろご当地のネタですから、リアルに感じるのはある意味当然とも思えます。例えば、民話のふるさと遠野に旅行して、現地のおばあさんに囲炉裏端でカッパの話をされればリアルに感じるでしょう。しかし、いかにリアルさを感じたとしても、カッパの話は事実ではないのです。それと同じことで、リアルさを感じれば、義経不死伝説を信じることも容易です。しかし、私たちが「現地調査」で感じることができるのは、あくまで衣川の戦いから800年後の東北地方です。その間、伝承のリアルさの陰でいったい何があったかは、話がリアルなだけに、見えにくくなります。
私が現地調査で「A村に義経が来て、そこのお堂で修行した」という伝承を聞いたとします。A村のお堂を実際に見て、そのリアルさに強い感銘を受けるでしょう。私はあんまり鋭い人間ではないので、現地調査で得られるのはそこまでです。そこで調査をやめると、話のリアルさが印象に残って、私は義経北行伝説支持者になるかもしれません。しかし、実際には「江戸時代、山伏がそのお堂で修行していた。山伏は付近の農家に宿泊していたが、そのときお礼として人気の義経物語を農家の家族に話して聞かせた。その山伏はサービス精神旺盛だったので、ちょっと口が滑って、そこのお堂で義経も修行していたことにしちゃった」という事実があったかもしれません。現地調査をすると、リアルな義経伝承という結果だけが見えて、江戸時代に千三つの山伏が血沸き肉踊るウソ話をしたという経過が見えにくくなる可能性もあると思うのです。
義経不死を信じる作家さんは東北出身者が多いのも、これと関係あるのかもしれません。
私が今こねマクっている屁理屈とはやや趣旨がずれますが、作家の司馬遼太郎さんは、『街道をゆく(北のまほろば)』で、こう書いていらっしゃいます。
『おそらく、雪が伝承をつくるのに相違ない。
もし冬、私が雪のなかにいて、この三厩村で降る雪に耐えているとすれば、義経についての口碑は半ば信じたにちがいない。雪の下では、伝承のほうが美しいのである。
義経が、その後、チンギス汗になった、ともいう。
北海道からさらに沿海州に渡り、蒙古高原に出現した、というのである。“成吉思汗は義経”という題名だったか、そんな本を私は子供のころ、図書館で読んだことがあった。
高木彬光氏の作品にもある。氏は京大工学部を出て、戦時中、中島飛行機の技師だった。数多い作品のなかに、義経のその後にかかわる『成吉思汗の秘密』がある。
文学辞典をひくと、氏は大正9年(1920)青森市に生まれた。』