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太平洋戦争末期、金田一温泉周辺の町や村からも、多くの人が戦場に引っ張られました。あるとき、召集令状が来た村人たちは、戦場に行く前にこの温泉宿の、特にワラシ様がでるという部屋に一晩泊まりたいと宿の主人に申し出ました。宿の主人は快諾し、彼らは宿で一夜を明かしました。
制海権も制空権も、とうの昔に米軍に握られていた当時のこと、戦地に赴くだけでも多くの危難を潜り抜けなければなりません。実際、戦地に赴く前に兵員輸送船が米軍に撃沈されるということは何度もありました。見送る人たちの胸中も不安でいっぱいだったことでしょう。
さて、戦争も終わり、宿で一夜を明かした兵隊さんたちは皆無事で帰ってきました。そのとき、金田一の人たちは帰ってきた彼らから不思議な話を聞いたのです。一泊した後、彼らは汽車に乗って輸送船が待つ港(どこのことかは聞いていませんが)へ向かいました。ところが、汽車が遅れてしまったか何かの理由で、本来乗船する予定だった輸送船の出港に間に合いませんでした。それが運命の分かれ道だったのです。出港したその輸送船は米軍に沈められ、生存者は1人もいなかったそうです。
偶然なのか、はたまた座敷ワラシ様の御加護なのか、戦争というものを知らない私には判別不能ですが、宿のご隠居はまんざらでもなさそうでした。
いつの頃か、首相となる前の原敬が、宿の、ワラシ様がでる部屋に泊まったそうです。この宿のご隠居は、地元の名士のようです。座敷ワラシ様の縁なのか、ご隠居は佐藤栄作とも付き合いがあったそうです。原敬がこの宿に泊まったというのも、突拍子も無い話ではありません。原敬は、座敷ワラシ様を見たのでしょうか。
私は興味が無かったので名前は忘れてしまいましたが、事情を知らずに、ある漫画家が泊まったことがあるそうです。明くる朝、その漫画家はご隠居にこう尋ねました「この家には、何か生き人形のようなものがあるのですか」。彼は、夜中に目を覚ますと、人形のような少年が側に立っていたというのです。御隠居が事情を話すと、その漫画家は自分が見た少年の似顔絵を書いていきました。今もその似顔絵は宿に残っています。
狐狸庵先生こと作家の遠藤周作先生は好奇心旺盛だったことで有名です。真面目なキリスト教文学を書く一方で、日本全国の幽霊がでるという屋敷を探訪することに入れ込んでいた彼は、座敷ワラシ様の話を聞いて、さっそくこの宿に乗り込んできました。当時の様子は、彼の本ぐうたらシリーズの中にもでてきます。しかし、宿のご隠居と酒を飲んでうっかり寝てしまったために、彼自身はワラシ様を見ることはできなかったようです。
ご隠居さんは、遠藤周作先生の話をすると、一緒にお酒を酌み交わした昔を懐かしがっていました。
ご隠居さんの話にでてくる有名人といえば、遠藤周作先生の他に、漫画家の水木しげる先生がいます。水木しげる先生は、さすがというべきか、ゲゲゲの鬼太郎の面目躍如というべきか、ワラシ様を見ることができたそうです。ただ、彼の体験談を聞く限り、ワラシ様は肉眼で見るというよりも、感性で見る存在のような気がしました。