沖縄標準旅(全9回)

B「明」と「暗」の間
店を出て,一路「中央パークアベニュー」という通りに。こちらもショッピングロードらしく興味深い。途中,路地を通ると沖縄独特の円筒状の赤瓦屋根がある平屋がちらほら見える。そしてかまどのような,いかつい格好をした石のようなコンクリのような建造物が,家のいきなり隣に出現したりする。形格好や,伝わってくる雰囲気からして墓であることには間違いあるまい。
実はこの文章を書きながら,その墓を何と呼ぶのかと調べてみたら,「破風墓(はふうばか)」というそうな。詳細はいろいろサイトがあって調べきれないが,これをもっとグレードアップさせたものに「亀甲墓(きっこうばか)」というのがある。写真は各自で見ていただければと思うが,街中では破風墓とそれを新しくアレンジしたようなもの,田舎の土地があるようなところに行くと亀甲墓が結構見られると思う。
しかし,墓地って東京だと街の郊外に巨大墓地とか,寺の敷地内にあるもののはず。青山墓地のように街のど真ん中にあるものもあるが,いずれにしても,「墓地」というからには敷地として仕切られているものと思っていたら,普通に「うちの別棟です」みたいな感じでどーんと出てくる。詳細は専門家などに譲るとして,この感覚も沖縄独特のもののようだ。

そんなこんなしているうちに,中央パークアベニュー(以下「アベニュー」とする)に出る。さぞかし空港通り(第1回参照)のように広いかと思ったら,1車線の一方通行の坂道が中央にあるのみで,周囲の歩道がその車道と同じくらいのスペースをとっている。店舗群は軒が連なっているが,アーケードはない。で,白の建物で統一されており,日本の道百選だか何だかに選ばれたと,道の入口(国道330号線との合流地点。こっちからしか進入できない)にも書いてあった。この「白と青」というのは,ひょっとしてアメリカのシンボルみたいなものか。そばに星条旗が飾られていたのが,何かその辺を物語っているような気がしないでもない。
アベニューの上(国道から見て緩やかな上り坂となっている)のほうに出たので,先に上のほうを歩いていく。こっちのほうも,すれ違う人の7割が外国人で,しかも白人である。しかし,よく見れば日本人と一緒というケースは皆無だ。家族連れはともかくとして,男同士連れ立ってというケースでもだ。地元住民との摩擦なのか何なのか。適度な距離を取っているのか。事情はよく分からないが,考えてみれば不思議ではあった。突き当たりまで行くと,「コリンザ」という4階建ての建物があり,入ってみる。

この「コリンザ」は,1階にベスト電器があり,あとはレコード店,雑貨店,洋服屋といったテナントが入った建物。日本人・外国人問わず,若者の姿が多い。あちこちフロアを見て歩くと,「国際教育学院」という教育機関があったが,この時期は当然休みで真っ暗。外にあったパンフレットをゲットする。その隣に「沖縄シーサー」とかいう会社。中には沖縄産の名産物が陳列されているようだったが,ソファで社員だかよく分からない人が携帯で電話している様子がみょーに怪しく見え,とっとと立ち去る。
4階に上がると,ディスカウントの衣類の店。泊まりがけでは下着類を現地調達にする私は,ここでそれらをゲットする。前もって100円ショップ・ダイソーのホームページで店舗場所を調べてみてはいたが,沖縄市の店舗はここから大分離れたところ。そこまで行くのも面倒なので,ここで2泊分をゲット。残り2泊分は,31日に那覇に行くのでそこでゲットしよう。ここで4泊分まとめて買っても荷物になって煩わしいだけである。で結局、シャツが300円×2,靴下が95円×2,ハンカチが50円×2,パンツが2枚組で300円,合計で税込1249円。100円ショップで買ったのに比べれば1.5倍だが,まずまずとしておこう。
それにしても,靴下だけで数回品物を変えたりと,これも置かれている場所がバラバラなためである。品物を見るごとに,単価がどんどん安くなっていくのだ。場所をバラけさせているのは,客に早く買ってもらうための店側の意図なのか。特に一番高くついたシャツは,2枚組980円から始まって,もっと安いもの…と店の中を何回もめぐって,最後は1枚300円のティーシャツに辿りついた。リサイクルもので1枚100円のものもあったが,さすがに人のお下がりだけは着られなかった。

店を出て今度はアベニューを下る。アベニューは空港通りほどの開放感はないが,アーケード街の暗さもない。さしずめ「明」と「暗」の間くらいだが,店舗1軒の広さがあまりないのと,軒のせいで店舗が暗く見えるので,地味さはどうしても拭えない。先の日本の道百選云々は,このアベニューよりも空港通りのほうにやりたいくらいだが,空港通りのいい意味での「強烈なアメリカっぽさ」が,逆に「日本の道」という定義に適さないのかなとも思う。
こちらのアベニューにも興味深いものがある。「次男」という食堂。まず店名を「Second Son」と訳している。そこまでしなくてもいいじゃんと思ってしまうが,こちらは普通のカツ丼とかカレー,やきそばもあるし,沖縄料理もあるようだ。で,メニューも英語と併記されているが,店の人間が苦労して書いているのが伝わってくる。その証拠に「cutlet(カツ)」を「chtlet」「cntlet」,「Lunch」を「Lunsh」と書いたりと,ご愛嬌なスペルミスをしている。やきそばも何かに訳していたが,店のドアには「ヤギそば,ヤギ汁あります」の紙が貼ってあっただけに,どさくさに紛れて「ヤギそば」を出してやったなんてこともあるかもしれない。でも「ヤギそば」って,どんなものなんだろうか? 
それと,この辺にも下着類を安価で売っている店があり,ティーシャツ100円なんてのもあった。アベニューに近い側のアーケード街の店にも同類のものがあった。ちょいと損した感じはあるが仕方ない。あと「次男」のすぐ隣,路地を1本入ったところに中古のレコード店(「69」とかいう店)があり,入りこそしなかったが,地元出身のライブ案内が店先に貼られていたり,アメリカのアーティストのレコードがあったりと,好きな人にはたまらないスポットもある。
トータルでこの街をみると,衣服には困らないことだけはよーく分かった。あと,何やかや言っても,結局は「米軍頼み」の部分は否めないということ。詳細は後述するが,この街から米軍がいなくなったら,それはそれで街の収入がぐーんと減ってしまうことだろう。
今回は,時間の都合で空港通りから西側のあたりは見られなかった。ガイドブックによればその辺りは飲食店街が多いようなので,こっちではアメリカやら琉球やら,別の「チャンプルー」が見られるのではないかと思う。

(5)沖縄から名護まで
再び胡屋のバス停に戻ってきたのは15時半。まだ21系統のバスが来るまで20分以上あるので,道路の反対側にある古本屋にでも行こうかと近くの信号で道を渡ろうとしていると,「名護」と表示されたバスが。何だろうと思いつつも,急いで戻りギリギリでそのバスに乗る。見ると「77」と書いてある。21系統と途中まで一緒に行って,途中からルートを別にするようだ。途中がどうあれ,終点の名護バスターミナルまで行けばよいので,乗って正解である。しかも前の出入口(那覇市外のバスは,一つの入口しか使わないようだ)のすぐ後ろに着席できた。
それにしても結構暑い。かといって,クーラーをつけるほどの暑さではない。なので少しを窓を開けて涼んでいたが,途中で乗ってきたおばちゃんがその窓をいじる。しかしうまく動かず,私の後ろの席に座る。なんかもぞもぞやっているようだったが,おもむろに立ち上がると私のところの窓を全開にした。女性だから逆に冷えるのかと思っていたら,その逆だったのでちょいと拍子抜けした。

バスはしばらくまっすぐ進むと,具志川市に入る。国道330号線は途中のコザというところで終了。この道は県道である。中心地・安慶名(あげな)にて左折する。右折すると与勝(よかつ)半島,そこから海中道路という道路を通り平安座(へんざ)島というところに行ける。海中道路とは興味深く,また未踏なので行ってみたいのだが,それは別の機会に譲ることにする。
その安慶名には郊外型の店舗がいくつかあり,またタコスの店が結構ある。沖縄市ではアベニューに「チャーリー多幸寿」という,ガイドブックにも載る店があったが,やはり場所柄によるものだろう。具志川のタコスの店はテイクアウト系が多く,こじんまりしながらもどこかおしゃれな感じを持つ。が,一方でそれらと一緒に「○○食堂」という,築何十年と思しき古くて黒っぽくなった店も結構ある。
安慶名で左折すると米軍施設が左に見える。「キャンプ・マクトリアス」という名前で住宅地のよう。金網の上には有刺鉄線が張り巡らされていて,ちょいとした緊張感を漂わせている。なお,安慶名交差点を直進したところには「キャンプ・コートニー」というのもあるようだ。
バスは栄野比(えのび)にて国道329号線に入り北上,次は石川市だ。こっちの中心地は「銀座通り」と呼ばれているが,片道1車線の通りに小売店ばかりが立ち並ぶ。むしろ,ちょいと外れたあたりにある道の駅「石川の駅」のほうが,広大な駐車場に車がびっしり停まっていて盛況そうだ。この道の駅には郊外型のショッピングモールとなっていて,銀行もある。地方都市にありがちな「中心地よりも郊外のほうが発展している状況」の典型だろう。

次は金武(きん)村。金武湾を右に見ながらバスは走る。月並みな表現だが,夕焼け空がキレイである。「ゴールデンサンビーチホテル」というホテルにはプライベートビーチがあって,人が数人いる。耳に流れるは山下達郎『モーニング・シャイン』。いまはモーニングではないが,夕方聴いても間奏のサックス辺りはドライブによく合う。『モーニング・シャイン』と言えば,高校生くらいに朝の情報番組でかかっていた記憶がある。懐かしい。金武村の中心は,さしずめ市レベルで「〜町」レベルにあたる郵便局の建物がメイン郵便局で,プラス2〜3軒の雑貨屋があるのみ。どこかの支所の集落かと思っていたら,そこが村の中心だったというオチが付くくらい分かりにくい。一応「社交街」なんて,いわゆる飲み屋街と思われるものもあるが,たかが知れていよう。
そういえば,前回旅行で那覇から石垣に船で上陸したとき,一等船室で相部屋になった相手が「金武なんて,治安ひどいよ」と言っていたが,はたしてどんなものなのか。ここ金武には「キャンプ・ハンセン」という米軍施設があり,ゲートにはクリスマスツリーが飾られていたが,そこら辺の人間が何かしでかすのだろうか。
そして,宜野座(ぎのざ)村。ここの中心も金武と同じようなものだが,たまたまなのか、この村に入ってから門扉のシーサーと,平屋建ての伝統建築を見かける。シーサーも,陶器でキレイなものもあれば,粘土のままみたいな茶色のものもある。あらためて1個1個見てみるのも,興味があれば面白いだろう。
いよいよ名護市に入り,辺野古(へのこ)地区。住宅地のようで,古い建物がなくなりアパート群が多くなる。77系統のいま乗っているバスはこの地区を通るが,乗ろうとしていた21系統はこの手前で対岸の許田(きょだ)というところに進路を変える。この辺野古にも「キャンプ・シュワプ」という米軍施設がある。ホントによく米軍キャンプのそばを通るものである。

先のコリンザでゲットした国際教育学院のパンフレットによれば,この「シュワプ」,金武村の「ハンセン」,具志川市の「コートニー」は,主要な在沖米軍雇用施設,すなわち日本人の在沖米軍基地内就職先に掲げられている。最も多いのは嘉手納基地への就職だ。米軍基地内に就職するには沖縄県民としての住民登録が必要なので,日本人=沖縄県民と言ってよいだろう(ただし,生粋かどうかまでは言えないが)。
さらに続ければ,97〜99年までの過去3年間の新規採用は900人前後。県庁諸機関に次ぐ雇用実績で,県内でのトータル8450人という従業員数も,県庁諸機関(約2万5000人)に次ぐ2番目である。職種としては,人事労務・経理・一般事務・エンジニア・保安・医療関係・教員はじめ,施設内の購買施設の店員,コック,清掃員など多岐にわたり,待遇はほぼ国家公務員並みという。
こういういわば「魅力的な」米軍基地従業員(英語では「ミリタリー・エンプロイー」)を目指すための専門学校が,国際教育学院というわけ。ちなみに本校は那覇にあり,コリンザは支校。嘉手納基地に近いところに支校を作ったのも面白い。なんせ学校のすぐ近くに自分の“勤務先候補”があるのだから,これ以上格好の場所はない。カリキュラムは,英語の基礎をはじめ,米軍に関する基礎知識,コミュニケーション能力を習得し,あとは試験対策・履歴書の書き方等までこと細かい。費用も45〜60万円とかなり本格的である。教師陣も,ほとんどアメリカ人。中には米軍海兵隊のお偉いさんもいる。
しかし,こういう学校があるということは,米軍の存在を認めていることになるし,さらに誤解を恐れずに言えば「米軍様様」とも言える。ここの学校に通っている,あるいは卒業した人間には,間違っても「米軍撤退」などとシュプレヒコールを上げられまい。だって,雇い主が米軍なんだから。偉いのは米軍。もちろんどこかでアイデンティティだとか,いろんな感情・思いを割り切って働く人が大勢なんだろうし,そう思いたい。よって,彼らを「なんだ、あいつらは」と否定することはできまい。そういう現状なんだし,「郷に入っては郷に従え」とよく言うではないか。「パンフレットに書いていることはすべて。私の将来は薔薇色」とまじめに信じきって勉強している人間なんて,そうはいないのではないか。どこかの施設に隔離されて洗脳でもされていない限りは。また,米軍だって皆が皆,悪者ということもないのだろうし。

名護バスターミナルには17時半到着。ターミナルから徒歩5分,今日の宿泊地は「ゆがふいんおきなわ」。部屋はオーシャンビュー。昼のビッグボーセットがこたえたので,夕飯は自販機でオリオンビール(250円)とナッツのつまみ(300円)を購入して済ますことにする。
すっかり有名になったオリオンビールは,前回旅行のときに一度飲んだことがある。そのときは、あまり酒を飲まない私でも,「まずいビールはこのことを言うのか」と思わせるくらいひどい味のもの,という印象を持った。が,今回は飲んでみるとうまい…というか,別にまずくも何ともないというほうが正しいか。9年前に感じたまずさは何だったのかと不思議に思ってしまうのであった。 (第3回につづく)

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