沖縄はじっこ旅V
(1)金武の街
時間は12時40分。ホントならば,もう一つ「金武大川」(前回参照)を見ておきたいところだが,どこかのホームページで,高速道路の終点になる名護市の許田(きょだ)インターから,運天港まで1時間はかかると書かれていた。金武は名護よりも南にあるから,ここでこれ以上さまよっていると,フェリーに乗りそびれかねない。多分大丈夫かもしれないとはいえ,今後何が起こるか分からない。所期の目的が一つしか叶わず残念だが,ここはまっすぐ運天港に向かう。
金武インターからだと,終点・許田インターは次の次である。少し来た道を戻り高速に乗ろうかと思ったが,距離にして20kmほどしかない。別に高速代の数百円をケチるつもりもないが,高速に沿って国道・県道も走っていることだし,このまま下の道を行くことにしよう。
間もなく,マングローブがあるという億首(おくくび)川にかかる金武大橋を渡り,宜野座(ぎのざ)村へ入る。内陸に入っていた道は再び海岸線に出る。景勝地の漢那(かんな)ビーチである。民宿もあったりして,地図を見る限りでは何もなさげな村では唯一の見所なのではないか。ちなみに,中心街はコンビニや個人商店がちらほらと見られる程度だ。
道は再び内陸に入って,また海岸線になると潟原(かたばる)地区。ここで県道71号・名護宜野座線に左折して,山越えすることになる。そして,反対側の許田インター下のジャンクションに出て,国道58号線へ合流していく。終点に向かってカーブする沖縄自動車道と追いつ追われつ…ではなくて,上になったり下になったり右になったり左になったりしつつ,10分ほどで許田ジャンクションに出る。
ここから右折して,今度は左に海岸線を見ながらの片道2車線の走行だ。島の東を走る国道331号線と違って交通量が俄然多いが,まだ渋滞はしていない。護岸の向こうは海しかない好眺望。空は次第に青空になってきている。この調子で24時間後,伊平屋島から本島に戻るまで続いてくれればと思ってしまう。そして,世冨慶(よふけ)交差点にて右折して内陸に入り,名護市中心部へ。たしか,もう1本北側を走る道だと,ヒンプンガジュマルのある通りではなかったか。ま,いいや。
そして,再び右に曲がると県道71号線。そう,さっき許田に渡るときに通った道だ。この道を北上するのは初めてだが,何の変哲もない郊外って感じである。国道58号線を突っ切って,さらに進むと突き当たりが国道505号線となり,ここを左折する。すべて順調だ。ただし,時間がまだ13時ちょい過ぎだったので,これだったらもう少し金武町で“あがいても”よかったかもしれない。
ここからは,右に羽地(はねじ)内海という入江を見ながらの走行。海をはさんで向こうに浮かぶ陸地は屋我地(やがち)島。2002年の年末にやんばるに行った帰りに寄っている(「沖縄標準旅」第3回参照)。何気にどんづまりだったので折り返した沖縄愛楽園という場所が,実はハンセン病の療養所で,たしか翌年だったか今上天皇と皇后陛下も寄られて,ここの患者と琉歌(沖縄独特の定型詩)で交流したのを聞いて,当時の自分の勉強不足を痛感しちゃったりもした。
さて,これから行く運天港は,やはり2002年の年末に寄っているから2年ぶりである。「沖縄標準旅」第3回にそのときのことを書いてあるが,改めて書くと,1156年の保元の乱で伊豆に流された源為朝が島を脱出。その後喜界島に上陸したが(「奄美の旅ファイナル」第5回参照),再び出した船が嵐に遭遇。「あとは運を天に任せて」漂流した結果に辿りついたのが,運天港というわけである。
その運天港へは,今帰仁村に入ってすぐの天底(あめそこ)地区にて,国道505号線から右に分かれる道に入る。結構,この道に入っていく車は多い。伊平屋島に行くのもあるだろうし,その南にある伊是名(いぜな)島,すぐそばの古宇利島へも,この運天港からの連絡となるから,すべてが混ざっての交通量だろう。とはいえ看板こそ出ているが,信号も何もない単なる分かれ道である。でもって,ひたすら周囲を藪やら畑で囲まれたも何でもない田舎道だ。考えてみれば,こんな道にたくさんの車が通るなんて,事情が分からなければ異常な光景かもしれない。
やがて,大きな十字路にぶつかって右折すると,「←伊平屋」「伊是名→」という看板が出てくる。当然ながら左折すると,こんな場所になぜか“レンタカー”の看板。でもって「1泊1000円」という文字も見えた。うーん,私はすっかり大きな駐車場に野ざらしかと思ったが,いい意味でこじんまりとして,屋根がある箇所もある。これだったらここに置いていっても大丈夫だったのか。
実は,これからこのマーチをフェリーに載せることになるのだが,最低でも往復で1万2000円余りかかるのだ。ちなみに,人間だけだと往復で4530円。伊平屋島でも,その名も「伊平屋レンタカー」という店があって車を借りられるようだし,今日は16時20分の到着だからやめとくとして,明日朝から13時の出航までの数時間のレンタルであれば,はっきり言って伊平屋島で車を借りたほうがおトクなのである。あるいは,もしかしたらレンタサイクルに気が変わるかもしれないし。
となれば当然,マーチはこの運天港に置いておくことになるのだが,運天港近くにはそのための駐車場があるという。ただし,盗難のことを考えたら有料駐車場のほうが安心だと,どこかのホームページで見たのだ。上述の駐車料金が1泊1000円というのも,事前に情報を仕入れていたから正直迷ったのだが,やっぱりいくら有料でも「何かあったときにマズい」というのが頭の片隅にあって,結局はフェリーに載せることにしたのだ。また,荷物を多少なりとも出し入れしたくなるかもしれないし,そうとなれば「ああ,あっちに置いてこなきゃよかった」なんてことにもなりかねない。そのへんの“心変わり”も考慮した結果のフェリー載せである。うーん,そんな考慮って,自分がつくづく可愛いのか。
ま,そんなことはどーでもいいとして,有料駐車場を通り過ぎると平屋建ての細長い建物の裏が見えた。いよいよ運天港到着である。たくさん車が停まっているが,これが上述の盗難のことを考えなくてはならない無料駐車場のほうであろう。とはいえ,さっきの有料駐車場からだと,少し歩かなくてはならないから,やっぱりこれだけ車が停まっていると言えるかもしれない。
そして,右折すると右手に「運天港ターミナル」と白地にスミ文字で,ものすごくそっけなく書かれた看板のあるコンクリの建物があった。全面白地で,軒の茶色がわずかなアクセント。「余計な装飾はこの場所にはいらない」っていう主張のような気がする。ここが伊平屋島行きフェリーのチケット売り場だ。とりあえず建物の前の,別に停めていても差し障りがない一角に車を停めることにする。時間は13時40分。まだフェリーに載せるらしき車の姿はない。やっぱり少し早過ぎる到着だったのだ。

ターミナルの建物に入ると,何とも薄暗くていかにも田舎のターミナル感が丸出しである。床の黒さがいかにもって感じだ。奥行きが8〜9m,横幅が14〜15mほどだろうか。左4割ほどが待合スペースとなっていて,奥が乗船券販売の窓口となっている。待合室にはイスが16基。その前には20インチくらいの,明らかに小さいんじゃないかと思うようなテレビ。ちょうど「ごちそうさま」の特番をやっているところだ。地元民らしきオバアやおじさんなど,数人が“まったりタイム”を過ごしている。
真ん中の2割ほどは,トイレや食堂となっており,食堂は明かりがついているから営業しているようだが,明らかに場末の食堂感たっぷり。メニューなんか出ていないし,窓もすすけたように汚れている。はて,何を食わせてくれるのか不安になってしまいそうだ。そして,右の4割の奥半分が売店。これもまた売られているのが,菓子パンとかスナック菓子。でもって,手前半分とを仕切るつい立て――何があったかは忘れた――があるが,その前には「どうしてここにあるのか?」と思ってしまうような“ガチャガチャ”がある。そして,その手前半分は完全に何もないガラーンとした空間となっている。結論から言えば,多分これほどのスペースは伊平屋島行きの乗り場には必要ないってことかもしれない。
とりあえず,乗船券販売の窓口に向かう。一応,電話予約を前もってしているので,名前を告げるとそそくさと窓口の中年女性は,リストに何か記入したり,チケットにハンコを押したりしだした。そして,ここでお出ましなのが車検証である。何度もレンタカーには乗っているが,モノを見るのは実は初めてだった。ダッシュボードに入っていたのだが,そのダッシュボードすら,まずは開けないで今まで済んでいたのである。
それを開いて渡したのだが,どうやら車両の長さをチェックするためのようだった。どおりで事前の電話で「何の車ですか?」と聞かれたわけである(レンタカーが何になるかは事前には分からないものなので,「分からない」と答えておいたが)。そして,彼女がリストに記入された数字が見えたのだが,そこには「3.69」という数字が見えた。そして「1万5150円ですね」と言われる。うろ覚えの額が上述の1万2000円余りのヤツだったので,少し高くついた感を持ったが,一番安い「3m未満」の次に安い「3〜4m」の額に該当したわけである。
「これ,帰りはどうすればいいんですか?」
「2週間有効ですけど」
「明日,帰る予定なんですけど」
「はい,明日の2便ということで聞いてますが」
いまいちかみ合っているのかかみ合っていないのか,よく分からない会話が展開された。要するに,復路の紙片部分に帰りの便の予約を伊平屋島の窓口でするようにと書かれていたため,帰りの予約がどうなっていたのか不安になっただけだ。ま,私の完全な取り越し苦労である。窓口の女性は,必要最低限のことしか言わなかったし,言ってくれなかった。ある意味合理的ではあるが,ある意味では冷淡である。私は強く後者に捉えてしまっただけだろう。
外に出て,しばし港周辺を散策する。目の前の海をはさんでわずか数百mほどの緑は,屋我地島である。そして,そこから左に視線をずらすと,その屋我地島から新しいアーチ橋が別の島に向かって延びている。橋の名前は古宇利大橋。その先にあるのが古宇利島だ。大橋の供用開始は来年2月から。今はこの運天からフェリーが通っているが,それは大橋の供用開始で廃止となる予定。ちなみに乗り場はもう少し北にあるようで,周囲8kmと小さい古宇利島らしく…と言っては失礼だろうが,待合室も粗末なプレハブ小屋らしい。
目の前ではフォークリフトが何度か行き来している。これからフェリーに積め込むコンテナをスタンバッているのだ。ターミナルの脇の一角で,コンテナに荷物を預ける集団を見かけたが,偶然中が見えたので見てみたら,仕切り板が細かくあって丁寧に収納されていた。ちょっと意外な気がしたが,まあ当たり前か。そして目の前の海は実に穏やかで,やはりコバルトブルー色をしている。
私が着いたころにはガラーンとしていたターミナル前だが,14時を過ぎた辺りから車が頻繁に出入りするようになっていた。明らかに港関係者らしき車と,これまた明らかに乗船客と思われる車がしばし鉢合わせになって少し危ない気もしていたが,そのうち構内放送が流れてきた。
「ターミナル前は駐車禁止となっております。駐車場に
停めていただくか待機場所に移動願います。なお,禁
止区域に停めてある場合は,違反切符を切らせていた
だきます……」
ま,現在の位置でも構わないのだろうが,いずれはどこかに移動させなくてはならない。フェリーに車を載せるのは実はこれが初めて。あまり後でもたつかないためにも…と思って海側を見たら,すでにトラックが2台埠頭の端っこに停まっている。見れば「伊平屋島一時待機所」と書かれており,その向こうには車をフェリーに入れるための広い「∩」字型のスロープがある。貝殻のようなものが支柱にへばりつき,とことん赤く錆びついているのが,いかにも田舎の港の風景である。
とりあえずは,たくさん荷物を積んだトラックの後ろに停めることにする。オレンジの線が4本書かれており,その中に3列になって並ぶようだ。その荷物を積んだトラックには「照屋酒店」という名前が書かれていたが,積んであったものはオリオンビールやジュース類から,沖縄そば,タンカン,卵……と種類はさまざま。いずれも昨日フェリーが欠航したために,運び損なったものばかりだろう。そのうち,私の後ろや隣の列にも車が連なり始める。はて,どれだけの車が乗り込むのだろうか。

車を停めて,しばらく古宇利大橋のほうを眺めていると,その橋の脇から1隻のフェリーがこちらにやってきた。白地に青い線が真ん中に入った「フェリー伊平屋」である。我々の車列のジャスト前に泊まると,白いタラップが船に掛けられ,多数の客が降りてくる。もちろん,乗る側も多数だ。繰り返すように,昨日は丸1日欠航してしまったし,ましてや年末のグッド(?)タイミングだ。そして,赤錆びたスロープに1台また1台と車やらトラックが出てきた。ざっと数えたところでは20台ほどだろうか。
その「フェリー伊平屋」が到着して間もなく,後ろを別のフェリーが通過した。ほぼ同じ大きさ・体裁のこちらは,伊是名島行きのフェリー「ニュー伊是名」である――参考文献一覧に載せた『沖縄の島に全部行ってみたサー』をはじめ,何度かこういう感想を見たのだが,伊平屋島行きには“ニュー”がなくて,伊是名行きには“ニュー”がつくのはどういうことか。さらに“ないものねだり”のついでに言ってしまえば,伊是名島には飛行場があって,エアードルフィンという会社がセスナ機を運航しているが,伊平屋島には飛行場がなかったりする……。
「近くて遠い島」というと,何だか日本と韓国みたいな関係になってしまうが,そもそも距離にしたら最短で5kmとすぐ近い位置であるにもかかわらず,直接2島を結ぶ船はない。伊平屋島の西南にポツンとあって,橋でつながっている野甫島(のほじま)という島から,伊是名島のメイン港である仲田港(なかたこう)へ個人の渡船で渡るという実に回りくどい方法しかない。しかも,この渡船は1人で乗ると,片道だけで5000円もかかるというから,まったく自治体は何をやっているのかって感じである。
はたして二つの島は,ライバルなのだろうか。はたまたホントは結ばれるべき“同士”なのか――元々は,伊平屋・伊是名・野甫に周辺の小島をあわせて「伊平屋の七離れ」と一緒くたに呼ばれていたというし,さらには,伊平屋島は第一尚氏の祖である屋蔵大主(やぐらうふしゅ)を,伊是名島は第二尚氏の尚円(「沖縄・遺産をめぐる旅」第1回「沖縄“任務完了”への道」第2回参照)を,それぞれ輩出している由緒正しき島同士なのである。
ちなみに,尚円は第二尚氏を名乗る前の“金丸”と名乗っていた時代,第一尚氏のラストエンペラーである尚徳に退けられていたという苦い過去を持っているが,尚円は王位に就いた後,意外にも…と言っては失礼だが,その姉君に“伊平屋アンガナシ”という神職を与えて,伊平屋島の根神の統治に当たらせ,王発祥の地として伊平屋島に毎年もち米とうるち米の玄米を各3斗ずつ,御初米として献上していたという。しかも,それは琉球王朝が完全になくなって50年余たった1931年まで続いたというから,伊平屋島は“一目置かれた扱い”をされていたと言えよう。
その一方では,琉球王朝の崩壊によって日本の「廃藩置県」政策が施されることとなり,1909年に二つの島合わせて“伊平屋村”という行政区分になった。ところが,伊平屋村役場がよりによってというか,伊是名島に置かれることになったために,伊平屋島の住民が,連絡などで大きな不便が生じてしまったり,行き来する途中に船――もちろん,木でできたサバニである――が遭難するなど,トラブルが多くなった。これが二つに分村する方向に大きな拍車をかけることになり,1916年に伊平屋島の有志が分村の請願書を沖縄県に提出。それから23年後の1939年7月に,はれて伊平屋島は“独立した村”になった……と,二つの島には複雑な歴史が流れているのだ。
とはいえ,2005年7月をもって,二つの島は66年の時を経て再び一つの村になる。その名前は「伊平屋村」だ。66年前の名称に戻ることになるのだ。でも,これは「伊平屋島民の勝利」なのか。はたまた「伊是名島民の敗北」なのか。合併に至るまでには,「二つの島に橋を架けよう」「伊平屋空港を作ろう」と前向きな話も出たが,各村民への住民意向調査では,
         合併賛成  合併反対
  伊平屋村   31.4%   36.7%
  伊是名村   46.3%   17.0%
と,伊平屋村のほうが合併に消極的な意見が多く出ている。その理由の一つに伊是名村が1900人,伊平屋村が1600人の人口で,地理的に伊是名島のほうが本島に近いことから,伊是名村のほうに高い比重が置かれるのでは,というのがあったという。さらには「また,元の渡し船生活に戻るのか」というのもあったそうである。合併に対する意見はなかなかシビアなようだ。
話をそろそろ軌道に戻そう。ごちゃごちゃ書いてしまったが,この合併によって少なくとも,二つの島をフェリーがきっちり結んで,「フェリーニュー伊平屋号,運天―伊是名―伊平屋」というルートがはれて確立することになってほしい。いや,このルートをまず確立しないことには,架橋も空港もへったくれもないんじゃないかって思ってしまうのだ。便数は伊平屋便・伊是名便ともに現在1日2便であるから,単純に利用者数が倍になることで便数も倍にするか,あるいは2便のまま2隻で出航するか。ま,そのヘンは互いの村で一生懸命話し合ってもらえばいいだろう。
――さて,いよいよ乗船である。私の前のトラックは後で載せるようで,まずは後ろに連なっている普通乗用車とともに先に載るようだ。チケットを係員に渡すと,バックで入れるように言われる。フェリーって,フツーに前から入って,逆の“フタ”から普通に前進して出ていくものだと思っていたが,どうやら一方しか“フタ”は開かないようである。なので一様にみな,スロープのところで一度方向転換してからバックしていく。見た感じでは実に慣れた手つきである。そりゃ当たり前か。
船内を見れば,きっちりと3列になっている。それだけ載せる数も多いってことだ。当然1列の幅はたかが知れている。係員は方言交じりに指示しながら右に手を動かしているので,とりあえず一番右の列(船から出るときの進行方向。フェリーの中に向かっては左側となる。以下同じ)に向かって入れようとしたが,中にいる係員は逆方向を指示している。はて一体,どっちなのか。ただでさえバックは苦手中の苦手。何度となく駐車の際にはトライしているが,まったく周囲に車がいない状況であっても,まともに線と線の間にキッチリ入った試しがない。
いずれにせよ,間違っても自慢することではないのだが,ただでさえ私の拙いハンドル捌きは,曖昧な指示の下で混乱を来たして,フラフラとあらぬ方向にバックしていくことになってしまった。結局,一番右から左へグーッと動いた後に,そのままハンドルを動かさずにバックしていけば理想だったようだが,哀しいかなハンドルがまっすぐになっていなかったようで,左に寄りすぎてフェリーの壁を何度となくこすりそうになる。係員がマメに軌道修正をしてくれるが,ドラテクが惨めにそれについていけない。“微妙な修正”のはずが“大胆な修正”となってしまったりする。それでも,何とか一番左の列の真ん中辺りに収まったようだ。結構,神経を使ってヘロへロになってしまったが,出航時間が遅れなかったのは,せめてもの救いかもしれない。

15時,予定通り出航。伊平屋島まで1時間20分の旅である。もはや本島に引き返すことはできない。あるいは本島にとどまろうか,運天に来るまでに少し悩んだ。もしこれで欠航になったならば,明日の石垣行きの飛行機のキャンセルとか宿のキャンセルとか,面倒な作業をしなくてはならない。明日大晦日の天気予報は,事前の予報では「曇り時々雨」。雨が降るのは,どうせレンタカーなんだから問題はないが,それに連動して風が強くなったり波が高くなることには,どうかならないでほしい。
まあ,そうは言っても雨が降るってことは低気圧がいるってことだし,低気圧がいるってことは波風が立って天気が荒れるってことかもしれないが,悩んだときには強気に行ったほうが,大抵はいい方向にころがっているのが,今までの私の旅での“経験則”である。後は,それこそ「運を天に任せて」行くしかない。24時間後,無事本島に戻って高速に乗っていることを,イメージトレーニングでもしておこうか。事前の予測では明日の昼間の波の高さは2mほどだったのだし。
さてフェリーは,こちらにやって来た時と同様に,古宇利大橋の左をかすめていく。ちょうど橋がかかっている古宇利島の南側には,ちらほらと家が見える。古宇利島の一応は中心部ってことだ。上から見ると,お盆のような形をしている古宇利島だが,水平に見れば“Cカップ”くらいのお椀型の胸のふくらみに見える。そのココロは「こんもりしている」ってことだが(失礼),全体的にはゴツゴツした岩が露出いる中に草木が生えていて,やがて北側を見るとそれはさらに顕著になる。家らしき建物はまったくなくなって,北半分だけを見る限りは孤立した無人島の様相を呈してくる。
その古宇利島を過ぎると,右側にはやんばる(「沖縄標準旅」第3回参照)の陸地が見え出して,それは次第に北のほうに進むにつれてボンヤリとしていく。左では本部半島が徐々に小さくなり,代わってその半島の遥か向こうに“乳首だけの胸”みたいな陸が見え出す。しばらくの間それは見えていたが,伊江島である(「サニーサイド・ダークサイド」第5回第6回第7回参照)。いささか卑猥な例えになってしまったが,“乳首”に当たる部分は島のシンボルの城山(タッチュー)だろう。そして,心なしか凪いでいた波が少しずつ高くなってきた。外洋に出てきた証拠だろう。それでも,何気に見たケータイは電波が“3本”で通信状況はかなりいい。本島に近いからだろうか。
そして,今度は左前方に大きな島がぼんやりと見えた。次第に大きくなっていくが,これが伊是名島である。とはいえ,見ている感じでは近くに見えても,フェリーの速度はたかが知れている。徐々にカメの歩みのようにしか島影は近づいてくれない。やがて船は上下に揺れだし,デッキのベンチに座っていたBoys&Girlsは,なぜかその場で横になりはじめた。ちなみに,中の船室は私が車を載せて入ったときにはすでに人で埋まっていたが,これまた途中からみな一様に横になっていた。そんなに揺れているようには思えないが,やることがないから寝てるってことかもしれない。
そんな輩とは別に,私は外のデッキでひたすら潮風を浴びながらMDウォークマンを聴いていた。中でもこのフェリーに乗ってぜひ聴いてみたかったのが,今井美樹『永遠が終わるとき』という曲。アルバム『flow into space』(1992)の1曲だ。サビの部分の「白いフェリーで海峡渡る/車借りて今日旅に出る/燃えつきたい流星のように/一度きりの1人きりの今」というフレーズが,少しベタな感はあるが,いかにも1時間20分のフェリー旅にピッタリなように思えたからだ。空は再び雲が広がってきて,夕方になり潮風の冷たさがいよいよ本格的になってくる。たとえ“燃えつきる”ことはないにしても,一度きりの1人きりの今,このフェリーの上でとにかく感傷的になってきている自分がそこにいたのは,紛れもない事実なのであった。(第3回につづく)

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