沖縄はじっこ旅(全4回予定)
石垣空港には9時45分到着。梅雨入りしたとあって,外はかなり蒸し暑い。東京はまだ気温が10℃台なので少し厚い長袖を着てきたのだが,間違いなく邪魔ものになるかもしれない。袖をまくりつつ,ゲートを出てロータリーの真ん中にあるバス乗り場へ向かう。これから波照間島に行く高速船の出る石垣港に行くのである。急ぎならタクシーのほうがよいのだが,多少余裕があるからバスでもいい。200円という安さも大きいだろう。
バスのそばで立っていた,50代くらいでスポーツ刈りの運ちゃんが声をかけてきた。ちょっと桜金造が入っている彼は,「これ,何ですか?」と私の胸元を指差した。そこにはMDウォークマンの平べったく角丸のコントローラー。こちらもちびっと面食らった感じで「ウォークマンですけど」と言うと,何か分かったような分からないような微妙な表情をした。まさか,そんなに年寄りではあるまいし,いくら石垣でもMDウォークマンくらいは売っているだろうが,こういう形のものはないということか。
バスの中はとても涼しく,生き返る。テキトーに前のほうに座ると,彼は何か私との“とっかかり”でも掴んだかのごとく,親しげに話しかけてくる。「飛行機は混んでた?」「はい,満席でした」「直行?」「ええ,東京から」「直行は満席になるけど,那覇からのはガラガラ。イヒヒ…」――何か,よほどいいことでもあったのだろうか。はたまた照れ隠しか。あるいは私が相手してくれているのが嬉しいのか。「どこまで行くんですか?」「石垣港までです」と最後に軽くキャッチボールをすると,彼は運転席に座り出発と相成る。9時50分出発。中は7〜8人となった。

石垣港バス停には10時5分に到着……といっても,港は見えるが,車が結構停まっている広い空地を通らなくてはならない。もう少し行けば石垣バスターミナルだが,そちらのほうが近かったか。「あの停まっている車を斜めに横切ってもらって行くと,港ですから」と言っているが,彼の目は誰を見るわけでもなくあさっての方向を見ている。私以外にも降りる人間はいるので,誰かを見ずにあさっての方向を見ることで,全員に言ったこととしているのか。
その運ちゃんの言うとおり広場を横切ると,港が見えてきた。ツアー会社や船舶の運行会社の建物がひしめいていて,結構人が往来している。屋根がシートになった待合ベンチにも人が多い。やがてその一番どんづまりに,今日波照間島でのツアーを予約した安栄観光の建物が見えてきた。空はしかしながら困ったことに,風がだんだん強くなってきて,加えて雨がポツポツ来ている。波もやや白波立っている。昨日,ヤフーで3時間ごとの天気予報を確認したら,この時間あたりは風速が10m以上になっていた。何か,イヤな予感を察知しつつも,安栄観光の建物に入る。
中は少し薄暗いが,中年女性が1人受付にいる。
「すいません,波照間のツアー予約してるんですが」
「あ,そうですか……実は今日ですね,波照間が海が
時化てまして,ツアーが中止になったんです……あの,
向こうに(といって,私が歩いてきた方向を指す)事務
所がありますので,そこで確認ください」
何と…というかやっぱりというか,イヤな予感が的中してしまった。そういや,もっと風が弱く雨も降っていなかったときだが,西表島の船浦港に行く船が動かなかったこともあった(「沖縄標準旅」第8回参照)。石垣島と西表島との間だから,島がいわば防波堤になって波があまり立たないと思っていたが,そうはいかないようだった。ましてその西表島よりも南にある――有人島では日本最南端となる――波照間島は,完全に外洋に出ることになりそうだから,なおさらかもしれない。そう思いつつも,彼女が指した方向に走る。外の雨は次第に本降りになってきて,傘があちこちで開き出している。だが,1分もしないうちに左に再び「安栄観光」の文字。早速,飛び込む。
「すいません,波照間でサイクリングコースツアー予約
している者ですが」
「あの……船が1便(8時発)は出たんですが,2便(11
時発―私が乗るつもりのやつ)と3便(15時半発)は波
照間が時化ているということで,運転を見合わせること
になったので,ツアーは中止になりました」
やっぱり,向こうとこっちで返答が違うことはなかった。救いはお金をまったく払っていなかったことだが,こればかりは天気がすべて。そのへんは向こうも承知済みということか。話を続ける。
「あの……ツアーは中止ですけど,船自体は動くんで
すかね?」
「ま……一応,2便と3便は見合わせているという状況
なんですが,ただ動いたとしても,向こうでお泊まり覚
悟ということでしたら……」
こう来られてしまった。明日は与那国島に行く予定だし,明後日は会社がある。「いっそ帰ってこられなくても」とか思ってしまったが,数日も時化ることを考えたら,そうも行くまい。さらには今日は石垣で夕飯の予約をしている店もある。これもそんなに義理堅くする必要もないのだろうが,こちらも無げにはできない。ということで,ここでは「それでは結構です」と力なく言うしかなく,建物を後にする。

時間は10時15分。外の雨は本降りとなった。傘をささなくてはならない。波照間島では上述のとおりサイクリングのつもりだったので,再び100円ショップで購入した雨合羽を持参したのだが,これで完全に無用になってしまった……いやいや,それどころか完全に今日の予定が狂ってしまった。プラス,この旅行記のトップページについては,実は旅行前に書いたもの。これでは「はじっこ旅」にならないではないか――いかん,話がそれた。この石垣島は,すでに主要なスポットについては昨年元旦に押さえている(「沖縄標準旅」第7回参照)。一番近くて確実に船が出るであろう竹富島も行っている(「沖縄標準旅」第6回参照)。どこで時間をつぶそうか。
ふと左を見ると,安栄観光の隣にある八重山観光フェリーの建物。ここは昨年の1月2日,西表島行きのツアーを予約した場所だ(「沖縄標準旅」第8回参照)。その建物にかかった看板が目に入る。そこには上記の西表島・竹富島行きとともに黒島・小浜島行きの時刻表があった。黒島と小浜島についてはまだ未踏の場所である。見れば,黒島行きはすでに10時に出ていて,次は12時半までナシ。一方の小浜島行きは10時半というのがある。はたしてこれが動くなら,これに乗って小浜島に行こうか。善は急げと,早速建物の中に入る。
中には安栄観光の倍くらいある広さ。人も結構多い。30代くらいの女性がいたので声をかける。
「すいません,小浜島行き,出ますか?」
「はい,出ますよ」
よっしゃ,これで今日の予定は決まった。往復チケット(1960円)を早速購入する。小浜島といえば,NHKの朝の連続ドラマ『ちゅらさん』(2001年,『ちゅらさん2』は2003年)のロケ場所であることはすでに知っている。全国区に近いかもしれない。しかし,どこが見所かということについては,事前情報を仕入れていなかった。そりゃ,波照間島と,明日行く与那国島については,それなりに昼飯を食う場所も含めて仕入れはした。でも,行く予定のない場所の情報なんて,仕入れるだけ頭が混乱するし,そもそも仕入れることすら考えないはずである。地図は持ってきているが,あくまで道路地図。でもって,小浜島は載ってはいるが,市街地地図みたいなものは残念ながら載っていない。
ま,それでも,すでに訪れた石垣島か西表島か竹富島のどっかで不毛に時間を過ごすよりはいいではないか。いままでの経緯から行けば,向こうに着いても1人だけなら,サイクリングにしろレンタカーにしろ,どうとでもなりそうだ。また,この旅が“はじっこ旅”の趣旨から少し外れてしまうが,仕方がないのでタイトルはこのままだ――いままでの旅行がほぼ完璧に行きすぎていただけで,本来の沖縄の旅は,今回のように天気に大いに左右されるものなのである。まして,数日前に運がいいのか悪いのか,沖縄全体が梅雨に入ってしまった。なおさらである。
小浜島行きの船は,船体の低い高速船。船体の後ろ半分はデッキ席,キャビンの中は3人席が12席ほど。強風を浴びるのも悪くはないが,波もありそうだし何分この蒸し暑さもあってキャビンに入ると,冷房が強力に効いていてとても涼しい。東京の気温が少し低かったのでちょっと厚めの長袖を着てきていたのだが,少しベトついていたこともあり,この冷気で思わず脱いでしまう。少しして10時半,定時出航。中では8割ほどの席が埋まった。
高速船は勢いよく波を突き破っていくが,うねりがあるのでたまに“バッ”と音を立てて,大きな白波が窓を洗う。デッキに出ていたら,あるいはびしょ濡れだったのだろうか。石垣港からも見える竹富島を左に見送って25分。例えは変だが“Aカップ”くらいの二つの“緑のふくらみ”が目の前にはだかった。定刻の10時55分,小浜島到着である。

(1)小浜島にて
@初夏のサイクリング  
港に上がる。桟橋脇にはダンボールや発泡スチロールの箱がたくさん積まれている。中には食べ物もあるようだ。花篭も一つある。カーネーションっぽい赤い花が混じっていたから,明日の母の日のためである。そして,よく見れば船には赤い“〒”マークもついている。この船はまた,立派な生活物資運搬船なのだ。上記のように『ちゅらさん』で全国区になった島ではあるが,基本は当然ながら,地道に生活する人間がいて成り立っている島なのである。
広い待合室には大量の人。じーさんばーさんっぽいツアー客の群れが明らかに目立っている。観光客はもちろんだが,レンタル屋関係の人間も多い。「○○様」「△△レンタサイクル」など,いろんな札を持って客を迎え入れている。どこの島でも見飽きるくらい見た光景である。
さて,どうするか。予約も何もしていないが,どっかにテキトーに紛れ込もうか……そう思って左を見ると,長机が二つ。二十代後半くらいの女性がいて,レンタサイクルの受付もやっているようだ。「小浜島観光のこと,お気軽に相談ください」という手書きの紙もぶらさがっている。他を眺めてみると,レンタカーの文字もあって迷うところだ。快適さを取るならレンタカーだが,値段は分からない。この島にガソリンスタンドなんて…地図を見ると1軒あるようだが,どうせ休みか何かで,結局割高なガソリン料金を取られるかもしれない。ここは素直に「お気軽に相談する」ことにしよう。
早速「すいません,1人なんですけどレンタサイクルありますか?」と聞くと,「ありますよ」と言う。白い紙に名前と住所と携帯の電話番号を書くと,「いま,お連れしますのでお待ちください」と言ってきた。値段は1時間250円。これから“お連れされる”事務所から乗って,この港に戻り精算するようだ。手書きのA4サイズの地図も受け取った。待っている間に,二十代前半から半ばくらいのカップルが1組やってきて,やはりレンタサイクルを頼んでいる。
そのうち,金髪と茶髪の中間くらい,これまた二十代半ばくらいのネーちゃんがこちらに寄ってきた。Tシャツに短パンなので,明らかに関係者だろう。「お客さん連れてって」と言われると,彼女は一瞬面食らった感じであったが,素早く状況を飲み込んで,我々3人を駐車場にあるボロい軽トラックに乗せる。何か飾り気…というか社名みたいなのがあってもいいはずだが,何もないトラックである。
そのトラックに乗って2〜3分。集落から少し離れた何の変哲もない倉庫で車を降ろされる。下は土だが,通り雨があったのかデロデロである。加えてタイヤも泥だらけなので気をつけて降りる。「すいません,汚くて」とネーちゃんは言っていたが,まさしくテキトー感たっぷりだ。
それを増長するかのように,光のあまり差し込まない倉庫の中は,農機具やら何かの道具やらが散乱している。広さ的には地元密着系の自動車修理工場みたいな広さだが,肝心の自転車はその中に数台紛れ込んで置かれている。あるいは自分らが普段そのまま乗っているものなんじゃねーかと思ってしまうほどの雑然ぶりだ。もしかして整備とかしていないかもしれないが,いまさら引き返すこともできまい。「好きなの選んでください」と言われたので,これまたこちらもテキトーに選ぶ。もはや,どんな車種かなんて覚えちゃいないが,「MIYATA」とは書かれていたような気がする。でも細かいことは知らないし,どーでもいい。こうなればきちっと動いてくれればそれでいいのだ。

先にカップルが出ていく。ヤツらは進路を取っていった。ネーちゃんによれば,集落の方向に行くようである。ホントはヤツらとは反対方向に行きたいのだが――もちろん,ヤツらが少なからずラブラブなのが見たくないからだ――,私も集落方向から周りたいので,仕方なくヤツらを少し遠くに見ながら同じ方向に進むことにする。どこかで彼らとは別れたいものである。
集落へは,来た道を少し戻って左折する。すると早速,短いながらも坂道だ。いままで,レンタカーではアクセルを踏んでいればよかったので,当然感じることはなかったが,今回は自分の足で漕がなくてはならない。すなわち足を動かさなくてはならないのだ。しかも,重力は上から下にしか働かないわけで,ペダルにはそれ相応の重みがかかってくる。やがてペダルの動きは鈍くなって止まり,やむなく自転車を押して歩く羽目となる。港から直進してきて後ろから追っかけてきた親子連れも同様のようだ――しかし,これから何度,同じ経験をすることになるのだろうか。ふと後悔の念もよぎる。
しかし,最初の経験はわずか100mほど。坂道を登りきると,右手に小浜小・中学校が見えた。もちろん,島で唯一の学校施設。平屋立ての校舎とかまぼこ型の体育館らしき建物。中に人の姿は確認できなかった。上に空間が多くあるからか,それほどでもないはずの校庭がとても広く感じる。塀にはカラフルな絵も描かれている。『ちゅらさん』では,この小学校に主人公の恵里(国仲涼子)と文也(小橋賢児)が通ったそうだが,場面を観ていないので何ともといったところ。
そして,カラフルな壁の中,「まあだだよ信号青でも右左」と書かれた看板が何とも呑気だ。この島には信号がないと,もらった地図に書かれている。信号をつけて交通整理する必要があるほど,車も多くないからか。でも,まかり間違って高校生になって石垣島に通うことになってから初めて“洗礼”を受けるなんてことのないよう,いまから注意を喚起しているのか。ま,いまどきの子どもなら,本やテレビなどで情報はいくらでも入れられるだろうし,それ以前に旅行などで早くから島を出る経験をしているかもしれないか。
いよいよ小浜集落に入る。件のカップルは途中の路地を左に折れた。よっしゃ。私は当然まっすぐである――いや,いろいろ思案した結果,これから行きたいところがまっすぐ行ったところだからでもある。集落は,ただ家々が密集しているという基本中の基本といった趣である。目印になる看板があるわけでもない。たまにどこかの食堂を案内する看板は出ているが,そで看板がかかっていたり,ライトがピカピカ光るような看板の類いではない。
そんな中,右側に「シーサイド」という食堂をみつける。時間は11時20分。こちらも小さい看板があるから食堂と分かるが,普通の民家に毛が生えた程度のそっけない外観だ。周囲を見ても食堂らしき店は見えない。明らかに観光客のために造られたわけではなく,これでもかと言わんばかりの地元密着型である。今日は朝6時35分発の飛行機なので,朝食は6時前。そこそこの“空弁”を食べたが,いささか腹も減ってきた。夕飯は石垣島で予約済みの店があり,そこが今日のメシのメインみたいになりそうなので,昼飯はここで済ませることにしよう。

中に入ると,また猛烈な冷気。外は風があるものの,あいかわらずの湿度の高さなので実に気持ちがいい。ふと,入って左にある大鏡を見ると,頭がボサボサである。テーブル席が5席ほどだが,中は誰もいない。時間としては少し早いと思っていたが,後で混まれるよりはいい。厨房は女性が2人で切り盛りしているようだ。とりあえずかかっているテレビが見える大鏡の前の席に座る。
メニューを見ると,沖縄そばや炒め物,どんぶりなど,これまたごく普通な日常食ばかり。そんな中に赤い☆印がされているメニューが「ふちゃんぷる」「とうふちゃんぷる」「ポークたまご」の三つ。これらは「沖縄ならではのもの」と書き添えがあるが,それならば「沖縄そば」はどうなのだろうか…と突っ込みを入れたくもなる。一応は観光客に対する気遣いみたいなものだろうが,こんな印はいらないと思ってしまう。あくまで“地元民のための食堂”というスタンスでよいではないか。
……などと文句を垂れたが,注文は「ふちゃんぷる定食」とする。500円(単品でも可能。少し値段が下がると思った)。ふと,厨房のカウンターに立て掛けられた小さいホワイトボードを見れば,「ゴーヤチャンプルー」「ナーベラチャンプルー」と書かれている。今日5月8日は「ゴーヤーの日」なので記念に……いいや,別にそんなの。それにしても,最近は「ふちゃんぷる」にハマっているというか,意固地になっているのか。かといって,東京のその辺の食堂にはやはりないメニューだし,食感はいいし,中身を知っているから安心だし…って,結局何が言いたいんだか分からないが,昼飯レベルで頼むなら妥当なメニューとは言える。
中では炒め物の音がしているが,電話が突然かかってくる。どうやら注文のようだが,頼むメニューはかつ丼や魚のフライなどと,もっと平凡である。やっぱり,ふちゃんぷるあたりでも十分“非日常”なのだろうか。でも,かつ丼でも案外,東京のそれと違ったりするかもしれない。魚のフライも,東京で流通されない魚かもしれない。ちなみに,親子丼が沖縄では鶏のからあげの卵とじになっているというのは,本か何かで読んだことがある。
5分ほどで定食が出てくる。ふちゃんぷるに,ちゃわんに入ったごはん,わかめのすまし汁にたくわんつき。ふちゃんぷるは,15〜16cm大の皿にキャベツ・たまねぎ・にんじん・ピーマン・ポーク・豚肉そして麩と,7種類の野菜炒めである。ポークと豚肉は重複するように思われるが,誤植ではなくホントに厚切りの加工ハムと“豚コマ”が入っているのだ。味はごくごく普通だが,空腹にはちょうどいい分量である。こんな感じでも東京だったら700円くらいになるかもしれないので,500円は有り難い。もっとも沖縄は収入自体も低いようだから,地元民にとっては安くないのかもしれないが。
食い終わって外に出ると,入れ替わりで作業着姿の男性が続々と入っていく。また,食べている最中にも,先ほどの電話注文と思われる男性が,パック詰めにされた弁当を取りに来ていた。12時前だからちょうどいい時間だろう。私が,店との間にある乗用車2台くらい停められる駐車スペースのセンターに自転車を停めてしまったからか,「基礎工事」なんて文字が書かれたトラックは路駐である。ま,ギリギリで入らない大きさのようでもあるが,それは別として,あらためて地元密着系であることを見せられる。この時間に彼らとかちあっていたら,私は少し怖くて中に入れなかったかもしれない。

琉球石灰岩の石垣の路地をくぐりぬけ,強風でめくれる地図を見ながら一路北を目指す。民宿もちらほらあるが,大抵は地元民の生活空間である。私は紛れもない“異邦人”かもしれない。ちなみに後で知ったのだが,こっちの方向にDA PUMPの←もとい→…もとい矢印もといSHINOBUこと,宮良忍氏の実家があったようだ(「沖縄標準旅」第5回第8回参照)。民宿をやっていて,いつもチェックしているホームページ「美ら島物語」にも登場している。個人的には,記念に見て「Feelin' Good〜Hoo〜!!」とでも叫んでやりたかったが,無念。そんなことに気づくこともなく,次の目的地に着いてしまった。
さて,その目的地。それまで開放的だったアプローチが突然に鬱蒼とした森となり,舗装からジャリ道となった道は,この場所にて途絶える。その先,樹木に囲われて天然の円窓みたいにポッカリ空いた空間の向こうは,一瞬海ではと見紛うたが,さとうきび畑であった。後でこの辺りを裏側から見ることになるのだが,ここだけこんもりとした森となっている。
ここは「嘉保根(かふね)御嶽」という御嶽である。白い鳥居があり,20m四方ほどの敷地の先には,赤瓦の屋根にオープンエアーの家屋。鳥居があるからには参道らしきものがあっても…と思うが,下は雨でドロドロになった赤土のみ。「とても神聖な場所です。建物には近づかないでください」ともらった地図には書かれているが,男子禁制の御嶽にもかかわらず「マギーだから」とばかりに,しかも鳥居すらくぐらずに堂々と入っていく。コッココッコ…と鳴き声が聞こえるが,茶やら白やらの鶏5頭である。単なる放し飼いなのか,はたまた神に仕えし神聖な鶏なのか。“締める”ものなら一大事だろう。建物の中は,12畳程度の畳敷きの部屋である。神棚が設けられているが,それのみというシンプルさ。でも上に上がるのは,さすがに控えることにしたい。
鳥居の一方の脇には“カンドゥラ石”という石が三つ。小さいほうから,15cm×10cm,30cm×30cm,50cm×40cmほどで,ラグビーボールっぽい楕円形。一見,何の変哲もない普通の石だが,何かを象徴するかのごとく寄り添うように置かれている。これらは,大雨が降ったと同時に天からこの石が降ってきたことから,雨乞いの神事を行うときに,この石を島で一番高い場所・大岳(うふだき)から投げたと伝えられているもののよう。そしてもう一方の脇には,鉄パイプで骨組みが組み立てられているが,竹富島でも似たような光景をみた(「沖縄標準旅」第6回参照)。そこにテントでも張って,神事のときに使うのだろうか。はたまた年末年始にここで会合でも行われるのか。
いろいろと調べていたら,ここでは「結願祭」というのが行われるようだ。島で毎年秋に行われる祭りで,その年の豊作を感謝し,翌年の五穀豊穣を願って行われる。1年の最後に行われる祭りで,この祭りをもってその年行われた様々な祈願が解かれるという。小浜島で最も大きな行事で,9時から16時ないし17時ごろまでと,時間はかなり長いようだ。観光客は,この島か石垣島で最低1泊しないと,フルには見られないだろう。
もっとも,観光客どころか地元民だってフルタイムで見ているのかギモンである。何でも,この結願祭では“ダートゥーダー”と呼ばれる,小浜島でしか見ることができない民族舞踊が2001年,70年ぶりに復活した。しかし翌年は演じられたものの,昨年は演じ手不足のため再び中止されてしまったとのことだ。いずれにせよ,地元民の祭り離れは確実にあると言えるだろう。
ちなみに,石垣に来るJTA機の中,機内誌『Coralway』で沖縄出身の音楽アーティストが特集されていた。当然DA PUMPも出ていて,上述のSHINOBU氏もコメントしているのだが,彼は島にいるときは祭り行事が好きではなく,DA PUMPとしての活動をしていくうちに,地元の祭り行事を見直すことができたという。万が一,彼が年を取って島に帰ることにでもなったとき,彼なりにアレンジされた“ダートゥーダー”が演じられたら面白いかもしれない。しかも4人1組で演じられるというから……。(第2回につづく)

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