沖縄はじっこ旅(全4回予定)
(1)小浜島にて
15時35分,高速船は予定通り小浜港を出航。出発の20分ほど前,待合室にばーさんの団体が来たので,もしかして一緒になると思い,早めに桟橋でスタンバっていたのだが,船内は7割程度の乗船だった。彼女らが乗っている感じではない。桟橋をはさんで反対にも船が着いていたので,そっちに乗ったのかもしれない。おそらく共同運行している安栄観光のものだろう。
@初夏のサイクリング  
石垣港へは16時に到着。本日の宿である「スーパーホテル石垣島」(以下「スーパーホテル」)にこのままチェックインして,潮焼けした肌を洗い流したいのはヤマヤマだが,何度か書いている石垣での夕飯の予約は18時半から。たしかに朝は4時起きで,眠くないと言えばウソになるが,いかんせんスーパーホテルで2時間をつぶすのは何とも不毛な気がしてならない。
それと今回のスーパーホテルでは,土曜日割引なるものが適用されており,チェックイン時間が17〜22時という連絡がメールで来ている。だから,あまり早くには入れない感じである。入ったとして,割引が適用されないのもシャクである。ということで,1時間くらい市内観光をして,ちょっくらヒマつぶしをしたい。
石垣港の脇にある,沖縄が1978年7月30日,それまでの右側通行から左側通行に変わったことを記念してつけられた「730交差点」と呼ばれる大きい交差点を横切って,桟橋通りという通りよりも1本西側の路地へ入る。狭苦しい道の脇には飲食店や土産屋が軒を連ね,意外な発見をする。石垣の街は2002年年末(「沖縄標準旅」第5回参照)と,1994年3月の2回の訪問となるが,こういう路地には入っていない。どうしても周囲の離島への中継地的なイメージが強く,なかなか中心街を歩いて回ることがなかったからだろう。
間もなく左にアーケード街。ここは2002年年末に来ているが,この時間での訪問は初めて。2002年のときは店じまいが多かった。そのときのコメントは「つぶれたのか大晦日なのか」というものだったと思う。いまから考えれば,大晦日なのと18〜19時という時間もあって店じまいが多かったのだ。中心にある石垣市公設市場はまだ開いているし,他の店も結構開いている。
さて,石垣市公設市場は道路より数段低いところに,鮮魚・精肉類の店が十数軒が入っている。十数m四方の広さはあろうか。行った中では,本島は糸満市の公設市場(「沖縄・8の字旅行」前編参照),宮古島・平良市公設市場(「宮古島の旅」後編「宮古島の旅アゲイン」後編参照)と比べると,生鮮食料品の売り場としてはかなり広いだろう。建物は,1957年に建てたものを1987年に一度改築したそうだが,それだからか,古い建物独特の匂いと生鮮食料品の匂いが混じったような匂いは感じなかった。また,残念ながら気がつかなかったが,2階もあって,そこは特産品の販売センターとなっているようだ。島コショウのクッキーだの,豚の内臓のチップスなんて面白いものがあるようだ。そうとなれば,売場の大きさとしては,那覇市の牧志公設市場(「沖縄標準旅」第5回参照)よりも広い造りなのではないか。牧志のほうは1階に店舗がすべて集中していることだし。
とはいえ,1階の建物に客はほとんどいない。ただし,夕方だからだろうと思う。朝早くから午前中だったら,もう少し人が多かったのではないか。一方,その建物の外でも店を広げている女性が数人いて,こっちではゴーヤー・ウコンなどの野菜,パイナップル・バナナなどの果物,サータアンダギーを詰めた袋などの惣菜が売られている。野菜が野ざらしのままゴロゴロしているのが,いかにも南国の市場らしい大らかさである。もちろん,これら以外のものも大いに売られていて,その豊富さはあいかわらずだ。値段は見なかったが,それなりに安いのではなかろうか。スーパーマーケットでパック詰めなどで安全に保管されているものを買うのとは,また違った趣であろう。
市場を後にして次に入ったのが,同じアーケード内にある「タウンパルやまだ」という店。ここは大型書店と文房具屋である。分野もひととおりそろっていて,売場面積もそれこそ石垣市公設市場くらいはありそうだ。その中でも目を見張るのが沖縄の郷土本コーナーで,支柱らしきところに棚があって立派なコーナーとなっている。量的には,自分が東京で最も整っていると思っている有楽町にある「わしたショップ」の比ではない。沖縄県の書店には郷土本が充実しているとかねてから聞いていたが,やっぱり地元でないと,輸送料などの問題だろうか,なかなか多くは仕入れられないのだなと思った。波照間島行きができずに浮いた分のお金を,よほどここにあるうちの何冊かに注ぎ込もうかとも思ったが,かなりの荷物になるし,いかんせん重くなるのでやむなく断念した。

アーケードを抜けて路地を北上すると,住宅地に入る。コンクリートの平屋立ての建物が多い中,向かったのは「宮良殿内」(みやらどぅんち)。2002年年末のときには訪れていないが,1994年のときは多分来ているはずの観光スポットである。八重山地方の“頭役”という地位を長く務めた宮良家が,琉球の貴族の屋敷を真似て作ったという屋敷。1819年に建てたというから,築185年である。赤瓦で木造のスタンダードな琉球古民家といったところだ。
赤瓦の門扉をくぐると,これまた赤瓦のヒンプン…というか囲いみたいになった壁があり,その奥に屋敷。軒先には淀川長治に似たオジイがいて,入館料200円を払う。中に入れるのかと思い建物に近づくと,オジイは「沖縄県∴∞★♀#○◎…」と言ってきたが,何を言っているのか理解できなかった。ただ,いろんな観光案内を見ている限りでは,ここにその宮良家の末裔が住んでいるとあるので,彼が多分その末裔なのだろう。でもって,沖縄県(実際は国)の指定文化財を受けていて,また彼の生活空間なので入ってはならない……とは聞こえなかったな。
なので,とりあえず家の周囲と右手奥にある庭園を眺めるのみだ。敷地自体は462坪というかなりの広さで,建坪も56.75坪というからそれなりに広いのだろうが,見られる場所が限られているせいか,そんな広さには到底思えない。頭役という身分にはふさわしくない広さということで,何度となく王府から取り壊しなどの要求が出たり,瓦葺きについては萱葺きにさせられた時期もあったというエピソードのある屋敷だが,とてもそうは見えない,少し狭苦しいくらいの家と庭園である。
話が少しズレるが,「身分にふさわしくない…」ということについては,中城村にある中村家住宅が似たような環境下で,一部屋の大きさが6畳程度なのに数が多いというのを記憶しているが(「ヨロンパナウル王国の旅」第4回参照),この宮良殿内もまた,奥のほうにかなりの部屋数があるとみた。それが分からないくらい家の奥は暗くて見えなかったが,17時近くで陽が当たらないからだろうか。
そして右手奥の廊下には,ガラスケースにさまざまな資料がディスプレイされている。乾燥防止の役割をしていたのだろうか,水が入っていたであろうコップはすっかり干上がっている。で,中にあるのは,名刺入れ・重箱・紅型・茶碗など。さらには琉球将棋というのもあり,こやつは丸い木の板に文字が彫られたコマである。中国文化圏はこの種のコマになっているようで,読み方も中国将棋が「象棋(しゃんち)」,朝鮮将棋が「チャンギ」,そして琉球が「チャンチー」と似ているのが興味深い。
もう一つ,この宮良家には膨大な資料もあるようだ。展示はされていないようで,別個保管されているみたいだが,行政・税関係の書物,儒教関係の本,医学書,謡本,歌集,作法本など,それらの古文書は「宮良殿内文庫」というホームページに詳しくデータベース化されて掲載されている。古文書を読み取る能力がないのが誠に惜しい限りだが,好きな人にはたまらないものだろう。また,その古文書の中には,日本の開国に大きく影響を及ぼした米国のペリー艦隊が,1853年に横須賀の浦賀に行く前に訪琉して,やはり琉球政府にも開国を迫り,首里城に押し入るなどしていた,そのときの記録も残されている(ちなみに,このときに中城城跡も見ていて,その城門をエジプト式と賞している→「ヨロンパナウル王国の旅」第5回参照)。
ちなみにその内容とは,その艦隊に所属する1人の水夫が,艦隊が浦賀に入っているときに,別行動ないし脱走でもしていたのだろうか,沖縄の民家に押し入って住民に殺される事件が起こった。ペリーは犯人検挙と厳罰を琉球政府に要請,数日後にとある人物を検挙して八重山に流刑に処した――ということが,記録として残っているようだ。しかし,これに書かれた検挙された人物も差出人も朱印もすべて架空というオチがある。実際に殺害を犯した人物が別にいたようだが,結果的にその人物を政府がかくまったことになると言えよう。さしずめ「てめえで押し入っといて何言ってやがる」ということだろうか。

宮良殿内からは西進する。次に向かったのは桃林寺(とうりんじ)と権現堂。途中,スーパーホテルを通り過ぎ,さらに5分ほど歩く。トータルで15分ほど歩いたのと,陽があいかわらず強いので,汗がしたたり落ちてくる。小浜島で買ったミンサー柄のタオル地のハンカチ(前回参照)もすっかり汗が染み込んでいて,ごわごわ感が出てきた。触れるとやっぱりヒリヒリしてくる。
まずは手前の権現堂。敷地自体は20m四方くらいあって広く,周囲は緑に囲まれている。赤瓦で朱塗りの神殿がメイン。熊野権現が奉られている。壁には龍と犬が合体したような動物が一対で描かれていて,棟上には宝珠と竜頭と火焔が配置されている。最古の木造建築だそうだが,1771年の明和の大津波で全壊,その後再建されたものだという。門と神殿の間には5m四方くらいの古い木造の家屋があり,そこにも祭壇がある。オープンエアーなので,あるいはいまでもこの木造の家屋に上がって拝んだりもしているのだろうか。
そして壁一つを隔てて隣接する桃林寺は,臨済宗妙心寺派の禅寺。敷地は権現堂を一回り大きくしたくらいだ。これまた赤瓦の山門では,国の重要文化財に指定されている一対の仁王像が待ちかまえる。口を開けている阿形(あけい)の密迹金剛像は196.5cm,口を結んだ吽形(うんけい)の金剛力士像は166.3cmの大きさ。前者はその名の通り,かつての名プロレスラーのストロング金剛(古いか…)似。後者は,この間藤田和之にノックアウト負けした(関係ないか…)ボブ・サップみたいないでたちだ。1737年,久手堅昌忠(「くでけんまさただ」と読むのか)らの作で,沖縄に現存する唯一の仁王像だという。上述の明和の大津波のときに流されてしまったものの,再び海岸に戻って来たというエピソードの持ち主。力強いというのか,あるいはのどかというのか……。
この寺の建立自体は,1614年のこと。沖縄全体にもいえることだが,八重山は仏教とはあまり密接さがない地域。たしかに寺らしきものってあまり見ないような気がするのだが,にもかかわらず,ちょうど琉球に侵攻してきた島津・薩摩藩から,当時の琉球王朝の尚寧王に「建てたらどうだ?」的な進言があって建立されたという,八重山地方で初めての寺院である。建立当初は真言宗で,後に禅宗となり,現在は臨済宗となっている。薩摩藩の「建てたらどうだ?」は,おそらく「建てなきゃどうなるか,分かっているんだろうな?」という脅迫に近かったのではないか。ま,真意はどうかはわからないが,沖縄ではよほど御嶽のほうが身近に見られるので,かえって本土でよく見るはずの寺院は新鮮というか,ある意味“奇異”に映らなくもない。ちなみに,記念に備え付けのおみくじを100円で買ったが,結果は「中吉」であった。待ち人は「待てば来る」らしい(どうでもいいか…)。
時間が少し余ったので,再び権現堂に戻る。中をウロウロして門に戻りかけたとき,ちょうど私と同世代くらいだろうか,1人の白人の外国人が入ってきて,この家屋の軒先におもむろに腰掛けた。隣の桃林寺でも見かけていたのだが,彼にはこの建物がどう映ったのだろうか。彼がどこの国の出身かなんて知る由もないのだが,こういった寺社建築物自体が日本固有の建物という知識が彼の頭にあるとして,この沖縄という地域が,いわゆる“日本(ヤマト)”とはまた異なる文化であることをどの程度理解しているのだろうか。ふと,そんな興味を持ったりもした。
――そんなこんなで,時間は17時を過ぎた。スーパーホテルは,これら二つの史跡の通り沿いにある。5分ほど歩いて戻りチェックインする。予定通り,土曜日割引なるもので4800円を支払い,部屋に入る。早速,汗まみれの服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びたが,潮焼けしている顔や肘から先と首筋には,冷水がかなり気持ちよかった。逆に言えば,それだけ激しく焼けて“火傷”に近かったのかもしれないが,そのまま他の部位に水を持っていくと思わずふるえあがったくらいだから,その差がどんなものかがお分かりいただけよう。

@初夏のサイクリング
1時間ほど部屋でウダウダして,18時過ぎ,本日の夕飯の場所に向かう。その店とは「森の賢者」という店。インターネットでいろいろ探しているうちに見つけた店で,充実したホームページもある。ドリンク・食べ物両方とも豊富なメニューなので気に入った。「小さな店で席数が限られているので,予約をお願いします」と出ていたので,1人だったらなんだかんだでも大丈夫かとは思ったのだが,用心して1週間前にメールで予約を入れていたのである。何度となくこの旅行記で触れていた夕飯云々とは,ここの店のことである。
石垣では2回来て2回とも,730交差点近くにある「ゆうな」という郷土料理店に行っている(「沖縄標準旅」第7回参照)。ここは年中無休でメニューも豊富。かつ味もいいので気に入っていたのだが,ふと「でも,たまには嗜好を変えようか」なんて思ったのだ。場所はさっき行った桃林寺などよりもさらに西側。タクシーで数分なんて書いてあったが,地図を見る限りは桃林寺から5分くらい歩いたところだろうから,もちろんタクったりなんかしない。沖縄県民は近くでもタクるそうで,それがまた料金が安いからだとも言われているが,いくら初乗りで400円程度といえども,たとえ日焼けがすごかろうが,歩くときは歩く。Tシャツは汗でぐちょぐちょだったので,持ってきた長袖を直接素肌に着る。何ともぬるったっこい風が時々駆け抜けるのが心地よい。
途中の交差点を左折し,町の個人電気店の壁に「宮良長包生誕地」(前回参照)なんていう黒光りした長細い碑を何気に発見すると,その隣の建物の1階に店はあった。時間は18時15分なので,まだ予約の15分前だが,ウロウロしててもしょうがないのでひとまず入る。普通の住宅街の中に,茶色をベースにしたシックな店で,通りに面した大きなガラス窓には,店のシンボルになっているかわいらしい親子の(あるいはつがいか?)フクロウが描かれたタペストリーが下がっている。
ホームページによれば,昔から森を護る最高の神や智恵の神とされてきて,
ゆったりと自然に生きながらも物事の本質を見失わないフクロウにあやかって,店の守り神として護ってもらえたらと「森の賢者」としたそうだ。さらには,開店から6年経った今年1月に一旦休業し,先月再びオープンしたばかりという。ホームページには長々とその辺の経緯が書かれているが,簡潔に言えば,店の改装と「多忙な毎日から一旦出て,店の方向性を再確認するため」の3カ月の休業。内装を変え,プラス食べ物もより地元色を出したものにしたそうだ――予約後にそのことを見たので,あるいはそれによって店が悪い方向に変わっていたら…と一瞬不安になったが,メールの返答も遅くなかったので,「誠意あり」と勝手に判断してひとまずOKとした。ちなみに,店は18〜23時の開店のようだが,向こうからのメール送信は朝の5時。あるいは,店を終えて1杯別の店に飲みに行った帰りだったのか。はたまた夜の“仕込み”が終わってのことなのか。
中に入ると,ドアをはさんでタペストリーが掛かった右の窓側は,手前に4人席と奥に2人席が一つずつ。反対側は6人席が一つ。でもって,ドアの正面は円形のバーカウンターみたいな席が7つ。そこでは同世代かやや上くらいの男性主人が,寡黙に何か作業をしている。右手奥,一升瓶が並んだ向こうにはキッチンがあり,そこでは女性が作業しているようだ。ホームページでは男性がマスター,女性がママとなっている。間違いなく,2人は夫婦とみた。プラス,もう少し若い男性1人もスタッフに加わって,3人での切り盛りである。
話はズレたが,席は全部で20ほどか。たしかに大きくはないだろうが,私はすっかり「カウンターのみの7席程度」とかって勝手に想像していたので,思いのほか広く感じた。彼らなりの“こだわり”を表現できるにはちょうどいいか,ややゆとりがあるくらいだろう。しかし,客は私以外いない。ひょっとして予約なんてしなくてもよかったかと思ったが,あるいはゴールデンウィークを少し外れているからかもしれない。

店内は,ピアノの弾き語り風の落ちついたジャズが流れている。私はタペストリーのかかった2人席に腰掛ける。テーブルの縁には,小枝にフクロウの形をした陶製のライト。これもまたこだわりか。そして,足元にはバスケット。バッグや衣類を入れるためのものだろう。こういうちょっとした配慮が私は好きだ。バッグを持ってきているのだが,しょせん1人なのでもちろん反対側の座席に置けるわけだが,ここは素直にバスケットに入れておくことにする。
間もなく男主人が出てくる。精悍な顔立ちで背も高く,応対が丁寧なので女性には大いにモテるとみた。…ま,それはどうでもいいとして,彼がテーブルの下に手をかけると,そこからA4サイズ大のコルク板に,紙が貼られたメニューが出てきた。さらに別個に日替わりメニューとして,もう一回り小さいメニューも持ってきた。とりあえず飲み物から頼むことにするわけだが,いきなり泡盛に行くのもナンだし,オリオンビールもいつでも飲めるし……と思っていたら,島ビールで「ヴァイツェン」(700円)というのがあるようだ。メニューにはフルーティーと書かれており面白そうだ。こいつを注文する。
ビールを待ちながら,彼が持ってきた黒い生地の冷たいタオルを肌に当てる。この黒さもまた店のコンセプトだろうが,それより何より,この冷たさがまた気持ちいいったらありゃしない。自分の手で触れても,明らかに火照っているのは分かるし,ましてやという感じだが,やれやれこれで家に帰ったらどうなるのか。ホテルの鏡で確認したら,鼻の頭は酔っぱらいのごとく完全に赤かったし。
1分ほどしてビールが出てきた。長細く口の狭いグラスに琥珀色のビール。飲んでみたが,地ビール独特のさわやかさみたいなのは感じたが,それがフルーティーかどうかは,所詮酒飲みでもソムリエでもないので,よくは分からない。それと同時に持ってきた付出しは,ハマグリみたいな大きさの陶器に入った「島豆腐のねぎ油和え」。おぼろ豆腐に少し醤油が入ったねぎ油がかかっただけの,特に「これぞ!」といったスゴイものではない1品だが,何気に美味い。これは私のビールのピッチを進ませて,それが食欲増幅剤となり,さらに料理を食わせて金を落とさせる,巧みなるストラテジー……なわけないのだが,やっぱり私はビールを飲むと,食欲が増幅される人間なのだ。
もちろん一品料理も注文。とりあえずは「白身魚とトマトの和風マリネ」(750円)と「揚げ豚の島ねぎたっぷりポン酢風味」(850円)を注文したが,いずれも,メニューに書かれた「森の賢者ベスト10」というのにランクインされており,前者は4位,後者は7位。ホームページとは順位が異なっているが,別に客に人気があるとかではなく,勝手に主人がランキングをつけているものとみた。
で,最初に出てきたのは「白身魚とトマトの和風マリネ」。20cm×10cmくらいの楕円の器に,スライスされたトマトと白身魚が交互に盛られている。味付けは和風。魚の種類が何かが残念ながら分からなかったが,トマトとの相性はよかった。下にはサニーレタスとキュウリとスライス玉ねぎが敷きつめられ,野菜と魚をたくさん摂ることができる。
それを平らげてしばらくすると,もう一つの「揚げ豚の島ねぎたっぷりポン酢風味」が出てくる。揚げているから時間がかかるのは仕方がない。その前にビールがなくなったので,「サマーウィンドウ」なるカクテル(700円)を注文する――話を戻して,出てきたのは上記マリネより少し大きい器に,その名の通り豚肉ロースの竜田揚げが15〜16カット。でもって,上には思いっきりグリーンのあさつき…というか,ねぎが乗っかって,下にはたっぷりポン酢。一瞬ボリュームが思いっきりあるように見え,「これじゃ他のものが食えない」と注文したことを後悔したが,肉の厚さがあまりないのでスッスと入っていってくれてよい。でも,ひょっとして向こうの“ストラテジー”にはまっているのか。
ちなみに,メニューには「化学調味料,加工品は使わずに,タレ・ドレッシングも自家製。体調不良の方,食事制限のある方,お申し出ください」と書かれている。こと細かい配慮はありがたい限りだが,主人らの誠実さがかえって裏目に出たりしないのだろうかと,変に心配にもなってくる。ま,私の心に“食を楽しむゆとり”がないだけかもしれないし,また,普段からどこぞのものかも分からない,テキトーに味付けされた食い物に毒されているだけかもしれない。

揚げ豚を食している間に「サマーウィンドウ」が出てくる。泡盛ベースのカクテルだ。最近,泡盛の水割りが飲めるようになってから,こういう類いのものを注文したくなっているようだ……で,「飲み口さわやか」と書かれていたので「もしかして…」と思っていたら,出てきたのはレモン色の液体。で,飲んでみると思いっきり柑橘系。そう,シークワーサーだ。プラス炭酸が入っているので,ショワショワする。たしかにさわやかだ。先月,新橋の沖縄料理店「美ら島」で飲んだ「シークワーサースパークリング」(「管理人のひとりごと」Part5参照)に似てなくもないが,スパークリングにはジンジャーエールが入っているのに対して,こちらはおそらく普通の炭酸のみであろう。ちなみに,泡盛はすべて地元・石垣市にある請福(せいふく)酒造という蔵元のものらしい。
さて,揚げ豚ですっかりアウトになったかと思った腹には,まだ若干の隙間があるようだ。あと2品くらいは頼めるだろう。ということで,頼んだのは「島タコのタコブツ・おさしみわかめと」(700円)と,「上原さんの!カマンベールたっぷりの揚げパン」(300円)。前者は日替わりメニューの中から,後者は上述ベスト10の第10位。後者については,実は旅行前にホームページでいろいろ調べていたときから興味があった食べ物だ。でもって,思いっきり白飯に合いそうなものを食ってきたわりに,締めがパンというのも天邪鬼な私らしいっちゃ私らしい。いずれにせよ,これにて間違いなく打ち止めであろう。
で,前者はその名の通りのものだが,持ってきたママいわく「味がついていますが,お好みでわさびじょうゆで」とのこと。一口食すと,たしかにほのかに塩味はしたが,多分タコから出た“自然の旨み”か何かだろう。本来は店が意図するところの,素材本来の味を尊重して食すべきなのだろうが,元々しょっぱい味が好きな私はあっさりそれを無視してしまう。でも,所詮は客が一番好きな食べ方で食べればいいのだ。
そして後者。ホームページの写真をすっかり忘れていた私は,給食に出てくる巨大なコッペパンを予想していて,「食えなかったら仕方ないや」と思っていたのだが,出てきたのは直径5cm大のシュークリームみたいな形のパン。すでに四つにカットされていて,真ん中でカマンベールチーズがとろけている。こちらもお好みで,添えられたブルーベリージャムをくっつける。あるいは砂糖がまぶしてあるのかとも思ったが,それもナシ。純粋に揚げたのみのシンプルさだ。個人的にはブルーベリージャムをつけて食べると,チーズの酸っぱさをジャムの適度な甘みで和らげてくれてとても美味かった。もしかしたら,これが今回の4品の中で,一番美味かったかもしれないくらいだ。
ちなみに名前の“上原さん”とは,石垣島のパン屋の老舗「上原ベーカリー」のこと。神戸の超有名店で修行を積んだ職人が腕を振るう創作パンと,昔ながらの定番パンが人気らしい。何でも,石垣島出身のアーティスト・BEGINが「上原ベーカリーのバターロールで育った」と,どっかのテレビで絶賛したという1本100円のバターロールが昔も今も大人気の超有名パンで,何と1日に1000本も売れるオバケ商品らしい。市内各所の商店にはたいてい置いてあるという。機会があれば今度はこのバターロールも食してみたいものだ。少なくとも,徳之島で食べた地元生産の菓子パン「イタリアン」(「奄美の旅アゲイン」第1回参照)よりは美味いかもしれない。
さて,すべて平らげて会計をする。外はまだかなり明るいが,時間は19時をすでに過ぎていた。東京では間違いなく暗くなっている時間だが,さすがにかなり西に来ただけあるのだろう……で,お通しも込みだろうか,値段は4200円となった。まあ,1人だとこんなものだろう。なかなか充実した一時であった。機会があればもう一度寄ってもいい店である。
帰り際,ママが私に話しかけてきた。多分,1人であるからには,もっと年が行った人間が来ると向こうも思ったかもしれない。で,来たのはこんな……ま,いいや。主人はどちらかというと実直でやや不器用な感じなので,ママのほうが案外こうやって気さくに話しかけてくれるのかもしれないと勝手に想像する。どこに行ったのかとか,石垣は何度目かなどと,当たり障りのない話を二言三言して,店を後にする。結局,食べるのがめっちゃ早い私にしては珍しく,1時間近く店にいたが,誰1人客が入ってくることはなかった。(第4回につづく)

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