沖縄はじっこ旅V
@“ホテル”という名の民宿
この我喜屋集落では,もう一つ見ておきたい場所がある。持っているガイドマップにある「神アシャギ」の場所である。大きな水田の向こうで,集落から外れたところにある山の麓にそれらしき場所があるようだ。家が途切れる付近から眺めていると,そこに数台の車が向かっているのが見えた。赤瓦に見える屋根の建物も数棟見える。バックの生い茂る高い山を見ている限りは,御嶽がありそうな荘厳な雰囲気が漂ってくる。
目の前の舗装道路は,その家が途切れるところからあぜ道となる。そこをマーチが走れなくもないかしれないが,昨日今日の雨からか結構ぬかるんでいる。それこそ,万が一泥にはまったりしたら面倒だ。ここは歩いて向かおうと思うが,その前にマーチを現在停めている駐車スペースから,できるだけ御嶽の近くに移動しておこう。たまたま,どこかの建設会社の駐車場に,これまた車が数台停まっているのが見えた。会社の事務所には,さすがに人はいない。無論,ホントは停めたらいけないのだろうが,またも「ごっつぁん」式に停めさせていただくことにした。
いまだ気まぐれに強く吹く風に翻弄されながらも,ぬかるんだあぜ道を歩くこと5分,集落…というより平坦地のどんづまりに近づくにつれて,樹木に囲まれた大きな御嶽らしい緑のスペースが見えた。そして,そこに向かって軽トラックが1台入っていく。その荷台には小学生くらいの子ども5〜6人が乗っかっている。なるほど,他の車もまたここに向かっていたわけだ。
それにしても,荷台に人を乗せるなんて田舎の光景ならではだ。無論,法律的には禁止されていることだろうが,のどかでいいではないか。私も一度荷台に乗っかったことがあるが,思いっきり夏場だったので走っているときに吹きつける風が気持ちよかった。でも,今はそれよりも冷たくて強い風が吹いている。いくら人数が多いからって,寒くて集団で風邪をひきやしないだろうか。
やがて,赤瓦の屋根の建物もまた御嶽であることが分かった。すべては見なかったが,その一つ「あんな殿内(どんち)」は大きな御嶽への通り道にあった。3m四方を低いブロック塀に仕切られた中に,幅・高さとも1mくらいの赤瓦にコンクリート製の祠。さらにその中も見えるが,小さい石がまつられ両サイドには対になったコップが。祠に汚れはほとんどなく,つい最近建てられたようだ。
いよいよ,奥に鎮座する「神アシャギ」の御嶽。50m四方を生垣で仕切られた中には,幅・高さとも数mほどのコンクリートの拝所と,似たような格好・大きさの集会所らしき建物,そして象徴的な萱葺き屋根の低い建物が一定の距離を保って建てられている。拝所にはしめ縄がかけられており,果物だの鏡餅だの正月らしい供え物があった。ちょうど軽トラックに乗っていた小学生と,彼らを乗せた親御さんが拝んでいるところで,彼らが戻ってくるときに私と目が合った。無論,地元の人たちが参拝する場所である。部外者だから驚いたかもしれない。とりあえずは5円を奉納しておいたが,あまり長居はできないだろう。とっとと立ち去ることにしたい。
さしずめ,これが本土でいう“初詣”なのだろう。神社の代わりに御嶽を拝むというのが沖縄らしい。子どもたちはサッと手を合わせてとっとと立ち去り,大人たちは一応きっちり拝んでいる。このあたりの差は全国共通かもしれない。子どもにしてみれば,別に手を合わせて拝みたいことなんてない。そもそもこんな場所に興味なんかないのだろう。まだ,こういう存在の価値が分からないのだ。もっとも,私だって彼らくらいの年では分かるはずもなかった。いや,今でもよく分かっちゃいない。沖縄の御嶽だから多少の興味を持って見ているだけで,本土のどこにでもある“○○氷川神社”とかだったら,私も速攻で立ち去っているかもしれない。
そんな彼らとは対照的というのか,隣にある集会所には大勢の人が入っている。しかも,すべてオヤジないしはオジイたち。三線の音色が聞こえてくる。あるいは新年の宴が始まっているのか。これもまた本土では見ない光景だ。本土の感覚ならば,神社の脇の集会所で酒を飲んでいるわけである。敷地の外には,そんな彼らが乗ってきた軽トラックやらバンが,所狭しと都合8台停まっている。こんなにまとまって車が停まっているところを見たのは,集落のスーパーくらいだが,それよりもはるかに多い。これならばマーチで来ないで正解だっただろう。
しかし,もちろん本来のここの位置付けは「ノロ(神女である。念のため)が神事を行う神聖な場所」である。別名は「神アサギ」「アサギ」とも呼ばれるが,当て字をすれば「神遊び」だ。神々に奉げるための舞踊・歌唱を執り行うわけである。そして,この広い場所は「アシビナー(遊び庭)」と呼ばれ,神々が降臨してノロに乗り移る場所だ。何でも“象徴的”と書いた萱葺きの建物の中で着替えや休憩をするのだそうだ。萱葺きの建物が低いのも,そのためだそう。それにしても,ノロは子どもじゃなくて大人がやるんだし,そりゃ昔の女性だから背丈は低いかもしれないが,それでも低すぎるような気が……ちなみに,屋根の中は何もなく,御札だけ貼られているようだ。
いかんせん部外者がジロジロのぞける状況ではなく,集会所からこちらを見る視線を感じる。もしかしたら,あるいはその地元の人たちと仲良くなっていれば,むしろこういう場所にかえって歓迎されたのだろうか。そもそも集会所といえど,男子禁制の神聖なる御嶽に,よりによって男性しかいないのもヘンっちゃヘンだ。ひょっとして「小さいころから地元で神様に守られているからOK」とかいう暗黙の了解でもあるのだろうか。

次に向かったのは我喜屋ダム。こちらは神アシャギとは逆の端っこに位置している。下からはダムの壁がはっきりと見え,そこに向かって上り坂が延びている。5分ほどで辿りつくと,赤レンガの立派な事務所と,ダムにかかるベージュのモザイクタイル地の橋がある。封鎖されてはいたが,難なくまたいで中に入っていくと,きちんとダムには水が溜まっている。水量計があったが,“48”が最高位のところ,現在は“42”の位置に水かさが達している。沖縄県土木建築部河水課のホームページによれば,もう少し上が満水位のよう。さらに整備されて公園のようになるという。洪水防止または灌漑用水や水道用水の確保などが目的だが,特に後者によって,にしえの部屋のシャワーの出もよくなる……って,それとこれとは関係ないか。
さて,先ほど松金商店に寄ったとき(前回参照)に買い忘れたものがあった。明日の下着類である。シャツと靴下はこの際明日まで持たせようと思うが,パンツだけは少し抵抗がある。なので,再び松金商店に入る。はて,下着類なんか売っているのかと一瞬考えたが,3枚で1050円の袋づめと,1枚550円の袋詰めが売られていた。3枚もいらないから後者を選ぶことにする。これが,島の中で買った一番高価なものだ。ぜいたくを言わなければ,安く済ませられるわけだ。ちなみに,女性の下着ものはその上の棚にあったが,箱にビニール袋が敷かれた中に白いレースっぽいのが入っていたと思われる。もっとも,自分には“関係のない代物”なので,ちらっと見たにとどめたが。
そして,再びマーチを走らせて向かうのは島の最南端の集落・島尻(しまじり)集落だ。途中左手にひたすら海を見ながらの走行。風はいまだ強いのが吹いてくるが,午前中は少し不安定だった空模様は完全に晴れ上がり,陽射しがずっと出るようになった。これこそドライブのし甲斐がある景色だ――ホームページの冠にもなっていて,この島の象徴とも言えるキーワード「てるしの」は,太陽神を意味する。その根源はクマヤ洞窟における天照大神の伝説であろう(第4回参照)。伊平屋島滞在最後の最後で見ることができた太陽。海と太陽がセットでないと,沖縄に来た気がどうしてもしないのであるが,あるいは今まで“てるしの様”の機嫌が悪かったのだろうか。
島尻集落は,先ほど寄った我喜屋集落に比べると,防風林がない分だけ海により近い場所にある。その海沿いにある「島尻スーパー」は,フクギの下に日陰を見つけたかのように建っている。ここも明かりがついていて営業していた。正月からご苦労様。用事がなかったので中には入らなかった。そして,天気がよくなったのとヒマになったのであろう。子どもが外に出てサッカーで遊んでいる。なので,マーチは漁港にもなっている岸壁の近くに車を停めることにしよう。スーパーのそばにも停める場所があったが,ボールとかを当てられては大変である。
ここで見たかったのは,上記我喜屋とともに現存する神アシャギの御嶽。この二つが県の文化財になっている。迷路のように狭く細かい路地をどう行ったかは思い出せないが,わりと簡単にその場所は探すことができた。ここも軽トラックが数台停まっていたが,集落の中にあるせいか,その台数は少ない。12〜13m四方くらいのブロック塀で仕切られた中に,シヌグ堂(前回参照)くらいの大きさの赤瓦でコンクリの社と,高さ・幅とも3mくらいの萱葺き屋根の低い建物のセットがあった。社では数人が集まって何かをやっているようだった。いいのか,社でやって?……どうにも近づけそうにないし,遠巻きに見るだけにとどめる。脇には岩に根をからみつかせたガジュマルが我関せずと立っていた。
再びマーチを走らせる。次は米崎海岸。伊平屋島の突端にある海岸。無論,この正月で天気こそいいものの風がものすごく強い中では,私以外は誰もいない。一応,シャワー施設やトイレもあり,夏場はそれなりに人が来るのだろう。途中,大きな急ブレーキをかける音がしたが,はてこの場所に誰か入ろうとでもしたのだろうか。
それらシャワー施設などと,防風林になっている木々の間を抜けると白砂の長いビーチがあった。波は相変わらず高いし,風は強くて寒く,木々はほとんどが葉っぱのない白樺みたいな状況になっている。ここが沖縄とは信じがたい光景だ。モンパノキやビロウの存在が,辛うじてここを沖縄たらしめているといった感じであるが,むしろ私がいままで「寒い沖縄」を知らなかっただけだろう。そもそもは,天気ばかりはどうしたって一期一会なものであるし,たまたま行ったときはいずれも天気がよかったので,すっかり冬でも本土の春ぐらいの気候だと思い込んでいたのだ。今回は,年に数回とないと言われる“1ケタ”の気温に,ものの見事に2日間とも出くわしている感じである。
車に戻り,昨日と同様またも野甫大橋を渡る(第4回参照)。この橋を渡ると,道は車幅1.5台程度に狭くなる。島の規模とかを考えれば妥当な広さだが,誰も入ってこないと思ったのか,そのど真ん中に車を停めているヤツがいたのだ。はたしてツイていたのか,手前に路地があったもので,そこを入って停まっている車の少し先から再び道へ戻る。この場合,そもそも私には「どけ!」と言う権利があるはずだが,それをせず路地を入ってしまったことは,相当私はお人好しなのか。
この野甫集落にも御嶽がある。小高い丘の上にあるもので,昨日その前を通った(第4回参照)。今日はそれを見るべく車を停めてみる。一応,4台ほどが停められる広さがあった。社には明かりがついている。15段ほどの階段を上がろうとしたとき,上の社らしき場所から見下ろすオッちゃんとオバちゃんの顔。地元の人だろう。ここもまた2段ほど上がっただけで引き返すことにする。別に噛み付かれたりもしないだろうけど,そこまで人に対して気さくにはなれないのも事実だ。

来た道を戻って,今度は昨日通り損なった島の西側を走る道路へ入る。片道1車線ながら,いい道である。ひたすら左側に海を見ながらの走行。第4回にもちらっと書いたように,陸側はなだらかな緑の上に無骨に露出した灰色の岩が大きくはだかっていく。そして,これもまた第4回に書いたように「離島なのになぜか感じる“大陸的光景”」の一つである。反対車線ですれ違う車はほとんどない。こうなると,ドライブにはもってこいのコースである。これで,右車線を(多分許可は取らなくてはならないかもしれないが)走らせれば,よく外国の好眺望の中を走っているどっかの自動車会社のCMでも使えそうな景色になると思う。気持ちも実に穏やかで“フラットな感じ”となる。
この西側は特に見所といった見所は,ヤヘー岩や無蔵水(第4回参照)まではない。だから,ひたすらMDを聴きながら海を見て走る。この景色を見続けるには,スピードを落とすしかない。こういういい道路では時速60〜70kmは出していたと思うが,今回はせいぜい50km程度に抑えておこう。たまにはのんびりと車を走らせてもいいではないか。それでも,一気に走り続けたからか,あっという間に島の北部に到達してしまっていた。
そんな中で,耳元には安室奈美恵『ALL FOR YOU』が流れてきた。このスローバラードは,実に今の情景にピッタリな曲だ。テレビで見るプロモは,多分「穏やかな夏の夕暮れだか朝焼けの海岸」のシーンだろうが,現在の「天気だけど,外洋で波が荒れた冬の午後の海岸」でも合うと思う。ふと,この曲を強い潮風の中ででもいいから,外で聴きたくなってしまった。現在の時刻は14時半。ちょうどヤヘー岩の北側に達していたところだった。まだ時間はたっぷりあることだし,マーチを途中で道路に停めて,砂浜に降りていくことにする。
海岸は砂浜となっていたが,残念ながらというか大量のゴミが打ち上がっていた。あるいは,ヤヘー岩とか無蔵水とかだったらば,景勝地だからゴミなどの整備がなされていたかもしれないが,ここはそのいずれからも外れているからこんなにゴミが残ったままなのか。あるいは,昨日から今日にかけての強風・大波によって流れてきたばかりなのだろうか。
とりあえず『ALL FOR YOU』を聴きながら,砂浜を散歩する。確信的に美しいストリングスと,安室の伸びやかな声が実にいい。2回ほどリピートして,次に入れていたスキマスイッチ『冬の口笛』に替わっていた。こちらも冬のミディアムバラードとして,ハイクオリティな出来だと思う。どっちかというと雪の降る場所で聴くと似合うと思うが。
さて,砂浜というと,昨年9月にはやどかりクン探しにはまったのであるが,残念ながら今回は砂浜にやどかりクンの姿はない。ま,この極寒状況ならば致し方ないだろう(「沖縄はじっこ旅U」第8回第11回参照)。その代わりと言ってはヘンだが,どこかで漂流物をコレクションしてホームページを作成しているなんて記事を見たことを思い出した。もしかして何か面白いものがあるかもしれない……ということで,さっきのゴミが打ち上がっているところに行ってみることにした。
で,実際に見るとほとんどが韓国と中国のものばかりだった。内容を列挙すると,
・豆鼓のビン詰め(中国)……オバちゃん(お母さん?)の顔入りラベル
・CALTEXのオイル缶(アジア・アフリカ・豪州など)……一体どのあたりから流れてきたのだろうか。
 まさか,先日の大津波で流れてきたんじゃ……。
・毎日C(中国)……ビタミンCが入った柑橘系のジュースだろう。
・泰山純水PURE WATER(中国)……名前の通り,ミネラルウォーターだろう。
・キシリトール(韓国)……日本ではたしかロッテの販売だが,韓国ではオリオンという会社の販売。
 中身は同じだろう。
・爽健美茶のペットボトル(日本)……多分,ここでデートでもしてそのまま捨てたのか。
・桃花雨(中国)……シャンプー。名前がいかにもそういう香りのものと思われる。
・冷蔵庫(韓国)……温度調整する部分がハングル表記。こんなものも流れてくるのだ。
・ちびまる子ちゃんのサンダル(日本)……製造元が外国だったら笑えるが。
といった感じである。この他にもいろいろあったが,最近石垣島だかでも気象異常が原因と思われる流木の大量漂着があったという記事を見ただけに,それとの関連もあったりするのだろうか。聞こえるのは大波が打ち寄せる音のみである。上述の米崎海岸も冬の海らしかったが,あるいはこちらのほうがよほど「らしかった」かもしれない。

海辺を後にして道を北上。ぐるっと北端を回り,昨日見てきたところ(第4回参照)を逆方向に進んで,田名集落に着く。中心のロータリー角にある集落センターのそばにある,通学バス乗り場となって少し広くなったトコにマーチを停める。集落センターでは中の会議室らしき部屋が見えたのだが,おじさんたちが卓を囲んで宴会でもやっている感じだった。そして,その対面にある「田名スーパー」はやっぱりというか休業。中心部は実に閑散としていた。ただ,もう少し中に入っていったところにあった別の商店は営業していた。こういうところは同業種で“横並び”にはならなかったのか。
さあ,今まで各集落で御嶽をすべて“はしご”してきた。本土でいえば神社をはしごするわけで,んなことはまず,普段はシャレ程度でしか神社に行かない自分にはあり得ない話だが,半分意地になっていたのか。ともあれ,ここでも御嶽に向かうことにしよう。集落はわりかしコンクリートの家が多かったと記憶する。島の集落では一番内陸に入った集落であるが,はたして……って,別に海べりだからコンクリートで,内陸に入ったから赤瓦に木造って“法則”があるわけじゃないんだから,どーでもいいことか。後者はシロアリ対策が面倒だから敬遠されるってのがある。いや,むしろこちらのほうが赤瓦木造建築が敬遠される,あるいは少なくなる最たる理由だろう。
そして,肝心の御嶽は高台にあった。かなり立派なものである。ちょうど,今度は中学生くらいの男女5人がワゴンに乗って参拝に来ていたところだった。駐車スペースもしっかりしたものがあった。とはいえ,彼ら以外には人の姿はナシ。あるいはもう少し早く来ていたら,賑やかだったのか。午前中にお参りを済ませ,14時半ともなれば,ほとんどの家がまったりしていたか。“ガキども”は一足早く参拝して,とっととワゴンに乗り込んでいた。
この御嶽は大きく三つの建物があった。一つは幅・高さとも4〜5m四方の昔からあると思われる社,もう一つは,一昨年7月に竣工したばかりという「田名屋」と呼ばれる赤瓦にコンクリ,柱は朱塗りという新しい社であった。ともに中がのぞける形になっていて,板張りの上にゴザが敷かれて,奥の神棚には果物と鏡餅が供えられてあった。そして,カレンダーがきっちり1月の分となっていた。
一方,後者は前者よりも一回り小さいサイズ。6段ほど階段を上がる。中は,4畳程度の広さでゴザがやはり敷かれ,奥には香炉にろうそくと湯呑茶碗,鏡餅が置かれてあった。こちらには賽銭箱が設けられていて,とりあえず5円をまた入れておく。多分,メインの社はこちらなのであろう。さらに,最後三つ目は,その間にあったサイズ的には一番大きい集会所。中には誰も人がいなかった。多分,集落のセンターでの宴は,かつてはここでやっていたのではないかと想像する。7m四方くらいの部屋は,真ん中が一段高くなっていて畳敷き。座布団やポットの類いが置かれてあった。
こうして島の集落すべてを見終わって,にしえへ……と思ったが,にしえの目の前で左に道を折れることにした。にしえの目の前から北に続く海岸線沿いの道が結構景色がよさそうに見えたのだ。しばし,右に海を見ながらの走行である。すれ違う車はまったくない。そんな中に円形のスペースが見つかったが,緊急用のヘリポートだった。大きさは,まあヘリが降りられる程度しかないが,あるいはこの付近をもう少し開拓して空港を造ることはできないか。セスナ機でもいいから1日2便くらいにして,那覇と結ぶようになれば,もう少し伊平屋島への人的運搬能力が高くなるのではないか。
これを書いている2005年1月16日現在の話になるが,前日15日に伊平屋村と伊是名村の合併話について,伊是名村にて住民投票が行われた。結果は6割が「合併反対」――今年7月1日,70年近い年月を経て再び一緒になるはずだったのが,これにて合併話が白紙撤回になる可能性が出てきている。トップ同士が必死になったわりには,各島民が合併に後ろ向きだったというのは,皮肉っちゃ皮肉な話ではある(第2回参照)。
どうやら,村庁舎の管理部門が伊平屋島に置かれることと,これは意外っちゃ意外だったが,2島を結ぶ橋の架橋が“見通しの厳しさ”から新村計画に盛り込まれなかったことへの不満があったのではと,伊是名村長は分析している。これで伊平屋村については,後者の架橋について代わるものが必要になってくるはずだ。無論,この意見を言う個人的な見解として,伊是名島との交流だけではなく,那覇から伊是名に入るセスナ機,すなわち那覇からの・那覇への移動を少なからず見込んでいるというのがある。そもそも,ヘリポートの周囲には何があるわけでもないし,ここに空港を造れる土地はあるし,必要性だって高まるのではなかろうか。 
話を戻そう。海岸沿いの道は途中で内陸に左へ折れて,最後は再び田名集落に戻った。そして,ホントににしえに戻る前に,最後に見たのは「久里原(くさとばる)貝塚」という遺跡。現在は公園になっていて遺跡らしき姿を見ることはできないが,縄文後期ごろの奄美式の土器が発見されていることから,奄美との交流があったのではないかと推測されている。沖縄本島も奄美の与論島も,伊平屋島からはほぼ同じ距離であるから,なかなか説得力のある証拠品であろうし,実際あったって何ら不思議はないはずである。

@“ホテル”という名の民宿
にしえに着いたのは,16時ちょっと前。女子ばかり4人でサッカーでもやっていたようで,車を入れようとすると,元気な声で「ここ停めてください」と言われる。にしえの一番上のお姉ちゃんだろうか。ホンネを言えば,明日にフェリーで帰れるであろうことに備えて,練習がてらバックで入れたかったのであるが,ムリムリに自身の主張を押しつけるのも何だし,指示された場所へ頭から素直に突っ込むことにした。車から降りると,元気さの隅っこにちょっと恥ずかしそうな,照れたような感じで「明けましておめでとうございます」と言われた。こちらも「おめでとうございます」と返したが,はて,私のことが彼女にはどう映ったのだろうか。もうちょっとフレンドリーになってやればよかったかと後悔もした。
18時半の夕飯までは,しばらく時間があった。またも,まったりとした部屋でのくつろぎタイムだ。何をやるわけでもなく,テレビをただ眺めるだけの2時間半。たしか,地元の民謡番組を観た記憶はあるが,それ以外は何を観たかなんて覚えちゃいない。覚えているのは,途中18時ちょい前に窓を開けたらば,海岸線に沈む夕焼けを拝むことができたこと。雲が少し出ていたので“完璧”とまでは行かなかったが,初日の出と初日の入りを拝むなんて,今までの生活じゃまずあり得なかったのだ。これができたのも伊平屋で延泊したからこそのことだと思う。
さて,元旦の夕飯は@サーモンと白身魚の刺身Aエビフライ4本B生野菜(きゅうりとレタス),Cナカミの吸物D大根とニンジンのなますに祝いの日ということでか,白飯は赤飯になっていた。書いているのを見ていま振り返ると,ビミョーに品数が少なくなっていたような気がしてきたが……ま,いいや。このラインナップもまた,旅先の居酒屋とかの夕飯では選びにくいおかずである。肉っ気がまったくないが,肉ばかり食っている人間からすれば,こういう機会じゃないと魚類はたくさん食べられないから,噛み締めるように食べていきたい。
とはいえ,元旦だからいいかってわけじゃないのだが予想通りというか(前回参照),昼飯を少なくした分,「またもがっちり行ってしまった赤飯2杯分」って感じだ。これじゃ肉がなくても,総カロリー数は変わらないか,増えているだろう――Aは,多分冷凍かあるいはスーパーでパック詰めにされてるヤツか。大きさは10cmくらいだった。とはいえ,メインが@とダブルであったから,両者で1杯ずつメシを食った感じだ。Bはまたもゴマドレで食べる。Cはナカミとしいたけ・あさつき・生姜というシンプルさ。生姜のアクセントが締めの汁物にピッタリだった。
メシをいつものように食い終わったら,後はひたすら部屋でまったりするのみだ。シャワーの出が遅いのも,すっかり慣れてしまった。風は心なしか次第に止みつつあると思う。今朝のオバちゃんの言葉通り(前回参照),明日は多分フェリーが出るだろう。漠然とだがそんな気がするくらいに,気持ちはとても落ちついている。これも丸2日,この島でゆっくりしたからであろう。
ホントだったらば,今ごろは石垣空港から那覇空港に飛んでいるか,あるいは那覇でトランジットしているところか。でもって,八重山のどこかで不毛な時間を過ごして不満を抱えて羽田に帰ったかもしれない。でも,間違いなく伊平屋島のこの宿で3泊できてよかった……と思えるはずである。明日ちゃんとフェリーが出たならば。(第7回につづく)

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