サニーサイド・ダークサイド(全4回予定)

那覇空港,10時55分着。普通の土日であるが,羽田は長蛇の列ができていた。それに引っ張られたのか,定刻より15分遅れての到着だ。そして肝心の天気は,天気予報では回復の方向ということだが,まだ典型的な梅雨空である。
早速,ダッシュでゆいレール乗り場に向かう。定刻に着いていれば,あるいは10時50分に空港から出る120系統の名護行きバスに乗ろうかと思っていた。しかし到着が遅れるのと,欲が出て行きたい場所が突然出てきたので,ひとまずゆいレールに乗る次第だ。どっちみち,乗ったほうがこれから先が確実なのではあるが。
その行きたい先とは,牧志(まきし)公設市場である。市場自体は2002年の大晦日に行っているのだが(「沖縄標準旅」第5回参照),ここの2階にある食堂街でメシを食いたくなったのだ。2階もその大晦日のときに見てはいるのだが,このときはタコライスを食べたかったので,ただ見学しただけだ(上記参照)。それから1年が経って,今年1月に友人2人と行った沖縄旅行でのこと。片一方のH氏が,この市場の2階でメシを食った話をしていたのだ(「沖縄“任務遂行”への道」第1回参照)。刺身やらそばやらを食った話をふと思い出して,行きたくなったのだ。たしか,1階で買った魚類は,調理代を出せば2階の店で捌いて一品料理にしてくれるのだ。
ホントは上記名護行きバスに乗って,中部の北谷(ちゃたん)町にある某レストランのバイキングを食したかったのだが,今夜泊まる名護の「ゆがふいんおきなわ」も,たしか明日の朝飯がバイキングのはず。となれば,2日連続でバイキングというのも身体によくなさそうだ。本来行くはずだったレストランも,味はなかなかの評判らしいが,メニューはたかが知れていよう。30歳を過ぎたし,健康には特に敏感にならなくてはなるまい。よって“昼飯@牧志公設市場”を選択することになったのだ。
ロビー内と連絡通路をダッシュして,11時ちょうど発の首里行き列車にすべりこみセーフ。中は制服を着ているBoys&Girlsやおばちゃんたちでほぼ満員である。特におばちゃんは,「ワンピース&地味なパンツ」と全体的に統一感がアリアリで,加えて座席を完全に独占している。彼女たちはひょっとして,どこかから帰ってきたのか。あるいはこれからどこかに向かおうとしているのか。
10分ほどで美栄橋駅に到着。何度か書いていると思うが,牧志公設市場はここからが一番近い。でもって,これから向かう国際通りへは,私はなぜかこの駅をよく利用する。周囲はいまいち地味な建物ばかりで,これといって見所はない。ダイエーがあるにはあるが,別にただのダイエーである。それでも,ピンポイントへの近さには替え難い。
強いてあげれば…というか,最近「へー,あそこか」と思っただけなのだが,通り沿いにある濃いグレーの建物が特徴の「高良(たから)楽器店」というレコード&楽器店が,この間「琉球新報」の記事に出ていた。何でもBEGINのヴォーカルが発明した,ギターをシンプルにした楽器“一五一会(いちごいちえ)”が飛ぶように売れているという。「東京で手に入りにくいので沖縄で」というお客さんが多いそうだが,その沖縄に行っても1年くらい待たされるのだという。あらためて“沖縄ブームのすごさ”の一端を見ることができる現象だ。
国際通りをそのまま渡って,市場通り商店街のアーケードに入る。このエリアに入るのは,多分去年9月の旅行(「沖縄・遺産をめぐる旅」第4回参照)以来だろう。両サイドはあいも変わらず出店がありぃの,棟続きの店がありぃので賑やかだが,心なしか人はそれほど多くないような気がする。時間帯が11時台だからか。これが夕方だったら,もっと人でごった返すのだろう。

(1)プロローグ
牧志公設市場に入ると,あいも変わらず,古い建物と生鮮食料品の混じった独特の匂いが鼻を刺激する。市場にはいくつもの出入口があるのだが,私が入ってすぐ見えたのは,漬物っぽいお惣菜を売っている店と,豚肉と思しき肉を扱っている店であったと思う。客を呼ぶ掛け声も,これまたあいもかわらず盛んであるが,今回の目的地はあくまで2階である。素早く狭い通路をくぐりぬけ,2階に向かうエスカレーターを見つける。
上に上がると,エスカレーターのところが吹き抜けになっており,食堂は建物の壁際に6〜7軒が連なる。ドアとか壁といったものはまったくない。ある意味“オープンエア”以上にオープンである。と,早速,エスカレーターの真正面の店から声がかかる。「相席なしで入れますからね。いかがですかー」と,40代くらいのおばちゃんのハキハキした声だ。料理研究家の平野レミ氏みたいな感じの女性だ。一瞬ひるんでしまい,別の店が見てみたかったのもあってその場を離れたが,こう言っては失礼だろうがどこの店も大差はないだろう。迷ってどこにも入れなくなるのではどうしようもないし,ここは素早くこのおばちゃんの店に入る。
店の名前は「道頓堀」。沖縄で道頓堀というのもヘンだが,壁に書かれた看板風のデザインが,何となく浪花節チックである。どうやら,親族が大阪で商売をしていた関係での命名らしい。で,中は…というか,思いっきり外からも見えるのであるが,4人席が10席ほどに,10人ほどが掛けられる丸テーブルと7〜8人が座れる四角いテーブル。丸テーブルにはおっちゃんおばちゃんたちが座っていて,何やら注文を取っているようだ。私は通路に一番近い,建物の支柱脇の4人席に座った。目の前に丸テーブルの状況が見えるのだが,ビールが運ばれてきて宴会が始まるようだ。
さて,私の注文。私より少し若いくらいの女性が対応してくれる。テーブルの端に立てかけられたメニューを開くと,ごくスタンダードなチャンプルー料理や,刺身類,丼ものなどさまざまである。一品料理も定食もあるが,今回注文したのは「近海さしみ定食」(1200円)。今までいろんな店に入ったが,なぜか自ら進んでさしみ類を頼む機会がなかったと思う。というのは,私がどっちかというと油っこいものが好きなのと,何がしかの定食を頼むと,かなりの確率でメインディッシュではなくてもサイドに刺身が数切れついてくるケースが多かったのだ。前から沖縄で獲れる魚を刺身で食べてみたいとは思っていたのが,ようやく実現した次第である。
そして,刺身だけだと多分足りないだろうと思って,「お飲み物はよろしいですかー?」と聞かれたときに,今日は一度も飲んでいないアイスコーヒー(250円)を頼もうとしたのだが,売り切れだという。では,ということで頼んだのはデザートの「ぜんざい」(300円)。こっちのそれは,本土の“あずき氷”にやや近くて,かき氷におしるこ風のあんこがかかっているものだ。“沖縄スイーツ”の中では未経験だったので食してみようと思ったのだが,「念のため,確認してみますねー」と言って,彼女は一度厨房のほうに消えていった。
そして,彼女は再びこちらに来ると「すいません,こちらもないんです」と言ってきた。となれば,今回は近海さしみ定食のみの注文とする。「沖縄ではこちらがよく飲まれていますねー」と,飲み物として彼女はさんぴん茶やシークワーサーを薦めもしてきたが,残念。こちらはすでに何度も飲んでいるからパスする。そもそも,上述のバイキングにしようと思ったのは,昼にめいっぱい食べて,夜にホテル内のレストランで不毛に高いメシを食うよりは,テキトーに飲み物くらいで済まそうと思っていたためだ。さすがに刺身定食のみで明日までは我慢できないだろうが,多分これからの道中で美味いものに出会うかもしれないではないか。ひとまず,そのとき用に胃袋のスペースは取っておくことにしたいので,ここはホントに食べたかったもののみにしておく。

中は次第に人が増えてきている。時間帯もあるし,おばちゃんが声掛けを欠かさないのも大きいが,何より立地条件に大いに左右されるのがよく分かる構図である。下りエスカレーターはなく,上りエスカレーターから見て時計回りにぐるっと回って,位置的には(上りエスカレーターから見て)右後ろ奥の階段から下りるのだが,このエリアで店が繁盛している感じだ。その中でも「道頓堀」と,(エスカレーターから見て)右側に位置する「きらく」という店は,特に人が入って賑やかである。この「きらく」は,一瞬「道頓堀」の敷地かと思ってしまったが,厨房側の看板をよく見れば別の店。それくらいに境界が曖昧なのだ。後で他の店もちらっと見てみたが,この二つが群を抜いて賑やかだったと思う。
さて,5分ほどして出てきた肝心の「近海さしみ定食」は,25cm×20cmの平たい皿の中に,数種類の刺身が“オン・ザ・太めの大根のつま”で盛られている。タコ,マグロは私でもすぐ分かった。あと,ヘリが鈍く青光りするのはイラブチャーだ。鯛のようなあっさりさである。あと蒲鉾っぽい形状で歯ごたえでイカみたいなのもある。この魚の種類が分からないのは残念だが,それらが3〜4切れ/種類って感じである……ま,ただそれだけのこと。特に感慨もなく,淡々と平らげていく。これと一緒に茶碗ごはんと,魚のあら汁がついてくる。
そのあら汁は,味噌汁仕立て。10cm大のちょっと深めな器に入っている魚は,色からして普通の青魚っぽかったが,多分“ミーバイ”あたりか。まったくクセも何もない白身のあっさりした味で,味噌とうまくマッチしている。ま,あら汁がそれなりにボリュームがあって美味いが,トータルでは,値段にある1200円では少し高いか。3ケタでも十分な気がしないでもない。
食べ終わると,さっき声をかけてきた女性が「片しましょうねー」と言って,そそくさと片づけに入る。そういや,定食を持ってきてすぐ,若い女性が「ティッシュ,置いときましょうねー」と言ってティッシュ一箱と,ウェットティッシュを2枚,円筒形のボックスから取り出して置いていった。こういう行為は,女性ならではだろう。これが男性だと,どうしても気が引けたり恥ずかしかったりして,できないのではないか。こういういい意味での一種の「図々しさ」が,市場が女性で長い間切り盛りされている象徴であると思う。ただし「片しましょうねー」には,言葉的には丁寧な印象を受けさせておいて,その裏には「さあ,食い終わったらとっとと出ていけよ。1人で4人席使われちゃ効率悪いんだよ」のフレーズが隠れているとみた。ま,別に長居する必要もないから,私もとっとと出ていくことにする。
既述のように,あくまで今回は“2階のみ”なので,市場の中をじっくりも軽くも見ずに外に出て,目的地に向かうべくバス停に向かう…が,その前に「松原屋製菓」の前で立ち止まった。ぜんざいの代わりに,何がしかのデザートが食べたくなったのだ。建物は間口が結構大きく,饅頭や月餅を始めとした昔ながらの菓子類がズラっと並ぶ。
そして,中でも透明なプラスチックの大きな箱にたくさん入ったサータアンダギーが美味そうだ。白糖(プレーン),黒糖,ゴマ入り,紅芋,バナナの5種類があり,いずれも適度な凸凹加減で手作り感があって“ステキ”だ。とりあえず,白糖(プレーン)とゴマ入りを1個ずつ買う。ばら売りで1個50円,2個で100円。袋で売られて500円というのもある。箱の蓋の上には,値段が書かれたダンボールの紙片が乗っかっているが,その脇に「賞味期間8日」などと書かれているのも心憎い。結構“持ち”がいい食べ物なのだ。書くからにはもちろん,今日作ったばかりということだろう。
子どもが駄菓子屋で何かを買うみたいに,透明なビニール袋に入れてもらって出発。アーケードを出ると,雨がポツポツ来だして,やがて傘をささないとダメなくらいに本降りになる。やれやれ,台風が過ぎ去って天気が回復どころか,雨かよ。ま,梅雨前線がまだいるから仕方がないところだが,明日は伊江島でサイクリングの予定だから,雨は今日で上がってほしい。晴れるというから,100円ショップで買ったレインコートを家にわざわざ置いてきて,傘しか持ってきていないのだ。

5分ほど歩いて松尾バス停に辿りつく。端から見たら「ちょっとおかしいんじゃないの?」みたいに,歩きながら結び目をしっかり手でつまんでいたビニール袋をここでほどく。5cm大のサータアンダギーは,間違っても一口では食べきれない大きさだ。とりあえず頬張ると,余計な味を加えていないような素朴な甘さがいい。鶴見にある「おきなわ物産センター」で買ったのと同じような味だ(「管理人のひとりごと」Part8参照)。あっちも保温箱に入っていた。袋づめであらかじめ入っているのよりも,箱にいっぱい入っている中から取り出して袋に入れてもらったほうが何だか嬉しいのは,私だけだろうか。
時間は12時ちょい過ぎ。バス停の時刻表を見ると,28系統の楚辺(そべ)経由の読谷行きが12時15分発と,あまり待たずに済む。上述では北谷に行きたいと書いたが,その後でこの読谷にも行きたいのだ。北谷だけならばわざわざ読谷行きを選択しなくても,国道58号線沿いなので,20系統の名護行きが通り道だ。しかし,一方の読谷の中心部は国道58号線からかなり外れた位置となる。そのまま宿泊地の名護まで行くにはまだかなり時間も距離もあるが,いかんせんこの天気である。先に読谷を見てから28系統で一度北谷に戻り,その後1本で名護まで行くか――いろいろと思案すると,最大公約数的には読谷行きに乗るのがベストだろうか。
しかし,この国際通りでバスを待つのは,結構“至難の技”である。何たって,常に車はノロノロ運転なのだ。現に,いまもお世辞にも動きがいいとは言えないスローさだ。路駐している車の影響もあるだろうが,バスだっていつ来るか分からない。となれば,素直にこの場で待っているのもバカらしくなってくる。つくづく短気な限りだが,時間もまだ余裕があることだし,一停留所くらい戻ってみようかと思い,バスターミナル方面へ向かって歩き出していく。
すると,そういうときに限って20系統の名護行きとすれ違った。で,気まぐれな私ゆえに,何か「北谷に先に寄ったほうがいい」とか思いだして,あわててバスを追っかける。バス停で一度そのバスは停まったが,誰も乗る人がいなかったようで,間一髪で行かれてしまった……まったく,素直にバスが来るまで待っていればいいものの,欲張ると大抵こういう目に遭うのだ。もうここは身も心も微動だにせずに,ちゃんと初志貫徹で28系統のバスを待つことにする。

(1)プロローグ
読谷行きの28系統バスは,定刻より3分遅れてきた。昼時だからなのか,この通りにしてはかなり正確な部類に入るのではないかと,勝手に想像する。考えてみれば,バスに乗るのは2002年の大晦日以来,久しぶりである――ちなみに,待ち時間がなかったからよかったが,この後のバスは13時台までなかったと思う。読谷行きのバスは那覇バスターミナルからかなりの本数が出ているが,ほとんどは西寄りを走る国道58号線沿いの久茂地(くもじ)を経由して行くようだ。となると,ここは改めて幸運に感謝するしかない。
バスの中は,私を含めて3人だけ。前方の出入口すぐ脇の“特等席”に座る。運ちゃんを見ると,柄の入った青地の半袖カジュアルシャツをズボンから出し,下はごく普通の紺のスラックスといういでたちだ。これぞ“かりゆしウェア”である。ラフなようでいて,一応は夏の沖縄ではフォーマルなスタイルなのだ。ま,厳密には我々が半袖シャツにネクタイを締め,下は普通にスラックスを履くというのと同じ扱いということか。で,シャツをスラックスの外に出すか中に入れるかは自由のようだ。中にはネクタイをきちっとする人もいるらしい。いずれにせよ,東京で四季に関係なく白の長袖Yシャツに紺のスーツをしっかり着ているのを見かけるのに比べれば,より夏にふさわしい格好をしているとは言えよう。
バスはやがて国際通りから離れて,北西に進路を変える。途中右手に三つの入口があるアーチ門を見たが,観光ガイドによく乗っている「崇元寺石門」というやつか。もっとも,その向こうに今は何もなく,単なるオブジェっぽい印象しかないが,元々は歴代琉球王をまつる国廟だったそうだ。ちなみに今あるのは,第2次大戦で破壊された後に修復されたものらしい。
泊高橋(とまりたかはし)交差点から,いよいよ国道58号線に入る。何度か沖縄本島に上陸している私だが,この道を北上することは,実は初めての体験である。南下するのは2002年の大晦日に経験しているが(「沖縄標準旅」第4回参照),北上するときは高速道路を使うケースが常だったので,新鮮な景色である。しかも,一昨年南下してきたときは,たしか今と同じイスに座ったはずだ。ということは,進行方向で左側を見ていたわけだが,今回はその南下するときとは逆方向の景色が見られるわけだ。これまた,ささやかではあるが“二重の喜び”である。
車は量こそあるが,流れは順調である。那覇市を超えて浦添市に入ると,左には有刺鉄線とフェンスが出てきた。牧港(まきみなと)補給基地で,通称「キャンプキンザー」。米軍施設である。車両なり建物にはいろんな文字が書かれているが,当然ながらすべてアルファベットである。これでもかというくらいに,日本語の1文字も見ることがない。基地の向こうはまさしくアメリカ合衆国なのである。また,フェンスにはところどころポスターが貼られていて,来週の土日(6/19-20)で“キンザーフェスト”というのが行われるそうだ。軍の車両が展示されたり,出店もあるらしい。
そして,幹線道路ということで道沿いに店は実に多い。米軍を相手にしているようなものも,もちろんある。牧港で個人的に有名と思っているのは,この国道58号線沿いにある「Big Dip」のアイスクリームだ。正確にはブルーシールアイスクリームの直営パーラーだが,バカでかい,アメリカ人だったらノーマルなヴォリュームのパフェがテレビで紹介されていたと記憶している。甘いものが好きな私としては,何がしかを食べて“デビュー”したいところだが,今回はお預けといったところだ。
かと思えば,隣の宜野湾市では通り沿いに赤瓦の家が突然出てくる。ホントに取り残されたように建っていて,あるいは誰も住まない空家になっているのかもしれないが,不思議な光景だ。そしてバスの中は,けたたましい女性2人の声が響く。20代半ばくらいだろう。松尾から二つ先の安里(あさと)バス停から乗ってきたのだが,初め乗ってきたときは「ものすごく聞き取りにくい方言だな」と思った。しかし,よく聞けば日本語っぽくない単語がどんどん羅列されていく。何のことはない,日本人じゃないのだ。多分,言葉の響きと顔立ちからフィリピン方面だろうかと,これまた勝手に想像する。

その宜野湾市では「憲法9条まつり」というステッカーも見た。「沖縄9条連」という団体が主宰となって,翌日13日に市民会館で行われたようだ。琉球新報の記事によれば,市民団体や歌手ら400人余りが参加して次々と舞台に立ち,歌や朗読劇,コント,映画などそれぞれの表現方法で「世界に誇れる憲法9条を守り抜こう」と訴えたそうだ。そして,最後のほうは「ヤマトが憲法を捨てるのならば,我々はヤマトを捨てよう」と強気な発言も出たとのことだ。ま,少なくとも「核を持つべきだ」などと,核武装を実質肯定する私みたいなヤツは,間違ってもこの団体には受け入れられないことは想像に難くないだろう。個人的には戦争は大いに反対だが,武力を持つことについては,核爆弾は極論にしろ“何がしかの形”で持っておく必要はあると思っている。
でも,憲法第9条を理由にしないまでも,個人的には沖縄はいっそ“ヤマト”から独立して,完全に独自路線を突っ走ったほうがいいような気がする。「民族の誇り」というと大げさかもしれないが,やたら沖縄がブームになっている現状を「お前ら,今さら何を盛り上がっていやがる」とバッサリ切り捨てる勇気が必要なのではなかろうか。ま,そんなこと言わないまでも,どこかで沖縄の人たちはこのブームをクールに受け止めている節はあるのだろうとは思うが。
もちろん,真の独立が現実になることは,この島にとってはある意味“命がけの選択”になるだろうから,今のところまずはあり得ないだろう。そんなに簡単にできることではないと思う。でも,ひょっとしてその独立という考えもまた“強硬派”なのだろうか。ま,少なくとも“現実派”ではないことは確かなのだろうが。(第2回につづく)
 

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