沖縄惰性旅

Bクロワッサン“食べつくし”
やれやれ,灯台はこんなんじゃ見られそうにないか。とりあえず,逆方向の“賑やかなほう”へ行くことにしよう。もっとも,今まで集落に入って会った人間はゼロ。島で一番人口が多いのが水納ビーチ,次に多いのがそのビーチの売店ってのも,ものすごく分かりやすい場所である。家には多分いるのだろうが,陽の強いときに外に出ている人がいないってのは,やはり沖縄らしいのか。
メインストリートよりも1本北側の道を入っていくと,島にある三つの民宿のうちの二つがここにある。一つは「コーラルリーフ・イン・ミンナ」。鮮やかにガーデニングされていて,ペンションらしい白くて清潔な建物だ。その向かいには「民宿やふそ」,何でも,クロワッサンアイランドのホームページでは「積極的に営業していない」とのことだが,窓だけは開いている。ということは「一応,人が住んでいる」のではあろう。しかし,半ば営業を放棄したように雑然とちらかっている。
この道の突き当たりには,水納小・中学校がある。入口には「分教場創設50年,独立30年」の記念碑がある。校舎は一部2階建てで,体育館も立派なのが奥にある。校庭の大きさは50〜60m×20m程度。さすがにこんな小さい島だからか,今まで見てきた中では一番小さい部類だろう。芝生が生えているが,土のラインがトラックの形で1周している。児童総勢は6名(2003年現在)。ま,たった6名だったらば,この校庭の大きさで十分だろう。ちなみに,運動会が16日にあるらしい。あるいは,運動会にぶつかっていたら,それこそこの島で「最大のイベント」の一つだろうから,住民の動きが変わっていたかもしれない。もっとも,別に運動会そのものは見たいと思っちゃいないが。
そこからさらに西進する形に。途中,1軒の家の前に無人の土産屋を発見。貝殻そのまんまやそれをキーホルダーにしたようなもの。そして,お金は勝手に入れていく形。でもって,買った人には何かおまけがつくらしい。脇にある箱を開ければそれが分かるのだが,別にこちらは何を買うわけでもない。だから,エチケットとして箱は開けないことにする。庭の向こうに見える軒下では,父子で日光浴をしていた。西表島の南風見田の浜みたいに,ホントにだだっ広い浜辺に誰もいない無人店ってわけじゃないから(「西表リベンジ紀行」第2回参照),店を覆うテントが彼らに死角になっちゃうとはいえ,ちゃんとお金が入れられる確率は高い……って,たまたま出ていたからか。
それよりも,ここで目に入ったのは島内の地図だ。見たところ,自分たちでスケッチしたような感じである。そして,各スポットに名前がふられている。それによれば,最初に寄ったクロワッサンアイランドそばの入江は「ウラ浜」,その後で見た岩場の多い浜は「ウフォンナ浜」というそうだ(前回参照)。もっとも,いずれもヤフーとかグーグルで検索してもまったく出てこなかったから(特に後者は),地元の人しか分からない地名なのかもしれない。
そして,その地図いわく「グビリ浜」と書かれてあったところが,これから行きたい場所である。島のいわば西端に当たる場所だ。そのまままっすぐ進むと,右手の畑で作業する女性がいる。ビミョーだが,多分目も合ったと思う。至近距離で会った“第1島人(しまんちゅ)”である。その隣にはこじんまりと,しかしながら特徴のある菜っ葉が植えられていたが,ニガナだろうか。
しかし,この女性がいま現在,島の最西端の人間だろう。ここから先にあったのは,墓と牛舎と数頭の牛。墓は20m四方ぐらいのスペースの一番奥にあるが,アプローチが敷地の縁を反時計回りになっていたのは謎だ。前方がポッカリ空いているし,あるいは分譲なのか。でも,分譲しなくっても土地は十分あり過ぎるように思えるのは,地元の都合を知らない余所者だからか。そして,牛舎は木造にトタン屋根のかなりオンボロなヤツだ。それでも「とりあえず日陰キープだからいいや」って感じで,牛は何を気にすることもなく,くつろいだ表情でこちらを見ている。見たところでは5〜6頭いるだろうか。そばには謎のコンクリートの壁があった。
すると,ひらけていた道はこの牛舎の辺りで終わりとなる。その先には果てしない草むらが待ち構えていた。もちろん,向こう側の海の景色なんて見ることはできない。先ほど見た小さいが正真正銘のヘビ,そして「ハブ注意」の看板(前回参照)は,私の動きをここから先に進めさせなかった。やむなく引き返すことにする。帰り際,さっきの畑地で作業していた女性に,間違いなく観光客と思しき中年観光客の女性が話しかけていた。何を会話していたのかは聞かなかったが,こういう気さくな部分がまだ自分には足りないと思った次第である。

時間はまだ11時台前半。このままビーチに戻って待っているのはアホらしい。空はいい感じで陽が翳ってきて,動きやすくなった。うーん,さっき行きそびれた灯台に再度チャレンジするか。とりあえず,さっきのどんづまりまで来て,また左に曲がってみる。さっき「ハブ注意」の看板があったロッジ跡と思われる場所だが,その奥に続く道を念のため辿ってみたかったのだ。コンクリート製の下水のフタっぽくなったところに上がると,樹木が織り成す天然の小窓がある。しかし,その向こうを見れば,人がウロウロ。どうやら,水納ビーチの一角のようだ。超狭い道が先に続いているが,これだとさすがに行っても意味がないから,引き返すことにする。
でもって,今度はどんづまりの右に行く。すると,間もなく左手奥に木造の“怪しげな家屋”が。とりあえず,その家屋で行き止まりのようだが,そこは御嶽だった。ガジュマルのグロテスクな様の下に,幅5m×高さ2mほどの石造りでプレハブの社。入口は板で覆われていた。昔,この島全体が「メンナノ御嶽」という御嶽だった。1890年に瀬底島の製糖会社が開拓,移住が始まったのは1903年とされているが,はて,ここがその御神体なのだろうか。
この右に行く道には続きがあるようだ。そして,上には電線が海に向かって走っている。多分,この先は灯台に間違いない。しかし,そのまま行くと,またも草むら…というか原生林だろう。緑がジャリ道のところまで垂れ下がって行く手を阻む。「出てくるものが出てきそうな雰囲気」である。人だって誰も来ない。しかし,ここまで来て怖がってちゃあ,何のための島内散策か分かりゃしない。だから,所々ダッシュをしながらも,ズンズン中に入っていくことにする。あいかわらず,バッタによる「モーゼの十戒」はすごいし,たまにイモリだかヤモリだかが,私の気配ですばしっこく草むらに逃げ込む。
そして,入っていくこと5分,目の前がひらけて白い灯台が見えた。ちょっと上り坂になっているが,なぜか最後の20mぐらいだけ,石が置かれて歩きやすくなっている。そこを上がると,高さ15mほどの小さい灯台。周囲にある樹木はモクマオウ。数年前にはそのモクマオウが灯台を隠すくらいに生い茂ったために,伐採することになったという。何ともノンキな話である。ちなみに,灯台の脇から海に下っていけるケモノ道があるが,ここはさすがに入らない。多分,岩場だろう。
再び来た道を戻る。まだ時間は11時40分。東の端っこを行ったとなれば,やっぱり西の端っこに行ったほうが悔いは残らない。もっとも,行かなかったからって今後の人生に「影を落とすもの」はまったくないのだが,何となく“勢い”はついてきたし,十数分前に通過した道をまた往復することにする。さっきの貝殻と地図があった家は,食事が始まったようでみんな中に引っ込んでいた。畑で作業していた女性も,どこかに消えていた。
しかし,灯台に行くときに通った道よりも,こちらのグビリ浜に行く道のほうが,あまり整備されていなかった。茂みの背丈は低いのだが,逆に低い分,道と茂みの距離が近いし,こちらに寄りかかるようになっている場所も多いし,下はハブやら何やらが出てくるか不安だし……それでも,何とかアダンの木の隙間から波間が見えてきた。最後に走って浜に出ようとすると,蜘蛛の巣に思いっきりひっかかったらしく,何とも気味の悪い思いをする。
それでも出ていったグビリ浜は,思ったよりも狭い砂浜だ。せり出した岩の隙間に砂浜がある格好である。それでも砂のキレイさは,多分水納ビーチ以上だと思う。しかし,沖にリーフがないらしく,強くなってきた風で少し高くなった波が,思いっきり寄せてくるのだ。ホントに凪ぎのときは,夕陽でも見ながらビールをグビリ…って,グビリが言いたかっただけのようだが,いずれにせよ,これだけ波が押し寄せていると,あまり長居はできなさそうだから,さっさと水納ビーチに行くことにしようか。

水納ビーチには,12時10分に戻る。桟橋には高速船が泊まっているが,まだ中に入るまでには時間がある。空は次第に黒い雲が覆い出し,風が同じ柄のパラソルを同じように大きく揺らしている。とりあえず,ビーチでテキトーに過ごしてみる。ボートに興じる人あれば,ロング浮き輪で戯れる人しかり。それでも,10月でシーズンが多少オフに近くなっているのもあるだろうが,あれだけの客が高速船に乗った割には,大分静かなビーチの光景だと思う。
Tシャツにジーンズの私は,多分ビーチで一番の厚着だろう。私は「ビーチといえばヤドカリくん」ってことで(「沖縄はじっこ旅U」第8回第11回「西表リベンジ紀行」第2回第6回参照)楽しみにしていたが,一向に現われず。あるいは,海の家がない対岸のほうがよかったのか……いずれにせよ,やることがなくなったので,船の待合室に入ることにする。
中はベンチとトイレがあるだけのシンプルなもの。そして,畳敷きの4畳程度の上がりがあって,カップルの女性のほうが,疲れたのか横になっている。10分ほどすると,人が多くなってきたので,再び外に出たり中に入ったりしながら,10分程度の時間をつぶすのに苦労する。うーん,やっぱり観光ビーチは1人で来る場所ではないのかもしれない。
やがて,高速船の周囲に人が集まり始めたので桟橋に行くと,4人親子の後につくことに。そして,私の後ろにも列ができ始めた。もっとも,1人なのだから座席なんてどうとでもなりそうだが,何だか早く入って“いい座席”を取ろうだなんて,ヘンに欲をかきたくなってくる。並ぶくらいは慣れているし……しかし,黒い雲からはとうとう雨粒が落ちてきた。
あまり濡れるのが好きじゃない私は,思わず傘をさしたくなってきたが,近くの軽トラックに乗っていた男性が我々を見かねたのか,「ここは(12時)45分ごろじゃないと開かないですから,待合室に行かれたほうがいいですよ」と言ってきた。私は素直に戻ることにしたが,何のことはない。素直に戻ったのは私だけ。ガクッ。待合室では時間帯からか,昼飯を食べる人が多かった。
それでも,10分経って雨足が弱ってきたので,また桟橋に戻ると列は数人が増えていた程度。やれやれ,これだったら戻るだけ完全にムダ足で,最初からずーっと待合室にいてもよかったのだ……そんな中で休憩ということか,クロワッサンアイランドのマークが入った軽トラックに,日焼けした中年男性や若い男性数人が上半身ハダカのまま荷台に乗っかって,集落のほうに連れていかれていった。多分,昼休憩でも取るのだろう。たんまり遊んだとでも言いたげな表情をしていた。
12時42分,乗船。その前に,係員がどこかからホースを持ち出して,大きな四角のバケツに水を注ぎ出した。何のためかと思ったら,そこで足を洗ってから船内に入るようにするための即席の水洗い場だったのだ。みんなそこで足を洗ってから中に入るように言われていた。気がつけば,バケツの底には砂がそれなりにたまっていたと思う。これはこれで効果的なのだ。でも,中にはそこで洗うのを嫌って,払い落としているギャルもいた。
上空は,あいも変わらず黒い雲が覆っている。雨粒も気まぐれに落ちてくるし,風も少し強い。そんな中,ピカッと光るものが。やれやれ,雷かよと思ったら,近くでカップルが写真を撮っていて,フラッシュだったのだ。紛らわしいぞ。そして,今度は定時に出発。中は半分程度の乗船率だろう。桟橋で見送るのは小学生の兄弟と思しき2人。係員の1人と親しげだったから,多分父親を見送ったのであろう。

(7)懐かしき日本の情景
@10月の氷ぜんざい
渡久地港には,13時20分に到着。外は雨が止んだが,やや蒸し暑くなった。はて,次に行く場所はここから歩いても行ける距離だというが,私も一度通ったルート(「沖縄卒業旅」第2回参照)とはいえ,記憶が定かでない。というのも,これから行こうと思ったところは,この2月に行って沖縄そばを食べた「きしもと食堂」のそばであり,周囲は道は狭いし,まずもって駐車場がないところだからだ。仕方なく,近くにある公設市場のそばにあった,ちょっと広くなっているスペースに路駐することになったのである(「沖縄卒業旅」第1回参照)。
その行こうとしている場所とは「新垣(あらがき)ぜんざい屋」。その名の通り,ぜんざいの店だが,これまた情報誌やらテレビやらに出てくる老舗である。首里そばでぜんざいを食べなかったのは,ここで食べようかと思っていたからである(第1回参照)。上記「きしもと食堂」に行ったとき,どうやらその近くに店があったようだが,残念ながら見つけられなかった。とはいえ,営業は13時からというから,私が前回行ったときはどっちみち,営業はしていなかったということになる。
で,結局は「行ってからどこに停めるか考えよう」ってことで,車で行くことにしたが,なになに結構な距離を走ったと思う。多分1kmぐらいあるだろう。歩いてまあ15分見ればいいかもしれないが,行ったからには当然だが,戻ってこなくちゃいけない。行きは歩いて行ったけど,帰りはタクシーなんていったら,まったく愚の骨頂である。
そして,いざ市場のある通りへ入っていくと,上記きしもと食堂で食べるのに車を停めた,まさにその辺りに新垣ぜんざい屋はあったのだ。少し古ぼけた白いコンクリートの素っ気無い店だ。縦書きと横書きで1箇所ずつ「新垣ぜんざい屋」と書かれてある。ちょうど,きしもと食堂の前の通りから市場の前に出た角っこにあった。なるほど,前回は北側の路地からきしもと食堂の前を通って市場の前に出て,その奥で転回して左に寄せる格好で停め,急いで店のほうに向かったから,建物に描かれている文字など目に入るわけがなかったのだ。
さて,そのぜんざい屋だが,人がどうやら外に出て待っている感じだ。さらに,周囲を見れば完全に路駐でスペースはふさがっている。これだと,停めようがないか……あ,ぜんざい屋の右側が中に入っていける路地になっている。そこを入っていくと,10mちょいで十字路になるが,その手前の右角が駐車スペースになっているようだ。赤い車が1台停まっているが,ナンバープレートを見る限りでは多分…いや,間違いなく個人の駐車場かもしれない。目に入った別の駐車場は「契約車以外お断り」なんて看板が出ているが,ここには出ていない。もちろん「出ていないから,停めてもいい」なんてわけがないのだが,とりあえずそんな居座るわけじゃないし,この赤い車の脇に入れさせてもらおう。人通りがまったくなかったのも,ラッキーだったと思う。
ダッシュでぜんざい屋に向かうと,中年女性が1人店の外に立っていた。しかし,店の中をのぞいてみれば,彼女の前に列はできていない。厨房の入口に男性がいて,彼とコンタクトを取っている感じだ。ってことは,彼女は彼が買ってくるのを単に外で待っているだけの人間。まったく,こんなところで紛らわしいぞ……ということは,まず並ばずに買えるじゃん。ラッキー。対して,近くに見える「きしもと食堂」には,20人くらいの列ができているから,なおさらである。
店内は,一応現在風で言えば「イートインスペース」があって,昔ながらの緑のクッションに細い足の金属イスとテーブルが4〜5セットくらいあったか。セルフサービスのお茶のポットもあった。中で食べている人も結構いるし,席の空きも一つか二つはある感じだが,置いてきたムーブのこともあるし,飲み物ならば車内にもあるから,ゆっくりと食べるのならやっぱり持ち帰りがいいだろう。
ちなみに,この店で売っているのはぜんざいのみ。店内で食べると200円だが,持ち帰りだと,容器代として20円加算されて220円。ここもまた「首里そば」の比ではないとはいえ(第1回参照),ちょっぴり店員の中年女性2人はてんてこ舞いっぽい。でも,こちらにしっかり気づいてくれて,「ぜんざい,持ち帰りで」と言うと,「はい」とすんなり返答してくれた。彼女が入っていった厨房は,カウンターからよく見えるのだが,薄暗くて田舎の農家の台所っぽい構えだ。手前には駄菓子屋レベルでも置いてありそうなかき氷機。シャカシャカと休みなくかき氷を作っている。
5分もかからず,氷ぜんざいを受け取る。まっすぐムーブに帰って中をのぞくと,プラスティックのカップに入ったかき氷をそのまま,半透明のビニール袋に入れたって格好になっていた。なるほど,こういうことだったのか……ちなみに,はっきりと記憶にないのだが,もう一つ「家まで持ち帰り用」というのもあったと思う。ただし,それは「+200円」という文字が入っていたと思う。多分,何か特別の容器に入れて持って帰るのか。ま,ベストなのはその場で食うことだし,言外に「あまり面倒なことを,この忙しいのにわざわざさせないでくれ」ってことを言っているのかもしれない。
で,氷の“標高”は20cm近い。はっきり言って“大盛”ってヤツである。これで,200円台とは驚きである。残念ながら,ムーブにはテーブルに代わりそうなものが見当たらないし,袋から出すと氷でビショビショになりそうだし,袋に入ったまま手に持って食べることになる。でも,途中でクレームがつけられたら,袋のままだから素早く運転に切り替えられていいか。
ぜんざい自体を食べるのは,昨年7月に首里の石畳道を登った後で「嘉例山房」で食べて以来(「サニーサイド・ダークサイドU」第4回参照)。しかし,嘉例山房のそれは器が小さかったし,量も少なかったし,どこか上品なものだった。それに比べれば,ここのは王道を行く感じで量もたらふくあるし,まさしく「ぜんざい of the ぜんざいs」という感じである。ちなみに,東京では俗に言う「氷ぜんざい」は一度も食べたことがないし,かき氷自体も片手で数えられる程度しか食べたことがないと思う。
なので,食べ慣れない私としては,標高が高いかき氷にどう“トライ”しようか一瞬迷ったが,シャカシャカとプラスティックのスプーンで氷をテキトーにかき混ぜているうちに,上手いこと混ざって“適当な高さ”になってくれるものである。まるで大量にナベに入れた青野菜が,いつのまにか“適当な量”になってくれるように……そして「これだけの氷だと,最後はかなり水っぽくなるのかな?」と思ったが,食べているうちに出現してきた濃ゆいまでのぜんざいは,最後まで底にたっぷりと濃さを変えることなく,そのままの甘さでいてくれた。誰に邪魔をされることなく,しかもカーナビについたテレビを見ながらのぜんざいタイムは,ちょっと贅沢な一時のような気がした。
ちなみに,色からして小豆かと思ったが,金時豆のようだ。カマドに薪をくべながら丁寧に5時間かけて炊き上げ,炊き上がった金時豆の色つやがいいように,砂糖はグラニュー糖を使用。氷と一緒に食べることを考えて,あらかじめ甘めに味つけがなされている。なるほど,通りで上述のような甘さがキープできるわけだ。そして,気がつけば結構腹いっぱいになっていた。

昼食はこのぜんざいだけにする。ゆがふいんの朝食バイキングでたんまりと食べたものだから(前回参照),昼はあえて控えることにしたのである。これも予定通り。とはいえ,この量は予定外である。これだと結局,ガッチリ昼飯を食べたのと変わらないかもしれないけど,実質カロリーがあるのはぜんざいだけであるから……って,油断は禁物だが,このくらいは見逃してもらおうか(って誰に?)。
ぜんざいを食して,次に向かうのは同じ本部町の備瀬(びせ)地区である。渡久地の中心部を後にして国道449号線に出ると,再び雨粒が落ちてくる。しかも,ワイパーを連続して動かさないといけないくらいだ。またも沖縄の気まぐれな天気に軽く翻弄されてしまう。でも,抵抗したって仕方がない。「なるようになるさ」と気楽に構えよう。食べたいと思ったものを,今のところすべて“クリア”しているから,その余裕もあるかもしれないが……って,やっぱりこの旅行記は「グルメ旅」にしようか。
ま,そんなことはどうでもいいとして,間もなく「←備瀬のフクギ並木」という看板が出ているので,左折することにする。でも,後ろも前もみな左折である。というのは,同じ方向には沖縄本島…いや,沖縄県最大の観光地である「美ら海水族館」があるからだ。かつては「沖縄記念公園」というほうが一般的だったような気がするが,いまやかつての「30年前の博覧会の跡地」というよりも,「日本一大きなアクリル水槽」のほうが一般的になりつつあるのかもしれない。2002年の年末に記念公園自体には訪れたが,水族館は入らずしまいだった(「沖縄標準旅」第3回参照)。
その記念公園…いや,水族館の駐車場の前で軽い渋滞に出会う。ノロノロ走ることになるから,少し周囲の景色を余裕持って見ることができるわけだが,まあよくもこんなに…ってくらいにビッシリと駐車場には車が入っている。しかも,いくつもある駐車場のすべてが同じ有り様。そういえば「掲示板」では,朝早くに行くことをすすめる書き込みが多かったが,この状況を見るとうなづける。事実,今から入ろうとしている車は「満車」という赤い2文字と,情け容赦なく別のスペースに行くように誘導する警備員の前に,目的地から遠ざからざるを得ない状況に追いやられている。
そんな彼らを尻目に,ムーブはとある路地に入り込んだ。もちろん,水族館なんて初めっから行くつもりはない。この“ハコモノ”は「どうにも見るものがなくなった場合の最終兵器」として,いつまでもとっとおこう。もっとも,別にその最終兵器がどうにかなったって,私には「後悔」の“こ”の字も感じないであろう。とはいえ,こんな路地にも記念公園…いや水族館の駐車場があるらしく,結構車の出入りは多い。その雑踏をかき分けるとすぐ,私が行きたいと思っていた場所の駐車場がある。雑踏からホンの数十mのところ。なのに,そこだけはしっとりと雨に打たれて静かな場所だった。(第6回につづく)
 
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