沖縄標準旅(全9回)

(6)いざ,奥へ
2日目は,未踏の地である北部のやんばる方面に行くことに。バスが名護バスターミナルから出ているが,途中の辺土名(へんとな)バスターミナルまでは1時間に1〜2本出ているものの,その先は1日数本。乗り継ぎも可能であるが,早めに出て終点の,その名も「奥(おく)」という所を5分で折り返すという状況。いくら史跡等を愛でるハートの乏しい私でも,5分ではいかんともしがたい。そこで,市内にあるトヨタレンタカーで車を借りることにした。
今回私が乗るのは「ヴィッツ」。整備担当者と,あらかじめいろいろついた細かい傷や凹みを確認後,サインをして出発する。名護からやんばるに向かうバスは,西側すなわち東シナ海側は上述の,国道58号線をずっと北上して辺土名,さらに国道の起点でもある奥まで行くやつ。一方の,東側すなわち太平洋側は,名護から途中の魚泊(うおどまり)までしか行かない。行った道をまた戻るのは公共交通機関の哀しい宿命。車にはその必要がない。しかも交通機関の行かぬところに行ってもよい。乗り継ぎ時間の心配もない。また,時間が余ればもう一つの本部(もとぶ)半島へ行ってもよい。前回旅行ではバスを乗り継ぎ,今帰仁(なきじん)城跡と国営沖縄記念公園を見てきたが,さらに未踏の,橋でつながった離島を攻めてみるのも面白い。
なのでルートとしては,@やんばるをまず反時計回りにぐるっと回る。これは必須。で,A余裕があれば,そのあと本部半島を反時計回りで回る。Bついでに余裕ができれば,やんばると橋でつながった未踏の屋我地(やがち)島と,本部半島と橋でつながった,同じく未踏の瀬底(せそこ)島も,という形になった。

車は昨日,沖縄市から名護市に行くとき通った国道329号線を行く。なだらかながらもひたすら上り道。これにからみつくように,旧道と思しき狭い道がこの道の下を通っている。上ったら下るのが世の常。峠越えをして下り坂を下った二見というところで左折して国道331号線に入る。ちなみに右折をすれば,昨日バスで通ったルート(第2回参照)である。
この国道331号線。道はきちっと舗装されているので,狭いところで自分がバックして相手を先に通すとかいう心配はなさそうだが,起伏やカーブがとにかく多い。海沿いを走るので景色も問題なさそうだが,かといって特段見るべきところもない。ま,さしずめ「うねうね曲がりながら移動する楽しみ」を味わうというところだろうか。
小1時間,起伏やカーブと格闘して慶佐次(けさし)のマングローブ。慶佐次川の河口がマングローブになっているのである。ガイドブックによっては「ヒルギ林」となっているが,ヒルギという木が群生しているのがマングローブだと,後で改めて聞くことになる。ということは「マングローブ林=ヒルギ林林」ということなのか。誰もその辺のことを質問しなかったが,まあ要するには,ヒルギでもマングローブでも,好きなほうの言い方をすればよいということだろう。
ウダウダと書いたが,さすがに前回旅行で行った西表島の仲間川に比べれば赤ん坊レベルである。仲間川は川幅が100m以上は有にあるが,こっちはせいぜい20〜30mくらいだ。川の水量も潮のタイミングなのかもしれないが少なく,淀んでいて迫力不足である。

まもなくすると,東村(ひがしそん)の中心地である。といっても金武や宜野座と同じで,「あれが中心地だったの?」って感じ(第2回参照)。小学校・中学校が同じ敷地内にあるのも,田舎の人が少ない地域ならではだ。ここにはガイドブックにも載っている「村民の森」なんていうのがあるが,そんなのに気がついたのは,この文章を書きながらガイドブックやら地図やらを眺めている今しがた(編注:2003年1月)である。ちなみに,この村で国道は西にルートを変えるので,ここから先は「国頭(くにがみ)東線」という県道を進んでいくことになる。県道といっても名ぱかりと密かに疑っていた私だが,県レベルになった途端に舗装がひどい…ということもなく,きちっと舗装は続いている。
間もなく「福地ダム左3km」の看板。まだ時刻は9時半にもなっていない。ちょいと寄り道して左折。少々急な坂道を上って行くこと5分,ダムの駐車場らしきところに到着し駐車する。林の中にある遊歩道を下っていくが,林のすきまから見えるダムは結構奥のほうにあるようだ。もっと進んで行ってもいいのだろうが,しょせんは目的外。ここはとっとと来た道を引き返す。案内図が出ていたので見てみると,車でもっと奥に入ったところにも駐車場があるみたいで,そっちのほうがいろいろ施設があるようだ。だが,くどいようだが目的外。これもまた来た道をひたすら坂道を下ることにする。高台なので,戻るときは真正面に海が開けて見える。

引き続きさらに北上する。この辺から道は海から遠ざかり,山のほうへと入っていく。ところでこの車,カーナビゲーションなるハイテクなものが付いていて(もちろん無料),見ているとだんだん画面の左半分が,いままで白だったのが灰色になってきている。そして完全に灰色の中に道が入ってしまった。何かと思ったら,どうやら周囲は原生林のようであり,すすきのような,しかし枝葉はさとうきびのような植物がぼうぼうに生えている。空も幾分曇り加減になっていて,ホラー映画でも撮れそうな寂寞感が漂う。
そんな中,車中にかかった曲はCocco「Raining」。Coccoは言わずと知れた沖縄出身の女性アーティスト。彼女の歌詞に出てくる情景は,たとえ「空」「海」などと言葉が日常にあふれたものであっても,沖縄らしい方言が少ないにしても,それらは紛れもなく,沖縄人であるからこそ感じられるもののように思えてならない。よって,沖縄に行くときはどうしてもCoccoの曲はどこかに1曲入れたい,と思っていたのだ。曲は,ギターの弾き語りとともに淡々と始まり,重厚なクライマックスに向けて次第に盛り上がっていく。この感じがCoccoの曲で一番好きな理由である。ま,強いて望むならば,「Raining」というタイトルとはいえ,歌詞にも出てくるが,むしろ晴れた空,遠くに海を見る光景で聴きたかった。

……ふう,話を戻さないと。メインは景色である。道を進むと,今度は「新川ダム右0.5キロ」。ダムというか,川でも湖でも水がいっぱいたまっているところが私は好きなようで,また寄り道に右折してしまう。人間は本能的に水を恐れると言われているが,私もその満タンにたまった水には,背筋を一瞬凍らせる。だが,その背筋が凍る状況が,また何ともたまらないのだ。それも,川を例に挙げれば,川幅は10mくらいしかないのに,水かさが8〜9分程度にしっかりあるとかいうのに特に弱い。こういうのを「怖いもの見たさ」と言うのが適当なのかどうか分からないが,とにかく水かさが増したあの緊縛感が,たまらないのである。
さて,その新川ダム。今度は駐車場より歩くこと5分。無事ダムの上に着き,水門から川を見下ろすことができたが,残念,水はちょろちょろって感じだ。まだ工事途中なのかもしれない。やっぱり目的外にはそれだけのものしか返ってこないのだ。もう一つ,安波(あは)ダムというのがあるそうだが,思わず「あは」と鼻で笑うバカらしい状況が想像に難くないので,パスすることにする。
さて,いったん奥まったところに入った道は,海側に進路を取ったかと思えば,また山側に進路を取る。で,起伏も結構ある。本当の目的地・奥まで十数キロ。再び起伏やカーブとの格闘をして,やがて楚洲(「そす」と読むのか)という地区に。ここからは海が右に見えてきて,海岸沿いを走る。ここいら辺は,1軒の「共同店」と呼ばれる,早い話が雑貨屋さんを中心に,数件の家が取り囲んで一つの集落を形成している格好だ。ここまで来れば,奥は時間の問題。11時前には着くだろう。
やがて,最後のカーブを曲がって道を下りきると,目前にちょいとした集落が出現する。時間は10時50分。ここぞ,沖縄本島最北の集落,目的地の奥である。

集落の,ちょうど県道・国頭東線と国道58号線の分かれ目あたりに橋がかかっており,脇には国道58号線の起点を示す石碑も立っている。ここから国道58号線は,那覇の旭橋まで約125km続いて行く。さらには,最南端の喜屋武(きゃん)岬まで(旭橋以南は国道331号線など)は140km余り。ということは,端から端までは,3〜4時間もあったら行けてしまうことになる。
さて,滞在時間5分では到底味わえない,しかし,もっとも味わってみたところで大して感動するわけでもないだろう,その沖縄最北の集落をぶらっと回ってみることにする。
……で結論を言えば,やはり何もなかった。でもそれでもいいのだ。国道を挟んで海側には,家が十数件かたまって建っていて,いずれも伝統的な赤瓦の平屋。路地が狭いことも趣を添える。山側には公民館らしいものがある。左には例の破風墓や亀甲墓。バックに山があり,こちらはちょい集落から外れているので墓らしさがよく出ている。このくらいだ。
人はほとんど見かけない。「所さんの笑ってこらえて」の「日本全国ダーツの旅」で,偶然外に出ていようものなら,第1村人発見としてテレビに出られるかもしれないほど,人は見ない。元々の人数も少ないのだろうが,往来する車のほうをよっぽど多く見かけるくらいだ。
1件ある“共同店”にて一度車を止め,自販機で飲み物を買う。この店には新茶が売られているようで,ガイドブックによれば「おくみどり」というものらしい。また,すぐ隣には郵便局があり営業している。おばあさんが1人出てきた。考えてみりゃ,今日は月曜日。年末とはいえ平日である。誰かが仕事をしていてもおかしくはない。

(7)「起点」からの旅
さて,奥集落を出ると再びカーブと起伏と森が。奥集落が谷間にあることがこれでよく分かる。海からも離れ山道を進むと,宜名真(ぎなま)。高いところからは,左にも右にも海が見える。前者が東シナ海,後者は太平洋だ。次の目的地は,沖縄最北端の辺戸岬(へどみさき)。その岬の突端に近いことを知らせてくれる。岬への道は,森を抜けると突然現れる。あわてて右にハンドルを切り,なだらかな下り坂を進むこと約5分。辺戸岬に到着。
こんな最北端には何もないと思っていたのが間違いで,ドライブインが2軒,しかも開店休業みたいな平屋のボロ店でなくて,2階建ての観光バス客対応の立派なやつ。結構観光地化されているのだ。当然,沖縄そばだとか名物も食うことができ,いままさにその観光バスが1台駐車場に入ってきたところだ。
早速,岬へ通じる遊歩道を歩く。地面は突端に行くにつれて,ゴツゴツした岩が露出し,その間に緑黄色の植物だか野菜だかが不規則に生えている。どっちが先に出現したのか。植物にはバナナみたいな形の実が成っているが,何であろうがおそらく食えたものではないだろう。
岬は風が強い。天気予報でも強風注意報が出ていたが,岬という地形ゆえ余計に強い。突端には戦争慰霊の石碑が立ち,後ろを振り返ると,天気のせいか山が黒くそびえている。最果てムードたっぷりである。

来た道を戻り,国道を突っ切ってまっすぐ行く。地図では扱いが(国道58号線の)旧道っぽい扱いなので,狭いジャリ道だと思っていたら,整備されている。おそらく観光バスも,辺戸岬とセットでここもコースに入れているのだろう。その目的地・茅打バンタには,11時25分到着。
バンタとは「崖」のこと。崖下にはエメラルドブルーの海と,宜名真の集落が広がる。駐車場にある案内地図で見ると,ここいらあたりは国道が海岸線に沿うように,例えると蛇の頭のような曲線を描いている。この宜名真は,蛇の首の部分(蛇に首があるのか分からないが,要は一番狭い部分)にある。ちなみに,国道はこのバンタの下をトンネルでくぐり抜ける。
来た道を戻るのも何なので,旧道を進む。と,突然道が狭くなる。対向するのは困難である。バスは先ほどの整備された道を折り返すのだろう。5分ほどで旧道を抜け,宜名真集落に下りる。
ここから30分は,国道は右に東シナ海を見ながらひたすら進む。途中,いくつか集落を通るが,当然見るべきものはない。よって,来た道を戻るバス客にとっては格好の睡眠ゾーンであるが,私は眠るわけにはいかない。時折通るカーブが,睡眠欲をいい感じでかき消してくれる。

お昼前,辺土名に到着。国頭村兼やんばるの中心地である。国道を外れて市街地に入ると,飲み屋街,食堂,民宿などがある。これまでのように,1〜2軒ぽつんぽつんというわけではなく,しっかり街を形成している。銀行も郵便局もある。
で,昼時のせいか街中は,車が結構路駐しており,また往来する車も比較的多いので,譲ったり譲られたりしながら進まなくてはならない。また,中心には辺土名バスターミナルがあって,人が結構待っている。停まっているバスは,67系統・名護行のバスだろう。ただ,バスターミナルといっても,ここを通るのはその名護行と,1日数本と書いた奥行(69系統)のバスのみ。ターミナルとは格好いいが,単なる折り返しスペースと小さい待合所のみである。奥までバスで行くのはごくまれだろう。となれば,ここ辺土名が名実ともにターミナルみたいなものだ。
さて,辺土名というと有名な事件がある。以前も書いた気がするが,約4年前,歌手・安室奈美恵のお母さんが殺害される事件が起こった場所でもある。テレビで見る限りは,通りの中心あたりで殺害された感じだが,どうやらこの通りではないのか。こんなに車が多くては確認もしようがない。あるいは国道のほうかもしれない。ま,目的が不順極まりないことは言うまでもない。飯を食おうにも,先ほど触れたように食事場所なぞないと思って,ホテルの朝食バイキング(宿泊料に込み)でがっちり食ってきたので腹も減らない。用がこれでなくなったので街を後にする。

車は再び海沿いを南下する。ここ辺土名も,次に通る大宜味(おおぎみ)村にも,道の駅があって盛況である。観光バスはこっちに入るだろうから,街の中心部にはあまり金が落ちないだろうと思う。ちなみに,大宜味村の中心は,東村などのそれにまた戻った感じである。
12時30分,真喜屋(まきや)地区に到着。ここはもう名護市である。あっさり「やんばる反時計回り計画」完了である。ここ真喜屋交差点で右折すると,橋を渡って屋我地島へ行ける。時間は余裕たっぷりゆえ行くことにするが,その前に腹ごしらえを。角にあるファミマでおにぎりを購入。一つはマグロか何かだったが,もう一つは「ポークシーチキン」というやつ。こちらはボリュームがある。
このポーク,いわゆる豚肉の細切れとかとは違い,ソーセージっぽいやつだ。魚肉ではなくポークソーセージ,いやハムを厚切りにしたものと言えばより適切かもしれないが,ハムほど素材感はない。どこか加工食品っぽい感じはする。元横綱の曙が,故郷ハワイに「スパム」というポーク缶があると話していたのをどこかのテレビで聞いたことがあるが,このポークが「スパム」ではないか。ホテルの朝食バイキングでも,かまぼこと何かとの煮つけの中に,このポークが細切りで入っていた。沖縄では便利でポピュラーな食べ物なのだろう。あるいは私が知らないだけで,すでに全国区なのかもしれないが。

腹ごしらえをして屋我地島へ。途中小さい島を一つ経由していく。島内は……ガイドブックにも案内がないとあって,何もない。あるのは,さとうきび畑と思しき畑のみ。その中にポツポツと家が立つ。とりあえず島を一周する。
途中,愛楽園という療養所で折り返し,右に海と本部半島を見ながら72系統・名護発のバスの終着地・運天原(うんてんばる)を通過。ここも「共同店+数件」のレベルだ。
結局,20分余りで元来た道を戻る。屋我地島制覇。ただし,石垣島や宮古島に行ってきたのと同じ扱いにできるかどうかは,はなはだ疑問だが。

(8)本部半島へ
真喜屋から少し直進。とある交差点で右折し,国道505号線へ入る。ここは本部半島の北の付け根部分だ。右に沿う海は屋我地島と半島に挟まれ入り江の形となっており,波もなく穏やかだ。しかし,道幅が狭い。片道1車線だが,海側が護岸されていることもあって,時折対向車とすれ違うときにヒヤッとする。ちなみに制限速度は30kmである。
今帰仁村に入って間もなく「右折・運天港」の標識。とりあえず右折し,坂を下って行くと港に着く。保元の乱(1156年)で伊豆に流された源為朝が,「運を天に任せて」船出したところこの港に着いたという伝説が,名前の由来だという。これもいろんなサイトなどを見てみると,その後この島で結婚し,子供が舜天王なる王様になった説と,琉球に渡らないで伊豆で自刃した説があるようだ。もちろん伝説なので,真実なぞ必要以上に追求する必要がないのは,言うまでもないことだが。
再び国道に戻り二十数分,今帰仁城跡に着く。前述のとおり,前回旅行で来たことのある場所。世界遺産だからなのか,結構人が多い。土産屋もある。中は跡だけに石垣が残るのみ。高台にあるので海を見下ろすことができる。天気がよければ,もっとこの石垣も海もより色が映えるだろうが,少しうら寂しさを覚えてしまう。城は,いつだれによって築かれたのかは分からないらしいが,そんなものを城(読み方は「ぐすく」)と言ってしまっていいのかと思うくらい,こじんまりとしている。あるいは「ミステリアスだから世界遺産」なのか。本丸もさして大きくはないし,パンフレットにある想像図も,城というよりはちょいとした豪農の家みたいだ。

城跡を出て,西に向かう。次も行ったことのある国営沖縄記念公園である。海に突き出たメガロポリスと,白い人工の砂浜の美しさが印象に深い。間もなく国道を外れて右折,より海側に近い道を走ること数分。カーナビが記念公園の旨を表示。それに従い右折すると,駐車場のようだ。「有料」と書いてあるが致し方ない。その駐車場に車を停める。
と,何か9年前と雰囲気が違うので,近くにあったガイドマップを見ると,どうやら公園の一番北側に入ってしまったようだ。ま,折角だから端にあるメガロポリスまで歩いて折り返そうと気楽に考えていたら,2km以上もある。これは適当なところで折り返さねば。
とりあえず,エメラルドビーチなる海岸があり眺める。白砂と青い海がキレイだが,紛れもなく人工ビーチである。ビーチを上がり遊歩道へ入ると,ゴルフのカートをデカくしたような車が走ってきた。どうやら端のほうまでこれで行こうと思えば行けそうだが,タダではないようなのでやめる。親子連れ3人が,乗っかってどっかに向かっていった。
数百メートル行くとバカデカい水族館。いまいちキョーミなし。フカがいる水槽を見る。だれもいない。フカなんぞ人気はないのか。それとどうやら海につながっているようである。もう少し進むと,スタンドがあり人がびっちり入って歓声も上がっている。イルカのショーをやっているようだ。冷やかし程度にちら見して後ろを振り返ると,おばちゃんが窓からとある建物の中をのぞきこんでいる。脇に出入口があるので入ってみると,イルカが2頭,優雅に泳いでいる。こっちのほうがよっぽど自然体でよいではないか。頭がよい動物と言われているが,仕込まれた動物を見て何が面白いのか。
それはそうと,雨がポツポツ降ってきた。傘を持っていないので,いい加減イヤになってきた。金を払うのもバカバカしいので,結局歩いて元来た道を戻る。みな連れがいるようで,単身で乗り込むような場所ではないのだ。
車に乗り出発。前に車が来て係員が誘導するので,しめしめと思いついていったら,別の駐車場に行ってしまった。やっぱり悪いことはできない。再び戻って入った駐車場から出る。誘導はされるが引き止められない。何なく出られてしまった。「有料」じゃなかったのか。

さて,最後は瀬底島だ。この島も半島と橋でつながっている。ここを見終われば目的完遂である。時間はまだ15時にもなっていない。どうやら余裕で名護に帰れそうだ。公園中心地辺りの道を通過すると,こっちは結構車が多い。こっちだったらまともな所に停められたか分からないし,何より駐車料を取られたかもしれない。ケガの巧妙と,都合よく解釈してしまおう。
国道に戻り,本部町の中心地に入る。ホテルもあり,公共施設も大きい建物であり,大きい街である。路線バスも複数本走っており,記念公園や瀬底島への基点,半島を縦断する道の基点にもなっているから,ある意味当然であるか。
間もなく瀬底大橋。こちらの橋は,太鼓橋のように大きなアーチを描き,島へ入る。こちらも離島らしく,全体がこじんまりしている。瀬底の集落も「共同店+2〜3軒」である。島の突端まで行こうとしばらく進むと道が急に狭くなる。すると,前には農耕車らしき車がのんびりと走る。追い越しは不可能だ
し,クラクションでプレッシャーをかけるのも気が引けるので引き返す。
来た道を戻ること数分。「左・瀬底ビーチ」の標識に左折。入口こそ狭いが,途中からは片側1車線。少し前を車が1台走っているが,順調にカーブを数度切るとゴルフ場が見えてくる。こちらは車が停まっていて,盛況のよう。
と,どんづまりのビーチ。だが入口があまりに狭く,1台前の車で駐車スペースはなくなってしまった。あるいは手前のゴルフ場に停められたかもしれないが,仕方なく数度切り返しをしてバックする。

こうして全部見終わり,16時無事名護着。徒歩で宿へ帰る途中,雨は急に本降りになってきた。 (第4回につづく)

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