奄美の旅(勝手に)アンコール

(4)ライベスト,マイベスト…かも
古仁屋港に着くと,フェリーのチケット売場は私の怒りを警戒したのか,シャッターが閉まっていた……って,そんなわけないか。ま,さっき海上タクシーでぽんかんを1個食べて空腹から多少開放されたのもあっただろうし,“フラストレーション”はタクシーが巻き起こす海風とともに,どこかに吹き飛ばされていってしまったような感じだ(前回参照)。
そうはいっても,ぽんかんだけではつらいので,ちゃんと晩飯を食べたい。ホテルでのメシは今回つけなかったので(前回旅行のライベストイン奄美での晩飯については,「奄美の旅ファイナル」第4回参照),どっかで買って食べるか,店に入って食べるかでもしたい。そんな中でひそかに目につけていたのが,フェリーのチケット売場が隣接しているコープだ。すなわち,前者のパターンで目をつけていたのだ。前回の中の様子は「奄美の旅ファイナル」第4回を参照いただきたいが,惣菜類がいろいろあって食べてみたいなーと思ったのが,コープに入ってみようと思った理由であり,それがホテルでの晩飯をつけなかった理由でもある。
ところが,いざ中に入ってみると,時間が1時間後ろにずれてしまったから疲れからなのか,あるいはいざ“それ”を目の前にして腰が引けた…ってまさかって感じだが,前回あったものと同じものがあるにはあったのだが,どうにも購買意欲がそそられない。うーん,私ってそーゆー生き物なのかしらと自分を恨めしく思いつつ,ここは立ち去ることに。その斜向かいにある「扇屋」にも入ってみたが,こちらには惣菜のコーナーらしきものが見当たらなかった。いや,レジ付近にあったのかもしれないが,この時点ではすでに「店で買って食べる」という選択肢は,消しゴムですっかり消されてかろうじて文字の跡が残る程度にまで頭の中から消えていたと思う。だから,ここもとっとと去る。
――結局,その後で数軒しろんな店を見てみると,いずれも定食屋っぽくて禁酒中の身(「管理人のひとりごと」Part75も参照)としてはありがたかったし,それ以前にどこに入っても大してメシのレベルなんて変わらないのかもしれないが,最初に見つけた「五伎(いつき)」という店に入ることにした。手前に衝立で仕切られた4〜5人程度が座れる座敷が四つあって,奥にカウンターのイス席が五つ程度あるという,店の造りとしては(個人的にはであるが)珍しいものだ。
中に入ると,カウンターに近い右奥の座敷から「いらっしゃいませ」というおっちゃんの声。はて,水色のTシャツを着ているこのおっちゃん,顔が赤らんでいるのですっかり“出来上がっている”感じだが,その勢いで迎え入れてくれたのか。たまたま一緒に入った3人組のほうと親しかったから,たまたまついて出た言葉だったのか……いずれにせよ,土曜日の夕餉っぽいまったりした空気は確実に流れていた。1人だったのでカウンターに通される。
カウンターでは地元民と思われるオジイが1人,海鮮丼らしきものを食っていたが,私が入ってくるや一瞬ジロッとこちらを見やった。「何奴?」とでも思ったのか。彼がいたところよりも奥にも行けそうだったが,通路が狭そうだったし,彼を邪魔するのも申し訳なかったので,小さい金庫(兼レジ)が置いてある脇のイスに座ることにした。その付近,ちと雑然としている感じだったが仕方ない。私が入ってしばらくしてそのオジイ,メシだけ残して出てそそくさといってしまった。
注文したものは,「豚の角煮定食」950円。まず,たくわんの漬物茶碗蒸し(鶏肉とかまぼこが入ったごくフツーのもの)が出てきた。淡々とそれを食べる私。なぜに角煮を頼んだのかは分からない。「何となく」というノリでしかない。さっきいろいろ見てきた店の中には郷土料理を食べさせてくれるところもあったりしたが,すでに郷土料理の代表格である鶏飯を旅のオープニングでいきなり食ってしまっているし(第1回参照),「じゃあ,さらに別の郷土料理を…」という気分にもなれなかったのはたしかだ。
私が入った後も,時間が“いいころ”に当たったからか,客が2組ほど入ってきていた。すると,先ほど出迎えてくれたおっちゃんが,いきなり立ち上がって厨房の中に入ってきた。何とまあ,この店の主人だったのだ。厨房では中年女性2人と中年男性1人がいろいろ作業していたが,すなわち“主抜き”ということだったのだ。一緒に呑んでいたと思われる中年女性が「どうもありがとね」と言って去っていったが,その後話している様子だと,また時間を改めて後で一緒に呑むらしいが……とはいえ,しばし酒の友と別れることになったおっちゃんは一転して(本来あるべき)料理人の顔となり(当たり前だが),注文のあった品々を次々と切り盛りしていった。
やがて,出てきたのは刺身のお造り豚の角煮だ。前者はまぐろの中トロあたりと鯛っぽい刺身。もっと大雑把に出てきても構わなかったのだが,皿と盛りつけはしっかりしていた。後者は薄くカットされたものが6枚も入っていて「ヴォリュームがあるな」と思っていたが,よく考えてみると,六つ合わせれば一つの角煮になるだけのこと。カラクリというほどのものではなかったが,ちょっとガッカリ。味は染み込んでいて美味かったが,沖縄の代表料理である,泡盛としょうゆなどで煮込む豚の角煮“ラフテー”とは違う,ごくごくフツーのものだった。
メシを食ってとっとと店を出る。昼間にもちらっと寄ったのだが,商店街で唯一の書店「古仁屋書店」にまたも寄る。奄美に関する本がいくつも置かれてあり,前回旅行のときも寄って本を1冊買ったが,今回も『奄美もの知りクイズ350問』(「参考文献一覧」参照)を購入。1575円。レジはどー考えても地元の高校生って感じのネーちゃんがやっていたが,隣で彼氏なのか友人なのか,同世代くらいの男子がケータイをいじくって遊んでいた。彼は間違いなくここの店員ではないだろう。ま,要するに「やりたい放題」だったわけである。多分,店主もどっかに出かけて行ってしまったか,帰宅してしまったのだろう。それでも何とかなるものなのかもしれない。

宿に戻ったのは19時半。玄関前に停められていたマーチは移動されていた(第2回参照)。さっき対応してくれた男性(第2回参照)からロビーで部屋のカギを受け取ると,やはり「イケンマレンタカー」の広告が気になった。実はココロの奥底では,まだ与路島行きの線も捨て切れていなかった。理由ってのは単純で,その与路島に行けば奄美の有人島をすべて“制覇”することになるからだ。しかし,前回も書いたように帰りの時間が心配ではある。
一方,加計呂麻島はすでに行っている場所だが,時間もなかったし77平方kmとかなり広い島である。前回の3時間ちょいの滞在では,もちろん島の一部しか回っていないのである(「奄美の旅ファイナル」第2回第3回参照)。レンタカーがもしつかまらなかったらば,10時過ぎに出るフェリーで瀬相に渡って,島の端っこにある実久(さねく)地区までバスに揺られて行って,そのまま向こうで時間をつぶして,またバスで戻ってきて瀬相からフェリーで戻る――一応,こういう代案も立ててはいる。なので,どっちみち加計呂麻島に行ったほうがいろんな意味で“確実”であるし,行っていない場所に行くことに変わりはない。これは交渉してみようか。
「すいません,このイケンマレンタカーって電話したんですけどなかなかつながらなくって…」と男性に言うと,「それでしたら,こちらにて予約致しましょうか?」と返してきた。うーん,このおっちゃん…もとい男性,頼りになる。それに甘えて「じゃあ,すいませんがお願いします」と言うと,「それでは予約が取れましたらば,内線でご連絡します」とのこと。頼りになるぜ,このおっちゃん…もとい男性。その(失礼ながら)頼りなさ気な雰囲気が,どこか凛々しく見える。
部屋に帰ってテレビを見ながらこの駄文を書いていると,「プルルル…」という音。男性からの内線だ。「先ほどつながって予約が取れました。明日,生間の港に降りられたらば“イケンマレンタカー”と書いたものを持った人が待っていますので,ま,港から近いんですけども,迎えに来るそうですから……一応,8時のフェリーで行って,最終の4時(=16時)ので帰ることも話してありますので」――おお,それは有り難い。実に丁寧な対応をしてくださる。ただただ感謝するばかりだ。たとえ,団体が来ることによる“いろんな恩恵”のおこぼれをもらっている(かもしれない)としても。22時就寝。
――翌朝。7時に食堂に行くと,10はあるテーブルのほとんどに,弁当箱が置かれてあった。さらには別の部屋にも食堂として開放されていた。昨日昼間にチェックインしたときも,夜請島から帰ってきたときも,おおよそ団体が来ているとは思えないくらいに静かだったが,こんなに人が泊まっているのかと驚いてしまった。四つに仕切られた弁当箱の中には,小さくカットされたサバかまぼこ切干大根の煮物生野菜漬物(きゅうり・梅干)・卵焼きみかん(半切り)が入っていた。これに味噌汁とごはんがつく。「これといって特徴のない日本の宿の朝食」って印象である。
7時40分,フロントでチェックアウトを済ませる。朝食のみで8000円。件の中年男性とは別の男性だったが,昨日渡したままだったマーチのカギ(第2回参照)を受け取ったついでに,1枚のメモ書きをもらった。そこには,イケンマレンタカーの責任者T.F氏の名前と,事務所の電話番号とケータイの電話番号が,雑なメモ書きとかじゃなくて丁寧な字で書かれてあった。あの男性の人柄が表れているような気がする。こういう配慮,1人旅にはすごくうれしい配慮だと思った。
さらに,チェックアウトした後で荷物を置きに行こうと思って,駐車場の場所を聞いたら前回と変わっていなかった(「奄美の旅ファイナル」第1回参照)が,あの入口からの通路が狭い駐車場の一番手前,ちょうど通路の真ん前にしっかりバック入庫されてあった。すなわち,そのままスーッと外に出られるわけだし……ま,後者はたまたまそこが空いていただけかもしれないが,このホテルがますます気に入った。次回,与路島に行く機会ができたときも,またこのホテルを利用したい。今までで沖縄奄美で泊まった中で,一番心地がいいホテルのような気がしてきたし。

(5)2度目の加計呂麻島
@「何だかな〜」的出迎え
さて,マーチに荷物を置いて必要最小限のものだけ持って,古仁屋港に向かう。その途中,朝早くから人で賑わっている一角があった。見てみると「ほかほか弁当」と書かれたごくごくフツーのお店だった。朝5時から営業している店のようだ。車を停めて買っている人もいた。加計呂麻島に食堂らしきものは多分あるのだろうが,内容はおそらく期待できまい。それに,ドライブでどこにいるか分からないから,あるいはここで弁当を買い込んでしまったほうがいいかもしれない。
早速,中に入ると小さいカウンターには所狭しと弁当だの一品おかずだのが並べられていて,次から次へと売れていく。いろいろ目移りしてしまうが,中華のような洋風のようなヤツを買う。500円。本土で同じものを買えば,少なくとも100円は高くなるだろうから,やっぱり安いと思う。そういや,店名のわりに弁当は冷めていたが……ま,今から振り返ればそう思えるが,そのときはまったく気にならなかった。実は昨日夜に入ってあきらめたコープをねらっていたのだが何のことはない,営業時間が9時からだったので,ここで買ってますます正解ということになる。
昨日と同じチケット売場に着くと,イケンマレンタカーの名前にもあるように,生間港までの往復チケットを買う。500円。時間が8時だからか,待合室には人がまったくいない。実に静かなものである。もちろん,窓口でブチ切れることもなかった(上記および前回参照)。前回旅行のときは同じ額ではあったが,フェリーがドックに入っていたため,臨時に走った海上タクシーで往復することになった。なので,今回フェリーに乗るのは初めてである。
その私が乗る「フェリーかけろま」は,ちょうどレンタカーらしき車がバックで乗り込んでいるところだった。5台くらいは入るのだろうか。もちろん,マーチをこのフェリーに積んでいくことも可能ではあるが,たしか,イケンマレンタカーで軽自動車を借りると1日4000円。プラス,フェリーが500円。対して,車を乗せれば少なくともこれ以上の額がかかることは想像に難くない。そこまで高い金を出してバック入庫の練習をしたいとは思わない(第1回参照)。
それよりも,一昨年の年末に伊平屋島に行ったとき,バック入庫にてフェリーにマーチ(おお,何たる偶然!)を載せるとき,なかなか上手く入れられず屈辱的な目に遭ったのだ(「沖縄はじっこ旅V」第2回参照)。あれから1年以上経って,残念ながらバック入庫が格別に上達したわけでもないし,あえてムリしてまでフェリーに車を載せる気にはなれないといったところだ。
船室は,脇の階段から奥に進んで上に上がったところにある。この型,どっかで見たことがあるものだと思ったが,昨年,古宇利島に行ったときに乗ったフェリー「第八古宇利丸」(「沖縄卒業旅」第2回参照)に似ている。2階に当たる船室は3人がけ×8つ×2列という感じで,ボツボツと人が座り出していた。前方中央にはテレビがあり,その右脇にはハードカバーの本がたくさん置かれている。
見れば本は貸し出し可能で,備え付けの帳簿に書き込むらしい。前回旅行のときの海上タクシーといい,昨日の「フェリーせとなみ」にもあったような気がするが(第2回参照),フェリーでの本の貸し出しというのは奄美ならではなのだろうか。「せとなみ」ならば1時間前後乗るから分かるが,「かけろま」なんて20分程度なのだし,本を置くだけでも貴重なスペースが奪われる…といっても,テレビの脇の物置スペースみたいなところにあるから問題ないのか。
8時10分,出航。初めは室内で昨日買った『奄美もの知りクイズ350問』を見たりしたが,途中からは,MDを聞きながらデッキで風に吹かれようと思って,船室を出た。外は雲が多いながらも晴れ間がのぞいており,ジャンパーを着ていることもあるのだろうが,潮風を浴びるのが結構心地いい。よほどの悪天候でなければ,やっぱり船ではデッキに出るのが醍醐味である。そして,MDを聴くべくコントローラーのスイッチを押す。すると,液晶に表示されたバッテリーの状態は“カラ”になって点滅している。すなわち,もうすぐ電池が切れてしまうということである。
うーん,昨日から少なくはなっていたのだが,古仁屋で買い換えるのをうっかりしていた。あとは生間港にたしかあったと思う売店に乾電池が売っているかどうか……イケンマレンタカーでどんな車を貸し出されるか分からないが,おそらくMDつきというのは期待できまい。そうなれば,カーステがカセットのみであれCDのみであれ,MDのバッテリーがないと意味がない。第1回に書いたことの繰り返しとなるが,「静寂を音楽にできるほど“オトナ”ではない」のである。
そうこうしているうちに,船内で間もなく生間港に着くというアナウンス。車を中に入れた人間が係員に声をかけられて1階に下りていく。片や,一段下にある船の後部からは,レミオロメンのヴォーカル・藤巻亮太氏に似た作業着姿のアンちゃんが,プロレスラーのスタン・ハンセン氏あたりが持っていたようなカウボーイロープみたいなものを,遠心力でも見せたいがごとくブンブンと振り出した。
やがて,そのロープが描く円は次第に大きくなり,最後に最大の円を描くと港の桟橋にエイヤッと投げ込んだ。桟橋の上では2人の男性がそのロープを受け取ると,ブイに巻きつけている。いよいよ,2度目の加計呂麻島上陸である。前回旅行のときはインもアウトも瀬相(せそう)港(「奄美の旅ファイナル」第2回第3回参照)だったが,今回はインもアウトもここ生間港である。

生間港は,車両は路線(マイクロ)バスやら軽トラックやら,人は地元民やら観光客やらで賑やかだった。さすがに昨日の請島の比ではない(前回参照)。だてに77平方kmと,請島の5倍あるわけじゃないのだ(って,面積と賑やかさって比例するものなのか?)。さあ,この人々の中からイケンマレンタカーF氏を探さなくてはならない。それらしき名前のプレートを探してみるが,どこをどう見ても見当たらない。うーん,やっぱりこういうことだと思った…というか,何らこちらは驚きもしなかった。ただ一つ言えることは,残念ながら中年男性の真摯な対応はF氏には届かなかったということだ。
やっぱり,田舎のレンタカー屋さんのノリなんてこんなものだろう。誰か男性がフェリーから降りてくる人に声をかけていた感じだが,私の名前を呼んでいるわけではないし,一度中年男性から声をかけられたが,違う人間の名前を言っている。ま,こちらは慣れているし――となれば,イケンマレンタカーの位置は,前もってホームページ(らしいものは一応はあるのだ)で分かっている。直接行ってしまっても,差し障りはまったくあるまい。その前に乾電池を買えないか。
桟橋から少し入ったところにあった待合室に入ると,菓子パンやら地元製品やら植物の種やら,いろいろ雑然と売り物が置かれている。ってことは,一応は売店なのだろう。“店内”を見ていると,偶然単一のペアの乾電池を見つけた。単一があるなら……フェリーのチケット売場も兼ねているからか,プラスティックのカバーがかかっている窓口っぽいところにおじいさんがいたので声をかける。
「すいません,単三の乾電池あります?」「単三? あいあい…」「1本ほしいんですけど」――すると,引き出しの中から取り出したのは4本パックの単三乾電池だった。「あ,4本パックなのね…ま,いいか」と思ったそのとき,おもむろに彼はその1本をもぎ取ろうという仕草を見せた。思わず「え?」と声が出てしまった。もちろん,そんなこと少なくともメーカーは見越してパッキングしているわけじゃない。すると,向こうもこちらを一瞥。「あ…1本で」……こちらも4本よりは,やっぱり1本のほうがいい。すると,そのまま1本だけもいで渡してくれた。
「200円ね」――ということは,4本買えば800円か? まさか,都内の100円ショップでは4本パックが105円で売られる時代。いくら離島といえどその額とは,怒涛の“インフレーション”を起こしている……なんて小難しいことを書いてしまったが,具体的には“ボリすぎ”ではなかろうか。ま,1本だけだから高くついたのかもしれないが――それに,200円をケチったために「静寂を我慢する」ことだけは,やっぱり避けたい。もちろん,素直に100円玉を2枚出しておく。
駆け足でイケンマレンタカーに向かう。桟橋からまっすぐ内陸に入ると大きな交差点があり,そこを左に曲がって50mほどのところの空地に,小さい小屋と数台の車が見えた。そこが「イケンマレンタカー」だ。ホームページ(らしきもの)には「車種も豊富」とあったが,「たった5台だけで,たまたま種類が違うだけなのに,その表現はないだろう」って一般人は思うはずだ。ま,ここは「微笑ましい」と評しておこうか――「広々とした駐車場には,常時加計呂麻島の湾岸ハイウェーを走るために選び抜かれた車が,今は知らないあなたを求めて静かに待っている」らしい。ふーん。
事務所に出向くと,別の客であるK夫妻とともにF氏がいた(実はK夫妻,ライベストインに泊まっていたのを知っている。チェックアウトのときに一緒になったのだ)。F氏は見た感じ,気のいいおじいさんって感じ。私を見て「ああ,こちらに来られたのね。なかなか分かりづらくって」だって。「先にKさんのほうから」ということで,しばしウェイティングタイム。ラインナップを見る感じでは軽自動車が2台,カローラっぽい乗用車が2台の計4台あった。「5台ないじゃないか」ということはこの際どーでもいいとしよう。狭い小屋…もとい事務所の入口にある机に座らされて,いろいろ書き込まされるK氏の夫。彼らにあてがわれたのは白いカローラだった。
そして,ついでに…というわけではないが,私にもダイハツの「ミラ」があてがわれた。実はその隣にも軽自動車があったのだが,それにはカーステがついていなかった。対してミラにはカーステでカセットがついていた。よって望むべくはミラのほうだったので,こちらもそれとなくミラに乗りたいような素振りでF氏に「こっちですか?」とアピール(らしきもの)をしたら,その通りとなった。よかった。もっとも,F氏いわく「こっち(もう一方の軽自動車)のほうはタイヤが甘いからこっちにして」――いいのか,そんなタイヤが甘いものを提供していて。しかも,山道多いんでしょ,加計呂麻島って。
K氏が書類を書き終わると,カローラの中に島内の地図があったらしく,それを見ながらF氏がK夫妻に説明していく。「端から端まで40kmくらいありますから」「(地図を見ながら)こちら側(奄美大島側に面したエリア)に1本県道が走っていて観光地もそっちに集中していますから,その辺りをご覧になってください…」「島の中は道が1車線ですし,裏道とか林道には入り込まないようにしてくださいね」――少ししわがれたような声で淡々と説明していくF氏。聞こえてきてしまったので,私もついでに聞いておいた。ホームページ(らしきもの)には「名ガイドが案内」とあったが,なるほどこういうことだったのか。私は私でミラにそそくさと荷物を積み込み,MDに接続したカセットのアダプターをカーステにつないだり,いろいろ準備することにした。
次いで私の手続が開始……と思いきや,K氏夫から「すいません,カギをください」。F氏は壁に六つあったフックとカギの中からカローラのそれを探すが,私のほうが「あ,これですね」と先に見つけてしまった。F氏の立場やいかに…って,別にF氏の名誉はそのくらいじゃ崩れまい。端から見て私より背が高かったK氏夫が窮屈そうに見えたのだが,なるほど私も座ってみると,その狭さはたしかだった。氏名から始まって免許証番号まで一通り書いておく。そして,レンタカー料4000円を支払う。6時間借りてこの額はお得だ。1万円札を出して,一瞬「釣りを持っているのだろうか?」と心配してしまったが,ちゃんと5000円札と1000円札をくれた。当たり前か。
ミラにも島内地図(大体の道と大体の見所が乗っかっているもの。これはこれでなかなか重宝すると思う)があった(というか,助手席の床に落ちていた)ので,私も一応説明を受ける。ま,一度来ているし,ある程度さっき聞こえていたし……と思いつつ,「名ガイド」の案内とやらをしばし聞くことにする。もちろん,K氏への説明とほぼ同じであったことは言うまでもない。
で,実は今回行ってみたいところの一つに「嘉入(かにゅう)の滝」という滝があるのだが,私が言ったわけでもなく,「この滝って結構行きたがる人多いんですけど,ただの“ションベン滝”ですから,大したことない……行ってみてよく場所が分からなかったらしいですし,今の時期は水ないんじゃないかねぇ?」とF氏は酷評していた。うーん,そうなると行ってみたくなる気が……。
そして,締めにはやはり「ヘンな林道とか入らないでくださいね」とのことだった。さらには「(奄美大島側を走っている)県道のほうを通ってくださいね」とも言われたが,反対側の道に走っている路線バスに実際乗っている(「奄美の旅ファイナル」第2回参照)身としては,ある程度道は分かっているし,さして問題あるまい。「別に県道側だって林道みたいに狭くて急なところもあったよ」と鋭い…じゃなくて“尖ったツッコミ”は,この際F氏にはしないでおこう。ま,自分の運転を過信はしないつもりだが。
「あ,そういえばさっきガソリンをどうこうって…」――私も聞いてみる。もちろんというか,ガソリン代は別に実費である。K夫妻が説明を受けていたとき,ガソリンをスタンドで満タンにするように言われていたのだが,壁に貼ってあった紙には定休日の中に「日」という文字がはっきり見えた。
F氏「瀬相はやってないと思うけど,そこ(生間)のは
今日はやってますから」
K氏夫「あ,その入口のところにあったヤツですね」
K夫妻との会話は当初は成立している感じだったが,最後に「ま,入れられたら入れといてもらってもいいです」と,端から見て「なんじゃそりゃ?」的オチが待っていた。うーん,これはあてにはなるまい。少なくとも期待はできないかもしれない。F氏はあくまで「やっています」とのことだった。別にそれに対しても“尖ったツッコミ”はしないでおく。
8時40分,イケンマレンタカーを出発。すると,F氏が道端に出てきた。どうやら見送ってくれるらしい。K夫妻はたしか左に曲がっていった。私はもちろん……右である。人の行くほうと逆に行く。これが私の“天邪鬼…いや,ひねくれ者的旅のセオリー”である。無論,その“左の方面”にも後で行くことにはなるのではあるが,後でどこかで偶然バッタリ会ったりしたら気恥ずかしいではないか。(第5回につづく)

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