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私も一度、日本橋丸善書店で『東日流外三郡誌』を立ち読みたことがあります。反対派に指摘されているとおり、ダーウィンの進化論が登場したり、福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず」なんていう言葉が出現したりで、あまりにアヤしいので、ひいてしまいました。
それに、『東日流外三郡誌』発見時の様子が、書かれている本によって違うというのも、何だかよく分からなくて困ります。
1年か2年の違いなら単なる記憶違いでしょうが(私も時々やります)、兵隊をやめてから帰国して発見したというのと小学生の頃から知っていたというのでは、あまりに差がデカすぎます。
同情的な見方ができないこともありません。『東日流外三郡誌』は門外不出の文書としてW家に伝わっていたといいます。あるいは、それが原因で、整合性のとれた公表ができず、これに周囲の人の誤解・聞き間違いが加わって、上のような矛盾が生じているのかもしれません(その可能性は低そうだけど)。
しかし、いかに門外不出であったとしても、一度公表して世間の目に触れてしまった以上は、この奇書に向けられた数々の疑問・疑惑に対して、誠実に回答する義務があるのではないかと、個人的には思います。このまま放置しておくと、中途半端に真実・中途半端にウソが混じったいい加減な津軽の歴史が世間に流布してしまうかもしれません。
作家の高橋克彦さんは「日本史鑑定」のなかで、この“古文書”に対して面白い感想を述べています。
「これは、ほぼ間違いなく偽書だろう。しかし、偽書を書くもとになったタネ本的な、本物があったのではないだろうか。『東日流外三郡誌』には膨大な量の地元の伝承が書かれている。作家的に見て、これだけの創作をするにはかなりの取材が必要になるし、また、取材対象に強い興味を持っていなくては、できないことと思う。しかし、“発見者”W氏の経歴や人となりを聞く限りでは、そんな人とも思えない。だから、本物の古文書がどこかにあって、それを見たW氏が、これだけでは内容が分かりにくいとか、面白さに欠けているとか考えて、内容をふくらませたり、空想を加えたりした『東日流外三郡誌』を作ってしまったのではないか。タネ本がどこかにあるはずだ。」
高橋克彦さんは、タネ本実在の可能性を指摘する一例として、義経北行伝説(義経は平泉で殺されず、北へ逃げたという伝説)にかんする記載を挙げています。
東日流外三郡誌に登場する義経の話しは、義経主従13人が平泉から落ち延びてきて、十三湊にやってきて、すぐ船で旅立ったという簡単なものです。
『東日流外三郡誌』が偽書だとすると、作られたのは昭和30年頃のこと。今では信じている人も殆どいなくなりましたが、当時は義経北行伝説が実証されるのではないかという期待が一番あった時期だったそうです。もし『東日流外三郡誌』が、そんな時代に、タネ本なしにゼロから作られたものだとすると、義経の箇所だってもっと空想を広げて面白く書くことができたはずです。地元の伝承に果てしない妄想を加えてできたはずの偽書に出現した、淡白な記載が、高橋さんには気になるようです。