琉球キントリ

Bご縁の上書き?
逆田より再び島の1周道路に戻るとすぐ,ディズニーランドの“ビッグサンダーマウンテン”みたいな建造物があった。「内花橋公園」と看板にはあったが,なぜこんなものが造られたのか……高さがあるということは展望台なのだろうが,何となく惹かれてしまったので,路駐してその建物の中に入ってみることにしよう。空はすっかり晴れ上がって,この時点ですっかりTシャツになることにした。
後で気がついたが,真正面からよく見るとシーサーのような顔をしている。脇から階段を上がっていくと,真っ暗でどことなく回廊っぽい場所が多い。割と精巧に造られてもいるし,所々にベンチがあったりもして休憩スペースになっているのは,配慮として有り難い。しかし,考えてみると何のために設けられたのかが謎だったりする。窓が格子状になっているのは,前面から見るとシーサーの歯の辺りだったと思うが,この辺りは完全に造った人間の趣味の域であろう。結構エコーも効いていて,パンパンと手を叩くと,結構響いたりする。
とりあえず,展望台らしきところに上がってはみたが,海側は潮が引いていたのが見えた。陸側は畑が見えた。以上。何か素晴らしいものが見えたわけじゃなかった。陸側には「大野山」という小高い丘がそびえていたりするし,展望台もせいぜい建物でいうところの3〜4階程度の高さだから,はるか遠くまで見渡せるわけでもない。となると,ますます何のために造られたのかが謎になってくる。ここにも例の税金(第2回第3回参照)が使われたりしているんだろうか。
意外な場所に時間を費やして,再び車に乗る。何もない畑地の景色を走ること,また5分ほどで「→伊是名場外離着陸場」という看板が。右折してこれまで以上に茫洋とした中を走ると,どんづまりに白いコンクリートの帯そして小屋。小屋は待合室だ。戸は閉ざされていたが,中が見えてしまった。記念の提灯とかTシャツが販売されていて,ソファもしっかりとあるし,小さいわりには思いのほかしっかりした待合室である。逆にいえばめったに使われないから,こんなにキレイなままなのだろうか。20台は停められると思われる駐車場が,どうにもムダスペースに思われてしまう。
フェンスがあるといっても,股下ぐらいの高さしかないので,越えて敷地の中に入ってみる。もちろん,滑走路には飛行機もいなければ人も誰もいない。セスナ機が離発着できる程度だから,普通の飛行場に比べれば小さめな滑走路のはずだが,それでも結構長く見えるのは陽射しのせいだろうか。あるいはここを利用しようとしていたわけでもあるが(第1回参照),ここから宿まで行くとなると,それはそれで結構距離があったのだ。何より「場外」という言葉が,要するに「島の外れ」ということなのだろう。ま,宿に頼めば送迎してもらうこともできたのであろうが,今から考えてみれば海路で来たほうが,何かと都合がよかったような気がする。
ちょっとだけ南下して,勢理客(せりきゃく,じっちゃく)集落に入る。ガイドマップには「古い家並み」とあって,なるほど昔ながらの石垣を見ることができるが,どこかムリヤリに石垣だけ残している感じに見えたのは,外側からしか眺めていなかったからか。同じ家の垣根だというのに,ブロック塀が突然途切れてサンゴに代わったりするのに違和感を感じる。家がコンクリート製という“人工物”だというのに,石垣だけサンゴという天然のものだと,どこかアンバランスなのである。
無機質なのがいいとは言わないが,コンクリートの家にはブロック塀がまだしっくり来る。対して,サンゴの石垣には木造に赤瓦じゃないと,やっぱり絵にならない。なまじ景観保存のためにサンゴの石垣だけ残すくらいならば,いくら伊是名島にはいないといえど,石垣の隙間にハブが棲みつきやすいし機能性にもやや欠けるだろうから,いっそ石垣も機能性を重視して(?)プロック塀にしたほうがいいような気がしてくるのである。“半端な維持”はかえって逆効果であろう。
次にある伊是名集落までは,島の外周を走ることにするが,こちらは“墓ロード”だった。あちこちに点在する墓。草むらをかき分けるように建っていた。そんな場所を通り抜けると,伊是名集落に着く。こっちにもポツポツとサンゴの石垣が見えた。少し狭くなった道を抜けたところに「伊是名ビーチ」があるので,ここで車を停めて砂浜に出る。目の前には「宝の島」という旅館。開け放たれている玄関が,何となく日曜日ののどかさを醸し出してくれる。
伊是名ビーチは潮の流れが速い白砂とサンゴの混ざったビーチ。両端は200mくらいか。モクマオウが防風林代わりになった静かなビーチだ…といっても,シーズンじゃないから静かなんだろうけど。天気はすっかり回復して,吹き抜ける風が心地いい。昨日は「無事に帰れればいいです」なんて言っていたが(第2回参照),そんなに公共交通機関はヤワじゃないし,雨はいつか上がるわけだし……もっとも,こうした離島に渡ってもそのまんま何事もフツーに帰れるのが圧倒的なわけであるが,過去に何度か“イレギュラー”を経験してしまうと,都会で何度も吹かれているはずのちょっとした強い風でも,思わずビクッとしてしまったりするものである。その“ビクッ”というのが,この天気と風でふっとこぼれて消えていった感じがした。
車に戻って少しばかり動かして,集落の中心あたりにある(勝手に思っている)公民館の前に停める。公民館の中からはピンポン玉の弾む音が聞こえた。ますますのどかである。ここでもう一つ,「銘苅殿内(めかるどぅんち)」という建物をとりあえず見ておきたかったのだ。「見ておきたい」とはいっても,どっちかといえば「どうせせっかくなので」という程度ではあるのだが。
ガイドマップのうろ覚えを頼りに集落の奥のほうに入っていくことにする。道中通った「伊是名酒造所」で,松金がラベルになった泡盛「常盤」のビンが無造作に置かれていた。昨日泊まった「美島」(前回参照)でも飲めたのか。ま,飲むなんつっても,酒が好きな人ってことでもないから「記念に飲んどく」という程度で,味なんて分かりゃしないんだろうけど。
中に入っていくと,赤瓦にしっくり来る木造の家とサンゴの石垣がいくつか見られた。プラス,静けさとフクギで完全に“出来上がり”である。これこそが「原風景」だ。その集落の北東に,さすが国の重要文化財だかに指定されているだけあるような“オーラ”を感じるエリアがあった。そこが「銘苅殿内」(または「銘苅家住宅」とも呼ばれる)だった。
広さからしてかなりある。離島の伝統住宅というと,久米島では「上江洲家」(「久米島の旅」第1回参照),石垣島では「宮良殿内」(「沖縄はじっこ旅」第3回参照),最近では慶留間島で見た「高良家」などがあるが(「沖縄惰性旅」中編参照),いずれよりも規模は全然大きい。絶妙にパズルのように石を組み合わせた野面積みの石垣も,いかにも“良家”って感じだ。こんなに大きいのに中には自由に出入りできる。入場料が取られるのかと思ったら,それもないし管理者すらいない。家は完全にオープンな状態。文化財なのにいいんだろうかと思ってしまった。松金の叔父を先祖とする銘刈家が王朝時代,島の地頭職を務めてきたという。
門から入ると正面にヒンプンがあるのだが,一方では右側には屋根つきの門が立っていて,女性は門,男性はヒンプンの左側から出入りしていたという。現在の建物は1905年に再建され,1979年に修復されたもの。母屋と(客の宿泊場所だった)アサギの2棟があって,別棟ながら屋根と通路でひと続きとなっているのが面白い。母屋もアサギも畳の部屋は5畳ほどの大きさだった。母屋の一室にはなぜか黒電話があったが,やっぱり何かあったときのためにつけているのか。もう一つ,これは完全に離れて建っている建物があったが,豚小屋かと思ったらば風呂場っぽい造りをしていた。

伊是名集落を後にして東進する。道は次第に上り坂となってきた。次に向かう「ギタラ展望台」の「ギタラ」は「切り立った岩・断崖」を意味する言葉だ。それらしい場所に近づいてきたということだろう。「ハイジェット」という名前のくせに“テロテロ具合”がさらに増してくる。ローギアにでもしないとと思ったが,ギリギリセカンドで間に合った。テロテロ走っていたからか,時間も結構費やしている感じだ。
その上り坂の頂上あたりだったか,展望台があった。陸側にトンガリ岩のようなものがあるが,これが「陸(アギ)ギタラ」といって,展望台から見下ろすところにもやっぱりトンガリ岩がある。こちらが「海(ウミ)ギタラ」という。ガイドブックに載っている写真では,これは近くにある「しらさぎ展望台」ってところで撮られた写真と思われ,いわば“陸海のツーショット”が実現している。ま,そちらの展望台には,車道から小道を入っていく感じだったので面倒くさくて今回行かなかったが。
陸ギタラの下に何やら石碑が見えたので行ってみると,慰霊塔であった。そしてそばには「世界人類が幸せでありますように」の棒。今までに比べたらここにあるのは納得できた(「奄美の旅ファイナル」第5回「沖縄はじっこ旅V」第4回「宮古島の旅ファイナル」中編参照)。入口には詩が書かれた石碑もあった。出征する男性たちをこのギタラのところで見送ったという内容のものだ。
少しだけ東進する。と,緑の中に埋もれていたが,白い鳥居が見えた。そばには手彫りしたと思われる「龍神洞」という石板。さらには「ここは聖なる場所です。御天七龍子神の役場であります」という看板。うーん,後段の意味,特に「役場」というのが何だかバーチャルな感覚になってしまって,いまいち意味不明であるが,御嶽であるのはたしかだろう。面白そうなので寄ってみよう……と思ってちょいと勾配のあるガタガタの石段を上がろうと思ったが,あまり人が寄りつかない場所なのか,蜘蛛の巣があちこちに貼られていて行く気を削がれたので引き返す。岩の裂け目らしきところに香炉のある拝所が見えた。ま,その程度ということだろう。
さらに少しだけ東進すると,今度は「→四殿内の天祖の墓」という小さい看板。何となくここも惹かれて入っていってしまった。目の前には白い砂浜が広がっている。片や,墓はどうやら右手の草むらの向こうというのが分かったので後で見ることにして,砂浜に出ることにする。さっきのギタラ展望台からこの辺りまでは「二見が浦海岸」といわれる海岸。“二見”というのは「陸・海ギタラ」のことを指すのだろうか。「日本の渚100選」に選ばれているらしい。
だからなのか,伊是名ビーチよりは狭いが,青藻だの海草類がまったくない。キレイさはこちらのほうが上だろう。墓の脇にビーチという取り合わせもヘンだが,ここは穴場である。帰りに寄った墓は亀甲墓。看板がなければ一般人の墓と勘違いしてしまうくらい,ごくごくフツーだった。ヒンプンらしき石があるにはあったが,それも一般人の墓と天祖の墓を区別するものにはならないような。
またまた東進。ギタラとはまた違う大きな三角岩が真正面に見えてきて,これが右に移動してきた辺りでミニチュアの平原みたいなものが広がる。でもって,公園のように整備されているそこが「伊是名城跡&伊是名玉御殿」。この旅のメイン…といったら大げさかもしれないが,一応は見所ではあると思う。でも,対向車線からやってきたレンタカーは,停まってだけですぐ行ってしまった。「伊是名レンタカー」という文字が後ろのバンパーにあった。中に乗っていたのは多分,「美島」に泊まっていた男女3人組だったはずだ(前回参照)。岩だけしか見えなかったことにガッカリでもしたのだろうか。
こちとら第1尚氏の居城跡を観たというのに,第2尚氏の居城跡を観ないわけには……って第2尚氏はこの城は関係ないんだよな。ここは第1尚氏の尚巴志の祖父である鮫川大主が居城したんだよな(第1回参照)。大主が佐敷に出ていくと同時に廃城になったそうだ。では,第2尚氏の城は……そうか,一応は首里城になるのか(「沖縄“任務完了”への道」第2回参照)。城跡といっても,ゴツゴツした岩山地形そのものが要塞って感じで,何か石垣が見えたわけでもない。
その岩山の中腹にあるのが「玉御殿」。あるいは「玉陵」とも表記される。石段がそこに向かって一筋に伸びていた。「玉陵」といえば首里城そばにでっかいのがあるが(「沖縄“任務完了”への道」第2回参照),それが建てられた後にここにも建てられたという。造ったのは玉陵と同じ尚真。コンセプトも同じであろう。松金=尚円の父母(すなわち,尚真の祖父母),姉および宗祖などが葬られた破風墓で,首里にあるものを小さくしたような感じである。石棺が中国産の輝緑岩でできているそうだが,それはもちろん,ここからは見られない。
墓室(と香炉)が二つあり,左手の「東室」には近い親類,もう一方の「西室」には遠類が納められていると言われている。写真などでみられる古ぼけた感じはなくって,修復がつい最近されたようにキレイであった。昨年は,王統関係者2人が納骨(分骨)されたようだ。うち1人は,第2尚氏・22代の尚裕氏(しょうひろし,1918-97)。私財を投じて世界遺産の庭園・識名園を再現し,氏の出身地である東京都台東区に王朝に関する文化財を寄贈しようとしていた寸出のところで,慌てて動き出した那覇市に無償で寄贈した人物である(「沖縄“任務完了”への道」第6回参照)。この伊是名島にある玉御殿もまた,氏によって寄贈された文化財の一つだという。
いま,ふと気づいたことがある。この玉御殿,要は第1尚氏の先祖が築いた城跡に第2尚氏の墓を造ったわけである。これって何というべきなのだろうか。“ご縁の上書き”とでも言うべきなのか。ちょうどこの頃,伊是名島と伊平屋島は「伊平屋」という一つの行政区として取り扱われ,とりわけ特別な待遇を受けた島であったとされるが,「かといって,一くくりにしたからって何やってもいいのか?」って疑問が湧くのは,「あまりに考え方がまっとうすぎる」のだろうか。
それよりも何よりも,決定的に佐敷城跡と違ったのはトイレである(第1回参照)……ま,これは私だけの問題ではあるのだが,さすが環境に力を入れているからか,基本がしっかりしているというのか,「第2尚氏もかかわっている」という差によるものなのか,実に整備が行き届いてキレイだった。“大”ではなく“小”だったが,思わず用を足してしまった私がそこにいた。同じ第1尚氏がかかわる場所なのにこんなに違うというのは,ちょいと驚きであったのだ。

Cなーんだ,結構やってるじゃん
時間はもうすぐ12時。周れてあと1時間がせいぜいである。伊是名城跡&伊是名玉御殿からは一旦来た道を引き返し,途中から右に折れて北進する形を取った。「アハラ御嶽」というのを探していて,実際に入口は見つけたが,森の中を上がっていく感じが面倒そうだったので辞めることにして,そうなると次に出てきた「サムレー道」なんかは,祭事のときに伊是名集落から玉御殿まで通った由緒正しき道なのに,見た目がけもの道なのでハナッから避けたり……と,どっか“守り”に入る形になってしまった。それだからというわけではないが,次の「美織所(ちゅらうぃんじょ)」もまた勾配のあるところを上がる感じだったが,ここだけは行っておくことにした。
上記「陸ギタラ」辺りにも連なっていくと思われる「チヂン山」という山の裾野辺り,草むらの中に石碑らしきものが浮かんで見えた。草が生い茂って迫ってきていたが,石のスロープがあるので,一応は歩道みたいになっている感じだ。小さい石畳のステージは,男女の悲恋のステージでもある――今から約150年前のこと。伊江島出身の美女・仲村渠マカトと,伊是名島出身の美男・松金(無論,王様ではない)が恋に落ちた。松金が伊江島に出入りしていたことで2人は知り合ったという。晴れて波の穏やかな日には,遥か遠くにある伊江島に向けてくり舟で漕いで出ていく松金の姿があった。
マカトは金持ちの娘だったという。一方,松金がどんな身分だったかは分からないが,いわば“箱入り娘”だった彼女は,自分から行かなくても男の方から来てくれていたのかもしれない。とはいえ,そんな海を隔てた恋にいい加減耐えられなくなったのか,意を決して松金のいる伊是名島に渡ってきて,この場所に小屋を建てて松金のために美しい布を織ったというから,恋愛というものは不思議だ――「美織所」と呼ばれるようになったのはそういう所以である。誰にも見られないように秘密の逢瀬を交わしたようで,そのことをモチーフにした詩が,碑には刻まれている。なお,結末は悲しくもお互いに身を投げてしまったらしいが,ついぞ見つかって仲を引き裂かれそうにでもなったんだろうか?
これで観るべき場所は終わった。「ふれあい民俗館」というキレイな“ハコモノ”が開いている感じではあった。駐車場は車1台なく,ガラーンとしていたが,私の車がその空間を埋めることはなかった。どうにも面倒になってきたし,できれば昼食が取りたかったのだ。ハナっから「離島で休日にメシ屋が開いているわけがない」と思い込んでいた私は,「ここだったらとりあえず開いてはいるだろう」という認識で,JAに寄ってみることにした。これまた店の前には車は停められないだろうと思って,ちょっとロータリーっぽくなったところのそばにあった駐車場に停める。さっきすれ違った男女3人組のレンタカーが停まっていて,そばにあった役場でテレビ局が使うような大きなカメラを持ち込んで,何かを撮っている感じだった。無論,役場は日曜日だから休みであるが,何を撮りたかったのだろうか。
ま,それはいいとして,シャッターが下りていて「あ,やっていない」と思ったそこは店の裏手で,JAの邦訳「農協」のパートだった。店側に出ると,思いのほか大きな造りをしていた。何か特産物の展示会のようなものもやっていたが,そちらは無視して店舗の中に入る。天井が高い造りで,ゆったり広めに見えた店舗の奥に惣菜コーナーがあった。もずくの天ぷら,もずくのサータアンダギーがバラで売られていて惹かれたが,かといってそれだけでは物足りないのではないかと思って,結局はそのそばにあった何の変哲もないやきそばを手に取ってしまった。367円。
車に戻ると,さっき停まっていた3人組は,どっかに消えていた。すっかり陽射しで暑くなった車内にクーラーを効かせて,ここで昼食だ。やきそばのそばは,沖縄そばだった。一度何かの機会があれば食べてみたいものではあったが,かといって元々麺類を食べないからか,積極的に食べてみたいほどでもなかった。こういうタイミングで食べられるのはどっか得した気分だったが,食べてみたらスタンダードなやきそばとも焼うどんとも違う不思議な食感が残った。
具は,タマネギ・ピーマン・キャベツ・ウインナーに豚コマという,ごくごくありきたりなラインナップ。本土にある縮れた細麺で作れば,味付けはフツーの焼きそばのそれと同じだったから,間違いなく食べ慣れた食感だったはずだ。ご多分に漏れず結構なヴォリュームで,本土だったら野球場や屋台で400円とか450円ぐらいで売っているヤツの1.5倍はあったと思う。ということは,価格は本土の屋台の3分の2以下……って,一体どーゆー基準だろうか。
メシを食ったら,再び車を走らせる。JAのそばにあったレストランは幟を掲げて営業していた。なーんだ,買い食いしなくてもよかったのか。しかし,さすがにガソリンスタンドはやっていないだろう。ルートから少し外れるし,出掛けの手続のときにはあの強面の男性には何も言われなかったけれど(前回参照),一応は行くだけ行ってやっていなければ「やっていなかったので」と言えばいい。多分,今回もキロ単価で別途支払うんだろう。まだ払っていない使用料と一緒に。
――って思って行ったら,ちゃんとやってるじゃん。日曜日なのに思いのほか,いろんな店が営業していて拍子抜けしてしまった。本土だったらば日曜日こそ垣入れ時であるが,離島では貴重な“経費節減デー”のはずである……実は車のメーターは“F”の目盛りのまだ上にあった。すなわち,いくらも距離を走っていないということで,さしてガソリンも食っていないんだろう。だから,このまま帰ってもよさそうだったが,人がよすぎるのか思わずスタンドの敷地に入り込んでしまった。出てきた係員に言った「レギュラー満タンでお願いします」のフレーズが,どこか虚しい感じではあったが。
だって,いざもらった領収書見たら「335円」だって。入れたリッター数はわずか2.36リットル。どおりでメーターが上にいたままだったわけだ。バカらしいぜ……とはいえ,那覇でスカイレンタカーに車を戻すときに入れたガソリンの領収書と比べると,単価が何とまあ11円も違った。もちろん,どっちが高かったかはご想像がつくであろうが,離島の物価の高さとガソリン自体の価格の高騰の一端を垣間見られただけ,スタンドに入ってよかったのだろうか。
いやいや,それだけじゃない。12時45分に伊是名レンタカーの事務所に帰ってきたら「ガソリンは入れられましたか?」って聞かれたんだもん。あんた,この島で4時間半くらい走ったところで,どんだけの距離を走れるかっつったら,たかが知れてるはずじゃん。たしかに出発時は満タンだったけど,当然食うガソリンの量だって向こうは分かっているだろうし……ま,スタンドに寄っていなくてもしらばっくれて「入れました」って言えばそれで済んだかもしれないが,そこは正直者で小心者の私。“しっかりとガソリンを入れた事実”を持っていないと,ついたってまずバレやしないウソの一つも言えない自分がいたりするから,いろんな意味で335円という額に収まってちょうどよかったのかもしれない。なお,肝心のレンタカー使用料自体は3000円だった。かなり安いけど,一体どーゆー基準なんだろうか。

(5)エピローグ
13時半,帰りの「ニューいぜな」が無事出航。行きと同様,船内はガラーンとしていた。少し波があって時々揺れはしたが,こちらは座椅子席の先頭に座ってコンセントを“獲得”。この駄文を打ってひたすら時間をつぶしたもので,まったく退屈にはならなかった。もっとも,こういう船内での時間のつぶし方って,あるべき姿なのかどうかは分からないけど,テレビはザーザー言ってたまに映らなくなるし,帰れる嬉しさからか,少しテンションが上がっていて寝っころがりたい感じでもなかったし,他に何をして時間をつぶせたというのだろうか……って,怒ってもしょうがないか。
定時より5分ほど遅れて,運天港に到着。せっせと宮里駐車場に行き,800円を支払う。私と同様に預けている客はいるもので,私が出ていくのと入れ替わりで中に入ってくるフェリー客が結構多かった。800円を支払っているとき,あの旦那がハニカミながら「天気×△○※!」と言ってきた。あいかわらず何を言っているのかはっきりと理解できなかったが,「そうですね。晴れてよかったですね」と返しておいた。旦那はそのまま変わらずニコニコしていたので,私の返した言葉に基本的な認識の誤りはなかったってところだろうか。(「琉球キントリ」おわり)

第3回へ
琉球キントリのトップへ 
ホームページのトップへ