沖縄はじっこ旅U

(1)ハートアイランドへ
6日朝,やっぱり6時前に起床。風はあるにはあるけれど,窓を叩くような風はもはやない。まるで今日の旅行を祝うかのような好天になりそうだ。昨日と同様に,シャワーを浴びて身支度を整えて,いざ「AQUARIUS」へ。昨日は気がつかなかったが,店名をイメージするかのような大きな水槽が入口にあって,中で熱帯魚らしき小さくてカラフルな魚が泳いでいる。これが,店の中をモロに見えなくするヒンプンの役割をはたしているのだろう。無論,水槽の中にあるのは水であるから,シースルーなのだが,おそらくそういうコンセプトがあるものと思われる。
さて,時間は6時半を過ぎた。しかし,何かもたついてでもいるのか,なかなか開店しない。ま,1〜2分くらいの遅れは,ここ沖縄まで来てとやかく言ってはならない。それに,今日はツアー参加ゆえに8時10分のホテル出発と,余裕なのである。にもかかわらず,こんなに早くレストランに来ているのはなぜかとつっこまれると弱ってしまうのだが……そんな中,後ろで並んでいた中年のオヤジ3人組のうちの1人が,「こりゃ言っとかないと」とたまたま通りかかった若い男性店員をつかまえて,「早く開けろよ。時間通りやってくんないと,予定があるんだから」と低い声でクレームをつける。「すいません」と向こうは謝っていたが,それを見てしまうと,かえって何もそこまでしなくてもと思ってしまう。1〜2分くらい遅れただけで狂ってしまうあなたの予定って一体……。
そして,2分ほど遅れて開店。昨日(第4回参照)と同じ席に座る。食べたものは,@アーサ入り八重山かまぼこ,Aかぼちゃの煮物,Bキムチ,C水菜のゴマ和え,D野沢菜,Eウインナー,Fスクランブルエッグ,Gベーコン,Hパパイヤイリチー,I生野菜,Jゴーヤサラダ,Kゆし豆腐の味噌汁,L納豆,M温泉たまご,Nあさつき(納豆のトッピング),O白飯,Pコーンフレーク。このうち,Hはパパイヤの細切りとベーコンを炒めたもので,結構クセになってごはんが進みそうなスパイシーさがある。昨日のゴーヤチャンプルーを変更したものだろう。Jは同じくサラダスパゲッティを変更したものか。こっちはゴーヤの酢の物っぽい感じだ。
それにしても,今回もまた後先を考えずにたくさん取ってしまった。取ってしまった後で,「ああ,9日は健康診断だー」などと後悔する。例えばFとMは同じ食材である。Mは家でしょっちゅう食べているものであるのだし(「管理人のひとりごと」Part19参照),出来立てで温かくプルプルして美味いFに一筋になりゃいいのだ。しかも,すべて食べてから「もったいない」とか思って食いに行ったのがPである。ちなみに,今日の舟浮ツアーでは「昔ごはん」と銘打った昼飯が出る。イメージ写真では,焼き魚や細かいおかずが竹筒の上に乗っているが,だったらなおさら昼のためにも控えなくちゃいかんかったのだ。まったく,明日こそは少しずつ胃袋を“現実”に戻して行かなくては。
部屋に戻ってテレビをつける。昨日の夕方から何度となく,那覇空港の混乱ぶりと,那覇市内の風の激しさがテレビで放送されているのを見る。「石垣空港も少しは大変だったんだよー」と言いたくなったが,まあ,那覇空港で拘束を余儀なくされて一夜を明かした人間よりは,数倍天国である。今日は何たって,平日なのである。しかも滞在を“延ばす”のである。届け出を出している私は堂々と休めるが,彼らのほとんどは欠勤ないしは事後承諾の上での有休だろう。いずれにせよ,会社や周囲に「すいません」と頭の一つも下げなくてはならないのだ。
そして,何気に一番チャンネルを合わせていると思われる「お天気チャンネル」では,あいも変わらず淡々と石垣島の天気とソングダーとサリカーのことばかりやっている。窓の外はいまいち曇っているが,天気はどうやらよくなりそう。ソングダーは8日には東北地方あたり,サリカーはまだ父島のさらに南方あたりのようだ。
7時半,電話がかかってくる。ツアーデスクからだろうか。昨日,7時半から営業するので,出発までに来て手続のうえ,お金を払ってほしいという話はされていた。でも,1万7500円なんて払うのは,そんなに時間はかからないはずだ。何も急いでどうことすることはない。出てみると,やっぱりツアーデスクからだ。
「あ,今日の舟浮ツアーなんですけど,実は西表の
波が高いので中止になったという電話が平田観光
さんからありました。そのお電話でしたので」

@ウミガメを見て,ショートケーキを食べる
ウッソー,超最悪だよ。また今日も不毛な1日だぜ,ったくよー。でも,取りあえず港には行ってみようか。ホントならばタダで行ける港までのアクセスは,またもタクシーである。いくら初乗り390円だからって,いい加減に費用がかさむだろう。とはいえ,結構港まで遠いんだよな。昨日は少し遠回りしたけど,やっぱり歩いて港に行くにはビミョーに距離があるのだ。
港までは510円。何やかやでも,初乗りでは行けない距離なのだ。そして,行ってみたのは平田観光の建物。もしかして,天候が変わってツアーをやるだなんて言い出すかもしれない。それに,西表の波が高いというのはよくあること。特に西部の上原港または船浦港は,冬期は波が高くなって欠航をちょくちょくするのである。このツアーは夏は西側の上原港に上陸するのだが,冬期は南側の大原港からの上陸となっている。しかも,上原港がダメならば大原港から上陸してツアーを催行すると聞いている。まさかツアー会社たるもの,それを忘れたわけではあるまい。
別に自分の名前を名乗るわけじゃないから,さりげなく聞けばいいのだ。早速,カウンターにいる男性に「すいませーん,今日はあそこに貼ってある(と言って壁に貼られた舟浮ツアーのパンフを指す)舟浮ツアーやりますか?」と聞く。しかし,返ってきた答えは「今日は舟浮の辺りが波が高いもので……」。なるほど,それじゃ行っても意味がない。ここはすっぱり諦めよう。
ちなみに,今日も安栄観光では波照間島行きの8時半と11時の便が欠航のようだ。早々と「欠航」と書かれた赤いプレートが貼られていた。風が大分収まってきているから,波もそれなりにと思ってはいたが,さすがにまだダメのようだ。ただし,15時台の最終便にはまだ何もついていない。あるいは「上手くすれば上手くする」ということだろうか。わずかに希望の兆し。明日の最終日は,もしかしたら波照間島に行けるかもしれない。ちなみに,もう一つの波照間海運は「全便欠航」という貼り紙が入口に貼られていた。
もう仕方がない。もはや,他の島に行くといっても行ったことのある島ばかりだ。ここは昨日ダメになったレンタカー屋でレンタカーでも借りて時間をつぶすしかあるまい。それくらいしか思いつかないのだ。昨日,石垣島レンタカーに行ったら「18時以降なら…」と言われた(第5回参照)が,もしかしたら空いているかもしれない。あいかわらずのちっぽけな事務所にいたのは若い男性。もしかして,去年の正月に応対した人かもしれない(「沖縄標準旅」第7回参照)。
「すいません。予約していないんですけど,今日
空いていますか?」
「あ,はい。空いてますよ」
あっさりである。こんなものかもしれない。壁にかかった保険の案内を指差して「こういう感じです」という説明を受けて,「自家用自動車賃貸借契約証書」なるものにサインをし(「沖縄標準旅」第7回で“ナントカ証明書”と書いたのはこのこと),いざ車選び……そう,『やえやま』では車が選べると書かれていたのだ。しかし,男性からは「この車でいいですか?」と言われてしまった。ま,別に『やえやま』に書いてある内容を持ち出してことさらに抗議しなくちゃいけないほどのことでもないから,「はい」と素直に返事する。別に不満もないし。
今回乗るのは,白いダイハツの「ストーリア」という車。トヨタのスターレットみたいな形である。見た目が少し古ぼけているけど,まあいいや。カーオーディオはカセット。元々は波照間島と多良間島でサイクリングの予定だったから,MD/カセットアダプターは必要ないかと思ったが,一応持ってきておいた。正解だった。そして,これまたキズ確認なんてのをする。前回はあったのかと思ったが,多分あるのが普通なのだろう。

さあ,いざ出発である。今回行こうと思っているのは,「沖縄標準旅」第7回に書いている以外の場所……といっても,ほとんど主要な箇所は見てしまっている。せいぜい山間部くらいだろう。目指すはとりあえず,@底原(すくはら)ダムと於茂登(おもと)トンネル,Aサビチ洞,Bバンナ公園くらいだろうか。プラスどっか気ままに集落に潜り込むってところだ。
まずは東進。一昨日バスで通った(第3回参照)のとほぼ同じ道だ。違うのは狭い道に入らないことか。国道390号線に入り,今回もまた磯辺バス停にて一時停車し,ホットスパーに入る(第3回および「沖縄標準旅」第7回参照)。ジョージアの微糖の缶コーヒー(115円)とポッカのペットボトルのさんぴん茶(147円)を購入。都合262円。飲み物はやっぱりコンビニで買うに限るだろう。ホテルじゃ,どっちか1本しか買えまい。
ここからは国道を外れ,県道209号線に入って内陸に向かう。真っ直ぐ行けば,上記@Aに行くことができる。周囲は畑のみ。目の前には高い山並み。ごく平凡などこにでもある光景だが,それがまた沖縄の離島らしからぬ雰囲気でもある。順調に進んでいくと,途中に大きな二股がある。前回ドライブ時ももらった「石垣島タウンガイド」(以下「タウンガイド」)を今回ももらったが,道なりには右に大きくカーブしていくようだ。なので,そのまま道なりに行くことにする。
すると,何とまあ国道390号線にぶつかってしまった。何のことはない。さっきの二股を左に行くのが県道209号線だったのである。多分,地名が書いてあったと思うが,地名じゃなくて「底原ダム」とか「於茂登トンネル」と書いてほしかったというのは,あまりに傲慢か。タウンガイドで調べてみると,少し北の大里(おおさと)集落辺りから再び内陸に入れる感じだ。とりあえず北進する。
進行方向右にはカラ岳という山がある。山というよりも小高い丘陵といったほうがいいくらいだが,この辺りは,ちょうど新石垣空港が建設される予定地となっているようだ――現在の石垣空港は,市街地に近く便利な反面,@利用者の増大Aコンテナ輸送が不可(現状は那覇で積み替えをしているそうだ),B騒音による苦情などの問題点があり,さらにはC空港北部にあるフルスト原遺跡(オヤケアカハチの居城跡とされる)の保護などもあって,現状位置でのこれ以上の拡張が不可能と判断された。そんな中,1999年に行政・有識者・地元住民・自然保護団体の代表などからなる「新石垣空港建設位置選定委員会」が設置されることとなる。
そして,その委員会で四つの候補地が定められ,数度の話し合いの結果,2000年4月には現・予定地で行くことに決まった。さらにその後の調整を経て,2001年5月に正式に承認されることとなった。この移転および飛行場の拡張により,@人の輸送力増大による観光客の誘致Aコンテナ輸送も可能となり,物資が容易に運べて物流が促進され,ひいては経済の発展につながるB騒音問題の解消などが見込まれるという。また,これは意外っちゃ意外なことだが,羽田行きの飛行機が宮古を経由する理由は給油のためだという。飛行場の拡張により,C飛行機も大きな機種が利用でき,給油をしなくて済む,すなわち直行ができるというわけだ――なお,候補地の一つには,先ほど通ってきた県道209号線の辺りも挙げられている。
一方で懸念されるのが,赤土の流出で南側に位置する白保地区のサンゴ礁が汚染されたり,はたまた自然の破壊や動植物の減少といったことである。あるいは,買収される土地をめぐるエトセトラってのもあろうか。この辺りは,行政としては当然に空港建設時にいろいろな配慮を払うとしているが,まあ完璧に自然に手を加えないというわけにはいかないのも現実であろう。
なるほど,現状の石垣空港の@〜Cはごもっとも。Cは遺跡に配慮ってエライじゃん。一方,新石垣空港の@については,行きの飛行機は通路をはさんで3人席の小さいヤツだったし,休み時なんかは確実に席が埋まってしまうから,大きな飛行機が就航できれば,より確実に石垣島に行くことができるであろう。でも,直行便よりも那覇経由のほうが価格が安くなるケースが多いというのは何とかせにゃ。Bは人の少なさが一目瞭然だから,少なくとも騒音問題が“減る”ことにはなるだろう。Cについては行きが直行が来られるのに,帰りが直行できないのはどういうことかという素朴な疑問が残る。しかも,北上するほうが南下するよりも,一般的にはスピードが速いではないか。距離は同じでも,ガソリンを使う時間は少なくて済むと思うのだが。
うーん,難しいけれど,個人的には別に今の石垣空港のままでいいような気がしてくる。結局は,Aが石垣島にとって一番重要な問題なのではないか。とはいえ,現状でもそれなりには島が成り立っているのだろうし,そもそも本土からの移住者や観光客は,経済が発展していき,東京と同じくらいの都市機能を持つ石垣島を必ず望んでいるのだろうか――こう書くと,まるで「石垣島はずっと“離島苦”を味わって,ビンボーでいろ」と言っているに等しいという声も出てくるだろうか。
でも結局は,簡単に行けない場所だからこそ,常に観光客が絶えないのだし,旅人は自分なりに充実した旅にしようと努力するのではないか。石垣産の食べ物でも何でも,例えば東京で簡単に手に入ってしまったら,「それでも石垣島に行こう」という東京人は確実に減るのではないか。でもって,こう書くとまた「黙っていたって観光客は来るのだから,石垣島の人間は何もしなくてもいい」と聞こえてしまうだろうか――現状でも,石垣市はかなり都市として機能していると評価できるし,「身の丈を知る」ということも必要だろう。石垣島を人間に合わせるのではなく,人間が石垣島に合わせるべきなのだ。仮に人がどんどん入ってきて物流が活発になり,所得が豊かになったとしよう。物価が上がって暮らしにくくなってしまい,今度は「都会のほうが物価が安くていい」なんて島を出て行く人が増えてしまったら,皮肉以外の何物でもないではないか。

話を戻す。少し進むと左に伸びるちょっとした広さの通りが出現。「タウンガイド」を見ると,内陸に入って於茂登トンネルに向かう道に入れるようだ。早速左折して,再び田舎道。とりあえずはスピードを上げていく。急ぐ旅でもないのに,なぜかスピードが上がる。歩いていたら見つけたであろう“何か”を,多分こうして確実に見逃していくことだろう。
やがて大きな道路と交差する。はっきり言おう。もうどこがどうなっているのかよく分からない。右に行ったらはたまた国道390号線に出るんじゃないか。自慢じゃないが,あせって方向転換すると,かえって裏目に出るケースが私には多いのだ。もう少し走って,ある程度のところで見極めよう。そう思って直進する。
すると,今度も再び大通り。こういうときに方角を示す看板があると有り難いと思うのは,観光客の身勝手だろうか。「ジュ・マール楽園」という看板があるが,どっちを指しているか分からない。ま,方角的には北だから右折である。何の根拠もなく右折してしばらくすると,ゴルフ場っぽい門。後で調べたら,ここが「ジュ・マール楽園」のようだ。どこがどういう風に楽園なのか謎だ。
そのうち,今度は「←真栄里ダム」という看板。特に見たいというわけでもなかったが,ウインカーが自然に左に出てしまった。とりあえず入っていくと山道。しかし,間もなく「通行止」の柵が。やむなく引き返し,しばらくすると左右に大きな道。看板が出ていて,左が「於茂登トンネル」とある。何のことはない。さっき交差した時点で右折すべきだったのである。あせらなかった結果,見事に裏目に出た。なんのこっちゃ。
気を取り直してしばらく進むと,やがて右に大きなダムが見える。これが底原ダム。どこにでもある山奥のダムだ。とはいえ『やえやま』には,このダムにある休憩所がなかなか見晴らしがいいと書かれている。うーん,ホントはその休憩所を通って再び国道390号線に出ようかと思ったが,見た感じじゃものすごい感動は期待できないかもしれない。ここはひとまず通過する。
間もなく,於茂登トンネル。その上には巨大な緑。石垣島…もとい沖縄県で一番高い標高526mの於茂登岳。やはり峰が高いと,ちょっとした長いトンネルになるようだ。ライトをつけて進むこと1分,トンネルを抜けると……そこは外であった。別に何の感動もない。そのまま下り坂になり,左右に走る大きな通りにぶつかる。県道石垣港伊原間線。左折すれば川平公園,右折すれば伊原間を越えて,島の北端・平野集落まで行ける。
とりあえずはここを右折する。間もなく左には海が見え出した。車はほとんど走っていないし,左に海が見えるとはいえ,右は森。それがずっと続いていくから,景色そのものは単調だ。このまままっすぐ行こうかと思ったが,それもまた不毛な気がしてくる。北側はすでに見に行っているのだ(「沖縄標準旅」第7回参照)。それに,何となく底原ダムも見てみたい…というか,見ていないところを見たということで,少しでも元を取りたい。適当に折り返すことにする。
が,素直にトンネルに戻らないのが天邪鬼な私。途中の海沿いのちょっとした車1台が入れるようなスペースに車を停める。砂浜まで30秒。空は少しどんよりしてきた。遠くには白波が高く上がる。近くでも寄せる波が心なしかうるさい。やっぱり,ソングダーの影響だろうか。この辺りは浦底(うらそこ)湾と言われているようだ。
来た道を戻り,ライトをつけてトンネルをくぐると……そこも外であった。いやいや,左に広い道が見えたので,ここを左折する。山の中を進んで数分。底原ダムが見渡せるところで車を停める。ここが休憩所なのか分からないが,ひとまず車が数台停められる広さはあるからよしとしよう。この底原ダムと,行き損なった真栄里ダムとも,下流はマングローブとエコツアーで有名な宮良川だ(第3回参照)。その宮良川の氾濫防止と,一方で干ばつ防止のための水がめに造られたダムということだ。
と,ここで突然のにわか雨。それも外に出られないのはおろか,車の中にいても恐怖感を感じるほどの激しい雨だ。“パンパンパンパン!”と,サッシに雨粒が打ちつけるときの音がする。あるいは雹でも降っているのか。はて,フロントガラスが割れやしないか不安になる。ここまでほぼ晴天続きだったが,ついぞ天気にも見放されたか……とはいえ,ここで停まっているわけにもいかない。ワイパーをめいっぱい動かして先に進むことにする。
ちなみに,雨がたまたま小降りになったときに,山の斜面に石碑が見えた。ある意味,突飛なところに建てたものだと思い近づいていったら,「鳥獣魂供養之碑」と書かれていた。石もまだキレイで,ウラを見たらば2001年2月の“猟友会”という団体による建立とある。うーん,謎だと思って調べていたら,ここ石垣島ではないが西表島で同様の石碑に関するページを見つけた。それによれば,わなでのイノシシ猟が古くから盛んで,古い集落では文化として生活の中に根付いているという。島が違えば風習も違うだろうから一概には言えないが,この辺りでもあるいはそういう狩りが――あくまで趣味の世界かもしれないが――行われているのかもしれない。
さて,その石碑を通り過ぎると再び激しい雨。まったく,今日のドライブという選択は正しかったのだろうかと,自分が恨めしくなってくる。10分ほど山と畑の中を走り続けると大きな道。国道390号線。なぜかホッとする。やれやれ,地図で確認したところ,さっき再び内陸に入ったところからさして離れていなかった。まったく,遠回りしてよかったんだかツイていなかったんだか。

@ウミガメを見て,ショートケーキを食べる
車はひとまず北進する。周りの景色をのんびり見てもいいものだが,やっぱりここも大いに素通りしていく。前回ドライブ時に見た玉取崎展望台もあっさり通過。川平への県道の分岐点も通過。伊原間集落も通過して,向かった先はサビチ洞。「八重山サビチ洞」という大きな看板が右に出ている。入口こそかなり広く,周囲に花が植えてあって整備されているが,少し丘陵っぽいジャリ道だ。そこをクネクネと入っていく。途中であまりに道がガタガタだったり,逆に出ていく車もいるものだから,「はて,入ってよかったのか? ひょっとして営業前か?」と思ってしまったが,入ってよかったらしい。1分ほどで車が数台停められる駐車スペースに到着。ここで車を降りて通路を下る。
周囲は一気に森と化し,パックリと不気味に大きな口を開けている。あるいは,観光洞窟というよりも,戦争の避難に使われたガマの印象すら抱く(あるいは実際に使われたのだろうが)。入口に売店。明かりがついていて,営業しているようだ。三線のインストCDらしき音が聞こえてくる。売店で声をかけると,50代くらいのオバチャンが1人。入場料は700円。それなりに高いが,それよりも手元には万札しかない。はて,こんなとこ(失礼)じゃ万札に対応できないか。入るのをあきらめなくてはならないか……しかし,向こうは「はい,大丈夫ですよ」とのこと。
入口脇には白い案内板。いわく開口部の大きさが18m×48mで,主洞が231m,支洞が85m。幅は平均15m,高さは同12mほどで,3万年ほど前にできたもので,海に通じている貫通型洞窟とのことだ。開口部が大きい洞窟というのは,沖永良部島の昇龍洞以来である(「奄美の旅」第6回参照)。入口では先ほどの雨の影響か,ゴーゴーという水の音がする。見れば左には小さな滝があり,激しい流れがある。その先には澱みがあるが,ここは2mにもなる大ウナギがいるそうだ。でも,残念ながら暗くてその姿を見ることはできない。
この洞窟,幅が広くてさらにはセンサーで明かりがつくのは有り難い。足元も少し濡れて滑りはするが,ほぼ安定している。700円という入場料をだてには取っていないのだろう。道は下っていて,先に進むとたくさんあるのは甕や壷の類いだ。甕は厨子瓶(ジーシカミ)と呼ばれる,小さい家か社の形をしたものがかなりある。これ,早い話が骨壷で,遺体を土葬はたまた風葬で骨にしてから,その骨を洗って入れるのだそうだ。よく見れば,窓のようなフタのようなものがついているが,これは湿気取りおよび死者の魂の出入口だという。一方の壷は,真ん中がふくらんだ“何とか式土器”という名前がぴったりの形。(豚の)油や塩を入れたり,調味料なども入れたそうだ。「スーチカ」と呼ばれる豚肉の塩漬け用の壷もあったりする。
そうそう,ここはあくまで鍾乳洞なのであって,それなりに「コウモリの巣」「ナイアガラ」「神殿の間」などといたタイトルにふさわしい形の鍾乳石も見られる。水も次第にキレイになってくるし,風も外の蒸し暑さがウソのような涼しい風が吹いてくる。左にはさっきの澱みから再び川の流れになっていて,それが静かに流れているかと思ったら,途中から通路に流れ出している。それも思いっきり。ちょうど通路にブロックが積んであって,そこを歩けということだと思われるが,多分さっきの雨でそうなったのではなく,元から通路にあふれ出ているのだと思われる
そのうち,下が岩だったのが砂地になってきた。と同時に,目の前で天井が一気に低く垂れ込める。そして外の明かりが見えた。背をかがまないといけないくらいで,そこを通り抜けるといよいよ海である。左右に分かれており,右へ行く道はすぐ途切れる。目の前は岩肌に激しく打ち寄せる波。水の色は少し濁ってすらいる。雨の影響だろうか。はたまた赤土が流れ込んで……って,ここいらじゃそれはさすがにないか。打ち寄せる波の強さを見るたびに「これじゃ西表には行けなかったな」と,自分を納得させようとする私がそこにいる。
一方の左は,結構長く道が続いている。下は再び岩場。しばらく行くと小さい観音様。上からは逆三角形の岩が下に刺さるように垂れている。多分,御嶽なのかもしれない。そのままさらに進んでいくと「ここよりUターン」の看板とともに,下には砂浜。20mくらいのプライベートビーチ……というにはサビチ洞の敷地の中だろうから,おこがましいか。ここで引き返すことにしよう。
再び車に乗り北進。この辺りは「沖縄標準旅」第7回にも書いている通り,島で一番くびれた場所である。しばらく進んで,進行方向右にある明石(あかいし)集落に入る。集落の入口ではスプリンクラーが回っている。周囲のさとうきび畑に撒くためのものだ。その脇をすり抜ける。入口より100mほどは道が広くなっていて,その終点には,共同店と保育園と「地域総合施設」という建物とバス停のポール。近くに転回できるスペースがあるから,平野行きあるいは平野から戻るバスがここまで入ってきて転回していくのだろう。地方のバスのルートらしい。
でもって,その先からは乗用車1台が通れる程度の狭い路地。テキトーに入っていったが,海には辿りつけずに再び国道に引き返した。後で確認したら,この近くには「明石食堂」という八重山そばの美味しい店があったようだ。店はいろいろなガイドブックやホームページで紹介されるほど有名らしい。また,近くにはスカイダイビングができる施設もある。バックになだらかな山があるからだろう。
先へ進む。今度は進行方向左にある久宇良(くうら)集落に入ってみる。こっちにもバスが入ってくるようで,車がすれ違える程度の幅の道は,十字路にぶつかると右に道なりに折れていく。この十字路が少し広くスペースが取られていて,その角にはご丁寧にバス停のポールが二つある。一応,往路と復路用に分かれているのだ。もっとも,1日に片手で数えられる本数しか走っていないのだから,ムダっちゃムダなのだろうが,こだわりでもあるのか。こういう感覚は何となく笑えてしまう。
とりあえずは,その十字路を過ぎて集落の中心へ入っていく。途中には共同店と小さな郵便ポストがあり,買い物に来ていたと思われるオバチャンが,私が通り過ぎて行くのを見て「何事!?」と言わんばかりの驚きの表情をしていた。さらには道路に思いっきり工事用の砂がぶちまけられていたりと,人のあまり入ってこない集落であることがよく分かる。この奥には石垣島でも随一の静けさと美しさと呼ばれる久宇良ビーチがあり,広い駐車場も完備されている。私は今回は入っていかなかったが,週末ないし夏のシーズンならまだしも,こんな9月の平日の午前中にレンタカーが入ってくるなんざ,さっきのオバチャンには想像もつかなかったってとこだろうか。

さらに車を進めるが,今回は前回ドライブ時に行った平久保崎は通過。でも,一応どんづまりの平野集落まで行っておく。前と同じように,バスの転回場で転回。後は来た道をひたすら引き返し,川平への分岐点を右折。数時間前に通った浦底湾を通過。もうこの辺りはひたすら走るのみだ。そのうち於茂登トンネルに向かう道の入口も通過する。
間もなくすると「←ヤエヤマヤシ群落」の看板。ここは見たことがない。ま,大したことはないだろうが,時間つぶしにはいいだろう。狭い道を上がっていくと,どんづまりに数軒の土産屋と奥に駐車場。肝心のヤエヤマヤシは,駐車場から土の遊歩道を入っていく。で,いくらも歩かないうちに,十数m〜20mはあるノッポのヤシ林に辿りつく。このとき上を見上げなかったことをつくづく後悔したが,あるいは原始時代辺りにタイムスリップしたような感覚に襲われたかもしれない。そんなことよりも,むしろ私の関心は根っこに行っていた。フラダンスのフラのような,ある意味“シュール”な胞子状の根っこが,まるで地殻変動で持ち上げられたかのように露出していた。しかも,すべての木で。
ここでは,群落を見る前に土産屋に立ち寄った。大きな看板で「さとうきびジュース」と出ていたのだ。今までコイツを飲んだことがない……そういや,那覇の牧志公設市場に行く途中にジューススタンドがあるが,そこで誰かタレントがこのさとうきびジュースを飲んで「甘くてメチャクチャ美味しい」と言っていた。そんなに美味いのか……単純っちゃ単純だが,今回飲んでみることにしたのだ。ちょうど他にも4人客がいて,私も含めて都合5人が注文することになった。
ここでは――あるいはどこでもそうかもしれないが――,40〜50cmほどにカットされたさとうきびを,1本ずつ圧搾の機械に差し込む。ちょうど,パスタを薄く伸ばすときに使うような機械である。そこを通ると,さとうきびは,あわれペシャンコにつぶされる。そしてカスカスになったものは,向こう側にある土の溝にボトッと落ちてオダブツとなる。あるいは適当に掃除されるのか,はたまたそのまま土葬となるのかまでは知らない。でも,少しワイルドでいい。
その機械の下には,金属の大きな受け皿がセットされている。注ぎ口もついた便利なヤツで,そこに圧搾された樹液がこぼれ落ちるようになっている。ちょうど,上記のカットさとうきび1本がジュース1人前の分量のようで,プラスチックのカップに大量の細かく砕かれた氷が入れられ,ジュースが注がれていく。色はベージュ色とも黄緑色とも言えるだろうか。一気に5人分できないのが哀しいっちゃ哀しいが,仕方がない。この待ち時間もまた“調味料”となるのだ。
そして,いざ味わうと……なーんだ,別に大して美味くないじゃん。味はココナッツジュースに近いだろうか。「メチャクチャ美味しい」どころか,さして「甘い」とも思わない。あるいは,天然の甘味なんてこんな程度の甘みなのかもしれない。いつも味わっている甘味は,多分人工的に作られたものなのだろう。アホな私は実は黒糖とかの甘味を想像すらしていたが,あれは煮詰めたからあれだけ甘いのだと冷静になってみる。ま,「また飲みたいか?」と聞かれれば,「ぜひ」とは言わないと思う。
車は川平湾に向けて進む。すると,今度は「→トミーのパン」という,白地に文字はスミにオレンジのふちどりという体裁のちっぽけな看板だ。ひょっとしたら,反対側から来たら見逃してしまうかもしれない……おお,ここが「トミーのパン」か。たしか「美ら島物語」だかで記事を見たことがある。パンぐらいなら,何とか腹に収まると思う。早速道を折れると,ものすごいジャリ道。無論,すれ違いなんてできない狭さ。一瞬,ホントにこれでよかったのかと思ってしまうくらいだ。海に向かって下っているが,かなり高いところにあるようで,海は少し遠くに臨むことになる。
店は1〜2坪程度の広さしかなく,奥の壁に10種類くらいのパンが並べられている。右はカウンター。おばちゃんがレジをやっていて,その奥が作業場のようだ。ちょうど,その作業場から白い帽子とエプロンをしたおじさんが出来立てのパンを持って出てきたところだったが,多分2人は夫婦であろう……それにしても,実にそっけない建物。外観は,失礼なたとえになるかもしれないが,街の公衆トイレ程度の大きさであり,かつ見た目であると思う。ちなみに,かつては別の場所にあったそうだが,今年現在の場所に移ってきたそうだ。巡り会えたのは,ある意味ラッキーだったと思う。
さて,並べられている中から選んだのは「紅芋アンパン」(150円)。大きさは直径10cm,標高6cmほど。形はたまねぎっぽく,下は丸くて上に向かってとんがっている。しかし,これをトングで持ち上げようとすると,かなりの重さがある。まるで,オモリを持ったような感覚になる。300gほどはあったのだろうか。重さと腹の具合からして,もう一つ何かパンを買おうという気にはなれず,レジへ。おばちゃんは淡々と茶色い袋にそれを入れてくれる。あるいは「1個しか買わないなんてケチくさいヤツ」と,ぞんざいに扱われたのだろうか。
県道に戻って,途中で車を停める。袋の底を持つと熱い。まさしく出来立てなのだろう。早速ほおばると,外の皮は香ばしくてパリパリ,中はしっとりふんわりである。と同時に,中の空気が抜けたようで,“たまねぎ”は少ししぼみ加減になっていく。底のほうには藤色の餡が,立派に“地層”になっている。甘さは控えめだ。多分,数人で違う種類を1個ずつ買って分けて食べると,いろいろな味を楽しめていいのではないか。美味いパンだと思うが,1人では味にどうしても飽きが来て,また腹持ちがまだよかったこともあり,到底丸ごと1個はきつかったが何とか食す。他に買わずに正解だったと思う。

こうして,石垣島レンタカーには13時半に到着――え,ずいぶん端折り過ぎだって? いやいや,後はホントに車を走らせただけである。川平湾にも行かなかったし,途中で内陸に進路を取って,バンナ公園にも入口までは行ったけれど,駐車場への道がクネクネしているうえに,目的地の位置がよく把握できずに断念。ちなみに,前回紹介した“戦争マラリア”の慰霊碑を見たかったのだが。
で,いざ精算。オバチャンがやってくれたが,5時間半ということで5500円。そのときは安いと思ったが,後で『やえやま』を見てみると,6時間以上で5500円とかいう店もあったりして,どうやら,この「1時間1000円」というシステムも,さして優れたものではなかったと思ってしまった。あるいは,またも不毛な半日を過ごしてしまったがゆえの,いつものマイナス思考だろうか。(第8回につづく)

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