サニーサイド・ダークサイドU

@懐かしきレストラン
7時半,宿を出発する。いつもならば宿で食事を必ず取る人間だが,今回は空腹のまま。前回も書いたとおり,「沖縄第一ホテル」というところに用事があるためだ。途中,朝早い牧志公設市場なんかにちらっと寄ってはみたが,よく考えれば今日は日曜日。シャッターが閉ざされ,アーケード街も暗いままだ。たまに開いている店もあるが,よく見ると中では店番をしているはずのオバちゃんがコックリコックリやっている。まったく,それだったら日曜なんだから休めばいいのに。

さて,その沖縄第一ホテルでの用事は何かというと,ここの薬膳朝食料理なるものを食すためである。値段は3150円とかなり張るのだが,何でも50種類と言われる沖縄の食材が出てくる豪華ラインナップで,しかしながらカロリーが600kcal以下と,食べても太らない胃に優しい料理だという。事前予約制を取っていて,8時・9時・10時の中から時間を選択することができる。旅行に出ると“超”がつくほど朝型で,時間があればできるだけ周囲をウロウロしたがるややセッカチな私としては,当然8時を選択することになった次第である。
ここでギモンに思った方がいるかもしれない。これまた前回だが,那覇での宿をこの沖縄第一ホテル“近く”で探したと書いた。で,結局はホテルシーサー・イン那覇に泊まったわけだが,となるとこんなギモンが湧き上がるはずだ。「そもそも“第一ホテル”なんだから,ホテルなわけでしょ? そこにそのまま泊まればいいじゃん」
しかし,インターネットでいろいろと調べてみると……ここのホテルの部屋がどうも古い造りようなのだ。歴史もかなりあるという。加えて,ユニットバスがものすごく狭くて,風呂が人がギリギリ浸かれる程度の広さしかないという。それを覚悟できれば泊まってもいいそうだが,どうしてもキレイなホテルに泊まりたければ,そっちに泊まって朝ご飯だけ第一ホテルで食べることもできるという。
なるほど,最近の私はどうにも贅沢をしすぎている。昨年リゾートホテルに泊まり出したあたりから,ミョーに清潔で広い部屋を求める傾向にある。まさか,第一ホテルに予約の電話を入れる際――ホームページが残念ながらないため,電話予約するしかない――,まさか「おたく,部屋の造りはどうですか?」とは聞きづらい。ユニットバスの部屋も数が限られているというし,それでいて値段も今回泊まったホテルシーサー・イン那覇とどっこいどっこいのようだ。であれば,別にてくてく歩くことは苦にならないし,少しでも腹を空かせたほうがメシが美味くなるというもの。朝ご飯だけ呼ばれる形にしたのであった。
7時50分,沖縄第一ホテルに到着。国際通りの北の終点・安里(あさと)交差点から,北に伸びる狭い路地を50mほど入ったところに,木造のピンクとグレーの壁の2〜3階建ての建物。ツタがからまっている箇所もあったり,色が少し褪せていたりと,それらはいずれも歴史の重みというものだろう。文人が定宿にしていることで有名だそうだが,それもうなづける。時間帯もあるのだろうが,大通りの喧騒から外れて,静けさに包まれた場所である。とはいえ,これを見ると上記の“前評判”が,それなりに説得力がありそうな雰囲気でもある。
さらに,手前にある玄関はコンクリートとレンガの壁でできているが,上記の木造の建物とは明らかに異質である。どうやら,元々は料亭として使われていた和風建築の建物をホテルに改築したようだ。私が路地を歩いていると,ちょうど私の寸前にタクシーが通過して,玄関前で停まった。降り立ったのは同世代かやや上くらいのカップル。どこからやってきたのかは知らないが,わざわざタクって来たのだ。彼らももちろん目当ては朝食である。
早速中に入る。こげ茶と白がベースで,全体的に落ちついたシックな色合い。ますます“文人旅館チック”である。そして,女性が食器をお盆に乗せてバタバタしている。「遅刻はいけない」と真面目に“10分前到着”をしてしまったが,残念ながら効果はなかったようだ。あるいは向こうが「何も10分前に来なくても…」とすら思ったかもしれない。脇の受付で名前を告げると,そばのロビーで待っていてほしいと言われる。奥にテーブルが見え,食器がある程度置かれているので,多分そこで食事を取ることになるのだろう。
しばしロビーにて待機。周囲はアンティークな小物,書籍,雑誌,陶器e.t.c.が所狭しと並べられている。墨と硯という古典的アイテムもあったりなんかする。受付のカウンターの下もガラスケースになっていて,そこにもいろんなものが置かれている。どうもそれらは売り物のようだ。そして,座ったソファのそばにある書棚には,沖縄の歴史に関する本がたくさん詰まっている。これらは売り物ではないが,どうやら閲覧はできるようだ。
そうこうしている間に,4人の家族連れが2組と,3人の家族連れが1組入ってきた。あと,私より若い女性も1人。こんな朝早い時間だが,やはりいろいろなところから情報を聞きつけてくるのだろう。ちなみに,私はこのホテルの存在を『プライオリティ 沖縄』というムックで知った(「参考文献一覧」参照)。“プライオリティ”だから,ちっと30歳の自分には敷居が高いかもしれないが,今のうちからその高い敷居をまたげるようにしておくのも悪くはない……って,どうでもいいか。プライオリティだろうが,スペリオールだろうが,突き詰めて行けば“ミーハー”なのである。いずれにせよ,ムックを買っていなければ確実に見逃していたことだろう。

8時を過ぎること数分。そばのテーブルに案内される。7人掛けのテーブルに,上述のカップル,若い女性1人,そして3人組の家族連れと相席である。テーブルには所狭しと食器が並べられている。すでに十数種類あるのだが,もちろんこれからも出てくるのだろう。もう一つのテーブルにも親子連れが座り,さらに,隣接する赤瓦の離れである「あしゃぎ」と呼ばれる建物に案内されている客もいた。となれば,この時間だけですでに20人近い客がいるのだ。まったく,客はどこからでも湧いてくるものなのである。
50歳くらいの女将さんらしき女性が,食材を一つ一つ説明してくれる。まず説明を受けたのは,一口サイズの小さいグラスに注がれた緑色の液体と,同じくらいのリキュールグラスっぽいグラスに注がれた白い液体について。前者が1.ゴーヤージュース,後者が2.豆乳だ。1.はなるほど飲むと苦味があって,青臭さもあるが,決して罰ゲームにあるような「ウゲェ」となるものではない。ただし,言わずもがな味わわずに一気に飲み干すべきだとは思う。カップルの女性は「うーん,さっぱりして美味しい」なんて言っていたが,たしかにさっぱりはしていると思う。2.はごくごく普通の豆乳である……実は,この二つが最初なのははっきり記憶しているのだが,以降はどんな順番で説明を受けたか忘れてしまった。なので順不同になるが紹介していくことにしたい。
ここでの主食はパンになるのだが,種類は2種類。黄色い色をしたのが3.ミルク入りウコンパン,紫色をしているのが4.紅芋パン3.は10cm×5cm,4.は5〜6cm角。いずれも味そのものは普通のパンにかすかにそれっぽい味がする程度だ。
これにつけるのが,はちみつのくどくなったような黒くネットリした液体の5.プロポリス(うちの母親が昔これを水に溶かして飲んでたような),同じくネットリと,グレーとこげ茶色を混ぜたような色をしていて,舐めるとなるほどと思う味がする6.黒ゴマと黒糖のペースト,そしてごくごく普通な7.ブルーベリージャムの3種類。いずれも洒落たポットやら器に入っている。個人的には,2種類のパンを3種類すべてにつけて都合6通りの食べ方をした。パンはともかくとして6.が一番何にでもあった。7.ももちろん何にでも合うのだが,こちらは全国区でメジャーなジャムなので,ここではあえて一番にしないことにしたい。
たしか左脇に陶器の上でペロンと1枚あったと思うのが,8.オオタニワタリ。鑑賞用のシダ植物で,濃い緑色の12〜13cm大の刀型の葉。湯通ししただけのような感じで,食べるとシャキシャキと歯ごたえがある。味はごく普通の青菜といったところか。同じく野菜としては,9.ニガナのごま和えというのもある。やはり緑の濃い色をした葉っぱを千切りにして白和えにしたもの。名前の通りやや苦味がある。さらに,赤い小さな器の上に,2〜3cm角の紫色の塊。さつまいもよりも薄味な10.紅芋だ。その隣の長方形の器には,似たような形で茶色く色づいた塊。これは11.田芋(たーんむ)の甘辛煮だ。食感はさといもに近い。脇に色のアクセントも兼ねてか,12.枝豆3粒が添えられている。
その近くのこれまた小皿には,13.アロエベラ14.セロリが一かけらずつ一緒に置かれている。13.はグジュグジュした食感で,やや青臭い。14.はまあ普通のセロリ。その脇には生で食べる15.島ラッキョウ。4月に新橋は「美ら海」で食べた島ラッキョウの天ぷらの大きさと,ネギっぽい食感はなかった(「管理人のひとりごと」Part5参照)。辛味は少ない。それと,16.パパイヤ17.昆布のイリチー。カレー味のようなピリ辛さがある。そして最後はサラダ。中身は18.島ニンジン19.ゆで卵20.きぬさや21.トマト。こちらも辛く和えてある。細かい肉のような塊もちょこっと入っていたが,食べてみたら22.シーチキンであった。
ここまでがテーブルについたときに最初に乗っている品目である。これ以降は,タイミングを見計らって,女性従業員やら無口な男性やらが,空いた皿から片づけては新たな品目を追加していく。無口な男性はメガネをかけてひょろっとした中年のようだったが,ひょっとして女将さんの旦那だろうか。ホントに無口で何も言わずに皿を片したり置いたりしている。

ここからは後で運ばれてきた品目を紹介する。まず23.ゆし豆腐である。直径10cm×深さ6〜7cmほどの金属の鍋の下3分の1くらいのヴォリューム。もちろん温かい。好みで24.島とうがらしをかける。コーレクースではない,正真正銘の粉とうがらしである。少し入れてみたが,なるほどピリッときて味が引き締まる。
さらには25.長命草である。細かい千切りで26.かつおぶしが添えられている。これに27.しょうゆをかけて食べるが,苦さは全開である。名前の通りこれで少しは長生きができるのか。久米島で食べた“さくな”という葉っぱは,多分これの別名であろう(「長寿草」と書いている。「久米島の旅」第4回参照)。それと,28.もずく酢29.しょうがが乗っているごく普通のヤツである。30.水前寺菜の酢味噌和えは,31.ゆずがフィーチャーされているが,ゆずの味が菜っ葉の味に勝っていてよく分からない。
32.カンゾウの花は,オレンジ色のしなびた花びらのようなのが乗っかっている。目に効くらしいが,たかだか花びら1枚で……。これと33.生大豆の黒酢和えが3粒,34.ナーベラー(へちま)の味噌和えが一つの皿に乗っかる。33.は,黒酢のストレートな味しかしない。34.はやっぱり生だと青臭い。そりゃ,2月に食べたナーベラーンブシー(「沖縄・8の字旅行」後編参照)もそれなりに青臭さがあったが,生だったらなおさらだろう。何だか理科の実験を思い出した。そして,35.生ゴーヤーの油味噌和えが食事の最後となる。こちらも苦みはあるが,油味噌がいい感じでまろやかにしてくれる。
デザートとして出てくるのは,まずどういうわけか36.すいかが小さいの2かけら。37.甘菓子には,緑豆と白麦が入っていて甘く煮詰めたものが出てきた。ほのかに甘い味はする。
飲み物は,コーヒーと紅茶と“40種類の健康茶”の中から選択できるが,全員がなぜか38.健康茶(ホット)をセレクト。緑色のシースルーで少しイビツな形のグラスに入って出てくる。中身が入った急須もついてくる。早速,急須のふたを開けて確認したら,茶葉と玄米は確認できたが,それ以外は何か確認できなかった。味は,あの“爽健美茶”そのものと言っていい。
これにてすべて終了である。時間は9時近くになっていて,次の予約客らしき人たちがロビーで待っている。女将さんの話では,調味料込みで50品目が使われて,総カロリーが585kcalとのことだ。もちろん,1品が1かけらと少なく,女性の好みそうな「少しずつたくさん」というのが叶えられる料理だと思うが,にしても,普段の朝食は間違いなくこれよりもカロリーが高いだろう。ましてや,昼飯や晩飯なんかは……。例えば,昨日のオリオンビールとソーミンタンヤーとヒラヤーチー(前回参照)は,総品目数は10種類程度と思うが,総カロリーは明らかに585kcalより高いに違いない。ついでに,健康茶の品目を加えれば90品目である。
ちなみに,献立は日によって変わるらしく,また,さとうきびジュースなんてのが,別料金でつけられるそうだ。残念ながら,それを今回飲む機会はなかった。言ってくれれば頼んだと思うが,おそらくは次の客を受け入れるために言わなかったのかもしれない。よしんば言ったとしても「今日はないんです」と言われるのがオチだったか。

@懐かしきレストラン
ホテルを後にして次に行こうと思うのは,金城(かなぐしく)の石畳道である。首里城の丘を南に下る坂道である。その名の通りの道らしいが,NHK連続ドラマ「ちゅらさん」の舞台にもなったようだ。たしか,ドラマの中心である古波蔵家は小浜島の民宿をたたんで,この那覇に居を構えることになる。そして,恵里(国仲涼子)は高校を卒業して1人で上京することになる。家族の反対を押してゆえ,見送る人間はいない。その彼女が自分の住んできた最後の風景を1人でじっくり見るシーンが,たしかこの石畳のどこかだと聞いている。首里城にはこの1月に行っているが(「沖縄“任務完了”への道」第2回参照),この石畳道へは行っていない。
ホントは歩いていこうかと思ったが,朝からいかんせん強烈な陽射しゆえ少し迷っていた。とりあえず,国道330号線とゆいレールの下をくぐり,「大道中央病院前」というバス停まで辿りついたところでバスの時刻を確認する。と,9時7分発の15番・寒川線というのがこの石畳道の前を通るようだ。10分ほど待つことになるが,歩いていくよりは確実に早いであろう。しばし,軒で日陰になっているバス停にてウエイティング・タイムを取る。
バスは2分ほど遅れて到着する。中には私以外にもう1人いるのみだ。ちなみに,話がズレるが営業会社は那覇バスという会社。まさに,この日の朝から運行開始することになった会社である。元々は那覇交通という会社だ。昨日ニュースを見ていたら,前もって塗装だけは切り替えの前から新会社にしていたそうだ。運行本数が旧会社よりも減ってしまうとのことで,地元住民から不満の声が少し挙がっている中での船出である。乗ったバス自体は,塗装だけは新しい感じだが,中は昭和のころから走っていそうな様相のボロバスであった。

9時15分,石畳前バス停にて下車。日曜日の朝だからか,周囲は静かである。そうそう,今日は日曜日なのだ。入口に来ると,狭い車1台がギリギリで通れる程度の広さで,勾配はかなり急である。そんな坂を4WDがゆっくりと下ってきた。で,入口そばには「瑞盛(ずいせい)館」という施設がある。赤瓦の門に琉球石灰岩の石垣という古民家風ないでたちで,泡盛の歴史が分かり,民俗資料も展示されているようだ。9時開館というし,門が開いているので入ってみる。
入口すぐには,売店兼食堂兼チケット売場の平屋建ての建物になっている。中から作曲家・羽田健太郎氏似の50代くらいのおじさんが出てくる。私の存在に気づくや,あわてて「ちょっと待ってください」と言い出した。どうやら,開店時刻からすでに十数分が経過しているが,彼の中では閉店状態だったのだ。まあ,そんなものだろう。建物の端にある小さいシャッターを上げると,そこから自動券売機が出てきた。そこで大人1人分の入場料・290円を支払う。ちなみに,ここは元々泡盛の製造工場だったようだ。
レンガのアーチ門をくぐって,隣接する新しい建物に入る。おじさんがカギを開けて中に入る。しばし,おじさんによる解説。ガラスケースには,@沖縄全48醸造所の泡盛,A記念に特別に作られたという泡盛,Bその泡盛に関連する器具がキレイに飾られている。入口そばにあるのはB。初代・貴乃花が沖縄巡業のときに作ったという陶器,武士などが腰につけていつでも泡盛が飲めるようにしたという,体型に合わせてアーチ型を描いている「抱瓶(だちびん)」という陶器も飾られている。脇には「泡盛を柄杓で上から垂らしている浮世絵」も飾られていて,これによってたつ泡の大きさだかで,酒の“度数”が分かるからというのが泡盛の語源だなんて話も聞いた。
Aについては,2000年の沖縄サミット記念のもの,そして沖縄でのスポーツ行事記念の泡盛も飾られている。後者は,これをたくさん作って周りに売って旅費を稼ぐという,涙ぐましいものでもあるらしい。@については,肝心の島内ですら貴重品とされている波照間島の「泡波」から,近くのほとんどのコンビニでほとんど置かれている名護市のヘリオス酒造の「くら」,あと久米島の「久米仙」など,誠に目移りする限りである。個人的には,「泡波」は9月に波照間島に行ったときに飲んでみたいのだが,波照間の港にあるターミナルの売店で“オン・ザ・ロック”が300円という。これを逃したら,一生巡り会うことがないかもしれない。
地下にも見学場所があり,そこはたくさんの甕が納められている。「古酒(クースー)友の会」という団体だかがあって,5年間一升瓶1本あたり1万円で“キープ”できるようだ。近くには試飲コーナーもあって,石川酒造所(那覇)の“甕仕込み30度”というのを飲んだが,やはりストレートだとキツくてカーッとくる――戦前は,醸造数百年レベルの古酒が至る所にあったとされているが,それらのほとんどは沖縄戦で甕ごと破壊されてしまったという。よって,今はせいぜい30〜40年ものだったら十分に最古参になり得るのだが,これもまた昨今のブームなんかでいろんな所で飲まれてしまうものだから,今は新しく造られたものしか飲めなくなりつつあるようだ。
外に出る。おじさんとは説明を受けた後で別れている。1人で奥にある資料館に行くと,扇風機がついていた。おそらく,一足先にカギを開けていたり扇風機をつけたりしていたのだろう。アイロン,昭和初期のカメラ,平たいシンメーナービー,バーなどの営業許可証であるAサイン証にB円,八重山・新城(あらぐすく)島のパナリ焼きなど,まあどこの資料館にでもありそうなものばかりだ。バカでかいペリーが来たときの絵なんてのも飾られていたと思う。
建物の脇には豚小屋の“フール”があったり,“クルマガー”と呼ばれる井戸がある。ちなみに,井戸があるからには地下水があるわけで,この金城付近には6箇所の泉(ガー)があるという。水が枯れることもなく,これによって戦後はもやし作りが盛んだったようだ。この井戸の水汲みは子どもの日課だったという。また,さっきの新しい建物の前にはサーター車とか,サバニとかも置かれている。ま,初っ端の時間つぶしにはちょうどよかったかもしれない。

いよいよ石畳の道である……キツい。汗が吹き出る吹き出る。まるで汗をかきに来ているようなものだ。全長で300mという。家ごとに花が植えられ,それを紹介するプレートもある。ブラブラするにはちょうどいいかもしれないが,花があるということはそこに寄りつく虫なり何なりがいるわけで,たまにその動きに翻弄されつつも,石畳を一歩ずつ上がっていく。
10分ほど上がると,十字路に辿りつく。脇にクラシックな感じの案内板があって,そばに「金城大樋川(かなぐしくうふひーじゃー)」というのがあるようだ。早速,その方向に行ってみると,幅3mほど×奥行き十数m×高さ6〜7mほどの破風墓みたいな石造物がある。これまたものすごい樋川である。奥の石壁は4段になっていて,上には鬱蒼と木が生い茂っている。
そのたもとには,奥行き1.5mほどの石敷きで半月型の水たまりがある。そこに向かって石壁の中から掛樋が飛び出ている。幅は数十cmほどだが,さすがにというか水はなかったが,こうなっているからには,石壁の中から水が流れてくるという仕組みだろう。脇には拝所らしき石もあるので,御嶽になっているということか。この水たまりを通って,さらに手前入口方向に,幅1m弱くらいの通水口が伸びている。この金城地区の共同井戸としての役割を果たしていたそうだ。
そばには「村屋」と書かれた古民家。8畳敷きの畳の部屋が二つ。近隣の集会にでも使われるのだろうか。ちょうどオジイが閉まっていた雨戸を開けているところだった。その垣根のところにはこれまた看板がある。それによれば,この石畳の上に落ちた雨水は特殊加工された土床により吸水され,自然ろ過される。その水が用水溝に流れてやがて井戸に流れこむのだそうだ。
さらに上に上がっていくと,今度は右手奥に“金城の大アカギ”というのと“内金城嶽(うちかなぐすくたき)”というのがあるようだ。何ヶ所かから行ける感じで,初めに向かったときはどうにも道が悪くて断念した。虫が必要以上に飛び交っているのも,行く手を妨げる一因だったりするのだが,別の道から行くとほとんどが舗装されていたので,安心してそのまま進むと,どんづまりに樹木が生い茂る森がある。この一帯が内金城嶽ということだろう。
その一番奥にはガマのような窪みがあるので,行こうとするとクマンバチらしき物体が“ブーン”という低い音を出して耳元をかけぬけていく。思わず「ウワ!」と声が出ると,近くにいたタクシーの運ちゃんらしき男性と,観光客らしき男性の2人が「どうしました?」と声をかけてきた。「ハチが…」というと,向こうはしょうがねーなって感じで笑っていた。いやいや,マジで私はダメなのである,ハチが。しかも真っ黒でデブって鈍く青光りしているし。こんなときに,もう一つの天敵であり,間違いなくいる可能性もあるハブなんかにかまれてしまったら,一たまりもあるまい。
気を取り直して進むと,たしかにガマがあり,戦争で使われたそうだ。拝所もある。その脇には4〜5m四方の石垣で囲われた一角。正面らしきところには赤い格子状の柵がされている。ここが一応はメインの御嶽であろう。そして,一つだけ目立って大きい樹木のそばに行くと,自然にできた木の窪みに赤い位牌が置かれている。これが目当ての“金城の大アカギ”なのかと思っていたら,後で調べたところでは,この御嶽に生息している大木がのきなみアカギで,これらがすべて鑑賞の対象になるらしい。全部で6本あり,その木にはいろんな別の植物が寄生しているらしい。
以前はこういうアカギが何本もあったそうだが,これまた沖縄戦で焼失することになってしまったらしい。はて,どれがアカギかなんて,樹木や花卉に興味などない人間にはどーでもよかったが,6本もまとまって生息しているのは貴重なことだそうだ。でも,それよりもハチとハブの“ダブルH”から早く逃れることが先決であるとばかりに,とっととこの御嶽を出ることにする。ふう,まいったぜ。
……この後も地道に坂を上りつづけて,10時15分。「日本の道百選」なんて看板があって,実はこっちからスタートすべきだったんだねと気づいたときには石畳の道は終了して,目の前には見たことのあるアーチ橋と舗装道路が。首里城の下に来ていたのだ。とりあえず,テクテクと歩いて大通りに出ることにする。首里城は今日もあいも変わらず盛況である。
で,ここからどうするか。とりあえず大通りには出た。今日のこれからの予定は,12時ちょうど発の船で渡嘉敷島へ渡るのだ。船が発着する泊港へは,この道をひたすら西進すれば着く。とはいえ,この陽射し。ひたすら歩き続ければちょうどいい頃合に港へ着くかもしれないが,それは今まで石畳をヒーヒー言いながら歩いてきた人間には酷な話である。別に軍隊の“鍛錬”に来ているわけでもない。近くに何かないかと探していると,道路をはさんで向こう側に喫茶店らしき建物。朝食を食べて2時間も経っていないが,メシは食わずともお茶くらいはしてもよかろう。そもそも,朝食の総カロリー数は585kcal。少し余裕はあるのだ。もっとも,ここでカロリーを増やしては,薬膳朝食を取った意義が薄れてしまうかもしれないが,ここは渡嘉敷島行きまでの時間つぶしとして入ることにする。

その喫茶店は「嘉例山房(かりーさんふぁん)」という名前。マンションっぽい建物の一角に「氷」と書かれた旗がたなびいている。いかにも夏である。中に入ると,土産物が所狭しと置かれているその奥に,数段の階段を上がるとテーブルが置いてある。ここが喫茶室ということか。座席は,4人席やら6人席やら,大きさがまちまちである。テーブルも何もかもまちまち。まあ,でもそれは個人の店ならではの趣であろう。ここを切り盛りしているのは,70代くらいの上品なオバア1人である。動きが実にスローだが,モタモタしているというよりは“優雅”と肯定的に捉えたい感じである。
とりあえず,中は誰もいないので,階段脇の6人席に腰掛けることに。周りには写真やら本やら,タバコのパッケージやらビンやらが雑然と飾られている。こういう雑然とした喫茶店に行くことがやたらと多いのだが,“それらしきムード”を醸し出していていいと思う反面,ここについては,捉えようによってはオバアが1人では片しきれないということかもしれないと推測してしまう。
……そういや,この店の名前をどこかで聞いたことがあると思ったら,それは目の前にある大きなスクラップブックを見て思い出した。ここは「ぶくぶく茶」というお茶で有名な店なのだ。沖縄独特のお茶で,古くは中国からの冊封使のもてなしにあてられたという。祝い事がある時に口にすることが多い縁起がいいとも言われている。白米をきつね色に煎り湧水で煮出し,そこにさんぴん茶を少々入れて,茶せんで泡立てると,ふんわりとした白い泡が立つという。米の煎り加減・水質・煮出し加減など,条件が整うと簡単に泡立つらしいが,どこか一つでもおろそかにすると,ふんわりとした白い泡にはお目にかかれない。茶碗にこんもりと盛られたふんわりとした泡をすくうようにして,また泡を残さないよう「ズズズーッ」といただく……。
――そんなことがスクラップブックに書かれている。で,テーブルの脇に飾ってあるメニューには,オーソドックスと思われる玄米さんぴん茶(450円)以外にも,ハイビスカスとかレモングラスと合わせたものもあるようだ(こちらは600円)。“ぶくぶく”というと,那覇の国際通りの琉球珈琲館の「ぶくぶくコーヒー」を思い出すが(「沖縄・遺産をめぐる旅」第4回参照),こっちが本家の“ぶくぶく”であろう。
というわけで,今回注文したのはぜんざい(380円)……だって,注文した後で思い出したんだもん。それにぜんざいが食いたかったのだ。冷たくてノドを潤してくれるし,渡嘉敷島で昼ご飯がまっとうに食べられるかも分からないから,少しでも腹持ちしそうなものを食べたかったのだ。ちなみにプラス100円だかで大盛みたいなのもできるようだが,そこまではさすがにしなかった。他にはカレーのような食事もあるみたいである。
5〜6分ほどしてオバアが優雅に運んできたのは,10cm×5cmほどのだ円形の貝みたいな器に,こんもりと“標高”4cm程度の高さで富士山みたいに盛られたかき氷。で,“裾野”にある茶色い液体が,白玉入りのあずきぜんざいである。沖縄のぜんざいとは,こういうあずきかき氷のことを指す。もっと豪快に盛られていると思ったから,少し拍子抜けしてしまうが,そんなことを気にする前に急いで食べないと,氷は私の食べるスピードを待ってくれることなく,どんどん溶けていくのだ。10分ほどで食し,混ざり合った“液体”を飲み干して店を出る。
再び強い陽射しの下へ。もはやムリはせず,港での待ち時間が少し長くなるが。ここは素直にというか,タクることにする。1分ほどでつかまえたタクシーの運ちゃんは,物腰の柔かい男性。「今日はお仕事ですか?」「いえ,観光です〜」などと,たわいもない話をしながら車は順調に西進していく。そんな中,ふと「沖縄の人は,昼にあまり外に出ないそうですね」と話をふってみる。すると「そうですね。昼はあまり外に出ないですね。観光客の人しかいないですねー」という。やっぱり,朝からあくせく動いて汗をダラダラかいている私は,しょせん観光客の域を出ない存在なのだろう。
5分ほどすると泊高橋の交差点。目の前には白くて大きく高いアーチ橋が青空に美しく映えている。この橋が見えると,泊港はもうすぐ。いよいよ,これから未踏の慶良間行きである。(第5回につづく)
 
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