沖縄惰性旅

(1)プロローグ
那覇空港,11時5分着。3連休ということで,私が1時間前に入ったときには大して混んでいなかった手荷物検査場がかなり混雑してきたらしく,16人が出発時間を過ぎてからの搭乗。加えて離陸の順番待ちもあった結果,25分遅れての到着となった。今日は「晴れのち曇り」,明日は「曇り時々雨」という天気予報だが,空は青空がのぞいているものの,所々でグレーの怪しげな雲が広がっている。この雲がどの程度,今回の旅に影響を及ぼしてくるのだろうか。

さて,今回の旅。タイトル通りというか,「絶対にここに行きたい」という場所は,明日行く予定となっている未踏の水納島しかない――いや,ホントはちゃんと行きたい場所があった。すなわち,初日にはこれまた未踏である伊是名(いぜな)島にセスナで行ってそのまま宿泊し,2日目に本島に戻って水納島に寄るという計画だったのだ。未踏の島を一気に二つ“つぶす”という目的があったのだ。
しかし,8月上旬。すなわち,今日の飛行機チケットが発売される2カ月前に伊是名島の某宿に電話を入れたところ,あっさりと「満室です」と言われてしまったのだ。失礼ながら,那覇からセスナ機もしくは陸路を2時間かけて本部半島の運天港(「沖縄はじっこ旅V」第2回「沖縄卒業旅」第2回参照)から船で行くような辺鄙な島の宿が,しかも数十人は泊まれる宿だというのに,どうして満室になるのか……後で確認したら,8日は島でトライアスロンの大会があって,はるばるそのために遠方から島に乗り込んでくる人が多いみたいだ。なので,おそらくはどこの宿に電話をかけたとしても,満室だと言われたかもしれない。
そうなると,すでにこの時点で「羽田―那覇」の往復チケットの予約を入れてしまっていたし,まだ購入していなかったとはいえ,キャンセルはもったいないし,どういう旅にすればよいだろうか――初めは,那覇付近で食べ歩きをして日帰りで帰ろうかと考えた。まだまだ行っていない,ガイドブックに載る有名店は多い。沖縄そば,魚介類,沖縄チャンプルー料理,ステーキ,洋食,スイーツ……普段の旅はグルメにあまり重きを置かないから,たまにはそんなコンセプトもいいかもしれない。しかし,それだけで往復何万も使うのは,あまりにもったいない。何も伊是名島に行けなかったからって,水納島に行く機会まで失う必然性は,まったくないのだ。
なので,とりあえず水納島は行くことにしよう。水納島は,これまた本部半島にある渡久地港(「沖縄卒業旅」第2回参照)から行くことになるが,那覇との往復時間を考えると,日帰りではちと困難であるから,1泊は必要となる。次はその宿をどこで取るか。あとは移動手段をレンタカーにするか,はたまた,公共交通機関を活用するか。レンタカーならば,3連休であることも考慮して,早目に手配しなくてはならない。公共交通機関だと,名護までは高速バス,名護からは路線バスを使うことになるが,はたしていい時間のバスがあるだろうか。特に,帰りの渡久地港からのバスの時間は,いろんなサイトを見ても出ていないし,名護からの接続もよく分からない……。
で,まずは宿泊場所を那覇市内で2度泊まった「シーサーイン那覇」(「サニーサイド・ダークサイドU」第3回「沖縄卒業旅」第2回参照)とした。行った当日は,それこそ那覇市内をグルメ旅にして,2日目を水納島行きに当てるのだ……インターネットからの予約で,これはあっさりと1泊取れた。で,レンタカーはとりあえずトヨタレンタカーとした。8月に予約を取り損ねたときのリベンジもあったのだ(「20th OKINAWA TRIP」第1回参照)。しかし,残念ながらトヨタレンタカーの那覇空港店からはまたも,8月上旬の時点ですでに満杯との返事が返ってきた。やっぱり,みんな同じことを考えているのだろう。すなわち,「宿泊場所の確保→移動手段の確保」という旅の準備の“王道”である。
なので,次はレンタカー会社をオリックスレンタカーに切り替えることにした。那覇空港店で借りるとなれば,豊見城のあしびなーまで行くことになる(「沖縄はじっこ旅V」第1回参照)。そこで,那覇市内でもう一つレンタカーの拠点となっている「DFSギャラリア店」(以下「DFS」とする)に,初めて予約を入れることにした。最近よく見ている沖縄情報サイト「沖縄情報IMA」の“沖縄情報掲示板”(以下「掲示板」とする)で,この「DFSでレンタカーを借りるのが早いか,空港で借りるのが早いか」という質問をしばしば見ることがあり,興味を持ったこともある。また,DFSはゆいレールのおもろまち駅から直結しているし,国際通りにある宿からはこちらのほうが明らかに近いことも,決めた要因の一つである。で,早速予約を翌日9日の8時から18時までとした。
ところが,ここで一つ疑問が浮かんだ。渡久地港から水納島に行く船は10時発。8時にDFSを出発するとして,高速を使ってどんなに早く行っても,渡久地港に着くのは9時半ごろ。でもって,水納島は結構人気があって,高速船はシーズン中はかなり混むというのだ。しかも,個人での船の予約はできないから,早目に港に行ってチケットをゲットしなくてはならないという。そうなると,那覇から行くのはちょっとギャンブルになる。わざわざ行ったのに,高速船に乗れないなんてバカらしい限りだ。となると,もっと近くに宿を取ったほうが懸命である。
ということで,次は宿泊場所を那覇から名護に変更することにした。で,とりあえず予約のメールを送ったのは,これまた2度泊まっている「ゆがふいんおきなわ」だ(「沖縄標準旅」第2回「サニーサイド・ダークサイド」第5回参照)。ベッドがセミダブルサイズでアメニティも充実しているし,朝のバイキングも好きだからだ。値段も7350円でまずまず。名護バスターミナルにも近いから,那覇から行くよりも時間に融通が効く。ここの予約が取れたなら,シーサーインはキャンセルとしよう。キャンセルはインターネットからでもできる。電話で遠慮がちに申し出るのに比べればウンと楽だ。もちろん,そういったことによる“弊害”は承知済みだが,後腐れがないほうが絶対いいのは,いつの時代も同じことだ。
そして,結果は「お待ちしております」――ということで,宿泊場所は名護とした。よって,シーサーインはキャンセル。さらには,ついでにオリックスレンタカーでの予約もキャンセルとしたのだ。すなわち,初日は上述のようなグルメを楽しみながら,高速バスかはたまた路線バスでテキトーに名護に向かう――レンタカーだと当然ながら,運転に神経を使わなくてはならない。そこには当然ながら,少なからず疲労が伴う。ドライブ自体は大好きだから,その好きなことで疲労すること自体,別段苦にはならない。いや,それでもいいから走りたいくらいかもしれないが,まあ,たまには気分を変えて公共交通機関で旅するのもいいだろう……そう思ったからキャンセルにしたのだ。
ところが,ここでまた迷いが生じた。名護バスターミナルから渡久地港へのバスが,ちょうどいいのがないのだ。9時半か40分の到着の便,その前は1時間以上早くなってしまう便のどちらかなのだ。元々1時間に1本程度なわけだが,もちろん,まずもって高速船に乗るのが問題ないってことであれば,9時半とか9時40分ぐらいの到着でも構わない。
でも,水納島でダイビングショップをやっている店のホームページ「ようこそクロワッサンアイランドへ」や上記掲示板によれば,10月はまだオンシーズンという。これまた行って「乗れませんでした」ではバカらしい。かといって,あんまり早く宿を出ていくのでは,名護に泊まるメリット自体もなくなってくる……まったく,端から見れば贅沢を言いまくっているとしか思えないだろうが,一度ひっかかるとなかなか頭から離れてくれないのが,私の哀しい性分なのである。
そこで,名護にトヨタレンタカーがあることを思い出した。そして,実際に一度利用もしている(「沖縄標準旅」第3回参照)。那覇空港からレンタカー利用したいという客は確実に多いだろうが,“那覇市から外れた支店”からの利用は少ないはずだ……ところが,オンラインで調べてみると,ここもまた「残りわずか」という表示。一応“トライ”したみたが,結果は――やっぱり満車となってしまった。やれやれ,これで3度も沖縄ではトヨタレンタカーにフラレてしまったことになる。
――もういい加減長くなって恐縮であるが,そろそろ結論としよう。結局は,再びオリックスレンタカーのDFS店に最予約を入れたのだ。そして,見事に空きがあったのだ。ここまでは,すごく要約した形で「管理人のひとりごと」Part55に書いた。一発でフラれるトヨタレンタカーと,キャンセルしてもまた予約できてしまうオリックスレンタカー……これはもはや“縁”みたいなものかもしれない。
そして,これまたネット予約ゆえの,当たり障りも後腐れもなさの賜物でもある。その是非はまた改めて問うてみるとして,今回は勘弁してもらおう。時間は開始を8日の14時とし,返却は前の予約と同じく9日の18時とした。初日は当初のグルメ三昧からは少し勢いが落ちたが,那覇市内で久しぶりに美味い昼飯なんかが食えたら…ってことで,空港到着から3時間程度市内での時間を作ることにしたのだ。レンタカーを借りた後はどこに行こうか……これはまた改めて書いていくことにしよう。

――で,どこでメシを食おうか。いまいち気まぐれな私ゆえ,いろいろと迷ってしまう。それほど,那覇はグルメタウンでもある。別にグルメ番組をやっているわけじゃあるまいし,いくつもの店を行けるわけじゃない。早い話が行ける場所は1箇所なのだ。2回行った「花笠食堂」か(「前線と台風のあいだ」後編「沖縄卒業旅」第4回参照),はたまた一度行った牧志公設市場の中にするか(「サニーサイド・ダークサイド」第1回参照)。もしくは,上記「沖縄情報IMA」に出ているオススメな沖縄そばの店か,ステーキの店にしようか。
そして,頭に浮かんだ店とは「首里そば」というフレーズ…いや店だ。思い出すきっかけとなった大元の「沖縄情報IMA」だけではなく,数々のグルメ雑誌はたまた沖縄関連情報誌で出てくる店であることは知っている。たしか「数に限りがある」というのは聞いたことがあるが,それ以外は残念ながら思い出せない。というのも,こちらは実はガイドブックの類いを一切持ってきていないのだ。もちろん,それは初めから行く予定などなかったからである。道路地図を当初は持ってくる予定だったが,レンタカー屋でもらうだろうからと,これも最終的には家に置いてきたのだ。
そして,その地図には「首里そば」は出ていないから,持って来ずに正解だった……いやいや,こちらとしては「“首里そば”というからには首里にあるだろう」って,沖縄らしい“テーゲー”で解決するにはあまりにテーゲーすぎる情報しかない。ま,でもタクシーの運ちゃんだったらば,おいしい店をよく知っているというし,こういう情報には結構詳しいだろう。
これが定時に到着していたら,国際通りに多分行っていたと思うが,11時過ぎということもあり,「まず昼食最優先」という方向に気持ちがシフトしていた。そして,今回も荷物にLet's noteを持ってきているから,できれば移動は楽なほうがいいに越したことはない――またまた長くなったが,こうしてまず首里そばに行くことに決めたのは,行きの那覇行きの飛行機の中。しかも,那覇着陸直前のことだ。

(2)自嘲的グルメ旅
「“首里そば”までお願いします」
「首里そば……って,場所どこか分かりますか?」
「いや〜,どこなんでしょう…分からないんですよ」
何だよ,分からねーのか。やっぱり,そこまで有名じゃなかったか。それでも,無線で「首里方面にある“首里そば”,所在地よろしくどうぞ」とコールしていた辺りは,プロである…というか,当たり前っちゃ当たり前か。でも,中には場所に関係なく,完全に“客頼り”で,しまいには「分からないと行けないよ」的な運ちゃんもいるので,誠意を感じてちょっと嬉しかった。
それでも,なかなか向こうからのアンサーが返ってこない。たまに,女性からの無線の声が聞こえてくるが,こちらへの応答ならば運ちゃんがアンサーするはずで,にもかかわらず,運ちゃんは無口に前を見たままである。まあ,30分くらいはかかる場所だし,あわてずに構えることにしよう。近くまで来て分かったって,最終的には連れてってもらえれば,こちらはOKなのだから。
タクシーは,やがて国道330号線との分岐点である明治橋を渡っても右折せず,国道58号線をひたすら北上していく。もちろん,首里に向かうルートとして間違いではないが,イメージとしてどうしても国道330号線から高速の那覇インター方向を通って北上していくのが強いので,もしかして遠回りなんじゃないかなんて思ってしまう。ま,向こうは何たってプロだから,こちらがとやかく物申すのはデリカシーがないかもしれない。こちらは場所を分からないわけだし,あるいは近場でウロウロして無為に過ごさないために,あえて遠回りする作戦かもしれない。
「“首里そば”は,よく行かれるんですか?」
「いや,初めてです」
「那覇は,そば屋がいっぱいあるもんでね」
なるほど,地元の人――多分,そうだろう――にしてみれば,“地元の店”という認知程度の店が,こうして“ナイチャー”にわざわざ来させるだけの店となること自体,少々違和感があるのかもしれない。そして,実際また那覇にはは無数の沖縄そば屋があり,少なくとも,ナイチャーよりも日常に沖縄そばは出てくる確率の高い地元の人にとっては,それこそ私も時々思うのであるが,「どこも同じなんじゃないか」と思っていたりするかもしれない。あるいは,ナイチャーが必要以上に騒いでいる節もあるだろう。「せっかく行ったのだから,食べなければ損だ」と,遠隔地&個数限定に弱い都会の人間の性質を,これでもかとモロに露呈するがごとく。
やがて,タクシーは泊高橋の交差点で右折した。いつも閉ざされている崇元寺石門の前を通り,少し雑然とした大道地区を順調に通過する。それにしても,一向に運ちゃんは無線に反応しない。「そのうち,どっかテキトーなトコで降ろされるんじゃないか」などと一抹の不安を持ちつつも,どこかで「ま,どうしてもムリならば別のトコでもいいや」という気持ちも芽生えていた。
そして,首里地区に入ってくると,沖縄そば屋の旗が至る所で見られるようになる。何度となく書いているが,私は間違いなく「味よりも量」的感覚の持ち主だ。それこそ「どこも同じじゃん」って感じにもなってくる。「老舗なんてところは“形”だけだろ」みたいな。でもって,沖縄そばは私にとって「どうしても行ったからには必ず食べなくては帰れない」という類いの食いものではない。要するに「“沖縄テイスト”が含まれていれば何だっていい」のである。その程度のヤツが,事もあろうかこれから“ガイドブックに載る沖縄そばの店”に行こうとしているのだから,何ともお笑い種だ。
そんな中で,左手の谷に落ちる辺りに懐かしいものが見えた。「ホテル日航那覇キャッスル」である。2004年1月に友人2人と泊まったホテルだ(「沖縄“任務完了”への道」第3回第4回参照)。さらには,右手に緑色の屋根の小さい建物が。「山城(やまぐすく)まんじゅう店」だ。こちらは,初めて肉眼で見る。上記2004年1月,そしてそれから半年後(「サニー・サイド・ダークサイドU」第4回参照),この道路は2度通っているはずだが,いずれも見逃していた。ここも上記“グルメ計画”の中で寄りたい候補になっていた店だ。あるいは,首里そばの帰りに寄ってみようか。
さあ,そんなスポットを過ぎ,さらには首里城への入口も過ぎるが,一向にタクシーは停まる気配がない。もしかして……何が「もしかして」かはよく分からないが,そう思った矢先,「分からなければ間違ってもそんなところは入れない」的な路地をおもむろに右折した。なーんだ,分かってたんじゃん。ってことは,さっきの無線のどこかで応答があったんだな。どおりで,運ちゃんが途中から,本来聞かなくてはならないはずの無線のボリュームを下げて,ラジオのそれを上げていたわけだな。
道は古くからの町であることを示すかのように入り組んでいそうだ。幅は車がギリギリすれ違えるか,片一方がデカかったらば,譲る必要があるかもしれない。入り込むこと100m程度で,狭いスペースにビッシリ車が置かれている家屋があった。そこには紛れもなく「→首里そば」というそっけない看板がある。「この右手がそうですね」。なるほど,ここがあの「首里そば」か。11時40分到着。遠回りのようなルートのわりに,タクシー代は1500〜2000円程度だったかと思う。

……って,かなり列ができてるじゃん。駐車スペースは,使えるスペースはすべて使うがごとく,これでもかと車が入っている…っつっても,5台ほどしか入れない。そして,店構えは先ほど“家屋”と書いたように,ホントに家屋である。車から降りようとしていた中年夫婦を見事に(!)振り切ったが,私の前にはどうやら十数人人程度の列が,狭い玄関で待っている。20代前半ぐらいの女性3人組,やや年下ぐらいのカップル3組と中年夫婦にどっちかの母親らしき3人組,そして1人旅の男性といったところか。並び始めたときは家…もとい店の中にはまだ入れずに,軒下で待つことになった。陽射しは少ないものの,少し蒸し暑い。汗が必然的に流れてくるが,たまに通り抜ける風で何とか凌ぐ。そばにはアーティステックなシーサーの置き物があった。
数分で列が縮まったのか,サッシのところまで近づく。どうやら,サッシは持っていないと勝手に閉まる仕組みらしく,しばらくサッシを押さえての待ちとなった。すると,間もなく中年&老人3人組が「何時になるか分かりゃしない」と小さく吐き捨てて出てきた。残念。でも,こちらは列がさらに縮まるから嬉しい。そして,小さい声で「そんなこと不安な言うなよ」とは,後ろに並んだ中年夫婦の旦那のほう。奥さんのほうがガイドブックを持っているから,それを頼りにここに来たのだろう。「たしか11時半開店だよな」「でも,その開店前から並んでいるのよ」なんて会話している。なるほど,開店したばっかなんだな……って,ホントに何も知らずに来てしまったのだ,この私は。まったく,何と言うべきか。
右下に目をやれば,無数の靴が雑然と置かれている。これだけの人が中にいるってことだろう。ヒンプンのごとく,壁が靴箱のある右側から左に直角に折れて出て,その周りにはびっしりと灰白色の琉球石灰岩がモザイクタイルみたいに張りつけられていた。この壁のせいで,店内の様子はわずかにしか分からないが,それを見る限りは,まだ食事が出ていないテーブルがかなりある。あと,待つ人用にイスが四つほどあったか。
ってことは,こりゃ相当待つことになるのかもしれない。ま,DFSでレンタカーを借りるのは14時だし,十数人だからいくら何でも2時間待つなんてこともあるまい。朝は6時前に松屋でハムエッグ定食を食してきたが,夕食などのことも考えてあまり大した量にしなかったせいか,腹の虫が泣き始めている。空腹でとかくイラッとしそうだが,せっかくここまで来たのだから,ここは我慢するしかない。
そして,左の壁には雑誌の切り抜きがはられてあった。少し離れていたのではっきりとは見えなかったが,「母子で守る味」というのは見えた。そうだ,思い出してきたぞ――かつて首里には「さくらや」という伝説の沖縄そばの名店があった。しかし,いつのまにか閉店してしまう。その味を今から9年前の1996年に引き継いでオープンしたのが,この店だという。手打ちの麺は明け方の4時から仕込みを始め,気温や湿度によって小麦粉と水の量を調節する。スープは鰹節の一番だしと豚の赤肉から取り,脂とアクは徹底的に取り除いてあっさりしたもの。こうした仕事を丁寧に施すために,1日60食(雑誌によっては60〜70食とも)限定となる。14時ごろには「売り切れ御免」になるそうだ――。
なるほど,この「1日60食限定」のうちの「食限定」だけを私は覚えていたわけだな。何ていい加減。こんな調子で食いに来るなんて,自分が“いちばん嫌いなパターン”じゃないか。でも,そんな丁寧さを現すかのような,だしのいい匂いが外に漏れ伝わってくる。さらには,店内にはジューシーやぜんざいもあるようで,例えばかき氷を作る音,お箸でそばを繰る音,そして繰ったそばをすする音が,あちこちから聞こえてくる。
しかし,こうして待っている間に,ようやくテーブルにそばが出てくる始末だ。おそらく,一気に店内が満杯になったものだから,てんてこ舞いなのだろう。中で食べている人が最初に出てきたときは,待ち始めてから15分ほど経っていた。もっとも,その分一気に客が出ていく可能性はあるし,そんなに向こうではないだろうし,私の前で売り切れなんてことも多分ないだろう。そして,左の壁の向こうにも人影が。ベランダみたいなところであぐらをかいて食べている男性がいた。あと,しばらく押さえる役目をしていたサッシは,後ろの中年夫婦の奥さんに譲ることにした。近くに用意してある靴袋は私のトレッキング風シューズを入れるには小さすぎて,仕方なくわしづかみっぽく持ってスタンバる。

さあ,待ち始めて20分ほど経ったか,続々と人が外に出てきては店員に声をかけられていき,私の前の人間はすべて空いた席についた。ここで店内が一望できる…といっても,大した広さはない。右手駐車場側にカウンター5席,あとはテーブル席が5〜6席ほど。全部で30人程度が座れるといったところ。奥には給水用のさんぴん茶のポットがあって,セルフサービスで持っていくようだ。待っているカップルの男性が,勝手についで女性の元に持っていったりしていた。男はいつも女の僕なのだ……。
しかし,私のところで声がけがパッタリと止まってしまう。一方,よく見れば数席だがイスが空いてはいる。はたまた,テーブルの上が片づけられなければ呼ばれないのか。でも,店員はどう考えてもあちこちに注文を取りに行く,はたまた注文したものを運ぶのに,完全に付きっきりである。見た限りでは給仕するのは若い女性と中年女性の2人だけだったと思う。
そのうち,後ろの客がかなり中に入り込んできた。それと同時に,近くのテーブルのカップルは,どうやら自分のところに運ばれるべきものが,違うテーブルに行ってしまったらしく,「すぐお持ちしますので」なんて言われていた。一方,新たな注文がバンバン入るし,出て行く人にはお勘定をしなくてはならない――すべてが相俟ってくるから,いよいよ,広さにして20畳程度の食堂が戦場と化してきた。
やがて,こちらの姿に気づいたのか声をかけてきたが,明らかに目は私のほうを見ていない。このまま順番違いになってしまっては,我慢して待った甲斐がなくなってしまう。端から見ても分からないだろうが,こちらの空腹はいよいよ度を増してきた。違うテーブルにメニューを持って行かれた男性の声が呼びかけるのにかぶさるように,「私のほうが先です!」と声が少し荒くなってしまった。すると,呆気に取られたように中年女性が「…どうぞ,空いてますから」と言ってきた。なーんだ,勝手に座ってもよかったのか。でも,後ろの客たちも案内されなければ座っちゃいかんと思っていた感じだぞ。
ま,こんな感じでようやく座ることになったのは,右手の5席あるカウンターの真ん中。少し狭いが,右隣にいたカップルの女性が,気を利かして少し右にズレてくれる。少しして,中年女性がメニューを持ってきたが,こちらとしては気が立っていたせいか,あまり先を越されたくなかったので,「もう決まってます」と,そばの“中”(500円)とジューシー(200円)をさっさと注文する。そばは“大”が600円,“小”が400円,あとはテビチの煮込みとぜんざいがある。結構,こういったサイドメニューへの注文も多い。「ぜんざいは,後で声をかけてください。すぐにできますから」と,数回聞いた。多分,聞いたところで覚えていられるほどの余裕もないのだろう。勘定を払いにいった女性に「そばの大きさ,教えてください」なんて聞いているぐらいだし。でもって,ぜんざいはやっぱり,すぐに出来上がる代物だし。
カウンターには,ギャラリーと題してシーサーの置き物や,琉球ガラスが白い石の上にキレイに飾られている。後で確認したらば「ギャラリー城間」というギャラリーも兼ねているらしい。どおりで,壁にモザイクタイルみたいに石灰岩を貼り付けたり,玄関にシーサー+αで飾れるだけの美的センスがあるわけだ。店内も清潔感があるし……そんな中,「すいません,○○番の方,お車の移動をお願いしまーす」と言われると,私の右隣のカップルの男性が「あ,オレらだ」と外に出ていった。そばが出てきて数秒後の出来事だった。男性が狭い駐車スペースで「運転技術を磨く」間,女性はそそくさと熱いそばをすすっていた。やっぱり,男は女の僕なのだ。
さて,今の時点ではあくまで席に座って注文が取れたのみだ。ここまでで20分以上待ったが,ここからどれだけ待つのか。私のすぐ左にも1人旅の男性が座ってきて,狭いカウンターがさらに狭くなっていく――しかし,その割には5分も経たぬうちに,隣の人と一緒にそばとジューシーが出てきた。デジカメやカメラ付き携帯といったものを持たぬ,いまいちアナログな私がメモを取る間に,隣の男性は“シャカッ”とケータイで写真を撮る。
前置きが長くなったが,いよいよ“首里そば”の紹介だ。直径15cmほどの少し小さめの丼の中に,澄んだスープ。そして,見た感じは日本そばを太くカットしたような感じの色と太さのそば,豚肉は3〜4cm角の三枚肉が2枚,そして,かまぼこが2枚にあさつきと,これは珍しいかもしれないが,しょうがが針しょうがで乗っていた。庶民的な食べ物の代表格のそばを「洗練された上品なもの」に押し上げた感じのレイアウトだ。なお,コーレクースーが入った入れ物も,緑のガラスの小ビンだ。一方のジューシーは,ニンジン・鶏肉・あさつきが小さくカットされていた。上にかかったあさつきとともに,こちらもまた洗練されたレイアウト。これには少ししょっぱい漬物がちょこっとついてくる。
そばを食べると,食感も日本そばのそれだ。味もどっちかというと,日本そばっぽいかもしれない。小麦粉100%だから,本来はコシがあるうどんであるのが常識かと思っていたが,それらとは明らかに一線を画す代物である。スープは薄味。後で改めてガイドブックなどを読んでみたら,沖縄で言うところの「味クーター=味付けのこってりした濃いもの」がいい人には物足りないかもしれないというコメントを見かけたが,なるほどそうかもしれない。でも,コーレークースを少しだけ入れると,もう十分な味となった。三枚肉はしっかりといい甘辛の味がついていた。ジューシーも薄味。漬物で塩気を補ったくらいであるが,総じて言えば「上品な味」と評するべきだろうか。これはこれで決して否定される味ではないと思う。これが「伝説のそば」だと言われれば,素直に納得したいところだ。
――食べ終わったら,素早く後の人のために外に出る。でも,待っている人はあまりいなかったような感じだった。時間は12時20分。すぐに頼んだものが出てくれば多分半分か,もしかしたら3分の1程度の所要時間で出てこられる“ヘンな自信”があるぐらい早食いな私だが,ここでよもや40分も費やすとは思わなかった。でも,14時までの時間をつぶすにはちょうどよかっただろう。程よく満腹になった心地よさ,なんだかんだ言ってもまだまだミーハーな気持ちを満たした快感と,図らずも声を荒げてしまったことを後悔して少し凹んだココロを同居させたまま,首里の街に繰り出すことにした。(第2回につづく)

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