久米島の旅(第1回)

A旧仲里村
具志川城跡を後にする。この城跡やミーフガーがある辺りの地名は,ちらっと第1回でも出てきた「仲村渠(なかんだかり)」。早速,いつものように話がズレてしまうが,この「仲村渠」を苗字として使っていることを知る人はいるだろうか。
それは1988年ころになろうか。アイドルで仲村知夏(なかむらちか)という沖縄出身の女性がいた。同時期に出てきた,これまた懐かしい真弓倫子(まゆみともこ)という女性アイドルとともに,誰かのラジオ番組のアシスタントをやっていたと思うが,その仲村知夏嬢の本名が仲村渠睦子(なかんだかりちかこ)というのが強烈な記憶で私の中にある。1971年生まれというから現在32歳。ヤフーで検索したら,91年ごろまで歌手活動していたそうで,あの氷室京介からも楽曲を提供されたそう。いま,彼女はどこにいるのだろうか。
そして,ズレるついでに徹底してズレてしまうと,この仲村渠という地名や苗字,17世紀後半に,琉球王朝の尚貞が「中城王子」と名乗るようになって,それまで普通に使われていた「中」という字を姓や地名に使うのを禁止とするお触れが出たため,やむなく改称させられてできた名称の一つのようだ。「中村」にイをつけた「仲村」,沖縄出身女優の仲間由紀恵,国仲涼子の「仲」も,いわば同様の理由でのものだ。一見不自然に思われるこの漢字使いは,あえてこういう言い方をすれば,「過去の圧政」の跡なのである。
あと,これもついで――というか,ある意味こちらのほうが肝心――だが,姓と地名とよくダブるケースについては,沖縄の姓が地名をもとにつけられる慣習によるものだ。

さて,次に入った集落は宇江城(うえぐすく)。ここから東が旧・仲里村に当たる。この集落に島の「重要産業」である企業が二つある。一つは「久米島の久米仙」。もう一つは「久米島海洋深層水開発」だ。
前者は,酒好きならご存知であろう泡盛製造会社。創業は1949年1月。ホームページによれば,世界的に権威のある食品総合品評会「第41回モンドセレクション」で,2001年に発売した「球美(くみ)18年古酒(43度)」が特別金賞を受賞。さらには「ブラック7年(43度)」が8年連続,「ホワイト12年(35度)」が5年連続金賞を受賞したそうだ。もちろん,これ以外での受賞も多い。水は,近くにある堂井(ドーガー。井戸のよう)の湧水を使って,米は厳選された南方硬質米を使う。
後者はこれまた名前で分かると思うが,海洋深層水などの製造会社。2000年1月にできたばかりの新しい会社だ。ブランド名は「球美(くみ)の水」と「球美(くみ)の塩」。会社近くにある名勝地・比屋定(ひやじょう)バンタ沖2.3km・水深612mが,海洋深層水の取水場所という。それをキレイに水と塩に分け,かつどちらも販売するムダのなさ。こちらは賞こそ受賞していないが,何でも「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングで最近,江口洋介がタモリに「球美の塩」をプレゼントしたそうだ。近くには海洋深層水研究所があり,飲料としてだけでなく,水産物の養殖研究,農業における養液栽培など,幅広い海洋深層水の利用を目指して,日々研究・開発をしているそうだ。
2社はともに,自社製品の生命線となる水をある場所に限定している。下らない想像であるが,オフィシャルでなくても,個人的にでも,お互いの水を交換してそれぞれ製品を作ったらどんな味になるとか,実験はしているのだろうか。工場自体は,県道から狭い坂道を1本入ったところ,道路に近く建物が新しいのが前者,さらに奥の鉄鋼所みたいな古い建物が後者,と隣り合っている。それこそ「ちょっと貸してよ」みたいな感覚で水を頂戴して……。
海洋深層水ならいくらでもあるだろうが,堂井の水はそれこそたかが知れよう。もっとも,本島の浦添市の営業本部に行けば,たらふく堂井の水が飲めるそうだ。とはいえ,完全に大元が枯れてしまえば「幻」どころか,工場は廃業となってしまうのではないだろうか。
ちなみに,ともに工場見学ができ,観光会社のツアーが寄る場合もある。しかし,前者はトラックしか停まっていないし,後者は自家用車が多いが,いずれも従業員のものと思われる「わ」ナンバー以外のもの。なので私は見学をあきらめる。

次はウティダ石(太陽石)。直径が1.5×1.2mのだ円形で,高さが1.2mほど。名前の通り,かつてはこの石で日の出を観測し,北東にある粟国(あぐに)島,南東にある久場(くば)島の間を往復する日の出を,両島間に並ぶ島々に目安を置いて季節をとらえたそうだ。うーん,理系は苦手ゆえよく分からん。その割に周囲は樹木に囲まれているし。
さて,そばの駐車場に戻ると,遠くから選挙カーの女性の声が聞こえてきた。こちら沖縄もまた同様,衆院選が近いのだ。だんだん近づいているようだが,この石があるのは路地を一本入ったところ。そのまま遠ざかっていくものと思っていたら,何と次第に大きくなってきた。
すると間もなく,「白保台一(しらほたいいち),白保台一でございます」というのが聞き取れ,1台しか停まっていない我が車の前を通過していく。彼らはきちんと手を振っているが,どうにもこっ恥ずかしく軽く会釈すると,「どうもすいません。お騒がせしております」と女性の声。自民推薦・公明党公認だったか,記憶がいまいちあいまいだが,“現場主義”の人間だそうだ。果たして結果や,如何?
そして,車を東に走らせ林の中の坂を上ると,景色が開ける。先ほどちらっと出てきた比屋篤バンタだ。ちなみに“バンタ”とは崖のこと。その名の通り,見渡すと左右は断崖絶壁,下は海。海の手前を見ると長方形の池がいくつか並ぶ。この池はくるまえびの養殖場だという。この養殖もまた,島の産業の一端を担っているみたいだ。水を取り入れているらしき水しぶきが見えるが,これは多分奄美で見た,エビの養殖池でモーターが回されていた光景と同じだろう(「奄美の旅」第2回参照)。水を絶えずかき混ぜないとエビがダメになってしまうのだ。
さらに東に車を進める。このまま県道を進んでもいいが,さっきの養殖池辺り――より海側が気になるので,途中で左に折れる。途中,「間切蔵元跡」という役場跡を通過。石垣のみでただの空地と化し,小学校が隣接しているからだろうか,ゴールネットが置かれていた。

那覇行きの高速船が出る真泊(まどまり)集落を通過すると,左に海に向かって防波堤が伸びている。それが死角となって一瞬分からないが,その防波堤沿いに道が伸びている。あわててその道を入ることにする。
防波堤は落書き…というには失礼なくらいアートしている。本島の海中道路の先,平安座島にある防波堤で同じような光景を見た(「沖縄・遺産めぐりの旅」第2回参照)が,こちらはさして距離がない分,よりアーティスティックだ。そして,間もなく橋を渡る。下は当然海であるが,それほど深さはなさそうだ。橋には車が数台停まっている。
車は奥武(おう)島という島に入る。この島にある奇岩「畳石」を見るために,あわてて道を曲がったのだ。またまた登場の三好和義氏の写真集『ニライカナイ 神の住む楽園・沖縄』(「参考文献一覧」参照)でもこの畳石の写真が載っている。なので,ここは外せないと思っていたのだ。そして,それを目指して進むこと数分,「畳石」の看板の脇に「ウミガメ館」という建物もある。まぁ,とりあえず先に畳石を見てからにしよう。
さて,その畳石。海岸線に沿う低い防波堤の向こうに,不気味な色をたたえる。直径1.5mほどの五ないし六角形の平たい黒灰色の岩が整然と数十mにわたって敷き詰められている。それこそ亀つながりで,亀の甲羅のようにも見える。もっとも,そこだけしかないというわけではなく,大部分は周囲を取り囲む砂浜の下に隠れているようだ。
そして隣の「ウミカメ館」。その名の通りの施設だが,たまたまショートフィルムを上映するところだったので見てみる。すると,優雅なウミガメの泳ぐ映像かと思ったら,苦労して産まれたあげく,人間が捨てたゴミを食べて死んでしまうとあるウミガメの一生をテーマにしたもの。要は我々にウミガメを大切にしろよというわけだが,そのそばでは水槽に泳ぐ,体長1mはあろうウミガメ数匹。危険にさらされるとはいえ大海原にいるべきか,こうして安全な,しかし限られた水槽のスペースにいるべきか,ちょっと“微妙なところ”である。
ちなみにこの奥武島,久米島に来る時に乗ってきたJTAの機内誌「Coralway」でたまたま紹介されていた。人口はわずか34人で,さぞ人間関係が濃いかと思いきや,そうでもないらしい。その一端を担っているのが橋。簡単に久米島に渡れるので,桟橋で誰かと顔を合わせることもないし,「海が荒れて船が出ない」というような情報交換もいらない。便利さによって人間関係が薄くなることの典型であろう。

車はここから南に進路を取る。すると間もなく見えてきたのは「ホットスパー」。“たかがコンビニ”をなぜ取り上げるかというと,ここはさる10月24日にできた,久米島初の24時間営業コンビニなのだ。正式名は「ホットスパー 久米島イーフビーチ前店」。ヤフーのニュースでそのことが載っていて(正式には10月30日付琉球新報),俄然興味が出たのだ。
4〜5台停まれる駐車場に車を停めて中に入ると,そこそこ人が入っている。店員も開店間もないからか,10人近くはいよう。1人が「いかがでしょうか?」と言うと,次々に従業員が「いかがでしょうか?」と挨拶は欠かさない。もっとも客のほとんどは地元民のようだが,宵っ張りな観光客も,ある程度は当て込んでいるだろう。もの珍しさで,具志川くんだりから夜中に車を飛ばしてコンビニへ……ということがあるのかどうかは知らない。
肝心の商品はというと,まあ普通のコンビニの商品ばかりだが,品数はきちっとそろっている。しかし,もずくのカップスープ,タコライス,沖ハムのソーセージなどを見ると,いかにもローカルである。加えて那覇にある「わしたショップ」のコーナー,駄菓子コーナーなどもある。こちらはあるいは観光客をターゲットにしているのだろうか。
さて,何も買わずに出ていくのは惜しい。ということで買ったのは,既出の「球美の水」の500mlペットボトルを1本。たかが水と言うなかれ,何と税込189円(!)。350mlの緑茶「ヘルシア」という例外を除けば,ペットボトル飲料にしちゃ何と割高だろう。それこそ同じミネラルウォーターつながりで言えば,「エビアン」なんて100円くらいで売られていなかったか――とはいえ,“記念”にしてはミョーにおあつらえむきなような気もして,少しニヤっとしてしまう自分もそこにいる。
この辺りは,店名にもあるイーフビーチというビーチが近くにあり,そこを中心にホテル・民宿に加えて,コンビニや飲食店がとても多い。加えて,平屋建てのこじんまりとしたものだが,バスの営業所もこの街中にある。人気の多さを見ても,先に見た具志川は仲泊の比ではあるまい。街の賑やか度を旧村同士で比べると,旧仲里村のほうに軍配と言ってよいだろう。
ちなみに少し南に進むと,こちらにもコンビニ「イーフ・サイド」というのが,3階建てのマンションの1階にテナントで入っているが,こちらは実に人がまばらであった。それこそ,ホットスパーに食われてしまうのも時間の問題かもしれない。

(3)リゾートホテルタイム
その街中を通りぬけると,右に赤レンガに白壁の,いかにも南国という感じの大きなホテルが見えてくる。「ホテル日航久米アイランド」だ。今日の宿泊場所である。
ホントはできることなら久米島には泊まらず,那覇に泊まるないしは強行軍で日帰りをしたかったのだが,明日の日程に引っ張られて久米島泊に。「久米島」でヤフー検索しているうちに,ビジネスホテルが1軒見つかったが,2カ月前にもかかわらず満室。そして次に出てきたのがこのホテルだった。基本的にリゾートホテルは「きどっている」ので嫌いなのであるが,民宿も風呂が共用だからあまり好かない。ま,折角なのでたまには志向を変えてみようと思って選んだのだ。時間も16時30分とちょうどいいので投宿する。
フロントに行くと時間帯なのか,応対する従業員4人の前には,4〜5人の列ができている。私の番になったのは,並び始めてから10分ほど経ってから。ちょうどフロントの真上の262号室,スタンダードツインの部屋を1人占めする。「アイランドラバープラン」というやつで税・サービス料込で9297円。部屋自体はごくシンプルなツインだが,ユニットバスが4〜5畳ほどで広いのと,アメニティがフルにそろっているので,まあ妥当なところだろう。ちなみに,スタンダードツインは3部屋しかなく,ほとんどはもう少し価格の高い「デラックスツイン」の部屋らしい。
他の棟には行かなかったので,自分のいる棟の説明しかできないが,白を基調に手すりが沖縄チックに木の格子となっていて,腰掛けイスが編み籠風と,オーソドックスにリゾートしていると思われる。フロント脇には売店とマリンショップがあって,何も持ってこなくても,金さえ持っていれば揃うべきものは揃う便利さ。売店には普通のコンビニに売っているものに加えて,土産品も豊富。中でも,和洋問わず菓子類が1個105円でバラで売られているのはうれしい。久米島名物のお菓子「マーさんのクッキー」(1050円)や「みそクッキー」(840円)も置かれている。前者は,沖縄のスタンダードなお菓子「ちんすこう」に似ていて,種類もいろいろある。後者は試食したところ,普通のクッキーにほのかに味噌の風味がするもの。個人的には前者に興味を持ったので,帰りに空港で買うことにしよう。

さて,何やかやしているうちに時間は17時ちょい過ぎになった。しかし,夕飯を食べようと思っているホテル内のレストラン「セリナ」は,18時まで扉が開かないようだ。何でも5000円で島の食材を使った御膳があるとホームページにはあったが,外に置かれているメニューを見ると,そういったものはないようだ。もちろん,もう少し安いので似たようなのはあるけれど,微妙に気持ちが削がれた。
ということで,イーフビーチ散歩も兼ねて外に出る。今にも雨が落ちてきそうな曇天だが,寒さはまったくない。周囲には「サクシード宮城」「南島食楽園」といった飲食店があるが,ともにまだ開店時間ではないようだ。ビーチに行く途中通過する「サクシード宮城」では,店員と思しき人が電気もつけずに中でおしゃべりでもしているようだ。
ホテルから1分ほどでビーチに着く。南北に長くつづくビーチだ。北の方向には先ほど寄った奥武島も見えるが,曇天のせいなのか,失礼ながら美しいビーチだとかいう印象は持たない。決して湘南とか千葉みたいに汚いわけではないのだが,人が20〜30人もいると,いささか俗っぽく見えてしまう。皆,私と同様,夕食の時間までの暇つぶしをしているのだろうか。
はて,ビーチでまったりするのも何だし,このままホテルに戻るのもシャクだ。なので再び車を出して,もう少し内陸に入った仲里の集落に行く。前回ちらっと紹介した地鶏料理の「やまさん」がたしかあったはず。もしかしてやっていたらそこで食べよう。ホテルの料理も味は悪くないだろうが,地元密着系の店のほうが飾られていないで素朴な分,より魅力を感じるのだ。何より好奇心をくすぐられる。
しかし,「やまさん」も残念ながら営業前のようだった。辺りを見ても大した店はなさそうだ。仲里庁舎(旧・村役場)がある中心部だけに,スーパーがあるにはあるが,築ウン十年の錆びれたコープではいかんともしがたい。と,同時に再び雨粒が落ちてきたので,何だかこれまた外で食べる気まで削がれてしまった。
仕方なくホテルに戻ることにする。まあ,街の賑やかさがイーフビーチに完全に持っていかれているのがよく分かっただけでもよしとするしかない。

18時。時間となったので「セリナ」に行くと,すでにフライング気味に7〜8組ほど客が入っている。早速,肝心の注文だが,なんとか御膳というのもいい。しかし,みょーに地鶏というのが頭の中をかけめぐる。「やまさん」のように,地鶏寿司や味噌和えというわけにはいかないが,形だけでも食べておきたくなった。なので,「元気地鶏のカツ定食」を注文する。こっちも税金とご丁寧にサービス料まで取られて2079円。たかだかお茶1杯を持ってくるのに10分もかかったくせにだ。
中は20数席はテーブルがあり,よって結構な数の客を収容できるのだが,10分もすると8割方埋まってしまった。結局考えることは皆一緒なのだ。多分,ほとんどが九州以北からの観光客だろう。そういう“パターン”が如実に現れてしまうのが,よくも悪くもこういうホテルの特徴ではないか。ラストオーダーがたしか21時台だったとはいえ,まだ時間はある。なのに,天気が悪いゆえある程度仕方がないにしても,もっとみんなゆったりと構えてもいいのではないか――などと人のことは言えないのであるが,ちょっとこの光景にはうんざりする。
15分ほどで,定食がやってきた。メインは当然チキンカツだが,八つにカットされているくせに割と肉は薄めだ。見栄えという「きどり」を大事にして,こうしてチマチマしてしまう。もっと「これでもか!」と言わんばかりに私に訴えてくれないか。味は……まあ,普通のチキンカツだ。これは私の舌のせいもあろう。
その代わりと言っては何だが,サイドメニューが多い。10cmくらいの白身の焼魚,刺身はまぐろと鯛っぽいのとかまぼこみたいなやつ,イカの黄金和え,酸っぱさで腹がふくれるもずく酢,甘みのある久米島味噌,すまし汁に“モツ”が入った中身汁,アーンド白いごはんに市販のつけもの3種。とどめのデザートは,リンゴの細かいのが乗っかった紅芋とクリームのムースケーキ。個人的にはデザートが美味かったと思う。
隣の夫婦からは,泡盛だの魚がどうだのと,いっぱしに沖縄料理談義が聞こえてくる。これだけ食っといてヒンシュク覚悟だが,個人的にはこういうホテルで地元料理を食べることほど,気恥ずかしいものはないと思う。値段にある程度は比例するだろうから,食材に間違いはないのだろうが,何となく料理を食って,その気になっただけで「いい沖縄の思い出になった」なんてほざこうものならば,「ふざけんな」と言ってやりたい。もっとこういうホテルではない地元の匂いがプンプンする食堂や雑貨屋に,「ホントの沖縄」が垣間見られるものなのだ。

さあ,メシなんて30分もあれば食えちゃうから,終わってからが時間の持て余し甲斐があるというもの。19時以降はとにかくやることがない。テレビをつけても,東京でいう日テレとテレ東が映らない。しかもフジテレビ系列では興味のないバレーボールなんざやっている。もうテレビに頼っていることからして不毛なのだが,それでも何とか22時まで持ちこたえた。
ただ,気になるのが天気だ。何でも最新の天気予報によると,久米島は午前中雨,午後は曇りだという。当初,日曜日いっぱいまでもつはずだったのだが,ひょっとしてくだらない旅行ばっかりしている罰でも当たったか。午前中こそ,この旅にとっては大事なのだが,初の“うらみの雨”となってしまうのか。
日付が変わって午前3時。ふと目が覚めたので外を見ると,少し建物が濡れている。空気は湿気をかなり含んでモワッとした。11月というのに外は熱帯夜なのだろうか。(第3回につづく)

第1回へ
久米島の旅のトップへ
ホームページのトップへ