沖縄はじっこ旅U

@ウミガメを見て,ショートケーキを食べる
黒島研究所を離れて来た道を戻り,先ほど寄ったパームツリーへ。時間は11時を過ぎているだろうから,ちょうどよかろう。…そう,時計がないから,予測するしかないのである。ケータイはあいも変わらずウンともスンとも言わない。困ったものである。まだ,誰も中にはいないようなので,ちょうどよかった。涼むのも兼ねて入ることにする。
中は外装と同様,普通の家を少し改築したような感じである。トータルで14〜15畳程度の広さで,右奥にカウンター,その向こうに家庭のキッチンを少し大きくしたような厨房がある。テーブル席は2人席が二つ,4人席がつながって二つ。それと,つながった4人席群の向こうに,上がり座敷の4人席が一つあるが,そこには「予約席」という札が乗っかっている。
私は,ドアそばの2人席に座ることに。隣には透明の冷蔵庫。見るとホール状になったショートケーキの白いクリームの壁が見え,その上にはウーロン茶っぽいポットが置かれている。その向こうの木の棚にはパンが5種類,チーズロール・ハムチーズ・ツナコーン(いずれも120円),フロマージュ(120円),紅いもスイート(80円)というラインナップだ。あまりジロジロと見られなかったが,ツイストロールっぽい形をしていたと思う。
今回注文したのは,特製チキンカツ丼(550円)とケーキセット(430円)。ケーキセットは,ドリンクは200円で共通のようだが,そのときの特製ケーキの値段によって異なるようだ。今日の特製ケーキは上述するようにショートケーキ(230円)なので,430円。飲み物はレモンティーにすることとした。その他にも八重山そばやスパゲッティなど,全般的には軽食に近い食事といっていいだろう。
ここの女将さんは40歳くらいだろうか。ショートカットの女性である。が,多分地元の人という感じではなさそうだ。さっき店の前ですれ違った子ども(前回参照)が店内に何事もなく入ってきたが,女将さんの子どもで間違いない。店名は日本語に訳せば“ヤシの樹”であるが,横浜出身の主人――厨房で作業している――がヤシの実のように黒島に辿り着いて移り住んだところから,お店の名前もこれに決めたそう。本土からの移住組というわけだ。
待っている間にお母さんと子ども連れ2組が入ってきた。お母さんに子ども2人といった感じである。4人席群に座ったが,予約していたのは彼女らではなかったのか……ま,いいか。スパゲッティとチキンカツ丼を1人前ずつとドリンクを注文していたが,ガキの1人がどうやら自分1人でチキンカツ丼を食べたかったらしく,しきりに「カツ食いたい」とゴネていた。フン,キミが1人で食いたいなら,あと10年我慢しな。でも,彼女らと店主らは知り合いのようである。案外「いつものこと」と心得ているのだろう。まさしく町のレストラン,こじんまりした家族経営的な店である。
10分ほどしてトレイに乗って出てきたのは,直径20cm×深さ10cmほどの黒い器に,3分の2くらいのボリュームの丼。上に16〜17cm大のチキンカツがドッカと乗っている。その下にはきざみのりと白いごはんのみ。シンプルな作りだ。味わってみると,チキンカツにすでに味がついている。ソースのようなしょうゆのような,あるいは何か別のスープのようなものも混じったような面白い味である。衣が湿っているので,少し煮こんでいると思われる。食欲をそそる味である。私にはちょうどいい分量だが,多分さっきのガキには多いだろう。母親の選択は賢いと言える。
チキンカツを食べ終わると,ショートケーキが出てくる。半径が6〜7cm×高さ5cmくらいだが,角度は30度ほどと鋭角である。早い話が大した大きさじゃないってことだが,ショートケーキといえば…という代名詞のイチゴではなく,桃のカットが平面の上に乗っている。クリームの間に挟まっている果物も桃である。味はまずまず。これに直径5cm×高さ10cmほどの緑色のグラスに入ったアイスティにレモンが添えられてくる。ガキがうるさくなりそうなので,すべてを食してとっとと外に出る。

再びチャリに乗って,今度はビジターセンターに向かう。敷地の端っこに看板が出ているので見てみると“番所跡”とある。いまは赤瓦でコンクリートの拝所があるのみ。大きさ・高さとも2〜3m程度だが,かつて沖縄が薩摩藩の支配下にあった時代,八重山群島の総元締の末端機関があったようだ。高さ1mほどの石垣が周囲を囲んでいる。脇には「学校教育発祥の地」という碑がある。
肝心のビジターセンターは,これまた赤瓦の巨大な建物。入場料はタダ。中に入ると,オバチャンが番をしている。時間は11時40分。どうやら正午から1時間休憩のようなので,いいタイミングで入ったようだ。で,20m×10mほどの広い展示スペースには,どういうわけか巨大なタペストリーに書かれた島唄ばかり。ちょうどそのどれかと思われる島唄が館内に響いている。
そういえば,入口には各集落の案内図みたいのが掛かっていたが,読みがながどれも特徴的であった。いわく「保里=プリ」「宮里=メシトゥ」「仲本=ナハントゥ」「伊古=ヤク」「東筋=アースン」である。でもって,極めつけは「比江地御嶽」。普通は“ひえじうたき”であろうが,これで何と“ページワン”と読みがなをふっていた。八重山では“うたき”ではなく“オン”と呼ぶようだし,「比江地」も“ページ”と読めなくもない。ホントにからかっているのかと思ってしまうが,言葉の“なまり”というのは,所詮そんなものなのだろう。
外に出ると,なぜかまた三線の音。どうやら,前にある平屋建ての建物の軒下で,おじさんが弾いているようだ。何の曲かは分からないが,手習いでおぼつかないのだけは聴いていて分かる。それを網戸越しに見守っているのは奥さんだろうか。建物は看板があって「なかた荘」と書かれている。赤い屋根に白を基調にした真新しい建物で,ウッドデッキもあって青空と太陽に映えている。昨年できた民宿のようだが,失礼ながらヒマなのだろうか。
さて,ビジターセンターの脇から,前回も書いたようにジャリ道が続いている。そこを入っていくと海岸に辿りつくので,タイヤを取られつつもチャリをこぐ。その海岸の手前に,琉球石灰岩をひたすらピラミッド型に積み上げただけの台がある。ホントにどこかとどこかを合わせて平らにするとかいう工夫もない,ただ積み上げましたってだけの印象を持つこれは「フズマリ」と呼ばれる。高さは10mほどだろう。これでもおそらく,冗談でなくて黒島でかなり1,2を争う高い場所だろう。海が見渡せるところから,船がやってきたときの見張り台となったようだ。船がやって来ると,この頂上で火を焚き,その煙でもって周囲の島々の見張り台に状況を知らせるようにしていたようだ。階段のように見える箇所があり,上に上がろうと思えば上がれそうだが,どうにも危険そうなのであきらめる。
そこから見える海岸は,そのまんま宮里海岸という。岩場でサンゴのかけらがゴロゴロころがっている。潮が引いているのもあるだろう。近くは穏やかだが,遠くには白波がはっきりと見える。チャリが3台置いてあったが,脇で若い男性3人が何やらカンを持ってくつろいでいるようだった。缶ビールで軽くビーチパーティーということか。1人はハダカである。くれぐれも焼けすぎてヤケドしないようにしてもらいたい。
舗装道路に戻る。十字路角にふとこんな看板を見つける。「進んでやれば未来(夢)へつながる家庭学習」――黒島PTAによる家庭学習標語の看板であるが,別のところには「牛さんは一歩一歩,ぼくたちはこつこつ」なんてのもあった。島には小・中学校しかないから,家庭学習ができるのはその間ということになるだろう。こんな標語を掲げられて,親から「勉強しろ」と言われると,普通は反抗の一つもしたくなるだろうが,それは「勉強しろ」と言われることの“有り難味”を分かっていないからかもしれない。家族がいる家で1人勉強するのと,下宿してホントに1人で勉強するのとでは,かなり気分は違うであろう。勉強に限らず,誰も言ってくれる人がいない中でも自分で行動を起こせるようにというメッセージが込められているのではないかと勝手に想像してみる。

宮里集落を後にして,チャリは舗装道路を進んでいく。と,途中で大きな鳥が草むらに入っていくのを見る。羽が大きくて,彩りが青や緑が入っていたような気がするが,孔雀に間違いない。牛は何度となくよく見るし,山羊もここまでで1〜2度見たが,孔雀は初めてだった。後で確認したら,観光用に飼われていたのが台風でオリが壊れてしまい,脱走したのがそのまま野生化したようである。牛や山羊に必ずついているヒモはついていないようだった。
数分して仲本集落へ。その集落の中心にある「みやよし荘」という民宿の脇に御嶽。「仲本神社」とある。民宿の建物と樹木の隙間を縫うように,ごく1〜2坪の社がある。そんな狭さからか,庇と鳥居が一緒になった合理的な造りだ。でもって,その脇には木のベンチとイスが。何年も使われた古ぼけたものだが,多分この木陰でバーベキューでもするのだろう。太陽が出て大分天気がよくなってきているが,こういうときにはちょいと休むのに都合がいい場所である。
でも,御嶽をよく見ると,「御嶽にはむやみに入らないように」とよく言われるし,そんな内容のコラムが『やえやま』の各島紹介のアキスペースにことごとく入っているが,何々,拝所の台の上にはドリルらしき工具が置かれたままである。「いいのか?」と思ってしまうが,案外地元民の意識というのはその程度なのかなとも思ってしまう。そもそも私だって,むやみやたらと入っているから,大きさとかがある程度分かるのだ。ただし,居直っているつもりはないので念のため。
ここから島で有名なビーチ・仲本海岸までは1本道が通じている。無論,ジャリ道であり,所々は砂がかなり覆っていて,しばしタイヤを取られてしまう。それでも,エイコラとペダルを漕いでいくこと数分,着いた場所は……御嶽だった。仲本海岸はここではないようだ。「迎里御嶽」と書いてあるが,読みがなは“ンギシトゥワン”である。外国語みたいで読めねー。
入口に鳥居があり,奥にある赤瓦の大きな拝所までかなりの距離のアプローチがある。そして,背の高い樹木が風や雨でなのか,そのアプローチに向かって大きく曲がり,自然のトンネルを作り出している。でも,それは途中で曲がるどころか折れてしまっていて,行く手を塞いでしまっている。もちろん,行けないことはないが,ムリはしないことにして引き返そう。
この島でも例外なく豊年祭が行われるようだが,そのときにはここ迎里御嶽にて成功祈願が行われるようである。祭では“ハーリー”と呼ばれる船に乗って「ウーニ・パーレー(“パーレー”は八重山の呼び名)競争」が伝統的に行われているようだ。琉球王朝時代は持っている畑の面積を競っていたのが,このパーレー競争をした年に大豊作になったようだ。それ以来黒島では「豊年満作は海の向こうからやってくる」と強く語り伝えられ,毎年この競争でお祭りをするようになったとのこと。
近くから海岸に下りられるようなので,せっかくだから下りてみると,遠くと近くに一つずつ島影が見えた。遠いのは波照間島,近くに感じるのは西表島であろう。
さて,肝心の仲本海岸だが,路地が1本ずれていた。道の入口にちゃんと看板もついており,一本道が通じていた。なーんだ。しかし,こっちもジャリ道。ただし,迎里御嶽に行くときほどタイヤは取られない。そりゃ,御嶽はそう簡単に行けてはならないが,海岸は簡単に行けなくては収入ゼロである。数分走らせると,海岸に到着。ここも岩場が露出している。波打ち際ではシュノーケリングをするカップルらしき姿が見られるが,言わずもがな遠くでは白波が確実に大きくなっている。
ここは東屋もあるし,「南見家(ぱいみや)」というプレハブの小さい出店も出ていて,そこそこ施設が整った海岸だ。ビキニ姿の若い女性4人が,南見家で何かを買おうとしているようだったが,店頭に人の姿はない。ちなみに南見家は「黒島観光」という会社(?)も兼ねており,あるいはそっちの用事で店を空けているのか……と思ったら,そこの店員らしき中年の女性が戻ってきた。
波打ち際に行ってしばらくして戻ってくると,店の奥にいた山羊くんが女性陣にすっかり囲まれてご満悦…かどうかは知らないが,「かわいー」なんて言われていた。ちなみに,店で売られているものはビール,かき氷,カップラーメンといったものだが,多分家で食べれば味気ないこれらのものも,こういう空の下で食べると格別なのに違いない。

来た道を戻る。周回道路で東筋に行けるのだが,島の中心にある黒島小・中学校の辺りにも見所があるようなので,まずはそちらに行くことにする。民宿と食堂を兼ねる「はとみ」という建物を過ぎると,周囲は再び牧場となる。道はあいかわらずの平坦さ。ここまで砂地でタイヤを取られたとき以外,ホントに自転車を押して歩いた記憶がない。そして,数分して黒島小・中学校に到着……その前に小・中学校の周囲にある史跡二つを紹介したい。
まずは「乾震堂(ブサドー)」というお堂…というよりも,体裁は御嶽に近い。人工的なのか自然なのか,周囲が畑の中,ここだけ鬱蒼とした森になっている。入口に鳥居があるが,アプローチはかなり長く,30mほどあるだろうか。左に大きくカーブした先に白い三角屋根の社。位牌と供え物が置かれてある。ここは死者の霊を慰めるお堂であるそうだ。
何でも,昔黒島に難破船が漂着したとき,船内にはミイラ化した死体とともに,絹織物があったそうだ。それを発見した島民は絹織物だけいただいて,ミイラは海に流してしまった。すると,関係者が次々と亡くなり,加えて島中にネズミが異常繁殖したという。これを見て,それらとともに船内にあった黒い石を埋めて海岸で祈願したところ,ネズミの繁殖は減少する。しかし,その祈願場所を荒らす者が出てきて,またネズミが異常繁殖。結局,今の場所にお堂を建てて死者の霊を慰めたというのが,この乾震堂の言い伝えである。どっかの童話に出てきそうな説教系ストーリーである。
それともう一つは,その名もズバリ「黒島展望台」。上述の監視台・プズマリとは違い,こちらは映画のセットのような高さ12〜13mほどの岩。ビッグサンダーマウンテンとも,「風雲たけし城」のセットにも見える姿である。周囲にラセン階段があり,上に上がると島中が見渡せる。改めて真っ平らであることを認識する。地面にはモザイクタイルで八重山諸島が描かれていて,どこがどこの島であると説明されているが,全くどこがどれだか分かりゃしない。プズマリを抜いて,いまとりあえずは黒島で最も高い場所であろう。
さて,黒島小・中学校である。校舎は2階建てのコンクリートでできた当たり前の建物。でもって,校庭が土の校庭で広い。これも地方なら当たり前だ。で,そのど真ん中でサッカーの白いゴールポストが倒れたままである。これは当たり前な話ではない。誰かとっとと直さないのだろうか,はたまた,今日倒れてしまったのか。
話を戻して,この学校の創立自体は古く,1893年6月というから今年で創立111年である。このときは,現在の場所でなく,ビジターセンターの脇にあった「学校教育発祥の地」の碑の場所に建てられ,1921年に現行の場所に移設されている。ホームページがあっていろいろ見ていたら,「開かれた学校づくり」というテーマで10の公約が掲げられているが,いくつか挙げると,
@中学卒業までに漢字検定・英語検定・数学検定オール3級クリア
A年間読書量,小学生100冊,中学生30冊
B1日の家庭学習,小学校低学年30分,中学年1時間,高学年1時間以上,中学生2時間以上
C中学校における職場体験の実施および充実
などである。随分,高い目標設定だと思われるが,Aで小学生よりも中学生のほうが読書が少なくて済むというのは,勉強に時間を割いたり,いろいろとやることがある分,読める量が限られるということだろうが,1冊当たりのページ数は増えなくていいのだろうか。またCは,昨今売れているという村上龍氏の『13歳のハローワーク』あたりに影響されたのだろうか。
ま,目標を高く持つことはいいことだが,これらをすべてクリアするとなれば,どこかで必ず“抜く”ことをしないと辛いであろう。それが例えば「小学生から勉強後に息抜きで泡盛を飲んでいた」「中学生時代,家庭学習後に“女を学習”していた」とかにつながったりしたら,なかなか素晴らしいことだが――話を戻して,きっとメリハリをつけることも見越しての目標設定であろう。
これを見てOB・OGたちはどう思っているのだろう。「本土に追いつけ・追い越せ」かどうかは知らないが,これだけの自然があるのだし,もっと島の子どもらしくノビノビしていてもいいと思うのは,本土の都会育ちの考えにすぎないのだろうか。あるいは,その家庭学習や読書をイヤイヤながらもやったところで,結局大人になってからこれっぽっちも役に立たないことを知ってしまった人間の,一種の“ニヒリズム”だったりするのだろうか。それとも,しっかりと勉強してから本土に渡って一流大学を出て,いっぱしのサラリーマンとして何年も活躍した後,「やっぱり島が好きだから戻ってきた」となって本土でのキャリアをすべて投げ打ってこの黒島に戻って,島のために貢献してくれる人材になるなんてものすごい青写真を描いていたりするんだろうか。

次に向かったのは東筋集落。黒島で一番大きな集落である。家の数もかなり多く,いずれも赤瓦に琉球石灰岩の石垣というスタンダードな古民家スタイルである。人工的ではなく,自然に何十年も前から変わらない集落であろう。小・中学校から真っ直ぐ行くと,黒島芸能館という大きな建物にぶつかるのだが,この逆のルート,すなわち芸能館から小・中学校に向かう道が「日本の道100選」に選ばれたそう。芸能館脇にその碑が建てられている。タイトルは「南海の島の景観道」。余談だが,現在は100を越して104の道路が選ばれている。
この東筋集落の南に大きな御嶽があるが,これが“ページワン”こと比江地御嶽である。赤瓦の社で,高さ・幅とも3mほどの大きさ。木の格子戸で閉ざされているが,向こうにロウソクと香炉が見える。格子戸には牛の柄の紋章が掛かっている。隣にはそれより一回り大きいテントがある。蛇足だが,看板には「比江地御嶽」と書かれているが,よく見ると「嶽」の「山」の部分は手書きである。どうやら,看板を作ったのが環境省だかで,間違って作られてしまったようだ。地元のおばちゃんが「これじゃ地獄に落ちるよ」と言って,直したとか直さなかったとか。
この比江地御嶽を抜けて南進すると,再び周囲は牧場の景色となる。でもって,道はジャリ道。行く先は黒島灯台。かなり先はありそうだが,とりあえず行ってみたい。後で『やえやま』で確認したら,南十字星が見えるだの,夜になるとライトアップされて美しいだの,とどめはここに来ると恋愛成就するとかいう場所だったようである。この道は,とどめの恋愛成就のための困難さになぞらえているのだろうか。
それにしてもホントに長い。いったい何kmあるのだろうか。道に沿ってひたすら電柱が走っていたが,それも途中で牛舎がある方向に折れてしまった。辺りは,いわば牛たちのパラダイス。天然の木陰に牛が十数頭,ほとんど動かずに佇む様は,ちょっとシュールさすらある。人間がどんなに知能が発達しても,大量の動物を前にすると畏怖の感情を持ってしまうものである。
灯台への1本道は,30分ほどで終わった。でも,ケータイはあいかわらずだから,時間なんて分からない。最後の藪の中に現れたのは,白亜のシンプルな灯台。壁はタイル張りで,数mある高さ。海側に出られる小道があり,そこを入っていくと穏やかな岩場の海岸。下はゴツゴツした岩場から草が生えている。海へは高さが5mほどあるだろう。
さて,いつまでも“端っこ”にはいられない。来たからには戻らなくてはならない。たしか軽自動車と1回すれ違った以外は,1人ひたすらジャリ道に苦しめられながら,集落に戻る。汗をかきつつ戻ってきたらあまりにノドが渇いたので,集落にある「たま商店」という売店に寄った。「日用雑貨,冷し物一切」と書かれた店。なるほど,ブルーシールのアイスだとかドリンク類といった冷し物もあるし,その他天ぷらや惣菜が売っている。“八重仙”というブランドの泡盛の一升瓶も置かれている。とりあえず,ペットボトルのさんぴん茶(150円)を大きな冷蔵庫から取り出す。
カウンターには人がいない。その向こうに部屋があるようで,窓から人の姿が見える。どうやらオバアが1人で店番しているようだ。私が入ってきても,テレビでも観ているようで,気づいているのか気づいていないのかよく分からない感じだった。一声かけただけでは耳が遠いのか聞こえず,数回「すいません」と声を掛けると,「あ,すいません」と言ってカウンターに出てきた。
「これ,いくらですか?」「150円です。そこ置いといてください」――私はその通り,カウンター台に小銭を置くと,さっさと出て行ってしまった。彼女はゆっくりゆっくりそのカウンターに向かっているようだった。別にそれが彼女のペースなのだから気にする必要なんてないのだろう。でも,いくら帰り便を決めているとはいえ,そんな特別に急ぎな旅でもない。ふと,小銭を置くだけ置いて出て行ってしまったことに,何となく罪悪感を感じてしまったのであった。(第3回につづく)

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