石垣島と宮古島のあいだ
 
(1)プロローグ
石垣空港,9時50分着。いつもは目と鼻の先でもなぜかバスに乗ってターミナルの建物に入るのだが,たかだか20m程度を……なーんだ,今回は徒歩で行くようだ。到着口からそのまま出口へ直結しているが,外には出ずに搭乗手続のカウンターに向かう。1時間ちょい待ちで,11時5分発のRAC・多良間島行き飛行機に乗るのだ。方角としては北へ戻ることになる。多良間島へは,北に位置する宮古島から1日2便出ており,こっちのほうがいろんな意味で“ムダ”はない。しかし,羽田からの飛行機が宮古島へ入ると同時に多良間島行きの飛行機が出てしまうために都合が合わず,石垣から戻る格好にした次第である。
カウンターにいた女性に申し出ると,彼女はRACの厚紙のチケットを取り出した。それを見るとマスが10個ある。「え? もしかして……」と思っていると,「それではこちらに乗ってください。体重を計りますので。すべて持ったままでお願いします」と,足元の銀盤を指差す。早速乗っかると,デジタルの緑の数字は「73.4」と弾き出した――そう,多良間島行きの飛行機は9人乗りのセスナ機なのだ。正直知らなかった。よもや一番小さいヤツに乗れるとは思いもよらなかった。もちろん,乗るのは初めて。決して私は“飛行機オタク”ではないが,思わぬことでちと嬉しくなってきた。
「とりあえず“3A”ということでお願いします。ただし,あとお2人ご予約されていますので,バランスが取れなかった場合は,直前に座席を変わってもらうかもしれませんので」と言われた。チケットを見ると,10のマスには左上に「操縦席 PILOT」と書かれ,そのすぐ右側が「1B」。以下,操縦席側のA席が「5A」まで,右側が「5B」まで書かれている。どういう感じか楽しみだ。ひとまずはこれにて搭乗手続は完了。しばし,ロビーで待つことにする。
それにしても,思わぬ形で自分の体重を知ることになった私。「73.4」とはちとビックリだ。もっとも,バッグの中には,まず財布に小銭がいつもより多めに入っている。さらにはMDウォークマンにMD6本,旅に出るときは不要ということで会員証の類いはいつも家に置いてくるが,今回は日帰りなので入れっぱなし。さらには折り畳み傘,カギ,250ページ程度の文庫本も入っている。一方,着ている服はデニムのジャケットにGAPの薄いセーターとブルージーンズ,少し重めのトレッキングシューズ……これらをすべて含めた「73.4」なわけだが,そもそも私のベストな体重というのは65kg。持っている荷物と着ている衣服を含めても8kgもあるとは思えない。うーん,いっそそれらの重量を計り出して自分のホントの体重を知りたいと思う反面で,ホントのことを知ってしまったらとってもブルーになってしまいそうで怖い。その狭間で揺れる私――まさしく「揺れる“乙女座心”」である。
ロビーはかなりの人でごった返す。イスは40人も座れば満席であろうか。あちこちから,老若男女の声,標準語もあれば方言も聞こえてくる。若い人はTシャツなどの半袖,中年以上からオジイやオバアは長袖にあるいはジャケットと,きっちり衣服では“棲み分け”がなされている。で,私はその中間辺りの薄いセーター。昨日あたりまでのように東京がもう少し暖かかったら,少なくともデニムのジャケットなんか持ってきたくなかったが,まあ仕方がない。クーラーが入っているのか,涼しい風が流れてきているし,動かなければセーターでも十分快適である。
そして,ロビーを囲むように土産屋とかレストランが配置される。大して人は多くないとか,ロビーは狭くないと言ったらウソになるだろう。やっぱり新石垣空港(「沖縄はじっこ旅」第7回参照)は必要なのだろうか。そもそも,石垣空港は石垣島だけでなく,八重山諸島と言われる島すべての中継点の役割もあるから,これだけごった返すのは当然っちゃ当然かもしれないが,デカくなったらなったで,石垣島が持っている“らしさ”というのが失われてしまいそうだし,難しいところだろう。
さて,地元のオバアらしき女性数人が,私の座っている近くまで“侵食”してきたので,時間もそろそろ搭乗口に行く時間だと思って腰を上げる。とりあえず売店を物色していると,冷蔵庫の中に面白い飲み物をみつけた。名前は「げんきクール」。80円という安さで,250ml入りで牛乳パック…の上のほう3割くらいをもぎとったような容器に入っている。黄色地に緑色の線が入って,名前は赤い文字と白い文字。子どものイラストもあったりと,完全に子どもの飲み物の様相である。石垣島の中心・登野城(とのしろ)にある「八重山ゲンキ乳業」による製造。“地もの”とあっては興味深々。さっきの「73.4」の数字はどこへやら,今日のメシもどこへやら,思わず購入してしまった。
中身はベージュ色の液体。側面には「乳酸菌飲料」と書かれており,なるほど飲んでみると,ヤクルトほどの酸っぱさやキレがない,明治ブルガリアヨーグルトのノンカロリー飲料的な甘酸っぱさと,ほのかにパインの風味が残った。そういえば昔あった「パンピー」って,こういう味だったけな……うーん,どこがで飲んだ記憶がある味だが,それが何だか思い出せない。原材料を見れば,酸味料とかステビアとか安定剤とか,典型的な“人工飲料”というラインナップだ。ちなみに,会社名が示すように,本業の(?)牛乳も90円でしっかり売られていた。

さて,場所を搭乗口に移し,直前に出る那覇行きの乗客がいなくなってスッカラカンなところでしばらく待っていると,「多良間行きの搭乗手続は終了しました」「多良間行きのご利用のお客様は……」というアナウンス。たかだか3人でこのアナウンスは大げさだ。こっそりと飛行機まで移動したりしてもらったほうが雰囲気が出そうだが……そうこうしていると,私の斜め後ろに座った女性数人から「多良間で…」という会話が聞こえてきた。はて,残りの2人って彼女たちなのか。
そして,出発の10分前になって,さっき搭乗手続カウンターで応対した女性が,後ろの女性のところに着て「座席の変更をしましょうねー」と言ってきた。当然いろんな会話が聞こえてくるわけで,2人はそれぞれ「3A」「3B」という座席になった。そして,私のところにもやってきて「座席変更させてもらいます」。で,最終的には一つ前寄りの「2B」ということになった。チラッと後ろを見ると,女性は50代くらいの女性と70代くらいの女性。母娘といったところか。ごくごく中肉中背ないしは少しやせた感じの2人。うーん,どういうバランスの取り方なのだろうか。いまいちよく分からない。
11時,いざ飛行機へ向かう。3人だけのためにしっかりアナウンスもしてくれる。「出られて左に飛行機があります」と言われ,その通りに行くと,たしかにいつも見慣れた39人乗りよりも小さい飛行機がポツンとあった。機体のそばまで行くと,どうやら後ろの席の人間から先に入らなくてはならないようだ。女性2人を少し待って,彼女らが先に乗るのを見ていたが,どうやら通路らしきものはなさげだ。いまどき自動車でもあまりみなくなった,ワンドアで座席を倒して後部座席に乗るスタイルである。その倒した座席の後ろに女性が2人先に乗り込んで座る。
ってことは,私は……その座席を元に戻して,そこに座ることになるのだ。見れば,2人席そのままの幅が機体の幅だ。隙間とか余裕はない。そして左前にいるヘッドホンをした男性がパイロット。「こんにちは」と,低くて渋い声で挨拶される。残念ながら,顔はアイマスクのようなサングラスに隠れて分からない。白髪混じりで少し乱れ加減の頭髪からすれば,50代だろう。彼と私の位置は,自動車の運転席と後部座席くらいの距離しかない。でもって,その前にはいろんなタコメーターが見える。何が何のメーターだかは専門家じゃないので分からないが,彼の隣の「1B」にも操縦桿がついている。そこも一応は座席なのだろうが,さぞ邪魔臭いのではないか。後でパイロットがそれを動かしていたし,何よりもバランス云々のために,かえってその「1B」に座らされたら……。
私が乗り込むと同時にドアは閉められる。“バリバリ…”“ブイーン…”と,文字にするとあまり大したことがなさそうだが,かなりの音を立ててプロペラが回り,機体が震え出す。自分の声すら聞こえないほどである。そして,座席には当然ながら低周波電流が走りだす。小回りが利くことを最大限に生かすがごとく,余計な大回りとかもせずに,そそくさと滑走路に出ていく。
目の前のコクピット(?)では,TBSのテレビドラマ「GOOD LUCK!!」のごとく,英語による管制塔との会話。ホンモノ…と言っていいのかどうか分からないが,初めて見る光景にちと感動。無論,専門用語だし何を言っているのかは分からない。「あー,ちょっくら行ってくるガニ」「はっさー,帰ってきたら電話してちょうだいねー」なんて,思いっきり沖縄弁な会話が展開されるのかと思ったら,そこはやっぱり“マニュアル通り”なのだろう。きちんとした応答が交わされているのだ。やがて,いくらも助走しないうちにフワッと機体が上がる。11時5分にはなっていないだろうが,いざ出発だ。

上空は次第に青空が出てきた。陽射しも出てきて中は結構暑くなる。あらかじめ「中には空調がついておりませんので,(備え付けの)うちわであおいでいただきますよう,お願い致します」と言われていたが,早速その出番である。うちわと一緒に,ラックには一応JTAの機内誌「Coralway」が置かれているが,こんなん見ている時間なんかないだろうにと思ってしまう。かといって,何も置かないとサービスにならないってことか。無論,あめ玉なんかもナシだが,別段気にならない。飛行時間に応じて明らかに不要なものは,バンバン機内からなくしていいように思えてくる。
一方,下は白波がはっきりと見えるから,あまり上空は飛んでいないのが分かる。そりゃ,こんなちっぽけな飛行機ならばそうだろう……でも,考えてみれば,ここは現在問題になっている海峡なのである。言わずもがなだが,数日前にこの真下を中国の潜水艇が領海侵犯で航行していたのだ。こんな飛行機だったら,下から撃ち込まれりゃ一発で落ちるだろう。無論,海中を潜っていたのだし,300mも上からだとさすがに何も見ることはできないだろう。いっそ,海上自衛隊のヘリコプターがやっていたみたいに,海面スレスレを飛んで大きく波紋を起こしてくれれば面白いだなんて,不謹慎なことを考えてしまったりする。
やがてパイロットからのアナウンス。「ただいま高度300mを,毎時240kmで順調に飛行しております。多良間空港までの飛行時間は20分。到着予定時刻は11時25分を予定しています」――そう言っていたような気がする。プロペラやエンジンの音などではっきりと聞こえない。何もそんな律儀にやらなくたって,別にそんなに揺れているわけでもないし,いいんじゃないのと思う。そのうち,彼も右手でうちわをあおぎだした。やっぱり機内の暑さは一緒なのだろう。
ふと,「え,いいの?」と思ったりもしたが,多分完全に操縦桿から手を離しても,安全に自動飛行できちゃうシステムなんじゃないかって,逆にミョーに楽観視してしまう。パイロットって,普段はまずその仕事をしている姿を生で見ることがない。安全性とか機密性とかを考えると,それは当然なことなのだろうし,せいぜい見るといっても,テレビで映されたのを見る程度であろう。でも,だからこそ間近で彼らの姿,中でもそういう人間っぽいしぐさを見ると,どこか親しみを覚えてしまうのだ。
再びアナウンス。「間もなく着陸体制に入ります。右手横からの強い風を受けての着陸となります…」とのこと。ふと左前方を見れば,お盆型の緑色の島が見えた。これが多良間島である。空は完全に青空となった。後ろの女性2人が「天気がよくなったねー」と話しているのが聞こえた。そして,そのお盆の下のほうにコンクリートの滑走路が見えた。あそこに着陸するわけだ。たしか,39人乗りの飛行機が宮古島から就航することになって,昨年の10月に供用開始したばかりの新空港だ。
間もなく,左に大きく旋回して下降していくのが分かる。何たって,正面のタコメーターとその向こうの景色が丸見えなのだ。大きな機材に乗っていると,体感だけで「あ,旋回してるのかな?」と認識するしかないが,この機材ではすべてがモロに見えてしまう。もっとも,飛行機が苦手な人間にはたまらなくキツイのだろうが,私にはとても楽しい。パイロットのアナウンスで「はて,どのくらい揺れるのだろうか?」と思ったが,着陸寸前に少し機体が左に振り子のように揺れただけだった。バランスを取っていたのだろうか。そして,無事着陸。小さいからか,ブレーキをかけたときの衝動はあまり感じられなかったと思う。ふぅ,撃ち落とされずに済んだぜ……って,当たり前か。
39人乗りの飛行機にはいいのだろうが,こんなセスナ機にはあまりにもったいないくらいに大きな滑走路を,フルに活用することなくテキトーなところで折り返してターミナルに向かう。先導する係員の位置も,大型機ならば下方に見えるか見えないかって感じだが,ここではモロに真正面だ。これもまた,セスナ機での面白い発見だ。さんざんやかましい音を立てたプロペラが停まると,外から男性係員がドアを開けてくれて,先に私が下りる。はて,後ろの座席は……と心配する間もなく,50代の女性のほうが背もたれを前に倒し,自分らで勝手に降りてくれた。
目の前に立つのは,2階建てだが,かなり高さのある立派なレンガ屋根のターミナルビルだ。後で旧ターミナルを見てみたいものだが,さぞ南大東空港みたいな廃墟っぷり(「沖縄・遺産をめぐる旅」第4回参照)を醸し出しているのだろうか。ま,去年まで現役だったわけだから,まだある程度はキレイではあろうが,少なくとも,平屋建てのそっけない波照間空港(「沖縄はじっこ旅U」第11回参照)の建物や,先月行ったばかりの喜界空港(「奄美の旅ファイナル」第5回参照)のそれみたいなものであろうことは容易に想像ができる。
ちっぽけな到着口で係員の女性が1人,ペコリと会釈してくれたが,どことなく虚しい。何たって,我々を歓迎して向かいに来てくれている人はまったくいないのだ。…いや,後ろの女性は別途迎えが来ているかもしれないが,それだってたかが知れている。レンタカー屋の迎えも,民宿やホテルの迎えもない。そして,それらを案内する看板もない。中のこぎれいなロビーにも,いるのは小さい子ども連れの母親のみ。逆に親子2人で何をしにこんなところ(失礼)に来ているのか,不思議に思えてしまうほどにすべてが静かなのだ。

(1)プロローグ
@まず,行くべきは
さて,ロビーを通り過ぎて外に出ると,1台のマイクロバスが待っている。島には路線バスというヤツはなく,どうやら村の人に委託する形で,空港と集落を結ぶバスが走っているようだ。車体にも書いてあったが,当然「有償運送」である。ガイドブックとかにはその人の名前まで出ているが,あえてここでは“Mさん”としておこうか。
ドアの前まで来たが,ウンともスンとも言わない。中に乗っているのはメガネをかけたオジイ。「すいませーん」という“合図”を外から送ると,親指でこちらに指示を送る。見れば,ドアの取っ手に丸いボタンがある。それを押せということか。はたして,そのボタンを押して取っ手を押すと,ドアが内側に開いた。なるほど,ここは“竹富島方式”のようである(「沖縄はじっこ旅」第8回参照)。
ま,居眠りをこかれるよりはマシだが,早速観光客が地元民に奉仕させられる。向こうは有償。こっちは無償……オジイはそのまんま太っ腹で,薄いブルーのワイシャツにグレーのスラックス。顔はウチの会社の“Kさん”に似ていたが,短く刈られた白髪頭がそう思わせる。目がクリクリした,実に濃い顔立ちである。もしかしたら,若いときは“イケメン”だったのか。
こういうバスに乗ると,大抵は「どこまで行きますか?」と聞かれる。ここでもそうだ。集落と空港を結ぶとは聞いていたが,具体的にはこちらから申告するわけである。なので,またも会社のプリンターでプリントアウトした多良間島の地図に書いてあった「海秀企画コンサルタント」(以下「海秀」とする)の文字を指差す。すると「ああ“かいしゅう”さんね。ハイハイ」。やれやれ,ちと心配していたのだが,これでOKである。やっぱり,沖縄は「なんくるないさ」な場所なのだ。そもそも読み方も「かいしゅう」なのか,「うみひで」なのか聞くのが恥ずかしかったくらいだし。
実はここに行ってもらえなかったら,やむなく集落の,例えば役場辺りを目指してもらって,この海秀まで歩こうかと思ったのだ。とはいえ,いろんなホームページを見れば集落の外れにあって,中には,海秀へ行くためのいろいろな目印となる写真が掲載されたページもあったが,別に特別に大きな目印があるわけでもないから,現地で迷うことは想像に難くなかったのだ。それだけに,ダイレクトに行ってもらえるのは有り難い。
後は一緒にセスナ機に乗った女性2人をしばし待つ。その間にも,二言三言言葉を交わす。
「今日はこれからどうされるんですか? 泊まりです
か?」
「いや,午後4時半の宮古島行きの飛行機で宮古
に行きます」
「……ほいじゃ,3時半に海秀の前に来れば,私,
拾って行きますよ」
「え,そうですか? ありがとうございますー。助かり
ますー」
ほら,こうやって沖縄はまた,不思議にコトが次第にいい方向に向かっていく場所でもあるのだ。そうそう,行きは定時に空港にいても,帰りはどうなるか。これまた重要な問題である。多良間島に関するホームベージをいくつか見たが,予定より早くバスが発車することになって慌てたとか,あるいは乗りはぐれて島の車に拾って送ってもらったとかいうのがあった。もっといろんなケースがあったのかもしれないが,これらから勉強できることは「帰りのバスは苦労する」ということ。無論,集落にバス停なんてものがないことも想像かつく。それだけに前もって約束をしてもらえるのは有り難い……これにて多良間島での移動には目処がついた。
それにしても,残りの女性2人は一向に現れない。2分ほど待っただろうか。結局私1人だけ乗ってマイクロバスは出発する。多分,石垣から来る観光客自体,あまりいないのだろう。少なくとも今日は私1人と言って間違いあるまい。新空港だって,あくまで宮古島からの39人乗り飛行機のために造られたもの。きっと,私の今回の行動は天邪鬼というか,ある意味“奇異な行動”なのかもしれない。
バスは敷地の外を出ると,あっという間に一面がさとうきび畑となる。でも,道はきっちり舗装されている。この空港のために整備されたであろうことは容易に想像がつくが,行き交う車は皆無だ。そんな中を時速20〜30km程度で進んでいくマイクロバス。端から,あるいは私から見ても,明らかにテロテロ走っているわけだが,オジイは鼻歌まじりでちょっと機嫌がよさげだし,別に私も一刻一秒を争うわけじゃないから気にしない。むしろ,周囲の景色を楽しめるからいいことにしたい……といっても,周囲は畑しかないので,楽しむどころか退屈するだけだろうが。
途中,さとうきびの“カーテン”の袂に倒れていた法定速度の標識を見る。それを見ると,「40」とハッキリ書かれていた。なるほど,そのくらい出してもいいくらいの道幅だし,道の状況もガタガタとかではなく普通である。標識が台風で倒れたのか事故で倒れたのかは分からないが,看板が元通りに立て直されていないということは,その標識がこの島でどーゆー位置付けなのか,だいたい検討がつくというものである。

5〜6分して道が突然ジャリ道になった。その脇につんぐんでいた小学校低学年くらいの子ども2人に軽く手を振る。こんな光景もまた,島のバスでのワンシーンである。すると間もなく,左に平屋建てのプレハブの建物。看板には青い文字で「海秀企画コンサルタント」と書かれている。やれやれ,この場所は集落から探し当てるのは難しいだろう。オジイは「じゃ,3時半ね」と言って私と別れると,そのまま集落の中心部らしき方向に向かって,テロテロと走り去っていった。ちなみに,ここまでで400円。まあ,こんなものだろう。
この海秀,本業は建築会社なのである。看板の上には「一般土木設計・農業土木・施工管理・地上測量・航空測量・磁気探査」と,文系の私とはあまり無関係で,とてもよく分からない四字熟語…もとい専門用語が並べられている。なるほど,要するに「建築一般」ということで,私は誰が何と言おうと,そう解釈されていただく。ちなみに,同じ建物の別のサッシには,写真の現像だかラミネート広告だかの張り紙もあった。一体,ここの会社は何がしたいのだろうか。
さて,中を見れば明かりがついている。サッシを開けると,中はフローリングの上がりになっていて,普通に,どこからどー見ても事務所って感じである。そこで1人,Tシャツに短パン姿の40代くらいのノッポな男性がデスクワークをしている。格好は別に島の中だからたかが知れているのだろう。でも,土曜日なのにご苦労様って感じである。デスクトップのパソコンが,どことなく彼をインテリっぽく演出する。カウンター越しに
「すいませーん,レンタサイクルお願いしたいんです
けど,いいですか?」
「はい……少々お待ちください」
そう,さっき“本業”と書いたのだが,そう書いたからには“副業”もあるというわけで,それがレンタサイクル――多分,写真の現像やラミネート広告もそうだろう――なのである。ここで自転車を借りるために,オジイにここで降ろしてもらったのだ。レンタカーをやっている商店もあるようだが,ヤフーでは店の名前だけしか載っていない。一方,ここ海秀は「美ら島物語」でも紹介されていて,知名度(?)の差で海秀でのレンタサイクルを選択したのだ。ちなみに,これは後で確認したのだが,「参考文献一覧」に載せた『沖縄の島へ全部行ってみたサー』の作者・カベルナリア吉田氏は,集落の北部にある「ちとせ旅館」という旅館に泊まって,この宿で自転車を借りたようだ。ま,そういう選択肢もあるということだが,基本はこの海秀で借りるようである。
話を戻す。ノッポな男性は何やら貸しだしノートを棚から取り出して,「名前を記入してください。1日1000円,1時間200円です」と言ってきた。それを見ると,一昨昨日の10日に数人が借りたようだが,本日は私だけのようである。名前を書いている上で,男性は「○○ちゃん,△△をしなきゃダメでしょ!」と誰かに注意していた。何の注意をしていたかは忘れたし,私はその“注意の対象”には背中を向けているので状況が分からなかったが,こういう光景もまた,のどかな沖縄の島の光景っぽい。
しかし,名前を書いたところで動きが止まる。はて,何時間の扱いになるのだろうか。普通こういうのは,こっちに何時の飛行機で帰るのかとか聞き出した上で,貸し出し側が判断して決めるようなものだが,一向に男性は無口なままだ。時間はいま11時40分。うーん,3時間では明らかに過少申告すぎだろうし,とりあえず「3時半までなので……4時間で」と,相手の出方を探るように言うと,「じゃ,4時間だと800円です」と言ってきた――ま,考えてみれば本業は建築関係の仕事なわけだし,片手間でやっているからこの程度ってことか。
すると,どこで合図を送っていたのか,俳優の小澤征悦氏に似た別の男性が,どこかから自転車を押してやってきた。うーん,なかなか年季が入って,所々錆びついている。思わず「本業は建築関係の仕事なわけだし,片手間でやっているからこの程度ってことか」と,数行上の文章をコピー&ペーストしてしまったが,その男性はすると「ちょっと待ってくださいね」と言って,一度持ってきたその自転車を奥のほうに戻してしまう。何かあったのだろうか。
1分ほどして,別の自転車を持ってきた。が,彼はおもむろにタイヤを触ると「うーん,空気が…」と言って,再び「ちょっと待ってくださいね」。再び奥に引っ込んでから戻ってくると,彼は手に空気入れ器を持っている。そして,何回か空気を入れて感触を確かめ出した。ノッポの男性も気についたようで,少し状況を見守ってのち,2人で何か会話していたが,いまいち聞き取れなかった。
すると,小澤氏似の男性は再びその自転車を奥に持っていってしまった。一方,時間は刻々と過ぎていく。うーん,オジイの“1時間前に海秀で”という約束は,冷静に考えてオジイにやや有利になってしまったか。そもそも多く見積もったって,10分もあれば空港に着くだろうし,15時50分の待ち合わせでも十分なはずだ。この島がどの程度の広さかあまり想像つかないが,目の前でムダに時間が過ぎていると思えなくもない。でも,イライラしてもキリがないので見守るしかないか。
そして,また1分ほど経って「お待たせしました」と,自転車を押してやってきた。それが別のヤツかさっきのヤツかは,もはや忘れてしまったが,ひとまず今回乗るのは「BRIDGESTONE」である。そして,今度は彼も納得したのだろうか,私に自転車を預けるとそそくさと事務所に入っていった。うーん,彼は彼なりにこだわりがあったのか。はたまたメンテを怠っていただけだったのか。
そんなに時間をかけて選んだにもかかわらず,早速ペダルを漕ぐと,サドルは少し高いし,“ギイ”という音がする。サビもあちこち結構目立つし,心なしか車体が重い気がする。チェーンのサビが影響しているのか。でも,気にしたところで始まらない。とりあえず,4時間足らずのサイクリングと,その前に昼飯の場所を探すべく,集落のほうに向かうことにした。(中編につづく)

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