沖縄 SEE YOU!

A甘いスペシャルのち辛いジャンボ,合間に遊覧飛行?
“大きな用事”を済ませて,引き続きビーチの端っこまで行ってみる。どこかから内陸に入れないか探してみたが,道らしきものはなかった。やれやれ,これは来たままを戻らなくちゃいけないのか……せっかくなので,この浜に来ることになった『Pebama』(前回参照)を聴いてみる。うーん,昼間に聴くよりは夕方に聴いたほうがフィットするかもしれない。それ以上に“大きな用事”ですっかり「気持ちがそがれてしまっていた」のは認めざるを得まい。
途中,内陸に入る道があったので入る。無論,周囲は森となっているし,下は土の道だ。草はボウボウに生えたままだし,そーゆーところは古今東西いろいろな虫さまのオンパレードである。むしろ,人間という動物が入り込むのはおこがましいと思われるエリアだ。踏み分けるそばから虫があちこちに飛び出したり,歓迎なのか威嚇なのか,重低音の羽音を立ててハチのような虫が寄ってくる。どうやらハブはいない島らしいが,毒があるのはハブだけではない。こんなとこでくたばってはしょうがない。
ターミナル脇の自販機で買ったサンピン茶の缶の中身は,すっかり飲み干してしまった。そのそばからダッシュとともに汗で水分が出ていく。たまに夏の陽射しがさすので,NEW ERAの帽子はある程度有効に使えているが,どうしても蒸れてくる。ハンカチは半分潮にまみれているだろう。これは集落内に入ったらば水分補給は必須である。所々ダッシュしながら,何となくオフロード車のテンションで道を突っ切っていく――これ,自転車で来ていたら,はたしてぺー浜まで辿りつけたか。徒歩にしたのはいよいよ間違いではなかったのだ。
砂浜からかれこれ10分ほどで,ようやく出たのは畑地の中だった。サトウキビ畑も見たと思う。さらにテクテクと歩いて1周道路に出た。遠くに白い風車が見える。あの辺りが多分集落の最東端であろうか。最終的には空港に行くので,方角的には風車よりもずっと東に行くべきなのだが,その前にちょっと寄れたらば寄ってみたい場所が集落内にある。針路は北西になる。テキトーに1周道路をなめたあとは,テキトーに集落に向かって伸びる道に入っていく。
数分で民家がちらほら見えだしたらば,集落である。最初に見えたのは「青空食堂」。テントの下でたしか食事をするところだったと思うが,本日は休みらしい。ここで『やえやま』で位置を確認。行くべきところはここからもう少し北西になるので,ちょいと畑地の中を抜けたりしながら進むと,前回昼食を食べた「パナヌファ」が見えた(「沖縄はじっこ旅」第10回参照)。カレーとチャイがなかなか美味かった。外から見えるところではカップルが1組中にいた。居心地はいい店であるが,ここは今回通り過ぎる。もう少し先の道が右にカーブしたところに,その店はあった。
店の名前は「みんぴかー」という。前回旅行のときにはなかった店だ。1年半来ていない間に,島にはいろいろと店ができているようだ。またも食であり,お目当ては「黒みつスペシャル」(500円)というヤツである。名前からして甘党(辛党も両方行けるが)の私にピッタリのかき氷である。水分と糖分のダブル補給である。「あんまー食堂」のまぐろ丼(前回参照)だけではそれほどカロリーはあるまい。氷は水だからノーカロリーであるし,実質,カロリーはトッピングされるものだけであろう。
プレハブの建物は調理台などの置かれている場所で,客はパラソルがついた丸テーブルや,上がりの屋根つきの座敷にテキトーに座る。広さはそれほどないが,詰め込めば20人くらいは座れるだろうか。ちょうど,ニシ浜ですれ違った6人組がカレーだのドリンクだのと,1人1人注文しているところに出くわした。実にタイミングが悪い。しかも,応対する店の男性は1人だけしかいない。これはどんだけ時間がかかるのか分かりゃしない。注文をしたら,そそくさと端っこのパラソルの下のベンチ席が空いていたので座っておく。見ればニシ浜を見下ろすなかなかの景色である。
6人組は多分,20代前半くらいか。波照間島の南がフィリピンだの,有名なブランド名がアルファベット通りに読んだらヘンな読み方になるとか,たわいもない話をしている。そのテーブルの下では猫が1匹いた。構ってくれると思ったのか,そちらのほうにゴロニャンと向かっていっていたみたいだ。別に抱かれるわけでもなく,テーブルの下にただうずくまっているだけであるが,「けだるい午後」をモチーフにしたら,不思議と絵になりそうな構図に見えてくる。
そうこうしているうちに雨がポツポツ落ちてきた。基本的には濡れたくないので,あわてて小屋にくっついたトタン屋根のほうに避難しておく。ずぶ濡れになってはかなわない。もっとも,雲の加減でたまに黒いのがあったりするだけだから,その黒いのがのければすぐ止むのかもしれないけど……足元では蚊取り線香が細い煙を出している。何年かぶりに見た蚊取り線香。たしかに外だから必需品だ。店全体のレイアウトは,どっかキュートでどっか気配りがあって心憎い。
さて「黒みつスペシャル」は,私の予想に反して10分ほどで出てきた。器は直径12〜13cmほどで,標高は10cmほど,深さは3cmほど。見た感じではかなりのヴォリュームだ。きな粉にコンデンスミルク,そして波照間島産サトウキビからできているとかいう黒蜜がかかっている。器の下にはこぼれたきな粉を受けるための銀のプレート。真新しいのか,そのツルツル感とピカピカ感が,どことなくオシャレなデザート足り得ている。
きな粉がこぼれるのがややもったいないと思いつつ一口食べると,“コラボレーション”でものすごくいい味を出している。多分,どれかが一つ欠けても,何か締まりのないものになっちゃう代物だと思う。400円で,たしか黒蜜だけのがあったと思うが,それだけじゃ物足りなかったかもしれない。コンデンスミルクと黒蜜だけでは甘々になってしまうだろうから,これをややビターなきな粉でもってバランスを取っていると,個人的には分析しておく。
締めには氷をすべて崩して,甘いも苦いもすべてが溶け合った“ジュース”を飲み干したときの,何とも心地いい甘さ。標高の高い氷と長い間“格闘”したご褒美とも言うべきか。また“大きな所用”になりやしないかと,胃に刺激が強すぎやしないかと思ったりもしたが,これ以後問題なく済んでしまっだ。これを食べただけでも,もしかしたら波照間島に来た価値があったかもしれない。いや,大げさじゃなくて,そのくらい美味かったと思う。

水分と糖分を補給して,再び歩き出す。向かうべくはさらに集落の中にある売店。さっきの“大きな所用”でポケットティッシュがなくなってしまったのだ。5分ほど歩いてロータリーそばの「名石商店」に辿りつく。前回はここでサンピン茶を買った(「沖縄はじっこ旅U」第9回参照)。あいかわらずの古ぼけたコンクリートの建物。中に入って奥のほうにポケットティッシュ発見。六つの入りパックで75円。一つ20円でいいからバラで売られてほしいものだが,そんなこといちいち言うのは面倒なのでパックごと買う。さすがにこの旅で使い切ることはないだろう。多分東京にお持ち帰りになるかもしれない。
あとは,ひたすら空港を目指すだけだ。時間は14時半。16時発で,多分空港までは3kmほどだろうから,テクテク歩いていけば間に合うであろう。今から考えてみれば,1時間早く上陸して正解だったと思う。あと1時間遅れていたら徒歩では間に合わなかったと思う。もっとも,集落の民宿から有償だが空港への送迎バスがあるそうだが,不定期だろうから多分タイミングによっては出してくれるかどうか分からない。となれば,徒歩で行くには結構時間がかかる広い島なのである。
集落を出ると,あっという間に茫洋とした光景になり,人気がまったくと言っていいほどなくなる。「みんぴかー」にいたときと比べたら弱まっているが,空からはポツポツと雨粒が落ちてくる。傘をささないで濡れて歩くのが気持ちいいという人間もいるが,私はその辺りがどうにも神経質で「濡れる=汚れる」みたいな気持ちになりやすくて,結構抵抗感があったりする。だから,たとえピーカンの日でも折り畳み傘は手放せなかったりする。
そのうち,どうにも耳が寂しくなってウォークマンを取り出した。静寂も生活の営みも動物の鳴き声も,離島では立派なBGM足り得る。だから,昨今では島を歩くときはウォークマンはまったく聴かずに歩いている。そのほうがかえって徒歩に集中できることもあるのだが,五感のすべてで感ずるべき「沖縄」というものを,そのうちの一つが“俗なる音”で奪われることで,感じる“面積”が減ってしまいかねないことがどれだけマイナスなのか,何回もの沖縄奄美の旅で何となく分かってきたからかもしれない。それでも,無性に俗なる音が恋しくなることがあるのだ。多分,それは「すべてを解き放っているけれど,それでも孤独である」という状況にどっか耐えられなくなったときなのだろう。上手く言えないが,なけなしの言葉で表すと,だいたいこんな感じかと思われる。
そんな道端で出会ったものといえば,草むらにいたヤギ4頭。彼らは興味深そうにこちらを見ている。私はテキトーにおどけてみせるが,当然といえば当然のごとく無反応である。別に私のコミュニケーション能力が足りないからではあるまい。ひもでつながってはいるが,野生の部分もあるだろう。別に動物好きではないので,近づくこともなくて一定の距離感を保つのみだ。
集落から外れて30分,平屋建ての空港ターミナルに着いた。中には80歳くらいの女性と30代くらいの男性に,中年の男女の係員が2人。私が建物に入るやいなや,「待ってました」みたいな顔をした。女性のほうは私の名前が分かって「チケットレスですよね?」と言ってきた。はて,どうして私の名前が分かるのだろうかと,「よく私の名前が分かりましたね?」と思わず聞き返してしまった。いわく「お2人だけなので,(コンピュータの)画面で見て分かりました」だそうな。2人か。そりゃ,分かるわな。私以外は皆,知り合いのような感じである。
もう1人の男性係員が「じゃあ,こちらに」ということで,アナログな針の体重計に乗せられる。今回波照間空港から石垣空港まで乗るのは,RACの9人乗りのヤツである。だから体重を測るわけだが,夏場だしかなり軽装だし荷物も少なかったのもあろうが,体重計は68kg台ぐらいを指していた。ジーパンが結構重いだろうし,差し引けばそれなりに以前よりは…少なくとも昨年12月に慶良間に飛行機で行ったとき(「沖縄惰性旅U」前編参照)よりは少しは痩せたのかなと,気分が勝手によくなった。
この9人乗りの飛行機,「沖縄惰性旅U」中編にも書いたが「那覇―慶良間」「石垣―多良間」とともに,廃止対象路線に挙げられた。でもって,残念ながらこの二つは廃止になってしまったが,波照間路線だけは地元・波照間島の度々の要請によって廃止を免れた。それどころか,逆にこの4月からは週4日に限って1日2便に増やしているのである。
通常は,午前中に石垣空港から波照間空港に飛び立って再び折り返してくるヤツ1便だけだが,もう1便,これから私が乗ろうとしている16時・波照間空港発というのが,いわば臨時便として飛んでいるのである(もちろん,これも石垣空港から飛んできたのが折り返す形である)。今までは飛行機による日帰り旅行ができなかったのが,この臨時便によって毎日ではないが可能になったというわけだ。特に今回のように週末にできるのが大きいし,また,実際それを狙っての増便ということであるらしい。
ま,少なくとも今回の私には有効な増便足り得ているわけだが,もっとも利用する人間は(今回たまたまかもしれないが)2人。最高でも1日に18人しか乗れないし,何より価格が片道で7200円。高速船だと片道3000円(安栄観光。波照間海運だと3100円)。倍以上の開きであり,乗せられる人数だって高速船1便ですでに飛行機の1日の輸送量を越えるのである。飛行機は所要時間が20分で,1時間かかる高速船の3分の1ではあるが,双方の空港まで中心部からバスやら何やらで移動する必要があるし,それにも当然お金がかかるし時間もそこそこかかるので,トータルで見れば高速船に軍配――となってしまうのは必然だろう。“赤字”だって素人目にも理解できるというものだ。
そんな路線になぜ私が乗るのかといえば,別にRACにお金を落としてあげるためではない。この飛行機からの風景が抜群によいという評判をあちこちから聞いたからだ。いわく「遊覧飛行」――これが一番大きい。「那覇―慶良間」「石垣―多良間」の二つに乗ったから(「石垣―多良間」の路線については,「石垣島と宮古島のあいだ」前編を参照),せっかくなのでもう一つ…という考え方は,ほんの数%しかない。別に“乗りつぶし”の趣味はないのだ。どうせ沖縄行きはこれが最後だし,皆がとかく言うところの「遊覧飛行」とやらを味わってやろうと思ったわけである。

老婦人と別室に移る。手荷物検査である。この2人が何を怪しいものを持っていようか…って感じではあるが,一応はやるものなのだろう。オッチャンが先がワッカになった金属探知機を私のカバンに押しつけると,“ウイーン”という奇妙な金属音がした。「何か入ってます?」と聞かれたので,ブツを出しながら「MDです」と答えると,「ほーお」とよく分からない反応が返ってきた。そりゃ,あてがえば鳴るわ。ついでに「デジカメ持ってます?」と聞かれたので,「持ってないです」というと,「離陸のときにはデジカメは使えませんからね」とのこと。だから,持っていないっつーの。さすがにベルトコンベアみたいな機械を通すほど,金をかけないのだろう。
検査も無事終わり,しばしウェイティングタイム。「お兄さんはどちらから来られたんですか?」と,老婦人から聞かれた。「東京です」と答えると,「△×※+●α(よく聞き取れず)まあ,来てくださってありがたいことです」とのこと。目の前では関西の芸人によるバラエティ番組が放送されていたが,「戦争マラリアとかいろいろありましたけど,いまこうしてテレビが観られるのは幸せなことです」とさらにおっしゃる。ゆっくり噛み締めるその言葉は不思議に説得力があり,年齢なりに皺が刻まれたその顔は実に穏やかである。
戦争マラリア――石垣市街にあるマラリアに関する資料館である「八重山平和祈念館」にも行ってきたし(「沖縄はじっこ旅U」第6回参照),この島にある「学童慰霊碑」も,戦争マラリアの舞台になった西表島の南部にある「忘勿石」も見てきたので,ある程度内容というものは知っている(「沖縄はじっこ旅U」第10回「西表リベンジ紀行」第2回参照)。だが,実際体験している人を前にするのは初めてである。なもので,実際のことをちょいと聞いてみたいなんて思ったりしたが,お世辞にも“いい話”とは言えないものであるし,人によっては話すのが辛いということもあるかもしれない。こちらは所詮,どんなに真剣に聞いたとしても,動機は興味の域を出ないものだろう。ここは聞かずにいよう。
とはいえ,この老婦人がどちらに住んでいるのかが気になった。一つはわざわざ石垣に行くのか,波照間にわざわざ来ていたのかということと,戦争マラリアを知っているから,もしかしたら波照間の方なのだろうか。ま,そのくらいは聞いていいだろうと思って,「どちらに住まわれているんですか?」と聞くと,「私は生まれも育ちもずっと波照間です」とおっしゃった。なるほど,それで戦争マラリアを知っておられるわけだ。でも,逆に言えば経験しておられるからこそ,根掘り葉掘り聞かなくてよかったのではないかと思うのは,私だけだろうか。
老婦人は「診療所で診てもらったのですが,もっと大きな病院で一度診てもらったほうがいいと言われたので,石垣島の大きな病院に行くんです」とおっしゃった。「月曜日に診てもらうんですが,前もって行っておかないと」とのことだ。「どこか泊まられる場所は?」と聞いたらば,孫が石垣島にいるという。その家に泊めてもらうのだろうが,その“枕”として「石垣島には大学はないけど,高校がありますから」とおっしゃったので,もしかしたら元々一家は波照間の出ということかもしれない。
話は前後するが,飛行機の廃止のこともそれとなく聞いてみた。すると「私は船だと腰が痛くてダメ。それに比べたら飛行機は楽でいいし,近いし」とおっしゃる。別のところで個人的に聞いたところでは,スピードを出すし揺れるからご老人の身体に負担がかかるとのことだった。座席が狭い点では9人乗りのほうが狭い気もするし,スピードだって飛行機のほうが出ているはずし,揺れるのは飛行機も同じ……なんて分析はかえってナンセンスなのか。少なくともこの老婦人のように「飛行機のほうが楽」という利用客がいることは,「遊覧飛行」だのとノーテンキなことをのたまう以前に,立派な「生活路線」なのである。観光客には「ついでに景色を楽しんでくれ」というスタンスなのかもしれない。
16時。いよいよ搭乗。私は「2B」でパイロットの斜め右後ろ。対して,老婦人は「3A」だから私の斜め左後ろ。彼女のほうが先に乗ることになる。スローだが足取りはしっかりしている。こう言っては失礼だが,80年前後生きていれば,どこがしか悪くなっている箇所があってもおかしくない。しかし,誰の手を借りることもなく,1人で飛行機に乗るのだから,考えてみれば大したものである。背負った小さいリュックが狭っ苦しい座席に入るときに少し邪魔になって,係員の手は借りていたが,それでもたった1人で空路で,近いとはいえ島を離れることになる。何事もなく,またこの生まれ故郷の大地を踏めることを願って止まない……なんて,偽善者すぎるか。第一,大したことないかもしれないじゃないか。縁起でもないことを言うべきではないのだ。
2人が乗ってしまえば,離陸まではあっという間。軽く助走をつけたら,フワッと機体が浮かんだ。グングン上昇する機体の下には……単なる岩場にグレーの海。グレーなのは天気のせいだから,それは差し引くとして,その印象は「なーんだ,大したことないじゃん」――私はすっかりニシ浜のクリームソーダ色の海を見ながら飛ぶものと思い込んでいたが,波照間空港は島の東端,石垣島は北東の方向。対してニシ浜は島の北西に位置する。単なる公共交通機関が,しかるべき方向を外れてニシ浜の方向に旋回なんてするわけがないのだ。すなわち,ひたすら最短距離で北東を目指すのみである。ま,こうなると「廃止対象路線に今のうちに乗っておいてよかった」ということになるんだろうか。決して乗りつぶしを生きがいにしているつもりはないのではあるが。

石垣空港には,16時20分に到着。夕陽が再び照りつける中を,私はスタスタとターミナルまで勝手に歩いていく。老婦人は自分のペースでゆっくり歩いているが,別に私は彼女の知り合いでもないし,彼女は彼女で誰か身内が迎えに来ているであろう。ムリに一緒に歩いてあげなくても,係員がそばにいるから心配はあるまい。「飛行機から降りたら見知らぬ旅人同士」でないが,別にベタベタするようなことでもあるまい。私は私の行く道を進めばいいのである。
さて,ターミナルを出て,次に行くべき場所は決まっていた。さっき「黒みつスペシャル」を食べといてナンであるが,夕食を取ろうと思っているのだ。場所は「かやぶきやー 家庭料理の店 ふるさと食堂」というところ。空港からタクシーという手ももちろんあったが,地図で見る限りでは徒歩でも行けそうな距離であるので,ターミナルからの一本道をテクテク歩くことにする。時間もまだ16時台であるし,徒歩で時間をつぶしてちょうどいいタイミングで店に入れれば…という感じである。
もっとも,見る場所なんてものは皆無だ。右手には茫洋とした草地が広がっている。一方の左は空港の敷地だ。最初の信号まで数百m歩くのだが,そのギリギリまで滑走路がある。飛行機に乗っているとその感覚が分からないが,やっぱり小さい飛行場だと言えるかもしれない。あるいは「ゆとりがない飛行場」というべきか。その滑走路の先にはいろいろと店が建っているし,結構スレスレを飛行機は飛んでいる。個人的にはいまの石垣空港の位置は市街地に近いということで気に入ってはいるが,もっと大きな空港が必要だという考え方も,まんざら理解できなくもない。
たしか店は『やえやま』によれば,大きな道路を二つ越えて,三つ目の信号を左に曲がってすぐのところのはず。その三つ目の信号の左角には……ボウボウの草地と所々に家があるだけ。はて,地図とは違うような感じが。ま,とりあえずはその信号の角で左に曲がる。まだまだ開発途上という感じで,新しい家がポツポツと建ち始めている地域のようだ。そんな中で畑地の中の左手に1軒,プレハプっぽい平屋の建物の上に茅葺きをした,ちょいと不自然な感じの建物が見えた。ここが「ふるさと食堂」だった。すっかりすべてが茅葺きの古風な造りをしているのかと思ったが,ちょいと拍子抜けしてしまう外観である。ま,所詮は私の思い込みであったわけではあるが。
中に入ると,テーブル席が四つに,外に向かってカウンターが7席ほどある。その一角に座ることにした。時間は早めだが,ポツポツと客が入っている。私の後にも1組女性2人組が来ていて,彼女たちは入口の脇にある外の席に座っていた。窓越しに見ると,三つほどテーブルがあるみたいだ。もう少し暑くなってくると,こういうのを“テラス席”というのかどうかは分からないが,外で風に吹かれながら食べるのも気持ちがいいかもしれない。
今回,この店で注文するのは980円の「ジャンボカレー」というもの――まったく,前回の沖縄旅行では「あやぐ食堂」で異常ボリュームの「Aランチ」を食べ,後で佐敷城跡で“エライ目”に遭ったり(「琉球キントリ」第1回参照)。何度も書いて恐縮だが,さっきはぺー浜で“大きな所用”をすることになったりと,それでもここに来てまた“ジャンボ”とは……でも,写真で見る限りはイメージというものはつかみにくい。ただ,知りうる情報とはメニューにある「鶏の唐揚げ・ハンバーグ・トンカツ・ゆで卵・大盛ごはん」という文言に,木の板のような皿に盛られたディスプレイだけだ。
ま,波照間島で結構歩いたし,今も石垣空港から歩いてそこそこカロリーは消費しているはずだから…と,これまたいつものように都合のいいほうに解釈してしまう。もしかして,これって大食い独特の解釈方法だったりして……ちなみに,カレーは「甘口」から「激辛」まで5段階から選べるようだ。よく分からずに辛さを聞かれたもので,「フツーの辛さで」と言ったら,「では“中辛”ということで」と女性店員。後で確認したら甘いほうから2番目だったが,こちらもよく分からないので「ハイ」と答えておいた。
で,10分ほどして出てきたものに,一瞬身がたじろいだ。たしかにジャンボカレーではあるが,いかんせん木の板は50cm×30cmほどのバカでっかいものだった。左上に小さい窪みがあって,そこにはドレッシングがかかった生野菜。そして,右下の大きな窪みにはメニューの通りのものがもれることなく乗っかっていた。トンカツはフツーの定食ものに出てきそうなレベルの大きさ。ゆで卵は輪切りになって,皿の右側の縁に点々と置かれてあり,愛らしいデザインになっている。しかし,ボリュームはどう見ても愛らしくもなく,ただただ毒々しい限りの量である。
でも,頼んだものは仕方がない。片っ端から平らげていくしかない。失敗したと思ったのは,トッピングのことよりもカレールーの辛さだった。“中辛”だと,カレー独特の食欲を刺激する風味があまり感じられないのである。あるいは,もうワンランク辛くしてもよかったかもしれない。その辛さで刺激された勢いでかっ食らっていければと思ったのだが,いかんせん辛さがないから,“勢い”が持続しないのだ。食べているうちに,カレー自体にも飽きが来てしまって,その代わりというか,小さいポットに入っていた福神漬はすべて使い切ったくらいである。結構,この福神漬で食べられた部分は大きい。
最悪,トンカツの真ん中あたりの大きなワンカットと,生野菜は残そうかと思ったが,気合いですべて食べきった。トッピングももちろんボリュームがあったが,カレールーが思いのほか多くかかっていた。皿の端のほうにたんまりと溜まっているのだ。カレーの色と皿の色が同系色だったからか,なかなか気づきにくかったが,ルーもルーで結構なボリュームだったはずだ。
店を出る。このカレーで再びカロリーオーバーになったのではと察した私は,ちょいと離れてはいるが日航八重山まで徒歩で帰って消費しようと思ったのだが,歩が進まない。内臓のほうからもちょいと不安そうな信号が発せられているのが分かった。食後の運動については,いいという説とよくないという説とで分かれて聞くが,今回の場合は間違いなく後者であろう。多分,途中で気持ち悪くなってしまって,ぺー浜に続いて1日2回も途中で“大きな所用”を足す羽目になるのは,やっぱりよくない。ここはムリをせずに通りかかったタクシーに乗ることにした。運ちゃんは若い男性だった。
タクシーでは,またもたわいのない話。都内と違って,沖縄ではタクシーだと必ず会話があるとつくづく思う。こちらも話をするのは決して嫌いではないので,気分も多少ほぐれていいかもしれない。今回は私が石垣島に何度か来ていて,繁華街の美崎町にも行ったことがあることを話したのだが,「へー,それじゃ“石垣通”ですね」なんて言われた。単なる“社交辞令”かもしれないが,素直に「いや,酒を飲まないので店とかはまったく知りませんね」と言っておいた。回数は来ていても“旅の嗜好”が人とは違っているので,どっか気が引けてしまうのだ。
日航八重山には5分ほどで到着。ルームナンバーを告げると,カギを渡された。そのまま当たり前のようににスタスタと行こうとすると,名前を呼びとめられる。目の前に出てきたのは,朝フロントで預けたパソコンなどを入れた袋(前回参照)。なーんだ,持っていってくれてなかったのか。単に調子がいいフロントマンだったのか。それとも,これもまたどっかが抜けている“沖縄らしさ”なのか。(第3回につづく)

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