宮古島の旅(全2回)

(3)東平安名崎へ
さて,次は二つ目の目的地・東平安名崎である。この岬もまた『ニライカナイ』(前編「参考文献一覧」参照)でも取り上げられている場所である。地図や写真で見ると,細長い突端の崎にあるようだ。この点は,西平安名崎と同じである。
それはそうと,島尻の集落から何とか東に道を走って,ようやっと大きな通りに出たが,東平安名崎に行く道との交差点になかなか出ない。池間に行く道の途中にその交差点を見て,そこを目指していたのだが,と,目の前に標識。「東平安名崎21km」――どうやら,私はすでに東平安名崎への道に入っていたようだ。時間は14時半。東平安名崎に15時に着き,そこからほぼ1時間で16時に来間島,17時台に平良市内に入って適当に夕飯を食べる――これで行程はほぼ定まった。
そうとなれば,スピードが再び上がる。ちょうど聞こえてきたのは,Sowelu(ソエル)の『Rainbow』。今度は思いきりポップでアップテンポなサウンド。晴れ上がった空の下ではピッタリな曲である。時折すれ違う大型トラックや,荷台から(わざとなのかそういうものなのか分からないが)はみ出してわらを積んでいる軽トラックに翻弄されながらも,順調に目的地に近づいていく。

1455分,東平安名崎の…入口に到着。灯台が遠くに見えるが,距離はまだ少しある。「君の元へ続く長い一本道は〜」というフレーズがよく似合うくらい,「とっても一本道」である。バスだと,最寄りのバス停である保良(ほら)は,この入口か1.5km平良寄りにある。もしバスで来ていたら発狂していたかもしれない。道はきちっと舗装されているが,途中からなぜか色が灰色からクリーム色に変わる。
15時ちょうど,東平安名崎の…駐車場に到着。コンクリの舗装道路は,まだ数百mは先の灯台まで続いていそうだが,駐車場から先は工事現場にある黄色と黒の「進入禁止」の柵がされている。
早速下りて歩いて行くと,入口にはレンタサイクル数台と,人力車が2台。もちろん両方とも有料なわけだが,数百mのために数百円とかを払ってしまうほど,観光客はうかれていないようで,思いっきり浮いた存在である。彼らに一瞥をくれることなく,ぐんぐん進んでいくことにする。
岬に行く途中に,巨大な岩が突然そびえる。自分の背丈の倍はあろうその岩には,洞穴みたいな穴があり,そこに小さな墓がある。「マムヤ」という名の香しき美人女性の墓で,いまでいう不倫の恋に落ちたが,相手男性にふられて身投げするという悲劇のヒロイン伝説がある。その男性のふった理由が「将来のことを考えると,マムヤよりも,たとえ糞尿の臭いがしても,いまの妻のほうがいいと諭された」。現代ならこの男性は,間違いなく名誉毀損で裁判沙汰の末,慰謝料を持っていかれ,女性はその金で豪邸の一つも建ててしまうことだろう。

歩くこと数分,いよいよ今度こそ東平安名崎灯台だ。別に何の変哲もない灯台だが,ここは開放されている。入場料150円を取られるが,煙と私は上に昇る性質があるので,入場する。96段ある螺旋階段を一気に1分で上って外に出ると,360度中330度は水平線である。自分が車と歩きで来た方向を見ると,この岬だけが1本だけ突起物のように飛び出ているのがよく分かる。「僕の元へ続く長い一本道」――様々なガイドブックや『ニライカナイ』の写真では,岬の付け根から突端に向かってのショットばかりが多いが,この逆からのショットもまた違った趣があると思う。
再び下へ降りて,灯台の先の緑があるあたりや,手前にある遊歩道を見てみる。灯台の先は,西平安名崎(前編参照)と違って,柵がぐるっと輪郭をなぞるようにされている。遊歩道とともに観光地化の証拠である。また,駐車場のそばの敷地にはちょっとしたアスレチック公園もあって,子どもが遊んでいる。こんな一見不自然な公園もまた観光地ならではだ。

駐車場に戻ってくると,三線の音が。カセットかラジオかと思っていたら誰かがひいている音だ。誰だろうと思っていて近づいてみると,開店休業中のレンタサイクル屋のおじさんが,弾き終わったのか後ろに三線をしまい込んでいた。色の浅黒い,彫りの深い顔をしている。そして私に突然,「お疲れ様です」なんて声をかけてくれた。もっとも,レンタサイクル屋といっても,置いておく小屋すらない,いわゆる青空状態だ。ったく,商売っ気がないというのか呑気というのか,一体どうやって元手を取っているのだろうと,改めて思ってしまった。
駐車場で少々休憩。ブルーシールのアイスクリームの看板がかかったピンク色の移動販売車が停まっていて,そこで紅芋アイスクリーム(シングル)を購入。車の中には,女主人と,小学校高学年くらいの女の子,同低学年くらいの男の子。間違いなく親子であろう。こういう光景も沖縄っぽい。値段は200円(Wだと300円)。暑くてちょっと疲れがあるとき,ほどよい甘さがちょうどいい。たしか,昨年末に石垣で買ったのは300円(「沖縄標準旅」第5回参照)だった。店によってバラツキがあるのは不思議である。チェーン店だったら統一されていてもいいはずだが,その辺は経営者に任されているのだろうか。
1530分出発。来るときには分からなかったが,走りながら陸が海に落ちている様を見ると,結構高さがあることが分かる。両端は100mほどか。迫力ではやはり西平安名崎の比ではないだろう。

(4)宮古南部へ
来た道を戻り,入口のところで逆方向に進む。さらに既述の保良にて海沿いに進む道に入る。この辺りは東平安名崎から続く断崖で,砂浜というものは見当たらない。時間的にはちょうど西陽になるころ。
ちょうどかかってきたのは中山美穂『
I Know』。前回の沖縄旅行でCoccoの曲を持ってきたかったと書いた(「沖縄標準旅」第3回参照)が,今回は実はこの曲だ(『Mind Game』『BALLADS U』収録)。別に沖縄とは何のつながりもないが,曲のイメージは海辺……というか,私はどこかのリゾートホテルだと思う。抑揚を抑え淡々と,しかしどこか寂寥感のある曲調は,時間的に,昼間というよりはちょうどいまぐらいの時間ではないか。いいタイミングでかかってきたと思う。
しばらく快調に進むと,「この先行き止まりです」の看板。とてもその先にどんづまりがあるとは思えないくらい,道がまっすぐ続いているが,かといって,反抗した時に限ってやっぱりどんづまりだったりもする。不本意ながら看板の指示に従って内陸に入る。
国道390号線で左折し,来間島方面へ。内陸に入ると魅力に乏しいのが田舎の哀しい性。早くどこかで海沿いに出たいところだ。

間もなく「左・ドイツ文化村」の標識。もらったオリジナル地図(前編参照)によれば,位置的に海岸に近いし,道も1本つながっている。文化村自体には興味がないが,とりあえず左折する。
1分ほどで,ここが文化村と分かる景色が目の前に広がる。ヨーロッパ調のシャトーとリゾートホテル――ハウステンボスをさらにミニにしたような感じであるが,入口付近はいまいち活気がない。無論寄るつもりもないので,交差点で右折する。
それはそうと,この時点で空にドス黒い雲。イヤな予感がすると,予感は水滴となって窓に落ちてきた。ポツポツがやがて本格的となり,ワイパーを動かさねばならない。しかし,私はこのワイパーといまいち友達になれず,だしぬけに後部ガラスのワイパーを動かしてしまったりする。
道はいい感じで直進している。海はいまいち見えないが,海の近くを走っていることには間違いない。オリジナル地図ではまっすぐ行けそうだし,このまま順調に行きたい。そして途中でまた左折。これもオリジナル地図ではつながっているので,もっと近くへと思い,しばらく直進する。すると,目の前に土の壁。ものの見事にTHE ENDとなってしまった。空からは本格的な雨。「道を迷いやすい」とサーウェストの女性が言っていた(「前編」参照)のは,この状態を指したのか。だとしたら,ものすごくアホな感じだ。虚しい気持ちとともに,いま来た道を引き返す。

三度目の正直は,見事にかなった。もはやどこをどう走っているのかすら,分からなくなってきていたが,どこかで再び海沿いに進路を取った時,ようやく「来間大橋・2km」の標識が。どこかの公園をかすって,ようやく来間大橋への道である。
来間大橋を通過したのは1610分。やや陽が翳っているせいもあるが,大したことがない気もする。タウンガイドによれば,海は午前中がキレイとのことなので,そんなものなのかもしれない。あるいはサーウェストの女性の言葉(前編参照)に毒されてしまったとか。ちなみに,全長は1690m95年3月に開通したものとのこと。
さて,来間島に入ったはいいが,どこを見ようかと思っていると,「右・展望台」と「左・長間浜」の看板が。海はさんざん見ているのに,まだ海を見たがる私は,後者を選択することに。
来間島は,実に道が狭くて悪い。はっきり言ってジャリ道っぽい。まわりは畑ばかりで,さながらあぜ道を走る感覚すらある。まだ観光地化がされていないのだ。むしろ,観光地でも何でもないのかもしれない。方角の看板だってあまり見られない。すれ違う人はみな農家の人のようで,一様に仕事中のようだ。自分たちの生活空間に進入してくる我々の存在は,彼らには邪魔な限りだろう。池間島より橋の開通が遅れたのも,この島が「何でもない島」だからかもしれない。
行けるだけ言って,再び「左・長間浜」の看板。しかし,目前には地元民らしき人の車が停まっていて,隣にいた持ち主らしき人が私に向かって「×」のポーズ。ここまで来てばからしい限りだが,「×」というからには「×」なのだろう。仕方あるまい。
再び島をさまよい出す。「あぜ道」を数度曲がりくねって,ようやく展望台に着く。竜宮城の形をしていて,その上からは,東は海と来間大橋が見下ろせる。来間大橋も,中央を山なりにアーチを描いているが,やっぱり陽が翳っていて,地味な感じだ。一方,西側は島を一望することができる。ほとんど起伏のないフラットな島である。さすがにその向こうに海…ということはできないが,「素朴」という言葉がよく似合う。ただし,竹富島のように,それを「売り」にしている感じは微塵も感じられないが。

さて,最後は来間島の対岸にある前浜(まえはま・マイパマ)海岸だ。『ニライカナイ』では,極シンプルに「美しい海岸」の写真が掲載され,三好氏が一番気に入っているとキャプションに書いている。しかしその景色は,自分がいた駐車場付近では見られない。後で改めて『ニライカナイ』を確認したら,「東急リゾート(ホテル)の前のビーチから東100mあたりが最高」とのことだ。
時間は17時近いが,海岸にはボチボチ人がいる。港がすぐそばで,クルージング用の船も繋留されている。遠くでビーチバレーをしている集団もいる。駐車場の脇にある木陰には,水着が大量に干してあった。3月に入ったばかりにもかかわらず,泳いだ人間がいるのだ。無論,昼は2324℃ほどはあっただろうから,ちょっと水につかったとき我慢すれば,後はもうへっちゃらか。

(5)平良市中心部
@これが中心街?
ひと通り島を1周したので,あとは平良市の中心部に寄り,夕飯を食べることにしたい。朝は「松屋」のカレーギュウ(朝からヘビーだ),昼はポークたまごのおにぎり,と肉が続いたし,アイスクリームも食したので,夜は沖縄の珍しい魚で寿司あたりでも行きたいと思う。
来た道を戻り,しばらく平良市方面に進むと,国道390号線に入る。この道をまっすぐ行けば,平良市に入れる。この辺りは下地(しもじ)町の中心地だが,ちょっとした集落があるのみで,役場がそばにあるのに,なんか寂しい。
やがて,15分もすると平良市に入る。途中,内陸を走る旧道と,海側を走るバイパスに分かれるところでバイパスに入ることに。もっとも,バイパスというほど広くない。「港付近で敷地の使いようがないので道を広めに取りました」という感じの道である。しばらくすると,フェリーターミナルがあるが,今回はついぞ世話になることなく後にすることになる。
海っぺりを走っていてもしょうがなく,途中で右折し中心街に入る。入った通りは「マクラム通り」。一応,市役所や郵便局があるメインストリートだ。地図で見ると広い通りのような錯覚を持つが,ちょっと広めな片道1車線である。街路樹があるが,時間のせいでちょっと暗い印象を持つ。
このままずっと走っていて空港に直行というのもイヤなので,郵便局の角で右折する。前もって学習していたのだが,中心街は一方通行が多い。しかし,初めから意識して曲がろうと思っていたわけではない。対向車線から左折する車がたまたまいたから曲がっただけなのだ。頼りは,情けない話だが,こっちから右折する,あるいは,対向車線から左折する車がいてくれるかどうかである。車も結構多いし,慣れない道なわけだから,神経を余計に使ってしまう。

右折した道は,一気に狭くなり,ギリギリ片道1車線だ。スピードも出せないし,後ろには車がついてくるわでイライラもしてきたあたりに,「公設市場」と書かれた建物を見つける。古いコンクリ色の建物だ。どこをどう走っているのかよく分かっていなかったが,市場に来たからにはやはり市場は見ておきたい。
しかし,駐車場が見当たらない。そういえば,空港で別れた女性(前編参照)もそのことを訪ねていて,近くに停めるところがあるか聞いていた。どこか停められるところはないか。
と,交差点で赤信号。脇にはファミリーマート。中に入るつもりはないが,駐車場に停めてひょいと見に行けばいい。車が2台停まっているが,右側に車1台分くらいのスペースがある。右折はできるようだし,そこに入れればいい。
しかし,右折したはいいものの,感覚が掴めず駐車場を通り過ぎてしまった。一方通行ではないが,引き返せるスペースもないし,対向車も時折来る。仕方なくそのまままっすぐ行くと,元来たバイパスに出てしまった。もはや,睡眠不足(朝3時に目が覚めて,そこから寝つけなかった)も手伝って疲労困憊だが,このまま空港に行くのはみじめである。そういえば,市の史跡である人頭税石(にんとうぜいせき)を見ていない。もちろん,他にも史跡はいっぱいあるが,みょーに頭にひっかかっていたので,これだけはやはり見ておきたい。途中の信号待ちで場所を確認すると,このまままっすぐ行ったところにあるようだ。車を進めること1分,人頭税石は公園のようなスペースの片隅にポツンとある。「人頭税石→」と標識こそ大きくあったが,一度行き過ぎてしまい,途中でUターンしてしまったほどである。
この石は,私の肩ほどの高さで,細長い石である。「タウンガイド」によれば143cmだという。この石の高さを超えると納税が課されたとのことらしいが,別のガイドブックでは別のものだという「続き」も書かれている。私的には「続き」は不要だとは思うが,はたして真実はいかに?

さて,「一つ仕事を済ませた」私は,再び公設市場への道を“トライ”することにする。一応,今回も郵便局の交差点では左折車がいたが,一度学習してしまえばもう安心で,難なく右折することができる。もちろん,曲がる車がなくてもだ。
そして,先ほどのファミリーマートの駐車場。今度は車がはけている。2度目はと思って右折すると,何と,駐車場の縁石にアンちゃんが座っている。どかすのも気が引けるし,案外,無断駐車防止用にいるのかもしれない。やむなく今度もあきらめ,1本入った路地に路駐することにした。ちなみに,この右折した通りは「南武線通り」という通りである。
来た道を駆け足で戻ること2分。市場の入口付近には,パラソルが数本立っていて,オバァ(沖縄弁で「おばあちゃん」の意味。あえてこの言葉を今回は使いたい)がシートに座って何かを売っている。鮮魚・精肉は2階のようで,階段を上がってみる。
しかし,中は私の期待を大きく裏切った。真っ暗で,特に奥のほうは店がまったく開いていないのだ。「牧志公設市場」(「沖縄標準旅」第5回参照)みたいなのをちょっと期待してしまったのもあるが,それにしてもお粗末。手前の5軒ほどが営業していて,私に一挙に視線を注ぐが,とても入る気になれない。入って何をされるか分からないと思うほど,その光景は不気味さすら漂う。ちらっと見では,手前の右側が肉屋で,三枚肉のような塊があったが,記憶は定かでない。覚えていても何の意味もなさないほど,気落ちさせてくれる。時間が17時過ぎということも関係あるのか。そして,宮古空港で別れた彼女には,この光景がどう映ったのだろうか,とふと考えた。

さあ,あとは夕食だ。オリジナル地図によれば,「金多楼寿司」というのがある。西里(にしざと)通りという通りにあるようだ。南武線通りを今度は逆に進み,交差点を通過して途中を左折,再びマクラム通りに出て右折。今度はガソリンスタンドの角を右折し,飲み屋の角で右折。もうこの辺りになると,すっかり一方通行に慣れてきた感じだ。
そして,その西里通り。車1台しか通れない狭さである。入ってすぐ右に有料の駐車場があるが,ここは通過する。そしてすぐ「のむら」というレストラン。壁には和食だのステーキだのとメニューが豊富そうだが,あくまで第1候補は寿司だ。この先の金多楼寿司まで車を進めよう。
この通りもメインストリートの一つだ。飲食店が多くある。地図で見る限りでもそれが言える。しかし,建物の高さはせいぜい3〜4階程度で古ぼけている。よって,いまいち鄙びている印象は否めない。道が狭いのも,古い通りゆえのことだろう。
間もなく金多楼寿司。しかし,暖簾には何と「江戸前寿司」と書かれている。沖縄まで来て「江戸前」とは何たるや。一気に寿司を食べる気が失せてしまった。個人的には「沖縄らしさ」がもっと漂っているかと思ったが,所詮こんなものなのか。今となっては入らないで少し後悔しているが,駐車場も見当たらないようだし,ここはすぱっとあきらめよう。
途中の交差点で左から車が。ということは右折ができるということなので,ここで右折する。向こうは停まってくれている。どっちが優先道路か分からないほど両方の道路とも狭いが,先にこっちが曲がることにする。
再び同じように曲がり,駐車場を探す。ふと,銀行の駐車場が空いているので入ってみるが,すぐに出る。ここで変なことになってもイヤだし,飲食店にはやや遠い。ここは仕方ないが,先ほどの有料駐車場に入ることにする。
この駐車場,1時間までで100円,3時間までで200円,5時間までで300円,翌朝までいると500円,という料金体型である。1時間100円という安さはいかにも沖縄らしいが,ホントにいいのだろうかとも思いつつ,車を停めて店を探すことにする。

@これが中心街?
すでに時間は1750分。1830分辺りには車を空港に置いていかなければならない。とりあえず,駐車場の隣にさっき見つけた「のむら」という店に入ることにする。蔦がいい感じにからまって,いかにも「洋食レストラン」という出で立ちの建物に入ると,1階はガラーンとしている。なぜか2階に通されると,2階ではさらに奥の6人部屋に通される。客は誰もいない。
18時といえば食事時だが,こんなに空いていていいのか。通された部屋というのも,テーブルクロスに椅子というのではなく,まさに「応接セット」だ。椅子は座り心地が微妙なソファで,座るとテーブルの位置が胸の辺りになる。そして,端っこにデカいテレビもある。このテレビも,チャンネルこそさすがにプッシュ式だが,80年代あたりにメジャーだったような型のものだ。
ここのメニューは,伊勢海老とステーキが多い。しかし,「伊勢海老は伊勢で食わないと意味がない」「伊勢海老はどこででも食えるもの」と勝手に思い込んでいる私は,それ以外のものに目をやることに。何だかステーキフェアのようで,牛・豚・鶏すべて充実しているようだが,肉も先ほども書いたとおり食いたくない。ということで頼んだのは,「グルクンの唐揚定食」(980円)というやつ。何だか,「沖縄では沖縄料理を食わないと」という脅迫観念に駆られすぎているのかもしれない。
室内はエアコンがかかっているが,異常に暑い。ティーシャツだとどこかみっともないかと思い,長袖のシャツを念のため着てきたが,やっぱり脱ぐことにした。
それにしても,だーれもいないであろうフロアで料理を待つのほど,緊張するものはない。ホントに不気味なほどシーンとしている。無論,相手をしているウェイトレスにとっても,「誰だ,こいつは?」と思っていることは間違いないだろう。

待つこと10分。定食が出てくる。メインのグルクンの唐揚げにラフテー,もずく酢,サラダ,おから,ごはんに味噌汁がつく。ウェイトレスに「テレビつけていいですよ」と言われたが,いまさらつける気にもなれず,静寂のまま食す。
唐揚げは醤油がかかっていて,脇に添えてある大根下ろしとからめて食べる。淡泊な味はあいかわらずだ。石垣の「ゆうな」では身だけしか食えなかったが(「沖縄標準旅」第7回参照),今回は頭からしっぽまでキレイに食ってやった。
その他では,@ラフテーは濃い味付けで,豚肉は角煮風。野菜はかぼちゃと大根がついていた。唐揚げとともにいいおかずになる。Aサラダは普通の野菜サラダ(サウザンドレッシング)だ。Bもずく酢は,サラダの後で食べると,酸っぱいものが続いてちょっと辛い。カロリーはないのだろうが,酢で膨張しているのか,結構な量に感じる。Cおからは,鶏肉が入っていた。肉入りのおからって珍しい。Dごはんは白いごはん。E味噌汁の具は,アーサーと豆腐。アーサーはトロトロした海藻である。
ざっと食って会計をしようと思ったとき,レジの脇にテレビだかビデオだかが流れている。高校の卒業式の光景だ。1人が壇上に立って話をしていて,「初めての…」なんて言っているから,答辞でも読んでいるのだろう。実は,入るときは裏口みたいなところから入ってしまっていたのだが,出るときはちゃんと玄関から出ることになった。と,ドアには「本日1階は貸切です」と張り紙がしてあった。ということは,高校の謝恩会でもこれから行われるのだろうか。

(6)エピローグ
さて,いよいよ宮古島の旅も終わりである。1時間のロスはあったが,無事行くべきところはすべて制覇した。空港には1840分に到着。あとは車を無事駐車場に置くだけだ。車は,空港配車・乗り捨てのシステムを取っており,「ロックは開けたまま,カギはボックスに入れてください」と言われていた。
空港は,競技場のトラックのような形をしていて,トラックに当たる部分が道路,その中が駐車場となっている。交差点から空港への道を入ると,道は“トラック”を時計回りにぐるっと1周している。駐車場への入口は,“トラック”に入って間もなく右に入るのだが,入り損ねてしまった。後ろからは車が来るし,Uターンはできない。仕方なくそのまま直進する。
第1・第2コーナーを回り,到着ロビーの前を通るが,一向に駐車場に入る道は出てこない。このまま1周せざるを得ないのか。だとしたら,何だかアホらしい。何か,今日は最初から最後までアホらしさがつきまとったものだ。
と,右に段差のある通路があるが,手前(=自分の走っている車線)側がスロープ状になっている。ホントはもちろんやってはいけないことだが,人気はないし,暗くて分からないだろう。いちかばちかで,そのスロープのところで右折して入り込む。すると,手前はスロープだったが,向こうは段差のままだったようで,「ガタン!」という大きな音。しかし,何事もなかったかのように駐車場のスペースに車を停め,言われたとおり,ボックスにカギを入れてロックは開けたまま,車を離れてしまった。

まあ,人気がホントにない。車は,自分からどんどん遠ざかっていく。ふと振り返ると,助手席にはっきり分かる白い傷。ぶつけた覚えはないが,あるいはどこかで付けてしまったのか。それとも,前からあったものなのか。
サーウェストの人間が空港のどこかで待っているのかと思っていたが,どこにも彼らの姿はない。営業時間が終わったら,駐車場まで取りに行く光景を思い浮かべると,ちょっと滑稽だが,そういうことになるのだろう。
そうそう,間違いなく私は,本来なら3500円払わなければならないはずだが,精算はいいのだろうか。あるいは後で電話かメールでもよこしてくるのだろうか。何だか最後の最後に不安に駆られてしまうが,こっちから電話すると「やぶヘビ」にもなりかねないから,このまま消えてしまおう。

ちなみに,あれから3日経っているが,メールも電話もいまだに来ていない。(「宮古島の旅」おわり)

前編へ

宮古島の旅のトップへ
ホームページのトップへ