奄美の旅アゲイン
(1)犬と重千代
翌朝は6時10分に目が覚める。外はあいかわらずの曇天。昨日の天気予報は「くもりのち晴れ」だったが,まずは予定通りの“くもり”というところだろうか。それにしても,昨晩は“宴の途中”でレストランを後にしたが,結局何時まで続いていたのだろう。同じ建物の中には本格的なカラオケルームが五つもあって,そこから歌声も聞こえていた。いくらいい年した大人たちといえど,せっかくの祝いの時なのだから,大層騒いだのではないだろうか。
でも,まさかあの連中すべてがそのままこの宿に泊まっているのか――窓の向こうに見えている駐車場を確認したが,さして台数はない。ということは,泊まっているのはテーブル席の人間くらいの人数か……いやいや,というのは昨晩のことがあるから,朝ご飯が食べられないのかと危惧していたのだ。帰り際にフロントの人は「明日は朝食食べられますか?」と聞いてきたが,特に調整が入るとかは言っていなかったと思う。
で,7時ちょうどに行ってみると,まだ数人しかいない。よかった,いまのうちとっとと食べてしまおう。どうやらここも朝飯はバイキングのようである。メニューはいたって平凡。ハム・卵焼き・なすの煮物・生野菜・納豆・鮭の塩焼・味噌汁・ごはん・パン……久米島のホテル日航久米アイランドでは「麩チャンプルー」があり(「久米島の旅」第3回参照),与論島のプリシアリゾートでは「そうめんチャンプルー」らしきものがあり(「ヨロンパナウル王国の旅」第3回参照),さらにシティホテルまで含めれば,那覇の「日航那覇グランドキャッスル」では沖縄風雑炊や紅芋パンがあった(「沖縄“任務完了”への道」第4回参照)。しかし,残念なことにここでは何も地元の食べ物はなかった。それでも自分の好きな時間に朝食が取れるだけいいだろう。
中は続々と人が入ってきて,次第に平均年齢が高くなってきた。端っこのほうに若者らしき数人がいたが,ほとんどが昨日テーブル席でメシを食っていた連中だろう。外ではそのうち雨が降り出してきて,シートか何かをあわてて従業員が取り込んでいる。予想以上に天気が悪いのか。
とりあえずは元はしっかり取るために“おかわり”は一度だけする。ホントはもっとしようかと思ったが,あまりメニューにバリエーションもなく,これといって美味いものもなかったので,とっとと部屋に切り上げることにしたのだ。どうせそれらの行く先は体内で贅肉になるしかないのだから,満腹中枢を適度に刺激するにとどめておこう。そもそも,刺激している時点で私にとってはすでに食いすぎなのだから。
部屋へ帰るとき,廊下の壁にサイン色紙が数枚あったので見てみる。宮史郎という名前は発見できたが,その他は分からず。俳優の西田敏行氏も泊まったことがあるという情報があったが,色紙の中では見当たらなかった。ちなみに,当然だが高橋尚子選手のものもあり,小出監督や他の選手などと一緒に連名になっている。近くに貼ってあった紙には,来週の日曜日に来島して,例の「尚子ロード」(前回参照)を走るというのがあった。
チェックアウトは8時過ぎ。1泊に朝食バイキングつきで6825円。たしか,部屋代はホームページによれば5800円だったと思う。ということは,バイキングは735円? 昨日は似たようなメニューで1000円だったはずだが,その辺の差はいまいちよく分からない。税込価格かどうかも,どうも怪しい。ま,何はともあれ,昨晩はメシ時にややキレかけるようなことはあったものの,部屋の感じと朝飯のある程度のボリュームを考えれば,この値段で妥当なところだろう。むしろ島唄がタダで聞けたのだし,安かったかもしれない。

10分ほどでトヨタレンタカーに到着。事務所はまだ開いたばかりという感じ。中年女性が,あるいは何事かと思ったのか,ちょうど外に出てきたところだった。多分彼女だけ,カギ開けで先に来ていたのか。早速,精算と思ったが,何かゴソゴソやっているだけでそのうち電話を取り出した。要領を得ていなかったのだろうか。そこにタイミングよく,昨日相手してくれた男性が入ってくる。
彼女は「ガソリンはまだです」と言うと外に出ていった。で,結論。約21時間の借用で6700円。あるいはガソリンを満タンで入れていたらどのくらいの値段になったのか興味深いが,一体どういう計算をして弾き出したのだろうか。あくまで「徳之島式」ということか。下手したら1万円以上かかるのかと不安だったが,これだけ安ければ上等である。精算を終わると,先ほどの女性が,歩いても行ける距離だが,乗ってきたヴィッツで空港の入口まで送ってくれた。
カウンターで奄美大島行きの搭乗手続をする。奄美大島行きは事前座席指定ができないので,この手続時に座席指定となる。会社はJAC(日本エアコミューター)だから,想像するに小型の飛行機であろう。そして,取れた座席は「7C」という席。7番目ということは真ん中あたりか。どちらかといえば前方であるほど有り難いのだが,このへんの事前予約は何とかできないものだろうか。
ちょっと時間があるので近くを散策すると,一つの石碑が空港を臨むように立つ。「塩田発祥地」と書かれている。碇本官多恵(いかりもとかんたえ? このように書かれていたと思う)という人物が明治時代に,土佐の塩田方法を学んで島に取り入れたとのこと。塩田には古代からいろいろと変遷があるようだが,このころスタンダードだったのは「入浜式塩田」という方式。17世紀ころから始まって,つい40〜50年ごろ前まで行われたそうだが,海岸に堤防を作り,潮の干満で堤防内に入ってきた海水を蒸発させるとかというものらしい。ちなみに,「徳の塩」というのが現在徳之島ブランドの塩として販売され,何でも『どっちの料理ショー』でも出てきたそうだが,こういう商品の原点はこの碇本氏の活動なのだろう。
そして,その向こうにはJASの飛行機が1台。真ん中の部分を巨大なテントが覆っていて,尾翼には青いシートもかけられている。気のせいか,尾翼がかけているようにも見えた。実は昨日空港に着いたときからあったのだが,この飛行機,もしかしてこの正月に事故ったやつか? 係員にわざわざ聞くのもはばかられたのでホントなのかどうかは分からないが,飛行機って,まさか野ざらしみたいな格好で置いておくものではないだろう。飛行機自体を脇によけるだけで数日かかり,その間空港は閉鎖されていたが,あれから3カ月たってもこの状態ということなのか――いろんな角度から飛行機を見ようと思っていたら,いつのまにかトヨタレンタカーの近く,すなわち敷地のギリギリあたりまで戻ることになっていた。
奄美大島行きの飛行機は,9時半に予定通り離陸。39人乗りだが乗客はたった7人。私はその中で……どういうわけか一番前だった。はて,機体のバランスを取るためだろうか。人は後部に集中しているというのに,先頭の出入口のところでマニュアル通りに救命道具の説明をしたり,非常用出口に誰も座っていないのに「非常用出口の方には,緊急用の……」なんてテープのような声が流れている光景は,滑稽っちゃ滑稽だ。
ふと,上空から窓の外を見てみると,行きにも見えた「ホテル サンセット・リゾート」のコテージが見える。海岸線の色は黄土色である。砂のベージュとは明らかに違う色だ。開発などで赤土でも流れ込んだのか。外の曇天を差し引いたとしても,遠浅独特の美しい水色でないのが惜しい。

(1)犬と重千代
@犬とオジイ
奄美大島空港には10時到着。空からはまたポツポツと来出している。マイナーな扱いだけに,タラップを降りてからロビーまで歩いていくことになるのだが,傘はさすほどではない。そのまま人の少ないロビーを通り抜けると,今回も奄美大島で車を借りることになっている西郷レンタカーの人間が……いない。チッ,こういう扱いかよ,オレは。
いかん,いきなりキレてしまった。「今回も」というからには「前回」もあるのだが,昨年4月に奄美大島に初上陸したときにも,この西郷レンタカーで,レンタカーはマツダ「デミオ」を借りたのだ。そこまではいいのだが,詳細は「奄美の旅」第2回を見ていただくとして,運転席のドアを凹ませて“ノン・オペレーションチャージ”で2万円を献上する羽目になった因縁のレンタカー屋なのだ。もちろん,悪いのが私なのは言うまでもないのだが,この奄美大島で再び車を借りる段になって,はて「バツ1」の私が借りていいものかと思ってしまった。大げさに言えば,私にとってはトラウマみたいなものだし,相手方だって日誌か何かで私が車を凹ませたことをチェックしているだろうから,少なからず警戒をするのではないか――でも,結局は5800円という値段の安さにひかれて選んでしまった。この5800円という料金だって,うち500円は,実際はそんなにかからないであろう,東京・渋谷にある観光代理店から我が家へのクーポン郵送手数料なのだ。
何はともあれ,西郷レンタカーの人間を探したいが,外に出ても見当たらない。前に来たことがあるので,事務所が空港の敷地から出てすぐの,歩いて行けるところにあるのは知っている。事務所の看板だってすでに目に入っている。かといって,ここで入れ違いになって「実は空港の駐車場に車がありました」なんてことであっては困ってしまう。今日のルートでは(も?)あまりムダな時間はないのだ。ふと,近くでヒマつぶししていたと思われるタクシーの運ちゃん3人組と目が合う。「タクシー?」と聞いてきたが,「いいえ違います」とそっけなく答えてしまう。親切に声をかけてくれることは,有り難いっちゃ有り難いが,申し訳ない。あなた方には用はないのだ。
しかし,相変わらず「西郷レンタカー」のプレートを持った人間を探しても見当たらず,あちこちを見回すこと数分。私がどうにも可哀想に見えたのだろうか。運ちゃんの1人が「どうしたの?」と声を再びかけてきた。「西郷レンタカーなんです」と言うと,「あそこ」と言って私も認識している方向を指差した。そんなことは分かっているのだが,ひとまず礼を言って失敬する。もはや出迎えなんてこれ以上期待しちゃいけない。雨がポツポツ落ちる中,小走りに事務所に向かう。前回同様,ネットから代理店経由で予約を入れた際,行き帰りの飛行機便は明記していた。でも,向こうからすれば「東京からの直行便なら迎えに行ってやってもいいが,徳之島からのマイナーかつタラップから歩いてくるような便は,迎えに行くに値しない」ということか。

事務所には20代らしきアンちゃんが2人。名前を名乗ると「あ,はいー」と実にそっけない。もちろん来ることは知っていたはずだろうが,ここまで来るとそんなことに怒るのもナンセンスといったところだ。簡単に手続をした後,一応“ノン・オペレーションチャージ”の話も受ける。前回は,たしかもらったファイルにそのことが書かれた紙は入っていたが,事前の説明自体はなかった。いざ2万円を献上することになって初めてその存在に気づかされたのが正直なところだが,その辺は偶然ということか,はたまたマニュアルを徹底させたのか。
そして,今回も乗るのは,銀色のマツダ「デミオ」。前回乗ったナンバーが残念ながら分からないが,今回は「48」というナンバーだ。もしかして,前回乗ったのもこいつだろうか。まさか,そんなことなど……。中のカーオーディオがカセットのみというのも前回と同じ。周囲に走っている車はほとんどない。10時2分出発。
さて,今日の行き先はただ一つ。島の南端にある瀬戸内町の古仁屋(こにや)港だ。ここからフェリーで加計呂麻島に渡るのが,今日の目的である。フェリーの時間は11時40分,14時の順。予定では,14時発のフェリーで対岸の瀬相(せそう)港に渡る。そして,瀬相からは「加計呂麻バス」なる地元のマイクロバスで生間(いけんま)という集落まで島内を移動して,15時55分発のフェリーで再び古仁屋港に戻る。16時15分の到着予定で,古仁屋港から空港まではひたすら直行し,19時発の飛行機で帰京――これが今日のルートだ。
昼飯は瀬戸内町で食べる予定だが,店についてはいくら島の南部の中心地といえど保証はない。少なくとも名瀬市よりは乏しいだろう。でもって,帰りの空港までの道は,18時20分に車を返却するとなると,約2時間の帰りルートとなる。距離にして70km余り,でもって,途中には山がつらなりカーブも多い道だ。空港からの直行バスは2時間半かかるが,さすがにそこまではかからないにしても,結構ギリギリに近いかもしれない。まして,名瀬市内は時間的にも混むかもしれない――昨日,鶏飯を食った経緯はこういうことである(前回参照)。
道はまず海岸沿いを南下する。当然だが,一度通った道である。印象深い「カーコンビニ倶楽部」も前回のママ(「奄美の旅」第5回参照)。しかし,雨が本格降りどころか大雨になってくる。たしか「くもりのち晴れ」のはずだが,ワイパーが前だけでなく後ろにも必要なほどだ。まったく,奄美つながりでは12月の与論島も一時が万事こんな調子だったが(「ヨロンパナウル王国の旅」参照),今回の奄美の旅も,最後まで天気には見放されてしまうのか。
順調に車は進んで龍郷町へ入り,道名も国道58号線となる。国道になったからか,さっきは県道だし,こっちは国道ということか,少し車は増えた気がするが,もちろん渋滞とは無縁の量だ。そして間もなく,鶏飯の店「ひさ倉」(「奄美の旅」第1回前回参照)の前を通過する。早くから営業しているようで,明かりがついている。ここの鶏飯と鶏刺はとても魅力的だが,昼飯には早すぎるし,いかんせん朝飯も結構食べている。今回は黙って通り過ぎる。やがて看板が見えてくる大島紬村や西郷隆盛の住居跡も,前回の奄美大島訪問で見ているから(「奄美の旅」第4回参照),ホントにひたすら車を進めるだけである。
そして,長い本茶トンネルをくぐり抜けると名瀬市。「奄美の旅」第1回にも書いた「匚」の字型の海岸線は相変わらずだが,海岸沿いに大きなアーチ橋ができていた。多分,内陸にある中心部の渋滞緩和もあるのだろう。前回も海岸沿いに道はできていたと思うが,こんなアーチ橋はできていなかったはず。一瞬そちらへ入ろうかと思ったが,タイミングを損ねて中心部に向かうことになる。とはいえ,交通量自体は時間帯もあってかあまり多くないので,むしろ海岸沿いに大回りするより近道でいいだろう。

10時40分,名瀬市の中心部で国道58号線は左折し,引き続き南下の道を辿る。10分もしないうちに,周囲は緑1色となり,俄然山道とカーブが多くなる。もちろん,これも経験済みである。たまに思い出したように海岸と出くわすとちょっと嬉しいが,それよりも時間との戦いであるから,周囲を見ている余裕は残念ながらあまりない。どこかのラグビー部ではないが「前へ,前へ」である。
というのは,ここまで順調に来ていたら,1本前の11時40分発の加計呂麻島行きフェリーに乗りたくもなってきたのだ。時間的には微妙なのだろうが,すっ飛ばせば何とかなりそうな気がしてきているのだ。11時40分発に乗ってしまって,先に遠く=加計呂麻島を周ったほうが,後行程が圧倒的に楽になるのは言うまでもない。上述のとおり,夕方に入ると名瀬市内で車が混雑するという可能性もある。やはり,欲は出てきてしまうものである。
途中,住用(すみよう)村にあるマングローブ原生林を左下に見ながら通過していく。「道の駅・住用」というただっ広い駐車スペースのそばにあるのだが,会社の先輩だった女性も昨年訪れている場所のようだし,この間,TBSで日曜日の夕方にやっていた島田紳助氏や石田純一氏がメインの旅行番組で,カヌー体験をしていた場所だ(そのはず)。運動神経のよくない私が,1人でカヌーを操って川を見ながら無事帰還できるかは未知数であるが,あの原生林をほぼダイレクトに体験できるというのは魅力的だ。西表島で広大なマングローブは見ている(「沖縄標準旅」第9回など参照)が,身近さでは圧倒的にこちらのほうである。テレビで観ていて面白そうだったので,あるいは加計呂麻島からの帰りに,ここでの寄り道もいいかもしれない。
しかし,そんな“妄想”とは裏腹に,現実は軽自動車やトラック,そして路線バスが行く手を阻んでくれる。いや…というか,彼らは阻んでいるつもりは一切ないのだろうし,あくまで法定速度を遵守しているだけだから,落ち度はまったくない。悪者は強いて言えば…いや,間違いなく強欲な限りのこの私である。でも,いまの私にとっては,阻んでいるようにどうしても見えてきてしまう。そもそもの予定としては,14時のヤツに乗るためまで2時間ほど時間ができるだろうから,瀬戸内港から出て加計呂麻島との間の大島海峡を遊覧するグラスボートに乗ろうかと思っていた“はず”だ。前回の奄美旅行初日の夜,名瀬市内の店で夕飯を食べたときに,店のオヤジさんからこのグラスボート(「奄美の旅」第2回参照)がよかったと言われていた。そのときは“いろいろとあった”ので,また奄美に来ることは考えていなかったのであるが,今回来ることになって,だったらせっかくだから…ということなのだ。ホント,マングローブといいグラスボートといい,脈絡がないというか欲張りな限りだ。
そうやっていろいろと行程を膨らませていくにつれて,自ずとスピードを上がっていく……ところなのだが,軽自動車やトラックは何とか追い越したものの,最後の“難敵”は路線バスであった。私と同じ古仁屋に向かおうとしているこの路線バス。観光バスみたいな車体の大きさはともかく,時間については正確でなくてはいけないから,あまりスピードは出せない。しかも,よりによってカーブの坂道にいたから厄介である。追い越そうにも車高が高いから前が見えないし,たまに前が見えても道にカーブと傾斜があって反対車線の見通しがよくない。幹線道路ゆえに交通量もそれなりにあるから,スーツと軽やかに追い抜けないのだ。路線バスもバックミラー越しに事情を察したのか,たまにウインカーを出してくれて左に“微妙に”寄ってくれるのだが,所詮は“高見からの視点”でしかない。いっそ,どこかで道を外れてほしいし,停まってくれるのが一番だが,それはどだいムリな要求だろう。私はというと,そういうわけでなかなか抜け出せないのである。
結局,10km近く追走する形で,ようやく追い抜けたのは山越えをして道が平坦になった辺りである。時間は無情にも11時半近くになって,町名はすでに瀬戸内町になっていた。(第5回につづく)

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