沖縄標準旅(全9回)

(12)竹富島へ
元旦の朝。除夜の鐘を聞かなかったおかげで,朝6時に目が覚めた。ここ3日ほど眠りが浅かったので,実によく眠れた。
せっかく朝早く目が覚めたので,今日は竹富島と石垣市内を見ることにする。実は夜更かしする可能性も考えて,今日はフリー,すなわち「予定がどうなってもいい日」としていたのだ。万一,wowowが宿に入っていて,でもって桑田佳祐のコンサートを朝の3時まで見ようものなら,wowowがなくてもテレビがもっと面白かったなら,あるいは昨夜の石垣市役所でのカウントダウン・イベントがエキサイティングなものだったら,午前中は(いい意味で)どうにもならなかったかもしれない。しかし,昨日のVOICE BOYS諸氏の,素晴らしきトチリ…いやハモリのおかげで,見事にあきらめがついた。ありがとうVOICE BOYS諸氏,って感じである(第5回参照)。
と同時に腹が減る。午前7時と同時に軽食である。何かと思ったら,おにぎり2個,そばと汁のみの沖縄そば,こぶ巻と豚肉のごぼう巻と,豚の角煮とかまぼこの煮物,コーンフレーク(ミルク入り)だ。ちなみに煮物なのに,張り紙には「サラダ」と書いてある。どこをどう見たら,サラダになるのか。
朝食をさっさと食べ終わり,ダッシュで用意の上外出。石垣港に向かう。まずは竹富島からだ。たしか,記憶に間違いがなければ,7時半くらいの船があったはず。
石垣港に着くと,ドンピシャ。7時半発の船が出港しようとしていた。急いでチケットを買う。さすがに,朝だからか,あるいは元旦だからなのか,港付近は静かである。そして,客は私を含めて7人。ってことは,やっぱり元旦だからだ。私みたいに,節目も何も関係なく,動き回ろうとする人間なんぞ,いるわけがないのだ。
7時半出港。こうして人生始まって以来と言ってもいいくらい,元旦らしくない元旦の1日が始まったのだ。

海は波が高い。昨日の天気予報でも高波の海上警報が出ていた。まあ多少揺れるっちゃ揺れるけど,船は小さい高速船なので、いい勢いで進んでいき,7時40分に竹富島着。降りてふと足元を見ると,スポーツ新聞の脇に,寿司入りオードブルが数個。やっぱり,今日は元旦,正月なのである。
マイクロバス…と書いてワゴンという乗り物が岸壁にやってくる。親子連れが乗るようだ。中心部と港を結ぶやつだが,徒歩でも15分で行けるものの,そこに便乗してしまう。親子連れは「高那旅館」というところまで行くようだ。
と,隣に座ってた地元のおばちゃんが,「高那(旅館)の人が迎えに来んのかね?」と言う。よく見ると私に言っているようだ。私が「すいません,僕違うんです」と言うと,「じゃ、どこ行くの?」と聞く。「島の中心部まで」と,さりげなく運ちゃんにも聞こえる返すと,「じゃあ,高那は中心にあっから大丈夫」とおばちゃん。どうやら,運ちゃんに自己申告しなくてはならなかったようだ。
それにしても,この港からの立派な舗装道路は何だろう。前回旅行のときに,こんなのあったか? と,いきなり書いても行ったことない人には分からないだろうから簡単に記すと,面積は5.41平方km。30分もあれば島を縦断できてしまう小ささ。でもって,島の道路のほとんどは狭いジャリ道で未舗装。その素朴さが竹富島らしさ……だったのが9年前。港こそいろいろ船が泊まるから,それなりのスペースは9年前もあった。しかし,いざ道路に入ると途端に狭くなったような記憶がある。
で,今回はと言えば,車1台しか通れないならまだしも,片道1車線は有にある。この,言ってみれば「異変」は何だろう。いや「異変」は言い過ぎかもしれない。9年も経てばいろいろと変わる。それだけのことだろう。

しかし1分30秒後,高那旅館にて下車するころには,道はあの狭さ・あのジャリ道になっていた。やっぱり,竹富島は竹富島だった。ちなみにワゴンは一乗車150円である。天気も陽が昇るにつれて,青空が見え出してきた。
ジャリ道を歩く。時間は朝8時。実に静かである。くどいようだが,朝だからか正月だからかと言えば,多分正月だからだろう。だが,時期に関係なく一つ言えること。「この島にはウォークマンはいらない」――普段,私は街を歩くときに必ずと言っていいほどウォークマンを聞いているタチだが,集落のこじんまりさ・素朴さによって生まれる一種の「閉塞感」によって,この島の中では,いまこの瞬間はこの静けさ。そして昼になり人が活動しているときは,その営みの音が実にいい音楽となり得るのだ。今,たまに聞こえてくるのは鳥のチュンチュンするさえずりくらい。たまにカラスが鳴きながら飛んでくるのは,ご愛嬌である。
間もなく,西塘御嶽(せいとううたき)。「御嶽」をインフォシークで調べると,「沖縄地方で,ムイ・ウガン・オンなどと呼ばれる聖地の総称。多くは村の信仰の中心となる聖域で村の祭りが催され,神女(のろ)が祈願する(ママ抜粋)」とある。西塘というのは,琉球王朝時代に八重山諸島を統治した竹富島出身の人物だそう。その人を奉っていると思しき石の拝殿には,「寿」の一升瓶2本,鏡餅,重箱に入って米が奉納されていた。これも正月だからだろう。向かいには民芸館があるが,さすがに閉まっている。外は陽が出てきたものの,まだ雲が多い。初日の出って,はたしてこの島ではあったのか。気温もやや寒く,風が吹けばジャンパーがあってベターな状況。沖縄も,いまは冬なのだ。

さらに10分も歩くと「なごみの塔」に着く。小高い丘の上に,塔というより石で造った超急で超狭い飛行機のタラップがある。登ってみる。
1段の高さは30〜40cm,横幅もそのくらいだろう。角度にして約60度はあるだろうか。当然,登るのに一苦労する。元々は見張り台だったというが,逆にそういう登りにくい形にすることで,むやみやたらと人を登らせなかったのかもしれない。
たかだか9段の階段を登るのに1分近くかかった。高さは7〜8mほど,3〜4階建ての高さだろうか。さすがに海は臨めないが,集落を一望することはできる。何度か書いてきたが,改めて屋根が特徴的である。よく見ると,赤瓦に白のふちどりと黒のふちどりとに分かれている。
近くに寄ってみると,白は石灰石の白だろうか。黒はふつうの黒石…というか,その辺にある石だろうな。建物は木造。もちろん改築等して新しくなっているのもちらほら見られるが,古い木造の家のほうが多い。とかく画一的な建物の多い日本には,明らかに異質な光景だろう。塀も丸やら四角やらいろんな形の石を,一つ一つ手で積み上げたのだろう。それらがすべて組み合わさって,機械にはできない,ある種の芸術品を見ている気分である。
丘には丸く花壇があり,鮮やかな黄や赤の花が咲いている。丸く花壇を形作ったのは人の手だろうが,咲いているのは花の生命力と温暖な自然の賜物だろう。

入ったときと別のところから出る。こっちは,いわゆるメインストリートだろう。小さい民宿や食堂があり,観光センターもある。観光センターでは,朝8時だが店員(家族か?)が始動している。そういえば集落を歩いているとき,観光用のマイクロ…いやワゴンと5〜6台すれ違った。結構,観光客が来ているのだろうか。建物の向かいでは,水牛が5頭停められている。後ろに車をぶらさげているので,観光用であろう。まだ仕事前だから,のんびりしたムードだ。
また,センターの近くには「やらぼ」という食堂がある。ここは前回旅行で飯を食った場所だ。500円の八重山そばがとても美味しかった。さすがにまだ閉まってはいるが,ガイドブックにも載っているし,時間ともなれば満席となろう。
8時15分。世持御嶽(ゆーむちうたき)という広場の前。傍には,上間廣起(うえまこうき)氏という人の胸像。町に小学校を作るなど,多大なる影響を与えた人らしい。その隣には戦没者慰霊碑も。島の人間はたしか300人だったか。その島民全員が入れる広さはある。おそらく,昨日は何かイベントがあったのか,鉄パイプが少し残っている。
と,集落にある拡声器(スピーカーというのか。町の中心に立っているやつ)より竹富町長の新年のあいさつが流れてきた。しつこいが,今日は元旦なのだ。生声か,はたまた録音かは分からないが,5分ほどで終わる。
すると,今度はどこかの家から琉球民謡が聞こえてくる。偶然なのか仕込みなのか景気づけなのか分からないけど,静かな集落が次第に活動を始めるのだろうと思う。

島の集落を離れ,北岬へ行くことに。こっちは未踏の場所だ。まもなく左にはシダ林が現れ,右は広い荒れ地が続く。フジテレビで昨年の今ごろやっていたドラマ「人にやさしく」で,香取慎吾と松岡充,加藤浩次らが,みすぼらしい格好をしてTHE BLUE HEARTS『夢』のオープニングとともに,向こうから歩いてくるシーンを思い出させるようなジャリ道である。実際の場所は御殿場だそうだが,ここで似たような格好で「人にやさしく」のフリで男が数人歩いてきたら,それはそれでなかなか…いや,やっぱり恥ずかしいか。
と,突然林が開け,亀甲墓が二つお出まし。墓は3m四方はあり,それより一回り大きい草地が囲む。何もないところにこの突然の存在は不気味な限りだ。不謹慎ながら,肝だめしには格好だと思う。インターネットで調べるまでは,土地が余ってるから建てたのかとか,こんなとこにおもむろに建てて…と思っていたが,墓の所有者がいつでも気軽に入れる家という感覚で造ったのかなと,今にしてみれば思う。
この北岬に続く道は結構長い。集落から外れると風情はぐっとなくなるから,ついにウォークマンが恋しくなる。ヴォリュームが自ずと上がる。たまに舗装された道が横切る。進行方向で右に曲がれば,今朝降りた港へ行くと思われる。が,横切る道は2本だけ。地図では1kmくらいかと思われるが,逆に言えば1kmってそんなに長い距離だったのかと思わせるほど,周囲は何もなくて茫洋としている。いや,あるいは「寂寞」に近いものかもしれない。

時間は刻々と過ぎ,集落から20分ほどで北岬に到着。岬は護岸工事が施されていて,下も岩場なので海水浴には向かないだろう。海の向こうに見えるのは石垣島。おそらく,唐人墓や観音崎あたりであろうか。脇にも御嶽と思しき祠があり,林に囲まれて鬱蒼としている。
時間は9時。来た道をやや戻り,途中を右折。島の西にあるコンドイ岬と星砂の浜を見るつもりで,集落を通らずに海沿いを行こうとしているのだ。距離はおそらく2kmはあるだろう。今来た道の倍になるかもしれない。周囲は右も左もシダ林である。が,一部には朝顔とハイビスカスが花を開いている。この,冬なのにどこか夏しているのが,沖縄の八重山ならではなのだろう。
はて,石垣に戻る船は,9時45分に出た後は10時15分だ。はたして間に合うだろうか。
というのは,実はこの後,石垣ではバスターミナルより川平(かびら)湾あたりを通って北進し,平野という島の最北端集落まで行き,20分折り返しで再び南下して石垣バスターミナルに戻る,というバスの乗りつぶしをやろうとしているのだ。バス会社・東運輸のホームページでは,
  ターミナル1340―伊原間(通過)1440―平野(20分折返)1510/
     1530―川平(通過)1650―ターミナル1730
となっていたので,午前中ゆったりと竹富島を見て,午後よりこれまたゆったりと石垣島内バスを楽しむプランとなっていた。ちなみに,伊原間(いばるま)までは前回旅行で行っており,その北側が未踏なのである。
ところが,昨日空港からのバスを降りて,ターミナルにあった配布用の時刻表を見たところ,
   ターミナル1030―川平(通過)1110―伊原間(乗換)1200/1220
   ―平野(20分折返)1250/1310―伊原間(通過)1340―ターミ
   ナル1440
と,正月時刻になっていたのだ。ホームページをすっかりあてにしていた私は,石垣島ではレンタカー予約をしていない。となれば,@石垣島をバスで回った後竹富島に行くか,A竹富島を先に見た後石垣島を回るか,という選択になるのだが,@は石垣での大晦日が“充実した”場合のケース。で,実際はVOICE BOYSのおかげで爆睡後朝6時起き。よって,私はいまAのプランを遂行している最中なのである。
黙々と目的地に向かって歩いていると,前方よりマイクロバス…と書いて,今度は本物のマイクロバスが1台,人をたくさん乗せてすれ違う。と,今度はワゴン。これも人が結構いる。さらにワゴン,次はマイクロバス,マイクロバス,ワゴン,ワゴン……と,都合7台とすれ違う。みな客を乗せて同じ方向に向かうということは,団体客が押し寄せたのだろうか。この正月という休みのときに,ゆっくり家で過ごしておれん人間がこんなに多いのか? それに,この島民も島民だ。正月くらいは観光も休んで……という感覚はないのだろうか。みんなそろって,年末年始の感覚麻痺,万歳である。まったく,商魂見事な限りだ。

9時15分,コンドイ岬到着。ここは前回旅行で来た。3月だったが,陽射しが強くてTシャツ1枚で訪れた。青い空・青く透き通った海,そして何よりも,誰もいない白い砂浜だったが,すべてが明るく眩しかった。沖縄に来て初めて海らしい海,沖縄らしい海を見たと思ったものだ。その感激と,湘南とかの(失礼ながら)汚くて俗っぽい海しか見たことがなかったので,ひどく気に入った記憶がある。
そして,この場所にてぜひ聴きたい曲があった。織田哲郎のセルフカバーアルバム『SONGS』(1993年)に収録の『BE MY VENUS』である。詳細はアルバムを聴いていただきたいが,ストリングスとホーンセクションとバンドサウンドとがしっかり融合して,爽やかでゆったりとした,しかしながらスケールの大きい夏の曲に仕上がっていて,織田の才能がいかんなく発揮された曲だ。そんな曲をぜひビーチにて聴きたくなった,というのが発端だ。
以上は9年前の話。今度も,人が自分以外は1人しかいない。この静けさは何なのか。あのすれちがった観光客はここを通り過ぎてしまったのか。だとしたら,もったいない話である。それくらいにいい海岸だと思う。さすがにTシャツにはなれないが,風は心地よい。9年前の景色と変わらない。
で,今回の曲はといえば,NOKKOの『人魚』を聴いている。こっちはこじんまりとした,テクノ系のテイ・トウワによる打ち込みの曲だ。間奏のところでシンパルかドラのように聞こえる音が,どこかアクアっぽい,表題らしい曲だ。この曲も海によく合うものだ。間もなく曲は終わり,次のEXILE「song for you」に移った。

次は星砂の浜である。ここも未踏だ。来た道を戻って,ジャリ道を目的地まで向かうことも可能だ。しかし,目的地の方向を見ると,砂浜は海に向かって大きく湾曲しているが,どうやら星砂の浜までつながっていそうである。足を多少取られるが,歩いて行くことにする。目前には,さっきいた人が歩いている。
時間は9時20分。ルートとしては,ここから数百メートル砂浜を歩いて,再び集落を通り港に行くわけだが,9時45分の船に間に合わすなら,集落でいいタイミングでマイクロバス(ワゴン)をつかまえないとムリである。とはいえ,ここまで来て星砂の浜に行かないのももったいない話だ。無計画さを恥じながら,自ずと足を速めようとする。
5分ほどすると,さっきの人の前を過ぎる。その人は若い二十歳くらいの女性。どうやら携帯で誰かと話をしている。そういえば…と,自分の携帯を見る。見事「圏外」である。ボロッちい携帯だ。ここでどうかなったら,私は死ぬしかあるまい。
だんだん湾曲の先端に近づいていく。と,2〜3人向こうからこっちへ向かう人がいる。すれ違うと,今度は男性3人組。大学生くらいか。そして,間もなく星砂の浜に到着する。
なんだ,この人の多さ。30人はいる。客は団体客だろう。しかも,簡易なやつだが出店が2軒ある。ゴザに座って売り子の女性が売っているのは,サンゴや貝のネックレス,そして星砂だ。どうしても星砂が欲しい人は買っていくのだろうが,まずは自力でとばかりに,みな身体をかがめて一生懸命に名前通りの「星砂」を探している。星の形をしているやつは,実は有孔虫というやつらしい。要は生き物だ。しかし下は砂浜もあるが,結構岩場が露出している。こんなの砂浜じゃない…と,コンドイ岬を見ている私は思うが,客を呼べる珍しさではこっちのほうが上なのだろう。
ふと,私も砂をすくってみる。何も見つからず,とっとと払い落とした。

ガイドブックを見る。ここ星砂の浜から港までは2kmは楽にある。もはや,9時45分の船はあきらめるしかない。次の10時15分に乗って石垣まで10分。船着場からバスターミナルまではダッシュすれば1〜2分で行ける。船が遅れたらそれはそれで仕方ない。ターミナル付近に2軒レンタカー店があるが,とりあえずダメ元で聞いてみるか。最悪,レンタカーもダメでバスにも行かれたら,石垣島一周はあきらめて,平野までの往復という手もある。
そうとなれば,なんとなくは“スケジュール”が楽になった。道の両側は林である。地図通りに間違いなく歩いてはいるが,時折,10時15分の船も危ないかと思うほど,遠く感じることもある。
間もなく目の前が開け,突然舗装道路が出てくる。立派な道路だが,ものの50mも舗装されてなく,すぐジャリ道となる。まだまだ竹富の道路事情は発展途上なのだろう。改めて,こんな舗装をして島の雰囲気はどうなるのかとも思ってしまう。ただ,それは「非現実」という中にある観光客の立場の意見であって,ここで生活をする人には,極論だが死活問題なのかもしれない。あるいは,ひいては我々観光客の利便を考えているのかもしれない。
間もなくして,喫茶店「ちろりん村」にぶつかる。ここは集落の南端。ここからまっすぐ北上すれば港に行ける。喫茶店は閉まっていたが,店内にはボンゴが置いてある。何に使うのだろうか。
さらに北上すると小高い丘がある。「ンフブル丘」というらしい。水牛が一夜でこの丘を作り上げ,「ンフブル、ンフブル」とその頂上で鳴いたらしい。興味深いが,ガイドブックを見ると有料らしい。しかし人気はない…と思っていたら,おばあさんらしき人の歩く姿。小高い丘で金を取られて,「ンフブル,ンフブル」と私が泣いてしまわないとも限らないので,通りすぎる。脇には「人頭税廃止・100周年碑」という石碑。そして,その先には中筋井戸(なーじかー)という井戸。2m×4mほどのだ円形。水は紺碧色でまずまずの透明度。ポリタンクが置いてあるので,何かの折に使われているのだろう。
最後は竹富小・中学校。集落で唯一だろう2階建ての建物は,立派な絵が描かれていた。

間もなく,右にレンタサイクル店。時間は10時ちょい前。女性2人組が自転車を借りている。時間的にも人が次第に増えてきているのだろう。そして初めに降り立った高那旅館を左に見ると間もなく,道はあの立派な舗装道路となった。
行きはビューッと走りきったので分からなかったが,歩いて分かるものもある。といっても,大したものではない。何気ない小屋があって,ゴソゴソ音がするのでのぞいてみたら,ヤギが2頭いたこと。そして墓地があり,例の亀甲墓,破風墓,そして公共の墓地なのだろうか,それらをアレンジした作り物的な墓もあったこと。が,よく見れば墓の屋根の上には,我々がよく目にする直方体の墓石。「屋上奥を重ねる」とはまさにこのことか。島によっても,いろいろと風習が微妙に違うのかもしれない。
10時9分,竹富港着。港にはざっと12台のワゴンやマイクロバス。団体で写真を撮る姿もある。脇には近隣島行きの船が泊まっている。いよいよ観光時間なのだろう。島の人には,こんなのが日常なのだろうか。まったく,観光客が来ない限りは休めないのだろうか。くどいようだが,今日は正月なのに,だ。

10時15分,石垣行の船が予定通り出航。石垣に着いたら,ダッシュである。(第7回につづく)

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