宮古島の旅アゲイン(全3回)

(6)宮古島アゲイン
平良港には16時20分到着。船内は行きと違い,7割近く座席が埋まっていた。あの例の“竹脇無我崩れ”(前編参照)に再び会ったが,何事もなかったかのように片道料金400円を取っていった。ちなみに,平良港ターミナルにある乗船券売場で料金を確認したところ,面白いことに宮古往復780円,伊良部往復710円という価格。地元民には安く,およそ観光客が主であろう宮古からの客には高く取る。ある意味正しい料金の取り方だろう。そして片道は,というと410円である。たかが10円とはいえ,きちっと取らなくてよかったのだろうか。
外に出ると,あちこちから「ビギン見てくる」「楽しみだね」とかいう声が聞こえてくる。“ビギン”って,あの3人組のBEGINのことだろうか。

@徒歩の平良市内
港からはしばらく徒歩で散策することに。前回旅行は車でだったので,市内でも観ていない箇所がある(「宮古島の旅」後編参照)。それらをつぶしていき,18時前後に夕飯でもとって,19時25分の飛行機に間に合うように,タクって空港に向かう。ちなみに,不便なことに空港へバスは走っていない。
まずは,漲水御嶽(はりみずうたき)。港沿いの道路と,官庁街を走る「マクラム通り」が交じり合う交差点の近くに鬱蒼とした森。十数mはある樹齢の高いガジュマル3本を後ろに控えて,沖縄独特の赤瓦屋根の御堂。宮古島の創世神が下りた聖地だという。大きさは,7〜8m四方に高さ5mほど。無人だが蛍光灯がつけられている。それだけ地元民には身近で大切な存在ということだろう。
そして,それを囲うように石垣があるが,これは15世紀末から16世紀初めまで宮古を統一し,いまで言うライフライン関係の整備に尽力した武将・仲宗根豊見親(なかそねとぅみや)が,1500年のオヤケアカハチ討伐記念に築いたものだという。
ちなみに,オヤケアカハチは波照間島出の武将。琉球王朝の尚真王(しょうしんおう)による地方統治が進む中,琉球王朝に服属しようとする者と徹底抗戦する者とが出た。前者が宮古の豊見親。そして後者が八重山で権力をふるっていたアカハチだ。で,豊見親は王朝軍として石垣島に乗り込みアカハチを倒し,晴れて王朝から宮古島の頭職を与えられたのが,討伐の経緯。これにより,琉球王朝の全土征服に加速がかかった。背後にはアカハチとの対立で破れて豊見親側に寝返って水先案内をした,同じ波照間島出の長田大主(なーだふーず)の存在も大きかったようだ。なお,大主も西表島にある村の区長職を与えられている。その後琉球王朝の全土征服は,1522年の与那国討伐でもって完了する。
ただし,何にでも歴史の見方の複雑さは付き物。八重山側の認識として,アカハチが琉球王朝の圧政に反抗して戦ったという見方もあるようだ。いわんや豊見親・大主をや,となるだろうが,もとは豊見親もアカハチも一国の権力者。自らの有利のために“駆け引き”をした結果ということだろう。

その漲水御嶽の近く,港沿いの通りを北に少し進むと,その豊見親の墓がある。10m四方×高さ5mほどの巨大な窪み。周囲は石垣に囲まれていて,ミニチュアの古代ギリシアのオリンピア遺跡のようだ。墓石は,13段の横長の階段状となっていて,中央下に墓穴があるが,コンクリか何かで塞がれている。その中は10畳ほどの広さがあるようだ。で,46cmの石垣が天井まで敷かれて前と奥の2部屋に分けられており,手前に棺と副葬品,奥に洗骨後の骨ガメが納められているという。
その上の小高い丘には,あの破風墓が数基ある。名前を見る限りは普通の人のようだが,この辺りを無断にでいじくるのは禁止されているようだから,どこかでゆかりのある人間なのだろうか。
そしてその奥に行くと,アトンマ墓というのがある。こっちは豊見親のものよりも大きく,12〜13mほどの石垣で囲まれた小さめの空地。幅数十cmほど×高さ1.7mほどの入口は,上に一枚岩でアーチがかかっている。そして,奥は岩の崖になっていて,そこが墓石も兼ねている。中央下にはやはり何かで塞がれた墓穴。その岩壁の上には樹木が生い茂っていて,家もちらっと見える。ちょっとこれもイレギュラーだ。
アトンマとは「継室」の意味。豊見親を祖とする忠導氏ゆかりのものだが,氏の発展の影には継室の存在も大きく,正室と一緒にできない代わりに,こうやって別個に葬ることできちっと霊を弔うというわけだ。この忠導氏にかかわらず,どこの権力者にも正室と継室はつきものだ。とはいえ,継室だけを単独できちっと葬るというのも珍しいケースだろう。もっとも,一つにまとめられてしまうのは継室ゆえの悲しい性かもしれないが,継室なんてハナっから古今東西関係なく冷遇されてしかるべきもの。いつできたか(18〜19世紀ごろというのが有力),誰が建てたかというのは不明だが,親族が建てたとするならば,どこか氏の家系の懐の深さを感じてしまう。

港沿いを見た後は,マクラム通りを上がることに(位置的には豊見親墓やアトンマ墓とかの上に当たり,通りは上り坂だ)。何となく建物を見ていると,今更ながらほとんどコンクリ製で,屋根が軒並み平らでテラスとかになっていたり,窓やベランダに格子が施されているのに気づく。これは,いずれも台風から家を護るためのもの。壊れにくいようにコンクリ製にし,屋根が飛ばぬよう平らにし,風で木の枝とかが飛んできても大丈夫なように格子にしているということだ。
ちなみに,コンクリ製の理由には白アリ予防というのもある。また格子にすることは,「開けっぱなしでも(いちいち開け閉めは面倒だから,というのもある)眠れて安心」だという実に沖縄らしい“防犯対策”があるようだ。屋根の形式は「スラブ住宅」と言って,米軍住宅の作りをそのまま流用したものという。
市場通りとの交差点で市場方向とは逆に左折。伝統的な織物の宮古上布関連の施設,伝統工芸品センターを見学……と思ったが残念ながら休館。逆に市場方面に進んで,再び公設市場に行くことに。
前回のこの辺りの経緯は「宮古島の旅」後編にある通りだが,正面から市場の中をのぞくのはためらわれた。なぜなら階段を上った正面玄関には,門番役らしきオバアがシーサーよろしく,こっちをジッと見据えているのだ。その下では,今回も物売りのオバアがパラソルの下でゴーヤーとかコーレクースを売っていたが,はたして利益は出ているのかと余計な心配をしてしまう。壁に「使用料40円」と書いてあったが,ホントに40円で店が出せるのか。あるいは昔からの伝統ということか。ちなみに,ちらっと建物の脇から中をのぞいたが,あいもかわらず中は暗いし,なぜか天井には万国旗が飾られていた。

そしてさらに,これも前回見学した西里通りに入る(「宮古島の旅」後編参照)。前回は,車でかつ一方通行の道ゆえ,ゆっくり通りを見ていられる余裕がなかったので,今回はじっくり歩いてみたが,築数十年の3〜4階建ての古い商店が,車1.5台分くらいの通りの両側に立ち並ぶ。照明が明るかったのはファミリーマート,ホットスパーやモスバーガーなどのフランチャイズ系。あとホテルはきちっと営業している。また,洋服店はカラフルさも手伝って同様に明るい。ドアが開いていて,中の冷気が何ともたまらない。
しかし,その他は日曜ということもあったか,シャッターが閉まっている個人店が目立つ。通りの入口には「百貨店」とは名ばかりの,かつてはスーパーだったと思われる2階建ての「やまこ百貨店」が,中心部の現状を象徴するかのごとくシャッターを下したまま。私が宮古で泊まらなかった理由の一つには,街の寂しさがある。リゾート系には元から行かないので,泊まるとなるとこういう市街地のビジネスホテルになるわけだが,やっぱり街中は賑やかなほうがいい。こうも店が閉まっていると,泊まって夜をどうこうしようという気にはなれないのだ。
さらに進む。実は前回行かずにちょい後悔した鮨屋「金多郎寿司」で夕飯をと思っていたが,残念ながらここもシャッターが下りたままだ。その先,前回結局夕飯を食べた「のむら」は,今回も南国チックで照明も明るかったが,肉やイセエビはさして食いたいと思わないので通過。そして100円という駐車料金を払った隣の有料駐車場は,今回も入口は開いていたが,なんと管理人室はカーテンが閉まったまま。ちょうど1台のレンタカーが入っていった。外に料金箱が一応置いてあったが,はたして彼らはきちんと料金を入れていっただろうか。

A真夏に食べる沖縄料理
さて,時間は17時40分。昼飯は14時ちょい前だったから,正直空腹とはいかないが,かといって空港のレストランや飛行機の中で夕飯とかいうのはナンセンスだ。実は前回旅行で,マクラム通り沿いで1軒居酒屋を発見していた。2階建ての大きな建物で入りやすそうだった。今回はここで夕飯を食べることに。その居酒屋「琉球居酒屋 あぱら樹」は,ウッディな作りをしていて,テーブルも木の形を生かしたようなもの。中はおそらく,50〜60人単位の宴会にも対応できそうな広さ。で,客はというとガラーンとしていた。4〜5人は座れそうなテーブル席に通される。
外はと言えば,夕方と言えど太陽はまだ高いし,動けば自動的に汗が出てくるほどムッとした暑さだ。喉も結構乾いたし,こんなことは年に1回もあるかどうか分からないほど珍しいが,無性にビールが飲みたい。まずは確実にオリオンビールの生中(525円)を注文する。そして食い物だが,オススメ品が書かれた黒板には島豆腐や島ガツオなどの文字があり,メニューには海ぶどう丼なるものもあるようだ。でもご飯類は入らないと思う。
で,結局頼んだのは,足テビチ(525円)とイカスミチャンプルー(630円)の2品。選んだ基準は「沖縄で最低限食べておきたかったもの」。前者は先日見た映画『ホテル・ハイビスカス』で,主人公のオバア(平良とみ)が「オバア特製の足テビチ食べて」ともてなすシーンが印象に残っていたのもある。後者は特に何を見たという記憶はないが,イカスミが結構美味いという噂を兼ねてから聞いており選んだ次第。カツオも海ぶどうも心惹かれるが,腹の具合からも2品だけにとどめておく。足りなければまた頼めばいいのだ。
店内には次第に客が入ってくる。「ご予約ですか?」と店員が問いかけること数回。何かあるのだろうか。ひょっとして,私が入れたのはラッキーだったのか。
そうこうしているうちに生中とお通しが来た。喉が乾いているので,オリオンビールの初めの1杯は,心地よくグングンと喉越しよく入っていく。お通しは,サザエとタコと思われる貝類とたまねぎが,ケチャップのようなもので和えられた小鉢。ホラ,これで実質食い物は3品。余計に頼まなくてまずは正解だ。

5分ほどすると,まず来たのは足テビチ。豚足の煮込み料理だ。メインにプラスして,かぼちゃ・厚揚げ・きぬさや・かぼちゃ・昆布巻が入っている。味付けはしょうゆと泡盛だろう。味も甘辛くていい感じの味である。
そしてテビチだが,3〜4cm角のものが4つ入っている。肉というよりはゼラチン質のものゆえ,トロトロした感触を味わうといったところ。なので,食べるのではなく「しゃぶる」ことになる。もちろん,一発でしゃぶりきれるわけではないから,何度もということになる。味はモツ煮込みに似ている。モツがOKならば,こっちもOKだろう。
その途中で,イカスミチャンプルー登場。まったく真っ黒けだ。昔,図工の時間に絵の具の色を混ぜていて,赤とか青とかに黒を混ぜると,どんな強い色も一発で否定されてしまい,ただただ真っ黒に染まっていくという経験をしたが,同様のことがいま器の中で行われているのだ――それはそうと,足テビチも上述のとおり結構なヴォリュームだが,このイカスミチャンプルーも直径20cm以上はある皿にきっちり盛られている。こうなると,追加はおろか食いきれるかも怪しくなってくる。
イカスミチャンプルーは,要は野菜炒めの中に,肉の代わりにイカ,味付けにイカスミが入っているものだ。野菜もニラ,ニンジン,玉ねぎと変わったものはない。味は,いたってノーマルに,普通の焼肉のタレか何かで味付けされた野菜炒めの味だ。でも,その中に甘味が出ていてマイルド感がある。これがおそらくはイカスミの効果なのだろう。足テビチとともに,実にご飯のおかずにも適していると思う。白飯好きの私には,酒の肴には惜しいくらいだ。
やがて,1杯目には美味かったビールは,2杯目以降は次第にどーでもいい味と存在になっていった。飲み込むときの水の代わり。所詮は酒がホントに好きでない人間なのだ。やがて,イカスミのおかげで足テビチも所々黒ずんでいくが,胃の中に入ってしまえば一緒なのだからいい。次第に少なくなっていく足テビチにそれでもしゃぶりついて,時々下品な音が出てしまうのも「旅の恥はかき捨て」で許してもらおう。時々口を拭くナプキンもいい加減黒くなってきた。これでは,出てくる汗には対処できなくなってしまう。
……と,何とか無事に2品と格闘して完食。お通し210円込みで1890円。腹はすっかり一杯になった。時間は18時15分。ちょっと早いが,まっすぐ宮古空港に向かうことにする。

(7)エピローグ
既述したように,空港へはタクシーでないと帰れない。「あぱら樹」は,交差点の角に位置しているし,この辺りで拾ってみよう。
ところが見る車見る車,どれも乗客を乗せている。間違っても歩いては帰れないし,帰りたくもない。どちらかといえば南北に伸びるマクラム通りより,東西に伸びる通りのほうがタクシーを多く見る。信号が変わるごとに,移動してつかまえうと試みる。すると,空車のタクシーが1台。交差点で信号待ちをしているが,確実にこっちに向かってくる。あれをつかまえよう。
ところがその車は,手を挙げた私に後ろを指差して,そのまま通り過ぎてしまった。交差点を渡ってすぐ,というつかまえた位置がまずかったのか。後ろに2台続いていたが,これらもタイミングを逃してしまった。こうなると,ツキにも見放されて,ことごとく人を乗せていて空振り。かと思えば,反対車線で誰かがタクシーをあっさりつかまえる。最後に来てまた交通機関のトラブルとはついていない。時間も1時間以上あったのが,次第に少なくなってきた。車で15分とはいえ,いい加減にイライラも募ってくる。
すると,もう1台交差点で「空車」のマークが出ている。今度こそと思って手を挙げると,今度は会釈されて通過されてしまう。何なのだろうか,この行為は。別に酒が入っている乗客を乗せちゃいけないルールなんてないはず。泥酔しているならまだしも,どこをどう見たって普通である。
何度交差点を移動しただろうか。時間にして20分は経っていたと思う。交差点を平良港方面に曲がろうとしていたタクシーが,私に停まってくれた。方向が逆ゆえ,途中で素早く方向転換して一路,空港に向かう。

中の冷気ですっかりリラックスした私は開口一番,「いやー,タクシーがつかまんなくて」と思わずボヤいてしまった。すると,運ちゃんは「いやー,今日はつかまんないよ。電話ひっきりなしだもん」と返してきた。何でも,オリオンビールの感謝祭が島であるそう。早口の沖縄弁で話してきたので,会話形式にはできないが,オリオンビールのホームページ等を総合すると,こういうことのようだ。
この日は,平良市のカママ嶺公園で「オリオンビアフェスト2003 in 宮古島」という感謝祭が行われる(16:00〜20:50)。内容は,地元のカラオケ大会,芸能大会などの後,BEGINと,下地勇という宮古弁歌手のライブが行われる。会場には1万人もの観客が集まるそうだ。で,主催会社が主催会社ゆえ,酒が多く出るから,そうなると車では会場に行けない。なので,タクシー利用となる。みんながこのことを分かっているから,電話予約せざるを得ないし,結果的に電話がひっきりなしとなる。タクシー会社としても,自分の所でつかまえないと他の会社に持って行かれるから,「空車」で走っていても予約客が入った旨無線が入ってきたら,その客を優先せざるを得ない。だから,私のような客は無視せざるを得ない,というわけだ。そうか,どおりでBEGINという名前を何度も聞いたはずだ。ちなみにこの感謝祭は,6月に石垣で行われ,8月にはコザでもやるそうだ。多分,ここでも同様の現象が起こるのだろう。
それなら表示を「予約」とかにすればいいと思ったが,そうも行かないのだろう。私のような客だって,予約客だって,同じ客だし同じ金になるのだから。この辺は多分トップダウンの指示なのだろうが,いずれにしてもちよっと考えてほしいことではあった。

やれやれ,交通機関に泣かされたり,時間に翻弄されはしたが,18時45分に無事,宮古空港着。ここで帰りの飛行機がまたトラぶったらある意味すごいが,最後の最後に,飛行機はきちっと飛んでくれた。
その道中,機内のテレビでは沖縄ソング特集をやっていたのだが,そこに上述の宮古弁歌手・下地勇が出てきた。顔はスッとして徳永英明にやや似。声は森山直太朗あたりのハイトーンヴォイス。そしてメロディはシンプルなフォークソングだ。プロモーションビデオでは,鬱蒼とした森の中で,何とも幻想的な雰囲気を醸し出している。
しかし,何言ってるか全然分かんねー。吉田拓郎ばり,いやそれ以上にメロディにたくさん言葉を乗っけてくる。そんでもって自ずと早口になるし,しかも方言だから,ホント韓国語の歌でも聴いている感じで,たまに小節の頭の単語で何かが分かる有様だ。それでも宮古の人の心には“来るもの”があるのかもしれないし,それ以前に,まあ大多数の目当ては間違いなくBEGINだろう。
そしてそのBEGIN。何なのだろう,この人気。そんなにいいのか,とすら天邪鬼な私は思ってしまう。テレビにも出まくっているが,それでもってこういう地方の営業をしっかりやっているのも大きかろう。
しかし,前日やっていた島唄をテーマにしたNHKの番組では,デビュー当時のロック志向を,途中で島唄に方向転換したことを語っていた。「アメリカ」でもなく,「ヤマト」でもなく,「ウチナンチュ」に方向転換した――それが,何よりも最大公約数的に良かったということだろう。ただし,「ヤマト」にこんな大ウケするとは,彼らも予想していなかっただろうと,私は勝手に想像するのである。(「宮古島の旅アゲイン」終わり)

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