20th OKINAWA

A結局ウソをつけないのね
中の御嶽から先にも道は続いているので,そのまま突き進もうとしたが,やがて藪のような感じになっていく。道も砂に車輪が取られそうになる。行けなくはないか。でも,こりゃまた訳の分からん道になるんじゃ…と思って,ここは虚しいが引き返す。海水浴客たちの歓喜をよそに,日に焼けて汗だくの私は黙々と自転車を漕いだり押したり。うーん,やっぱり端から見たら,とっても“珍種”なんだろうな。
再びメインストリート…といっても,集落からは離れたのでここからは「1周道路」と勝手に名づけよう。その1周道路の右手はひたすらニンジン畑。起伏があまりないし,たまに下り坂になったりして,走るには快適だ。でも,家などの建物は一切何もない。人ともすれ違わない。自動車もましてや自転車に乗った観光客なんざ,間違ったってすれ違わない。
やがて,右の方に道はカーブしていく。何となく島の北側に来ているような感じだが,いま自分が走っている周囲は草が生い茂って,時折道の両端を塞いでいるので,海が近いとかそういうことが分からない。また,看板もないから近くに史跡や砂浜があるのかも分からない。イラスト地図によれば「たなか浜」「やじり浜」というのがあるようだが,どこからどう入っていくべきか分からない。あるいは,地元の民宿にちゃんと泊まって,宿の人にちゃんと場所を聞いた人だけの“特典”だったりするのか。いずれにせよ,観光ズレはあまりしていない島であることは間違いない。
そんな中,でっかい粗大ゴミの山に出会う。こういうのがあるってことは,人が好んであまり来るべき場所ではないってことかもしれない。別に私は島を1周したくてこの道をたまたま走っていただけなのだが,どこの島にもこういう粗大ゴミ捨て場ってのはあるものだ。東京と違って「隠せる場所」がある。誰かが厳しくチェックしていたり,規制もまだ行き届かないのであろう。だから,1人が捨てれば2人目が捨て,3人目・4人目……で,結局誰が何を捨てたかうやむやになって,そのまま放置されていく。ゴミ問題の一端を見たような気持ちになる。
そのまま「道がある限り進む」って感じで進んでいくと,とうとうどんづまりを見る。左に行けば防風林の中に辿りつく……いやいや,後で確認したら「やじり浜」という静かなビーチや,「ペークガマ」という御嶽など,なかなか見所のある史跡類を見られた可能性が高かったのだが,どうにも“道なき道”を行くことに臆病な私は,平地で景色も開けて家が見える右に進んでしまう。
もっとも「景色が開けた」といっても,周囲はほぼ畑地である。茶色い土地あるいは所々緑の土地の間を1本貫く農道である。誰もここを「津堅島サイクリングロード」になんか指定しちゃいない。たまーに通る軽トラックと,それをテロテロと運転する農作業姿の男性が,何より「ここは作業場さー」と体現してくれている。でも,とりあえずその農道を,できるだけ民家に近づくように進んでいく。
5分ほどテキトーに走っていくと,突如として舗装されたばかりのような片道1車線の道。等間隔に仕切るように走る農道の流れを明らかに無視するようなカーブを描き,その先は確実に海の方向に進んでいく。こうなると,飽きっぽくて気まぐれな私は,その先に何か素晴らしいものを期待してそちらに足が向いていく。下り坂になっているのをいいことに,自転車はスピードを上げていく。
で……そこにあったのは,フツーのマリーナだった。クルージングボートが数基置いてあって,ちょっと護岸されているだけで,施設も何もないマリーナだ。防波堤があって,そこで釣りをする人が数人いたのと,ビールを飲んでいる男性数人。1人で楽しむには,ちょっと無機質すぎる海辺だ。ちょっと上りになった帰り道は漕いで通り抜けられる余裕がなく,ひたすら押し続けるハメとなる。
一度集落の中に入る形で再び海沿いの道に出ると,今度は「津堅構造改善センター」という古ぼけたコンクリ平屋建ての建物。黄色地に手書きで店名が書かれてあり,その左側には「農産物加工販売/イカ乾燥塩辛/大根スイカメロン/漬物その他」と青い字で書かれている。店名だけだと怪しげだが,要するに地元特産のものを加工して販売する店のようだ。
どうにも中に入りづらい外観だったので,私は自販機でアクエリアスを買うにとどめたが,ここで試食で食べたものが美味かったとかいうホームページを見た。また,前回チラッと書いたにんじんジュースなんかは,ここで飲めたりするらしい。もっとも,それは地元の人と仲良くなった人の話だ。いきなり通りすがりの人間が入り込んで何かトクする保証はあるまい。

やがて,道は右にカーブしていき,右手に「はまなす」という食堂。ウッディながら涼しげな建物だ。後で調べたら,ここには津堅島特産のニンジンを使った「ニンジンシリシリー」という食べ物があったらしい。「シリシリー=スリスリー」で,ニンジンをおろし機で千切り状態にしたものと卵などを炒めたもの。沖縄では珍しくないメニューだが,今となってはここでメシを食うという手もあったか。もちろん,神谷荘でガッツリ食べてしまって,それを入れるスペースがなくなってしまっていたからパスする。
そして,向こうには港のターミナルが見えた。13時35分,あっさり島内1周が完了してしまった。改めてイラスト地図で確認したら,上記の「やじり浜」などに加えて,この付近の貝塚なども素通りしてしまっていたのだ。うーん,でも案内板とかなかったぞ。ってことは「見るに値しない」ってことか? まさか,そんなこともあるまい。結局,観光地じゃないのだ,この島は。
桟橋にはちょうど,フェリーのような白い船が接岸している。そして,ターミナルにはポツポツと人の姿がある。とりあえず,自転車は所定の位置に返しておく。売店の女性(前回参照)に断りは…ま,いいか。お金はちゃんと払ったし,誰かとおしゃべりしている様子だ。いやはや,見逃した場所も多かったが,2時間で回り切るとは思いのほか狭い島だったのだ。
さあ,私が乗るべき船は15時発の神谷観光の高速船(前回参照)。あと1時間以上もある。でも,目の前にはフェリーらしき船が泊まっている。人がポツポツ乗っていくからには,ちゃんと運航するものであろう。「これって,このまま黙って乗っていいのか?」……ビミョーな気持ちを引きずりつつも,足は完全にフェリーの方へ。係員らしき人とすれ違ったような気がするが,私を気に留めるそぶりもない。気がつけば,クーラーがガンガンに効いた船室の一番前に陣取ってテレビなんか見ていた。
そのうち,海水浴客らしき親子連れ・カップル・女性2人とかが乗り込んできて,そこそこの乗船率となった。私の座った3人がけの座椅子にも,女性が座り込んだ。ふと,彼女が手に持っていた白いものに目がいく。白い紙のようだ。私が持っている乗船券はオレンジ……そして,白い紙の中に「勝連海運」という名前がちらっと見えた。あ,これって競合会社の船なのか。
なるほど,当たり前っちゃ当たり前の話であるが,神谷観光だけが船会社じゃないのだ。そういや,平敷屋のターミナルでチケットを買ったときに,わざわざ「11時でいいですか?」と聞かれたが,その中には「実は,別の会社もあるんですけど」という言葉も含まれていたのだ。どおりで,神谷観光のチケット売場とは反対側に窓口のようなスペースがあって,女性が座っていたわけである。あちらが勝連海運の窓口だったということで間違いあるまい。
となると,いま持っているチケットでは,この船に乗ってはいけないのか?……いや,「いけないのか?」などと疑問形にするまでもなく,確実に「いけない」のである。でも,それだったらば船に乗るときに係員が立ってチェックすべきである。それがなかったってことは,バレなきゃいいのか? うーん,かといってヘンに“犯罪者扱い”されるのもイヤだし,もちろん払う金がないわけではない。ま,何か言われたら「すいませーん。分からないで乗っちゃいました〜」って言って,その場で払えばいいや。
と,そんな“下らない覚悟”を決めたところで,いかにも「運賃徴収係」っぽいいでたちの女性が入ってきた。「まだ,運賃お支払いでない方〜」とおっしゃる。「はい,ここにしまーす」と手を素直に挙げるべきか。いや,ここは気づかないフリをして「離船時の勝負」にかけるか。こっちとしてはすでに往復のチケットを買っているから,やれるものならば黙ってトンヅラしてみたいところだ……。
前の段落の考えをめぐらすこと,徴収係の女性が来るまでの10分間。「すいませーん」。あっさりと軍門に下ることにした。結局,私はウソをつけない小心者なのだ。630円。あるいは,ここでチケットをもらって離船時に回収されるのかと思っての購入だったが,見事にだまされた……いや,別に向こうはだましたつもりなどサラサラなかったのであるし,正当な行為をしたまでであるが,金を払った証拠となるチケットはもらわないまま。しまった,これじゃ2重払いになるぞ。ってことは,平敷屋の神谷観光でチケットの払い戻しが必要になるのか。うーん,面倒なことになりそうな……。
そして,やっぱり離船時には何もなかった。バカを見た。もちろん,2重払いを何とかしなくちゃいかんかったのであるがやめた。こうなると,「都合のいい“サレンダー方式”」である――久高島でノロの女性に出会ってから(第3回参照),この旅では「悪いことはできない」と痛感していた。もちろん,どんなときも「悪いことはしちゃいかん」のだが,にもかかわらず私は,「タダ乗り」という悪いことをしようとしていたのだ。結果的にはできなかったのだが,少なからずその“悪いココロを持った罰”が,この2重払いによって多少なりとも赦免されればよい……。
もう,これを読んでいる人には何が何だか分からないだろう。でも,小心者の私はこうして勝手に「都合のいい“自虐解釈”」をしておくしか,ココロのバランスを保つ術がないのだ。そして,とっとと忘れるためにも,さっさと平敷屋港を後にして,次の場所に進むことにするしかない。言うまでもなくよーく蒸しあがったLet's noteを,猛烈なクーラーの冷気で冷ましながら。

(7)通り過ぎた島へ〜エピローグ
雲の加減だろうか,見えるところに青空が広がっているにもかかわらず,フロントグラスに水滴がポツポツと落ちる。それがたまに連続するので,ワイパーが必要になったりもする。津堅島では雨に一切降られずに“ゴール”できたのであるが,その間にわずかに離れたこの場所にはにわか雨があったのだ。沖縄らしい夏の天気の一例である。
さて,予定より1時間早い本島戻りである。そうとなれば,前回ちらっと書いたように浜比嘉島行きを早速決行しよう。その前には海中道路を渡ることになる。ともに,2003年9月以来2年ぶりであることも既述のとおりである。来た道を戻って,平敷屋交差点から狭い道を右折する。住宅街に紛れ込みながら坂を下っていくと,旧与那城町の東屋慶名地区となる。
交差点の角にある「兼久商店」は,2年前と変わらないままだ。今回も入る目的がないからあっさりと通過する。そして,昔ながらの商店街で,ハンパな広さの道なのに路駐する車の多さ。そして,その間を抜けていく子どもの多さも2年前と同じだ……そういや,この場所を有名にしたバンド「HY」は,今年はあまり姿を見ない。どうやらライブを中心に活躍しているようだが,そろそろ1年ぶりのアルバムでも聴きたいところである(「沖縄・遺産をめぐる旅」第2回参照)。
やがて,左右に景色が広がると,いよいよ海中道路の入口。スタートラインに立った気分になり,一気にテンションが上がる。そして信号が青になって右折すると,アクセル全開でグングンとアーチ橋に上がっていく。相変わらず路駐する車は多い。片道がゆうゆう2車線でいかにも有料道路っぽい造りであるが,有料道路でもなければ高速道路でもないから,停めても問題にはならない…ってことはないのだろうが,ホントはやっぱり停めて海を眺める方が“正しい在り方”なのかもしれない。左右に広がる海は遠浅で,少しばかり干上がった印象も持つ。
でも,こちらとしては,この道路は「飛ばすための道路」という天邪鬼な認識がある。しかも,誰に抜かれてもならない。自分が極力“ポールポジション”を獲り続けて走行するのが,この道路での勝手な流儀である。当然,車線は内側の走行車線。できれば100km/h超えしたいところであるが,そこは一般道ゆえに自重して,80km/h程度にしておく。もっとも,それでも30km/hオーバーなのだが。
さらに,そこには音楽が必要だ。今回はMDに入れた渡辺美里の『Audrey』を,ヘッドホンで聴きながらの走行となる。別にこの曲に照準を合わせていたわけじゃなく,たまたまそのときMDに入れていた中で,一番向いていそうな曲が今回はこの曲だったというわけ。ミディアムテンポで,アレンジャ―・小林武史氏によってメロディアスになったこの曲は,個人的にはタイトルのように(当然,故オードリー・ヘップバーン氏のことである),ちょっとオシャレを決め込んで,オープンカーで風を受けながら聴いていきたい曲であると,なけなしの頭で妄想する。
道は左にカーブして,平安座島(へんざじま)に入る。入ってすぐのところには集落があって,レストランもある。こーゆーレストランもそれはそれでオツなのだろうが,今回もまた通過する“シマ”(シマ=集落)になりそうだ。上陸時間わずか1分。間もなく,また大きな橋を渡って目的地に行くことになるからだ。浜比嘉大橋だ。これを渡ると,いよいよ古式ゆかしき浜比嘉島に上陸である。

1997年にできたという浜比嘉大橋を渡ると,パラパラといくつもの看板が濃緑をバックに出迎える中,「比嘉←→浜」という青い看板が目に入る。どこかの店や宿をピンスポットで探すと,必ず分からなくなりそうなディスプレイだ。その中でも,青い方向板の看板だけは必ず目に入らなくちゃ一番困る部類に違いないが……この二つの集落名をあわせて「浜比嘉島」としたのかどうかはどーでもいいこととして,とりあえずは県道になっている左に折れてみようか。
左手は護岸された海岸で,右手は岩と緑が迫っている。そして,意外なアップダウンもある。交通量もそこそこある。そして,5分ほどで左手に「いかにも」って感じの場所に案内板があった。そして,防波堤と防波堤の切れ間に浮かんだ,いかにも神々しい岩がある。少し離れた駐車スペースに車を停め,歩いてそちらに向かうことにする。雨はちょうど上がったばかり。「蒸し暑い」という言葉の範疇を超えて,息苦しくってむせ返ってしまうぐらいの強烈な湿気が身体を襲う。駐車スペースの前には小さい売店が二つ。その脇からは奥のほうに小道が伸びている。
その神々しい岩とは「アマミチューの墓」。呼び名がケースによって違うが,紛れもなく「アマミキヨ」のことだ(第3回参照)。防波堤の切れ目からは,護岸っぽい小道が岩に向かって伸びている。岩というよりは「島」というべきなのか。まるで,某都知事と某大国の「岩か島か?」論議みたいだが,やっぱりここは少なくとも「島」なのである。小道の下はエメラルドブルーの海。底が見えるぐらいなので,水深としてはいくらもないのだろう。
墓に“上陸”する。ノッチの陰に隠れて,ダイバーらしき人が休んだりしている。「改築記念碑」なんてのがあったが,はてお墓を改築なんて,していいものなのだろうか。あるいは一連の通路のことを指しているのか……せり出した岩のギリギリに設けられた通路を左に向かうことに。雨なのか波なのか,路面(?)が少し濡れていた。
後で帰り際に同じところを通ったら,ウエットスーツ姿の初老の男性2人が,大量のウニを海水で洗っていたところだった。なるほど,それで濡れていたのか。でも,“海人”を間近で見られてちょっと感激する。もっとも,向こうにとっては私は迷惑者だったかもしれない。仕事の邪魔みたいなものだから……ちなみに,その近くの岩陰には錘のようなものが置かれていたが,これは「置かれていた」というよりは「捨てられていた」ことになるのか。墓に物を捨てるということはあり得ない話だし……。
その向こうに,岩と岩との間から登る階段がある。バックにはこれまた大きくせり出した岩。さしずめ,これが墓石といったところか。早速登ろうとするが,偶然にも白装束の老婦人3人が腰掛けていた。何か“儀式”でも執り行っているのか。その様は,とても声なんぞかけづらく,近寄りがたいものがあった。なので,とっとと引き下がることにした。ちらっと見えた感じは破風墓のようだったと思う。「年頭拝み」という行事では,比嘉のノロが中心となって島の人々多数が参加して,豊穣・無病息災・子孫繁盛を祈願するという。「古くから各地からの参拝者が絶えない信仰圏の広い貴重な霊場である」と,そばの案内板に記されている。
ちなみに,アマミキヨの兄に当たるシネリキヨ(地元では“シネリチュー”)の墓もこの島にあって,先ほど車を停めた前の売店脇から伸びる小道を行った先にあったようだ。こちらは残念ながら今回は入っていかなかったが,また機会があれば入っていきたいと思う。シネリキヨの墓がある付近にも集落があって,昔ながらの光景がまだ残っているようだ。実は浜比嘉島については,そういうのがむしろ見たかったので,またここに来る機会ができそうである。
来た道を戻る。途中で今度は陸側にまたも気になる光景,そして看板。行き過ぎたのであわてて戻ると,そこには「ハマガー」という看板。若水を汲む井戸だという。奥のほうに向かう途中,手のひら大までに手足を広げた蜘蛛。不気味さに耐えながら(?),岩の下に2m×1mほどの水たまりを発見。そばには石が積まれただけのシンプルな拝所もあった。
さらにはその岩の上が,いかにも御嶽って感じの造りをしている雰囲気だ。近くに立派な階段がついているので,せっかくだから上がってみる。鳥居から入って階段の左右には,これまた人の手では到底造り得ないような自然でグロテスクな岩の“せり出し”があって,勾配の急さ加減とともに,拝所へのアプローチに何とも言えない趣を添える。
すると,ひな壇のようになった天然の岩段の奥,“二の鳥居”があって,岩壁を利用した破風墓っぽい拝所があった。これって,御嶽なのか墓なのかビミョーな感じである。そして,その脇から先は鍾乳洞のように奥に続く道がある。何だか「神体の中に入っていく」感じだ。何があるのか興味深いところではあるが,これまた骨入れのようなものを発見。さすがに止めておくことにした。人のせいにするつもりはないのだが,何だか久高島で会ったノロ女史(第3回参照)に見透かされている感じがして,どうにも行動が慎重になってくる。

再びマーチに乗って,今度は浜集落方面を目指す。道の駅みたいな建物を過ぎて,すぐ左に「東の御嶽(あがりのうたき)」という看板。別名「シヌグ堂」と呼ばれているとのこと。比嘉集落から長く続いた岩盤が途切れて,草地になったところに入口がある。「ハブに注意」という手書きの看板。なるほど,草ぼうぼうという感じゆえ,これまた入口であっさり引き下がる。
ちなみに,案内板には香炉と供物がある,小さくて白いシンプルな祠の前で儀式を執り行う男性4人の絵が描かれてあった。実際写真で見ると,そばに荘厳なガジュマルの姿が見受けられ,薄暗い雰囲気があるが,だいたいは絵のような感じである。「三山時代」に南山(南部)にいた平良忠臣(たいらのただおみ?)という武将が落ち延びて,この御嶽に身を潜めたという伝説がある。そして,島の住民に頼んで周囲に警戒網を敷いて難を逃れたそうだ。そして,現在では「シヌグ祭」という祭事が年2回執り行われる。何でも「時化を祈願する祭り」だそうだ。「海での仕事を生業にする島で,その妨げになる事象を祈願するというのは云々……」と案内板にあった。
その先に進む。すると,浜集落が静かにたたずむ。漁港沿いに小さい防波堤っぽいものがあったが,漁で使うネットが至る所でかけられている。そこにくつろぐ老人,そばでは無邪気に遊ぶ子どもたちの姿が,何とものどかだ。ここで道は左にカーブするのだが,その先にはただでさえ狭い道に,これでもかと路駐された車・車・車。海の家みたいな建物が数軒立ち並んでいるので,海水浴場があるのだろう。車のほとんどは間違いなく観光客である。海側には濃い緑の防風林に金網が。
同じ集落でも,カーブの手前と向こうで,ものすごく対照的な光景である。まるでコントのオチにすら使えそうな感じだ。道がどんづまりになってしまったので,引き返そうとするが,そのためのスペースもなければ,引き返すにも車が邪魔である。何とか切り返してはみたが,これははたして自治体の整備が至らないからなのか,はたまたこの静かで荘厳なはずの島に,こうも次々に押しかけようとする観光客のココロが浅ましいからなのか。

――結局,浜比嘉島からは高速などを使って帰還。17時に日産レンタカーに到着。帰りの送迎車にはいくつもの手荷物。見れば,20代前半ぐらいの女性5人のものだ。自分の荷物に加えて,その中には「JEF」という紙袋。「A&W」などと同様,ファーストフードのチェーン店。「ヌーヤルバーガー」「ゴーヤバーガー」なんて,個性的な食べ物があることで有名だ。多分,彼女たちはこの二つあたりを,「絶対買おうね♪」って感じで買って,飛行機に持ち込んでワイワイ食べるのだろう。
うーん,何とも想像がつきすぎて,やっていることもベタすぎて,かえって白々しい気分になる。もっとも,20回目の“記念旅”というのに,空港内のラウンジで,これまた空港内の売店で買った1個105円のサータアンダギー二つをつまみに,ビールで1人慰労に入ることになった私がそんなエラソーなことを言える立場にないのは,誰の目から見ても明らかなのだが。(「20th OKINAWA TRIP」おわり)

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