沖縄標準旅(全9回)

(14)西表島へ
@いざ,西表島へ
本日は最終日。行く先は西表島である。実は昨日行こうかと思っていたのだが,大晦日の“充実さ”を考えて(第6回参照),最終日に回したのである。
石垣港にある西表島観光センターには,8時10分に到着。この観光会社が主催する「西表島観光コース」に参加するのだ。コース名は「カンピレー・マリュドの滝・由布(ゆぶ)島観光コース(通称:Bコース)」というやつ。その名の通り,浦内(うらうち)川という川にある表記の滝と,水牛車で渡ることで有名な由布島を見るのがメインのコース。値段は1万1500円。西表島への船の往復,西表島で乗る観光バス代,浦内川で乗る遊覧船代,昼食代,水牛車代が含まれている。

西表島は大きく分けて,マングローブで有名な仲間(なかま)川と,上記のカンピレー・マリュドの滝で有名な浦内川という二大有名河川がある。前回旅行で西表島は訪れたことがあるが,本来は浦内川を訪れて,後に仲間川を訪れるというルートを予定していた。船の手配も全部済ませていた。
しかし,浦内川に近い港である船浦(ふなうら)港へ行く船が,当日になって高波のため欠航。仲間川に近い大原(おおはら)港になら行けるということで,大原港に行き仲間川遊覧船でマングローブを見ながら上流へ行って,とある船着場で下船。山道を少し歩いてサキシマスオウという巨木を見た。
で,大原に再び戻ったが,大原と浦内を結ぶバスは1日3本。バスの接続はいかんともしがたく,レンタカーなどに乗ることはハナから頭になかったので,泣く泣く石垣に引き返し,時間が余ったため市街地からちょい外れたところにある「具志堅用高記念館」を見た――これが,前回の西表島めぐりの顛末である。
今回はそれから9年越しのリベンジだ。浦内川のカンピレー・マリュドの滝を見ることは必須。ツアーを外してレンタカーでと思ったが,浦内川の遊覧船に乗れるようにするためには,個人よりもツアーのほうが確実と判断し,普段はツアーを敬遠する私も,ツアーに申し込むことになった。
さぞかし混むのかと思い,昨年の11月10日ごろに電話をしたら,まだ予約が入っていないようで,しかも私1人だったこともあり,「2人以上でないとツアーが行われないので,12月に入ってからお電話ください」と言われた。もしかして参加者が少なくてギリギリまで分からないのではと思い,1カ月後に電話を入れたら「はい,分かりました」。これで少なくとも私ともう1人が参加することになるが,はたしてどんな相手とどんな旅行となるのやら。
しかし,そんなことはどうにでもなるくらい,港には人があふれていた。朝8時だと,こんなにも人が多くなるのか。1月2日と言えば,新年からまだ2日。それなのにこの人だかりとは。
申し込みをすると,「B」というワッペンを付けさせられるのだが,すでに周囲で5〜6人見つけている。その他,西表島観光センターの観光コースは5〜6種類あり,その各コースの人,あるいは同業他社の平田観光のコース利用者,さらには東京からのツアーやらの添乗員・観光客などで港はごった返す。

まずは,8時40分発の大原港行高速船に乗船。本来のコースは船浦港に行くのであるが,この時期は高波が多いらしく,大原港へ行くとのこと。船内は100人は楽に乗れる,竹富島に行ったときの倍くらいの大きさの船であるが,なんと満席。私のいる3人席も,真ん中の席に黒いスーツを着た白髪の男性が最後の最後に座って,船はようやく出発する。
で,その私の隣に座った人の胸元にパッヂがあるので見てみると,「竹富町長 那根元」の肩書。昨日の,生声か録音か分からない新年のあいさつの主である(第6回参照)。よりによって3人席の真ん中という最悪の場所。町長だったら会社に頼んで船を別個にチャーターできただろうに。あるいはプライベートか。それならバッヂは不要のはずである。考えれば考えるほど不思議だが,そんなことお構いなく船はスピードを上げて進む。おそらく,私の隣にこの竹富町で一番お偉いさんが座っていることは,私しか知るまい。
まあ,普段はいま乗っている観光船はじめ,行く先のいろんなところから税金を取っている(私腹をこやしていないことを願うが)のだから,たまには下々の中に混じってもらうのもよいではないか……などと1人勝手に考えつつ彼のほうを見ると,「八重山毎日新聞」を読み出した。自分の悪口が書かれていないかをチェックしているのだろうか。
9時15分,大原港着。町長は前方に座っていた奥さんと思われる人の荷物を持って,足早に船を出た。ふと横を見ると,座席の網棚には新聞がはさまれたまま。町長がこんなマナー違反していいのだろうか。私の1万1500円のなんぼかが彼の懐…いや彼の職場に入っているのかと思うと……ってわけないか。
港を下りると観光バスが十数台。竹富島のマイクロバスの列がかわいいくらい。西表島の面積は284.44平方kmで,竹富島の五十数倍。観光客と面積と観光バスの数・大きさは,比例関係にあるのだろうか。「向こうに着いたら,Bコースのバスに乗ってくれ」と西表島観光センターの人に言われていたが,早速Bコースのバスかと思ったら平田観光のバス。自分が乗るべきバスは,十数台あるバスの一番向こうに鎮座していた。

A西表島唯一の幹線道路
バスには30人余りが乗車。進行方向で右に海が見えることから,右側の席に座る。私のところも含め,2人席を1人で座っているところがいくつかあるが,ほぼ満員。Wコースというのと合同だ。Wコースは由布島の代わりに西表島温泉という温泉に入るコースである。
バスは,大原のバスターミナルに寄ってトイレ休憩の後,浦内川に向かって走行。運転手がバスガイドも兼ねていて,ぼちぼちと話を始める。ここ大原は「東部地区」,対する浦内方面は「西部地区」というらしい。道は,大原の南にある豊原(とよはら)から,浦内を越えて白浜(しらはま)というところまで,五十数kmある県道。西表島唯一の幹線道路であり,今回はそのうちの43kmを行くこととなる。なお,道路は島を一周はしていない。
大原には郵便局と雑貨屋と学校と信号があるが,集落としては大したことはない。運転手の話では,開拓して57年,世帯は90だそう。主要な船舶経由地にしては質素である。宿泊施設等は,西部地区の船浦,その西にある上原(うえはら)に多い。しかし,石垣からの船のルートは,西部地区は外洋を行くのに対し,大原へは島々の中を通っていく格好。ゆえに,先に書いたような高波のことを考えれば,大原はやはり必要な港なのだろう。とはいえ,仲間川はもちろん,由布島も大原港のほうが近いのだから,もっと観光施設が多くなってもいいような気はする。
間もなく仲間川。河口なので川幅は数百mあろう。この下から,屋根付きの船が上流に向かう。両サイドはマングローブである。しかしさして奥までは行かなかった気はするし,勾配も高くなかったような。とはいえ,今回はここを通過するので,記憶はどんどん曖昧になっていくことだろう。

橋を渡ると,右も左も木や草が生い茂る。左にはススキの穂のような,さとうきびの枝葉のようなものが。ふとバスは速度を落とす。と,「ススキの穂は先が茶色ですが,さとうきびは白いんです」。なるほど、これで謎が解けた…というか,ススキとさとうきびの区別がついた(第2回参照)。といっても,大したことではないが。
やがて,古見(こみ)集落。再び右には海が見える。「いまは干潟になっていますが,夕方にどうなっているか楽しみにしてください」とのこと。ここ古見は島で最古の集落らしい。小学校があるが,生徒が9人で教職員が8人とのこと。まさに,教育理想の「少人数・マンツーマン」な世界だが,今後生徒が入らない限り,最長でも5年経てば生徒はゼロになる。そうなったら,小学校は廃校となってしまうのだろう。
海が見えたかと思えば,また右には草木の生い茂る林が。そしてガタンと来たかと思ったら,未舗装の道。こういう未舗装の道が所々出てくる。あるいは,車が1台しか通れない道もある。西表島といえば,自然のそのままの姿を観光の売り物にしているが、あるいはこの道も未舗装なのが延々と続いていたほうが「らしい」のかもしれない。さすがに島を巡る幹線道路であるし,五十数kmもあるから舗装にしているのかもしれないが,観光地として何かレジャーランドを建てるなど,客に媚びることもなくずっとやってきているのが,これまた西表島の魅力に一味加えていると私は思う。
ふと,時間の確認がてら携帯を見る。予想通り「圏外」である。

再び海が見える。右には島がいくつか見える。手前にあるのが由布島。ここは後で訪れる。その向こうは小浜島。NHKの連ドラ「ちゅらさん」の舞台,DA PUMPの矢印…もとい←…もとい宮良忍ことSHINOBUの出身で有名な島である(第6回参照)。SHINOBUは,ドラマにも出ていたと思う。その近くにもいろいろと細かい島が点在する。中には白い波のように見えるところもあるが,これはサンゴが堆積してできた島らしい。「バラス島」と呼ばれているそうで,自然の防波堤となっているらしい。
一方,左には鬱蒼とした林とともに田んぼもある。二期作を採っていて,最初は2月に苗を植えるという(運転手は「二毛作」と言っていたが,年に2回苗を植えると言っていたから「二期作」だろう)。そして,牧草地もちらほら。牛が数頭放牧されている。運転手の話では,西表島では牧草しか与えないで成長させて,石垣でセリにかけてもらい,九州の生産農家で本格的に霜降になるように育てるのだそうだ。西表と石垣の違いはあるかもしれないが,場所が違うだけで,おそらく父親の「石垣牛は牧草しか食っていない」という言葉(第7回参照)は合っているかもしれない。
ということは,「石垣牛」「西表牛」というのもはたして微妙なネーミングである。名前は生まれた土地なのか,育ての土地なのか。いずれにしても私にとっては,昨日石垣牛を食わなかった(第7回参照)ことが,これでさらによかったということは確かかもしれない。

間もなく船浦。左には広大な入江が広がり,周囲は湿地帯。遠くには鬱蒼とした山が鎮座する。そこから一筋流れる滝は「ピナイサーラの滝」というらしい。運転手のガイドがあれば,あるいはその滝に行くという意志があれば分かるだろうが,でなければ確実に見逃してしまう。遠くにわずかに見えるのである。この滝へも船浦港より遊覧船が出ているようだが,今回は通過となる。
そして街中に入る。といっても,港は思いのほかこじんまりしていて,大きな施設というものはない。右に中学校が見える。この島には高校がなく,高校進学には石垣に行き,そして通学のことを考えて石垣で寮生活になるという。
そして,上原。宿泊施設はここに多く,スーパーもある。最近は港もできて石垣から船も来るらしい。そういえば,前回旅行ではこの上原の名前は出ていなかったと思う。スーパーといっても雑貨屋に近いものだが,大原でも船浦でも見られなかった店舗であることは確か。ここが一番の中心地となっているようである。
中野。ここには「日本最南端の信号」のうち1つがある。もう1つは,大原にあったそれだ。この2つが西表島の信号のすべてであり,「日本最南端の信号」なのである。
そして,浦内川に10時30分到着。いよいよ9年越しの浦内川遊覧と,滝までのトレッキングである。隣りには「レストラン浦内」というレストランがあり,川登りの後はここで食事をすることとなる。うまい昼飯を食いたいものだ。(第9回につづく)

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