沖縄 SEE YOU!

(1)プロローグ
石垣空港,9時半到着。たしか,9時35分発の石垣港行き東運輸のバスが,本日泊まることになるホテル日航八重山(以下「日航八重山」とする)を通る。急いでロビーを抜けると,バスがドアを閉めたまま停まっている。私がドアに近づくとドアを開けてくれた。念のため,日航八重山を通るか聞くと,通るという。200円。私だけ乗せて出発しようとしたときに,やや年代が上の夫婦が,乗ろうかどうかという感じでバス停の前にいた。「発車しますよ」と運ちゃんが急かして彼らが乗り込む。出発。
空はわずかな隙間から青空がのぞきこむ曇り空。どんよりしていないのが“救い”というところか。今日はこれから船にも飛行機にも乗らなくてはならない。風が弱いのでおそらくは大丈夫と思うが,何しろ沖縄の天気とやらは,よくなるも悪くなるも当日…いや,その瞬間になるまで分からないものだ。また,今回はレンタカーを利用しないので,曇っていてもいいから雨は降らないでほしい。
バスはテロテロと走り続け,最初の信号つきの交差点で右折する。いまだ石垣島上陸は土曜日以外の経験がない…ことはないか。大抵土曜日の上陸が常であるという感じだが,いっつも変わらない風景が広がっている。それが石垣島にとっていいのかどうかは知る由もないし,私にとってもいいも悪いもない。「だったら触れるな」って感じか。なら止めとこう。
10分ほどで日航八重山の玄関前に着く。スピードは落としていたが停まる気配がなかったので,「すいません,降ります」というと,「あ,そうでしたね」とのこと。なーんだ,危なかったぜ……どっちみちここにまた来てしかも泊まるわけだし,だったらばあらかじめ荷物を置いていこうと思った次第だ。日航八重山のホームページでもそれが可能と明記されている。あいもかわらずパソコンなどを持ってきているので,この荷物のまんま船やら飛行機に乗り込んで旅をしていくという選択は,後々地獄な思いをすることにまず間違いあるまい。当初は石垣港か石垣空港で預けることも考えたが,日航八重山のホームページでの明記で意思は完全に固まった。
フロントで名前を名乗って荷物を預ける。応対した男性いわく,クロークで預かるという。さらには,いまチェックインだけすることも可能だという。聞けば預けた荷物を部屋に入れといてもくれるそうだ。それはありがたい。そのままチェックインまで済ませると,明日の朝食のことまで言い渡された。ま,自分でそうすることにしたわけだし,不満はまったくないのであるが,いざこの朝の早い時間に明日の朝食のことを言われると,何かヘンな気分になる。
サクッと荷物を預けて,再び出発。少し時間に余裕があり,徒歩で行ける距離なので,タクシーを使わずに徒歩で行くことにする。先ほど船と飛行機に乗ると書いたが,今日のメインの目的地というのは,波照間島である。何をしに行くかは後述するとして,行きは船,帰りは飛行機をそれぞれ使おうというわけである。波照間島行きの高速船の時刻は,安栄観光だと11時,波照間海運だと12時となっている。今回は波照間海運という会社のそれに乗ろうと考えているのだ。
となると,その前に時間ができるから,どっかに寄ってみたいと考えていた。もっとも,見所といっても市街地はほとんど観てしまっている(「沖縄はじっこ旅」第3回「沖縄はじっこ旅U」第5回第6回参照)。石垣島で2度調達したTシャツ(「西表リベンジ紀行」第1回「沖縄博打旅」第1回参照)についても,今回は家から持参してしまっているので買う必要がない。そもそも,ファッションなら都内のほうがアイテムは圧倒的に多い。石垣島くんだりまで来て探すものなんてないと思う。書店めぐりだのネットカフェっなんてのもバカらしい。
そうなると楽しみは“食”にしか残っていない。「32歳という年齢になったから」なんて老け込むようなことを言うことはしないが,昨今魚料理というのに嗜好が傾きつつある。肉は肉でもちろん今でも大好きであるが,何となく魚には「カロリーが少なくて和風」という“希望的安心感”がある。もっとも「カロリーが少なくて」というのは部位が脂っこかったり,あるいは油を使っていたりすれば,肉だろうが魚だろうがカロリーもへったくれもないのかもしれないが,そこは「魚=日本人らしい食べ物」という勝手な発想で何となく気分的にごまかせてしまったりする。その裏には,「獣肉→欧米の食べ物→カロリーが高い→不健康だったり生活習慣病の源」という,これまた勝手なこじつけがあったりもするのだが。
そんな魚中心のグルメに目が行っていた中で気になったのが
「あんまー食堂」という食堂だ(以下「食堂」とする)。理由はここの目玉が「ジャンボフライ定食」「まぐろ丼」などで,鮮魚店を併設していたからだ。魚屋があるというからには新鮮な魚であろう。前者はちなみに魚のフライである。どっかのホームページを見ていたところ,ジャンボなのはその枚数。8枚とも12枚ともいうのだ。ついてくるタルタルソースが足りなくなりそうだが,その前にどうにも食べきれないまま腹いっぱいになり,いわゆる“お持ち帰り”をすることになるそうである。基本的に食べ物は持ち帰らない主義なので――他のものが食べられないし,かといって捨てるのももったいないからだ――,そうなるとお目当てはまぐろ丼のほうになるのか。こちらもヴォリューム満点で,とろろなどとのトッピングもできるそうだ。
いずれにせよ,昼飯はここ石垣島で食べたほうが,波照間島まで空腹に耐えきれるか分からないし,12時までの時間を有効に使うには最善の選択であろう。開店時間は『やえやまGUIDE BOOK』(以下『やえやま』とする)によればと10時とあるし,食堂を紹介するホームページによれば11時ともなっているが,どっちにしても徒歩である程度時間がつぶれるだろうし,ヘンに時間が空きすぎるということもあるまい。あとは,メシがどのくらいスムーズに出てきて,食い終わった後で港までどれだけスムーズに行けるかである。
道は食堂まで1本。楕円形の頂点が日航八重山だとしたら,それを左に向かって孤を描くように歩いていけば,楕円形の左角に当たる食堂に着くという位置関係である。道中では見るべきものは特にない。家があったり雑木林があったり,という感じである。湿気はたしかにあるが陽射しが弱いので,徒歩にはちょうどいい気候かもしれない。
それはそうと,今回は旅をしていて十数年ぶりと言うべきかもしれないが,キャップをかぶっている。先日,千葉マリンスタジアムのグッズショップで買った「NEW ERA」の5800円もするヤツである(「管理人のひとりごと」Part79参照)。決して安くない額を出して買ったというのに,最近ナイターで観戦することが多く,しかも会社から直行で行くこともあり余計な荷物を少なくしたかったりして,帽子が活躍する機会がないのである。だから,今回陽射しの強い沖縄で活用できないかと被ってきたのだ。
しかし,「Marines」と後頭部に入っているのがセンスがいいのかどうかを問う前に,まずもって高温多湿の気候に蒸れてしまうし,どっかのガラスに映った帽子をかぶった自分の姿に,何だかオッサン臭さを感じてしまったりして,いまいちフィットしない。やっぱり,野球キャップは野球場に被ってきてナンボなのかもしれない。ま,離島に行って格好なんてある程度どーでもいいような感じになってきたら,これはこれで有効かもしれないが。

かれこれ歩いて20分,楕円の左角辺りに辿りつくと,海が見えてきた。11時開店なので,まだ30分ほど時間があるから,とりあえず食堂を見てみてすでに開いているということならば,入ってしまおう。まだ開店前だったらば,さっき見えた海の辺りで時間をつぶすか,周辺散策ということにしてみる。前者の場合は,あるいは11時の高速船に……いや,慌てる旅でもないから,ムリはしないでおこうか。
で,平屋建てのプレハブ小屋みたいな感じで,たしかに「並里鮮魚店」という看板がある建物と併設された食堂には「営業中」との看板が置かれてあった。なーんだ,やってるじゃん…と思って中に入る。真っ暗なのは照明をつけていないからだと思っていたら,太ったオバちゃんが「あ…」と一言。ん,開いているんじゃないの? 時間が早いからか誰も客はいない。とりあえず,空いている席に座ることにする。水はセルフらしい。何やらでっかい青いシースルーの浄水機から冷水を注ぐ。
そして,早速まぐろ丼を注文することに。600円。メニューには美味そうなマグロ丼の写真が載っている。汁代わりの小さいそばともずくがついてくるようだ。また,たっぷり載っているマグロの上には白いとろろがかかっている。そう,別途お金を出せばトッピングができるのである。聞いてみると,そのまま厨房に伝達された。数秒で「卵ならばできる」との返事。なるほど,とろろは品切れか。ま,いいや。卵をトッピングしてもらうことにする。
中は思いのほか広い。余裕たっぷりにスペースが取られた座敷にテーブルが四つ,土間にもテーブルが四つ,さらには奥から外にも出られ,そこには屋根がついていて座椅子もある。そんな中でオバちゃんから「いま準備中だったんです」との言葉。「え,そうだったんですか?」と思わず聞き返してしまった。外にあった「開店中」の看板は何のためのものだったのか。あ,「鮮魚店は開いています」ということだったのか。それにしたって紛らわしい。でも,中に入れてくれただけ親切というべきか。いや,入れないのならばはっきりと「準備中」という札でも出しておくべきだと思うが……って,こーゆーのがまた「沖縄らしい」ということなのか。
少しして「中を掃除するのでこちらへ」と言われ,屋根つきのところに追いやられる…いや,移動させられる。木のテーブルとイスのあるスペースだ。詰め込めば30人は入れるだろう。もっと暑くなったときにはこういう場所のほうがビールなんかが進むかもしれないが,いま現在の私にはたまに飛んでくる蚊との闘いとなる。そばには大きなモダマが展示され,何やらアクセサリーもディスプレイされている。
数分して,オバちゃんが持ってきたものは,ごくごくフツーのサイズのどんぶりにまぐろのブツ切りがいくつも乗っかったものだ。これまた“ヴォリューム満点”なんてフレーズがついていたが,少なくはないけれど,かといって“ヴォリューム満点”ってほどのものかって気がしないでもない。卵は別皿かと思ったら,白身ごとのっけられていて,わさびがくっついていた。写真にあったもずく酢は島豆腐の各切りに,汁代わりのそばは小さい豆腐とあさつきのすまし汁になっていた。
もしかしたら,この状況って「とりあえずやってきたから用意した」って感じでとり急ぎ作られたものか。下手したら,昨日の残りもので作られたとか……ま,時間外にやってきた(というか,開いているような雰囲気を醸し出しているほうも醸し出しているほうだが…)輩には,この程度ということか。まぐろもこれといって美味いという感じではなかったし,卵をトッピングしたのは正解だったと思う。まぐろ(としょうゆとわさび)だけでは何となく味に飽きてしまう感じだからだ。
サクサクと食べ終わって,お勘定。結構広い厨房には,太ったオバちゃんとは別の細いオバちゃんが出入りしていた。「すいません」と声をかけるが,まずは軽く無視される。さっきのオバちゃんは道路に近いほうにいたので,「別に食い逃げするつもりはないですよ」という言い訳を考えつつ外に一歩出てみるが,ガラスの壁が思いのほか厚くて聞こえそうもない。もう1回,さっき無視された細いオバちゃんに少し大きな声で話しかけてみると,今度は返答があった。やれやれ。
しかし,つり銭をまだ用意していなかったようで,小さい3段のプラスチックのボックスには何も入っていない。「細かいのありませんか?」と聞かれたが,残念ながら細かいのは550円しかない。このオバちゃんでは要領を得ないようで,何度か「チヨミ〜!」と呼んでいたが,多分さっきの太ったオバちゃんのことか。しばらくして,太ったオバちゃんがやってくると,同じように細かいのがないか聞かれたが,ないものはないのだ。すると,鮮魚店のほうからビニールの袋を持ってきて,そこからつり銭を出していた。別に悪いことはしていないのだが,何だかちょっと気が引けてしまった。
時間は10時40分。道路にはそこそこ車の往来がある。ここで欲が出てきた。もしかしたら,11時発の安栄観光の高速船に乗れるかもしれないのである。食堂に来るまでの間にタクシーを何度か見たから,上手いことすれば……と思っていると,ドンピシャで空車のタクシーがやってきた。すかさず乗り込んで,離島桟橋まで行ってもらう。これは11時発ので行けるかもしれない。
車内では運ちゃんと会話する。「これからどちらへ行かれるんですか? 竹富島あたりですか?」「いや,波照間島です」「波照間行きは船が揺れるから,後ろに座ったほうがいいですね」「なるほど」「南に向かっていくから“向かい波”だと前のほうがつんのめるけど,逆方向だし後ろのほうが…」――詳細はテキトーに聞き流していたので覚えていないが,そんなようなことを会話した。
そして,泳ぐのかどうかというところから,波照間島というと,最近横浜の中学校の修学旅行生が,ニシ浜ビーチで波にさらわれて亡くなったり行方不明になったという事故があったので,その話題を何気に振ると,「ま,突然潮の流れが変わったりするからね」。クリームソーダ色のあの美しい海は,時として“悪魔の顔”を見せるものなのかもしれない。「責任はやっぱり学校側にありますよね」

10時50分,離島桟橋にタクシーが入る。510円。これだったらば,11時発の安栄観光の高速船に間に合う。早速,安栄観光の予約センターに入り込み,片道の高速船チケットを買う。3000円。6番乗り場に停まっていたそれには,パラパラとしかしながら後部から人が埋まっていた。キンキンにクーラーが効いた中,仕方なく空いていた前方のほうに座ってみたが,たまたま後ろを振り返ったらば空いている列があったので,急いでそこに座ることに。もっとも,6列ある座席のうちの2列目から4列目に移っただけ。いっそシートに覆われた後部デッキまで行かないと,後ろに座る効果なんてあるんだか。その代わりしぶきを浴びる覚悟はしなきゃいかんのだろうが。
間もなく出港。前回波照間島に行ったときは台風の余波での欠航明けだった。まだ波浪注意報が出ていて,特に外洋に出ると結構揺れた(「沖縄はじっこ旅U」第9回参照)。もっとも,その時だっていろいろとおどされたほどの凄まじさはなかったが,今回はそれに比べれば“凪”みたいな感じかもしれない。もちろん,そこそこ揺れることは揺れるが,石垣港の中で他の船のあおりを食らったときのほうがよほど揺れたくらいである。

(2)2度目の波照間島
@あの歌の場所で
13時,波照間港に到着。島内の民宿がレンタサイクルもやっているが,その札を掲げたTシャツ・短パンの人たちには目もくれず,一路ターミナルへ。単にトイレで“小用を足す”ためだったのだが,前回は島内でも“幻の泡盛”と呼ばれる「泡波」を飲んだ「海畑」(「沖縄はじっこ旅U」第10回参照)には,どうやら今回は「泡波」らしき物体はなかった。代わりにというか,その隣にある売店でその小瓶が売られてあった。ま,どうしても欲しいというわけではないので,素通りしてしまったが。
再びルートに戻って急坂を上がると二股。左は集落へ1km,右へはニシ浜へ2kmという看板がある。集落へは後で行くつもりであるが,今回はニシ浜…ではなくて,もっと先の「ぺー浜」を目指すことになる。よって二股は右へ……それにしても,2kmなんて『やえやま』では港から徒歩10分といっているのに,そんなに距離なんてあるわけがない。徒歩10分で2kmを行けるということは,理屈的にいえば時速12km。そんなに早歩きできるわけがない。できたらばオリンピックものである。一体,どんな計測をしているのだろうか。はたまたこれまた「沖縄らしい」というべきなのか。
で,実際徒歩10分ほどで,ニシ浜の入口に辿りついた。ここからは下り坂だ。前回はチャリでスイスイ〜…じゃなくて,オンボロ自転車ゆえにブレーキをギ――――――――――――といわせながら,この下り坂を下りていったのだが(「沖縄はじっこ旅U」第10回第11回参照),それでも駆け抜ける風が気持ちよかったりしたわけだ。でも,今回はそれがないのである。天気も曇っているし,こうなるとムードは半減である。ま,微風でももちろん気持ちはいいけど。
砂浜に下りると,そこに人影はほとんどなかった。水着を着た女性が1人だけ海の中に入っていた。前回はいた即席の売店の人間もいない(「沖縄はじっこ旅U」第10回第11回参照)。肝心の波はといえば,結構高かったような気がする。海草がかなり打ち上がっているのも,その証拠だろう。数m先に行くだけで大きな波を被りそうな雰囲気である。これならば,何かの拍子にさらわれてしまうというのも分かるような気がする。
そういや,5月半ばぐらいの『やえやま』を発行している出版社である南山舎のホームページの書き込みだったと思うが,ちょうど事故があってから少し時間が経っていて,調査が打ち切られそうになったとき,同じ横浜の教師から「家族が現地にいるというのに,このまま打ち切られると不憫だ」という内容のものがあった。それからさらに3週間経っているから,あるいは何がしかの変化があったかもしれないが,いまその事故があったまさしくその浜辺にいるのが,どこか不思議な気分になってくる。別にその関係者と私とはまったく赤の他人であるのだが,何となく後ろめたい気も起こってくる。
自慢するわけじゃないが,私は決して海に入らないで砂浜にいるだろうから,いまの状況で波にさらわれることはまずもってない。でも,この海の中に入る限りは「同じ死の危険にさらされる」条件は整うのだ。不謹慎だが,いまそばにいる水着を着た女性が突然目の前でさらわれたりしたら,いまの私に何ができるというのか。多分,一瞬は「へ〜」と感心して,次にようやっと現況の恐ろしさが沸き立ってくるという感じではなかろうか。泳いで助ける勇気なんてこれっぽっちも起こらないのではないか。

さて,これから行こうとしている「ぺー浜」は,このニシ浜から西南に続いていく砂浜の先にある。自転車だったらば一度道路に戻ってから行かなくてはならないが,今回は徒歩なのでこのまま砂浜沿いに行けば着ける。最終的には空港まで行かなくてはならないので,自転車を借りることもチラッとよぎったが,こういう砂浜での徒歩があることを考えれば借りなくて正解だったと思う。予定よりも1時間早く島に上陸できたわけだし,こうなったらば徹底的に徒歩のメリットを生かしていこうか。
ニシ浜から続くビーチには,ポツポツと人がいるだけだ。6人組にすれ違ったのが,最大の集団か。あとは砂が少し広くなったところで,1人の男性が寝転がっていたのと,岬状に突き出た「浜崎」というところに,3人組がいた。以上,私を含めて12人。もちろん,八重山ではすでに海開きはしていて,海水浴は全然OKな時期だが,その割にはものすごく少ない人数だ。格安チケットの時期じゃなかったからか。でも,格安チケットの時期に混むなんて,どこか打算的すぎないか。ま,1泊2日で好き勝手に島を回ろうとする私が,彼らからしてみれば“もったいなさすぎる”のかもしれないが。
浜崎を過ぎると,海草の数が少なくなってきて,心なしか波も穏やかになったと思う。いよいよ人気もまったくなくなった。向こう300mほどで岩場が広がってTHE ENDとなる感じではあるが,どっかで道路に戻れる箇所が……1箇所は見つかった。でも,まだ先がある感じである。この一帯が「ぺー浜」といって差し支えないだろう。ごくごくシンプルなビーチ――何度となく使った表現だが,それ以上もそれ以下もないのだからしょうがない。気持ちよくてすがすがしい。
その代わり,シンプルで穏やかで気持ちよくてすがすがしくなくなってきたのが私の下腹部である。またかよ(「琉球キントリ」第1回参照)。家から着てきたシャツは汗ばむだろうと思って脱いで,Tシャツ1枚である。だから腹が冷えたのか。もしかしてマグロという生物で腹がおかしくなったのだろうか。万一,高速船で“リバース”しないかと思ったが,それを難なくくぐり抜けてきただけに,こんなトコでおかしくなろうとは……無論,さっきのニシ浜の入口から大分離れているから,トイレの類いはない。ま,この間と比べればまだ起伏は激しくないから,もしかしたら何とかなるかもしれない。
――そういえば,このぺー浜に来た理由を書いていなかった。それはタイトルにもヒントを出しているが,ある曲がきっかけだった。その曲とは森広隆『Pebama』。私が
MJPその6「私が勝手に決めつける「J‐POPベストソング20」で2位に挙げた曲である。詳細はリンクを参照いただきたいが,このタイトルの「Pebama」が波照間島のぺー浜のことだと知ったのは,いまから1年前のこと。私はすっかり「プバーマ」「ピベイマ」とかいって,外国の地名かはたまた人の名前かと思い込んでいただけに,この事実はものすごく意外だったと同時に,もっと早く知っていれば前回観に行ったかもしれないと思ったりしたものだ(「沖縄はじっこ旅U」第10回第11回参照)。
でもって,いまここにいるのは,そのときの思いを叶えるためだった――と,シンプルにセンスよくに締めたいところであるが,裏腹に次第に下腹部の“起伏”が大きくなってきていた。このときのためにわざわざMDに入れて,波照間島くんだりまでやってきたというのに,曲の情景を味わうどころではない。今から考えてみれば腹痛のときは大人しくしていればいいだけなのだが,何だか欲張りになってしまってついつい歩を進めてしまって,その結果刺激が加わってしまったのだろう。ちょうど,1本の大きな流木が横たわっていた。まるで「ここに荷物を置きなさい」といわんばかりに。
引き寄せられるように,そこに荷物を置く私。周囲には誰もいない。いや,いたとしてももはやどーでもいい感覚もあったかもしれない。ズボンを下ろして,広大な草むらに“その場所”を見つける。裸足になるかもしれないからと,靴下まで脱いだが,結局砂にまみれるのがイヤで靴を履いたので「意味ないじゃん」って感じになってしまった。そして“最後の布”を取って……何が原因だったのかは分からないが,好き好んでやってきた場所でこんな格好になるとは思いもしなかった。
でも,不思議と気持ちはよかった。「開放的」というフレーズは案外こーゆーときのほうが意味をなしやすいのかもしれない。一応,でも“証拠”は隠しておきたい。「やっちゃいけない」とは言われていないが,モラールには反するかもしれない。汚したスペースなんて,この砂浜の面積からしてみればたかだか知れているが,それでも「好ましい行為」とは思えない。それでも“罪の意識”のほんのわずかな隙間に不思議な開放感があった。動物のように砂をほじくり返して埋める私。証拠を隠すには砂はあまりある量だったが,どうにも不器用で完全に隠しきれなかったのは,自分のツメの甘さといったところだろうか。(第2回につづく)


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