沖縄はじっこ旅U

(1)ハートアイランドへ
石垣空港,9時30分着。滑走路は濡れている。天気は曇り空で,風はナシ。これから台風18号,通称“ソングダー”が沖縄に近づくようであるが,さしずめ嵐の前の静けさなのだろうか。あるいは,石垣島を直撃する動きではないようだから,この程度で済んでいるのだろうか。
飛行機の中だったので消していたケータイを取り出す。時間を確認するためだが,触ると何だかイヤーな熱を帯びている。前席の下の壁に沿うように入れていたのだが,そこに熱が発生していたのか。で,とりあえずボタンを押すが,ウンともスンとも言わない。何度やってもダメなものはダメである。何たるアクシデントであろうか。あるいは何か,今回の旅行を暗示しているのだろうか。
ケータイを持ち始めてからここ数年,腕時計はした記憶がない。だから当然,腕時計なんてのは持ってきていない。これは最悪ケータイが動かなければ,島のどこかで時計をわざわざ購入するしかないのか。沖縄という場所に来て時間を気にすること自体,ちとナンセンスなのは承知であるが,常にウロウロしている私には,ホントに時計がないと不便な限りである。
でも,気を取り直して外に出る。周回道路沿いにタクシーが何台も停まっているところを通り抜け,石垣バスターミナル行きのバス乗り場に向かう。すでにバスには3人乗っていた。今回の運ちゃんは,メガネをかけた年寄りとも若手とも分からないキャラの男性(「沖縄はじっこ旅」第1回参照)。でも声が高いから,あるいは若いほうなのか。「どこまでですか?」と聞かれたので「港まで」と答えると,「じゃあ,バスターミナル前で降りてください」と言われる。運賃200円。私が乗ると,ドアを閉めて出発する。
前回5月はたしか空港から東に向かって,全日空ホテルを通って行ったと記憶しているが,今回は西に向かってホテル日航八重山(以下「日航八重山」)を経由していくようだ。この日航八重山は,本日私が世話になる宿である。ここのところ,リゾートとか少し高い宿に慣れてしまって,前回5月2002年の冬に泊まったスーパーホテル石垣島(以下「スーパーホテル」)には泊まらなかった。別にスーパーホテルが悪いわけじゃないし,スーパーホテルの合理的でシンプルなシステムは好きなのだが,何となくマイレージとかが絡んで,いつのまにかJALグループにうまいことからめとられてしまったらしい。あるいはここで下車して,これから行こうと思っているツアーがこの日航八重山から港への往復送迎バスつきでやってもらえるというから,それに参加なんて思っていたが,何かと面倒くさくなりそうで止めた。よって,ここは通過する。
ちなみに,日航八重山には空港および港とを結ぶ送迎バスはない。全日空ホテルも同様である。なので,頼りはこのバスターミナル行きの東運輸による200円バスか,タクシーもしくは徒歩である。港からも空港からも歩いて行けない距離ではないが,距離は結構ある。よって,これらの交通機関を利用するか,あるいは空港近くでレンタカーを借りることになるが,現状はほとんどがレンタカーのようである。後で日航八重山に入ったら,「わ」ナンバーの多かったこと多かったこと。すれ違う車もかなりの確率で「わ」ナンバー。ひょいとどこかに行くには,やっぱり車が一番ということだろう。レンタカー屋だと営業所までは送迎してくれるところもあるし。
ちなみに,東運輸は石垣島を走る唯一のバス会社であるが(「沖縄標準旅」第6回など参照),バスターミナルと島の東南にある白保集落とを結ぶ路線が30分に1本走っている以外は,1日1〜3便程度しか路線バスを走らせていない。しかも,島中を網羅しているとはいえない。でもって,乗っているのはほとんどが地元民である。
となれば,ホテルに行くバスは格好の路線である。日航も全日空も本土資本だから,元から島にいる東運輸が「おたくが余計な人数を使って運行するならば,ウチに委託したらどうですか?」とホテル側に持ちかけたかどうかは分からないが,上手いことホテル路線を獲ったのではと思ってしまう。でも,逆にこのホテル路線がなかったら,それはそれでこの東運輸もキツイのかなと想像する。ただでさえ,島外からの観光客は上述のように,少ないチャンスにかけざるを得ないバスや,走れば走るほど金がよけいにかかるタクシーよりも,固定料金で着実にひょいとどこかに行けるレンタカーを選んでいるのだから。
バスは日航八重山を通り過ぎると,狭い街中を下り,9時50分,バスターミナルにそのままインしていく。よって,前回通った港前は通らない。無論,バスターミナルと港とは歩いて1分足らずであるが,これもまた不思議な路線である。だったら,空港から二つのホテルを経由して港を通ってバスターミナルに行く路線にすればいいようなものだが,どんなものだろう。

さて,本日行くのは日本最南端の波照間島である。前回5月に来たときにツアーで行こうと思ったが,このときは天候不良で,主催会社の安栄観光から「船が出ても,帰ってこられるか分からない」と言われて断念したのだ。今回はそのリベンジであり,同じく安栄観光のツアーである。うーん,ヤフーのニュースを見る限りは,やっぱりソングダーで波は荒れそうだな。風はまださほどないが,行ける可能性はかなり低そうである。でも,とりあえずは行くだけ行ってみようか。
「すいませーん,ツアー予約していた者ですけど……」
応対してくれた人は,昔の“りえママ”風な小太りの中年女性である。
「ツアーは中止になりました」
「船は出ないんですか?」
「出ることは出るんですけど,帰ってこられるか分から
ないので……海も時化てきているって話ですし。向こ
う(波照間島)で泊まれる方には案内していますが」
彼女の説明は,つっけんどんにも,はたまた淡々としているようにも聞こえる。うーん,ただでさえ台風の中に飛び込まんとしている旅である。やぶれかぶれに波照間島にこのまま渡って帰ってこられなくなったっていいと思ったりもしたが,やっぱりどっかで“良心”らしきものが痛んだりもする…というか,要するに小心者なのだ。まして今回は相手が台風だから,簡単に太刀打ちできる相手ではないのだ。また,ここに来る以前に,波照間で泊まることも検討したりもしたが,“どうにかなったとき”のことを考えて石垣島に宿を取ったという経緯もある。
さらに,実はここに来る寸前に仕事に“アキ”ができたため,6日から10日までの来週1週間休みをもらっている。9日にどうしても用事があるのだが,それでも8日までに帰京できれば,後はどうしたって自由なのである。それもあったりして,上述の「帰ってこられなくていい」という発言になったりもするのだが,どっかで「明日帰れるなら,予定通り帰りたい」とも思ってしまう。所詮,私の沖縄熱なんてそんなものかもしれない……ここもまた次回に譲るしかないだろう。
ということで,早速リベンジ失敗である。やっぱり,最南端は私にとって遠い存在なのか。飛行機が1日1便あるにはあるのだが,石垣は9時半発。そもそも羽田からの直行便の到着が9時半過ぎだから,どだいムリな接続である。日本最北端の宗谷岬に1度,最東端の納沙布岬には3度,最西端の与那国・西崎には2度(「沖縄はじっこ旅」第4回参照)行っているが,この最南端だけが未踏である。あるいは年末にでも改めて来るしかないのか。
――まあ,しかしこうなることはある程度予想ついていた。所詮,現実は現実だっただけである。次の手は決めていた。数日前に『やえやまGUIDE BOOK』(以下『やえやま』)というガイドブックを購入していて(「参考文献一覧」参照),それを見たりした結果,船便も結構出ている未踏の小島に行くことに決めていたのである。
その島とは黒島である。石垣島の真南,西表島の東に位置する,牛が多い島である。数カ月前に,テレビ東京の「でぶや」で,石塚英彦氏・パパイヤ鈴木氏,そして渡部絵美氏の3人がここを訪れ,ここ黒島の牛肉をたらふく食べていたのを観た記憶がある。それで機会あらば行ってみたいと思っていたのだ。またも,ミーハー根性爆発である。石塚氏らは,海人ならぬ“肉人(にくんちゅ)”Tシャツなるものを着て,肉を好きなだけ“オン・ザ・ライス”していたと思う。ただ,どうやら実際には,黒島に2時間ほどしかいなかったようであるが。
何はともあれ,この安栄観光も黒島に船を出している。次の便は昼の12時。「じゃ,黒島行きは出てますか?」と聞くと,「黒島は出てますよ」という。早速,チケットを買おうとすると,
「隣で10時ってのがあると思いますけど,聞いてみて
はどうですか?」
と言われる。その“隣”とは,同じツアー会社の八重山観光フェリーである。この一帯はツアー会社が建ち並ぶ場所でもあるのだ。たしか,前回波照間島行きがポシャッて,小浜島行きになったときもこの八重山観光フェリーだった(「沖縄はじっこ旅」第1回参照)。それと2003年の正月の西表島ツアーもだ(「沖縄標準旅」第8回参照)。
早速,八重山観光フェリーの建物に入る。壁にかかっている時計を見ると,すでに午前10時を回っているようにも見えるが,取り急ぎカウンターの男性に「10時の黒島行きってOKですか?」と聞いてみると,「OKですよ」という。すぐに往復の運賃2150円を支払うと,乗り場へダッシュ。クルージングボートっぽい船に乗り込むと同時に,船は岩壁を離れた。

(1)ハートアイランドへ
黒島行きの船の名前は「サザンクロス1号」。名前だけはカッチョいいし,クルージングボートっぽいと書きはしたが,見ようによっては漁船っぽくも見える。色は白のみのシンプルなもの。後方の外気に接するデッキ席には20人は座れるが,波をかぶるのはイヤだし,振り落とされないとは思うが,危険に思えるし,それより何より蒸し暑い。私は脇の階段を下りて,クーラーの効いている客席の一番後ろに座った。後方ほど揺れが少ないということを,上記『やえやま』で読んだからである。
中は「3人席×7列×通路をはさんで左右」ということで,40人ほどが座れるようだが,いま座っているのは20人程度だろう。早速,スピードを出し始めるが,周囲に防波堤のような岩壁があるにもかかわらず,早くも揺れを観測しだした。いわんや,外洋をやって感じだ。やっぱり,台風の影響を受けているようだが,このくらいで運航をストップさせるようじゃ,どうしようもないのだろう。
やはり,外洋に出ると,うねりを伴い出した。左右からやって来るうねりをまっすぐ突っ切って行く格好になるので,それを乗り越えるたびに“バッ”とも“ビッ”とも音を立てて軽くフワッと浮かび上がり,船底に叩きつけられると波しぶきは窓を容赦なく叩く。そして,中にいる茶髪のチャラくさい女数人が「キャー」と悲鳴をあげる。まったく,この程度で悲鳴をあげるなって感じだ。一部は横になっている男性もいるが,これでも周囲に島が点在するから,かなりマシなはずなのだし,そもそも,船は“揺れる公共交通機関”なのである。これが思いっきり周囲を海に囲まれる中で爆走するだろう波照間島行きだったら,どうなるのだろうか。
20分もすると,進行方向左に平たい影が見えてきた。これが黒島である。ホントに真っ平らで,クレープを薄ーく広げたような感じである。ちなみに,上空から見るとハート…というか,リアルに心臓に近い形をしているようだ。過去にサイクリングをした島としては,小浜島(「沖縄はじっこ旅」第1回第2回参照)と伊江島(「サニーサイド・ダークサイド」第5回第6回第7回参照)とがあるが,小浜島には大岳,伊江島には城山というシンボルの山があり,ともにその山に向かって勾配がかなりあったが,この黒島にはまったくそれらしきものがない。
10時半,船を降りる。風が強くなってきた中,目の前には,離島船客ターミナルそばのあいかわらずの風景。紙を持った地元の人,そして,その人たちが運転してきたワゴンやら軽自動車やらが並んでいる。『やえやま』で見たら,この船客ターミナルからすぐのところに「レンタサイクルなんくる」というのがあるようだ。ここを含めて,数軒ある民宿のすべてがレンタサイクルもやっているが,一番港に近いのがこの「なんくる」である。
とりあえず,その店を目指すべく,老若男女と車とターミナルの建物の下に多数置かれている自転車の間を歩こうとする。が,もしかして紙を持った人の中にそこの従業員がいるかもしれない。十数人いる中から,はっきり紙に書いてある文字が見える人たちを弾いていく。やがて,背を少し丸めた感じのほおかむりをした,年齢的には“オバア”に近いオバチャンを見つける。
彼女は,実は港に降りたとき真っ先に目に入っていたのだ。でも,他の関係者が,紙が厚紙だったのか,はたまた若くて身体がしっかりしていることもあったのか,はっきりどこの誰なのかが分かったのに対し,彼女だけが,小柄な身体で風に耐えているのか,はたまた紙がペラペラなのか,何かを持つというより“抱えている”感じだから,どこの誰なのかがよく分からなかったのだ。そのうちに,ちらっと「レンタサイクルなんくる」の文字が見えた。彼女のところに行けば間違いない。
ちょうど,そのオバチャンのところには,若い女性4人が寄ってきて自転車を借りようとしている。「私もついでに1人でいいですか?」というと,向こうは「はいはい,大丈夫ですよ」って感じで,うまく“仲間”に入れてくれた。オバチャンは強風の中,その女性たちに何やら紙を片っ端から渡しているが,私もそれをもらうと,A4サイズの島内地図だった。それを一緒に持っていて風に煽られていたから,“肝心なもの”が見えなかったのである。
さて,自転車はというと,上述のように建物の下に置かれていた多数の自転車のうち,“左半分”がこの「なんくる」の所有のようである。“右半分”のほうに行こうとしていた女性2人を「そっちは別のとこのだから。ウチはこっちよ」と呼び寄せる。自転車はイオンの“TOPVALU”ブランド。石垣の店舗あたりから取り寄せたのだろうか。
さらにオバチャンは「前金制ですからねー」と,若い女性からお金を徴収している様子。事前に『やえやま』で確認していたが,1時間200円,1日1000円とあったから,はていくら取られるのかと思って「いくらですか?」と素直に聞いたら,「500円です」という。「いやに安いな」と一瞬思ったが,あるいはここに帰ってきてから改めて精算でもするのだろう。とりあえず,財布から500円玉を取り出して渡す。すると,オバチャンはスタコラとその場を去っていく。ということは,これにてOKなのだろう。とっとと,人ごみのターミナルを離れて一路走り出すことにする。

@ウミガメを見て,ショートケーキを食べる
道は1.5車線くらいの幅。舗装されている。とりあえず目指すのは,宮里(みやざと)という集落である。間もなくすると左に「レンタサイクルなんくる」の文字。見れば,物置みたいな雑然さである。ここでチャリを借りるよりは,たしかに港で借りたほうが何だかホッとはする。それを越えると十字路があり,まっすぐと左は舗装道路,右はジャリ道である。まっすぐ行けば宮里集落への一本道,右は島の輪郭に沿うように大回りしてやはり宮里集落に向かう。左は北東部の伊古(いこ)という集落を経由してから,南下して東筋(あがりすじ)という集落に向かう。集落を循環する道路なので,さらに仲本(なかもと)という集落を経由して宮里にも行くことは行くが,一番遠回りになるルートである。
こうなると,できるだけ1人でかつ島の輪郭に沿って,かつ海岸沿いに回りたいのが私の性分。さっき一緒にチャリを借りた女性たちは,まっすぐ宮里集落に向かうようである。ということは,選択肢は右折してジャリ道に向かうのみだ。西の浜というウミガメが産卵する砂浜もあるようだし,そのジャリ道を入っていくことにする。
初めは素直に進んでいたチャリだが,次第に石ころやら草にタイヤを取られそうになる。1分ほどすして,右に広く取られた敷地内に小ぎれいな民家のような建物が。「南来」と書かれているが,何のことはない,これで「なんくる」となるわけで,要するにこのチャリを借りている母体の民宿である。女性が掃除でもしている感じで,のどかである。
しかし,先に行くにつれて道があやしくなってきた。ただでさえ路面がよくないうえ,周囲の森がせりだしてきているのだ。いくらイオンの“TOPVALU”ブランドといえど,モトクロス用にはできていない。帰りは15時5分発の石垣行きという船で帰りたい。まだ4時間以上時間はあるが,下手に迷い込んでロスするのは好かない。自然が多いこともあって,やたらとトンボが飛んでいるが,トンボだけなら我慢できても,他の昆虫はどうもいけ好かない。西の浜への入口もどうにも見当たらない――後で確認したら,もう少し我慢して進んでいればあったようだが――し,ここはムリをせずに舗装道路に戻ることにする。ちなみに,この森の中に保里(ほり)御嶽というのもあったようだが,どこもかしこも鬱蒼として,でもって結構ガラクタが落ちていたりするから,よく分からなかった。
さて,舗装道路に戻って200mほど進むと,左に牛セリ市場というのが見えた。市場といっても,普通の牧場っぽい囲いがある程度。今は人の姿も牛の姿もないが,奇数月の13日に牛のセリが開かれるようで,そのときはかなりの人が来るようだ。一方,道路をはさんで反対側は野球場大の広大な草地であるが,そこでは毎年2月に「黒島牛まつり」というのが行われる。記念植樹された樹が1本立っていたりするが,牛汁や牛そば,もちろん牛肉そのものも多くふるまわれるそうだ。上述の「でぶや」の撮影は,このときにちょうど訪問しており,それで渡部絵美氏がテントの下で牛肉をふるまっていたりしたのである(ちなみに,渡部氏は毎年ここ黒島に訪れるようである)。
ここからしばらくは,のどかな牧場の光景が続く。なるほど,たしかに人とすれ違うよりも,確実に牛の姿を多く見る。今走っている道路は坂がまったくといっていいほどない。なので,ふと自転車を降りて押して歩く必要がない。これらはサイクリングにとって,なかなか都合がいいことである。蛇行したって誰も文句を言う人もない。陽射しが少し出てきているので,どうしても必要最小限の汗はかいてしまうが,必要以上にはかかないし,風がたまに通りぬけて心地いい。
10分近く走ると,左にデッキのある瀟洒な家が出現。白を基調とした2階建ての家だが,玄関に黒板がかかっていて,ショートケーキだのパンだのと書かれており,近くにはメニューもかかっている。時間は11時前であるが,営業している。看板がかかっていないが,『やえやま』で確認してみると,「パームツリー」という店である。見ればその通り手作りケーキやパンが売られており,テイクアウトもできるという。メニューにはこれまた特製のチキンカツ丼というのもあるようだ。
朝ご飯は,6時前に軽めのおにぎり弁当を食べたくらいで,空腹を満たすタイミングとしては悪くはないが,いかんせん11時前では,この後で夕飯まで時間が空いてしまう。なので,もう少しで着く宮里集落をちらっと見てから来ても十分である。他に店もなさそうだし,ここで食べることにしよう……そういや,ちょうど私がメニューを眺めていると,ここの家の子どもらしき男の子が建物の中に入っていったが,はてこんな暑苦しい男がハンカチで顔を拭き拭きしながら1人で佇んでいるのを見て,どう思ったのだろうか。
ま,いいか。再び100mほど進むと,舗装道路は左に折れる。正面左にはテントと大きな赤瓦の建物。「黒島ビジターセンター」のようである。まっすぐ行く道は,ジャリ道となっているが,通り抜けできて多分海岸につながっているだろう。そして,右には「八重山海中公園研究所」「黒島研究所」「黒島マリンビレッジ」などという看板。どうやら,この一帯が宮里集落の中心のようである。
マリンビレッジは所詮ホテルか何かだろうから別段興味がないが,「研究所」のほうは面白そうだ。ここは右折してみる。ジャリ道をひたすら進むこと1分,マリンスポーツのレンタル関係の建物の脇に,白いコテージ風の建物がある。ここが「黒島研究所」だ。入館料が300円かかるが,時間つぶしにはちょうどいいだろう。とりあえずは入ることにする。

中はコテージというよりは,いかにも“施設”っていう無機質な造りである。受付っぽいテーブルには誰がいるわけでもない。その向こうの部屋はドアが開いていて,明かりもついているが,カーテンがかかっていて中の様子は分からない。テーブルの上には入場料を入れる箱があり,その脇にどういうわけかコンビニに置かれているような小型の透明な冷蔵庫があり,中に冷たい飲み物が置いてある。値段がついていて,立派な売り物のようだ。
一方,肝心の箱はというと,小銭大の穴がある。勝手にそこに入れてしまえばいいようだが,あいにく私は小銭を持ち合わせていなかった。「両替もできます」と箱に書かれてはいるが,はてどうするべきかと思っていると,カーテンの向こうから若いメガネをかけた男性が出てきた。さすがに,両替は人の手を頼るほかないらしい。引き換えにパンフレットと『うみがめーる』という冊子をもらう。後者は毎月発行しているA4サイズ・8ページの冊子。入館者と黒島の全世帯に配付されるという。また,3000円で島外の人間でも定期購読ができるようだ。
館内はまず,受付の左に大きな展示室がある。ウミガメとサンゴと貝殻の標本を多数展示した部屋だ。多分,マニアにはたまらないだろうが,残念ながら私にはそこまでの興味はない。そして,部屋の中央には木のサバニが置かれており,中には無造作にアミやら道具箱やらタバコ入れやらが置かれている。奥の角にはテレビがあって,何やら地元のオバアが出てしゃべっているが,たまにプツップツッと音が切れる。たしか,一度すべて流れてしまったように思えたので,あるいはどこかで停止の操作でもしているのかもしれない。
部屋を出ると,受付の右側は廊下が通じていて,土間のようなところに行けるようだ。どうやら奥から観光客っぽい中年夫婦が出てきた。何か見るものでもあるのかと行ってみると,そこにはブルーのバケツっぽい水槽がいくつも並んでいる。中にいるのは大小さまざまなウミガメである。大きなバケツは,ちょうど家の浴槽くらいの大きさのが四つ。中には都合11匹のアオウミガメが泳いでいる。身体が1m近くあるのは大人のカメで,ちょっと小振りなのは子どもということだろう。
一方,とある一角には,その浴槽の4〜5分の1くらいの小さな桶が14個置かれている。ちょうど,若くて日焼けしたお兄さんが黙々とカメの甲羅を洗っているところだ。一つのバケツに1匹だから,都合14匹。ただ,いささかカメくんたちには狭いらしくて,その中から飛び出そうとしているヤツもいるが,お兄さんはそれを阻止することなく,黙々と甲羅を丁寧に洗う。無論,出てしまったところで,捕まるのは目に見えているが,部外者の私にはどうにもハラハラしてしまう。脇には真水と海水と別々になった水道管があり,おそらくそれで水質を微妙に調整しているのであろう。
さらに別のところでは,ドラム缶の上3分の2をごっそり取ったような囲いの中,巨大なヤシガニが1匹いる。でも,動きはまったくない。よっぽど死んでいるんじゃないかと思ってしまうが,部外者の心配は無用なのだろう。また,別の水槽にはヘビがとぐろを巻いて3頭いる。先島ハブという名前で,大晦日のあわただしいとき――だったかどうかは知らないが――に研究所の前にいたのを捕まえたらしい。もちろん,有毒のヘビ。普通のハブほど毒性はないらしいが,後遺症は残るらしい…ってことは,やっぱ危険なんじゃん。
再び受付に戻ってくると,若いお姉さん。どっちかというと地元の女性っぽいが,何の用だろうと思っていたら,冷蔵庫から紅茶のカンを取り出した。さっき私に応対した男性が出てきて,彼にお金を払っている。失礼ながら,こんなところで買うようなものなのだろうかと思ってしまうが,後で近くを回ったら自販機がなかったから,ここの冷蔵庫は貴重なものなのだろう。
ふと,受付脇の掲示板が目に入る。「数字で見る黒島」ということだが,現在の人口は235人,ウミガメの産卵が20回,でもって,牛の頭数は3042。ってことは比率は「人:牛=1:13」ということだ。ちなみに,入館者数は3305人。いつからの数字かは分からないが,単純な入館料としての売上げは100万円である。中の設備維持費を見れば,結構キビシイ数字のように思えてくる。

この黒島研究所は,元々1973年に財団法人海中公園センター(本部・東京)の付属研究所として,「八重山海中公園研究所」の名前で,石垣一帯のサンゴが生息する海中区域の保護と資源活用のために設立されたものであるという。サンゴ礁の観測,ウミガメの産卵調査などを行ってきたほか,地域の小学生を対象にした海洋観察会や研究者の野外活動の拠点としても利用され,研究・教育施設としての功績も大きかったという。
また,1970〜80年代に八重山海域にオニヒトデが大発生しサンゴが食い荒らされ壊滅的打撃を受けたそうだが,その際にも状況把握の拠点として利用され,また荒廃したサンゴ礁の復元にも努めたり,その後も継続してオニヒトデの出現状況の調査を行っているという。この研究所の施設しか目に入らなかったが,研究者のための本格的な宿泊施設もあったりするようだ。
しかし,昨今の行政改革による特殊法人見直しの一環で,財団法人自体が解散となり,2002年3月に研究所も閉鎖への道を辿らざるを得なくなった。そこに救いの手を差し伸べたのが,現在母体となっているNPO法人の日本ウミガメ協議会(本部・大阪)。その名の通り,ウミガメの保護および周囲の環境保全を目的として1990年に設立された団体で,同協議会が研究所の名前はもちろんのこと,活動内容も従来のままに研究所を引き継ぐことになった。
そして,今年4月に名前を「黒島研究所」に改め,6月には改名祝賀会が行われた。上記『うみがめーる』にはそのことが記事で書かれ,地元の「八重山毎日新聞」にも出ている。祝賀会には環境省,海上保安庁などから来賓が来たり,島内からも大勢の人が参加。婦人会や青年会が余興をし,研究所の歩んだ30年の歴史がスライドショーで発表されたりして,盛り上がりを見せたという。
そして,協議会長と研究所長を兼務する亀崎直樹氏が「将来は,ここに来れば黒島のことがすべて分かると言われるような施設にしたい」と挨拶すると,大きな拍手が送られたそうだ。そんな曲折があったとはつゆ知らず,研究所内にはとても静かで穏やかな時間が流れていた。何も黒島のすべてとまで意気込まなくても,ウミガメのことだけに一途になっていればそれでいいじゃんと思えてしまうほどである。(第2回につづく)

沖縄はじっこ旅Uのトップへ
ホームページのトップへ