沖縄惰性旅

(3)何事もプラス志向
タクシーでやってきた通りを戻る。井戸を塞いだ跡なんかも見受けられる。ここは2004年1月に通ったことがあって,ちょっと懐かしい。このときはホテルに投宿後,友人の知り合いから「あしびうなぁ」という食事所が近くにあるという情報を入手。19時過ぎに出発して場所を探していたのだが,野郎3人で地図も持たず,「大学の近く」などという情報を頼りに周辺を放浪したが,一向に見当たらない。
で,首里交番でメシを食っている最中の警官に聞いたら「分からない」と答えられ,一方,ガイドブックを見ようと思って立ち寄った交番近くの本屋で女性の店員に聞いたらば,なぜかその場所が分かったなんて記憶がある。たらふく美味い料理を食べた後で,帰り際に経営者が変わるなんて話を聞いたが,その後大きなチェーン店の傘下に入って,今も店は盛況のようである(「沖縄“任務完了”への道」第3回参照)。そんなことを思い出しつつ,首里交番や本屋の前を通過する。ちなみに,「大学」とは沖縄県立美術大学のこと。たしか,その真向かいに店はあったと思う。
さて,私はさっきキレてしまったことに(前回参照),どうしようもなく凹んでいた。プライドが高いのかもしれないが,どうにも恥ずかしい気持ちになった。沖縄という「ゆったりと時間が流れる場所」まで来てキレてしまう自分が,どうにも気持ちに余裕があるそうでない感じがしてイヤだ。何とかしたいところであるが……それにしても,前回もちらっと触れたように,改めてあちこちで「沖縄そば」の旗が掲げられている店が多いものだ。この世界もご多分に漏れず“ピンキリ”なのだろうが,別にそばのことなんて関心がないっていう人には,「首里そば」がどんなに伝説の味を引き継いだ有名な店であっても,単なる“one of them”でしかなくなってしまうだろうな。
やがて,首里城への入口を通過すると,先ほどタクシーから見えた「山城饅頭店」に辿り着いた。木造に緑色の看板の小さい平屋。たまたま隣が空地になっていてよく見えたのもあるが,かなり「年季が入っている外観」であった。こちらの店の饅頭は「1日400個限定」と情報があるが,そんな多い数作って“限定”ってのも,すごい話である。もしかして,相当にタフな人たちだなと思ってしまった。扉が開いて店が開いているということは,まだ売り切れではないってことだろう。ま,400個が1時間とかで売れるというのも,それはそれで結構「シュールな展開」ではあるが。
ここは結構人気がある店で,テレビでも雑誌でも何度も登場しているくらいだし,店内にサインも飾られているが,タイミングだったのか,店内にはまったく人影がない。狭い建物の左手には昭和のかなり昔から使い込んでいそうなテーブルが三つに,緑の背もたれがある金属イス。ひきずったら“ガガガ〜”ってイヤな金属音がするアレだ。冷蔵庫もあって,中に飲み物が入っているから,どうやら中で食べることもできるようだ。一方,右手にカウンターがあって,その向こうがどうやら作業場のようだが,壁でいわゆる“死角”となっている感じで,作業の様子は店内からは見えない。
さて,中に入ってはみたはいいが,何の反応もない。テレビの音が聞こえるから,誰かがいるのは間違いない。あるいは休憩時間なのか――「声をかける」「もう1歩中に踏み込む」という二択から,後者を選択したところ,突然「いらっしゃいませ」という機械の女性の声が出た。なるほど,センサーがあるのね。ちょっと意外な展開。
すると,中から60代後半ぐらいのオバアが「はい,いらっしゃいませ」と,そそくさと出てきた。「すいません,一つください」というと,そのまま中に向かって「すいません,一つください」と,オウムみたいに声をかけて消えていった。再び訪れる静けさ。外は昼間で明るいというのに,店内は少し薄暗い。クーラーのひんやりした冷気が,ふと私に降りかかる。
ちなみに,出ていくときも「ありがとうございました」と,これまたセンサーの女性の声が流れた。失礼ながらかなりボロい外観の店だが,こういうところに金をかけていたのか。ま,400個を作るからには,ある程度神経を集中して作らなくちゃいけないこともあるから,金のかけ方自体は間違っていないと思う。でも,外観とのギャップをふと感じて面白かった。
30秒ほどして,先ほどのオバアが吸い取り紙みたいな黄土色の袋で持ってきてくれた。1個100円。袋といい値段といい,いかにも“庶民的な設定”である。なお,ここの名物はまんじゅうとともに,90歳を過ぎたオバアであると,いろいろなホームページのガイドにはあった。あとは,その娘さんとお手伝いさんがいて,ゆんたくをしながら30分ごとに40個作るという。でもって,作り始めのときのタイミングで行くと,待たされることもあるようだ。なお,応対してくれた女性は多分,娘さんだと思う。
外に出て,歩きながら食べることにする。袋から取り出したるは,三つに折られていた長さ50cm×幅10cmぐらいのサンニンの葉っぱ。ほのかに温かい。見た目は完全に笹の葉そのものだ。それを丁寧に開けると,白い薄皮で直径5cmくらいのお饅頭が出てきた。表面が小豆の形まんまが出てボコボコになっているが,これがまた庶民的たるところか。蒸されて皮が透き通っているから,あんこがいっぱい入っているのがよく見える。一口食べると,しょうがの風味がした。多分,サンニンなのだろう。殺菌と保存の作用があるサンニンは,こうした包紙としても用いられているのである。出来立てなのか,柔かくてほどよい甘さもいい。どこか満たされて,凹んだココロが少しだけ元に戻った感じになる。

山城饅頭店の辺りからは,道が下り坂となってくる。そして,二股の城間(しろま)交差点に着いた。向こうには日航那覇グランドキャッスルの白く高い建物が見える。そして,角の建物に少し隠れてはしまっているが,この交差点からホテルの方向に急に“谷地形”になっていて,海をバックに市街地を見下ろす好眺望になっている。こういう発見があるから,徒歩は魅力的なのだ。
“歩車分離式”ということで,歩行者用信号が青になるまで2分ぐらい待たされたが,とりあえず,反対側に渡ってから狭い路地へ入り,その見下ろせる適当な場所を,角の建物の裏手付近に探し当てた後で,谷へ入り込んでいくルートを選択することにした。このまままっすぐ海の方向を目指して,DFSがあるおもろまち方面へテクテクと歩いていこう。時間は12時40分。もしハンパな時間ができれば,テキトーにその“DFSってところ”でつぶせばいいのだ。
この路地には工房らしきものが2軒ほどあった。人目につきにくくて静かな場所だから,さぞ創作意欲がかき立てられるには絶好なのかもしれない。あとは古くからある住宅街ってことで,かなり道が入り組んでいる。そこで生活をしている人か,よっぽど私のような“変人観光客”でもなければ入っていかないだろう。左手には建物の土台がそのまま高い壁となっており,少し薄暗い感じがする。
そのまま進むと,日航那覇グランドキャッスルの真ん前に出た。ここを右に曲がり,第4・第5駐車場のほうへとさらに下っていく。「通り抜け不可」という看板はあるが,それは車のことであって,人間には余裕で通り抜けられる道があった。なので,そこをそのまま進んで住宅街の中に入り込むことに。ホテルの裏手辺りは木々が生い茂る崖地形となっているこの辺り。表札で「松川」という地名を確認したが,空地が結構多くなっている。ゆいレールの駅までは遠いし,バス停までもはるばる日航那覇の坂道を上がる必要がある。不便っちゃ不便な場所だからかもしれない。それでも,結構車が入り込んでくるのは,あるいは抜け道があるからだろうか。
そのまま歩くと,商店を発見。ここで手に持っていたサンニンの葉っぱを捨てる。ゴミ箱がなかったからちょうどよかったのだ。別に持っていてもしょうがないし……そのまま左に折れると,「久米島特産 グルクンかまぼこ」という看板。単なる宣伝かと思ったら,それがかかっていた壁の向こうに作業場があって,中で何やら作業している。声はかけなかったが,多分実際に作っているのだろう。後でどこかで確認したら,愛媛県にある“ジャコ天”みたいな色の練り物っぽかった。
この辺りでパラパラッと,ほほに水が当たる音。上空を見ると,黒くイヤな雲が覆い出している。かと思えば,ものすごく暑そうな青空が姿を現す。もしかして,にわか雨でもあるのだろうか。前回の冒頭に書いたように,通り雨が突然来るということは,沖縄ではよくあることだ。もっとも,今は傘をささなくてもいい程度であるし,陽が翳っていたほうが,荷物を持った散歩にはちょうどいいのだが。
さて,この辺りからはテキトーに抜け道を入っていく格好である。こういうときに道路地図がないのは,ホントはよくないだろう。でも「何となーく歩いていけばどっかには出られるだろう」って感じでこちらも開放的になっちゃっているのは,テクテクと散歩するにはかえって都合がいいかもしれない。また,こういう裏道に思わぬ発見があったりするし,一方で地図やガイドブックに載せられる情報量なんて,たかが知れているというものだ。「地図にないから入ったってしょうがない」では,ホントに面白いものだって見逃してしまうこと,間違いないのである。
やがて,見通しの悪い十字路から左を見やると,坂の上にゆいレールの線路が見えた。とりあえず,この辺りで大きな通りに出ようか。この通りもまた抜け道みたいで,結構往来が激しいが,2〜3分で坂を登りきる。すると,左手数十m先に「市民病院前」というゆいレールの駅が見えた。なるほど。ということはこれを逆方向に行けば,次はおもろまち辺りだろう。たしかこの道は国道のはずだが,それにしちゃちょっと狭いし,どこか“マイナーな道路の匂い”がする。ま,でもそれは「想像と違った」っていうレベルだろう。とりあえず,逆方向に素直に進むことにする。
ふと,バス停の前にあるベンチで休憩。実は,十字路から坂を登りきる途中の橋で車がすれ違うのを待つために,一度橋ゲタに上がったのだが,道路に降りるタイミングを誤って思いっきり右スネを強打したのだ。モロに入ったので,血でも出ているかと思ってバンソウコウを用意したのたが,痣になっただけで済んでいた。もっとも,これはしばらく痛みが続きそうではあるが……。 
数分歩くと,狭い路地の入口に「→宝口樋川(たからぐちひーじゃー)」という看板。「樋川=井戸」ってことで,「あんた,前世はカッパじゃなかったのかね?」と,かつて親に言われたほど水辺好き(?)の私には,もしかして“たまらないスポット”かもしれない。時間はまだ13時。どうせ,DFS=おもろまち駅(直結)は次の駅だろうし,寄り道をしていくにはまだまだ十分に時間はある。
とりあえず,狭い住宅街の間の道を入り込んでいく。すぐ橋があったが,それらしき場所は見当たらない。あるいは,もっと奥にあるのか……そうこうしているうちに,別の通りに出そうな予感。あるいは,川のところまで戻るか。半分あきらめかけていると,家と家の間から鬱蒼とした景色が目に入った。もしかしたらこれか? さらに狭くなった通路を入っていく。
そこにあったのは,古ぼけた「聖劇玉城朝薫生誕之地」と彫られた石碑と,「加良川(カラガー)」という石碑。そして,下には何の変哲もないコンクリートで固められた川が流れている。なるほど,見る場所は違ったが,これはこれでヨシとしようか。ちなみに,宝口樋川のほうが写真で見たところでは規模が大きそうだし,近くには滝なんかがあったようだ。これはこれで残念。
さて,前者は沖縄伝統の戯曲・組踊(くみおどり)の創始者とされている玉城朝薫氏(たまぐすく・ちょうくん,1684-1734)が生まれた場所。元々は琉球政府に仕えた役人で,1718年,中国の冊封使を迎えるための式典や行事を取りしきる「踊奉行」という役職に登用され,翌年に初めて組踊を披露するに至った。琉球古来の題材に,能・人形浄瑠璃・歌舞伎といった日本古来の芸能を盛り込んだ,すなわち“チャンプルーした”楽劇だという。詳細は専門家に譲るとして,こういうのもまた,いわゆる「沖縄的チャンプルー感覚」なのであろう。
そして,後者は自然の洞穴から湧き出る水をせき止めたもの。石灰岩が前にせり出し,その上にはグロく生い茂るガジュマル。根っこが岩にからみつき,その下でアングリと口を空いた洞穴の様は,まるでガジュマルが根っこごと浮いているような錯覚を覚える。洞穴の中には,水がしっかりとたまっていた。川の流れる音には負けるが,せせらぎのような音が聞こえてくる。今も湧き出ているのか。
それを取り囲むように,幅4mほどの箱型に板で仕切られている。水汲み場は石畳でできており,8畳程度はある広さで,よく見れば川のほうが1段高く作られていて,それぞれに向かってスロープが整っている。すなわち,先客がいるときは川側の1段高いところに並んで,前の人が済んだら次の人が1段下がったところに降りる。その降りるための石もちゃんと置かれてある。

時間は13時20分。来た方向に川沿いを戻って,テキトーに路地をくぐり抜けると,大きな交差点の近くに出た。その交差点の上にはゆいレールの駅があった。そこには「儀保駅」という文字――あれ? おもろまちじゃなかったのか。もしかして,方角を間違えたとか? とりあえず,どの辺りにいるのかを確かめるべく,駅舎がある2階へ上がると,おもろまちよりもずっと北側に来ていることが分かった。さっき見た「市民病院前」からして,すでに2駅行きすぎていたのだ。
首里から見て,おもろまちは西の方角。私としては,日航那覇からズンズンと西側に進んでいたつもりだったが,後で地図で確認したら思いっきり北に進んでいたのだ。どおりで,市民病院前駅のところに出たとき,国道としては“マイナーな道路の匂い”がしたわけだ。ちなみに,この道路は県道82号線。安里駅から国道330号線を北上するゆいレールは,おもろまちの一つ北側の古島(ふるじま)駅で,県道82号線に沿うように東に折れて走っている。私の頭の中からは,この東に折れるルートがバッサリと抜け落ちていたわけである。まったく「不徳の致すところ」とは,このことか。
もっとも,地図があれば道は間違えなかったかもしれないが,その代わりに「加良川」「宝口樋川」「玉城朝薫」というキーワードと知識をゲットすることができなかったのだ。それができただけでも「間違えた甲斐はあった」と言えるかもしれない。何事もプラス志向――ま,いわゆる“連れ”がいないから,こんなことがホザけるのかもしれないことは,肝に銘じておかなくてはなるまいか。
――ということで,儀保駅からはゆいレールに乗ることにする。高架になったホームに上がって,中心部方向を見ると,遠くに海を従えた市街地の光景が見えた。どこかで覚えのある光景だと思ったら,大学時代の友人が「ここがベストスポット」と言っていた場所だ。ほーら,正しいルートで行っていたらば,これも見ることができなかったのだ。そして,思わぬところで「儀保―おもろまち」という“未乗車区間”を乗ることができた…って,別にこれはどーでもいいことか。ちなみに,あと乗っていないのは「おもろまち―美栄橋」と「儀保―首里」の2区間だが,別にすべてのルートを乗れなかったところで,私の人生にとっちゃ何の影響もあるまい(「沖縄“任務完了”への道」第1回第6回参照)。

おもろまち駅に着いたのは,13時半過ぎ。西側には赤い円形の「DFS」というプレートが入った建物。有名ブランドがいくつも集まった,海外展開している(っていうか,メインは海外か)免税ショップ群だ。それを示すかのように,洗練された白い壁。駅とはデッキで結ばれている。その割には,いまいち人や車が少ないような気がするが……まあ,いいか。そして東側は…何だ,ボロい一軒屋がまだ建っているじゃないか。このギャップは嫌いじゃない。まるで,私の地元である川口駅の西口の光景を見ているような感じだ。すなわち,駅前は巨大な「リリア」の建物。そして,今はなくなったようだが,ちょっと離れた位置に古くからのパチンコ屋が建っていたときの激しいギャップを思い出してしまった。
デッキに降りると,すぐのところと,はるか離れたところに出入口がある。すぐのところにあるドアの向こうにはでっかい「CHANEL」の文字。別にこちとらブランド品には興味がないのだが,はて,どちらから入るべきか……とりあえず,手前から入ったところビンゴ。いくつものレンタカー会社のカウンターがズラッとある。今回私が借りるオリックスレンタカーのそれは,一番奥にあった。
淡々と手続を進めた後,カードでレンタカー料金1万1500円を払うと,長細いケースとパンフを受け取った。パンフを開けて,館内の地図が描かれているところを指されると,さらに説明を受ける。
「レンタカーブースは館内を通り抜けてもらって,
出入口を出る寸前に下へ降りてください。で,こ
れをお持ちください。近くに来ると,係の人間が
分かるようになっていますので」
持たされたのは,黒くて少し重みのあるプレートだった。センサーになっているのだ。もちろん,あんまり“マイペース”だと困るのだろうが,道中でもし買い物をしたくなったときには便利なシステムだ。こちらも必要以上に待っている係の人を気にせずに済み,向こうとしても,離れたところにいるから所在がつかめていいということのようだ。もっとも,館内の端から端まで歩かされるというのは,やっぱりブランドショップと“つるんでいる”がゆえに,致し方ないかもしれない。ま,後でよーく考えてみると,外のデッキからも行けたわけなのだが。
レンタカーのエリアから入るとすぐは,いわゆる“コスメ”のエリア。コスメ独特の“化学的な甘ったるくて匂い”がしている。立ち止まっているのは,ほとんどが女性だ。Tシャツをすでに汗で濡らした“ムサ男”は,おおよそノンストップで通過すべきエリアだ。その真ん中には円形の広場があって,マネキンが……いや,よーく見ると,ちゃんと人間である。でも,その固くてスローな感じの動きは,一定の時間が来ると機械的に動くマネキン人形そのものだ。男性と女性が1体…いや1人ずつ,離れた位置でそれぞれブランドものに身を包んでいる。やっぱり,こういう動きもまた,普段の努力の賜物かもしれない。これはこれで,彼らにとっては立派な職業なのであろう。さすがに,賽銭やチップを傍らに置いていく輩は1人もいなかったが。
コスメのエリアを抜けると,ブティックのエリア。コスメのエリアと比べれば,テナント当たりの売場面積は大きい。なので,店同士を仕切る棚やテーブルなどで,コスメのエリアでは道に少し迷いかけたが,ブティックエリアはその心配はない。そして,真ん中にこれまたドーンとテーブルが並べられたエリア。一瞬休憩しようか迷ったが,離れたところにカウンターがあったので,多分何か頼まないとダメなのかと思って先に進むことに。ちなみに,シャンパンバーらしい。
次はレザーや貴金属,“カルバンクライン”などが入ったエリアなど。このエリアに入ると,またテナント当たりの売場面積が小さくなって,仕切りの棚やテーブルなどで道が分かりにくくなる。天井を見上げれば看板があるにはあるのだが,どうせならば,腰が屈みがちなお年寄りにも分かりやすいように,地面にでっかく白抜きで「↑レンタカーブース」などと書くか,角々にデカイ看板を出してほしいが,それはさすがに「イメージが大崩落する」からできないか。
そして,下に降りる前に通過するのは,土産物エリアだ。ふと,陳列棚にたくさんTシャツが飾られているのを発見。首里の道中で買いそびれたこともあり,ここで1枚買うことにする。1680円。外国に本拠地があるからなのか,はたまたわざと外国人用に作ってあるのか,サイズがいわゆる“アメリカンサイズ”となっていた。他にも食べ物系の土産がたくさんあるが,やっぱりプランドショップ内であるからか,陳列の節々に「洗練」の2文字が垣間見られる。
土産物エリアを出て,左手にある出入口の手前左に下りエスカレーター。降りていくと,地下駐車場が丸ごとレンタカーの配車場所となっている。センサーがきちっと反応したようで,3人いた係員に呼びとめられる。後ろにカギを吊っておく棚があって,そこからカギを取り出す。多分,レンタカー全会社共通の窓口だろうと思うが,そこはセンサーで振り分けが効くのであろう。
なぜか手続窓口への問い合わせ電話が一度あったが,短パン姿の若いアンちゃんに連れられて,無事レンタカーにありついた。今回配車された車はダイハツの「ムーブ」。まずは沖縄では久しぶりに,グルッと1周しての傷チェック。インテリアはギアがレバー式で,カーオーディオとカーナビが一体に装備されたヤツだった。エンジンをかけるとテレビが映ったから,割と最近のものであろう。「カーナビの操作の仕方,分かりますか?」と聞かれたが,仮に分からなくてもこちらはちゃんと道が分かるから,大丈夫だ。ちなみに,ホントはほとんど分からない。
それよりも,アンちゃんが何気に回りのボタンを押して,ふと「MD」という文字が目に入ったので,ウソで上辺だけの「大丈夫です」の言葉に続いたのは,「これって,MDついてるんですかね?」という質問だった。すると,エジェクトボタンらしきボタンをアンちゃんが押して出てきたのは,紛れもないMDサイズの差し込み穴だった。私は車種よりもカーオーディオで「ラッキーかどうか」を見極める“珍種”だが,これは間違いなく「超ラッキーな配車」である(ちなみに,CDもついている)。早速,その穴にMDを突っ込むと,Jamiroquai『FEELS JUST LIKE IT SHOULD』のミディアムテンポなリズムが響いた。そして何時の間にか,首里そばからひきずっていた“凹み”はどこかに消えていた。

14時出発。初めてのDFS利用だし,あまり走り慣れないエリアだし,もらった地図によれば,帰りの給油場所および出発場所と違う返却場所への行き方が少し複雑だ。ちょっと不安にはなるが,何はともあれ“プラス志向”で行くことにしようか。順調に国道330号線を北上。いつもだったら那覇インターから高速に乗るのだが,今回は道なりにある一つ北側の西原インターから乗ることにする。5分ほどで到着。自動発券機で淡々と券を受け取り,勢いよく本線へ滑り込む。
もっとも,そのプラス志向とやら,もう少し“別の方向”に向けられれば,大いにいろんな人のために,それこそホントに“プラス”に作用するのかもしれないが,にもかかわらず,東京にいるといつも,スタートはマイナス志向から始まる。いつもは徐々にプラスへと針が上手く振れていってくれるのだが,ここのところは,ゴールまでひたすらマイナスに針が振れたままである。いつから私は「沖縄でしかプラス志向になれない人間」になってしまったのだろうか。(第3回につづく)

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