沖縄はじっこ旅V

1月2日午前7時。外を見ると,昨日と同じような曇り空の中に朝焼けが出る。いや,もしかしたら昨日より天気が悪いかもしれないが,昨日と明らかに違うところは,まったくの無風であること。半日前までは突風が吹いていたのがウソであるかのように,穏やかである。昨晩の天気予報では,波浪注意報は引き続き出ていたと思うが,この風ならば予定通り,今日離島できるかもしれない。
第3回に書いたように,フェリーが出ない場合はアナウンスが流れ,何もなければ予定通り運航するという情報を持っていた。とはいえ,2日間も欠航で何も知らせなどなく予定通り運航ってのも不親切なような気がする。はたして……ちょうど,7時15分くらいだっただろうか。
「フェリー伊平屋ご利用の皆様にお知らせ致します」
え,アナウンス? おいおい,もしかして波が高いから動かないとか? これだけ無風だったら,船が動いたっていいと思うのだが,やっぱり波浪注意報が影響しているのか。昨日までは何となく延期になることを想定していたが(第5回参照),今日も動かないとなるとさすがにヤバい。
「今日は予定通り,2便運航致します……」
おお,よかった。なーんだ,焦ったぜ。やっぱり2日間も動かないとなると,さすがに何も知らせなどなく,運航しないわけはないのだ。そりゃ,そうだ。となると,後はちゃんと9時の1便に乗れるようにしないといけない。はて,手続はメシを食ってから行くべきか,その前に行くべきか。結局はどことなく“チムワサワサー”になってきて,7時20分にマーチに乗って一路港へ向かった……ものの,受付は8時10分からという張り紙が窓口にあった。焦らなくてよかったのだ。
戻ってきて食堂に向かうと,ちょうど朝食を出し始めているところであった。最後の朝食は,@鶏の唐揚げ2個とグルクンの唐揚げ1個Aゴーヤーとシーチキンのサラダ(最後のごまドレッシングがけ),B目玉焼きC納豆D梅干1個E大根とわかめの味噌汁となった。そして,いつも使っているご飯ジャーを開けたらば,昨日の残りと思われる赤飯がたっぷり入っていたが,宿のオジさんが「あ,白いのはこっち」と小さいジャーを指差した。個人的にはどっちでもよかったのだが,ちょっぴりオジさんに気を遣って,白飯で食べることにした。Aは大晦日の朝食に次いで2回目だ。
メシを食い終わって,荷物をまとめて1階に行くと,カウンターにはメガネのオバちゃんと,60代のオバちゃん2人がしゃべっていた。割り込む形になってしまったが,チェックアウトすることにしよう。ポケットには3泊分の宿泊料,5500×3=1万6500円を入れてスタンバっていた。
「えーと……3泊だから1万5000円です」
「あの,洋室だけどいいですか?」
「あ……いいです。いいです」
「あ,そうですか。どうもお世話になりました」
「あ,はい。どうも」
思わぬアクシデントで3泊したわりには,最後はあっけなかった。とはいえ,1割引きしてもらったのはどこか申し訳なく思った。かといって「いやいや,これはとっといて」と言えるほどの年齢・分際ではないし,素直にここは1割引きのままにしてもらうことにした。個人的にはとても有意義な3泊だったが,宿の人間にしてみれば,言葉は挨拶以外はほとんど発しないし,何を考えているのか分からないって感じだったのではないか。このときばかりは,自分がシャイであることを少し恥じた。
例えば,夕飯ができたときは毎回呼びに来てくれた(もちろん他の部屋もそうだが)し。これが国民宿舎とかあるいは低レベルの旅館だったら,テーブルに定時に並べられて,後は遅かろうが知ったこっちゃないみたいな扱いをされる。もっとも,呼びに来ても出てこなければそれまでだが,たしか蚊帳みたいなカゴに入れといてはくれるから,それだけでも野ざらしとはかなり違う。
あるいは,繰り返しになるけれど,大晦日の昼に食べたサータアンダギーは抜群に美味かった(第4回参照)。しかも,出来立てをキッチンペーパーとビニールで二重にくるんで,個数も5個入れてくれる有り難さ。やや空腹なときに食いものがからんだから,余計に好意を感じているのかもしれないが,こういうことは改めて感謝の意を直接言葉で伝えたかった。でも,その言葉がなかなか上手く出てこないのが,何とももどかしくて仕方がないのである。
ちなみに,上記のオバちゃん同士の会話では,2日間の欠航の話題が出ていた。とはいえ,宿のメガネのオバちゃんいわく「この冬はまだ穏やかなほうですよ」とのことだ。ってことは,もっとすごく荒れた冬を経験しているってことか。個人的には,これだけ「強風・大波・低温」の“三拍子”がガッチリそろって大荒れになった経験はなかったから,ちょっと驚いてしまった。夏の台風の凄さは語るまでもないだろうが,12月上旬に一度季節外れの台風崩れの低気圧を経験したといえど(「前線と台風のあいだ」参照),冬の低気圧の猛威を改めて思い知らされたのであった。

ターミナルの窓口でチケットを見せると,私の名前はリストの上から3番目に書かれた。2日間も欠航だと,13時の便もあるとはいえ,かなりの乗船が見込まれるはず。だから,既述のようにフライング気味になったりもしたのだが,これで一安心である。
ちなみに,当初復路のチケットには「16.12.30」という日付が書かれていた。これは,何の訂正印とか二重線とかもされることなく,あっさりと「17.1.2」となった。ちなみに,往復券そのものは2週間有効となっている。あらかじめ予約をしていたから日付が前もって書かれていたのであろうが,今回のような欠航とかを考慮しての2週間という設定であろう。
行きにフェリーの乗り方を“習得”したこともあり,早速待機場所にマーチを移動させることにする。トラックとトレーラーが1台ずつ停まっていたが,後者の後ろに停めることにする。でも,よく見ればトラックは,行きと同じ照屋酒店のトラックだ(第2回参照)。とりあえずそのトラックの後ろに停めて,エメラルドブルーの穏やかな海をしばし眺める。水平線を見れば,朝陽が昇り出している。そして,ホンの気持ちだけ,気温が暖かくなっているような気がした。
ん,トラック?……ってことは,もしかして帰りもトラック類とは別での入船となるのかもしれない(第2回参照)。3列あるうちの真ん中にトラックと私の車があるのだが,右隣の列はなぜか乗用車ばかり5台が連なっている。多分,間違いなかろう。それに,往路と同様に復路もバックで入船となる。あまり前のほうにいると,奥のほうまで入れることになって,かえって神経を使いそうである。
なので,一度いま停めている場所を離れて,右隣の列の後ろに入れることにした。そして,左隣の列に車が数台入ってくるのを待って,その左の列に入ることにした。すなわち,元いた列に戻ったのだが,場所はいい感じに後ろになった。もっとも,その後ろからまた車が入ってはくるのだが,あまり動かしても今度はキリがなくなるから,これにてスタンバることにした。
その甲斐があってか,復路のフェリーは最後から3番目の入船。そして往路と同様3列ある中の,真ん中の先頭になった。シメシメって感じである。ただし,またもハンドルを切るタイミングが上手くつかめず,少しひん曲がっての乗船になった。必要以上に軌道修正しようとし過ぎて,思いのほか別方向に流れてしまう悪いパターンだ。ま,でも無事入れただけいいか。
ちなみに,往路は順番を指示する係員がいたのだが,復路はそれらしき人はいなかった。その場の成り行きで「あれが入ったから,次はオレ」みたいに,次から次へと勝手にフェリーに乗り込んでいく。それでも上手く行くのは,みんな乗り慣れているのだろう。ホントは私がいた列は割と早く入っていく車が多かったので,その流れに乗っていったほうがよかったのかもしれないが,何分バックは自信がないから,わざとグズグズして入るのを遅らせた。もっとも,入る順番がどうかなったところで,どっちみちすべての車が乗り込めるのだから,あまり気にしなくてもよかったかもしれない。
そして,フェリーは予定通り9時出航と相成った。やれやれ,これで本島に帰れるぜ……って思ってしまう辺りは,私もまだ都会から離れることはできない人種なのだろう。伊平屋島に3泊して,さぞかしリラックスはできたのであろうが,やはりどこかで「早く出たい」という気持ちを持っていたのも事実である。そして,フェリーが出ることになって「よかった」「ホッとする」――この「よかった」「ホッとする」という感覚は,例えば伊平屋島の住民が,数日の欠航の後でフェリーが来るとなったときに感じるであろう気持ちとは,明らかに異質なものであるに違いない。島民にとっては「ああ,またか」。一方の私にとっては明らかな“非常事態”――ズバリ,このヘンの意識の差がすべてであろう。。
離島にいる島民にとっては,天候不順や海上状況にフェリーが動かなくなることは,ある意味“宿命”である。それをどうのこうのと不満をたれていては,離島では生きていけない。動かないのならば,動くまで耐えなくてはならない。上述のメガネをかけたオバちゃんの「まだ穏やかなほうだ」,あるいは昨日の「ま,明日は晴れるから」という言葉(第5回参照)にあるように,どんと構えていられる“肝”がなければ,何人たりとも離島に暮らしてはならないのである。
復路のフェリーは,往路に比べると揺れは少なくて波も穏やかに思えた――のは何のことはなく,2階あるうちの1階席にいたから揺れを感じにくかっただけだった。その後,2階席に行ったら,見事に船が波で“グラインド”しているのが目で見てよく分かった。やっぱり,波浪注意報が出るだけあったのだ。航路上はおおむね無風なのにこの揺れであるから,大晦日や元旦の“三拍子”そろった荒れ模様だったら,どんなに激しく揺れたのだろうか。

(1)金武の街
運天港には,10時半近くに到着。67時間ぶりの本島上陸である。船の外に出ると,待機場所には数珠繋ぎとも言うべき車列。多分,この調子ならば満車間違いなしだろう。伊平屋島から出るのは,数社の業者かあるいは私のような旅の者が数組。これに対して伊平屋島に向かうのは,業者は数社かもしれないが,地元住民あるいは島に帰省する者が“大勢”であろう。要するに,島から出る者より島へ行く者のほうが,圧倒的に多いに違いないってことを言いたかっただけである。
マーチは,2日ぶりのフェリー運航でいささか賑やかになった運天港を素早く出る。ちょうど私の前にいる車も後ろにいる車も,フェリーの中からの“盟友(?)”である。国道505号線に出るルート,国道本線,そして県道71号線と,12月30日に通った道路(第2回参照)を,3台ともまったく同じルートで進んでいった。前後の車とも,多分国道58号線との交差点でそれぞれ国道のほうに入っていったが,私はもう少し県道を進むことにした。
道中には,いくつものガソリンスタンドがある。名護市に入ったら,その数は目移りするほど,俄然多くなった。オイルのメーターを見れば,半分のところにまで減っている。第3回にもちらっと書いたが,これから本島をあちこち巡っていこうと思う。まあおそらくは,最後まで給油しなくても行けちゃいそうな気がしないでもないのだが,満タンにしておいたほうがどっか安心と思える“位置”なのも,また事実である。とはいえ,いまいち要領が悪いのと,再び芽生える“はやる気持ち”によって,ことごとく入るタイミングを逸して,名護市の中心部を完全に通り過ぎてしまった。
さあ,そんなオイルのことはまた別に置いとくとして,どう走っていこうか。17時半の返却まではちょうど7時間ある。まずまず時間はあると言っていい。これから行きたいと思っている場所――それは,
@金武大川(きんウッカガー)と「キングターコース」(金武町,第1回参照)
A沖縄国際大学と嘉数高台公園(宜野湾市)
B南部戦跡公園(糸満市)
と大きく分けて三つである。昨年2月の旅行(「沖縄・8の字旅行」参照)みたいに広範囲に及ぶが,あるいはこれら全部を見て回れるかビミョーかもしれないが,優先順位としては,Aは石垣・西表島行きがポシャって本島巡りで意思が固まったときに一番最初に浮かんだ場所なので,ぜひ見ておきたいと思ったのだ。詳細は改めて書くが,何が目的か想像がついた方もいるのではないか。
後は@Bのどちらかであるが,実は来月2月5日,また本島でレンタカーを借りる予定である。そして,今回フェリー伊平屋から眺めることになった古宇利島(第2回参照)に,フェリーかあるいは開通したばかりの橋を渡って行こうと思っている。ちなみに,橋が開通したときフェリーは廃止とある。はて,どちらの手段で行くことになるのだろうか。
話を戻そう。そしてその古宇利島へ渡る前後の時間を利用して,方角から行くと同じになる@に寄るということにしようか。ちなみにAを来月見るとなると,一気に高速を使って北上もしくは南下ができないから,今回Aを優先させたというのもあったりする。こんなもっともらしい理屈をつけて行きたい場所に優先順位をつけたりしちゃうのも,普段の“仕事上の性質”からなのだろうか。
とはいえ,“今までの流れ”からすれば,上手いこと全部“制覇”できそうな気もしてくる。あるいは,@のキングターコースはもしかしたら正月休みで営業していないかもしれないが,そのときはそのときで仕方がない。とりあえずは「@AB」の順に南下していくことにする。もちろん,三つの間の移動は“時速130km高速走行”である。後は成り行き任せ…いやいや,結局は欲張りなのだろう。
右に海岸線を見ながら国道58号線を南下。渋滞はまったくないが,車両はやっぱり多い。そして許田インターに達する。あるいはここから高速…とも考えたが,時間はまだ11時。あんまり金武に早く着いても,メシのために待ちぼうけを食わないとも限らない。ここは,行きと同じように下の道を進んでいって(第2回参照),時間をわざとロスさせよう。

@“ホテル”という名の民宿
その甲斐があったのか(?),金武町の中心部に着いたのは11時15分。キングターコースには正午ギリギリくらいに着けるようにして,それまで金武大川を探すことにする。この街に対してちょっと不満なのは,史跡への看板がまったくないことだ。「そこまでして内外の人に知らしめたいと思わない」と言われてしまうとツライところだが,町のホームページの「文化財」のコーナーに載せるくらいに有名な史跡ならば,そのくらいの観光客に対する配慮もあっていいと思う。もっとも,これは私があらかじめどこかから地図を仕入れなかったことに対する,せめてもの抵抗でもあったりするのだが。
そう,そう思いたいくらいに何処にあるかがまったく見当がつかないのである。画像で見たのは,たくさんの掛樋がある様子,国道329号線(以下「国道」とする)からあまり離れていなかった,どっかで見た地図上の位置,そして住所名の「金武町金武」。もっとも,この「金武町金武」が広範囲に及んでいるものだから,第1回の繰り返しになるが,ただでさえ迷路のように狭く入り組んだ路地をしらみつぶしに入っていかなくてはならない。そして,いい加減行きすぎてまた戻る虚しさを味わう。
そんな中で,30日にも通ったとある施設の駐車場に車を停めることにした。駐車場の向こうが大きく開けていて,緑が少しあったというのがその理由。あわよくば,その向こうに名前のような“大川”があるかもしれない……と思って行ってみたら,少し低い場所にあるただの公園だった。とはいえ,いいタイミングだったのだろうか,ちょうど孫とオジイの“コンビ”が滑り台にいた。一瞬ためらってしまったが,いつまでも「しらみをつぶす」わけに行かない。ここは思いきってこのオジイに聞いてみることにする。ちょうど,孫が滑り台から滑り降りてくるところだった。
「すいません。このヘンに“ナントカおおかわ”ってい
う井戸があると思うんですが……」
「ああ,あるにはあるけど,たしか並里(なみさと)の
ほうだから,もっとずっと向こうのほうだよ」
オジイがそう言って指差した方向は北の方向だった。“ウッカガー”なんて正式な呼び方はあえて使わない。なまじ使ったところで,その言葉を相手が知らなかったらどうしようもない。かといって,その呼び方をした後で“おおかわ”なんて言ったら,イヤミかと思われるだろう。こういう場合は,わざと一般的な読み方をして,ちょっと“バカを演じてみる”ことである――ま,殊更にだからどうってわけではない。少なくとも今回のケースでは,オジイがその“ウッカガー”の呼び名を知っていたかなんて,まったく分かりやしないのだから。
何はともあれ,マーチに乗り込んでその並里の方向を目指す。そうはいっても,細かい場所までもちろん聞いたわけではない。オジイがその場所自体を分かっていたかどうかも分からない。またも始める“しらみつぶし走行”。海に向かって地形は下っているから,国道の方向に戻るときは,結構な勾配の上りになったりする。こういうときにつくづく車であることが有り難いが,歩きだったらもっと早くにブチ切れたに違いない。
まったく,端から見たら完全に不審車両であろう。車のナンバーはといえば,もちろん「わ」だ。見た目というと,東京を出るときに剃ったヒゲは,とうとう伊平屋島にいる間に剃ることはなかった。金がなかったわけではないけれど,わざわざ現地で髭剃りセットを買う必要もないと横着をしてしまったために,どこか怪しげに不精ひげが生えているのだ。さらにメガネも手伝えば,どっかで人っ子1人を誘拐してきた輩に見えるかもしれない。
それでも見つからずに,いい加減イヤになってきたとき,国道にもう少しで辿りつこうとする辺りで左に見たような光景にでくわす。横に長い屋根とその上には鬱蒼とした森。車も多く停まっている。もしかしたら……おお,ここが金武大川だったのか。11時35分,ようやく到着である。路駐する車で狭くなっている道路で,やむなく私もまた狭くしてしまうことになった。だって,駐車場がないんだもの。向かいには遊具もある立派な公園があって,結構な人がいる。そのためのこの路駐であろうに,「どうしてこういう場所をもっと公園らしく整備しないのか」って町に文句の一つも言いたくなってくる。
……ま,いいや。金武大川は集落の共同井戸として,いまもなお使われている。それが証拠にオバアが何かを洗っていた。横に25mほどとかなり長く,奥行きは2m程度。中心部が前に2mほど出っ張っていて,左右両端が奥に向かって孤を描いているので,概ね“Y字型井”となっている。その上を覆う屋根は赤瓦で,柱は木造。水漏れが起こったために,1990年に再改修されたようだが,昔からの建造物であることを示すかのごとく,何ともクラシカルな建造物である。
大昔からあったと言われるこの井戸だが,元々は1923年に衛生上の見地から改修を計画。金武・並里両集落で経費を負担し,翌1924年1月に竣工。このときは,飲料水・男女の水浴び・洗濯・芋洗い・牛馬の水浴びなどと用途別にコンクリートで区切って構築されたそうだ。水道が普及するまでは金武・並里両集落の住民の飲料水の汲み場で,干ばつ時にも水は枯れず,また井戸から流れ出た水は,周囲の田畑を今も潤しているという。そんな井戸ゆえに年中人々が絶えなかったとされている。
さらに金武大川というと,第1回でも書いたように,観音寺にある鍾乳洞につながっていると言われていた。その鍾乳洞には若く美しい女性の肝を食らう恐ろしい大蛇が棲んでいて,それがこの金武大川に出てきて,女性をしばしば襲ったなんていわれもある場所だ。もちろん何かアクシデントがあって,それが大蛇の仕業だという言い伝えの域は出ないのだが,考えてみればこれだけ人々に愛される巨大な井戸に,そんな奇妙なエピソードをくっつけるのも謎ではある。
さて,その井戸からはホントに絶え間なく水が出ている。バックにそびえる巨大岩と鬱蒼とした森が,いかにも源泉チックでシンボリックな光景である。Y字型井からは幅・長さとも15cmほどの掛樋が突き出ていて,その数を数えたら,全部で20あった。昨年7月に玉城村で見た垣花樋川(かきのはなひーじゃー,「サニーサイド・ダークサイドU」第2回参照)はその流れ出る水の勢いと量が圧巻だったが,こちらは掛樋の数が圧巻である。もちろん,その20の掛樋から一定量が絶え間なく出るからには,大元の水量の豊富さがあるのは言うまでもないのだろう。
ちょうど,正月ということと天気もいいからか,小さい2〜3歳くらいの姉弟を連れた両親が,それぞれの子どもの手に水を触れさせていた。正月に井戸から汲む水は「若水」と呼ばれ,縁起がいいとされている。いま見ているのは「若水汲み」ならぬ「若水浴び」であるが,これって沖縄だけではなく,どこにでもある縁起ごとみたいだ。ま,当たり前か。そばには「若水汲み/明年カラ/白銀ムドゥシ/黄金ムドゥシ/与ラチウタビンソーリー」と書かれた半紙が垂れ下がっていたが,はて,何の“呪文”だろうか。これはさすがに沖縄だけのフレーズであろうと思う。

さあ,これで一つ見たかったものが見られた。幸先はいい。次は当然,キングターコースである。進むべき道は完全に記憶している。1回国道に出てから,新開地社交街のアーケードのところで左折。すぐの十字路を右折して公園脇の駐車場へ……うーん,我ながらナイスドライヴィングって,3日前に来ているから覚えていて当たり前か(第1回参照)。今回もバックで入庫。もうフェリーに乗る心配はしなくていいが,気分のよさに任せて入れてみる。無論,またも“白い線”をビミョーにズレたことだけは付け加えておかなければなるまいか。
時間は11時55分。3日前はこの時間に開け始めたはずだが,今回は……おお,ここも営業している,ラッキーじゃん。早速,フィルムが貼られているのか何だか分からない少しシースルー気味の黒い扉を開ける。中は若い女性3人で切り盛りしているようだ。「1人です」という意味で人差し指を出したのだが,向こうは呆気に取られた顔をしている。はて,何か可笑しいことでもしたか。
テーブルは,数十cmほどの狭い通路をはさんで右半分に,4人席が三つだけという小ささである。見た目はレストランというよりは喫茶店のような内装だ。そして照明なのか,はたまた築何十年と思われる古さから来るのか,店内自体も元から暗い感じである。一番手前のテーブルに女性2人組がいるが,まだ満席ではない。これもラッキー……って,もし満杯ならばテイクアウトもできるので,問題はナシということも書いておこう。でも,結構個人的にはヘンにテンションが高かったから,テーブルが埋まっていたら,気持ちがねじれて帰っちゃったりしていたかもしれない。
そして,左半分はカウンターとキッチン。とりあえずは一番奥のテーブルに荷物を置いて座り,30秒ほどの間を置いて,すぐ近くにいたってこともあり,立ち上がって女性にお目当ての「タコライスチーズ野菜」を注文する……って,別に滞りなく問題なく注文したように見えるが,実はファーストフード店と同じように先払いの注文だったのだ。注文した後で気がついたが,もしかして気がつかなければ「いつになったら注文取りにくるんだろ?」と思い続けていたかもしれない。
しばしウェイティングタイム。イスはソファ式でクッションが効いているが,フカフカし過ぎて深く座れてしまい,メシを食うにはやや不適と思う。もう1組客が後から入ってきたが,明らかに20代前半くらいのアンちゃん3人だ。やっぱり,ここは若者の来る場所なのかもしれない……とはいえ,サインが貼られている壁を見ると,KiroroやBEGINという“妥当なライン”に混ざって,具志堅用高氏とか故・芦屋雁之介氏のサインもあったりするから,別にいいのか。まあ,ここが「タコライス発祥の店」というから,古今東西老若男女を問わず,客が来ているということだろう。ちなみに,「フジテレビアナウンサーM.S」というのがあったが,最後までピンとこなかった。あるいは,男性アナだろうか。
2分ほどして「タコライスチーズ野菜,お待たせしましたー」と若い女性の声。随分早いなと思ったが,考えてみればご飯はすでに炊いてあるだろうし,上にかけるものはチーズとひき肉とキャベツかレタスにソースのみ。ソースとひき肉はあらかじめ作ってあるだろうから,後は注文が入ったらそれらを体よく乗せるだけ。2分ででき上がって当然だろうな……カウンターの上にあるフォークやスプーンの類いは「ご自由にどうぞ」式。水はそばにあるポットから自分で勝手にそそぐ。他のジュース類はカウンターでの注文。サイドメニューには,私は今回注文しなかったが,フライドチキンみたいなのもある。
ソースは2種類。ケチャップソースとサルサソースの2種類ある。一瞬聞きそこなったが,「お席にお持ちください」とのことだった。で,肝心の「タコライスチーズ野菜」は,20cm×12cmほどの競技場のトラックみたいな形の白い器に,“標高10cm”ほどに盛られて出てきた。山頂の白い頂…もとい緑の頂はキャベツの千切り。標高の3割程度を占める量がかかっている。その下には,ごくスタンダードなひき肉と細かくなったとろけるチーズとライスのみと,いかにも老舗らしい。
ソースは容器ごと持ってくるから,当然かけ放題だ。どっちかに飽きたら片方をかける方式がいいだろう。サルサソースが元がタコスゆえに王道だろうが,ケチャップもトマトの酸っぱさと甘みで食欲をそそると思う。しょうゆは……当然なかったが,案外両方に飽きるという“超嫌がらせケース”のためにもあるといいかもしれない。個人的にはそうも思った。名前からいって,他の野菜がもっと入るのかと思ったが,別にフツーのタコライスだ。あるいはその「フツーのタコライス」は,例えば吉野家の牛丼みたいに,“キャベツ抜き”とか“チーズ抜き”なんてのができたりするのだろうか。もっとも,後ろ二つは間違いなくタコライスじゃないと思うのだが。
店内ではノーランズの「SEXY MUSIC」がかかっていたり,やがて誰だか分からない歌手の“王道ロック”がかかったり,いかにもアメリカっぽい演出である。カウンターは,調味料やスプーン・フォークの類いが置かれている以外は,飾り気がなくて素っ気無い。まるで,それらの器具自体が飾りであるかのようだ。そして,どことなく全体的にドライな雰囲気なのも,これまた“THE U.S.A”なのだろうか。(第8回につづく)

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