沖縄・ミッションコンプリートへの道(第1回)
(1)プロローグ
那覇空港,13時到着。機内にてどこに行くか思案した結果,H氏が単独行動にて“重要任務(以下「ミッション」)”の遂行と国際通り散策,M氏と私は,レンタカーにて豊見城・海軍司令部壕跡に行くことになった。
元々,私は初日,中部の読谷付近に1人で行こうと思っていた。あるいは2日目に単独行動で南部の久高島への渡航も考えていたが,バスターミナルまでは遠いし,第一遠回りなルートになってややこしいので,ここは来月回しとして,最終的に未踏の読谷付近に落ちついていた。
一方のM氏やH氏はというと,今回初めての沖縄だが,どうやら「最初で最後の沖縄」という感じで,M氏が挙げてきた観光地が,「首里」「海軍司令部壕跡」「古城」という状況。でもって海軍司令部壕跡はなかなかこだわりがあるようだ。
H氏はというと,上述の“重要ミッション”がある。H氏と私は今夜,酒が入るだろうから,翌朝はチェックアウトギリギリまでウダウダして,首里付近で前日回り切れなかった場所と国際通りを回りタイムアップかもしれない。うまく行って南部の戦跡公園が回れるか否か。読谷あたりは彼ら2人にとっては少しマニアックな場所かと思っていた。
しかし,意外と言っては誠に失礼だが,2日目にその読谷辺りを行きたいとM氏が言ってきた。H氏も基本的にそれに乗っかるという。ならば何も強行に単独行動する必要はなくなった。
時間的には昼飯の時間だが,空港でもたつくのももったいない。実質,滞在は29時間しかない。M氏は機内でブランチのうなぎ弁当を食し,その1時間後に「柿の葉ずし」を食している。H氏は,国際通りにて地のものを食したいという。そして私はというと,M氏の「柿の葉ずし」を半分もらって,プラス普段はまず飲まない機内サービスのコンソメスープとキウイジュース,あめ玉にてカロリーを何とか増やした。あるいは,どっかでおやつがてら何か食そうか。
出口を出て,ロビーの端っこにあるレンタカー客の集合場所へ向かう。明日までレンタカーを借りることになるジャパレンの人間に声をかけると,近くのポスト前で待つように言われる。すっかり空港に車が置いてあるのかと思っていたが,どうも事務所までバスで送迎される形のようだ。事務所は広い空港の敷地外となるだろうから,“重要ミッション”のH氏には2度手間になる。なので,彼は我々に荷物を預けてエスカレーターを上がって行った。

我々はというと,しばし待ちぼうけを食らう。多分,ほかの飛行機の客を待って,まとめてバスで輸送しようということだろう。まあ,よくあるパターンだし,私は経験済みだが,M氏はちょっと不服そう。いわく「アメリカでは,例えば飛行場からレンタカー屋までモノレールがつながっていてスムーズに行かれる。日本は,飛行場は飛行場で,レンタカー屋はレンタカー屋って感じで,連携がなっていない」――なるほど,私もいくつかの空港でレンタカーを借りたが,小さい空港ならひょいと動きも取れるだろうし,それ以前に空港で乗り捨てができる。しかし,人の多い空港なんぞは,モノレールまでは行かないまでも,せめて数分以内に事務所に送り届けてもらうくらいの配慮はほしい。
15分ほどたったか,何やかやと我々含めて十数人になったので,マイクロバスに乗り込むことに。空港内に車を持ってきてくれてもいいのにと思っていたが,考えてみれば道が複雑だから,空港の外に出たほうが間違いは少ない。真上にゆいレールを見ながら進むこと5分。9月の旅行で世話になったトヨタレンタカー(「沖縄・遺産めぐりの旅」第1回参照)のはす向かいにジャパレンの建物はあった。
手続開始。レンタカー代はツアーの料金に含まれているので,細かいオプションにお金を払うことになる。茶髪のアンちゃんが薦めてきたのは,@1日420円(税込)でノンオペレーションチャージがなくなり,対物などの補償額が増額される,A2100円(入会金300円込・税抜き)を払い,ジャパレン会員になればガソリン補給はしなくてOKで,かつ会員証で様々な特典がつくという二つ。とにかくレンタカーに付きものの余計な心配をしなくてもいいということだが,旅の開放感も手伝ってか,あっさり都合2600円余りを払うことになった。
これで,ガソリン補給を心配をしなくていいし,人に迷惑をかけず警察沙汰にならない程度なら多少ぶつけても平気である――うーん,何とも爽快な気分だが,そのバチが当たったのか,冷静に考えると,2000円以上ガソリン代を払うほどの距離を走るかも微妙であるし,“ぶつけ放題”といえど,面倒なことはやっぱり避けたい。ということは,かえって余計な額を払ってしまったことはほぼ間違いない。世の中,そんなに甘くないのだ。せいぜい,会員の名義にならされた私が今後改めてジャパレンを利用するしかあるまい。
いざ車へ。今回借りるのはトヨタのカローラだ。私が車のキズ確認をしてサインをすると,アンちゃんは事務所に消えていった。すると,今度はM氏がデジカメを取り出した。キズの証拠写真を撮るためだ。別にここは裁判が当たり前の某国家じゃないし,ノンオペレーションチャージもないのだが,ぬかりのない行動である。何とも彼らしい。
そして,私が超個人的に重要なカーオーディオは,何とCDの穴しかない。M氏は「聞いとけばよかった」と申し訳なさそうだったが,大手会社だったら,カーオーディオくらい「MD&CD」で一律統一してほしいと,こっちは私が物申したい。

(1)海軍司令部壕跡・アゲイン
さて,とりあえず私がハンドルを握り,カーオーディオにはM氏が特別に焼いてきたというトルコのポップスのCDを入れて出発する。私は2カ月半前,一度訪れており(「久米島の旅」第4回参照),そのときに乗ったタクシーのルートをかすかに覚えていた。たしか,空港から走って事務所まで入ってきたこのルートほぼ1本で行けたと思う。最後は右に公園を見ながら高台の上の資料館で車を停めてもらった。地図ではその高台付近の道が曖昧だが,何とかなるだろう。
しかし,途中から道がいくつかに分かれてきた。細かいところまで記憶していないので,テキトーに進んでいたら,記憶と明らかに違うところを走っていることに気づく。あわてて持参した地図とカーナビでM氏に確認してもらっていたら,県道との交差点にぶつかった。「まっすぐ行っても右折しても同じ道」ゆえ一瞬混乱したが,どうも“正規ルート”に乗っかったようだ。運ちゃんに連れてきてもらった近道から大幅にそれてはいたが,ひとまず位置が分かって安堵する。
その交差点を結局直進する。交差する道はバイパスで,トンネルをくぐって司令部壕跡の下に出るパターンだ。そして我々の車は旧道の狭い道。路地からいきなり進入してくる車や,路駐の車をよけながら進むと,「→海軍司令部壕跡」の看板。あわてて入った道はというと,住宅地の私道のような狭い道。ギリギリすれ違えるか,あるいは譲り譲られる必要があるくらいだ。加えて司令部壕跡は高台にあるために,起伏もかなりある。
そんな路地を何とか切り抜けて広い道に出る。左下に公園と豊見城の市街地が見え,一方右上には司令部壕跡の敷地。その下に駐車場が見えたので,車を入れることにする。多分,資料館までは少し歩くことになろうが仕方あるまい。駐車場には結構車が入っていた。
車を降りて,やはりと言うかしばらく階段を上がっていく。すると,いきなり左の傾斜部分に亀甲墓が二つ。一基は水色に塗られている。早速,M氏が写真を撮り出した。「車を下に停めていなければ,こういうのも見られなかったかも」なんて気を遣ってくれ,私はすっかり気分をよくして薀蓄を垂れ流す。いわく「格好が女の人が股を広げた形をしてて,真ん中の石室のフタがいわゆる“産道”で,『死して再び母親の身体の中に帰る』っていう思想があるわけ」。と,すかさず「こういうのって,韓国にもあるよね」とのこと。さすが,海外旅行のエキスパートは冷静だ。
10分ほど階段を上って,ようやく資料館に入る。中に何が展示してあるか,またその後に司令部壕にも入ったが,その詳細については「久米島の旅」第4回を参照いただきたい。別に2カ月で展示物は変わっていないので。

さて,M氏がとあるパネルを見ていると,70過ぎらしきおばちゃんが声をかけていた。後で聞いてみると,この司令部壕で非業の死を遂げた大田實司令官の写真がどこにあるのか聞かれたとのこと。何でも「あの人はすばらしい」とか言っていたらしい。
「久米島の旅」第4回で書いたのと重複するが,大田氏はこの司令部壕にて「沖縄県民かく戦えり」という題の電文を打つ。要は「沖縄県民はこんなにも戦争に献身的だったので,事後のよき取り計らいをお願いしたい」というものだが,あるいはこの女性も親類から大田氏の話を聞いたかもしれないし,もしくは実際不幸に巻き込まれたかもしれない。
ちなみに大田氏は千葉,すなわち本土の人間である。今でこそ沖縄は食生活だの自然環境だので高い評価をもらっているが,当時は本土の人間にさぞ低くみられたのではと思う。だから,地理的なものを省いても本土への防波堤的役割を強いられてしまったと言っても過言ではあるまい。いくら本土で爆弾が落されたと言っても,上陸をされたのは,ここ沖縄だけである。
そういう沖縄にあって,大田氏の存在が評価されるとはどういうことか。よく考えれば,M氏が展示を見ながら指摘していたが,上陸を許してしまうような作戦そのものが拙いと言えなくもない。いや,はっきり言って非難されても仕方ない。「軍隊は島民を守ってくれなかった」「大田は何をやっているのだ」と。また,電文とは文字だから,そこから“体温”“トーン”といったものをダイレクトに感じることはできない。すなわち,心がこもっていなくても,いくらでも美辞麗句を紡ぐことはできるわけだ。
にもかかわらず,「すばらしい」と評価されるということは,サンプル1人で完全に詭弁だが,沖縄島民の人間性にまず尽きるだろう。敢えて酷い言い方をすれば「文章を数行残したくらいですばらしい」のだ。その文章一つで彼を称える資料館が建てられるのだ。どんなに謝罪しても,戦後いまだ事あるごとに恨みをあらわにする国があることを考えれば,この沖縄島民の寛容さに感謝し,金輪際彼らに足を向けて寝てはいけないのだ。
しかし,一方でその文章一つが究極の場面で作れたかと言えばまた分からない。それができた点で大田氏は評価されるべきだろう。どんな気持ちで彼がこの沖縄に来たかは知らない。「こんなところに行かせやがって」と思ってやってきたかもしれない。軍である程度ランクが高い者なら,よくも悪くもプライドが高いだろう。それがあるいは別の方向に作用して,電文を打つどころか,島民を散々犠牲にして戦後をのうのうと生き延びることだってできたかもしれない。にもかかわらず彼は電文を打って自害したのだから,「いい筋の通し方をした」と言える。彼にも改めて敬意を表しなくてはなるまい。

1時間ほど見学して,壕の外に出る。太陽は少し翳っていて風が強い。本土みたいな寒さではないけれど,セーター1枚では時々ひんやりすることがある。
脇に売店があるのでのぞいてみる。与論島旅行でハマった黒糖(「ヨロンパナウル王国の旅」第2回参照)も売られているが,量が多すぎるのでパスしさらに奥に入っていく。すると,M氏がアイスクリームを買っている。私は自販機で何かドリンクを買おうと思っていたが,上述の昼飯ではさすがに腹が寂しい。なので急遽アイスクリームに変更する。種類が数種あるうちの二つを選んで250円だそうだ。安いかは微妙だが,高くはなかろう。2人ともグアバと紅イモをチョイス。M氏はカップ,私はコーンにする。
アイスを食しながら,来た道を戻る形で階段を再び上る形に。頂上の見晴らしがよい展望スペースで食べたいとのことだ。アイスを食べながら,M氏が「ここは“TS”が高い」と言う。“TS”とは,“Traveller's Satisfaction(旅行者満足。違っていたらゴメン)”の略で,どうも彼の造語のよう。事前に私は見学時間が30分程度だと話していたのだが,それは資料館系を見るときは決まって早足になる私の時間感覚らしい。なので彼は大したことがないと思っていたようだが,司令部壕自体が思いのほか広く,何やかやと1時間も見ることになったので,俄然評価が高くなったようだ。
高台の展望スペースに上ると,風が強いが景色は抜群だ。陸の両側には海が見える。西には那覇市の小禄(おろく)付近の住宅街,東には豊見城市街地。地図を後で確認したら,位置的に島内で幅が狭いところにあるようだ。
そして北には那覇の都市部が東西に大きく広がる。全体的に白い建物が多いのは沖縄ならではだ。「やはり本土とは趣を異にする」という点で2人の意見は一致した。M氏は「あの辺りの赤くて高い建物が首里城?」と言うが,いまいち私には位置関係が分からない。改めて高い場所から那覇市内を見下ろしたことがないことに気づく。
さて,次はどこに行くか。実は南部の戦跡公園に行くことも念頭に入れていたが,思わぬ時間をここで食ってしまって,時間は15時ちょっと前。M氏が「“ひめゆり”で線香でも立ててくるか」と言っていたが,線香は次回立ててもらうことにして,一路首里方面に向かうことにする。
そうそう,その前に1人粛々と“重要ミッション”の遂行を目指すH氏を,首里駅かどこかでピックアップしなくてはならないのだ。なのでM氏がメールを入れる。H氏から「首里に向かう前にメールを入れてもらえれば,その時点でゆいレールに戻るようにする」と言われていたのである。

(2)首里へ
今度はM氏がハンドルを握る。「明日はお願いします」とすかさず言われる。別に運転はOKだが,少なくともH氏には厳格に運転させたくないらしい……いや,ホントは運転してもらいたいのはやまやまだが,契約時に免許書のコピーはその場にいたM氏と私の分しか渡っていない。M氏がアンちゃんに「もう1人乗るヤツがいるが,彼は運転ができないのか」と聞いてみて「そうですね」と言われたのは私も聞いている。無論,運転してもらったところでまずバレないのだろうが,「万が一警察が入るとややこしくなる」。これ以上ない正論なので仕方がない。
来た道と同じ道を戻って,さっき交差したバイパスを右折する。北上する形を取って,ゆいレールの奥武山公園(おおのやまこうえん)駅の下で右折。国場(こくば)川にかかる那覇大橋を渡って国道330号線に入る。時間が15時過ぎでやや早いのか,渋滞はほとんどなく順調に北上する。市内の渋滞を数回体験して逆に偏見ができてしまっていたようで,少し拍子抜けすらしてしまう。
数分で安里(あさと)交差点に到着。ここで右折したら,数分で首里城に着く。上にはゆいレールの高架線。信号待ちの間に酔虎亭氏に連絡を取ると,あと30分かかるそうだ。本日の宿となっている「日航那覇グランドキャッスル」は位置的に手前になるので,あるいは一度チェックインして歩いて首里城付近で落ち合おうかとも考えたが,首里駅付近に駐車場があれば,そこで停めて駅で出迎えたほうが賢明だ。地図によればファミリーマートがあるようなので,その付近を目指して右折する。
首里に向かう通りは片道1車線。割と上り坂っぽいルートだ。首里城を遠くから写した写真が,丘の上に浮かぶような構図になっているのを見たことがあるが,実際の地形もそうなっているのだろう。
数分して左に日航那覇グランドキャッスルへの道。脇道を下っていく感じのようだ。ここは確認しておかねばならぬ。十数階の,いかにもシティホテルという感じの大きい建物が下のほうからそびえている。ツアー料金に含まれているから分からないが,実際ここ単独で金を払うと,かなりの額がかかるのではないか。間違いなく,自分1人ならばここには来ないだろうと思ってしまう。

さて,何やかやと言っているうちに,首里城を越えて首里駅に着いてしまった。道幅が再び広くなったものの,残念ながら周囲に駐車場らしきスペースはなさそうだ。頼りにしていたファミリーマートは左に入る道の脇にある,数階建てのビルの1階テナントだったが,ここも駐車場がなかった。仕方なくその左に入る道を進んでいくことに。
道は再び狭くなって,どうやら周囲は古い住宅街のようだ。どこかでUターンすべく進んでいくと「首里りうぼう」というスーパーが左に見えた。まだH氏は時間がかかるだろう。となれば,ここで地元のスーパー見学がてらテキトーに時間をつぶして,再び首里駅に戻ることにしよう。
屋上駐車場に車を停めて,念のため再びH氏に電話を入れる。すると,何と首里駅までもうすぐだという。あわててエンジンをかけ,来た道を首里駅に戻り,とりあえずは高架になっている駅の下のバス停スペースに車を停める。当然,エンジンはバスが来たときのためにかけたままである。
再びH氏に電話を入れると,いいタイミングで電車を降りたようだ。パッとラーメン屋が目に入ったので,「ラーメン屋(名前忘れた)がある側の出口の下にいる」と思わず言ってしまう。「分かった」とH氏からは返事が返ってきたが,「上からだと店の看板までは見えない」とM氏。実に彼は冷静であり。私はアホである。
それでも何とかH氏は降りてきてくれた。くわえタバコで「タバコ吸ったら乗るから」と言う彼を,「バス停だから早く乗れ」と強引に乗せる。やれやれ,これで無事首里城へ出発できる。
H氏は,ゆいレールを旭橋駅で降りた後,国際通りをブラブラしながら牧志第一公設市場に入って,その2階にある食堂で沖縄そばや刺身を食ったそうだ。我々もあるいは明日時間が余ればそうするか。車で乗り入れれば渋滞にハマるのは目に見えているから,早めにレンタカーを返してしまえば何とかなるだろう。
そして,肝心の“重要ミッション”はというと,「いやー,電話がかかってきてから美栄橋に行って,旭橋まで戻ろうかと思ったら,目の前で(那覇空港行きに)行かれちゃって……まったく,旭橋と美栄橋の2駅間を乗り損ねちまったぜ(笑)」――“ミッション・コンプリート”への道は遠く険しい?(第2回につづく)

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