20th OKINAWA

(1)プロローグ

那覇空港,9時ちょい過ぎ到着。早速,レンタカー会社の送迎車が集まるエリアに向かうと,今回レンタカーを借りることになっている日産レンタカーのワインレッドのマイクロバスが,所定の位置に滑り込んできた。車から降りてきた男性に声をかけると,「今,別のバスが来ますので,そちらにお願いします」とのこと。朝から鋭い陽射しを受けながら待っていると,「こちらに来ては?」とバスの陰に誘ってくれる。なるほど,陰だとぜんぜん違う。「沖縄は朝の陽射しが強烈ですからね〜」と男性。
1分ほどしてやってきたのは,白の古いマイクロバス。中に入ると,なぜかシンクみたいなものがあって,座席も横に長いシートだ。私を乗せると,さっさと出発する。那覇行きの飛行機は満席で,男性が持っていたリストを見る限りは,20組程度の利用客がいるはずだろうから,こうやって1人だけをピストン輸送するのは非効率なはずだろうが,個人的にはこういう対処はうれしい。
軽快に走って,1分ほどで赤嶺の交差点。目の前にあるトヨタレンタカーの右隣に日産レンタカーの那覇空港営業所がある――実は初めはトヨタレンタカーに予約を入れたのであるが,満車という返事になってしまった。さる4月,トヨタレンタリース東京のホームページ経由でMD付きのレンタカーを予約できたので(「管理人のひとりごと」Part42参照),沖縄でも……しかし,「トヨタレンタリース沖縄」のホームページはなくて(そもそもそんな会社があるのかどうか),仕方なく「トヨタレンタ楽ティブ」の“リクエスト予約”で,備考欄に「MDつき希望」と書いて申し込んだが,それが災いしたのだろうか。いや,たしか備考欄には「予約には反映されない」と書かれていたから(だったら,いっそないほうがいいよ),やっぱり純粋に満車だったのだろう。そもそも車種指定がメインだし。
なぜか会員になっているジャパレンはすべてCDしかないことは分かっているし(「沖縄卒業旅」第1回参照),オリックスレンタカーは,豊見城の“あしびなー”まで行かなくてはならないし(「沖縄はじっこ旅V」第1回参照),やはりこちらも車種指定しかできない――ということで,日産レンタカーに“白刃の矢”を立てたのだ。最近,CMで日産のマーチとかキューブがMD仕様だなんてやっていたし,それを期待してこちらもまたリクエスト予約にした。車種はマーチなどのクラス。もちろん,MDつき希望である。
しかし,その結果は予約こそできたものの,「MDつきの取り扱いはありません」という。しかも,値段は1万5120円と,他の会社に比べて高い。こうなると,豊見城でもいいからオリックスレンタカーにしようかと思って,一時期オリックスレンタカーにも予約を入れていたのだが,結局は近さで日産に決めた。前日に一応,カーオーディオを確認したら「CDのみ」ということで,カセットに接続するアダプターは家に置いてきた。ま,ホントはいけないが,イヤホンで聴きながらでもヨシとしよう。
……話を戻して,営業所に入ると私1人だけ。あるいは,これから人がどっと押し寄せる前の静けさかもしれないが,粛々と,しかしどこかのんびりと手続が行われていった。カウンターの前にソファがいくつかあって,「お呼びしますのでおかけください」と通されていたのであるが,ふと壁を見上げれば芸能人のサイン。Kiroro,島田紳助氏,ラモス瑠偉氏……いろいろ数えていると,名前が呼ばれた。
ドライブマップと書類を受け取ると,営業所の出入口そばに停まっていたワインレッドのマーチに案内される。マーチは昨年末以来2回目(「沖縄はじっこ旅V」参照)。カーオーディオは予定通りCDのみ。明日18時までのレンタルである。返却場所は南に700m程度行ったところで,ガソリンスタンドと併設しているとのこと。なるほど,それならば一番迷わなくて済むからいい。

さて,今日のメインはトップにも書いたように久高島であるが,久高島への船の時刻は今回14時としている。なので,それまでは南部をドライブしていくことにする。国道331号線のバイパスから本道へ。あいかわらず車は多いし,郊外型の店も多くて「沖縄らしさ」みたいなものは微塵もない。そのまま糸満ロータリーまで来て左折。県道77号線へ入って東進する。
ここからはしばらく走り,途中から右に分かれる県道52号線に入って南進…と,早速それらしき右折道路が見えたので,そこを……って,街路樹の緑が青い看板にかぶさって見えないぞ。わざわざ右折車線に入ってしまったが,外側から「54」という数字を確認。後ろから車が来ていなかったので,再び直進車線へ。ま,カーナビを器用に使えていれば起こらないミスであると付け加えておこうか。
糸満の市街地も,南北を縦断する県道7号線を過ぎると,一気にサトウキビ畑の風景に変わる。そして,ここでやっと県道52号線との分岐点。右折すれば,さらにシンプルさが増してくる。廃バスが3台放置されたままになっている場所もあったが,やっぱりこの付近は「そういうことが許される一帯」なのだろう。そのまま東風平町に入ると,左右に「勢理城の石彫大獅子(シーサー)」「白梅学徒看護隊之壕」という看板。うーん,これらも見ておきたいものだが,前者は先日観た「おしゃれ工房」の漆喰でシーサーを作る回で紹介されていた(「管理人のひとりごと」Part53参照)。後者は……ま,もしまた見たければ改めて来ることにして,今回も通過する……そう,ここは何度か通っているのだ。でも,どうしても通過してしまう,だから“も”なのである。
やがて,国道507号線と交差して,一旦左折してまた右折。ここからがややこしい。行政は具志頭村になるのだが,道がクネクネしているし狭いのだ。それも次第に先細りしていって,伸びに伸びたサトウキビ畑の中で二股に分かれ,しかもそれぞれが車が1台程度しか通れない一方通行道路になる。まっすぐ行くのと右手に分かれるのとがあるのだが,まっすぐ行くほうは一方通行の出口。すなわちそちらには入れず,私の車は右に行くことになる。こんなの県道としてアリなのだろうか。きちっとストレートに通じてほしいものだが,権利がからんだり,はたまた権利ならまだしも“呪い”とかややこしい問題もあるのだろうか。一方通行を間違えて逆走してこないかと不安にもなってくる。
それでも,無事県道17号線に出る。何度かここを右折していった記憶があるが,今回は確実にここを左折する。間もなく,上記一方通行の入口。看板は青地に白抜きで「←」となった看板のみ。糸満の市街地に出られる近道かつ重要な道だと思うのだが,一切の方向板がない。どっかヘンである。間もなく「→おきなわワールド」の看板。ここが今回最初の寄り道である。かつては「玉泉洞」というシンプルな名前で,その名の通り鍾乳洞だった。とりあえずは「東洋一」らしいが,それがこんな名前になっているとは……94年3月に一度訪れており,そのときのことは「沖縄・8の字旅行」前編にちらっと書いてあるが,今回11年ぶりの再訪である。ここに寄った理由は,あらためて後述していこう。
敷地内に入ると,車がビッシリ埋まっている。まだ10時だというのに,やっぱり,ここは人気があるんだなー。結局,クバ笠に長袖といういでたちのオジさんの誘導で,ちょっと奥の方に停めることになった。炎天下でオジさんも大変だ。もしかしたら見学時間を少し要しそうなので,パソコンがちと心配だが,とりあえずバッグの中に入れておいて,陽が当たらない運転席下に置いとくことにする。陽射しはますます強烈,湿気は蒸せ返るほどにムンムンしている。

(2)話のタネのつもりが…
入場口は,いかにも「団体受け入れOK」と言わんばかりの大きさ。ゲートがいくつもある。さて,ここで入場料を支払うのであるが,「王国村600円」「王国村+玉泉洞1200円」「王国村+玉泉洞+ハブ博物公園1600円」の三つがあるのだ。何じゃ,この高さ……そう思ったかどうかは分からないが,どうせならば,ここのメインは間違いなく玉泉洞のはずなのだから,例えば「玉泉洞800円」とかいう設定も,あっていいのではないだろうか。それ以外の“人工王国”なんて,私には興味がない。
一瞬どうにも判断がつかず,受付のオバちゃんに「すいません,玉泉洞を観たいんですけど」と言うと,「じゃあ,1200円です。ハブ公園はいいですか?」と聞かれる。「いいです」とアッサリ。ホントにアッサリ言ってやった。何でハブごときに400円上乗せをせにゃいかんのだ? パンフと一緒に「ぶくぶくー茶屋20%割引券」をもらった。何だか観光客用の“ハコモノ”に入った嫌悪感を持つ。

さあ,ゲートを出ると早速,左手に玉泉洞の入口――って,いかんいかん,これが見たいメインじゃないのに,何となく入っていってしまう自分がちょっとイヤだ。入口手前で一旦ストップ。数人ごとに沖縄の伝統衣装・紅型を着たオネエちゃん2人と記念撮影するのだ。「とりあえず撮らせていただきます。1枚1000円となっています。もし気に入ればお求めください」――誰が買うか,そんなの。少なくとも,私はこーゆーのは絶対買わない。よっぽど「貴重なフィルムのムダになりますから,どうかこのまま通してください」と言いたかったが,さすがにそれは止めとく。そのまま何となく黄色い衣装の女子2人にはさまれ,フラッシュを焚かれてしまった。やれやれ。
中に入っていくと……なるほど,でっかい鍾乳洞だ。足場もしっかりと固められていて見やすい。天井からのつらら石と地表の石筍がくっついた「昇龍の鐘」,2万本のつらら石が繊細にも不気味にも垂れ下がった「槍天井」,でっかい盃のような「黄金の盃」など,自然が織り成す芸術もあれば,「青の泉」なんていうのは,川の中から青い照明を照らして幻想的に見せている人工の芸術。一方で,この自然の芸術を利用して,ハブ酒の蔵を作ったり,岩場に電球をデコレートしてみたり――タイトルは「自然と人間の融合〜持ちつ持たれつ〜」あたりで落ちつくだろうか。ちなみに,前二つはパンフからママ流用。ガクッ。
やがて「新洞入口」。奥からはこんこんと水がこちらに流れてくる。もちろん,非公開なのでその奥に入ってはいけない。全長で800m程度とのことだが,何と往復に8時間かかるらしい。そういや,日テレでやっていた先日の「たべごろマンマ」で,キングコングの梶原雄太氏が“長命の水”を何時間もかけて命がけで汲みに行ったのは,多分この新洞ではなかったか。少なくとも玉泉洞だったとは思う。天井が相当に低くて,ほふく前進みたいな感じで進んでいって,所々は水面に口だけを出す程度にまで水が達していたのではなかったか。
そんな中,「玉泉洞の“珍々”です」という看板。もちろん,読み方はそのまんま。そういう形のつらら石が1本垂れ下がっている。でも,いまいち大きさが物足りない。もっと「大きいのが欲しい」のである。それこそ,黒人のそれが大きいと言われるが,そんな「しっかりとひっかかって」「芯があって固くそそり立つ」ものが欲しいのだ。もっと大きいのがほしいのーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 
……実はこの“珍々”と,ついでに“満々”(もちろん“まん×ん”と…って,別に伏せることなんてないか。“まんまん”と読むのだ)こそが,私がここまで来て見たかったものである。「参考文献一覧」の中にもあるが,『ゴーマニズム宣言』でおなじみの小林よしのり氏が描いた『沖縄論』で紹介され,ここ玉泉洞にあると言われる「珍々洞・満々洞」が見たいのだ。下世話だと言われても大いに構わないが,あえて言えば,こんな整えられた観光洞窟なんかどーでもいいのだ。1200円も払わされて,半ば人工的になったこんなもの,どーでもいいのだ。早く大きいのがほしいのだ…じゃなくて,早くそっちのメインのヤツが見たいのだ。とっととこの洞窟を出たいがために,何人の観光客を追い抜いただろうか。
ホントは「王国村・玉泉洞」で見学時間は90分必要なようだが,25分ほどで外に出てしまう。入るときは階段で入ったが,出るときはエスカレーター。看板いわく「沖縄で一番長い」そうな。なるほど,結構傾斜もあって長い。たしか,洞窟内は湿度こそ80%だが温度は21℃。なので動いていても涼しいのであるが,外に出た瞬間に湿度は保ったままで気温が10℃一気に上がる。メガネは曇ってくるし,これを階段ですべて上がれと言われたら,全身がグショグショになってしまう。
地上に出ると,青臭い匂い。植物園である。マンゴーだのパッションフルーツだのがなっているらしいが,ひとまず興味がないので通り過ぎる。ここからがいわゆる「王国村」に当たるのだろう。テクテク歩いていると,赤瓦に木造という伝統家屋の「登り窯」という建物。そのまんま,坂の傾斜に沿って陶器を造る窯が建っている。これも興味がないので中には入らなかった。あるいは,この裏手に向かって坂が伸びていて珍々と満々がある……って,単純に行き止まりだった。
仕方なく,そばにあるパーラーに入ることに。朝は夜明け前の4時過ぎというのに,松屋でカロリー高の「ヘルシーチキンカレー」なんか食ってしまったというのに,甘いものは別腹とばかりに「紅芋ソフトクリーム」を食べてしまう。350円。一緒に売られているフルーツジュースも魅力的だったが,朝4時起きなのに2時台に目覚めて以降,寝不足になっている身体には甘いもののほうがシャキッとしやすい…かどうかは知らないが,少なくとも紅芋の甘さが身体に染みたのはたしかだ。周囲も老若男女入り乱れてソフトクリームを食べていた。あと,数分歩いただけで汗グッショリになる身体には,地元産の“サンゴビール”なんてのも惹かれたが,さすがにここでビールだと居眠り運転になりそうだから,止めとこう。夜に機会があれば飲むことにしようか。
土産屋を抜けると,ガラス工房らしきスペース。体験スペースのようだが,あっさり無視。エスカレーターに乗って,次のエリアは「琉球王国城下町」というらしい。赤瓦の家が多く建っているエリア。「藍染工房」では,何気に明日着るTシャツを買おうかと思ったが,いいのがなくてあきらめる。どうやら,この先に土産屋のエリアがあるらしいし。でもって,このエリアにあった「ぶくぶく茶」の店も通過。そこまでして味わいたいとは思わない。
工場から再び外に出ると,どんづまりにちょっと大きくて立派な造りの「王国歴史資料館」。あるいは,珍々洞とかの全体図がここでつかめればと思ったが,(私にとっては)どーでもいい王国の歴史とかが展示されていたので,1分ほどで脱出。おきなわワールドの母体である「南都ワールド」としては,ホントならば30分かけてでも見てほしいと願って造ったのだろうが,その願いも虚しく,私以外誰1人として見学者はいない。そして,この私も滞在1分。せっかく,少し投資して自動ドアにしているというのに。
そして「黒糖工場」なるところでは,そのまんま黒糖関係の土産物があった。それ以外にもスイーツ系のものがたくさんあったし,早くも土産物ゲットかと思ったが,先を見越してここも素通りする。次のハブ酒とサンゴ地ビールの工場兼売店のエリアは,何とハブ酒の試飲ができる。2人の女性が「いかがてすかー?」と声をかけたが,私は残念ながら運転の身。ま,1杯ぐらいなら飲んでも差し支えないのだろうが,これまた「そこまてして体験したいと思わないエモーション」より,あっさり通過する。
ここを抜けると,いよいよ「おみやげ専門店街」と言われる建物。2階建てで2階から入る。入ってすぐのところにはレストランがあって,沖縄料理が堪能できるようだ。団体用ということもあって,かなり広い。そして,どうやら11時前というのに営業を開始しているが,残念ながらこの時間は沖縄そばとか簡単なものしか作れないようだ。あるいは,ここで食べることも考えたが,朝の松屋のヘルシーチキンカレーの“持ち”もいいし,あるいはこの先で食べることにしようか。
さて,案内図を見ればこの一角に「COSMIC」というTシャツ屋がある。店がある1階に降りていくと,もう完全に団体観光客を見越しているかのような売店の数々。食べ物から何から,地物とか贅沢を望まなければ,確実に会社ないしは身内ウケする土産物屋ばかり。そんな中,サータアンダギーが売られている店を発見。1個90円で数種類あった。赤ちゃん連れの女性が1個買っていたが,私はタッパーから2欠片ほど取って試食して去る。あるいは紅芋アイスを食わなければ1個買っていただろう。
そして,建物の中心部あたりに「COSMIC」を発見。ここのTシャツの特徴はというと,「偽善者」「高額納税者」「貧乏人」なんて挑発的なものから,沖縄らしくということか「琉球魂」「泡盛大好き」など,モロに文字オンリーでインパクトがある柄のTシャツが印象的。でも,そんなものは私は着たくない。ワンポイントでいいのだ。とはいえ,探せども文字のヤツばっかで,2回りぐらいしてやっとこさ何か柄の上に「SOUTH WIND」と描かれたものを買うことにした。2000円。

専門店街を出ると,再びムワッとした空気と猛烈な陽射し。うーん,このまま目の前のゲートを出ようかどうか。たしか,玉泉洞のホームページではチケット売場で場所を確認するように書かれていたような気がするが,売場はみな女性。正式に御嶽の名前があったと思うが,それが思い出せない。「珍々洞・満々洞はどこですか?」という言葉を出すのも,どっかはばかられる。
と,ゲートから左の方向に目をやると,何か看板らしきものが見える。右のほうは玉泉洞への入口もあるし,売店の出口もあるし,陽射しが当たることもあって明るい。対して左側は事務所らしき古いコンクリの建物があるだけで,人足はまったくなく,樹木が生い茂っていて薄暗い。まさしく同じ敷地内のはずだが,ここまで正反対なのもめずらしい……ま,それはいいとして,とりあえずそっちの方向に行ってみるとビンゴ。「自然公園案内 珍々洞・満々洞→」という看板があった。よっしゃ。
それは足場のあまりよくない階段をひたすら下っていく。階段を降りてすぐ,前後に口を開けて大きめの洞窟がある。30m四方ぐらいだろうか。その下はなぜか古くなった木のテーブルとベンチがある。ここも上からいろんな形の鍾乳石が垂れ下がっていて,見様によっては「満々」らしきものに見えなくもない。後で確認したら,こちらは「武芸洞」というらしい。
うーん……と思っていたら,この武芸洞の入口から1本道が分かれていた。とりあえず,そちらのほうにも行ってみると,こっちが当たっていた。階段といっても石を積み上げた程度のもの。通り雨でも降ったのか,所々ぬかるんだりもしている。こりゃ,ひたすら行くしかないのか。駐車場は炎天下の中にあるから,そろそろパソコンがいい感じで蒸されているだろう。戻りたい気もするが,ここまで来て引き返したら,何だか後悔してしまいそうだ。
すると,いくつものガジュマルの枝や根そして鍾乳石群が,自然のカーテンになって上空から垂れ下がる何とも幻想的な光景に出くわした。上は高さが20m以上はあろうか。そこからの木漏れ日が,どこか“極楽浄土”を連想させる。そしてのどかな太鼓と三線の音が聞こえてくる。このおきなわワールドでは,沖縄の伝統芸能である“エイサー”の実演が1日4回行われる。その第1回がたしか11時からだから,多分それが始まったのだろう。はたまた近くを道路が走るのか,トラックの音も聞こえる。
繰り返すが,おきなわワールドと同じ敷地内であるから,ここは立派に観光用施設のはずだ。はたまた,トラックが走る“日常”もすぐそこにある。でも,この空間だけは完全にそれらとは遮断された中にある。もちろん,誰ともすれ違わなければ,誰も追い越さない。時間がすべて止まっている。珍々洞・満々洞が“リアリズム”ならば,ここは“ファンタジズム”である。ここもまた御嶽のメインスポットだ。
さあ,その先も道が続いていて,間もなく「←珍々洞」という大きな看板。道はその通り左にカーブしていき,一度間違いなく人が作ったトンネルをくぐる。蛍光灯の存在が何よりの証拠だ。その下に蕾のような鍾乳石。ん,これが“満々”か? いや,こんなんじゃなかったような……かといって,立ち止まっていてもいたずらに時間は過ぎるだけだ。前述のように,メインの久高島行き高速船は14時発。安座真(あざま)港へは13時半には遅くても着いていたいし,できることなら宿に車と荷物を置いていきたい――そう,今回泊まる宿は,この安座真集落にある「安座真ムーンライト・テラス」というペンションである。ここで荷物を預かってもらう時間とかも考えれば,あまりこの場で時間を費やせないのも正直なところである。
それでも,何度めかの足場が悪い階段を下ると,左手に大きな洞窟が現われた。右の明かりがあるほうにも道が伸びているが,洞窟の奥にも通路は続いている。もしかして……とりあえず左に進んでいく。明かりは所々足元に蛍光灯があるのみ。玉泉洞のようなデコレーションも整備もまったくない。あるがままに残されている。右手には幅10mほどの川が洞窟の奥に向かって流れていく。流れはなかなか速く,水も豊富だ。これまた玉泉洞のような幻想的演出はない。
そして,ようやっと5本のチン×ンに巡り合った。太さも長さも,玉泉洞で見たそれとは比べ物にならない。あっちが赤ん坊のそれならば,こちらは大人の男が正常な性欲の下,これでもかといきり立っているかのように,私に向かっている。長さにして10mほどあるだろう。しかも,男性に“左向き・右向き”があるように,いい感じで曲がっている。ちなみにこれは川の流れ,すなわち洞窟の奥に向かって曲がっていたが,これまた「自然が織り成す芸術」なのだそうだ。
さて,鍾乳石といえばその先からは雫が垂れているのが定番。すなわち先っちょヌレヌレなはずであるが,ここはそういった感じではなかった。おそらく,ここを訪れた野郎の数人…いや,これは女性にやってもらったほうが嬉しかったりするのだが,この先っちょに向かって下から大きな口を開けてほしい。しかも舌を出して。まさか,口に頬張るわけにはいかないが,その先っちょから汁が口に垂れるのを写真に収めたりなんかしているのではないか。はたまた先っちょを挑発的な目で撫でる――うーん,想像力がものすごくふくらんでくる。ある種,ここもまたファンタジズムである。満足満足。
……失礼,この洞窟は正式には「男洞(いきがどう)」という。そして,チ×チンは正式には「父神」という。「子授けの神」「精力増進の神」として,昔から崇められてきた御神体なのだ。一応,そばに拝所があって,なぜか1円玉ばかりがたくさん置かれていた。1円ということは「一発着床」をねらっているのか。「ご縁がありますように」と5円玉が置かれるなら,どこか納得できる気もするが。
ついでに,満々洞の象徴である「母神」はというと,女性のお尻までつま先までの後ろ姿をした御神体だ。こちらは「良縁の神」らしい。父神がモロにカリクビそのものならば,さっきの蕾のほうがよほど“女性自身”らしく見えてくるが,さすがに女性らしく「モロそのまんま」ってことはなく,どこがしか奥ゆかしさを保っているってところか。ちなみに,そのままズバリの形をした岩の割れ目を「安産の象徴」としているのがあるが,久米島にある史跡「ミーフガー」だ(「久米島の旅」第1回参照)。…あ,肝心なことを最後に付け加えれば,武芸洞・男洞・女洞そしてガジュマルの幻想的な光景まですべてひっくるめた,この御嶽の名前は「種之子御嶽(さにぬしーうたき)」という。種は“さに”とは読めないなー。
――さて,帰りは来た道を戻らなくてはいけない。ってことは,ひたすら足場の悪い中を上がっていかなくてはならない。やれやれ……そんな中,さっき見た「←珍々洞」の看板の裏側が低い石垣に囲われていた。ちょうど,その上が家の軒みたいに大きく岩がせり出しているので,私は看板の裏は岩しかないのかと思っていたが……ま,行きはそんないちいち看板の裏なんて見ないからな。
その構図からして私は拝所の一つかと思っていた。しかし,中をちらっと見ればいくつもの壷。土器のようにシンプルに土を焼いて固めただけって感じの茶色い小さい壷がいくつも置かれてある。その一つから飛び出している白い棒のようなもの数本……もしかして,骨? いや……いや,やっぱり骨だろう。長さからいって腕だろうか足だろうか……まず「風葬」の跡に間違いあるまい。
沖縄ではかつて,人目のつかないガマなどに遺体を安置して骨になるのを待ち,骨になるとそれを丁寧に洗って壷などに収める「風葬」の風習があった。この場所に積極的に訪れる輩はまずいないだろう。後で帰り際に,崖地形を利用した立派な墓が1基あったが,まさか,こんな厳かで神聖なもの,わざわざニセモノを作ってまで訪れる者をビックリさせるなんて意図は,南都ワールドにはあるまい。この跡については,モロに見えるのはさすがにまずいから,看板でとりあえず隠したってところであろう。もちろん,壷のほうをどこかに移したらバチが当たるかもしれないから移せないだろうってことぐらいは,アホな私にも想像ができる。さっきの幻想的な光景も,こうなってくると一層「極楽浄土色」が増してくる。私は思わず身が引き締まって手を合わせる。合掌。あるいは,これでシャレコウベだったらば,情けなくも私はほうほうのていで逃げていたかもしれない。
でも,この物を語らぬ骨の主は,一体どういう人生を送ってきたのだろうか。ガマはまた,第2次世界大戦で避難壕になったことは何度となく書いている。あるいは攻撃に巻き込まれて若いうちに非業の死を遂げたのか。はたまた無事に天寿を全うされた方なのか。COSMICのTシャツのごとく「偽善者」と言われようとも,私としては後者であることを信じたいところだ。(第2回につづく)

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