ザシキワラシは実在の人物だった(ザシキワラシの一生ダイジェスト)
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ザシキワラシは実在の人物だった(ザシキワラシの一生ダイジェスト)

ザシキワラシは実在の人物だった
金田一温泉のザシキワラシ様は、今から600年以上前に実在した人物だったという話。
その人物の一生をダイジェスト。

 この宿に棲む座敷ワラシ様は、実在した人物です。ご隠居の話によると、座敷ワラシ様が生まれたのは、今から600年とちょっと前の南北朝時代、後醍醐天皇の重臣楠木正成が足利尊氏と戦って敗死した頃のようです(いまひとつイメージがわかない人のために、説明を追加しますと、アニメ一休さんで登場していた「将軍さま」は、足利尊氏の孫です。楠木正成というのは、その足利尊氏のライバルなわけです。足利氏は北朝、後醍醐天皇や楠木正成は南朝です。)。歴史に詳しい作家の井沢元彦さんは、楠木正成のことを、「当時最も時勢が見えていた人物の一人」と評しています。そんな楠木正成が死んだ後、南北朝の形勢は足利優位・後醍醐天皇劣勢が明確になりつつありました。

 座敷ワラシ様は、生きていた当時、幼名を亀麻呂といいました。父は後醍醐天皇方の中級貴族で、藤原何某。この父は、楠木正成の子正行と足利軍が激突した四条畷の戦いに参加し、戦死してしまいます。

 亀麻呂は、この四条畷の戦いの直前あるいは直後に、一族を伴い、今の金田一温泉の辺りまで逃れてきたようです。当時そのあたりを支配していた南部氏から免租権(税を納めなくても良いよという、それはもうウハウハな権利です)も与えられ、ひとまず安住の地を得ました。亀麻呂は当時まだ幼く、彼が成人してから一族を再興させよう、周囲の人はそう考えていました。

 ところが、彼は成人する前に病を得て死んでしまいます。亀麻呂はそれが残念だったのでしょう、死の直前にこう言い遺したといいます。
 「自分は死後もこの一族を守り続ける」
 一族の主人というのは、どんなに幼くてもこれくらいのことを言わなくてはならないのでしょうなぁ。私にはできません。

 宿の人たちは、この遺言ゆえに座敷ワラシ様を一家の守り神として大事にしているのです。ワラシ様が出るという部屋の前の庭には、ワラシ様を祀った祠があります。決して大きくはありませんが、立派な祠です。

 ちなみに、亀麻呂には、姉代わりとなって彼の世話をした女性がいたそうです。座敷わらし様を見たという人の話の中には、女性も一緒に出たという話があります。それは彼女のことではないかとご隠居は言っていました。

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