沖縄はじっこ旅V
 
大晦日の夕飯は,また8人となった。結局,伊是名島に行こうとしていたオバちゃん2人組(第2回参照)は,ここに留まることになったようだ。いつものようにトレイをカウンターから取ったとき,とりあえずキッチンにいたオバちゃんに「すいません,キャンセルできましたので。ご心配おかけしました」と言っておいた。「あ,そうですか。よかったですね」と,まあフツーの返事が返ってくる。
今回は奥のほうの席に座った。すると,にしえの主人が私と同じテーブルに腰掛ける。はて,何の用事だったのか。そういや,宿のものらしき何かが置いてあったような気がするが,それがために私の座ったテーブルに腰掛けたのか。かといって,私のほうから離れてしまうのでは場の雰囲気を壊しかねない。しばらく放っておいたが,数分で彼のほうが席を離れた。はて,あるいは私に話しかけたかったのだろうか。あるいは私が話しかけるべきだったのか。
今晩のメシは,昨日にもまして豪華だ。@沖縄そばAナカミの味噌炒めBイラブチャとミーバイの刺身C水菜のごま和えD大根の漬物というラインナップだ。メシは@があるから,今回は……やっぱり2杯よそってしまった。ホントは1.5杯なのだが,まあ2杯なのかもしれない。これで,またまたカロリーオーバー間違いなしだ。@は直径15cm×深さ10cmくらいの鉢に,3〜4cm角の三枚肉が1枚,同じくらいの大きさのソーキが三つ,なるとが1枚に紅生姜とあさつきという内容。麺はもちろん極太麺。普通は“ハーフ”とか“小サイズ”なのだが,立派にこれだけで1人前のヴォリュームがある。
これがあったから少しは白飯を減らしたつもりだったのだが,Aがこれまたニラ・ニンジン・こんにゃくが入って,濃い味噌の味がたまらなく食欲をそそられてしまい,Bもツマのかいわれ大根とかまで手をつける始末。Cはこれで3回目の水菜登場だが不思議と飽きない。自家栽培でもしているのか。これまたゴマドレッシングとしょうゆで,あっという間にご飯とともに平らげてしまう。立派なメシのおかずなのだ。そして,2杯目をよそいに行くことになってしまったのだ。ああ,恨めしい。
いやはや,それにしても,この沖縄そばはいかにも年越しのメニューというか,心憎い演出である。そもそも,ここに延泊しなければ食わなかったかもしれない代物だ。たしか,2年前に石垣島で大晦日を過ごしたときは,泊まったホテルスーパー石垣島で,発泡スチロールの器に入ったホントにおまけ程度の年越しそばを食べたが(「沖縄標準旅」第5回参照),そばとスープとかまぼこ2切れしか入っていなかった。あれに比べればまさに“天と地の差”である。
普通,これだけの量のメシを食ったらば,県内の定食屋だって多分1000円で間に合うかどうかであろう。それを1日5500円の宿泊料込みで食べられるというのだから,つくづく民宿というところはリーズナブルというか,実に居心地がいい場所である。一方で,こうやって時間を何時と定められるのを嫌がる人もいるから,「食事なし」だの「チャージのみ」といったある意味“冷たいシステム”が存在しているのも事実。それがかっこいいと思う人もいるし,私も今まではその“冷たさ”が好きだったのだが,その考え方が丸っきり変わりそうな,実に充実した食事タイムとなっている。
ある意味,今までの私は「早く注文しなきゃ」「早く食べて店を出なきゃ」「メモらなきゃ」の感覚にて,沖縄奄美での食事を食べていたような気がする。無論,現在この瞬間でも,哀しいくらいの早食いでとっととメシを平らげて,とっととトレイをカウンターに置いて,誰よりも早く自室に消えて行ってしまう。これでもっと他の人たちとしゃべりながらメシが食えたなら,どんなに楽しいだろうか。それでも,メシを「食べなきゃ」の感覚から少し脱して,食べることに貪欲になれたというか,集中できたのだ。上手く表現できないのがもどかしいが,沖縄の宿…いや場所に関係なく,宿でメシを食べるという考えが少し変わった。そんな気持ちになれただけでも,この島に渡ったメリットはあったのかもしれない。
部屋に戻る。「日本レコード大賞」だの「紅白歌合戦」だの,あるいは本来の予定では観なかったかもしれないオープニングとかを,実にくつろいだ姿で観ている自分。はたまた別の格闘技番組も含め,これほどまったりしたことは今までないってくらいにまったりした時間が続いていく。自分の家でテレビを観ている感覚に近いかもしれない。旅は“非現実”のはずなのに,どことなく“日常の延長線上”にいるような気分で,大晦日の夜は更けていった。

「フェリー伊平屋ご利用の皆様にお知らせ致します。
本日のフェリー伊平屋は,発達した低気圧の影響で
海上状況が悪いため,全便欠航と致します。フェリー
伊平屋ご利用の皆様にお知らせ致します……」
7時20分。朝食に行く準備をしていた中,向かいの公民館に設置された拡声器から,今日も再び男性の平坦でちょっと事務的な声が聞こえてきた。昨日同様,テレビをかけていたのを“消音”にし,さらによく聞こえるようにと,窓を開けて聞いていた。ただし,今日は雨が降っていないし,空にはわずかながら朝焼けも見える。昨日に比べれば雲泥の差であるが,寒さだけはあいかわらずである。そして……「やはりまた吹いてしまった強い風」,そんな下らない一句が浮かぶ。
うーん,夜は大分突風が吹く間隔が広がっていったと思ったのだが,それでも思い出したようにたまに突風が吹き,「明日は大丈夫だろ」という考えが萎れていった。天気予報も,降水確率は低かったし,波の予報が「5.0→3.0」という風になっていた。この“→”のタイミングは明け方になるかもしれない……その明け方に目が覚めたときに無風だったのは完全に偶然だったようで,しばらくすると突風で建物がガタガタと音を立ててしまった――ウダウダ長くなったが,これでまた今日1日フェリーが出ない。丸2日この島に閉じ込められることになる。それだけは紛れもない事実である。
とはいえ,ジタバタしても仕方がない。メシを食おう。どこか落ち着き払っている自分がいる。“いつも”のようにカウンターからトレイを受けとって,自分でメシをよそう。@紅白かまぼことタコの素焼きA生野菜(トマト・レタス・きゅうり),B納豆(こぶ入り),C焼き海苔D目玉焼きE白菜とワカメの味噌汁が今朝のおかず。ビミョーに侘しくなっている気がしないでもないが,いつも朝食べているものに比べればバリエーションは多いほうだ……@はいかにも正月らしい。Aは当たり前のようにゴマドレッシングをかけて食べる。Bはなぜか小さい袋に昆布の粉が入っている。
メシを食べ始めたころ,60代のおじさんが少し遅れて食堂に入ってきた。たまたまメガネのオバちゃんと目が合ったようで,オバちゃんは「今日も欠航みたいで…」と苦笑していた。苦笑せざるを得ないって感じだ。後ろ姿だから見えなかったが,おじさんが参ったなーという表情をしていたのだろうか。間髪入れずに「ま,明日は大丈夫でしょう。天気はよくなってるから」とオバちゃんはフォローする。
でも,「どうせ,単なる気休めだろ」とブルーにふさぎこむのではなくて,多分ホントに明日なら大丈夫なように思えている自分が不思議だ。今だからコクってしまうが,実は昨日の夕方とか「大晦日と元旦にフェリーが出ないで,結局伊平屋島に3泊しちゃいました」なんてことを,どうやって会社の人間に話そうかなんてイメージトレーニングしたりもしていた。だから,まさに今日の欠航はおあつらえ向き……なんてスゴく不謹慎な話か。間違いなく,この9月に台風のとばっちりを食ったどさくさで石垣島で4泊したり(「沖縄はじっこ旅U」参照),はたまた多良間島で図らずもヒッチハイクをしたせいで(「石垣島と宮古島のあいだ」後編参照),私にはヘンな“度胸”がついてしまったのだろうか。
15分ほどでメシを食い終わって,カウンターにトレイを置く。昨日の朝はここで「欠航になってしまったようで…」「それでは泊めさせていただきます」なんて会話を交わした(第3回参照)。そして,時間にして1分ほどの一応は“交渉”をして昨日は延泊をさせていただいたわけだが,今日はお互いに無言である。うーん,こちらとしても事情が事情だし,いまさら改めて「今日もよろしいでしょうか?」と聞くだけヤボである。多分,今日の夕方には当たり前のように夕飯が……出ているだろうか? いや,多分出ているだろう。そう信じたい。「我が家に帰ったつもりで…」なんてフレコミをどこかで見たような気もするし……。とりあえず「ごちそうさまでした」だけは忘れずに言っておいた。
部屋に戻る。そういえば今日は1月1日。朝起きたときに観ていたニュースでは初日の出の話題をやっていた。たしか,那覇は7時17分とか言っていたが……何となく窓を開けてみると,太陽が少しだけ水平線のところからのぞき出した。こいつは…ビミョーだけど縁起はいいのだろう。そう解釈する。そして8時に再びフェリー欠航の放送が流れる――もういいよ,2度もご丁寧に。
さて,今日もフェリーが欠航になったということで,正式に明日の飛行機の予約をしなくてはならない。そして,オリックスレンタカーへの再度の延長申請も。しばらく電源を切っていたケータイだが,実は電源を入れ続けていたほうが消費は少ないということにいまさらながら気がついて,夜からはずっと電源を入れ続けていたのだが,なるほど大して減っておらずホッとする。
まずはJALのホームページにアクセスをする。1月になったから日付は大丈夫だろう。「1月2日,20時50分発のJTA58便」――すっかりお世話になっている便だし,他は便名が分からないし,いじっている間にアクセスができなくなると困るから,これにしよう……え,既に予約を承っています? 何だろ,これ? 昨日はたしか,ブラウザが容量を越えたとか言っていたのに(前回参照)。
試しに“予約確認”のところで確認したところ,何と当初の今日のJTA58便と,明日2日のそれの二つが入っているではないか。謎だ。実に謎だ。でも,取れているというからには取れているのかもしれない。少なくとも,今の時点でやるべきは,今日の分を確実にキャンセルにすることだけだ。前売りなんちゃらで買ったために,少しキャンセル料を取られてしまうが仕方がない。キャンセルのところのボタンを押してキャンセル完了。ちなみに石垣と那覇の往復分については,手数料420円×2=840円で済んでいるが,それにしても今年度はかなりキャンセル料を“奉納”していると思う。
そして,もう一つはオリックスレンタカーへの電話である。昨日とは別の男性が出た。あるいは昨日と同様,何か会話でもすることになるのかと思って,電源を切って地味ーにバッテリーを溜めていたことも,どーでもいいことながら今ここでコクってしまうが,今回は向こうで書類を確認するために電話を外れて,その時間を少し食っただけ。「分かりました。もし,明日も欠航になるようでしたら,お電話いただけますでしょうか」「はい,了解しました」――これにて終了。私はどこか不思議と清々しい。
何はともあれ,これにて今日の“お勤め”は終了である。後は東京でいうフジテレビ系列でやっている好例のお笑い番組を観る。無論,ホントならば今ごろは,石垣港で西表島の舟浮ツアーに行くために待機しているころだ。あるいは,この天候の影響でツアーが中止になってしまったか。天気は南に行くほどよさそうだが,波はこちらと変わらない予想だった。
こんなことを言ってはホントに不謹慎だが,ツアーは中止になっていてほしい。そうとなれば石垣で過ごすか,あるいは竹富島に行くのか。あるいは『やいまGUIDE BOOK』を手に西表島をレンタカーで回るのか。でも,西表島は少し遠いから大原港行きでも船が出たのだろうか……多分,こちらにいるよりもずっと不毛である可能性が高かったのではないだろうか。それに比べればこの伊平屋島で3泊もゆったりと過ごせることの,何と幸せなことか。
もっとも,そんなことは八重山観光フェリーか平田観光に,一般客にでもなりすまして「すいません。今日はツアー決行しますか?」と聞けば一発で分かること。でも,もし万が一“舟浮ツアー”が決行になっていた暁には,多少凹んでしまうかもしれないから聞かないことにする。いや,石垣島がここの天候と同じだったらば,間違いなく9月のときと同じく,西表島の舟浮で波が高いために欠航だなんて“結構な結末”になっているかもしれない(「沖縄はじっこ旅U」第7回参照)。
――もう,そんな“たら・れば”なんか,どーだっていいじゃないか。いまは目の前に映る,あるいはほとんどの人が「くだらない」と思うかもしれない「お笑いヒットパレード」で“宮川大助・花子”とか“オール阪神・巨人”を観ているほうが,よほど極楽であるはずだ。一度9時前に,缶コーヒーを買おうとロビーに降りていったら,ちょうど件の60代のおじさんがリュックを背負って外出するところだったが,そんな慌てなくてもいい。だって「まだ朝の9時」じゃないか。
……やがて,集落内には島唄のメロディが聞こえてきた。どうやら,これまた公民館から流しているようだったが,実に沖縄の離島らしいのどかで静かな正月だ。たしか,2年前の正月の竹富島もこんな感じだったと思う(「沖縄標準旅」第6回参照)。とはいえ,空はせっかくの青空が消え,スコールが降り出す。もちろん,雲の加減で1時間もしないうちに上がったと思うが,やはりまだ天気が不安定なのだろう。そういや,さっきのおじさんは大丈夫だろうか。
ま,いいや。でも,こうやって正月の(くだらないかもしれない)バラエティを観るのは,ホント何年ぶりだろうか。いつもだったらば,実家では大晦日から元旦にかけて,サザンあるいは桑田佳祐氏の年越ライヴを2時過ぎまですべて観て,翌朝はちょっと遅い起床。でもって,昼前に近くの神社にお参りして,年賀状を見るためになぜか1回自宅に戻り,再び実家で元旦の夜を過ごして2日の午前中に自宅へ戻る……1人暮らしをしてから数年は,これが“パターン”になっていたのだが,ここ数年はいろいろあって実家には帰らず終いになっている。まるでかつての“忘れていた感覚”を取り戻すかのように,ふとんをかぶりながらテレビの前でまったりしている自分がそこにはいた。

@“ホテル”という名の民宿
11時,マーチで外出開始。いつもならば,この時間はかなり見所を回って昼メシ屋を探すタイミングなのだが,今日は……まあ,さすがににしえのオバちゃんに頼るわけにもいかないだろうから,どこかでメシは買いたいが,まずは三十数時間も景色は見ていながら,いまだ細かくは見ていない,目の前の海とシヌグ堂を観たいと思う。そして,後は昨日見損なった島内の集落を細かく見て回ろうか。
目の前の前泊スーパーは本日休業だ。ま,さすがに今日くらいは休みたいだろう。そして,道がカーブしていて少し広くなったところには,屋根のついたバス停。「通学バス用」とある。島には小中学校および幼稚園がそれぞれ一つしかない。南北に長い島だから,もう少し北にある田名集落あたりからだと,バスがなければ辛いかもしれない。そして,バス停の脇には「第3月曜日は家庭の日」という小学校が建てたらしき看板が――へ〜,私が子どものころはこんな「家庭の日」なんてなかったと思う。こんな日を作らなくちゃならないほど,昨今の家庭環境は深刻なのだろうか。
ほとんど行き来のない道をあっさり渡って,20秒ほどで海岸だ。無機質なコンクリートの護岸がされているのは致し方あるまい。下は白砂にサンゴの欠片が混じっている。そして海の色はやはりというか,遠浅のマリンブルーである。空はほぼ天気となっているが,たまに黒い雲が見え隠れする。ただし,風はいまだ強い。低気圧様による最後の“威力発揮”だろう。その強風に流されるように,引き潮のスピードがかなり速い。遠くにぼんやりと長い突端が見えるが,多分やんばる辺りから辺戸岬までだろう(「沖縄標準旅」第3回参照)。
そして,シヌグ堂に戻る。隣接する公民館の裏手は小さい機関車と線路に,イヤにリアルなウマの頭のオブジェがある。ふと,建物のそばまで寄っていったら,中に人がいたようで思いっきり目が合ってしまった。こちらも結構驚いたが,向こうのほうが見慣れないヤツの“珍入”に驚いただろう。それにしても電車や線路はともかく,ウマのオブジェは何かの“教材”なのだろうか。
そしてシヌグ堂であるが,高さ・幅とも6〜7mくらいの大きさで,赤瓦で白壁の社に柱は朱塗り。白い鳥居からすぐ5段の低い階段を上がる。サッシが少し開いていたので中を見ると,畳12畳くらいの拝所。奥には大きいのが一つ,小さいのが対になって都合三つの香炉。正月ということで鏡餅に,果物と泡盛の一升瓶がこれまた対になって奉納されている。
早い話が,このシヌグ堂は前泊集落の御嶽である。元は上述の田名集落と一つだったようだが,やがてこの付近が前泊集落として分割されるようになったとき,拝所を作る必要が出たために建てられたようだ。1989年7月に“近代的手法”で改修されたことが書かれてあったが,元は石造りか何かで,“近代的”とは鉄筋コンクリート製ってことか。見た感じでは特段目新しい特徴はないと思われた。
さて,マーチに乗って南に進むことにする。途中のJAがやっているスーパーが規模が大きいので期待したが,さすがにここも営業していない。さらに進んで昨日と同じくターミナルに行く。ドアが開いているので建物の中に入ってみる。真っ暗で静かだ。そして,端っこの一角にはプリクラもある。土産店が2軒あるが,うち1軒のシャッターが格子状のヤツで,もう少しで手が届きそうな位置に平積みの商品があった。あるいは,今もあるのか分からないが,“マジックハンド”があれば確実にゲットできそうである。ただし,万が一誰か見ているとマズいので,手を伸ばすことは決してやらなかった。
ターミナルから再び県道に戻る。ちょうど突き当たりが幼稚園になるのだが,少しこんもりした所に建物が建っている。そして,よく見てみるとその土台には大きな亀甲墓が3基並んでいる。墓の土台の上に校舎が建っているというのは,いかにも沖縄的……というか,考え様によってはちょっとした“肝試し”である。都心じゃこんなことになったら,下手して裁判沙汰になるかもしれない。墓が先だったのか,あるいは幼稚園が先だったのか。はたまた,昨今の都心の建築よろしく「土地の有効利用」ということか。まさか,それを言うにはこの島は土地が余り過ぎていると言わずにはいられない。
しばらく進んでいくと,我喜屋集落に入った。そして,2階建ての白壁の「松金旅館」に併設する「松金スーパー」が幸運にも営業していた。道には路駐する車が数台ある。いずれも,買い出しに来ているのだろう。あるいは島ではここしか営業している店はないかもしれない。早速,私も路駐してメシを買うべく中に入ると,昨日の前泊スーパー(前回参照)と同様,狭い店内には日用品や生鮮食料品など一通り品物はそろっている。あるいは棚がもっとスカスカなのかと思っていたが,あと1週間ほど大丈夫なくらいには品物が入っている。それを見てちょっとホッとする。
さて,今日の昼飯は……やっぱり菓子パンになってしまった。今回もやはりメーカーはオキコで(前回参照),種類は「うずまきパン」である。95円。直径15cmの半円型で,うずまきのところにはバタークリームがはさまれていた。味はまあそんなような味である。これだけで多分400kcalはあるだろうし,後は昨日買った「一口黒糖」をテキトーにつまんで昼飯としよう。もしかしたら足りないかもしれないが,そもそも,にしえに泊まってからはひたすらカロリーオーバーなのである。ここいらで少し減らしても,どうせ今日の夕飯で……また余計に食べてしまいそうだからイカンのだが,いずれにせよ夕飯は出る…だろう,多分。ウン。その夕飯が,空腹の分さらに美味くなるだろうから,これだけでよしとしよう。
ちなみに,この旅館とスーパーの建物の隣には,黄土色の立派な松金旅館の“別館”が建っている。値段を確認したら1泊2日で7000円台で,にしえよりもちょっと高めだった。あるいは施設面でいったら,松金旅館のほうがグレードは上なのかもしれないが,はたしてメシはどんな感じなのだろうか。もしかしたらこちらのほうに泊まろうかと思っていただけに,ちょっと気になったりもする。
さて,せっかく我喜屋集落に来たのだし,もっと細かく見るのならば歩いて見て回ったほうがよさそうだ。松金旅館から50mくらい南に行ったところに,だだっ広い駐車場らしきスペースがあった…といっても,「車が数台停まっているから,多分駐車場なんだろうな」っていう勝手なこちらの判断だ。でも,別に停めたところで正月なんだしお咎めもないだろう。第一,そんなお咎めのために出歩いている村民や警官なんかいるわけもなかろう。

我喜屋集落は,前回もちらっと書いたようにテーブルサンゴの石垣が多い。赤瓦に木造という家とコンクリートの家は半々くらいか。とはいえ,前者はかなりの確率で廃屋だったりする。そんな家の石垣の隙間からは,こげ茶色の胞子状の植物が根を生やして伸びている。久高島のサンゴの石垣で見た植物と同じヤツである(「沖縄・8の字旅行」中編参照)。見たところはシダ植物か何かだろう。
いくら植物とはいえ,はっきり言って見た目はグロい。そんな石垣の家の中で「木の雨戸が開けっぱなしだけど,多分ここも廃屋だろう」と思ってのぞいたら,オバアがちゃんと住んでいたりしてちょっと驚いたりする。石垣をキレイなまま維持するのもなかなか大変なのか。もっとも,このグロいのが自然なありのままでいいという見方もあるのかもしれないが。家畜小屋のようなコンクリートの廃屋や使われていない井戸など,昔ながらの道具なども点々と残されている。
やがて,伊平屋小・中学校に到着。奥の校舎までは50〜60mほどはあろうか。そのところどころに水たまりができているのは,昨日や今日の雨の影響か。多良間村の小中学校もそうだったが(「石垣島と宮古島のあいだ」中編参照),こちらも遊具関係は充実している。ブランコ,鉄棒,そしてすべり台にいろんな器具がついた名前の分からない巨大な遊具……いずれも都会じゃ見られないものばかりである。校門そばではテントが貼られた建物があるが,こちらは工事中の体育館だ。
おそらくは,教室の数とか校庭の広さとか,どこもかしこも現在いる児童の数から比例してかなり広くスペースが取られているだろう。しかし,都会の子どもみたいに,小さいころから猫の額ほどの場所しか提供されないで暮らすより,こうやって最初は大きなスペースで育ち,徐々に狭い場所に慣らしていくほうが――もっとも「狭いことに慣れていい」かどうかは分からないが――,健全な在り方のような気がしてくる。さもなくば,身体だけでなく心まで“エコノミークラス症候群”になって,鬱屈した人格が形成されるような気がしてならない。
さらに集落の奥のほうに入っていこうと思ったとき,オジイの声で拡声器から新年のあいさつが流れてきた。ちょうど公民館のそばを通ったようで,はっきり聞き取れる。時間も正午間近だった。「昨年1年は区民各位のご協力・ご指導の下,1年大過なく業務を遂行することができました……」。多分,ライヴで原稿でも見ながらやっているのだろう。話している息遣いが伝わってくる。そして,今年も(?)順調にあいさつをしていたであろうその時,
「ピーンポーン,パーンポーン♪」
突然の正午の時報。ものすごいバッドタイミングである……いや突然も何も,んなの町役場からやっているんだろうに,時報が鳴ることくらい分かっていただろう。かといって,オジイの挨拶を時報より優先してしまったら,それはそれで“村の秩序”が崩壊してしまうかもしれない。時報は時報でしっかり鳴らさなければならない。しばし中断。とはいえ,このままオジイは立場なくフェードアウトするのか。1分近く時報が流れ,数秒の沈黙の後,
「失礼しました。えー,最初から年頭の挨拶をさせ
ていただきます。旧年は……」
おお,やり直しが利くとは役場もイヤに気が効くではないか。あるいは周囲がフォローしたのか。もしかして,このオジイが何者かは私には分からないが,彼の挨拶ナシには「村の1年が始まらない」ってこともあるかもしれない。ところどころ噛んでしまったりして,よく言えば「実に微笑ましい」,悪く言えば「締まりがない」挨拶となっている。もっとも,いまこの瞬間一番恥ずかしい思いをしているのは,話している本人だろう。こんな挨拶で始まる伊平屋村って一体……。
そんな中,昨日も車で通った御嶽にさしかかった。エントランスにある大きな樹木が印象的な御嶽である(前回参照)。木はガジュマル。その根が龍のように“異様な形”で奥へ奥へと長く伸びている。この木があるいは邪魔という考えが生まれてもおかしくないだろうが,おそらくは「罰が当たる」ということで残っているのだろう。入口が少し広くなっているのも,ひょっとして,このガジュマルの“気”によるものなのかもしれないと想像してみる。奥には,石の台上に幅・高さとも50cmくらいの祠。そのバックには巨大岩にこれでもかとからみつく別のガジュマルの根。なるほど,これらすべてがあって初めて,御嶽が完結するってことだろう。地図にも載らない御嶽だが,実に魅力的な光景だ。
この名もなき御嶽を見ていた辺りから,村長の挨拶が始まっていた。歩きながら聞いていると,村で唯一と思われる診療所の前に着く。平屋建てで白いコンクリートの小さい診療所だ。正式名称は「県立北部病院伊平屋診療所」。名護市にある北部病院の分院である。先月29日から明後日3日までは正月休みのようだが,一応緊急連絡先が書かれた張り紙があった。そりゃ,この季節はお年寄りが餅をノドに詰まらせることが多い季節だ。もっとも,沖縄では雑煮を食う習慣がある説とない説の両方があるが,それによって何気にこの張り紙が生かされることはあるのだろうか。
さて,村長の挨拶は澱みなく続いていた。さすが村長。だてに12月27日に新年の挨拶をアップさせちゃいない……って違うか(「管理人のひとりごと」Part31参照)。これで村長まで“アンガールズ”のようにグダグダだったら,村は崩壊するに違いない。小泉首相の構造改革政策が離島の財政を圧迫しているとか,伊平屋村と伊是名村の合併の話とか,毎年行われている月夜に走る“ムーンライトマラソン”のこととか,5分ほど澱みなく話して新年の挨拶は無事終了。そして今度は村議会長の挨拶が始まった。その途端,またビミョーにグダグダしだしたのは言うまでもない。(第6回につづく)

第4回へ
沖縄はじっこ旅Vのトップへ
ホームページのトップへ