沖縄卒業旅(第1回)

(1)プロローグ 
那覇空港,9時20分着。空は雲が多いながらも青空が出てまずまずの天気である。そして,機体の外に出ると,「やっぱりこうでなくっちゃ」という感じの生ぬるい空気が出迎えてくれる。1カ月前の寒い風はどこかに行ってしまって(「沖縄はじっこ旅V」参照),「東京とは格段に違う」っていうこの暖かさがいい。早速,その東京ではどうしても着ないと寒くてやっていられないジャンパーは脱ぐことにする。あるいは長袖の薄いセーターも,どこかでいらなくなるタイミングがくるかもしれない。
羽田でもたつくことなく,結果的にジャストタイムでの到着だが,その勢いを借りていざレンタカー送迎バス乗り場へ行ってみる……が,何と今回借りる予定のジャパレンの車がいない。もっとも現在の状況は,いくつかの会社がようやっと車を空港に送り込んでいるって感じだ。多分,飛行機が遅れることを見込んでいたのだろうか。南の方向に向かう飛行機にとっては,海上に吹いている偏西風は“向かい風”であるから,あまり早まって現地に到着することはない。第一,それ以前に各空港でサクサクと出発できることもまずない。乗客は悪くなくても,そーゆーときに限って「機体の準備に時間がかかっています」とか言われたりもするし。
さて,車が置いてある場所にはだいたいその会社の旗が掲げられているのであるが,ジャパレンらしきそれはない。乗り場の“島”は南北に長いのだが,北側のANAの到着口に近いところから埋まっている。そこにいないってことは南側のJALの到着口に近い方で間違いあるまい。ちょうどウロウロしていたら,トヨタレンタカーの人間が声をかけてくれた。
「どちらの会社さんですか?」
「あー,申し訳ないんですけど,ジャパレンですー」
「あ,ジャパレンさんはあの車が置いてある向こう
ですねー」
“あの車”とは日産レンタカーの車だった。トヨタレンタカーの南隣にいた。そのさらに南側に車はいない。なるほど,一番南の端っこあたりに来るのか。私は間違いなく到着口から出てくるのは早かったと思うが,ちらほらと他の会社のバスに乗り込む観光客もいる。それを横目に見ながら,私は待つしかないのだ。大手の会社もあれば完全に地元の会社もある。ジャパレンは,間違いなく前者のはずだが,それにしちゃ怠慢すぎないか。
そのジャパレンの車がやってきたのは,“島”に上陸したから7〜8分後であった。ドアが開いて係員が出てくる。名前を名乗ると「どうぞお乗りください」と一言。待たせたことへの謝罪の言葉はありゃしない。しかし,私を乗せるなり係員を下ろしてそのまま出発したってことは,向こうにもそれなりに後ろめたさがあったのだろうか。
ジャパレンは,昨年1月に利用して以来2回目である。このときに私はジャパレンの会員になっているのだ(「沖縄“任務完了”への道」第1回参照)。その特典を行使しようと思った次第。“クイック30”というヤツで,「30日前までに予約しておくとレンタカー代金が10%引き」というものだ。免責料金込みでも値段が5525円と格安。もっとも,よその地元会社にはもっと安いのもあったが,探せばキリがない。そして,他でよく利用しているトヨタレンタカーやオリックスレンタカーは6300円かかるから(「沖縄・8の字旅行」前編参照),それに比べれば少しは安いということで申し込んだ次第だ。
ジャパレンの営業所に着くと,当然だが他には誰もいない。早速,手続開始である。目の前にいる女性は,マニュアル遵守なのかはたまた“沖縄風マイペース”なのか,どことなくカチカチしたマニュアルに沿ったような喋り方をしている。私が少しでもイレギュラーに反応してしまったら,向こうは“フリーズ”しちゃうんじゃないか。とはいえ,その話の流れで“ノンオペレーションチャージなし”というヤツを勧められてしまうと,こちらが今度は“フリーズ”してしまったようで,あっさりOKしてしまった。あれって,たしか意味があったんだっけな。とはいえ,プラス525円でいいわけだし……後で確認したらば,上記の価格プラス210円だったから,まあ“自分のいいように解釈”してヨシとしておこうか。
そして,書類にサインをしようとすると,会員登録しているのに電話番号が違っていたり,1300ccで予約していたのに「軽自動車でご予約いただいていますが生憎満車でして…」とか言われる。不思議に思ったが,早くこの場を出たいと思ってとっととサインしてしまった。あるいは別の人間の書類にサインしてしまったか。このときに書類にもっと目を通していればよかったかもしれないが,結局ここから最後まで書類を見ることはなかった。正直,どっか怖かったってのもあるし。
そして,トドメはカーステがCDだった。これも2カ月前に予約して,しかもホームページにある申し込み書の“希望欄”にもカセットかMDと書いていたのに,返信メールに書かれていた「当日はご希望に添えかねることもございます」のほうに流れてしまったのか。一応,件の女性に確認したら,別の男性に確認をしていた。すると「当社にはCDしかありません」とのことだった。おいおい,すべてCDとはどーゆーことだ。予約から2カ月の間に総入れ替えになったとは考えにくいし,事前に分かっていたなら予約センターから前もって確認のメールの一つくらいあってもいいはずである。
――と思うのは,いま東京に帰ってきてから思うことである。いまさら別のとこに鞍替えするのも面倒だし,なぜかここのところ,こーゆーことに対して怒りが湧かなくなってきた。特に沖縄にやってくると,ここのとこ自分の思い通りに行かないことばかりで,それはそれでこっちは慣れてしまって少しは楽しめる余裕があるし……でも,これはひょっとして“何ちゃら病”なのだろうか。ま,いつものように粛々とMDを用意して,イヤホンを耳に入れればいいのだし,殊更に怒り心頭になるのはいろいろと面倒が後で生じるものである。ちなみに,今回あてがわれたのはスズキの「スウィフト」という車。これは多分1300ccのヤツだ。車種は別として,結局は自分の思った車だったのだが,それだけに上述のやりとりは,つくづくよく分からないことではある。
(後日談。実は上記の件についてどうしても納得がいかず,ジャパレンにクレームのメールを送ったのであるが,その日のうちに届いたメールには,@予約センターの基本的知識ができていなかった点,A予約状況を分かっていたにもかかわらず連絡がなかった点について,詫びの内容が書かれてあった。そして,予約センターと各営業所での対応について再度検証して,車両情報の共有と従業員教育を行って改善をするともあった。そういうことならば,ぜひ改善のほどよろしくお願いしたい)

とりあえず,9時45分出発。スウィフトは北に向かって動き出す。道路は時間帯が10時だからか空いていて,あっという間に沖縄自動車道の那覇インターへ入る。まず目指すのは終点の許田インターまで。別にここで書くこともないのだが――だったら書くなって感じだが,やっぱり書いてしまう――,沖縄自動車道はこれにて“完乗”と相成る。「全国の電車を乗りつぶす人間が,ゆいレールを全区間乗った」というケースは評価の対象かもしれないが,私のように「関東人なのに沖縄自動車道をすべて走った」ってのは,レアケースだろうがあまり誇れるものではないかもしれない。
それと同時に,那覇から許田まで57kmという大したことない距離でも,一応自分的には“最長距離”である。いまだに関東の高速道路はおっかなくて乗れない。多分,1回乗ってしまえば大したことないのかもしれないが,これまた今まで数回走った場所は高速を使わなくても行けてしまう場所だったからってのもあろう。それにムリして東北や関西に車で遠出するって気もあまりないし。
さて,今回の高速道路はいつもに比べて車両が多いような気がする。いつもは130km/hくらいは出せていたが,今回は沖縄市くらいまでは100km/hがMAXじゃなかったかと思う。あるいはプロ野球のキャンプが行われているから,それを見に行くからかと思ったが,もっと単純なトコで,マイペースにトロく走っている車が追越車線にとどまっていただけだった。
かといって走行車線は,その追越車線で走っているトロい車よりもさらにトロく走っているのだが,実は「誰よりもしっかりと制限速度を遵守なさっているから,こっちは文句が言えない」という最上の立場の“軽自動車様”がいらっしゃる。しかも,彼らが追越車線の車にとって「入ろうと思えば入れるが,ムリして入るほどでもない」程度の車間距離で定速に進んでいるから,走行車線を走っている連中も,そちらに入ってまで我々“いきり立っている(かもしれない)連中”を通してくれない…というか,通したくても通せないのだ。私は仕方ないので,ひたすら必要以上に距離を開け過ぎないように,ひたすら追越車線を走っていくしかなかった。
実は,私の後ろを走っていたシルバーの1500ccくらいの車が,しきりに私の後ろで追い抜こうと走行車線と追越車線を行ったり来たりしていたのだが,その車は上述の状況のために,私の車を最後の宜野座インターから少し過ぎた辺りまで抜けなかった。この抜いたってのも,すぐに終点の許田インターで料金所が迫っていたからムリをせずに速度を私が落としたためなのだが,後ろでひたすらウインカーを出してはウロウロする様がフロントミラー越しに見えたので可笑しくて仕方なかった。ちらっと横から見たら,若いアンちゃん2人組のような顔が見えた。「フフフ,30超えのオトナを甘く見ちゃいかんぜよ」――って,私も十分に大人気なくムキになりすぎだろうか。
そんなんでも,許田インターまでは30分かからずに行けてしまったと思う。なので,別に上述の高速での出来事なんて,話の流れにはまったく関係ないし,どーでもよかったわけだが,とりあえずページを埋めようと書いてしまったなんて,これまたページのムダ使いである――話を戻して,スウィフトは国道58号線に入った。ここはもう名護市である。はて,これだけ早く辿りつけてしまうと,この島が広い島なのか小さい島なのか,一瞬分からなくなってしまう。
こちらは,あいかわらず高速道路の比にならないくらいに車が多い。そして,間もなく通り過ぎた海岸沿いにある駐車場は,軒並み満車である。100台単位で入れるはずだが,ぎっしり埋まったこの状況はちょっとビックリである。国道58号線は市街地の端で右にカーブしていくが,私はまっすぐ本部半島に,国道449号線を入って向かうことにする。そして,その交差点を少し過ぎた左側には……あれ? 思いのほか人が少ないような気がするが,それでもそれなりに観客の姿が見える。グラウンドにも人の姿があった。もうすでに練習は始まっている時間だろう。
そう,名護市と聞いてピンと来た人は鋭いが,ここはプロ野球・北海道日本ハムファイターズのキャンプ地である。“グラウンド”とは名護市営球場のこと。そして,真ん前には「ホテルゆがふいん」。私が2回泊まったことがあるホテルだ(「沖縄標準旅」第2回「サニーサイド・ダークサイド」第4回第5回参照)。建物には日本ハムを歓迎する垂れ幕が下がっている。彼らもまたここにしばらくの間宿泊しているのだ。だから,今月いっぱいは一般客は泊まれない。
あの駐車場に停まっていた車のどれだけが,この球場に足を運ぶために来ていたのかは分かりようもないが,“SHINJOフィーバー”だか“ダル様”だかで,日本ハムのキャンプでの盛り上がりが充実していることは間違いない(ただし,ダル様は二軍の東風平キャンプにいるからここにはいないと思う)。翌日にスポーツ新聞を見たら公式発表で3000人という観客だったそうだ。たとえ嵩を“5割増し”していたとしても,間近で見るのが初めてなのもあるかもしれないが,人気球団のキャンプでの一場面を見られたような気がちょっとはする。
ちなみに,名護市といえば南端にブセナリゾートなんてのがあるが,そちらの“豪華さ”よりも,目の前にある“利便性”を選んだのだろうか。シングルで「朝食バイキングつき・1泊7350円」という庶民にはまずまずの値段でも,彼らにしてみれば安宿かもしれない。何たって,新規球団の東北楽天ゴールデンイーグルスの泊まっている久米島のホテル日航久米アイランドは,ツインをシングルユースにして,これまた朝食バイキングつきで1泊9297円だったから(「久米島の旅」第2回参照,ちなみにこれを書いているとき確認したら,1万400円だった),それよりも安いのである。
無論,どっちの球団もホテルを丸っきり借り切るわけだから,それ以上の額を払っているはずだが,かといってリゾートには泊まりづらい財政状況ではあるのかもしれない。楽天もひょっとして来年は,最高でもシングル1泊で5775円の「ホテルマリンテラス久米島」になるかもしれない。しかも,こちらマリンテラスの9人部屋デラックスルームは,人数がフルの9人だと1人あたり2000円台だそうだし。
――そういや,これはもう完全な余談になるのだが,日本ハムといえば,その選手団と実は大阪・天王寺の都ホテルだかではちあわせたことがある。たしか,96年の3月だったか。多分,キャンプは終わっているはずだから在阪球団とオープン戦でもやる予定だったのか……ま,いずれにせよ,朝食バイキングで隣のテーブルになったのだ。私は1人で食事。彼らは数人で次第にあちこちのテーブルに座り始めていたのだ。そして,私の隣の席にもユニフォーム姿の男性4人が座ったのである。
他の選手は誰がいたか記憶がないが,その中に当時の上田利治監督の姿があったのは,はっきりと覚えている。若い選手やスタッフと談笑していたが,彼らの身体の実に大きかったこと。もっとも,背の高い人間はいくらでも知っているが,それはあくまで一般ピープルでの範疇。それとは明らかに体格や骨格が違う。いかにも「鍛錬しました」という体つきである。上田監督は彼らに比べればやや小振りな印象だったが,それでも私よりはずっと身体は大きかった。プロレスラーや相撲取りといった格闘家までは行かなくても,彼ら野球選手もまた,身体が大きいことがいろいろ有利になりやすい商売である。ふと,そのことを納得させられた出来事だった。

(2)本部町へ
あいかわらずの脱線ぶりだが,話を戻そう。スウィフトは一路,本部町を目指すことにする。トップページにも書いたように,今日の目的地は古宇利島という島である。先月行った伊平屋島と同様,運天港から船で行くことになるのだが(「沖縄はじっこ旅V」参照),船の時間は12時45分とも13時25分ともある――この時間が二つあることについては後述することにしよう。
現在はまだ11時を少し超えた程度だから,まっすぐ港に行っても,膨大な“待ちぼうけタイム”があるだけ。それなりに周囲を散策するにしたって,時間を余らせるのは目に見えているわけである。同じ理由で,伊平屋島に行く前には金武町に寄ったりもしているわけである(「沖縄はじっこ旅V」第1回第2回参照)。だったらば,それまでに近くにある本部町を散策しようと思ったのだ。もっとも,一度見ている国営沖縄記念公園や,そこにあるがまだ観ていない「美ら島水族館」なんかは観るつもりはない(「沖縄標準旅」第3回参照)。そういうのは“何かの機会”にとっておけばいい場所である。
ということで,まず目指すのは「塩川(スガー)」という場所。昨年6月に伊江島に行った帰りにバスから見えた場所ではあるのだが,名護から那覇へ行く高速バスの時間のからみで降りることはなかった(「サニーサイド・ダークサイド」第7回参照。ただし旅行記では触れていない)。“ニッチ”と言ってしまうのは誠に失礼なのであるが,合間をみて訪れる分にはいい場所である。
その塩川は,西に向かって進む道が北へカーブしたその付近に位置している。周囲は大きく崖を切り立った感じで,そばにはセメント工場がいくつもあった。そこに向かうためか,デカいトラックが何台も国道を走っていたと思う。静かな海岸沿いなのだが,そのそばでは土木工事の音がする。トンテンカンという金属が響く音と,ガラガラとトラックが行き来する音。年度末だから予算を使いきるために工事でもしているのか。いかんせん景観にそぐわないことはたしかだ。その工事現場脇の駐車スペースに停める。近くにはトイレがあるから,一応海水浴場になっているのだろう。
道路をはさんで広い公園になった中の,樹木が生い茂った岩の元に幅・奥行きとも数mの泉がある。波紋があるから,そこからは水が湧き出ているのだろう。川藻がそよそよしていて,小魚が数匹いたと思う。そばには小さい拝所もある。そして,その泉は遊歩道にかかる橋を越えると,樹木のトンネルの中に幅30〜40cm程度と小さいながらも,しっかりとした川の流れとなり海岸方面に向かっていく。どうやら,それはそのまま海岸にまで達しているようだ。この流れが「塩川」である。
名前からピンとくるかもしれないが,その水は塩水なのだそうだ。全長は300m程度というから,川とも言えない流れであるが,湧き出ているのはいくら海岸から近いといえど立派に陸地である。実際,何かあるとマズイと思って舐めなかったが,ホントにしょっぱいらしい。また,海とつながっているからといって,塩水が海から逆流して結果的に塩水になっているってこともないのだそうだ。
この塩水の原因としては,地下数十mのトコで海水と地下水が混ざり合う場所があって,そこから岩の割れ目を通って水が湧いているという“サイフォン説”なる説が有力となっているが,いまだ明らかになってはいない。そして,この摩訶不思議な川は,世界でもプエルトリコとここしかない珍しい川という説明書きがそばにある。地域では冷蔵庫のない時代,この川に腸を取った魚を漬けて刺身にして食べたり,野菜を洗ったりと台所の水として活用されていたという。
駐車場を越えて,海岸へ向かう。下はジャリが混じった砂浜。遠くにはクレーン付きのタンカーが繋留されている。これまた景観を損ねるアイテム。誰もいない海岸は何の音も物体もないことで,より一層シンプルさが際立つのであり,両方があっては「いとわろし」である。そばでは,ちょうどどっかの役場のバスが乗りつけて,中から出てきた小さい子連れの家族がビーチにやってきていた。
車に戻る。その前に,やっぱり心配なので確認しておきたいことがある。それは,上述した古宇利島への船の時間である。古宇利島に関するホームページを確認したところ,既述のように12時台と13時台の二つがあったのだ。古宇利島について一番詳しいホームページには後者,『厳選 沖縄ビーチガイド』には前者(「参考文献一覧」参照)。でもって,一番詳しいホームページにもフェリーの時刻案内は後者なのに,写真を集めたページのキャプションには前者と統一されていない。40分違うと行動にもビミョーに影響が出てくるわけで,そのための確認である。
早速,船を運航している古宇利海運という会社に電話をかけると,出たのはオジイらしき男性の声。
「すいません,昼の船の時間が12時45分ってのと,
13時25分と二つあるんですが,どっちですかね?」
「あー,それは1年前のものですね」
「ってことは,時間はどうなんでしょうか?」
「1時15分ですねー」
「帰りは…?」
「5時と6時ですねー」
そういうことらしい。いずれもハズレとは,やっぱり離島への船の時間はダイレクトに確認すべきものなのである。ホントだったら事前に確認しよう思っていたのだが,ついつい億劫がってしまった。ま,いずれにせよ,時間はまだ2時間近くあるわけで,これなら多少ゆったり行動ができるだろう。ちなみに,帰りは17時というのは確実そうだったが,もう一つ実は14時40分なんてのがあった。こちらは完全に17時まで船はない。すなわち,古宇利島では3時間余りの滞在ということになったわけだ。

スウィフトは北上を続ける。空は青空が広がって,いい天気になった。左の遠方にはツンと真ん中だけとんがった平たい島が見える。伊江島である(「サニーサイド・ダークサイド」第5回第6回第7回参照)。波はまったくなくて,これ以上ない穏やかさである。先月とはまったく正反対だ。今回こそは天気に翻弄されずに済むかもしれない。
数分で本部の街中に入った。海に突き出た国道の本部大橋を渡る。街中はその下,右手の入江になったところに形成されている。この中のどこかに1軒すごく有名な食堂があるようだが,相変わらずプリントアウトとかしているわけでなくて,またも“うろ覚え”を頼りに行くしかない。たしか,海に近いところにあったはずではある。
スウィフトは右に折れて,個人商店が軒を連ねる昔ながらの狭い街を走っていく。車が多いし道も狭いので,スピードが出せないが,これがかえって店を探すのに都合がいい。たしか,あの店は平屋建ての小さい店で,大きな建物が周囲にあったならば間違いなく埋もれてしまいそうな感じだ。それらしき建物がいくつか点在するが,どれも業種がまず違っている。
とはいえ,ある程度のとこまで行ったら,その先には明らかに違うであろう光景が広がったので,途中で道を折れて再び街中に戻ることにする。そして,港へそそぐ小さい川のところで再び左折。川に沿ってとりあえず行けるところまで行き,また左折。いつかやっていたTOKIOの番組じゃないが,ひたすら左折だけで進んでいくと,まさしくゴミゴミした建物の間に入った。そして,ここでまた左折…ではなくてここは右折する。単純にその右折する方向に車が入っていったからだが,そこを入っていくと……おお,あったぞ店が。こんなところにあるとは,いかにも沖縄らしいと言うべきか。
しかし,当然というか車を停められるスペースはない。道はギリギリすれ違える程度。それに加えて路駐する車もある。行き来するだけで手一杯の状況だが,何とか通り抜けると突き当たりに。町営の公設市場があった。そこを左折すれば,さっき走ってきた大通り。ということで,右は……通行止めの狭い通りに数十mでぶつかった。この辺りで公園とかの駐車場を探してもキリがなかろう。ちょうど,市場の向かいにシャッターが降りている建物があり,すでに1台が路駐。その隣には駐車場があったが,無論月極契約のヤツである。勝手に停めては……ま,大丈夫かもしれないが,念のため止めておく。
で,結局はその駐車場とすでに路駐している車の間に,1台分停められるスペースがあったので,そこに路駐することにした。目の前の市場がちらっと目に入ったが,屋根はついているものの,地べたにシートを敷いてそこに商品をならべるクラシックなスタイルだ。ま,これだけ暖かいからちょうどいいかもしれないが,こんなスタイルも沖縄だからこそ息づいているのか。あるいは,こういう市場で売っているお惣菜を買って昼飯にするのも一手だろう。案外,そういう売り物に“沖縄の家庭の味”が垣間見られるかもしれないのだが,今回はいかんせん目的の場所があるからやめておく。
さて,その食堂とは「きしもと食堂」という店だ。ここの売りは,何と言っても沖縄そば。県内で名を轟かせるだけでなく,何度となく在京のテレビやグルメ雑誌にも取り上げられた有名店である。クリーム色の平屋建て。1905年創業だそうで,偶然にも今年で満100年(ただし,1904年というのもある)。屋根はギザギザになった結構沖縄でよく見るヤツだ。軒に「手打ちそば きしもと食堂」と,白地の大きな看板にこんな色使いで店名が書かれている。シンプル,ここに極まれり。味に絶対の自信があるから,余計な装飾はいらない。チェーン店化なんてハナっから愚かなこと。淡々といつもの作業を繰り返し,一糸たりとも変わらない味を届けるのみ。もちろん,売り切れゴメン。どーだ,このスタイル。参ったか,この野郎――こんな感じで私に語りかけてくる。
中は,土間に8人座れるテーブルが二つ。4人用テーブルが二つくっついているのが,通路をはさんで左右に二つある。そして,奥には上がりの畳敷きの部屋。そこに4人がけのテーブルが三つ,その奥にも小さいながら4人用の個室がある。畳敷きの部屋の壁には,いくつものサイン色紙。ここが有名店であることの証である。残念ながらよく見ることはできなかったが。
テーブルの数でいくと結構な人が入れそうであるが,何しろテーブルとテーブルの間はとても狭い。サッシを開けると見えるのは,下手をしたらテーブルに座った人の右半身と左半身かもしれない。でも,このせせこましさが,またいいのだ。とっとと食ったら出ていく。ここはレストランじゃなくて食堂だ。「食べる」という目的のみを遂行するシンプルな機能しか持たない場所である。間違っても優雅にメシなんて食ってくれるな。そして,お客が来るからといってヘンなサービス精神で拡張なんかしてくれるな……って,周囲はびっしり建物があるからそれはどう考えてもムリか。
客はそれなりに埋まっているが,偶然一番手前右の4人席が空いていた。それを察するかのようにメガネをかけたオバちゃんが「どうぞこちらへ」と,私を招き寄せてくれる。すなわち,私はサッシを開けて最初に見える右半身のほうになったのである。私が座った後からも客がぞくぞくと入ってきたが,出ていく客もいるから,それほど待たずに座ることができるようだ。時間がまだ12時前なのもあるだろう。とはいえ,私が入って5分くらいして入った5人の客は,その中にガキがいたのが救いとばかりに,通路をはさんで反対側のテーブル(すなわち私の背後になる)の空いているトコに座らされて10人で座るハメとなったのは,狭い店ならではの光景といえど,ちょっと可哀想な気もした。
オバちゃんが水を持ってくるとともに注文。カウンターに書かれたのは「そば(大)600円」「そば(小)450円」「手作りジューシー200円」の三つのみ。いいね,またこのシンプルさが。ホントはそばオンリーといきたいトコだが,周囲を見ると,隣のカップルはメシの類いを頼んでいたようで,それらしき物体が見えた。ということは,ジューシーで間違いない。うーん,何となく惹かれてしまうアイテムである。実はもう一つ,ここ本部には有名なぜんざい屋があり,そこにも寄りたいと思っているから,ここで完全に腹を満たすことは控えたいというのもある。夜だって予定外に食べちゃうかもしれないし。
ということで,頼んだのは「そば(小)450円」「手作りジューシー200円」の二つ。多分,カップルで来ていれば,男性が「そば(大)」,女性が「そば(小)」を頼んで,2人でジューシー突っつきんこ!……って何書いているんだか。まあ,大勢で来ればそういう組み合わせもできるであろう。無論,私の現在の胃袋ならば,「そば(大)」とジューシーを両方食うことは楽勝でできるだろうが,やっぱり食べ過ぎというのはとかくよくないわけで,医者からも痩せるよう言われているわけで……。
で,頼んで5秒で出てきたのはジューシー。「じゃ,そばが出てくるまでこれを食べて」とオバちゃんがすぐ差し出してくれた。何のことはない。屋台で売っているやきそばを入れるようなパック詰めになっているのだ。カウンターに乗っているのを数えたら,限定で21個…ということはなく,後からいくつか追加されていた。具はしいたけ・たけのこ・鶏肉で,あさつきがメシの上にパラパラっとかかったシンプルなレイアウトだ。食べるとモッチリしているのは,個人的には味が濃いこともあって好きではあるが,多分水を多めに入れすぎたんじゃないかって評価もあるかもしれない。
そして,2分ほどで出てきた「そば(小)」。これも,他の客の注文が先にあったから2分かかったわけで,誰もいなければ20秒ほどで出てくるかもしれない。さあ,肝心のそばというと,メシをよそうようなちょっと深めの茶碗に三枚肉・かまぼこ・そば・あさつきと,これまた飾り気がない。三枚肉の甘辛い味付けがいいし,出汁もしっかりしていると思う。ま,ごくスタンダードってトコなのかな。もっとも,私がもう少し味わって食えればいいのかもしれないが,いかんせん早食いだからこんな程度のコメントしかできないってのもある。10分ほどで平らげて,そそくさと店を出る。カウンターにある小さい窓越しには,女性がもう1人黙々と作業をしていたが,多分鍋をかき回しているのだろう。
外に出ると,脇にたくさんの薪が積まれていた。その木を燃してできた灰に水を入れて灰汁を作り,それを小麦粉と混ぜて麺造りをするのである。沖縄そばの王道を行くスタイルだが,何々最近ではこの灰汁が作れない,すなわちいい灰ないしは木が手に入らないから,かん水を混ぜる店が多いそうではないか。しかも,この店で使う木はこれまたスタンダードなガジュマルではなくて“イジュ”という木だそうだ。そばをゆでるときにこのイジュを薪として使い,燃やすことで灰になり,そこから灰汁ができる――いつかテレビで仕込みの様子をやっていたが,たしか深夜2時から作業を始めていたと記憶している。売り切れごめんといえど,その時間からの作業とはものすごい手間暇であるし,またかなりの重労働であることは想像に難くない。
とはいえ,いろいろと調べていたところ,支店なんてのを出しているのが分かった。見れば,木造のなかなかオシャレな店である。現在の店の規模が小さくていろいろと迷惑をかけてきたから,遠くから来た人でも食べられるようにという配慮があったそうだが,私は逆にこう思う。すなわち,この路地の一角にある店を探しに探して,「ようやく見つけたぞ。こんなとこにあったのか」という苦労が客のほうにもあってこそ,「シンプル,ここに極まれり」の味も風格も,維持されるものなのではないか,と。もっとも,私は店にとっての何者でもないから,こんなコメント自体がそもそも大きなお世話なのかもしれないが。(第2回につづく)

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