沖縄はじっこ旅V
(1)金武の街
@“ホテル”という名の民宿
16時25分,いよいよ伊平屋島に到着する。すでに乗客はフェリーからかなり降りていたようで,私が車で上陸したときは,ターミナル付近は静かになっていた。大きなレンガ屋根のターミナルを時計周りにぐるっと回って裏口に出た後,一旦車を降りてみる。もしかしたら,宿の人間が迎えに来ているかもしれないと思ったのだ。
宿に送信したメール(第1回参照)にはレンタカーを島で借りるとか書いていたので,私が単身で乗り込んでいると思っているかもと考えたためだが,ターミナルの中とフェリー側の出口を軽く見回した限りでは,それらしき人は見当たらなかった。後で確認したところ,電話で送迎を頼まないと来なかったようだが,一度那覇で電話したはずだから……ま,結果オーライってことでいいか。
ちょうど車を降りた場所には,伊平屋村の民俗資料館があった。平屋建てだがなかなか立派な施設である。しかしながら,今日から年末休暇で閉まっている。こういう地味ーな施設が後で見る場所がなくなったときには有効だったりするのだが,残念。そして,その隣には「レンタカー伊平屋」の事務所…というか小屋があったが,ドアは閉まっていて営業しているのかがよく分からない。駐車場らしきスペースにはたくさんの車があったが,どうみてもすべてがここの所有とは思えない。奥のほうにあった軽自動車数台が多分ここの店のものだろう。ま,もしかして一緒に年末休暇しているようだったら,車でこの島に乗り入れたこと自体は正解だったかもしれない。面積が20平方km,周囲が34kmと結構広い島で,サイクリングってのもこれだとキツクなりそうだし。
港沿いの成り行きで広くなっている道は,そのまままっすぐ続いているようだが,とりあえずテキトーに十字路で道を内陸に入ろう。ちらほらと店が点在している道を少し進むと,突き当たりには2階建ての大きな中学校。島唯一の伊平屋中学校だ。無論,大きく見えたのは校庭がデカいからかもしれない。バックには大きな軍艦岩のような「虎頭岩(とらずいわ)」を従えている。その突き当たりを右に折れると,2階建ての伊平屋村役場,都内だと各町域レベルの大きさの伊平屋村郵便局などを左に見る。
そして,隣ではガソリンスタンド「ENEOS」が,離島なのに…と言っては失礼だが,ちゃんと営業している。はて,私のマーチのオイルメーターは上から2番目の目盛りあたりを指している。一瞬,ここで少し給油しようかと思ったが,離島でガソリン代が高くつくかと思って止める。ま,考えてみればこの島1周と,帰りは来た道とほぼ同じ距離を帰るのだから,あせって給油しなくても間に合うだろう。
そのうち,右手に松林を見ながら走ると,左手には緑色の軒が見えてきた。やがて道が左にカーブして右に海沿いに道が分かれる角っこに,今回泊まる「ホテルにしえ」が現れる(以下「にしえ」とする)。2階建ての白壁のコンクリート,こう言っては失礼だが“ホテル”とは名ばかりの“民宿”である。軒の鮮やかなグリーンがせめてものアクセントか。“築”でいうと,20年は多分経っているだろう。敷地のブロック塀前には左に向かって小道が延び,いくつかの民家を結ぶ。対面には「前泊スーパー」というスーパーと前泊公民館があり,隣には朱塗りの割と新しいお堂も。御嶽だろうか。そして道をはさんで向こうは紛れもなく砂浜と海である。宿からは“徒歩20秒”といったところか。
駐車場は車が5〜6台停められる程度の広さ。すでに3台車が停まっている。いずれも「わ」ナンバー以外だから,あるいは沖縄の人か,はたまた自分のところの車か。奥にはコンクリートの離れと物置小屋がある。本館の玄関のドアも開きっぱなし。こういうのが,いかにも地方の民宿である。辺りを見回していると,60代くらいの割烹着を着た女性が建物の脇から出てきた。
早速名前を名乗ると中に通される。玄関を上がり靴をゲタ箱に入れてスリッパに履き替える。ゲタ箱というのもいかにも民宿である。すぐ左にあるカウンターで帳簿に名前を記入。私を含めて4組の客が泊まるようだ。ちらっと出発日のところを見たら,私を含めて3組が明日,残り1組は「1月1日」と書かれてあった。6畳程度のロビーを併設していて,記入している途中にデスクトップのパソコンが目に入ったが,電源は入っていない。どおりでメールの返信が遅かったのか(第1回参照)。
「夕食は6時半,朝食は7時半からです。部屋は洋
室と和室とどうしますか?」
女性が少し消え入りそうな声で聞いてきた。あれ? メールにはしっかりと「洋室」と書いたはずだし,返信メールにも洋室が取れたと書かれてあったが,はて気が変わるとでも思っていたのか。あるいは部屋は全部で17室あるというから,多少の余裕があるってことだろうか。ちなみに洋室だと500円増しになるのだが,バス・トイレがついて当然だがベッドである。共同風呂・トイレもたまにはいいかもしれないが,そこまで私は“融通が効く”性格ではなかった。なので「洋室で」と言うと,「500円増しになりますねー」と,これまた消え入りそうな声が返ってきた。細長ーい木のホルダーに「217」とマジックで書かれたカギを渡される。ちなみに,もう一つは半透明のどこにでもあるようなワイン色のホルダーがついたやつ。この差って何なのだろうか。
その217号室は,2階の角部屋だった。宿の主人あたりが釣ったのか,大きな魚拓のかかった階段を上がると,正面が洗面台数基が置かれた洗面所とトイレ。右に折れると狭い通路の左右に部屋が続いていく。下にスリッパが置かれているから,すでに中に人がいるようだ。その一番奥が私の部屋。少し立て付けの悪くなっているカギを開けると,8畳程度の部屋にベッドが二つ。十数インチくらいのテレビに,ベッド脇にはテーブルとティッシュ。後はフェイスタオルとバスタオルのセットが2組。以上。時計もないし実にそっけない。浴衣らしきものを探したがどこにもない。はて,今夜はどうやって寝ようか。そして,バス・トイレはごく普通のユニットバス。シャンプーとボディソープと歯磨きセットのみ。櫛と髭剃りはついていない。
とりあえずは,夕食の時間までテレビを観ることにする。早速,ヒマを持て余すときがやってきた。あるいは,こういう時間をつぶすために家の“Let's note”を持参しようかと思ったが,どうせ今晩だけ我慢すれば,明日は失礼ながらこの伊平屋の,このホテルの数倍は赤ぬけているであろう石垣の「ホテルハーバー石垣島」で盛大に(?)大晦日を迎えられるのである。

何とか2時間近くを耐え忍んで,晩飯の時間がやってきた。12時前の昼飯だし,旅先で自分の好きなタイミングでメシが食えるときは,18時ごろには食べてしまったりもするので,結構腹が減っていた。早速カギをかけようと鍵穴にカギを入れるが,何回カギを回してもドアは開いてしまう。他の客は続々と食堂に向かっている中,しばし“格闘”してしまった。はて,どうしようかと思ったが,どうやら中からドアノブの“ボッチ”を押してロックをし,そのまま閉めて施錠完了となるようである。こんなこともまた,民宿ならではのことである。
食堂は1階,カウンターと反対側の部屋である。6人用のテーブルが六つと,明かりが消えて暗いが,奥に上がりの座敷がある。大きなこげ茶色のキャビネットの中にあるテレビでは,NHKの特番がかかっている。たしか,50人くらいは収容できると聞いていたから,それこそシーズンにはこの食堂がびっしり人で埋まるのかもしれない。今は@中学生と小学生の子どもと両親の4人家族,A60代くらいの女性2人組,B60代のおじさん1人,C私,の都合8人が宿泊客である。
カウンターには人数分の食事が置かれている。「もしかして…」と思って自分から取りに行ったが,やはりセルフサービスのようだ。汁物は取りに行ったその場でよそってトレイの上に置いてくれる。メシは端っこにあるジャーでよそい,飲み物はこれまた別の端っこにあるダイニングボードに,湯呑み茶碗やコーヒーカップの類いがいっぱい入っていて,そばの給茶機で好き勝手に入れる。考え様によっては,自分の好き勝手にやっていいという意味で「家に帰ってきたような感覚でやれ」ってことか。
大きなキッチンでは,さっき応対してくれた女性と,メガネをかけていかにも朗らかって感じの60代のオバちゃんが2人で切り盛りしている。あわただしくキッチンを動き回っているが,ひょっとして2人は姉妹だろうか。まさか雰囲気が似ているから母娘ではあるまい。いくら法律ギリギリの16歳で結婚して翌年娘を産んだとしても……って,他人の家庭はどーでもいい。
さてメシであるが,@鯛系の煮魚(12〜13cm×3cmくらいの切り身),A三枚肉・大根・ニンジン・水菜・豆腐の煮物B島タコと白身魚(これまた鯛系統か)の刺身C生野菜(きゅうり・レタス),D魚(めばるあたり?)と薬草の味噌汁E大根の漬物――Aは沖縄独特の薄味。最後にどうしてもしょうゆが欲しくなってしまった。Cは備え付けのゴマドレッシングをかける。もっとも,ドレッシングはこれしかない。Dの薬草は香草とも春菊とも違う,独特の風味があった。あるいは“クセ”とも言うべきか。苦みも少しあって好き嫌いが分かれる薬草であろう。
こういうラインナップは,普段1人でどっかの居酒屋などで食べるときにはチョイスしにくい。せいぜい炒め物の類いとビールを頼むか,何かの定食を頼んだら,刺身がサイドメニューについてくるってくらいだろう。今まで何度となく沖縄でメシを食ってきたが,それらとは明らかに“違う類い”である。空腹も手伝って,1杯目も大盛によそったメシをおかわりしてしまった。ご飯ジャーも,いかにも大人数用の大きなヤツで,ホカホカの銀シャリが中でまぶしく光っていた。まったく,この1杯が“ブタ”になってしまうのは百も承知だが,どうしようもなかったのだ。
はて,旅館というべきか民宿というべきか,それはいいとして,これが“地元密着の宿”のメシの醍醐味だろう。プロの料理人が作った創作料理にはないであろう“おふくろの味”とも言えるか。忘れていた懐かしさみたいなものも少しこみ上げてくる。作ってくれた女性2人には誠に失礼だが,もっとこれよりも美味い料理がこの世の中には確実に存在するかもしれない。それでもこれはこれでまた美味いのだ。これならば,明日の朝食にどんなものが出てくるか楽しみになってくる。

そして,食堂では我々をよそに子どもたちが騒ぎ回っている。間違いなく,ここの家の子どもたちだ。上が小学校高学年の女の子,その下に同中学年と幼稚園くらいの弟2人という兄弟構成とみた。女性2人にとっちゃ,間違いなく孫であろう。これはますます完全に“ホテル”ではなく“民宿”である。どうか「民宿にしえ」に改名してほしい。だからといって別に「看板に偽りアリ」と言うつもりはないが……さらには,所在なさげなオヤジが1匹(失礼)。キッチンにいる女性2人どちらかの旦那だろう。彼はホントにカウンターのあたりをウロウロするだけで,何をするわけでもない。何だか女性が強いと言われる沖縄の家庭を勝手に垣間見た気分になる。
しかし,哀しいかな元々メシを食うのが早い私。もっと,民宿の味や雰囲気を堪能すればよかったのだが,15分ほどで食べ終わってしまい,居心地が途端に悪くなる。カウンターにトレイを持っていき「ごちそうさまでした」と,なぜかこちらも消え入りそうな声になってしまう。人見知りが結構あるのだ,この私は。もっとも,誰かが話しかけてくれればこちらも結構しゃべると思うのだが,少なくとも8人の客の間にはまだ“友好ムード”は芽生えない。ま,今しがた顔を合わせた――合わせちゃいないのだが,ひとまず一堂に会したという意味で――ばかりでは,互いに話しかける云々もないだろうが。

部屋に戻ると少し部屋の中が寒くなってきたので,ふとんをかぶることにした。いま着ている上着は,少し厚手のシャツのみ。エアコンらしきものはついているが,見ると「冷房」の文字しかない。かといって,このシャツを着たまま寝るのはどこか鬱陶しい。持参したジャンパーは車内に置きっぱなし。Tシャツの上からそれを着ることも考えた。よって取りに行けばそれで済むのだが,冷たい風に煽られるのはどことなく凹みそうだし,室内で着るのも何となくビンボー臭くてイヤである。
多分,コンクリの打ちっぱなしの建物だから冷えるってのもあるだろう。とはいえ,ふとんをかぶればそれなりの暖かさになることだし,厚手のシャツも脱いでここはTシャツになることにする。少しは状況で着方を調整しなくてはなるまい。そして,それらを完了してまたもテレビタイムとなる。何を観ていたかは覚えちゃいない。年末の特番だろう。ま,これも明日までの辛抱である……。
しかし,そんな私の心理とは裏腹に,夕方からどういうわけか風が強くなってきていた。海がすぐそばで,遮るものがほとんどないせいか,たまに吹く突風が何とも強烈である。“ヒュー”の音も結構高く,それとともにガタガタと建物が揺れる。ま,コンクリだから倒れることはなかろうが,その度に不安が増してこないと言ったらウソになるだろう。“オーシャンビュー”のこの部屋からたまに海を見たりすると,もはや完全に闇の中だ。その中で赤いランプが点滅しているが,すぐそばの警告灯だろう。半透明なガラス窓からも,それははっきりと分かる。
21時。ちょうど「ザ・ベストテン」の特番が始まるころ,シャワーを浴びようと蛇口をひねる。何気に二つあるが,後で気がついてよく見ると,二つとも同じ“色”である。普通,左は赤いシールがついていてお湯,右は青いシールがついて水が出るというのが定番だろう。そのノリで“左の蛇口”を回してみたのだが,2〜3分ほど経っても水は冷たい。ふと,実家の不便な蛇口を思い出してしまった。「あ,ここでは逆なのか」と思って,一度“左の蛇口”を締めて“右の蛇口”をひねってみたが,それでも冷たい水しか出てくれない。今の私は当たり前だが素っ裸。いい加減に寒くもなってきた。
さて弱った。さすがに,今日の寒さでは水風呂というわけにはいかない。それに,これじゃあわざわざ500円増しと言えど,バス・トイレつきの部屋にした意味がなくなる。場合によっちゃ金を引いてもらわなくては。クーラー,立て付けの悪さ,浴衣もないし……いい加減,1階に苦情を言いに行くことにした。途中通った風呂場も明かりが消え,浴槽には何も入っていない。
「すいません。蛇口をひねったんですけど,お湯が
出てこないんですが」
「あー……すいません。上がって行くのに少し時間
がかかるんです」
一部の明かりしかついていない食堂は,すっかり静けさに包まれてメガネをかけたオバちゃんが,1人テレビを観ているところだった。なるほど,タンクから上に引き上げたりしているわけね。それならば仕方ない。でも,やっぱりボロい建物だな……そんなことを思いながら,一度止めた蛇口を再びひねる。そして,ハダカで行くんじゃいくらなんでもマズいと思って着た服をまた脱ぐこの虚しさ……。
蛇口をひねって2〜3分すると,ようやく熱いお湯が出てきた。ただし,勢いはあまりない。少し熱すぎたので,右の蛇口をひねって冷水で調節しようと思ったが,少し温くなったとはいえ勢いは変わらなかった。仕方なくそれにて“妥協”する。この辺りが,オバちゃんの言う「上がって行く」云々の実態か。ま,これも民宿ならではだろう。いつも泊まるのは,施設的に整ったところばかりだったので,物珍しさも手伝ってやたらプラス思考になる自分がそこにいる。
こんな“紆余曲折”の末,シャワーを浴び終わって再びふとんへもぐりこむ。上は上述のようにTシャツのまま。下は……ジーパンを履いて寝るのは何だか気持ち悪い。だから,まっさらのもう1組のタオルが入った袋を開け,バスタオルをちょうど女性の水着のパレオ風に腰に巻いてみる。生地が厚ぼったくて“ちょうちょ結び”に苦労してしまったが,すっかり太くなった腰でもギリギリで結ぶことができた。こんなでも自分なりの「即席寝室着スタイル」だ。夜は結構寝返りを打つようなので,確実にはだけてしまうだろうが,下半身をパンツ一丁にして寝冷えするより少しはマシだろう。
ブラウン管からは,あいかわらず「ザ・ベストテン」が流れている。でも,どこかで“チムワサワサー”になってくる。明日は繰り返すが,旅行前に見た予報だと波は2m程度だから,たとえ風は強くたって船は出る……のだろうか。まさか,これで明日フェリーが欠航になったら――ま,とりあえず,それは明日の朝に分かるだろう。伊平屋島に関するいろんなホームページを見ていたら,欠航ならば当日の朝7時ごろに放送が流れるそうだ。そして何もなければ普通通りに運航になるという。そんな情報が頭の片隅にずっとこびりついていた。
明朝に放送が流れるかどうか……後の運はこれまた「天に任せる」としよう。ベッドの中で横になりながらテレビを観ていたら,さすがに4時起きだったからか,22時過ぎにはいい加減眠くなってきて,床につくことにした。周期的に起きる“高音”と“揺れ”は,いよいよ本格的になりつつあったが,眠気が勝って次第に気にならなくなっていった。

@“ホテル”という名の民宿
「フェリー伊平屋ご利用の皆様にお知らせします。本
日のフェリー伊平屋は,発達した低気圧の影響で海
上状況が悪いため,全便欠航と致します。フェリー伊
平屋ご利用の皆様にお知らせ致します……」
7時25分。朝食に行く準備をしていた中,向かいの公民館に設置された拡声器からだろうか。そんな男性の平坦でちょっと事務的な声が聞こえてきた。テレビをかけていたのを“消音”にし,さらによく聞こえるようにと,窓を開けて聞いていた。外はもの哀しげにどんよりとした曇り空。そして,いくら最北端といえど,ここは仮にも亜熱帯の沖縄のはずだが,まるで山陰の海辺に来たかのように,空気は寒い。そして,思い出したかのように突風が吹き,建物が少し揺れる。
やれやれ,予感はやっぱり的中してしまった。現地に行ってから欠航で予定が狂ったのは,昨年9月以来2度目(「沖縄はじっこ旅」第4回第5回参照)。さらには行く前に断念・変更したのも含めれば,4回目である(「奄美の旅ファイナル」および「前線と台風のあいだ」参照)。今年度は最後まで天候に悩まされてしまった。うーん,はたしてこの島に渡って正解だったのか,失敗だったのか。
とりあえずは食堂に下りていき,メシを食うことにする。十数時間前と同じようにトレイを取りに行くと,メガネのオバちゃんが早速,
「どうやら,欠航になってしまったようで…」
と“ビミョーなトーン”で話しかけてきた。さらに,
「今日中に那覇に帰られるんでしたらアレですね。
伊是名島まで行って,飛行機ってのもありますけ
ど,それだったら空席の確認とか……」
前回にちらっと書いたが,伊平屋島と橋で接する野甫島から伊是名島に個人で渡し船が出ている。そして,その伊是名島からは那覇へセスナ機が飛んでいるのだ。しかし,車を借りている以上はこの手は使えない。あるいは,このセスナ機が客がいれば伊江島(「サニーサイド・ダークサイド」第5回第6回第7回参照)を経由していく。もし運天港に車を置いていれば,この伊江島で降りてフェリーで本部港に渡り,そこから路線バスかタクシーで運天まで行くというのもあった。ただし,伊江島から本部までフェリーが出る保証がないし,上手く出たとしてもフェリーとの接続とか,運天から那覇にどのくらいで戻れるかが分からない。フェリー以外この島から出られる有効な方法はないに等しい。
「ただ,フェリーにレンタカーを載せて来ちゃってい
るもので…」
「それじゃあ,しょうがないですね。まあ,ゆっくりし
て行かれては……」
「そうですね。またお世話になります」
これにて,延泊交渉成立である。そもそも,9月の石垣島でもそうだったが,島に来る人間がいないということは泊まる人間もいないってことであり,部屋は確保できるのである(「沖縄はじっこ旅U」第5回参照)。第一,部屋は17あるうちの四つしか埋まっていないのだ。だから延泊することはまず問題あるまい。もっとも,宿にとっては今日からの客が現在いる8人よりも多いならば,損をすることになってしまうが,逆に誰も泊まる人がいなかったってことならば,思わぬ“臨時収入”になるのだ。フェリーの欠航は決して“悪いこと”ばかりではないのだ。ただし「せっかくいないのならばゆっくりしよう」と思っていたなら申し訳ないのだが。
あとはこの島は決して大きな島でないから,ちゃんと食糧があるのかどうか……ま,1カ月2カ月という話ではないだろうし,あまり深刻に考えなくてはいいだろうが,フェリーが事実上唯一の物資運搬手段であるから,このフェリーが動かないことには追加の物資は確実に入ってこないのだ。何度となく離島のスーパーが物資不足になったという話も耳にしている。
もっとも,車をフェリーに載せてこの島に乗り込んでしまった以上は,ちゃんと車を載せて帰らなくてはならないというのもある。たしか乗り捨てのシステムはオリックスレンタカーにもあるはずだが,いくら何でもこの島に乗り捨てるわけにはいくまい。そんなことをした暁には,一体いくら取られるのか。いずれにせよ,私はフェリーでしか本島には帰れない選択をしてしまったのだ。
ま,それはひとまず置いとくとして,ひとまず朝食である。おかずは@片目の目玉焼きA納豆B骨付き鶏の唐揚げCクリームコロッケD焼き海苔EゴーヤーとシーチキンのサラダFわかめと水菜の味噌汁だ。で,白飯は今回も食い放題。もちろんお代わりをしてしまった。夕食に比べれば,朝食は実に質素。それが民宿のメシだ。そう勝手に思っている。
BCは多分冷凍食品だろう。形がきっちり整っていた気がするし,味もそんな味だった。ま,そうやってバリエーションを増やすことを否定するつもりはない。Eは昨日と同様にゴマドレッシングをかけて食べるが,シーチキンのテキトーな塩気・油気・まろやかさが,ゴーヤーの苦みをいい感じで和らげてマッチしてくれる。それがさらにゴマドレッシングの味によって,食欲をそそらせてくれる。
このメシを他の宿泊客は何を考えながら食べているのだろう。一様に私と同じ立場のはずである。はて,今日の予定はどうするか。あるいはキャンセル云々……多分,そんなことを考えているだろうと勝手に想像するが,少なくとも私がこれからしなくてはならないほどは“煩雑な手続”はしなくていいだろう。そして,また15分ほどでメシを食い終わり,トレイをカウンターに置いて部屋に戻る。テレビはあいもかわらずNHKの朝のニュースがかかっていた。
さて,私のその“煩雑な手続”だが,@今日の那覇―石垣および明日の石垣―石垣の飛行機のキャンセルAオリックスレンタカーへの延長申し出B本日宿泊のホテルハーバー石垣島へのキャンセルC石垣島の平田観光に元旦の西表島舟浮ツアーキャンセル,の電話を粛々とこなしていかなければいけないのだ。うーん,電話はタダでさえ好かないので,少し気が重くなってしまう。
とはいえ,@なんかはこれだけで4万円とかかかるわけだから,何もしないわけにはいかない。部屋に帰ると,ケータイでまずはABCをこなす。「すいません。明日の○○なんですけど,いま伊平屋島という島にいるんですが,この天気でフェリーで出なくなってしまいまして……」と各会社に話をしていく。BCについてはあっさり済んだ。キャンセル料金もかからないようだ。ま,こういうことは向こうも慣れているのかもしれない。“離島の事情”はある意味,お互いさまってことだ。
そしてAは「しょうがないですよねぇ…」という応対した男性従業員の声の後で,「もしかしたら,延長料金がかかるかもしれませんが…」と言われる。ま,そのくらいは仕方あるまい。あらためて確認するとのことで,一度電話を切ってからまた向こうからかかってくる。
「そちらはどういう状況なんですか?」
「ええ,ものすごく風が強いです。前がすぐ海なので」
「ああ,遮るものがないですからねー。那覇も少し風
が出てきてますからね」
「すいませーん。こういうことになっちゃって」
「いいえ,いいえ」
こんなような会話が展開されていったが,ひとまず明日元旦の17時半までのレンタルにしてもらった。もっとも,17時半というのは今日乗る予定だった石垣行きの飛行機に合わせての時間。那覇から羽田に行く飛行機は20時50分発だが,いろいろと変更するのは面倒だし,時間が余れば那覇の国際通りでいくらでも時間をつぶせるだろう。石垣島の宿泊と西表島のツアーは,あるいは1日後ろへスライドさせようとも思ったが,それはそれでややこしくなりそうだから,残念ながら今回はあきらめよう。明日は本島でいろいろ見て回って時間をつぶそうか。昨日金武町で行き損なっている「キングターコース」「金武大川」(第1回第2回参照)を見たりとかして。

缶コーヒーが飲みたくなったので,自販機がある1階のロビーに下りていくと,60代のオバちゃん2人が荷物を持って,メガネをかけた宿のオバちゃんと会話している。聞こえる限りだと,どうやら2人は“伊是名渡船&セスナルート”を考えているようだ。「あとは人数が集まれば…」というのが聞こえたが,他の宿泊者はどうするのか。あるいは別の宿の人と連絡でもとって帰るのか。それ以前に渡船が出るか,あるいは伊是名からのセスナの座席が取れるか。いや,それ以前に飛べるのか……。
そんな2人をよそに,私は残りの@の手続をすることにしたい。幸いというか,西表島でのツアーがもしかしたら中止したときのことを考えて『やいまGUIDE BOOK』(「参考文献一覧」参照)を持ってきていて,その巻末にJTAの1ページの広告が載っていた。しかし,そこに書かれていた電話番号はフリーダイヤル。イヤな予感がしたが,案の定ケータイからはつながらなかった。あるいは,104で那覇空港の電話番号を問い合わせて,空港からJTAのカウンターにつないでもらおうかと思ったが,元々カウンターは別の電話番号になっていて,外線をつなぐこともできないと言われてしまった。
そういや,1階のロビーに小さい公衆電話があった。早速行って見たが,金を入れてもウンともスンとも言わない。さすがにこれでは埒があかない。食堂に行ってオバちゃんに事情を説明すると,カウンター脇についているFAX兼電話を使っていいと言われた。早速,かけてみたが,何のことはなく「混雑していてかかりにくくなっております…」という女性のアナウンスが聞こえてきた。2度かけたが,いずれも女性のアナウンス。この電話も埒があかなくなってきた。ま,18時40分の出発までにつながればいいだろう。お礼を言って一旦部屋に戻ることにする。
あるいは,パソコンを使わせてもらおうか。一番よくやっているネットでのキャンセルを,というわけである。しかし,宿の人たちは別におっかない人たちではないのだが,「すいません。パソコン貸して下さい」の一言が,この緊急事態(?)なのに出てこない。やっぱり,私はシャイなのだ……いや,多分,自分を可愛がりすぎているだけかもしれない。パソコンだと少しは通信料金がかかるし,電話だとフリーダイヤルだからいくらかけてもタダである……そうやって“逃げ道”を探ってしまう。
さて,そうこうしているうちに10時になった。あとは@だけだが,これは午後からでもいいだろう。外は「強風・高波・低温」の三つが“絶妙なハーモニー”を奏でている。1年の最後がこの“ハーモニー”とは,まさに1年の沖縄奄美旅を締めくくるにふさわしい……なわけないか。明日はもしかしたらフェリーが動くかもしれない。ここ伊平屋島からは9時と13時の2便だが,何があるか分からないから,当然9時の便で帰れるものならば帰りたい。となれば,こんな天候でも今日1日は貴重な時間となる。とりあえず,マーチを走らせて島内を見ていくことにしようか。(第4回につづく)

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