沖縄惰性旅

(6)Welcome to‘Croissant Island’
@みんな水納島に
翌朝目覚めると,思いのほか天気がよい。来る前の予報は確実に「曇りときどき雨」だったと思うが,これはいい方向に予報が外れた。そして,窓を開ければ10月だというのに,熱帯夜明けの湿気ムンムンな空気が漂う。寝る時はやはりクーラーをかけっ放しにせずにはいられなかった。そして,運よくオーシャンビューの部屋が取れたこともあり,海がキラキラと光が反射するのが見える。
今日はこれから水納島に向かうわけだが,島を散策するのに雨だとイヤだなと思っていただけに,ラッキーな幕開けだ。波が「2.0mのち2.5m」と次第に高くなる感じであるが,どうせ高速船だし,昼のうちに本島にバックするから,心配は無用であろう。あとは,どのタイミングでここを出発すればよいか。1人だから座席は多分確保できるだろうとは思うが,問題はムーブを停めておく場所である。早いところ確保しておくに越したことはない。8時半辺りに出発としようか。
その前に,7時からの朝食バイキングである。ゴーヤとシーチキンが入ったスクランブルエッグが一番美味かった。あとは,どこのバイキングでも定番な鮭や鯖の一口カットの塩焼,あるいは納豆に生野菜,今回は食べなかったがコーンフレークもあった。さらにはカリカリベーコン,野菜コンソメスープに入ったウインナー,パパイヤイリチー,味噌汁はゆし豆腐とあさつき入り……と,結局また思いっきり食っちまった。しかも,ベーコンとウインナーとスクランブルエッグはお代わりまでしてしまった。朝っぱらからヘビーなスタートを切ってしまう。
でも,これは水納島での食事を期待しないためには,仕方のない(?)ことなのだ。季節営業のパーラーはすでに閉まってしまったようだし,それ以外は,せいぜい水納島のビーチ近くにあるファーストフード程度のようだ。13時発の高速船で戻ってくるわけだし,実はひそかに狙っている食べ物が本部町にあるのだ。なーんだ,やっぱりこの旅は「グルメ旅」にしたほうがいいのか。いずれにせよ,そういうことで,水納島では食事をしないことに最初から決めていたから,ここでガッチリ“元を取った”のだ。
8時25分,チェックアウト。出発。空は次第に雲が取れて,青空が多くなってきた。島で泳ぐつもりはまったくないのだが,まさしく今日は「水納島日和」であると言えよう。ゆがふいんを出ると,早速私の前に1台のワゴンが立ちはだかる。そのワゴンは,ボートを後ろにつないでユラユラと走っていた。はて,魚釣りでも行くのだろうか。やがて,途中でコンビニに入っていった。
道も空いており,快調に国道449号線を飛ばしていく。国道のバイパスは,いつのまにか距離が長くなっていたと思う。ますます観光客が地元の集落に入る選択肢はなくなったかもしれない。その利便性から,これまた海水浴客が多く訪れる瀬底島(「沖縄標準旅」第3回参照)。この島に通じる瀬底大橋の大アーチを越えて間もなく,右手に入る道が現われた。渡久地港に向かう道だ。そのまままっすぐ行くと本部町の中心部へ通じるが,こちらは適当に路地を入り込んで,港町らしい風情を味わいながら港に向かう。“ゴール”は間近だ。

8時50分,渡久地港到着。目の前に赤いアーチ橋と青い空と海が開けた。周囲は「ありのまま感」たっぷりで,これまた実に素っ気無い。しかし,1時間前にもかかわらず,ビッシリと車が入っている。なるほど,「早めに行ったほうがいい」という意味が分かった。那覇から高速を飛ばして行っていたとして,どんなに最短だったとしても,あと30分は遅れて着いただろうが,間違いなく駐車スペースは探せなかった。あるいは10時までに着けなかったかもしれない。ゆがふいんにして正解だった。
さて,内陸側には1本大きな木があって,チケット売場や売店もあることから結構日陰になっているところがあるが,そこにはもう停められる場所はない。水納島行きの車なのか,はたまた港湾関係者なのか分からないが,先には先があるものである。しかし,海側で幸運にも高速船のそばに1台分入れるスペースがあった。間髪入れずにそこに入れることにする。
チケットを購入。人気が結構ある島だというのに,プレハブの小さい売場である。待合室も,規模はさすがに売場より大きいが,似たような感じである。往復で1490円。オンシーズンということから,帰りの時間を指定するようにとの張り紙。上述のように13時と指定すると,復路のチケットのほうにでかく赤いマジックで「13:00」と書かれる。これにて正式に準備完了。夏場だと1日10往復ぐらい出ている高速船も,10月からは3往復にぐっと減る。水納島のビーチ自体は10月まで営業しているようだが,さすがに10月までバンバン運航することはできないのだろう……ま,ある程度行ける見込みを持っていたつもりだが,やっぱり完全に行けるとなればホッとするものだ。
まだ時間は1時間ほどあるので,車でカーナビについたテレビを観る。ちょうど「サンデーモーニング」で“喝!”のコーナーをやっていた。高校生ドラフトでの不祥事,横浜・佐々木主浩選手の引退,サッカーや宮里藍選手,そしてパ・リーグのプレーオフでロッテが先勝……結局,最後まで見てしまった。こんな場所でテレビを観ることになるとは思ってもいなかった。エンジンをかけるのはもったいないから,ひとまず半分“スイッチ”が入った形で見る。エアコンの風が半ば送風状態で生ぬるく,少しばかり汗ばんだ状態で観ていた。それでも,カーナビの機能の多さに感謝。
そんな中でも目の前では,続々とレンタカーが滑り込んでは停める場所を探している。中には売場の脇,「そこは道路だろ」って言われてもいいような場所に車を停めているのもあった。多分,裁判をやったら「建物から○cmの位置だから,ここは“建物の脇”だ」なんて,コミカルに揉めそうである。それでも,みんな水納島に行くのに必死なのだろう。
9時20分,“喝!”のコーナーが終わったし,そろそろ人が高速船の周りに集まってきたので,車を降りることにする。Let's noteは今回も車内に置いていくことになるが,昨日首里を歩いた限りでは,一時の夏の強烈な陽射しではなくなった。3時間程度だし,問題はないだろう。昨日,DFSでTシャツを買ったとき(第2回参照)に入れてもらった黒地のビニール袋が,大きさ的にもちょうどいいし,そこに折り畳み用の傘とケータイを入れて向かうことにする。外に出ると,なぜか車内よりぐっと涼しかった。陽が一瞬翳ったこともあるのだろうか。
とりあえず,売店の付近をうろついてみる。まだ暑い最中の散歩では冷たい飲み物が欠かせない。こういうときはさんぴん茶に限る。そばにあった自販機でペットボトルのそれを買おうと思ったら,すでに売り切れ。缶のそれはあったけれど持ち運びには不便だし,仕方ないからボルヴィックの350ml入りペットボトルを買う。もっとも,後で店の反対側でチェリオの自販機を発見したところ,そこには500ml入りのペットボトルが100円で売られていた。先走りしすぎてガクッ。
また,その店の向こうには「冷し物」という看板が掲げられた店もある。ブルーシールのアイスクリームの旗もあった。また軽い定食もやっているらしい。辺りは,次第に家族連れや若者同士の集団で人口密度が高くなってくる。加えて「わ」ナンバーの車がウロウロしている。あるいは,高速船にも乗れなくなってしまうかもしれないぞ。お気の毒さま。気がつけば,港の敷地と言えるエリアは,ビッシリと車で埋め尽くされていた。

9時40分,高速船に乗船する。私の前にいた家族連れは,浮き輪やらクーラーボックスやら自分の衣装やら,いくつもの荷物を持っている。格好はすでに海水浴のスタンバイOKである。あるいは,泊まり込むのだろうか。サングラスをしたお母さんらしき女性が,1人缶ビールを飲み干していた。こうして待つのも一苦労なのだ。子どもは勝手に騒いだり寝たりしてしまうが,自分らはそうはいかない。ビールはつかの間の涼であろう。気まぐれに注いでくる夏っぽい陽射し,そこに海からこれまた気まぐれに吹いてくる涼しい風は,場所はともかくとして,気象条件的にはビアホールみたいなものだ。
船内は160人乗りということで,それなりに広く作られている。自販機もあればトイレもある。そして何より内装がキレイである。小さい離島に行く船なんて,それこそ久高島に行くとき乗った高速船(「沖縄・8の字旅行」前編参照)や加計呂麻島に行くときに乗った海上タクシー(「奄美の旅ファイナル」第1回参照)みたいに,ものすごく雑然として生活感があふれていて,中には「こんなもの,何で積んでるんだろ?」みたいな個性的な船が多いのだが,水納島についてはほとんどが海水浴のレジャー客ばかりだ。あんまり身なりがきちっとしていなくては,観光業としては務まらないところだろう。
と,突然目の前でフラッシュが。若者同士で使い捨てカメラで写真を撮り合っているようだ。こういう光景を見ると,島内散策に1人行く目的の私は,つくづく浮いた存在なのかもしれない。荷物だって,上述のようにものすごく“軽装”である。島で唯一の観光スポットと言ってもいいかもしれない水納ビーチは,港からすぐのところにあるという。その敷地から内側に入る輩は,多分私だけだろう。
外を見れば,おそらく乗れなかったのかもしれない客が数人いた。さらには原色の車のボンネットばかりが見える。そういえば,DFSで車を借りるときに「“塩害”にお気をつけください」と言われたが,例えば,こういう青空でかつ港近くに車を置く…というか「置かざるを得ない状況」ならば,積極的に塩害にかかろうとしているようなものであろう。観光需要が少なからずあるのならば,例えば屋根を設けるとか,有料にしてもいいから設備を整えるべきだと思うが,いかがだろうか。あるいは「タダで停めさせているわけだし,塩害なんて他人のことなんざ知ったことか。第一に動きゃいいんだよ」ってことか。
そして気がつけば,船内は立ち客も出るほどになった。もっとも,座席を譲り合えばいいだけかもしれないが,あえて座らないのか,はたまたマナー悪く座らせないのか……いずれにせよ,満席っぽい様相だ。オンシーズンであることの何よりの証拠だろう。2人席の私の隣にも女性が座った。そして,間違いなく5分前のはずだが,9時55分に出航と相成る。赤い鉄橋を越えて,伊江島(「サニーサイド・ダークサイド」第5回第6回第7回参照)を右に見つつ外洋に出ると,一度軽い揺れがあった。波しぶきでもかぶったのか,デッキのあたりから大声が聞こえた。

Aクロワッサンの“内側”で
10時10分,水納港到着。なるほど,「水納ビーチまで30秒」とはよく言ったもので,何のことはなくビーチの中に小さい船着場があるようなものである。昔はそれこそ,サバニみたいな小船が適当に砂浜に上陸する程度で事足りていたのかもしれないが,口コミだか何だかで「水納島のビーチは美しい」などと広がっていって,やむを得ずとってつけたような経緯を勝手に想像してしまう。
船を降りて海を見ると,なるほどベタに白砂&エメラルドブルーである。しかも,波打ち際だからものすごく浅い。ある程度外に向かって桟橋を出っ張らせたのは,このヘンの理由が大きいだろう。たまたまそばに歩いていた若いお姉さんが,お魚さんが泳いでいるのを見かけたらしく,茶髪の彼氏に向かって「チョー,シマダイとか泳いでるんだけど」って,間違った日本語がついて出てきていた。ビーチではすでに前日からの泊まり客が,ビーチでパラソルを張っていたり遊んでいたりしている。
ところで,ビーチでは一つ気になっていることがあった。またも沖縄情報IMAであるが,そこの「ゆんたく掲示板」というところで話題になったことだが,それは島には関係ない業者による不当営業のことだった。新聞記事と写真が紹介されていたのだが,その写真には,静かなビーチには大よそ似合わない,景観を思いっきり損なうようにテントの類いがいくつも張られていたのである。まるで,それは何かとてつもない天災が起こって家にいられなくなった難民が,仕方なくそこに避難して生活しているかのような光景にも見えたのだ。
しかし,今回行ってみると,それらの雑然としたテント類は一切撤去されていた。沖縄県と本部町による本格的な強制撤去が行われたのである。ビーチといっても,湘南や九十九里みたいな広さはもちろんない。両端で1kmあるかないか。そんな狭いビーチに,島の外から乗り込んできた業者が言ってみれば,島で「細々ながらも,これで十分」的営業をしてきた地元業者に割を食らわす格好になっていたのだ。もっとも,この撤去が行われるまでにかかった時間は15年ほどだというから,島としても行政に対して“複雑な気持ち”があるようだが,いずれにせよ,島に元の静けさが戻る可能性がある処置がされたことだけは,たしかなようだ。
そして,現在の光景は「昔ながらにある素朴なビーチ」っていう感じで,丘の手前に「水納ビーチ」と赤文字で書かれた古めかしい木造の“海の家”があるのみ。その代わり,ビーチでは今までのように食べ物を買うことができなくなって――それはもちろん,不法業者が違法に売っていたということだ。彼らにしてみれば「観光客のために」であろう――,集落のほうにある売店で買わざるを得ないという,ある意味「観光客にかつてのの不便を強いる」というそれなりに払った“代償”もあったようだ。But Simple is best.――これで十分ではないか。もっとも,それは私がビーチを一切利用する予定がないから言えるってのもあるかもしれない。
「○○ツアーのみなさん,待合所に集合してください。今日は少し風が強いようですね〜」なんてツアー会社か地元のダイビング施設の男性の声が聞こえる。第1回に書いたように,個人では高速船の予約ができないが,どっかのダイビングツアーにでも参加すればその心配はない。なので,ツアー参加で水納島にやってくる人間は多いようだ。
そんなビーチにどんどん掃けていく人たちをよそに,私は石畳になった上り坂を上がっていく。ちなみに,私より少し上ぐらいの夫婦が一緒に上ってきていたが,彼らはどうやら近くにある民宿に荷物を置くためみたいだった。ホントに“民宿”って感じの建物には,「大城」と書かれてあった。そのそばには,準備中の売店がある。多分,ここが上述の理由で移転となった売店だろう。私の後から,重そうなダンボールを抱えてやってくる若者がいた。
そこから数十m行くと,左右にすれ違う道。これがいわゆる“メインストリート”と言うべき道だろう。もっとも,右手には舗装されていくが,左手はジャリ道。幅はどっちみち,軽自動車が1台通れる程度。それでも「この島にはこれ以上の幅の通りなんざ,いらないよ」ってところだろう。右手奥には学校の建物が見える。水納小・中学校である。後で行ってみるか。
家はこの十字路辺りに集中している感じ。そこからさらに進んでいくと,早くも対岸の様相。“小窓”から青い海が見えるような景色に出くわす。とりあえず,そのまま進むと左手に「クロワッサンアイランド」の建物。地元唯一のダイビングショップ。見た感じ,思ったよりも小さいデッキつきログハウスである。「中流階級の別荘程度」とでも言っておこうか。なかなか種類豊富に雑貨も売られている。
そして,おそらく迎えにでも行っているのか,開けっぱなしのままで誰もいない。ま,こんな小さい島で“ヘンな気”を起こす人間もいまい。中は脱ぎっぱなしかのようにウエットスーツが置かれていた。芝生の庭には,木に吊るされたハンモックに,「KANPACHI'S SECOND HOUSE」とプレートが入った鳥かごのようなカゴ。KANPACHIが何の動物は分からない。
ちなみに,今回の旅行に当たって,ここのショップのホームページからかなりの情報を仕入れさせてもらった。そして,本項のタイトルもこのショップの名前から来ていたりする。その名の通り,上空から島を見ると,パンのクロワッサンに形が似ていることから……多分名づけられたのであろう。誰が名づけたかはよく分からない。でも,名づけた人のセンスに乾杯!島は1周わずか4kmの小ささである。
そして,目の前にはちょうど,クロワッサンの“内側”のような形の入江が広がる。直径にして500mほだどいう。港からわずか5分で着いた対岸,そして誰もいない静けさ。わずか数分でこの差は強烈である。白い砂浜に遠浅の海であることはよく分かるが,残念ながら水は澱んでいた。どうやらタイミングがよくなかったらしい。下も岩場がやや多かった。
でも,入江には自然の波というものはやって来ない。遠くで白波が見えるにもかかわらず。そして,私が棒か何かで波紋を起こさなければ,いつまでも波は起こらないだろう。そんな地形が,ノコギリガザミだのシオマネキには格好の生息場所になっているらしい。引き潮になったとき,彼らが動いているのを見てみたかった気もする。

ここから来た道を引き返そうかと思ったが,方角で言うと東に向かって伸びる道があった。もちろん,舗装なんかされちゃいないし,周囲は草むらだ。でも,とりあえず行くことにすると,あったのはたくさんのゴミであった。この島の,ある意味“現実”である。誰も来ないところにゴミを置く。処理場なんてあるわけもない。8月に津堅島でも見た光景である(「20th OKINAWA TRIP」第6回参照)。
そのまま進むと,さらにでっかく掘られた穴に,これでもかとばかりに入れられた粗大ゴミ。そばにはレンガ作りの焼却機らしきものがある。中を見たら,草がいっぱい詰まっていた。もはや,使い道もなく放置されたままだ。実は島に一つ,昔使われていた井戸があるというから,水辺好きな私としては興味深かったところで,あるいはこれがその井戸かと思ったが,世界がひっくり返ってもあり得ない話だった。ちなみに,1本北側の道の奥だったらしい。
さて,この焼却機のところは左右に道が分かれている。左は家が見えるから集落に行くのは間違いない。問題は右である。見れば道は続いているが,草があいも変わらず茂っている。ま,ここで引き下がったら男じゃない……ってこともないのだろうが,時間はあるのだし,せっかくだから行ってみる。途中でスズメバチの巣みたいな黒い塊をモクマオウの上に見た。まさか近寄るわけにもいかないが,ここはとっとと行って,とっとと戻ることにしようか。
そして,思ったよりも整っていたジャリ道の終点には,岩場が多い浜があった。そして,沖には4艘の船が水面に漂っている。ダイビングか釣りか。彼らのほうが,この島での過ごし方の“正統派”であろう。そして,私がいるこの場所は海水浴には向かない。「何をしに来たのか?」と聞かれれば,「とりあえず行ってみたかった」と答えるしかない。「惰性旅」とは,こうした収穫のないことの積み重ねで成り立っている。そして,何もなければとっとと引き返すのみ。これが“虚しさ”を後に引きずらない秘訣だ。もちろん,自分にとって。
その帰り,地面に目が行くと,長細いものがニョロニョロとすばしっこく動く。ヘビだ。しかし,沖縄のヘビの代名詞であるハブのような鎌首はない。安心だ。それにしても,生きたヘビを見たのは20年ぶりぐらいだろう。小学校のとき,通学班で集まる家のガレージで見て以来。それももそのときはかなりの距離があったから,間近で見るのは初めてである。とはいえ,“生き物”とやらのほとんどがダメな私にとっては,いつまでも見ているべきものではない。とっとと駆け足で逃げ去るのみ。これが“ショック”を後に引きずらない秘訣だ。もちろん,自分にとって。
来た道を戻り,集落に一旦戻る格好に。私が歩くたびに,大小かかわらず茶色いものが,草むらに向かって次々と飛び込んでいく。バッタだ。駆けていけば,それだけ飛び込む早さもすごい。その様はまるで「モーゼの十戒」のようである。Presented by バッタ――Voice by Ward Sexton. 草地のあちこちに,つかの間の退避であろうか。私が去れば,再びここは彼らの天下である。
やがて,さっき「クロワッサンアイランド」へ行くときの道に戻った。今までは島を南北に行ったから,今度は東西に行ってみようか――もっとも“東西南北”なんて,島にいるときにはまったく分かりゃしなかった。家で地図で確認して,あらためて方角を知った次第である。ちなみに,私は正直なところ,東西と南北を逆に考えていたことを告白しておく。
さあ,まずは東だ。こちらに灯台があることは,集落の入口にある地図で確認していた。道はジャリ道である。そして,ただでさえ人口53人とかいうこじんまりとした集落で,東側の家の数は寂しい限りだ。あっという間に森の中に入り込む。すぐにどんづまりとなって,左右に道が分かれるので,ここはまず左折してみると,深い森の中。陽射しも届かない暗さだ。
建物の看板らしきものを見た感じでは,何やらロッジの跡らしきものだ。プラスチックの白いビーチチェアが山積みになっていた。どうやら,この先にも道がありそうな感じだが,草むらはますます深くなってくる感じだ。そして,ふと後ろを振り向けば,赤地に白抜き文字で「ハブ注意」の看板が――とっとと駆け足で逃げ去るのみ。これが“ショック”を後に引きずらない秘訣だ。もちろん,自分にとって。(第5回につづく)
 
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